「俺が相手だ、|クソ親父《・・・・》!」
アクタは|敢然《かんぜん》と、「父」に向かってタンカを切った。
当然、|山犬《やまいぬ》と|化《か》している|似嵐鏡月《にがらし きょうげつ》は面白くない。
「ああ? アクタ、何だって? いま何か言ったかな?」
「これ以上、ウツロを|侮辱《ぶじょく》するのは許さねえ、そう言ったんだよ、クソ親父っ!」
アクタはますます|語気《ごき》を強めて、「弟」に|暴虐《ぼうぎゃく》を働く「父」を|牽制《けんせい》した。
その|双眸《そうぼう》には目の前の|暴君《ぼうくん》を、曲がりに曲がった「ロクデナシの父親」を、何としても|正気《しょうき》に|戻《もど》そうという、「|息子《むすこ》」の|切《せつ》なる願いが宿されていた。
しかしそんな純粋な気持ちなど、われを忘れた山犬の耳には届かなかった。
「ああ、お前な、口の|利《き》き|方《かた》に気をつけろよ? 育ててやった|恩《おん》も忘れてからに、このゴミ|風情《ふぜい》が!」
似嵐鏡月はいっこうに折れない。
それどころか、さらに激しく「わが子」を|罵倒《ばとう》する。
つらかった、アクタはつらかった。
それでも、俺がやらなければ……
俺はウツロを、弟を守る――
そう、|誓《ちか》ったじゃねえか。
負けねえ、俺は負けねえ……
絶対に、だ――!
彼の覚悟は|鉄壁《てっぺき》だった。
腹は決まった――
「俺はゴミじゃねえ! それにウツロも、毒虫なんかじゃねえ! てめえこそ口の利き方に気をつけろ、このクソ親父が!」
似嵐鏡月はしかし、すっかり|呆《あき》れた顔をしている。
「アクタあ、おやおや、『親』に向かってそんな口を利いて、いますぐ息の根を止められたいのかなあ?」
アクタの勇気もこの男には、まるで|溜飲《りゅういん》が下がっていない。
何かわけのわからないことを|喚《わめ》いている、バカがいるな――
その程度にしか映っていないのだ。
どうしてだ、どうしてわかってくれないんだ――
アクタは苦しかった。
だが、負けるか。
ここで負けて、なるものか――
「てめえなんざ『親』じゃねえ。『親』とは認めねえ。俺の『弟』を侮辱するようなやつはな! それに、息の根が止まるのは、てめえのほうだ!」
「あーあ、何も死に急ぐことなど――」
「これでも、食らいやがれ――!」
「なにっ――!?」
アクタは大地を|蹴《け》って高く|跳躍《ちょうやく》した。
「目え、|覚《さ》ましやがれ、クソ親父いいいいいっ!」
そのまま山犬の腹にタックルを決めた。
「ごおっ!?」
あまりの|衝撃《しょうげき》に似嵐鏡月は、手に|掴《つか》んでい|真田龍子《さなだ りょうこ》を|放《ほう》り|出《だ》した。
「きゃあっ!」
空中に|放《はな》たれた彼女は、地面に激突しそうになった。
「させるかよっ!」
山犬の腹をステップ台に、アクタは真田龍子をすくい取り、そのままトンボ|返《がえ》りをした。
そして気絶している|真田虎太郎《さなだ こたろう》のそばへ|着地《ちゃくち》した。
「あ、ありがとう……アクタ、さん……」
「いいってことよ」
彼女をやさしく地面へ下ろすと、アクタは真田虎太郎をゆっくり|抱《かか》えて、姉のもとへゆだねた。
「あの、わたし……」
「ウツロがさんざん世話になったようだ、その、真田さん……ありがとう。『兄』として、礼を言わせてもらう。本当に、ありがとう……」
「あ、そんな……わたしは、何も……」
似嵐鏡月からさんざん|罵倒《ばとう》され傷つけられた彼女を、アクタはなんとか|慰《なぐさ》めようと思った。
同じ「弟」を持つ者として――
「あんたにも、『弟』がいる。だがあんたは間違っても、『弟を不幸にする存在』なんかじゃあ、ねえ。気休めかもしれねえが、あんたを見てればわかる。どうか弟を、虎太郎くんを守ってやってくれ。それはきっと、あんたにしかできねえことなんだ」
「あ、う……アクタ、さん……」
正直な気持ちからだった。
自分もボロボロになりながら、気づかいを見せてくれる彼に、真田龍子はうれしかった。
「大丈夫。あんたなら絶対、大丈夫だ」
「アクタ、さん……あり、がとう……」
彼だって心をズタズタにされているのに、わたしのことをこんなに案じてくれている。
彼女はその強さにむせび泣いた。
似嵐鏡月は|眼前《がんぜん》でのやり取りにすっかり呆れている。
「ふう……はあ、アホらしい……お|涙頂戴《なみだちょうだい》の|小芝居《こしばい》か? 弟を守るだとか何とか、どうすればそんな白々しい|茶番《ちゃばん》が演じられるのかのう」
「てめえにゃ、ぜってえ……永遠にわかんねえよ……!」
「……なんか、ついさっきも聞いたようなセリフだな。頭の悪い奴は同じことしか言えんのかあ?」
人の痛みなどわからぬ、「|愚《おろ》かな父」――
アクタはそれを決然とにらみ上げた。
「……頭がわりいのは、てめえだろ……」
「|柾樹《まさき》っ――!」
やっと|覚醒《かくせい》した|南柾樹《みなみ まさき》が、似嵐鏡月を|諌《いさ》める。
「……目の前にいるのが、誰か……わからねえのか……てめえの『息子』、だろ……アクタが、どんな気持ちか……考えたこと、あんのか……」
「おやおや、生ゴミの柾樹くん、まだ生きていたのかね? とっくにゴミの|処分所《しょぶんじょ》に送られたのかと思っていたよ」
「いいかげん、目え覚ませっつってんだろ……そんなんだからバカにされる……親父にも、姉貴にも……それが何でなのか、てめえこそ『なんじに問え』ってんだ……この、クソ親父が……!」
「まだ言うか|死《し》に|損《ぞこ》ないが! 本当に今度こそ息の根を止めてしまうぞ!?」
彼にはこの山犬が、なんだか|滑稽《こっけい》なピエロに見えてきた。
「へっ……」
「……何がおかしい?」
「弱い犬ほどよく|吠《ほ》える、ってか……」
「きっ、貴様あああああっ!」
アクタたちへの注意を|反《そ》らす意味もあったが、それ以上に、「バカは死んでも治らない」という、|率直《そっちょく》な気持ちからだった。
「待ちな、親父――」
「ああっ?」
「その男に、南柾樹に指一本でも触れてみろ、俺が叩きのめしてやる。そう言ってるんだぜ、親父よ?」
アクタは似嵐鏡月の注意を、逆に自分に引きつけた。
南柾樹の|矜持《きょうじ》に、アクタも改めて覚悟を決めたのだ。
「おやおや、困ったの。この|期《ご》に|及《およ》んで|虚勢《きょせい》か、アクタ?」
「虚勢じゃねえ、俺は本気だぜ?」
南柾樹は不安を禁じえなかった。
アクタは、死ぬ気だ。
やめろ、それだけはやっちゃいけねえ……
「……よせ、アクタ……」
彼はなんとか、それだけは止めなければならない――
そう思った。
「本当に殺すぞ、アクタ?」
「やってみろよ、腰抜けのクソ親父!」
「貴様あっ!」
「やめろ、アクタっ!」
「父」を|挑発《ちょうはつ》する「息子」を、南柾樹は|抑《おさ》えようとした。
だが、アクタの決意は|揺《ゆ》るがなかった。
「マサキっ、ウツロが世話になった! 短けえ間だったが楽しかったぜ! 最高だよ、あんた! だからどうか……どうかウツロを、『弟』を頼む……!」
「アクタっ、よせっ、よせええええっ!」
「俺がこいつを、クソ親父を連れていく! さよさらだ、マサキっ!」
やはり最悪のことを考えている。
なんとしても止めなければ――
しかし彼の体はとても動かせる状態ではなかった。
アクタはもう一度、山犬に向かって高く|跳躍《ちょうやく》した。
「ふん、望みどおりにしてくれるわ!」
似嵐鏡月は向かってくるアクタへ向け、|拳《こぶし》を|握《にぎ》って|殴《なぐ》りかかった。
しかし――
「何っ――!?」
動きを予測していたアクタはその手をすり抜けてステップにし、さらに高く|跳《と》んで山犬の背後を取った。
「ぐうっ――!?」
アクタのたくましい両腕が、似嵐鏡月の首を|捉《とら》える。
チョーク・スリーパーの要領で一気に|締《し》め|上《あ》げた。
「ぬ……ぐぬっ……!?」
その手を振りほどこうと、山犬は手を振り回して|暴《あば》れた。
「させねえぜ、これでも食らいな!」
「――っ!?」
アクタはさらに|両脚《りょうあし》をも|絡《から》みつかせ、全身の力を|振《ふ》り|絞《しぼ》った。
「うっ……ぐ……ぬう……!?」
アルトラの能力によって凶暴な|獣《けもの》に変身しているとはいえ、首という肉体上の弱い部分、さらにはアクタの|剛力《ごうりき》でフルパワーに締め上げられているのだ。
さすがの似嵐鏡月も息が苦しくなってきた。
「がが、やめろ……やめんか、ゴミが……!」
「ぐがあ――っ!?」
山犬はアクタの背中にその|鋭《するど》い|爪《つめ》を立てた。
|耐《た》えがたい激痛が走る。
だが、放さない。
アクタはその手を、|脚《あし》を――
まだどこかに期待があった。
目を覚ましてくれるのではないかという、期待が――
「……やめろ、アクタ……やめてくれ……」
ウツロが何か言っているな。
もう俺の耳には、よく聞こえない。
でもなウツロ。
お前は、お前だけは生きるんだ。
そしてきっと、幸せになってくれ。
生きろ、生きてくれ、ウツロ――!
「ぐうう……アクタあ……放せえええええ……!」
「……あんたが死んだって、泣いてくれるやつなんか、いやしねえ……! だから俺が、せめて俺が……!」
「ならば、こうしてくれるわあっ!」
「――っ!?」
似嵐鏡月はアクタを|鷲掴《わしづか》みにして、|力強《ちからづよ》く|放《ほう》り|投《な》げた――
「ぐふうっ――!?」
ああ、アクタは桜の|大木《たいぼく》に、したたかに打ちつけられた。
そのままズルズルと落下し、彼は動かなくなった。
「あ、あっ、アクタあああああっ!」
口の中からナイフが飛び出すような絶叫――
そのナイフはウツロの|喉《のど》だけでは|飽《あ》きたらず、心までも|切《き》り|裂《さ》いた。
「ふん、ゴミが。当然の|報《むく》いよ」
「息子」をさんざん痛めつけておいて、似嵐鏡月はハエを|振《ふ》り|払《はら》ったようなため息をついた。
「あ……あ……」
ウツロは顔を両手で押さえながら激しく|嗚咽《おえつ》している。
いまにも呼吸が不可能になりそうな感覚――
苦しい……
死ぬ、死ぬ……
う……
彼の中で、何かのスイッチが入った――
「ウツロ、落ちつけ……!」
いけない、このままでは危険だ。
鋼鉄の|棺桶《かんおけ》のように重い体を引きずりながら、南柾樹はウツロのほうへ何とか近づこうとする。
「ぐ……クソっ……!」
だが、言うことを聞いてくれない。
似嵐鏡月にやられたダメージは、|桁外《けたはず》れに大きかった。
そのとき――
「あ……が……ああああああああああっ!」
ウツロに異変が|生《しょう》じた。
|皮膚《ひふ》の色がものすごい勢いで|濁《にご》っていく。
ヘドロのような|汚《きたな》らしい|色合《いろあ》いだ。
そして|増殖《ぞうしょく》するように|膨《ふく》らんでいく。
「これは、いったい……」
「アルトラよ……」
「|雅《みやび》っ!?」
すぐ近くに|倒《たお》れていた|星川雅《ほしかわ みやび》がようやく目を|覚《さ》まして、南柾樹に語りかけた。
「きっと、アクタを傷つけられたショックで……ウツロのアルトラが、発動したんだわ……」
「マジ、かよ……」
南柾樹は言葉を失った。
ウツロは頭を|抱《かか》えながら、それを|縦横無尽《じゅうおうむじん》に振り回して、|悶《もだ》え|苦《くる》しんでいる。
その間にも全身は|泥人形《どろにんぎょう》のように崩れていく。
変わり果てていくその姿に、弟を|抱《だ》きかかえながら、真田龍子は全身を|震《ふる》わせ、おそれおののいた。
「ウツロくん……」
|変貌《へんぼう》が止まったとき、彼女は|絶句《ぜっく》した。
ウツロの姿は|醜《みにく》い、おぞましい、|異形《いぎょう》の|毒虫《どくむし》に|変《へん》じていた――
(『第69話 |毒虫《どくむし》』へ続く)