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第68話 兄として――

ー/ー



「俺が相手だ、クソ親父(・・・・)!」

 アクタは敢然(かんぜん)と、「父」に向かってタンカを切った。

 当然、山犬(やまいぬ)()している似嵐鏡月(にがらし きょうげつ)は面白くない。

「ああ? アクタ、何だって? いま何か言ったかな?」

「これ以上、ウツロを侮辱(ぶじょく)するのは許さねえ、そう言ったんだよ、クソ親父っ!」

 アクタはますます語気(ごき)を強めて、「弟」に暴虐(ぼうぎゃく)を働く「父」を牽制(けんせい)した。

 その双眸(そうぼう)には目の前の暴君(ぼうくん)を、曲がりに曲がった「ロクデナシの父親」を、何としても正気(しょうき)(もど)そうという、「息子(むすこ)」の(せつ)なる願いが宿されていた。

 しかしそんな純粋な気持ちなど、われを忘れた山犬の耳には届かなかった。

「ああ、お前な、口の()(かた)に気をつけろよ? 育ててやった(おん)も忘れてからに、このゴミ風情(ふぜい)が!」

 似嵐鏡月はいっこうに折れない。

 それどころか、さらに激しく「わが子」を罵倒(ばとう)する。

 つらかった、アクタはつらかった。

 それでも、俺がやらなければ……

 俺はウツロを、弟を守る――

 そう、(ちか)ったじゃねえか。

 負けねえ、俺は負けねえ……

 絶対に、だ――!

 彼の覚悟は鉄壁(てっぺき)だった。

 腹は決まった――

「俺はゴミじゃねえ! それにウツロも、毒虫なんかじゃねえ! てめえこそ口の利き方に気をつけろ、このクソ親父が!」

 似嵐鏡月はしかし、すっかり(あき)れた顔をしている。

「アクタあ、おやおや、『親』に向かってそんな口を利いて、いますぐ息の根を止められたいのかなあ?」

 アクタの勇気もこの男には、まるで溜飲(りゅういん)が下がっていない。

 何かわけのわからないことを(わめ)いている、バカがいるな――

 その程度にしか映っていないのだ。

 どうしてだ、どうしてわかってくれないんだ――

 アクタは苦しかった。

 だが、負けるか。

 ここで負けて、なるものか――

「てめえなんざ『親』じゃねえ。『親』とは認めねえ。俺の『弟』を侮辱するようなやつはな! それに、息の根が止まるのは、てめえのほうだ!」

「あーあ、何も死に急ぐことなど――」

「これでも、食らいやがれ――!」

「なにっ――!?」

 アクタは大地を()って高く跳躍(ちょうやく)した。

「目え、()ましやがれ、クソ親父いいいいいっ!」

 そのまま山犬の腹にタックルを決めた。

「ごおっ!?」

 あまりの衝撃(しょうげき)に似嵐鏡月は、手に(つか)んでい真田龍子(さなだ りょうこ)(ほう)()した。

「きゃあっ!」

 空中に(はな)たれた彼女は、地面に激突しそうになった。

「させるかよっ!」

 山犬の腹をステップ台に、アクタは真田龍子をすくい取り、そのままトンボ(がえ)りをした。

 そして気絶している真田虎太郎(さなだ こたろう)のそばへ着地(ちゃくち)した。

「あ、ありがとう……アクタ、さん……」

「いいってことよ」

 彼女をやさしく地面へ下ろすと、アクタは真田虎太郎をゆっくり(かか)えて、姉のもとへゆだねた。

「あの、わたし……」

「ウツロがさんざん世話になったようだ、その、真田さん……ありがとう。『兄』として、礼を言わせてもらう。本当に、ありがとう……」

「あ、そんな……わたしは、何も……」

 似嵐鏡月からさんざん罵倒(ばとう)され傷つけられた彼女を、アクタはなんとか(なぐさ)めようと思った。

 同じ「弟」を持つ者として――

「あんたにも、『弟』がいる。だがあんたは間違っても、『弟を不幸にする存在』なんかじゃあ、ねえ。気休めかもしれねえが、あんたを見てればわかる。どうか弟を、虎太郎くんを守ってやってくれ。それはきっと、あんたにしかできねえことなんだ」

「あ、う……アクタ、さん……」

 正直な気持ちからだった。

 自分もボロボロになりながら、気づかいを見せてくれる彼に、真田龍子はうれしかった。

「大丈夫。あんたなら絶対、大丈夫だ」

「アクタ、さん……あり、がとう……」

 彼だって心をズタズタにされているのに、わたしのことをこんなに案じてくれている。

 彼女はその強さにむせび泣いた。

 似嵐鏡月は眼前(がんぜん)でのやり取りにすっかり呆れている。

「ふう……はあ、アホらしい……お涙頂戴(なみだちょうだい)小芝居(こしばい)か? 弟を守るだとか何とか、どうすればそんな白々しい茶番(ちゃばん)が演じられるのかのう」

「てめえにゃ、ぜってえ……永遠にわかんねえよ……!」

「……なんか、ついさっきも聞いたようなセリフだな。頭の悪い奴は同じことしか言えんのかあ?」

 人の痛みなどわからぬ、「(おろ)かな父」――

 アクタはそれを決然とにらみ上げた。

「……頭がわりいのは、てめえだろ……」

柾樹(まさき)っ――!」

 やっと覚醒(かくせい)した南柾樹(みなみ まさき)が、似嵐鏡月を(いさ)める。

「……目の前にいるのが、誰か……わからねえのか……てめえの『息子』、だろ……アクタが、どんな気持ちか……考えたこと、あんのか……」

「おやおや、生ゴミの柾樹くん、まだ生きていたのかね? とっくにゴミの処分所(しょぶんじょ)に送られたのかと思っていたよ」

「いいかげん、目え覚ませっつってんだろ……そんなんだからバカにされる……親父にも、姉貴にも……それが何でなのか、てめえこそ『なんじに問え』ってんだ……この、クソ親父が……!」

「まだ言うか()(ぞこ)ないが! 本当に今度こそ息の根を止めてしまうぞ!?」

 彼にはこの山犬が、なんだか滑稽(こっけい)なピエロに見えてきた。

「へっ……」

「……何がおかしい?」

「弱い犬ほどよく()える、ってか……」

「きっ、貴様あああああっ!」

 アクタたちへの注意を()らす意味もあったが、それ以上に、「バカは死んでも治らない」という、率直(そっちょく)な気持ちからだった。

「待ちな、親父――」

「ああっ?」

「その男に、南柾樹に指一本でも触れてみろ、俺が叩きのめしてやる。そう言ってるんだぜ、親父よ?」

 アクタは似嵐鏡月の注意を、逆に自分に引きつけた。

 南柾樹の矜持(きょうじ)に、アクタも改めて覚悟を決めたのだ。

「おやおや、困ったの。この()(およ)んで虚勢(きょせい)か、アクタ?」

「虚勢じゃねえ、俺は本気だぜ?」

 南柾樹は不安を禁じえなかった。

 アクタは、死ぬ気だ。

 やめろ、それだけはやっちゃいけねえ……

「……よせ、アクタ……」

 彼はなんとか、それだけは止めなければならない――

 そう思った。

「本当に殺すぞ、アクタ?」

「やってみろよ、腰抜けのクソ親父!」

「貴様あっ!」

「やめろ、アクタっ!」

 「父」を挑発(ちょうはつ)する「息子」を、南柾樹は(おさ)えようとした。

 だが、アクタの決意は()るがなかった。

「マサキっ、ウツロが世話になった! 短けえ間だったが楽しかったぜ! 最高だよ、あんた! だからどうか……どうかウツロを、『弟』を頼む……!」

「アクタっ、よせっ、よせええええっ!」

「俺がこいつを、クソ親父を連れていく! さよさらだ、マサキっ!」

 やはり最悪のことを考えている。

 なんとしても止めなければ――

 しかし彼の体はとても動かせる状態ではなかった。

 アクタはもう一度、山犬に向かって高く跳躍(ちょうやく)した。

「ふん、望みどおりにしてくれるわ!」

 似嵐鏡月は向かってくるアクタへ向け、(こぶし)(にぎ)って(なぐ)りかかった。

 しかし――

「何っ――!?」

 動きを予測していたアクタはその手をすり抜けてステップにし、さらに高く()んで山犬の背後を取った。

「ぐうっ――!?」

 アクタのたくましい両腕が、似嵐鏡月の首を(とら)える。

 チョーク・スリーパーの要領で一気に()()げた。

「ぬ……ぐぬっ……!?」

 その手を振りほどこうと、山犬は手を振り回して(あば)れた。

「させねえぜ、これでも食らいな!」

「――っ!?」

 アクタはさらに両脚(りょうあし)をも(から)みつかせ、全身の力を()(しぼ)った。

「うっ……ぐ……ぬう……!?」

 アルトラの能力によって凶暴な(けもの)に変身しているとはいえ、首という肉体上の弱い部分、さらにはアクタの剛力(ごうりき)でフルパワーに締め上げられているのだ。

 さすがの似嵐鏡月も息が苦しくなってきた。

「がが、やめろ……やめんか、ゴミが……!」

「ぐがあ――っ!?」

 山犬はアクタの背中にその(するど)(つめ)を立てた。

 ()えがたい激痛が走る。

 だが、放さない。

 アクタはその手を、(あし)を――

 まだどこかに期待があった。

 目を覚ましてくれるのではないかという、期待が――

「……やめろ、アクタ……やめてくれ……」

 ウツロが何か言っているな。

 もう俺の耳には、よく聞こえない。

 でもなウツロ。

 お前は、お前だけは生きるんだ。

 そしてきっと、幸せになってくれ。

 生きろ、生きてくれ、ウツロ――!

「ぐうう……アクタあ……放せえええええ……!」

「……あんたが死んだって、泣いてくれるやつなんか、いやしねえ……! だから俺が、せめて俺が……!」

「ならば、こうしてくれるわあっ!」

「――っ!?」

 似嵐鏡月はアクタを鷲掴(わしづか)みにして、力強(ちからづよ)(ほう)()げた――

「ぐふうっ――!?」

 ああ、アクタは桜の大木(たいぼく)に、したたかに打ちつけられた。

 そのままズルズルと落下し、彼は動かなくなった。

「あ、あっ、アクタあああああっ!」

 口の中からナイフが飛び出すような絶叫――

 そのナイフはウツロの(のど)だけでは()きたらず、心までも()()いた。

「ふん、ゴミが。当然の(むく)いよ」

 「息子」をさんざん痛めつけておいて、似嵐鏡月はハエを()(はら)ったようなため息をついた。

「あ……あ……」

 ウツロは顔を両手で押さえながら激しく嗚咽(おえつ)している。

 いまにも呼吸が不可能になりそうな感覚――

 苦しい……

 死ぬ、死ぬ……

 う……

 彼の中で、何かのスイッチが入った――

「ウツロ、落ちつけ……!」

 いけない、このままでは危険だ。

 鋼鉄の棺桶(かんおけ)のように重い体を引きずりながら、南柾樹はウツロのほうへ何とか近づこうとする。

「ぐ……クソっ……!」

 だが、言うことを聞いてくれない。

 似嵐鏡月にやられたダメージは、桁外(けたはず)れに大きかった。

 そのとき――

「あ……が……ああああああああああっ!」

 ウツロに異変が(しょう)じた。

 皮膚(ひふ)の色がものすごい勢いで(にご)っていく。

 ヘドロのような(きたな)らしい色合(いろあ)いだ。

 そして増殖(ぞうしょく)するように(ふく)らんでいく。

「これは、いったい……」

「アルトラよ……」

(みやび)っ!?」

 すぐ近くに(たお)れていた星川雅(ほしかわ みやび)がようやく目を()まして、南柾樹に語りかけた。

「きっと、アクタを傷つけられたショックで……ウツロのアルトラが、発動したんだわ……」

「マジ、かよ……」

 南柾樹は言葉を失った。

 ウツロは頭を(かか)えながら、それを縦横無尽(じゅうおうむじん)に振り回して、(もだ)(くる)しんでいる。

 その間にも全身は泥人形(どろにんぎょう)のように崩れていく。

 変わり果てていくその姿に、弟を()きかかえながら、真田龍子は全身を(ふる)わせ、おそれおののいた。

「ウツロくん……」

 変貌(へんぼう)が止まったとき、彼女は絶句(ぜっく)した。

 ウツロの姿は(みにく)い、おぞましい、異形(いぎょう)毒虫(どくむし)(へん)じていた――

(『第69話 毒虫(どくむし)』へ続く)


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「俺が相手だ、|クソ親父《・・・・》!」
 アクタは|敢然《かんぜん》と、「父」に向かってタンカを切った。
 当然、|山犬《やまいぬ》と|化《か》している|似嵐鏡月《にがらし きょうげつ》は面白くない。
「ああ? アクタ、何だって? いま何か言ったかな?」
「これ以上、ウツロを|侮辱《ぶじょく》するのは許さねえ、そう言ったんだよ、クソ親父っ!」
 アクタはますます|語気《ごき》を強めて、「弟」に|暴虐《ぼうぎゃく》を働く「父」を|牽制《けんせい》した。
 その|双眸《そうぼう》には目の前の|暴君《ぼうくん》を、曲がりに曲がった「ロクデナシの父親」を、何としても|正気《しょうき》に|戻《もど》そうという、「|息子《むすこ》」の|切《せつ》なる願いが宿されていた。
 しかしそんな純粋な気持ちなど、われを忘れた山犬の耳には届かなかった。
「ああ、お前な、口の|利《き》き|方《かた》に気をつけろよ? 育ててやった|恩《おん》も忘れてからに、このゴミ|風情《ふぜい》が!」
 似嵐鏡月はいっこうに折れない。
 それどころか、さらに激しく「わが子」を|罵倒《ばとう》する。
 つらかった、アクタはつらかった。
 それでも、俺がやらなければ……
 俺はウツロを、弟を守る――
 そう、|誓《ちか》ったじゃねえか。
 負けねえ、俺は負けねえ……
 絶対に、だ――!
 彼の覚悟は|鉄壁《てっぺき》だった。
 腹は決まった――
「俺はゴミじゃねえ! それにウツロも、毒虫なんかじゃねえ! てめえこそ口の利き方に気をつけろ、このクソ親父が!」
 似嵐鏡月はしかし、すっかり|呆《あき》れた顔をしている。
「アクタあ、おやおや、『親』に向かってそんな口を利いて、いますぐ息の根を止められたいのかなあ?」
 アクタの勇気もこの男には、まるで|溜飲《りゅういん》が下がっていない。
 何かわけのわからないことを|喚《わめ》いている、バカがいるな――
 その程度にしか映っていないのだ。
 どうしてだ、どうしてわかってくれないんだ――
 アクタは苦しかった。
 だが、負けるか。
 ここで負けて、なるものか――
「てめえなんざ『親』じゃねえ。『親』とは認めねえ。俺の『弟』を侮辱するようなやつはな! それに、息の根が止まるのは、てめえのほうだ!」
「あーあ、何も死に急ぐことなど――」
「これでも、食らいやがれ――!」
「なにっ――!?」
 アクタは大地を|蹴《け》って高く|跳躍《ちょうやく》した。
「目え、|覚《さ》ましやがれ、クソ親父いいいいいっ!」
 そのまま山犬の腹にタックルを決めた。
「ごおっ!?」
 あまりの|衝撃《しょうげき》に似嵐鏡月は、手に|掴《つか》んでい|真田龍子《さなだ りょうこ》を|放《ほう》り|出《だ》した。
「きゃあっ!」
 空中に|放《はな》たれた彼女は、地面に激突しそうになった。
「させるかよっ!」
 山犬の腹をステップ台に、アクタは真田龍子をすくい取り、そのままトンボ|返《がえ》りをした。
 そして気絶している|真田虎太郎《さなだ こたろう》のそばへ|着地《ちゃくち》した。
「あ、ありがとう……アクタ、さん……」
「いいってことよ」
 彼女をやさしく地面へ下ろすと、アクタは真田虎太郎をゆっくり|抱《かか》えて、姉のもとへゆだねた。
「あの、わたし……」
「ウツロがさんざん世話になったようだ、その、真田さん……ありがとう。『兄』として、礼を言わせてもらう。本当に、ありがとう……」
「あ、そんな……わたしは、何も……」
 似嵐鏡月からさんざん|罵倒《ばとう》され傷つけられた彼女を、アクタはなんとか|慰《なぐさ》めようと思った。
 同じ「弟」を持つ者として――
「あんたにも、『弟』がいる。だがあんたは間違っても、『弟を不幸にする存在』なんかじゃあ、ねえ。気休めかもしれねえが、あんたを見てればわかる。どうか弟を、虎太郎くんを守ってやってくれ。それはきっと、あんたにしかできねえことなんだ」
「あ、う……アクタ、さん……」
 正直な気持ちからだった。
 自分もボロボロになりながら、気づかいを見せてくれる彼に、真田龍子はうれしかった。
「大丈夫。あんたなら絶対、大丈夫だ」
「アクタ、さん……あり、がとう……」
 彼だって心をズタズタにされているのに、わたしのことをこんなに案じてくれている。
 彼女はその強さにむせび泣いた。
 似嵐鏡月は|眼前《がんぜん》でのやり取りにすっかり呆れている。
「ふう……はあ、アホらしい……お|涙頂戴《なみだちょうだい》の|小芝居《こしばい》か? 弟を守るだとか何とか、どうすればそんな白々しい|茶番《ちゃばん》が演じられるのかのう」
「てめえにゃ、ぜってえ……永遠にわかんねえよ……!」
「……なんか、ついさっきも聞いたようなセリフだな。頭の悪い奴は同じことしか言えんのかあ?」
 人の痛みなどわからぬ、「|愚《おろ》かな父」――
 アクタはそれを決然とにらみ上げた。
「……頭がわりいのは、てめえだろ……」
「|柾樹《まさき》っ――!」
 やっと|覚醒《かくせい》した|南柾樹《みなみ まさき》が、似嵐鏡月を|諌《いさ》める。
「……目の前にいるのが、誰か……わからねえのか……てめえの『息子』、だろ……アクタが、どんな気持ちか……考えたこと、あんのか……」
「おやおや、生ゴミの柾樹くん、まだ生きていたのかね? とっくにゴミの|処分所《しょぶんじょ》に送られたのかと思っていたよ」
「いいかげん、目え覚ませっつってんだろ……そんなんだからバカにされる……親父にも、姉貴にも……それが何でなのか、てめえこそ『なんじに問え』ってんだ……この、クソ親父が……!」
「まだ言うか|死《し》に|損《ぞこ》ないが! 本当に今度こそ息の根を止めてしまうぞ!?」
 彼にはこの山犬が、なんだか|滑稽《こっけい》なピエロに見えてきた。
「へっ……」
「……何がおかしい?」
「弱い犬ほどよく|吠《ほ》える、ってか……」
「きっ、貴様あああああっ!」
 アクタたちへの注意を|反《そ》らす意味もあったが、それ以上に、「バカは死んでも治らない」という、|率直《そっちょく》な気持ちからだった。
「待ちな、親父――」
「ああっ?」
「その男に、南柾樹に指一本でも触れてみろ、俺が叩きのめしてやる。そう言ってるんだぜ、親父よ?」
 アクタは似嵐鏡月の注意を、逆に自分に引きつけた。
 南柾樹の|矜持《きょうじ》に、アクタも改めて覚悟を決めたのだ。
「おやおや、困ったの。この|期《ご》に|及《およ》んで|虚勢《きょせい》か、アクタ?」
「虚勢じゃねえ、俺は本気だぜ?」
 南柾樹は不安を禁じえなかった。
 アクタは、死ぬ気だ。
 やめろ、それだけはやっちゃいけねえ……
「……よせ、アクタ……」
 彼はなんとか、それだけは止めなければならない――
 そう思った。
「本当に殺すぞ、アクタ?」
「やってみろよ、腰抜けのクソ親父!」
「貴様あっ!」
「やめろ、アクタっ!」
 「父」を|挑発《ちょうはつ》する「息子」を、南柾樹は|抑《おさ》えようとした。
 だが、アクタの決意は|揺《ゆ》るがなかった。
「マサキっ、ウツロが世話になった! 短けえ間だったが楽しかったぜ! 最高だよ、あんた! だからどうか……どうかウツロを、『弟』を頼む……!」
「アクタっ、よせっ、よせええええっ!」
「俺がこいつを、クソ親父を連れていく! さよさらだ、マサキっ!」
 やはり最悪のことを考えている。
 なんとしても止めなければ――
 しかし彼の体はとても動かせる状態ではなかった。
 アクタはもう一度、山犬に向かって高く|跳躍《ちょうやく》した。
「ふん、望みどおりにしてくれるわ!」
 似嵐鏡月は向かってくるアクタへ向け、|拳《こぶし》を|握《にぎ》って|殴《なぐ》りかかった。
 しかし――
「何っ――!?」
 動きを予測していたアクタはその手をすり抜けてステップにし、さらに高く|跳《と》んで山犬の背後を取った。
「ぐうっ――!?」
 アクタのたくましい両腕が、似嵐鏡月の首を|捉《とら》える。
 チョーク・スリーパーの要領で一気に|締《し》め|上《あ》げた。
「ぬ……ぐぬっ……!?」
 その手を振りほどこうと、山犬は手を振り回して|暴《あば》れた。
「させねえぜ、これでも食らいな!」
「――っ!?」
 アクタはさらに|両脚《りょうあし》をも|絡《から》みつかせ、全身の力を|振《ふ》り|絞《しぼ》った。
「うっ……ぐ……ぬう……!?」
 アルトラの能力によって凶暴な|獣《けもの》に変身しているとはいえ、首という肉体上の弱い部分、さらにはアクタの|剛力《ごうりき》でフルパワーに締め上げられているのだ。
 さすがの似嵐鏡月も息が苦しくなってきた。
「がが、やめろ……やめんか、ゴミが……!」
「ぐがあ――っ!?」
 山犬はアクタの背中にその|鋭《するど》い|爪《つめ》を立てた。
 |耐《た》えがたい激痛が走る。
 だが、放さない。
 アクタはその手を、|脚《あし》を――
 まだどこかに期待があった。
 目を覚ましてくれるのではないかという、期待が――
「……やめろ、アクタ……やめてくれ……」
 ウツロが何か言っているな。
 もう俺の耳には、よく聞こえない。
 でもなウツロ。
 お前は、お前だけは生きるんだ。
 そしてきっと、幸せになってくれ。
 生きろ、生きてくれ、ウツロ――!
「ぐうう……アクタあ……放せえええええ……!」
「……あんたが死んだって、泣いてくれるやつなんか、いやしねえ……! だから俺が、せめて俺が……!」
「ならば、こうしてくれるわあっ!」
「――っ!?」
 似嵐鏡月はアクタを|鷲掴《わしづか》みにして、|力強《ちからづよ》く|放《ほう》り|投《な》げた――
「ぐふうっ――!?」
 ああ、アクタは桜の|大木《たいぼく》に、したたかに打ちつけられた。
 そのままズルズルと落下し、彼は動かなくなった。
「あ、あっ、アクタあああああっ!」
 口の中からナイフが飛び出すような絶叫――
 そのナイフはウツロの|喉《のど》だけでは|飽《あ》きたらず、心までも|切《き》り|裂《さ》いた。
「ふん、ゴミが。当然の|報《むく》いよ」
 「息子」をさんざん痛めつけておいて、似嵐鏡月はハエを|振《ふ》り|払《はら》ったようなため息をついた。
「あ……あ……」
 ウツロは顔を両手で押さえながら激しく|嗚咽《おえつ》している。
 いまにも呼吸が不可能になりそうな感覚――
 苦しい……
 死ぬ、死ぬ……
 う……
 彼の中で、何かのスイッチが入った――
「ウツロ、落ちつけ……!」
 いけない、このままでは危険だ。
 鋼鉄の|棺桶《かんおけ》のように重い体を引きずりながら、南柾樹はウツロのほうへ何とか近づこうとする。
「ぐ……クソっ……!」
 だが、言うことを聞いてくれない。
 似嵐鏡月にやられたダメージは、|桁外《けたはず》れに大きかった。
 そのとき――
「あ……が……ああああああああああっ!」
 ウツロに異変が|生《しょう》じた。
 |皮膚《ひふ》の色がものすごい勢いで|濁《にご》っていく。
 ヘドロのような|汚《きたな》らしい|色合《いろあ》いだ。
 そして|増殖《ぞうしょく》するように|膨《ふく》らんでいく。
「これは、いったい……」
「アルトラよ……」
「|雅《みやび》っ!?」
 すぐ近くに|倒《たお》れていた|星川雅《ほしかわ みやび》がようやく目を|覚《さ》まして、南柾樹に語りかけた。
「きっと、アクタを傷つけられたショックで……ウツロのアルトラが、発動したんだわ……」
「マジ、かよ……」
 南柾樹は言葉を失った。
 ウツロは頭を|抱《かか》えながら、それを|縦横無尽《じゅうおうむじん》に振り回して、|悶《もだ》え|苦《くる》しんでいる。
 その間にも全身は|泥人形《どろにんぎょう》のように崩れていく。
 変わり果てていくその姿に、弟を|抱《だ》きかかえながら、真田龍子は全身を|震《ふる》わせ、おそれおののいた。
「ウツロくん……」
 |変貌《へんぼう》が止まったとき、彼女は|絶句《ぜっく》した。
 ウツロの姿は|醜《みにく》い、おぞましい、|異形《いぎょう》の|毒虫《どくむし》に|変《へん》じていた――
(『第69話 |毒虫《どくむし》』へ続く)