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42 命の涙と叫び 三重編 その2

ー/ー




 巳の神の杉前、現時刻 12:30。
 
 俺はお腹が空いてしまっている…お菓子もらってくればよかった。
 巳の神の杉は三ノ輪の大物主大神(オオモノヌシノオオカミ)の化身と言われる、白蛇が棲む御神木。大きな杉の木だ、立派だなぁ。蛇の好物である卵がお供えされてて面白いな、初めて見た。
 

 御神木の前で大村さんと伏見さんが、杉の葉を箒みたいに纏めたもので砂利の上を掃き清めてる。
そう言う潔めもあるんだなぁ。地方によって細分化されて、神道文化は多種多様なんだ。すごく面白い。
 
 今回の神降しは斎主が大村さん、審神者が伏見さん。俺と妃菜は見学だ。
 神降しは斎主が祝詞を読み上げ、「神様こっちに来てちょ」と呼びかけて、審神者が交渉して依代と会話するのが普通らしい。

 もしかすると通常の神降ろし自体を初めて経験するかも…今まで普通じゃなかったと思うんだ。そう思うと、なんだか緊張するな。


 
「先にヤトノカミを外す。鬼一」
「はい」

 颯人に言われて、鬼一さんが手印を組む。伏見さんのとは違うんだな。
ポン、と音を立てて現れたのは…。
 
「豆柴あああ!!!!」
 
 しっぽの丸い真っ黒な豆柴が現れる。今日はかわいいづくしの日か!?

 
 
「なんと可愛らしい神様!?ちいこいな!あぁー!!」
「大村さん!やはり!?かわいいもの好きなんですね??」
 
「いやはや、私はいかつい顔ですが可愛いものには目がなくて!真幸さんもです?」
「はい!あの、後でナマズちゃんを購入したいです」
 
「おお!嬉しいなぁ!沢山持ってってください!」

 俺と大村さんは大はしゃぎだ。
 可愛い物好き同盟だ!!やったね!!


 
「真幸……はようヤトを出せ。仕事を済ませねばならぬ」
「くっ、颯人に言われるとは……ヤト!」
「オウ」

 ふわっと風を纏ったヤトを顕現する。
 サラサラの長ーい白毛皮のボルゾイ姿は赤い化粧を纏って今日も凛々しい。
久々にその姿を見た鬼一さんと妃菜が目を丸くしてる。
ムフフ、さらに華麗になっただろ?

 
「ヤト、わかるか?あの豆柴、いや神様を引き入れるんだ」
「ワカッタ」

 こくりとうなづいたヤトが豆柴に駆け寄り、何かを話したあと額をくっつける。
ぽわん、と白い光になった豆柴がヤトの額にある芭蕉紋に吸い込まれた。
ああぁ…そんなあっけなく!?

 
「豆柴ちゃん撫でたかった」
「真幸にはヤトがいル」
「そうだな。あれ?ヤト…なんか発音変わったか?」
「すべての一族が揃ったからナ。まともに喋れル」
「へー、そういう、ほー」
「もう戻るナ」
「あ、はいよ。お戻りなさいまし」

 ヤトがヒュン、と音を立てて俺の中に収まる。やー、しまったな。ヤトの毛を撫でてないぞ。うっかりしてた。しょんぼり。

 

「真幸さんは手印組まずに()べるんですか?と言うか、何柱神さんを抱えてるんや?」
「大村さん、それは秘密です」
「はぁ」

 伏見さんが人差し指を立てて、しー、っとポーズをとる。
そう言う糸目キャラ、どっかで見た事あるぞ。年齢がバレるから言わないけど。

 

「依代が神を失うとこうなるのか……」
 
 鬼一さんが刀を出して眉を下げてる。
 銀色だった刀は刃の先まで真っ黒に染まっていた。妃菜の武器もそうなってたな。真っ黒で艶のないその様は、神様を失った依代の心が悲しみに染まる事を表しているようだった。
 
 
「暫くはそのままやで。私はこうなった」
 
 妃菜が取り出した軍杯扇。昨日まで真っ黒だったそれは、今桃色になってる。
いや、うん、ごめん、正直に言おう。ショッキングピンクだ。
 飛鳥大神が契約した時の光の色だな、目がチカチカしてしまうぞ。
鬼一さんも同じ感想を持ったみたいで目をしぱしぱしながら眉を顰めた。 

「その色は…どうなんだ。神器なのに」
「うっさいな。可愛いやろ?」
「そうよそうよ!オジサンにはわかんないのよ!」
「「ねー」」

 仲良しだな、女子?は。妃菜と飛鳥に言われて鬼一さんがタジタジしてる。俺もおじさんだから胸が痛いんだが。
 準備が終わった大村さんがススス、と近づいてくる。

 
 
「神に下された神器の武器ですか。こりゃ面白いですな」
「大村さんは初めて見ましたか?」
「はい。私どもは依代にはなりえませんからな。さ、始めましょう」
「よろしくお願いします!」

  
 伏見さんがウカノミタマノオオカミを顕現して、胸元から大きな鍵を取り出した。
 いやあれ、もう十手(じって)じゃないのか。時代劇のお役人さんが持ってるヤツに似てる。
形自体は楼門前で狛狐が咥えてた物とそっくりな武器だけど、こちらは金ピカ。棒の部分ってあんなに長いのか…。
 
「派手な武器だな、みんな変わってる」
「真幸に言われたくないで」
「鈴村に一票入れます」
「俺もだ」

「酷いっ!」
みんなして何だよ!ちぇっ。
 

 
 コントが終わったところでみんなそれぞれ配置についた。
 鬼一さんが正座で笹の枝…あれ忌竹(いみだけ)って言うんだって。それとしめ縄、紙垂に囲まれた結界枠の中に座る。
 彼の肩に十手…いや、カギ…もう十手でいいよな。それを当てて伏見さんが目を閉じる。
 巳の神の杉に大村さんが頭を下げ、大幣を振りながら大祓祝詞を唱え始めた。

 わああぁ!!言霊が凄いぞ。
 音自体は低いんだが、大村さんが凄まじい霊力を乗せてる。
ただ(びと)じゃない…この人はすごい。
 というか本職の方の祝詞自体ちゃんと聞くのは初めてだ。ちらっとしか聞いたことないし。
玉砂利に敷いた座布団の上で妃菜と二人、身を硬くする。

 
(鍛錬の賜物だな。練度の高い祝詞だ)
 
 颯人が感心したように呟いた。
大村さん真面目そうだもんね。毎日の積み重ねでああなるんだな、やはり鍛錬は必要な物だ。


  
(かっこいいな、俺もあんな感じになれるかな?)
(真幸の言霊とは種類が違う。あれは土地の神に仕えてきた者の音だ)
 

 土地の、神……?土地の神!!
 わかったぞ、勾玉の緑の主が。この地方には皇族の陵墓がある。
病で片目をなくし、朝廷に戻れなくなった彼はこの地で生涯を終えた。
 皇族の先祖は神様、この地方は緑に囲まれた豊かな自然がある。緑の地に果てた皇族……それが勾玉に含まれたもう一柱だ。
 

 
(霊視の感度が上がったな。真幸の思う通り、息速別命(イケハヤワケノミコト)のようだ。ついでに火之迦具土神(ヒノカグツチノカミ)もせっとだ)
 
(一気に二柱なんて大丈夫か?)
(我々は蚊帳の外だ。見守るしかない)
(そっか……)

 天空の雲が割れ、光が降り注ぐ。
赤い光と緑の光…クリスマス…?
日本の神様だから関係ないか。こうして見てると、神様の光は象徴の様な物なのかもしれない。
 その光の中に二つの影が現れ、さくりと砂利の上に降り立った。
 

 
「……じーっ」
「依代はコレか?」

 暉人にそっくりな感じで真っ赤な全身の男の神様、あれがヒノガグツチかな。ガチムチマッチョ、立派な髭と炎のように立ち上がる髪の毛。眉毛が逆立って雄々しい神様だ。
 もう一柱も男性で平安時代の朝服姿。冠と衣服は黒で、袍と呼ばれる振袖のない着物と洋服の間みたいな上衣を着て、下に袴を履いてる。やっぱり隻眼だ。左目に黒い眼帯がある。大村さんとお揃いでかっこいいな。

 
「「チラッ」」
「こちらを見るな。これは我のばでぃだ」
「「……はぁ…」」

 二柱はじっとこちらを見たあと、平伏してる鬼一さんを見下ろしてため息をつく。
 神様ってこう、あからさまなんだよな。素直なだけなんだけど……鬼一さんの仲間としてはいたたまれない。


 
「依代として不相応なのは承知の上ですが、必ず強くなります!どうか俺に降りてはいただけませんでしょうか!!」

 
 鬼一さんが目一杯声を張り上げ、懇願している。
 と、言うかセオリーは毎回無視されるんだな?伏見さんは十手を仕舞い込んで腕組みして捌けていく。本来交渉役に話しかけるはずなんだけど、何かあるのか?
 
 伏見さんと目が合うと、力強く頷きが送られてくる。
そうか、鬼一さんに任せるんだな…。
 

 
「どう思う?ヒノガグツチ」
「ふむ、刀を持っているな。主は剣客か」
「そうなりたいと思っています」

「大村、剣はまだ使えるか」
「はっ!?えっ!?」
「主は見事な剣使い。()が試す前にお前が試せ」
「は、それは…」

 大村さんがちらっと目線をよこすと、颯人はにべもなくうなづいた。

  
「では腕試しといこう。道場へ参るぞ」
「は、はい!」

「長くなるぞ、これは。転移で連れて行ってやる」
「……わぁ…」

 
 嫌な予感は的中したようだ。
 
 颯人がパチンと指を弾き、鬼一さんの苦難を思いながら目を閉じた。

 ━━━━━━




「腕はいいのだがな、まだまだ三流だ」
 
 竹刀を肩に乗せて、ヒノガグツチが昏い微笑みを浮かべる。
 神社の一角、社務所の裏手道場の中で鬼一さんの呻き声と荒い息が続いていた。

 現時刻 17:00ちょうど。
 もう腹が減りすぎてよくわからなくなってます。と言うかそれどころじゃない。もう3時間近くやってるんだぞ、これ。
 
 鬼一さんが大村さんを鮮やかに下したまでは良かった。大村さんも引き際がわかっていてあっさり負けたような感じだし、アレは剣客同士の阿吽の呼吸みたいな物だとは思う。
 お互いの腕がわかるって事は双方ともに腕が立つはずなんだ。
それなのに…ヒノガグツチが相手になってから鬼一さんはメッタメタのギッタギタにやられている。

 

「和はな、母を殺した大罪人だ。お前もそうだな」
「………!!」

 鬼一さんがハッとして顔を上げる。
 そうなのか?お母さんを亡くしてるのか……。

  
「光より出で、尊いそれを殺した。そのせいで母君は黄泉の国で暮らしている。和はその罪を背負い、父に生まれてすぐ殺された。おかげで闇の色が濃い神なのだ。」
 
「存じております!」


 
 震えながら鬼一さんが立ち上がり、竹刀を構える。
駆け寄ってはいなされ、蹴り飛ばされ、竹刀で戦わずヒノガグツチが拳を振るい上げ、鬼一さんが転がる。
 鬼一さんは額の上を切って大量の出血で目を閉じた。  
 

「イケハヤワケノミコトもよく似ていてな。隻眼になったが故に朝廷に戻されなかった。親に捨てられた神々なのだ。
 隻眼になってからイケハヤワケノミコトは鍛治士として大成した。和とともにこの地で祀られ、暮らしていた」

「ヒノカグツチ殿は、愛宕大社が本社では?」
 
「和は本社の愛宕神社(あたごじんじゃ)には分身のみを置いている。友と過ごす時は心を安らけくしてくれる物だからな。
 日々を暮らすうちに人の世が乱れ、方々駆けずり回っていたが……なかなかに骨が折れるのだ。
徐々に闇の気配が強くなり、和の中の闇もまた強くなって困っていた」

「……そうでしたか…」
 
  
 鬼一さんが額を抑え、簡易止血を終える。それを待って、ヒノカグツチが竹刀を構えた。容赦ない姿勢ではあるけど、ヒノカグツチもまた正しく剣客なんだ。
礼を持って相対している。
 
 鬼一さんも、ヒノカグツチも、言葉を交わしながら剣を交わし、相手を理解しようと対話を試みている。
 全ての基本がここにある……俺たちの仕事の全てが。
胸が締め付けられて、上手く息ができない。


 
「しかしな、この地に稀有な陰陽師が来ると、神を愛しむ者が来てくれるとそう聞いた。故に勾玉を置いた。
 仄暗い闇の中、傷を舐め合うしかなかった和達を救ってくれる。そう思ってな」

 
 切ない顔で俺を見つめてくるヒノガグツチ。大きな体でなんて寂しそうな顔をしてるんだ……。

  
 ヒノガグツチは火の神様。生まれてすぐに母であるイザナミをその身の炎で灼き、イザナミは黄泉の国に渡った。
 それに怒ったイザナギに首を切られ、その体からたくさんの神を生み出した神様だ。

 魚彦と同じ、悲しい生まれなんだ。
 俺自身もこの手で頭を撫でてやりたいと言う衝動に駆られる。
 でも、ダメだ。颯人が『ならぬ』と言ったのはおそらく俺の容量の問題もある。
 受け入れてやりたいと思っても、もう無理だと命が告げてくる。……ごめんな。


 

「俺はあなたの心を理解できる。自分も生まれてすぐに母を死なせました。父は怒り狂い、霊力の少ない出来損ないの俺は遠縁に預けられ、厳しい教育を受けた」

 
 鬼一さんが口から流れる血を拭い、額の血を拭って立ち上がりヒノガグツチに何度も向かっていく。
 どんどん傷だらけになり、止血したはずの場所からも血が流れて……俺まで痛い気持ちになってくる。
声が掠れてきたな、対話を続けるなら術をかけてあげたい。
 
 颯人の目を見て問いかける。目の色が応えて、俺は翻訳の術を双方にかける。
 ヒノカグツチがチラリと俺を見て、目を細める。緩やかに瞬く瞳は優しい光を灯していた。

  

「はぁ、はぁ……そこで俺は親友を得た。命を分け、ともに戦う仲間を。裏公務員として二人で陰陽師になって、初めての任務で…俺はその人を殺したんだ」
 
仲間(とも)を?ほう……どのようにして?」

「初任務は産土神(うぶすながみ)の荒神が相手だった。鬼神に成り果てた荒神は、生贄をよこせと言った。
俺たちは刃向かい、生きるために戦った」
「鬼神相手に敵う腕ではないな」

 横っ腹に一撃を入れられ、鬼一さんが壁に打ち付けられる。
 竹刀が転がり、鼻から口から血反吐を吐き出した。

 
 
 思わず立ちあがろうとしてしまう膝を両手で抑えて、手が震える。颯人がそれをぎゅうっと握りしめてくれる。
(颯人…)
(分かるな?鬼一はまだ、諦めていない)
 
 颯人の鋭い目をうけて頷き、正座に座り直す。強く握られた手を握り返すと、胸の苦しさが増していく。
 涙が勝手に溢れてきた。悲しいんじゃない。鬼一さんの意思の強さに心打たれたんだ。
いつかお前には話すって言ってくれた……体に刻まれた大きな傷の話をしてる。

鬼一さんはヒノガグツチの心に寄り添いたくて、戦っている。
傷だらけになって、自分の全てで応えているんだ。

 

「二人とも傷だらけで…致命傷を負って…ゲホッ…。俺は命を差し出して、親友を生かそうとした」
「何とも痛ましい話だな?ならば、何故お前が生きている」

「産土神の口に飛び込もうとした瞬間(とき)、アイツが…親友が俺を切りつけ、産土神に喰われました。
 きれいに微笑(わら)って、『生きろ』と言い残して。アイツは死に、俺は命の形を変えた産土神を祓った」

 
 ヒノガグツチが嘲笑を浮かべる。
 いや、歪んではいるが……あれは悲しい瞳の色だ。友を得て安らぎを得たヒノカグツチが鬼一さんの気持ちがわからない筈がない。

  
「親友ごと、土地も神も殺したのだな」
 
「そうです……俺は死ぬことが怖くなった。甘い汁を吸って、一族の威光を借りて腐った陰陽師に成り果てた。友を失い、生きている意味がわからなくなった!!
 何をしても虚しく、何をしても辛く悲しく、自分の身の回りの全てが憎かった。
 自らを顧みる事もできず子供のように拗ねて当たり散らしていたんです。……だが…真幸が来てくれた。」

 
 
 竹刀を杖にして、鬼一さんが立ち上がる。
立っているのもやっとのはずなのに、フラフラしながら竹刀を振り翳してヒノガグツチに向かっていく。

  
「真幸は何も知らなかった!俺は何も教えられなかった!!
 初めての任務で、神隠しの神を鎮めたその辣腕に嫉妬した俺は鎮まりかけたそれを殺した!
 何故、俺にはできなかった?何故、俺は腐ってしまった?何故、何も知らない真幸がそれを下したんだと問い続けた。
初めての任務で、どうしてこうも差がでたんだと悔しかった!
 真幸に触れて、心がどれだけ強いのかを思い知った!!俺の心が弱かったんだと思い知ったんだ!!!」

 

 鬼一さん、鬼一さん……。俺は心の中でただ、名前を呼ぶしかできない。
 
 彼の震えはどう足掻いても勝てない相手に向かう畏怖だ。
 それを力一杯握り締めて抑え、歯を食いしばって何度も立ち上がり、何度も転がされて…ダメージが蓄積してしまった体が思うように動いてない。
 竹刀をぶら下げ、構えることすらできなくなって来ても、そのまま体をぶつけて体当たりして。
 
 ヒノガグツチも、その様子に眉を下げ始めた。だんだんと力が抜けて、最後に鬼一さんを抱き止める。
 血だらけの彼をぎゅうっと抱きしめたヒノカグツチの瞳に、雫が集まっているのが見えた。
 
 
 ぽた、ぽた、と雫が滴る音。
道場内の床が…鬼一さんの命の涙で真っ赤に染め上げられていた。
 

 
 
「……それから、どうしたのだ」
 
「真幸に横槍を入れて、殺した妖怪…その親と土地神に会いに行って、俺の罪を教えられた。貴方のように、何度も何度も俺に向かってきてくれた……。
 本来なら呪い殺されてもおかしくなかったのに俺の話を聞いて、最後は赦してくれた…鎮ってくれたんです」

「……そうか」

 
「俺はミソッカスで、生まれてから何も成していない。だが、真幸の側で仕事がしたい。強くなって、誰一人として殺さずに救い上げ続ける真幸を守りたい。
 俺の犯した罪に怒りながらも、神と同じく赦してくれた……俺が憧れる真幸と同じものを見たいんです」

 ヒノガグツチが、鬼一さんを座らせて静かに座する。
鬼一さんは竹刀を横に置いて、平伏した。

 
 
「貴方も優しい神様だ。俺の弱さを、腐った根性を見抜けないはずがない。神降しの場で還ってもおかしくなかった。
 でも、こうして機会をくださった。
 俺はその心に応えたい。未熟者で申し訳ありませんが、俺を依代にしてください!必ず強くなります。国護を為さんとする、真幸を守る力をください!!…お願い…します…」


 自分の体が震えて、力が入らない。
 鬼一さんが、泣いてる。
 血まみれで、吐瀉物に塗れて、傷だらけのその体で叫んでいる。
 
 

「苦しいな、鬼一」
「……はい」
 
「悲しみや寂しさに溺れ、和も苦しかった。闇中にいるうちは何も見えず、体は楽だが心はいつまでも満たされない」
「はい」

 
「和とイケハヤワケノミコトは闇を抱いている。お前と同じ、悲しい闇だ。
 だが…そうだな。同じものを持つお前に降りよう。よいな、イケハヤワケノミコトよ」
「ヒノカグツチが言うならよい。……だがそんな様で大丈夫か?」
 
「勾玉を飲めばよい。そうですね、颯人様」
「あぁ、一柱以上は勾玉を飲まねばならぬ。それから、かなり体に負担がかかる。傷を癒してやろう」
 
「…っな、魚彦ッ!!」
「応!!」

 
 叫ぶように魚彦を呼んで、鬼一さんに駆け寄る。
 平伏したまま気絶してる鬼一さんを横たえてハンカチを切り裂き、傷に止血を施した。
 
 手が震えて上手く巻けないよ。鬼一さん……こんなに、こんなにボロボロになって…。

 

「鬼一さん!鬼一さん…ううっ…」
「真幸、赤黒(あぐろ)を。深い傷もある。よう耐えたな」
「ん…赤黒…たのむ」
「はい」

 赤黒が悲しそうな顔をして、ギュッとしがみついてくる。
はやく、早く治して…頼む、魚彦…。

 
「任せろ。真幸は鬼一に呼びかけるんじゃ。傷を治すのにも痛みが生ずる。かなり痛むぞ」
「鬼一さん…大丈夫だからな、今魚彦が治してくれるからな」

 必死で呼びかけると、鬼一さんが僅かに目を開ける。瞼にもあざができて、腫れてしまってあまり開かない。

 

 
「あぁ…真幸、酒でも飲みながら話そうと思ってたんだが……聞いてたか?」
「うん、全部聞いたよ」

 魚彦が傷に手を翳すと、鬼一さんが顔を歪める。俺は膝に彼の頭を乗せて、鬼一さんの腫れた頬を撫でた。
掠れた声が、ふっと笑いを溢す。
 

 
「ダセェな、俺」
「そんな事ない。カッコいいよ」
 
「ボロボロだろ?あぁ、真幸の服が汚れちまった…ぐっ…う…」
「そんなこと気にしなくていいんだ。痛いな…もうちょっとだからな」

 
 顔を顰めながらも微笑み、じっと俺を見上げてくる瞳。鬼一さんの気持ちが伝わってくる。
 
 俺を守るためだなんて言われて、心の底から震えて、命の中までその言葉が染み込んで来て……たまらなかった。
そんな風に思っていてくれたなんて、本当に嬉しかったよ。
 俺だって、鬼一さんが大切で大好きなんだから。強くなって、ずっと一緒に戦う仲間でいてほしい。友でいて欲しい。
 
「真幸…ありがとな」
「うん、うん…」


 自分の目から勝手に溢れてくる涙を拭い、鬼一さんの傷だらけで血だらけの手を握る。
 本当にカッコよかったよ、鬼一さん。
 ありがとうは、俺が言うべきなのにさ。先に言われちゃった。

 
 俺は……鬼一さんの痛みが和らぐ事だけを祈り、豆だらけでカチカチした彼の手に力を込めた。

 
 
  
 

 


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「先にヤトノカミを外す。鬼一」
「はい」
 颯人に言われて、鬼一さんが手印を組む。伏見さんのとは違うんだな。
ポン、と音を立てて現れたのは…。
「豆柴あああ!!!!」
 しっぽの丸い真っ黒な豆柴が現れる。今日はかわいいづくしの日か!?
「なんと可愛らしい神様!?ちいこいな!あぁー!!」
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「いやはや、私はいかつい顔ですが可愛いものには目がなくて!真幸さんもです?」
「はい!あの、後でナマズちゃんを購入したいです」
「おお!嬉しいなぁ!沢山持ってってください!」
 俺と大村さんは大はしゃぎだ。
 可愛い物好き同盟だ!!やったね!!
「真幸……はようヤトを出せ。仕事を済ませねばならぬ」
「くっ、颯人に言われるとは……ヤト!」
「オウ」
 ふわっと風を纏ったヤトを顕現する。
 サラサラの長ーい白毛皮のボルゾイ姿は赤い化粧を纏って今日も凛々しい。
久々にその姿を見た鬼一さんと妃菜が目を丸くしてる。
ムフフ、さらに華麗になっただろ?
「ヤト、わかるか?あの豆柴、いや神様を引き入れるんだ」
「ワカッタ」
 こくりとうなづいたヤトが豆柴に駆け寄り、何かを話したあと額をくっつける。
ぽわん、と白い光になった豆柴がヤトの額にある芭蕉紋に吸い込まれた。
ああぁ…そんなあっけなく!?
「豆柴ちゃん撫でたかった」
「真幸にはヤトがいル」
「そうだな。あれ?ヤト…なんか発音変わったか?」
「すべての一族が揃ったからナ。まともに喋れル」
「へー、そういう、ほー」
「もう戻るナ」
「あ、はいよ。お戻りなさいまし」
 ヤトがヒュン、と音を立てて俺の中に収まる。やー、しまったな。ヤトの毛を撫でてないぞ。うっかりしてた。しょんぼり。
「真幸さんは手印組まずに|喚《よ》べるんですか?と言うか、何柱神さんを抱えてるんや?」
「大村さん、それは秘密です」
「はぁ」
 伏見さんが人差し指を立てて、しー、っとポーズをとる。
そう言う糸目キャラ、どっかで見た事あるぞ。年齢がバレるから言わないけど。
「依代が神を失うとこうなるのか……」
 鬼一さんが刀を出して眉を下げてる。
 銀色だった刀は刃の先まで真っ黒に染まっていた。妃菜の武器もそうなってたな。真っ黒で艶のないその様は、神様を失った依代の心が悲しみに染まる事を表しているようだった。
「暫くはそのままやで。私はこうなった」
 妃菜が取り出した軍杯扇。昨日まで真っ黒だったそれは、今桃色になってる。
いや、うん、ごめん、正直に言おう。ショッキングピンクだ。
 飛鳥大神が契約した時の光の色だな、目がチカチカしてしまうぞ。
鬼一さんも同じ感想を持ったみたいで目をしぱしぱしながら眉を顰めた。 
「その色は…どうなんだ。神器なのに」
「うっさいな。可愛いやろ?」
「そうよそうよ!オジサンにはわかんないのよ!」
「「ねー」」
 仲良しだな、女子?は。妃菜と飛鳥に言われて鬼一さんがタジタジしてる。俺もおじさんだから胸が痛いんだが。
 準備が終わった大村さんがススス、と近づいてくる。
「神に下された神器の武器ですか。こりゃ面白いですな」
「大村さんは初めて見ましたか?」
「はい。私どもは依代にはなりえませんからな。さ、始めましょう」
「よろしくお願いします!」
 伏見さんがウカノミタマノオオカミを顕現して、胸元から大きな鍵を取り出した。
 いやあれ、もう|十手《じって》じゃないのか。時代劇のお役人さんが持ってるヤツに似てる。
形自体は楼門前で狛狐が咥えてた物とそっくりな武器だけど、こちらは金ピカ。棒の部分ってあんなに長いのか…。
「派手な武器だな、みんな変わってる」
「真幸に言われたくないで」
「鈴村に一票入れます」
「俺もだ」
「酷いっ!」
みんなして何だよ!ちぇっ。
 コントが終わったところでみんなそれぞれ配置についた。
 鬼一さんが正座で笹の枝…あれ|忌竹《いみだけ》って言うんだって。それとしめ縄、紙垂に囲まれた結界枠の中に座る。
 彼の肩に十手…いや、カギ…もう十手でいいよな。それを当てて伏見さんが目を閉じる。
 巳の神の杉に大村さんが頭を下げ、大幣を振りながら大祓祝詞を唱え始めた。
 わああぁ!!言霊が凄いぞ。
 音自体は低いんだが、大村さんが凄まじい霊力を乗せてる。
ただ|人《びと》じゃない…この人はすごい。
 というか本職の方の祝詞自体ちゃんと聞くのは初めてだ。ちらっとしか聞いたことないし。
玉砂利に敷いた座布団の上で妃菜と二人、身を硬くする。
(鍛錬の賜物だな。練度の高い祝詞だ)
 颯人が感心したように呟いた。
大村さん真面目そうだもんね。毎日の積み重ねでああなるんだな、やはり鍛錬は必要な物だ。
(かっこいいな、俺もあんな感じになれるかな?)
(真幸の言霊とは種類が違う。あれは土地の神に仕えてきた者の音だ)
 土地の、神……?土地の神!!
 わかったぞ、勾玉の緑の主が。この地方には皇族の陵墓がある。
病で片目をなくし、朝廷に戻れなくなった彼はこの地で生涯を終えた。
 皇族の先祖は神様、この地方は緑に囲まれた豊かな自然がある。緑の地に果てた皇族……それが勾玉に含まれたもう一柱だ。
(霊視の感度が上がったな。真幸の思う通り、|息速別命《イケハヤワケノミコト》のようだ。ついでに|火之迦具土神《ヒノカグツチノカミ》もせっとだ)
(一気に二柱なんて大丈夫か?)
(我々は蚊帳の外だ。見守るしかない)
(そっか……)
 天空の雲が割れ、光が降り注ぐ。
赤い光と緑の光…クリスマス…?
日本の神様だから関係ないか。こうして見てると、神様の光は象徴の様な物なのかもしれない。
 その光の中に二つの影が現れ、さくりと砂利の上に降り立った。
「……じーっ」
「依代はコレか?」
 暉人にそっくりな感じで真っ赤な全身の男の神様、あれがヒノガグツチかな。ガチムチマッチョ、立派な髭と炎のように立ち上がる髪の毛。眉毛が逆立って雄々しい神様だ。
 もう一柱も男性で平安時代の朝服姿。冠と衣服は黒で、袍と呼ばれる振袖のない着物と洋服の間みたいな上衣を着て、下に袴を履いてる。やっぱり隻眼だ。左目に黒い眼帯がある。大村さんとお揃いでかっこいいな。
「「チラッ」」
「こちらを見るな。これは我のばでぃだ」
「「……はぁ…」」
 二柱はじっとこちらを見たあと、平伏してる鬼一さんを見下ろしてため息をつく。
 神様ってこう、あからさまなんだよな。素直なだけなんだけど……鬼一さんの仲間としてはいたたまれない。
「依代として不相応なのは承知の上ですが、必ず強くなります!どうか俺に降りてはいただけませんでしょうか!!」
 鬼一さんが目一杯声を張り上げ、懇願している。
 と、言うかセオリーは毎回無視されるんだな?伏見さんは十手を仕舞い込んで腕組みして捌けていく。本来交渉役に話しかけるはずなんだけど、何かあるのか?
 伏見さんと目が合うと、力強く頷きが送られてくる。
そうか、鬼一さんに任せるんだな…。
「どう思う?ヒノガグツチ」
「ふむ、刀を持っているな。主は剣客か」
「そうなりたいと思っています」
「大村、剣はまだ使えるか」
「はっ!?えっ!?」
「主は見事な剣使い。|和《わ》が試す前にお前が試せ」
「は、それは…」
 大村さんがちらっと目線をよこすと、颯人はにべもなくうなづいた。
「では腕試しといこう。道場へ参るぞ」
「は、はい!」
「長くなるぞ、これは。転移で連れて行ってやる」
「……わぁ…」
 嫌な予感は的中したようだ。
 颯人がパチンと指を弾き、鬼一さんの苦難を思いながら目を閉じた。
 ━━━━━━
「腕はいいのだがな、まだまだ三流だ」
 竹刀を肩に乗せて、ヒノガグツチが昏い微笑みを浮かべる。
 神社の一角、社務所の裏手道場の中で鬼一さんの呻き声と荒い息が続いていた。
 現時刻 17:00ちょうど。
 もう腹が減りすぎてよくわからなくなってます。と言うかそれどころじゃない。もう3時間近くやってるんだぞ、これ。
 鬼一さんが大村さんを鮮やかに下したまでは良かった。大村さんも引き際がわかっていてあっさり負けたような感じだし、アレは剣客同士の阿吽の呼吸みたいな物だとは思う。
 お互いの腕がわかるって事は双方ともに腕が立つはずなんだ。
それなのに…ヒノガグツチが相手になってから鬼一さんはメッタメタのギッタギタにやられている。
「和はな、母を殺した大罪人だ。お前もそうだな」
「………!!」
 鬼一さんがハッとして顔を上げる。
 そうなのか?お母さんを亡くしてるのか……。
「光より出で、尊いそれを殺した。そのせいで母君は黄泉の国で暮らしている。和はその罪を背負い、父に生まれてすぐ殺された。おかげで闇の色が濃い神なのだ。」
「存じております!」
 震えながら鬼一さんが立ち上がり、竹刀を構える。
駆け寄ってはいなされ、蹴り飛ばされ、竹刀で戦わずヒノガグツチが拳を振るい上げ、鬼一さんが転がる。
 鬼一さんは額の上を切って大量の出血で目を閉じた。  
「イケハヤワケノミコトもよく似ていてな。隻眼になったが故に朝廷に戻されなかった。親に捨てられた神々なのだ。
 隻眼になってからイケハヤワケノミコトは鍛治士として大成した。和とともにこの地で祀られ、暮らしていた」
「ヒノカグツチ殿は、愛宕大社が本社では?」
「和は本社の|愛宕神社《あたごじんじゃ》には分身のみを置いている。友と過ごす時は心を安らけくしてくれる物だからな。
 日々を暮らすうちに人の世が乱れ、方々駆けずり回っていたが……なかなかに骨が折れるのだ。
徐々に闇の気配が強くなり、和の中の闇もまた強くなって困っていた」
「……そうでしたか…」
 鬼一さんが額を抑え、簡易止血を終える。それを待って、ヒノカグツチが竹刀を構えた。容赦ない姿勢ではあるけど、ヒノカグツチもまた正しく剣客なんだ。
礼を持って相対している。
 鬼一さんも、ヒノカグツチも、言葉を交わしながら剣を交わし、相手を理解しようと対話を試みている。
 全ての基本がここにある……俺たちの仕事の全てが。
胸が締め付けられて、上手く息ができない。
「しかしな、この地に稀有な陰陽師が来ると、神を愛しむ者が来てくれるとそう聞いた。故に勾玉を置いた。
 仄暗い闇の中、傷を舐め合うしかなかった和達を救ってくれる。そう思ってな」
 切ない顔で俺を見つめてくるヒノガグツチ。大きな体でなんて寂しそうな顔をしてるんだ……。
 ヒノガグツチは火の神様。生まれてすぐに母であるイザナミをその身の炎で灼き、イザナミは黄泉の国に渡った。
 それに怒ったイザナギに首を切られ、その体からたくさんの神を生み出した神様だ。
 魚彦と同じ、悲しい生まれなんだ。
 俺自身もこの手で頭を撫でてやりたいと言う衝動に駆られる。
 でも、ダメだ。颯人が『ならぬ』と言ったのはおそらく俺の容量の問題もある。
 受け入れてやりたいと思っても、もう無理だと命が告げてくる。……ごめんな。
「俺はあなたの心を理解できる。自分も生まれてすぐに母を死なせました。父は怒り狂い、霊力の少ない出来損ないの俺は遠縁に預けられ、厳しい教育を受けた」
 鬼一さんが口から流れる血を拭い、額の血を拭って立ち上がりヒノガグツチに何度も向かっていく。
 どんどん傷だらけになり、止血したはずの場所からも血が流れて……俺まで痛い気持ちになってくる。
声が掠れてきたな、対話を続けるなら術をかけてあげたい。
 颯人の目を見て問いかける。目の色が応えて、俺は翻訳の術を双方にかける。
 ヒノカグツチがチラリと俺を見て、目を細める。緩やかに瞬く瞳は優しい光を灯していた。
「はぁ、はぁ……そこで俺は親友を得た。命を分け、ともに戦う仲間を。裏公務員として二人で陰陽師になって、初めての任務で…俺はその人を殺したんだ」
「|仲間《とも》を?ほう……どのようにして?」
「初任務は|産土神《うぶすながみ》の荒神が相手だった。鬼神に成り果てた荒神は、生贄をよこせと言った。
俺たちは刃向かい、生きるために戦った」
「鬼神相手に敵う腕ではないな」
 横っ腹に一撃を入れられ、鬼一さんが壁に打ち付けられる。
 竹刀が転がり、鼻から口から血反吐を吐き出した。
 思わず立ちあがろうとしてしまう膝を両手で抑えて、手が震える。颯人がそれをぎゅうっと握りしめてくれる。
(颯人…)
(分かるな?鬼一はまだ、諦めていない)
 颯人の鋭い目をうけて頷き、正座に座り直す。強く握られた手を握り返すと、胸の苦しさが増していく。
 涙が勝手に溢れてきた。悲しいんじゃない。鬼一さんの意思の強さに心打たれたんだ。
いつかお前には話すって言ってくれた……体に刻まれた大きな傷の話をしてる。
鬼一さんはヒノガグツチの心に寄り添いたくて、戦っている。
傷だらけになって、自分の全てで応えているんだ。
「二人とも傷だらけで…致命傷を負って…ゲホッ…。俺は命を差し出して、親友を生かそうとした」
「何とも痛ましい話だな?ならば、何故お前が生きている」
「産土神の口に飛び込もうとした|瞬間《とき》、アイツが…親友が俺を切りつけ、産土神に喰われました。
 きれいに|微笑《わら》って、『生きろ』と言い残して。アイツは死に、俺は命の形を変えた産土神を祓った」
 ヒノガグツチが嘲笑を浮かべる。
 いや、歪んではいるが……あれは悲しい瞳の色だ。友を得て安らぎを得たヒノカグツチが鬼一さんの気持ちがわからない筈がない。
「親友ごと、土地も神も殺したのだな」
「そうです……俺は死ぬことが怖くなった。甘い汁を吸って、一族の威光を借りて腐った陰陽師に成り果てた。友を失い、生きている意味がわからなくなった!!
 何をしても虚しく、何をしても辛く悲しく、自分の身の回りの全てが憎かった。
 自らを顧みる事もできず子供のように拗ねて当たり散らしていたんです。……だが…真幸が来てくれた。」
 竹刀を杖にして、鬼一さんが立ち上がる。
立っているのもやっとのはずなのに、フラフラしながら竹刀を振り翳してヒノガグツチに向かっていく。
「真幸は何も知らなかった!俺は何も教えられなかった!!
 初めての任務で、神隠しの神を鎮めたその辣腕に嫉妬した俺は鎮まりかけたそれを殺した!
 何故、俺にはできなかった?何故、俺は腐ってしまった?何故、何も知らない真幸がそれを下したんだと問い続けた。
初めての任務で、どうしてこうも差がでたんだと悔しかった!
 真幸に触れて、心がどれだけ強いのかを思い知った!!俺の心が弱かったんだと思い知ったんだ!!!」
 鬼一さん、鬼一さん……。俺は心の中でただ、名前を呼ぶしかできない。
 彼の震えはどう足掻いても勝てない相手に向かう畏怖だ。
 それを力一杯握り締めて抑え、歯を食いしばって何度も立ち上がり、何度も転がされて…ダメージが蓄積してしまった体が思うように動いてない。
 竹刀をぶら下げ、構えることすらできなくなって来ても、そのまま体をぶつけて体当たりして。
 ヒノガグツチも、その様子に眉を下げ始めた。だんだんと力が抜けて、最後に鬼一さんを抱き止める。
 血だらけの彼をぎゅうっと抱きしめたヒノカグツチの瞳に、雫が集まっているのが見えた。
 ぽた、ぽた、と雫が滴る音。
道場内の床が…鬼一さんの命の涙で真っ赤に染め上げられていた。
「……それから、どうしたのだ」
「真幸に横槍を入れて、殺した妖怪…その親と土地神に会いに行って、俺の罪を教えられた。貴方のように、何度も何度も俺に向かってきてくれた……。
 本来なら呪い殺されてもおかしくなかったのに俺の話を聞いて、最後は赦してくれた…鎮ってくれたんです」
「……そうか」
「俺はミソッカスで、生まれてから何も成していない。だが、真幸の側で仕事がしたい。強くなって、誰一人として殺さずに救い上げ続ける真幸を守りたい。
 俺の犯した罪に怒りながらも、神と同じく赦してくれた……俺が憧れる真幸と同じものを見たいんです」
 ヒノガグツチが、鬼一さんを座らせて静かに座する。
鬼一さんは竹刀を横に置いて、平伏した。
「貴方も優しい神様だ。俺の弱さを、腐った根性を見抜けないはずがない。神降しの場で還ってもおかしくなかった。
 でも、こうして機会をくださった。
 俺はその心に応えたい。未熟者で申し訳ありませんが、俺を依代にしてください!必ず強くなります。国護を為さんとする、真幸を守る力をください!!…お願い…します…」
 自分の体が震えて、力が入らない。
 鬼一さんが、泣いてる。
 血まみれで、吐瀉物に塗れて、傷だらけのその体で叫んでいる。
「苦しいな、鬼一」
「……はい」
「悲しみや寂しさに溺れ、和も苦しかった。闇中にいるうちは何も見えず、体は楽だが心はいつまでも満たされない」
「はい」
「和とイケハヤワケノミコトは闇を抱いている。お前と同じ、悲しい闇だ。
 だが…そうだな。同じものを持つお前に降りよう。よいな、イケハヤワケノミコトよ」
「ヒノカグツチが言うならよい。……だがそんな様で大丈夫か?」
「勾玉を飲めばよい。そうですね、颯人様」
「あぁ、一柱以上は勾玉を飲まねばならぬ。それから、かなり体に負担がかかる。傷を癒してやろう」
「…っな、魚彦ッ!!」
「応!!」
 叫ぶように魚彦を呼んで、鬼一さんに駆け寄る。
 平伏したまま気絶してる鬼一さんを横たえてハンカチを切り裂き、傷に止血を施した。
 手が震えて上手く巻けないよ。鬼一さん……こんなに、こんなにボロボロになって…。
「鬼一さん!鬼一さん…ううっ…」
「真幸、|赤黒《あぐろ》を。深い傷もある。よう耐えたな」
「ん…赤黒…たのむ」
「はい」
 赤黒が悲しそうな顔をして、ギュッとしがみついてくる。
はやく、早く治して…頼む、魚彦…。
「任せろ。真幸は鬼一に呼びかけるんじゃ。傷を治すのにも痛みが生ずる。かなり痛むぞ」
「鬼一さん…大丈夫だからな、今魚彦が治してくれるからな」
 必死で呼びかけると、鬼一さんが僅かに目を開ける。瞼にもあざができて、腫れてしまってあまり開かない。
「あぁ…真幸、酒でも飲みながら話そうと思ってたんだが……聞いてたか?」
「うん、全部聞いたよ」
 魚彦が傷に手を翳すと、鬼一さんが顔を歪める。俺は膝に彼の頭を乗せて、鬼一さんの腫れた頬を撫でた。
掠れた声が、ふっと笑いを溢す。
「ダセェな、俺」
「そんな事ない。カッコいいよ」
「ボロボロだろ?あぁ、真幸の服が汚れちまった…ぐっ…う…」
「そんなこと気にしなくていいんだ。痛いな…もうちょっとだからな」
 顔を顰めながらも微笑み、じっと俺を見上げてくる瞳。鬼一さんの気持ちが伝わってくる。
 俺を守るためだなんて言われて、心の底から震えて、命の中までその言葉が染み込んで来て……たまらなかった。
そんな風に思っていてくれたなんて、本当に嬉しかったよ。
 俺だって、鬼一さんが大切で大好きなんだから。強くなって、ずっと一緒に戦う仲間でいてほしい。友でいて欲しい。
「真幸…ありがとな」
「うん、うん…」
 自分の目から勝手に溢れてくる涙を拭い、鬼一さんの傷だらけで血だらけの手を握る。
 本当にカッコよかったよ、鬼一さん。
 ありがとうは、俺が言うべきなのにさ。先に言われちゃった。
 俺は……鬼一さんの痛みが和らぐ事だけを祈り、豆だらけでカチカチした彼の手に力を込めた。