トウカとタツキ
ー/ー
うーんとため息混じりに息を吐く。
僕は前かがみになっていたせいで固まっていた体を反らしながら息を吐いた。
経営学の講義は、興味深いのだけれども話が込み入っているから、集中しているとついつい前かがみの姿勢になっていて、すぐに凝り固まってしまうのが問題点だなと思う。
僕の名前は御堂 龍樹。
T県の中堅の大学である『嘉納大学』に通う大学生で、いまは2回生。
つまり20歳ってこと。
経営学部に籍をおいては居るけれど、将来そういう方向に進みたいとか明確な意志があるわけじゃない。
まぁ……強いて言うなら、趣味の延長でやっているフリーランスの仕事の足しになるかな……くらいの目算はあるけれど、それとて具体的になにかするというわけでもないし、将来それで食っていこうなんて言う明確な意志があるわけでもなくて、ほとんど惰性と妥協の産物で選んだ学科というのが正直なところ。
「ねぇねぇ、董香ぁ……今日さぁ、文纓館大学の男子と合コンあるんだけど……」
講義が終わり荷物をまとめていた僕の耳に、よく響く女子の声が聞こえる。
「董香が来てくれたら、相手の反応めちゃくちゃ良くなるんだよね。ねぇ来てくれないかなぁ」
僕は声がした方にちらと視線を送る。
そこには数人の女子に囲まれて、目立つ容姿をした女子がいた。
遠藤 董香。
僕と同じ経営学部に籍をおいていて、偶然だけどゼミも同じ。
実家は商社を経営している、いわゆる社長令嬢だという噂を聞いたことがある。
将来は家の役に立つため、経営を学びたくてこの学部を選んだという話をしているのが、聞こえたことがあるだけで詳しいことは知らないけれど。
社長令嬢だから……というわけではない、それ以外の理由で彼女の周りは常に人で溢れている。
曰く、涼し気な目元がとても魅力的だ。
曰く、誰にも優しくて気遣いができるが、誰もその隣に並ばせない、高潔さが素敵だ。
曰く、男子に媚びないその姿勢が素敵。
などなど、彼女を賛美する声は枚挙にいとまがない。
聞こうと思わなくても、勝手に耳に入るほどに、彼女の話題はあちこちで語られている。
そして残念なことに、僕はそういったものには全く縁がない。
友達もごく少数。
恋愛にうつつを抜かすより、趣味に没頭するタイプの男友達ばかり。
そして僕も、引っ込み思案と言うか人見知りと言うか、自分から積極的に人の輪に入るタイプでもなく、結果としてはこうして、あちこちで語られている彼女の話が耳に入ってくるだけ。
「遠藤……董香……ねぇ」
ポツリと呟いてみる。
僕だって成人男子だ。
恋愛に興味がないわけではないし、そりゃあ彼女も欲しいなんて思うこともある。
でも……自覚しているけれど、勉強も容姿も本当に人並みという言葉がぴったり来るのは理解しているし、運動に至ってはまるでだめ。
優しくていい人……とは言われたことはあるけれど、いい人でしかない。
それ以上深い関係に離れない……ということをコレまでの人生で学んできた。
だから夢を見ようとも思わないし、身の丈に合ったいまの生活がそれなりに気に入ってもいる。
正直ここまで注目され、噂される彼女が、どういう女性なのかと言う興味がないわけじゃない。
だけど接点もなく、それを積極的に作ろうと思うほどの意欲も行動力もない僕は、やはり遠巻に彼女と彼女を取り巻く人達を眺めることしか出来ない。
「うーん……ごめんね、やっぱりちょっと合コンは遠慮しておくわ」
澄んだ声が、その場をざわつかせていた声を切り裂いてあたりに響く。
さほど大きな声ではなかったし、けっして怒鳴ったとか怒ったとか、そういう声音ではなかった。
だけど不思議なほどに、その声は周囲のざわめきをかき消して、僕の耳に届いた。
えっと思って僕は声のした方を振り返る。
そして小さく息を呑んでしまった。
窓から差し込む日差しをうけて、彼女はそこで微笑んでいた。
艷やかで真っ直ぐな黒髪が、陽の光をうけて輝いている。
笑みを浮かべる様に少し細められた切れ長の目には、榛色をした大きな瞳が揺れていた。
小さめの唇は薄く開かれていて、僅かに上がった広角から彼女が微笑んでいるのが解る。
その姿はまるで、真っ白なキャンバスに描かれた、一枚の絵画のようだった。
余計な背景などは一切ない。
だた純白のキャンバスの上に、彼女だけが描かれている……。
そんな印象を持ってしまうような光景だった。
「本当にごめん……でもいまは、そういう恋愛とか出会いに興味がないかな。女子会ならいつでも参加するから、それじゃ……ね」
鈴を転がすかのような綺麗な声で、再度彼女は謝辞を伝えると傍らにあったトートバッグを肩に掛けて、女子に小さく手を振って歩み去っていった。
「あーあー、やっぱ無理だったかぁ……」
「遠藤さんってホント、ガード硬いよねぇ……」
「まぁ遠藤さんが来たら、それはそれで男子は遠藤さんばっかりに構うだろうから、複雑な気持ち……」
「まぁまぁ、女子会なら来てくれるって言ってるんだし……また今度遊びに誘えばいいじゃん」
遠藤さんが立ち去ったあと、彼女を囲んでいた女子たちはそれぞれに勝手に言いたいことを言いっていた。
中心だった人物がいなくなり、彼女たちもダラダラとした足取りで散らばっていくのが見える。
でも僕は、先ほど感じた衝撃と胸の高鳴りで、その場を動くことが出来なかった。
初めて彼女を真正面から見た。
初めて彼女を認識してしまった。
この時から、もしかすると僕の物語は動き始めていたのかもしれない。
勿論この時の僕は、そんなことには全く気が付かず、ただ一向に収まってくれない胸の鼓動と、不思議なくらいに熱を持つ自分の顔に戸惑い、立ち尽くすことしか出来なかった。
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うーんとため息混じりに息を吐く。
僕は前かがみになっていたせいで固まっていた体を反らしながら息を吐いた。
経営学の講義は、興味深いのだけれども話が込み入っているから、集中しているとついつい前かがみの姿勢になっていて、すぐに凝り固まってしまうのが問題点だなと思う。
僕の名前は|御堂 龍樹《みどうたつき》。
T県の中堅の大学である『嘉納大学』に通う大学生で、いまは2回生。
つまり20歳ってこと。
経営学部に籍をおいては居るけれど、将来そういう方向に進みたいとか明確な意志があるわけじゃない。
まぁ……強いて言うなら、趣味の延長でやっているフリーランスの仕事の足しになるかな……くらいの目算はあるけれど、それとて具体的になにかするというわけでもないし、将来それで食っていこうなんて言う明確な意志があるわけでもなくて、ほとんど惰性と妥協の産物で選んだ学科というのが正直なところ。
「ねぇねぇ、董香ぁ……今日さぁ、|文纓館《ぶんえいかん》大学の男子と合コンあるんだけど……」
講義が終わり荷物をまとめていた僕の耳に、よく響く女子の声が聞こえる。
「董香が来てくれたら、相手の反応めちゃくちゃ良くなるんだよね。ねぇ来てくれないかなぁ」
僕は声がした方にちらと視線を送る。
そこには数人の女子に囲まれて、目立つ容姿をした女子がいた。
|遠藤 董香《えんどうとうか》。
僕と同じ経営学部に籍をおいていて、偶然だけどゼミも同じ。
実家は商社を経営している、いわゆる社長令嬢だという噂を聞いたことがある。
将来は家の役に立つため、経営を学びたくてこの学部を選んだという話をしているのが、聞こえたことがあるだけで詳しいことは知らないけれど。
社長令嬢だから……というわけではない、それ以外の理由で彼女の周りは常に人で溢れている。
曰く、涼し気な目元がとても魅力的だ。
曰く、誰にも優しくて気遣いができるが、誰もその隣に並ばせない、高潔さが素敵だ。
曰く、男子に媚びないその姿勢が素敵。
などなど、彼女を賛美する声は枚挙にいとまがない。
聞こうと思わなくても、勝手に耳に入るほどに、彼女の話題はあちこちで語られている。
そして残念なことに、僕はそういったものには全く縁がない。
友達もごく少数。
恋愛にうつつを抜かすより、趣味に没頭するタイプの男友達ばかり。
そして僕も、引っ込み思案と言うか人見知りと言うか、自分から積極的に人の輪に入るタイプでもなく、結果としてはこうして、あちこちで語られている彼女の話が耳に入ってくるだけ。
「遠藤……董香……ねぇ」
ポツリと呟いてみる。
僕だって成人男子だ。
恋愛に興味がないわけではないし、そりゃあ彼女も欲しいなんて思うこともある。
でも……自覚しているけれど、勉強も容姿も本当に人並みという言葉がぴったり来るのは理解しているし、運動に至ってはまるでだめ。
優しくていい人……とは言われたことはあるけれど、いい人でしかない。
それ以上深い関係に離れない……ということをコレまでの人生で学んできた。
だから夢を見ようとも思わないし、身の丈に合ったいまの生活がそれなりに気に入ってもいる。
正直ここまで注目され、噂される彼女が、どういう女性なのかと言う興味がないわけじゃない。
だけど接点もなく、それを積極的に作ろうと思うほどの意欲も行動力もない僕は、やはり遠巻に彼女と彼女を取り巻く人達を眺めることしか出来ない。
「うーん……ごめんね、やっぱりちょっと合コンは遠慮しておくわ」
澄んだ声が、その場をざわつかせていた声を切り裂いてあたりに響く。
さほど大きな声ではなかったし、けっして怒鳴ったとか怒ったとか、そういう声音ではなかった。
だけど不思議なほどに、その声は周囲のざわめきをかき消して、僕の耳に届いた。
えっと思って僕は声のした方を振り返る。
そして小さく息を呑んでしまった。
窓から差し込む日差しをうけて、彼女はそこで微笑んでいた。
艷やかで真っ直ぐな黒髪が、陽の光をうけて輝いている。
笑みを浮かべる様に少し細められた切れ長の目には、|榛色《はしばみいろ》をした大きな瞳が揺れていた。
小さめの唇は薄く開かれていて、僅かに上がった広角から彼女が微笑んでいるのが解る。
その姿はまるで、真っ白なキャンバスに描かれた、一枚の絵画のようだった。
余計な背景などは一切ない。
だた純白のキャンバスの上に、彼女だけが描かれている……。
そんな印象を持ってしまうような光景だった。
「本当にごめん……でもいまは、そういう恋愛とか出会いに興味がないかな。女子会ならいつでも参加するから、それじゃ……ね」
鈴を転がすかのような綺麗な声で、再度彼女は謝辞を伝えると傍らにあったトートバッグを肩に掛けて、女子に小さく手を振って歩み去っていった。
「あーあー、やっぱ無理だったかぁ……」
「遠藤さんってホント、ガード硬いよねぇ……」
「まぁ遠藤さんが来たら、それはそれで男子は遠藤さんばっかりに構うだろうから、複雑な気持ち……」
「まぁまぁ、女子会なら来てくれるって言ってるんだし……また今度遊びに誘えばいいじゃん」
遠藤さんが立ち去ったあと、彼女を囲んでいた女子たちはそれぞれに勝手に言いたいことを言いっていた。
中心だった人物がいなくなり、彼女たちもダラダラとした足取りで散らばっていくのが見える。
でも僕は、先ほど感じた衝撃と胸の高鳴りで、その場を動くことが出来なかった。
初めて彼女を真正面から見た。
初めて彼女を認識してしまった。
この時から、もしかすると僕の物語は動き始めていたのかもしれない。
勿論この時の僕は、そんなことには全く気が付かず、ただ一向に収まってくれない胸の鼓動と、不思議なくらいに熱を持つ自分の顔に戸惑い、立ち尽くすことしか出来なかった。