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必死の訴え

ー/ー



「取り憑いていたあやかしがいなくなったのか!?」

 傍観者に徹していたはずの月岡が内田の元へと駆け寄っていく。音を出すこともなく(うごめ)くあやかしの側には近寄りたくないのか、部屋の隅に張り付くあやかしと距離を取りながらではあるが。

「そうね、あやかしはこの子の身体から祓った。それがそこにいるモノっていうこと。だけどあくまでも一時的にだけれどね」

「一時的!? どういうことだ!」

 沙夜子は、伸ばした手を出現したあやかしへと向けた。何かを掌に込めるように指先を広げれば、不定形の赤墨は空気に溶けていくように消えていった。

「……倒したのか?」

「そうね、倒した、と言ってもいいのかもしれない。陣は、基本的にはあやかしを倒すのではなく封じるための(わざ)。だけど、今みたいに自身で形も成せないような力の弱いあやかしは耐えきれなくて存在ごと消えてしまうことがある」

「だったら……!」

「ところが今回は、そう上手くはいかないのよ」

「……もしかして、再び、取り憑く?」

「なにっ!?」

 月岡の怒声と圧力を受けた吉良は一歩後ろへ後退りしてしまった。

「さ、沙夜子さんが言っていたんです。鬼救寺を訪ねた高校生の中にいたあやかしを今のように祓ったはずなのに、次の日にはまた同じように痩せこけた体に……なっていたって」

「同じだって言うのか? 内田紗奈も同じだと? 明日にはまた……おい、嘘だろ!」

 月岡がベッドから飛び跳ねた。視線は一点を凝視したまま。

 異変はすぐに訪れた。元通りになったはずの腕が脚が、そして顔の肉が痩せ、削げ落ち、(しぼ)んでいく。強烈な臭いが狭い病室中に充満していく。入るときに嗅いだ臭い。肉が腐臭するような臭いに似ていたんだと、ようやく吉良は気付いた。

「なんなんだよ……これ。祓ったんじゃないのか? 消したんじゃないのか? おい! もう一度だ。もう一度やれば!」

「無駄なのよ」

 沙夜子は冷たく言い放った。

「この子に憑いたあやかしは祓った。あやかしも消した。だけど、もう一度取り憑いたの」

「どういうことだ? さっきから言ってることがさっぱりわからねぇーんだよ!」

「陣は完璧だったわ! 見たでしょ? その目で! 感じたでしょ? 肌に纏わりつくような気配を!」

「言い訳言ってんじゃねーよ!」

「もう、やめてください!!」

 沙夜子の胸ぐらを掴みかかろうとした月岡の手を吉良の振り絞った大声が止めた。

「あやかしは消滅しました。それは間違いない。月岡さん、あなただってわかるはずでしょ? 沙夜子さんが言うようにその目で見ていたんだから。僕らの目にしたあやかしは、確かに消滅した。ですが別のあやかしが──いえおそらくは別の個体(・・)が再び彼女の体に取り憑いたんです」

 月岡は宙ぶらりんの状態の腕をだらりと下げると、呆れたように息を吐いた。

「理解不能だ。先生の言っている意味が何もわからない。別の個体だと? じゃああやかしは、ムカデやイモムシのように同じ種類のものがたくさんいるとでも?」

「そういうことです」

「なっ!?」

 コンコン、と控え目なノックが叩かれた。病室の外から恐る恐るといった風に様子を伺う声が聞こえたあとに、ゆっくりと扉が開かれた。感情的なこのやり取りが外に漏れ聞こえてしまったのかもしれない。

「──すみません。必ず、原因は特定しますので」

 吉良と沙夜子は、なるべくわかりやすいように──つまりは細かく正確な説明は端折って──状況を伝えると、少女を救うことを約束した。

「本当に……本当に、助かるのですか?」

 話を黙って聞いていた母親の目は見開かれ、瞬きすらしなかった。必死に訴え掛ける瞳に気圧された吉良は、思わず頷いてしまった。原因など検討もつかないばかりか明確なアプローチもまだ浮かばない。そして、この少女の身体が心が、生命がどこまで持つのかも判断できていない。こういうときは、助かると、救うとハッキリ断言すべきではないのだ。医者がこれまでの統計から導き出された手術の成功確率を伝え、手術を受けるか否かの決定権を患者に委ねるように、あくまでも論理的な言葉を尽くすべきなのに。吉良は感情に負けて頷いてしまった。

 母親の震える両の手が、吉良の手を包むように握り締める。母親はまたもや頭を下げて言った。

「お願いします。一人娘なんです。ようやくここまで……。これから、これからなんです。どうか、どうか……」

 吉良はその手を握り返すことができなかった。13歳。まだ13歳。だが、やっと13歳だ。まだ、泣くことで要求を伝えることしかできない生まれたばかりの自分の子どものことを考えると、13年は長い道のりのように思える。その道のりを共に携えながら辿ってきたのだろうその手を握る資格は、ないような気がしていた。

 またぎこちなく頷くと、吉良は手を引いて一礼し、そのまま病室の外へと出ていった。続いて沙夜子に、様子を見ていた月岡が部屋を後にする。何か言いたげに月岡が口を開くが、言葉を発する前に閉じかけた扉が開いた。

 中から出てきたのはずっと黙り込んでいた父親の方だった。

「吉良さん。私にはあやかしが何なのか全くわかりません。今はわかりたくもない。ですが、あやかしのことを深く知らないと解決はできないのでしょう」

 父親は顎を擦ると、にこやかに笑顔を浮かべた。どう見ても無理をした作り笑顔を。

「失礼ながら娘の担当医師からあなたのことを聞きました。正直に言うと、信頼できるかどうか不安でした。ですが、私達には他に頼る術がない。吉良さん、私達は再婚同士です。お互いに幼子を亡くしてしまいました。そのあと、それが原因だったのかもしれません。家庭が上手くいかなくなり、離婚。そして、縁がありここまで来たのです。私からもよろしくお願いします。娘を助けてください」

 父親は深く頭を下げた。白髪交じりの髪の毛が吉良の目にはいっそう悲愴に映った。


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「取り憑いていたあやかしがいなくなったのか!?」
 傍観者に徹していたはずの月岡が内田の元へと駆け寄っていく。音を出すこともなく|蠢《うごめ》くあやかしの側には近寄りたくないのか、部屋の隅に張り付くあやかしと距離を取りながらではあるが。
「そうね、あやかしはこの子の身体から祓った。それがそこにいるモノっていうこと。だけどあくまでも一時的にだけれどね」
「一時的!? どういうことだ!」
 沙夜子は、伸ばした手を出現したあやかしへと向けた。何かを掌に込めるように指先を広げれば、不定形の赤墨は空気に溶けていくように消えていった。
「……倒したのか?」
「そうね、倒した、と言ってもいいのかもしれない。陣は、基本的にはあやかしを倒すのではなく封じるための|術《わざ》。だけど、今みたいに自身で形も成せないような力の弱いあやかしは耐えきれなくて存在ごと消えてしまうことがある」
「だったら……!」
「ところが今回は、そう上手くはいかないのよ」
「……もしかして、再び、取り憑く?」
「なにっ!?」
 月岡の怒声と圧力を受けた吉良は一歩後ろへ後退りしてしまった。
「さ、沙夜子さんが言っていたんです。鬼救寺を訪ねた高校生の中にいたあやかしを今のように祓ったはずなのに、次の日にはまた同じように痩せこけた体に……なっていたって」
「同じだって言うのか? 内田紗奈も同じだと? 明日にはまた……おい、嘘だろ!」
 月岡がベッドから飛び跳ねた。視線は一点を凝視したまま。
 異変はすぐに訪れた。元通りになったはずの腕が脚が、そして顔の肉が痩せ、削げ落ち、|萎《しぼ》んでいく。強烈な臭いが狭い病室中に充満していく。入るときに嗅いだ臭い。肉が腐臭するような臭いに似ていたんだと、ようやく吉良は気付いた。
「なんなんだよ……これ。祓ったんじゃないのか? 消したんじゃないのか? おい! もう一度だ。もう一度やれば!」
「無駄なのよ」
 沙夜子は冷たく言い放った。
「この子に憑いたあやかしは祓った。あやかしも消した。だけど、もう一度取り憑いたの」
「どういうことだ? さっきから言ってることがさっぱりわからねぇーんだよ!」
「陣は完璧だったわ! 見たでしょ? その目で! 感じたでしょ? 肌に纏わりつくような気配を!」
「言い訳言ってんじゃねーよ!」
「もう、やめてください!!」
 沙夜子の胸ぐらを掴みかかろうとした月岡の手を吉良の振り絞った大声が止めた。
「あやかしは消滅しました。それは間違いない。月岡さん、あなただってわかるはずでしょ? 沙夜子さんが言うようにその目で見ていたんだから。僕らの目にしたあやかしは、確かに消滅した。ですが別のあやかしが──いえおそらくは別の|個体《・・》が再び彼女の体に取り憑いたんです」
 月岡は宙ぶらりんの状態の腕をだらりと下げると、呆れたように息を吐いた。
「理解不能だ。先生の言っている意味が何もわからない。別の個体だと? じゃああやかしは、ムカデやイモムシのように同じ種類のものがたくさんいるとでも?」
「そういうことです」
「なっ!?」
 コンコン、と控え目なノックが叩かれた。病室の外から恐る恐るといった風に様子を伺う声が聞こえたあとに、ゆっくりと扉が開かれた。感情的なこのやり取りが外に漏れ聞こえてしまったのかもしれない。
「──すみません。必ず、原因は特定しますので」
 吉良と沙夜子は、なるべくわかりやすいように──つまりは細かく正確な説明は端折って──状況を伝えると、少女を救うことを約束した。
「本当に……本当に、助かるのですか?」
 話を黙って聞いていた母親の目は見開かれ、瞬きすらしなかった。必死に訴え掛ける瞳に気圧された吉良は、思わず頷いてしまった。原因など検討もつかないばかりか明確なアプローチもまだ浮かばない。そして、この少女の身体が心が、生命がどこまで持つのかも判断できていない。こういうときは、助かると、救うとハッキリ断言すべきではないのだ。医者がこれまでの統計から導き出された手術の成功確率を伝え、手術を受けるか否かの決定権を患者に委ねるように、あくまでも論理的な言葉を尽くすべきなのに。吉良は感情に負けて頷いてしまった。
 母親の震える両の手が、吉良の手を包むように握り締める。母親はまたもや頭を下げて言った。
「お願いします。一人娘なんです。ようやくここまで……。これから、これからなんです。どうか、どうか……」
 吉良はその手を握り返すことができなかった。13歳。まだ13歳。だが、やっと13歳だ。まだ、泣くことで要求を伝えることしかできない生まれたばかりの自分の子どものことを考えると、13年は長い道のりのように思える。その道のりを共に携えながら辿ってきたのだろうその手を握る資格は、ないような気がしていた。
 またぎこちなく頷くと、吉良は手を引いて一礼し、そのまま病室の外へと出ていった。続いて沙夜子に、様子を見ていた月岡が部屋を後にする。何か言いたげに月岡が口を開くが、言葉を発する前に閉じかけた扉が開いた。
 中から出てきたのはずっと黙り込んでいた父親の方だった。
「吉良さん。私にはあやかしが何なのか全くわかりません。今はわかりたくもない。ですが、あやかしのことを深く知らないと解決はできないのでしょう」
 父親は顎を擦ると、にこやかに笑顔を浮かべた。どう見ても無理をした作り笑顔を。
「失礼ながら娘の担当医師からあなたのことを聞きました。正直に言うと、信頼できるかどうか不安でした。ですが、私達には他に頼る術がない。吉良さん、私達は再婚同士です。お互いに幼子を亡くしてしまいました。そのあと、それが原因だったのかもしれません。家庭が上手くいかなくなり、離婚。そして、縁がありここまで来たのです。私からもよろしくお願いします。娘を助けてください」
 父親は深く頭を下げた。白髪交じりの髪の毛が吉良の目にはいっそう悲愴に映った。