閑話休題。連絡船を降りて数週間、青森で滞在した後の事。列車が光拒む宵闇に発つ直前のお話です。
「あっ今川焼」
駅構内のメインストリート。地元のお土産屋台がずらりと軒を連ねる中に、クリスカさんが一際異彩を放つお店を見つけて袖を引っ張り呼びました。
何枚もの円盤状の鉄板が並んだガス台で焼かれるきつね色のお菓子。あんこやカスタードを中へ入れて食べる今川焼です。
けれど私がすかさず、
「いえ、アレは今川焼ではなく大判焼きです」
「そうとも言うな」
「買っていかれます? 大判焼き」
「今川焼じゃないの?」
「大判焼きです」
訂正して頑なに譲りません。紅い暖簾には黒い文字でしかと大判焼きと書かれています。
世の中には名称や好みの争いが付きません。犬か猫か、ケチャップかマヨネーズか、あんこかカスタードか、半熟か固焼きか、きのこかタケノコかなどなど。数えていてはキリがないほど。
かくいうこの目の前で次々と焼かれるコレも例外ではなく、しかも二者択一ではないのでした。
足を止めて私と眇めた瞳で微笑するクリスカさんの視線が交錯しました。
「光莉は、そう呼んでいるんだ」
「大判焼きでしかないです。むしろ他の呼び方は初耳です」
「でも今川焼がしっくりこないかしら?」
「そうでしょうか?」
「ちなみに地域で呼び方が違いみたいだ。関東圏は今川焼で通用している」
「我が家では大判焼きと呼んでいるんです。関東ですけど」
「珍しいな。するとご両親のルーツは関東圏外か」
割って薫がその差違を説き解くと、「なるほど」と私は納得していました。
「まぁ、どっちでもいいわ」
そう言って、クリスカさんが屋台に寄って行き、私達も背中を追うように遅れてやってきます。
「カスタードを三枚」
「はいよ、回転焼きカスタード三枚!」
私とクリスカさんは思いっきりずっこけました。それはもう、建物も揺らす勢いで、足を滑らせて。
走り出せばいずれ終着は訪れる。列車がそうであるように人生も例外じゃない。三段ベットの一番下で徐に呟きました。
クリスカさんは人の生きる道をよく列車に喩えられます。漠然として哲学的ながらも、万物が持つ死という概念を謳うそれは、私もはっきりと感じられました。
「藪から棒にどうしたんだ?」
「ぼんやりと浮かんできたのよ。他意はないわよ?」
「その一言で人生の深みを味わえる素敵な詩です!」
「光莉ってクリスカに結構毒されているんだな」
毒されているというのは心外です。大判焼きにかぶりついていた私は手を止めてムッと頬に膨らませますが、最上階なので誰も気づくことはなく、スルーされます。
「家族ぐるみの付き合い、というよりは実家の屋敷に代々従えてる使用人の長女なの。敬語が常だったり、気遣いに長けてたりするのも、もはや遺伝子レベルで刷り込まれてるからなのかもね」
「気遣い……なのか」
「えぇ。そうよね?」
「何を——本心ですよ」
三段寝台で繰り広げられるやり取り。勿論、クリスカさんのポエムに感無量なのは疑いようのない本心です。
「でも、そろそろ敬語は卒業してほしいかもね」
とクリスカさん。
「敬語を卒業?」
「耳にタコができるほど聞かされているとは思うけど、私達は対等よ。歳の差とか家系とか、そういうシガラミはこの際全部なし」
「シガラミ……ですか」
これがシガラミだなんて思いもせず、いざ払ってしまえと言われると言葉に詰まりました。
私からすれば、クリスカさんは仕えるべき吸血鬼なわけで、今もその関係性、概念に変わりはありません。
口を紡いで熟考します。果たして彼女が望む平等とは一体なんなのでしょうか。その答を掴めないことに焦燥感で一杯になりそうでした。
「まぁ、難しいのならいいの。私のわがままだから」
「左様ですか……」
「貴方らしく生きればいい。そうだ、ねぇどうして使用人を目指そうと思ったか教えてよ」
やる瀬ない気持ちが霧散し一点、私の声に活力が漲りました。
「母の姿を視て、後を追いかけようって思ったんです。淑やかで凛々しくて、それでいて主様であるクリスカさんのお父様に尽くす姿が、私の脳裏から未だに離れない。あとは、給仕で着る給仕の服がとても可愛らしくてっていうのもありますね」
脳裏に過る幼少期の記憶、お仕えする吸血鬼の方のお屋敷へ遊びに行ったときの事。
黒いロングドレスと純白のエプロン、さながら舞踏を踊る様に身の回りの仕事をテキパキとこなす姿が、当時の私にはとても凛々しく秀麗に映っていたのです。
何より激務を眉を顰めることなく、淡々と片づけていくそんな母に途轍もない衝撃と感動を覚えていたのでした。
「給仕の服、俗にいうメイド服にもいろんな種類があって、エプロンとかカチューシャにも細部で仕様が違ったりするんですよ」
「ついぞこの前、初めて動く実物をお目に掛かったばかりだから、動きづらそうとか思ったりしたのだが」
「肌触りなんかはとても滑らかで着心地良いんですよ。しっかり採寸されているので引っ掛かったり、スカート踏んじゃったりすることも殆どありません」
「ほぉ」
「興味ありますか?」
薫さんは言葉を詰まらせました。まさかと感づいたのでしょう。
「見るだけなら」
「着てみましょう!」
「え?」
「え? 見てるだけではその真価は計り知れません。そうだ、いつか私のお屋敷へ遊びに来てくださいませ! 本物のメイド服をお召しいただけます故!」
「い、いや。私には似合わないと」
「そんなことありません! むしろその勇ましさがギャップと相まってうへへへへ」
悦に浸っていました。獅子の鬣のように膨らんだ女性がフリフリのメイド服に身を包む姿はまさに至高。溢れ出んばかりの想像をハッと我に返って首を振りました。
「私も見てみたいかも。薫のメイド姿」
「冗談は止してくれクリスカ。でも、光莉の屋敷というのも一度ぜひ見てみたいものだ。取材も兼ねて」
「じゃ、じゃあわかりました。一日メイドを体験して貰って取材ということで」
「なぜ私がメイドになる前提で事が進んでいるんだ……」
そんな約束を私は気ままに頭へ焼き付けました。