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The evil that men do 2

ー/ー



-力があるがゆえに争うのか
争うがゆえに力が生まれるのか

あるいはそれは、行く先のない、自らの尾を食う蛇の道か-

 セトミがミナの元にたどり着いたときには、すべては終わっていた。

 倒れたまま動かないロウガと、その脇に呆然と立ち尽くすミナ。そして――――赤黒い、まさに鬼のような巨躯を誇る、ヴィクティム。

 セトミはその状況を見、そのヴィクティム――――アンタレスを、鋭くにらんだ。

「あんたが――――そうなのね」

「ああ、その問いの答えはイエスで間違いないだろう」

 ひどく端的に、両者は言葉を交わす。

「……あんたの目的は、どういうことなの? 人類の革新って、どういうこと? ミナを使って、何をするつもり?」

 油断なく身構えながら、セトミはさらに問う。その様を、アンタレスはさもおかしそうに笑う。

「……ここで手を引けば、死なずに済むかもしれぬぞ? 『好奇心、猫を殺す』というだろう?」

 その刹那――――セトミの右手がこれまでにない速さで駆けた。次の瞬間……アンセムの鋭く青い光が、轟音とともにアンタレスの頬を、わずかに裂いていった。

「……ふざけるな」

 たった一言のその言葉には、彼女の全霊の怒りが込められているほどの迫力があった。そして、少女が発するには強大すぎるほどの、殺気が。

 だが、そのセトミの恫喝に、アンタレスはむしろそれを期待していたかのように、満足げにうなずいた。

「くっくっくっく……よかろう。その覚悟があるのなら教えてやる」

 大仰に腕を組みながら、アンタレスはまるで演説でもするかのように、セトミとミナに向き直った。

「人間とは、なんだ? 愚かにも争いを繰り返し、奪い合い、殺しあう。それによって誰が何を得ようと、争いの繰り返しでは、いずれ滅びることは必至。そこで私は、ヴィクティムという存在を創った」

「……な、ヴィクティムを、創った?」

 困惑するセトミに、アンタレスはうっそりとうなずく。

「そうだ。私もかつては、ヒューマンであった。だが、私は常にその行く末を憂いていた。人間とは、殺しあうもの。そしてその先にあるのは滅び――――。では、どうする? どうすれば、滅びは回避できる?」

 両手を広げ、訴えかけるかのように話すアンタレスに、セトミが返すのは視線のみだ。答えを持たないわけではない。ただ、それができるのは――――。

「そんなの、生きてるものは必ず滅ぶのよ。人間のように、殺しあってれば、なおさらね。そんなものを止められる存在があるとしたら……そんなもの、神様くらいのものでしょ? いるのかどうかなんて知らないけどね」

 ひどく現実的に言い放つセトミに、しかしアンタレスはにやりと笑う。

「――――その通りだ。滅びが必定の生命を、永遠のものへと昇華する……。それは、まさに神の業。だが、だから不可能、などということは定められておらぬ。神がそれをせぬのなら、人の手で神の業を行使すればよい……それだけのことではないか?」

 その言葉に、セトミがふと、気づく。

「まさか、それで……あんたが、ヴィクティム因子を……?」

 絶句するセトミに、アンタレスは答えない。だが、その沈黙はむしろ言葉よりはっきりと肯定の意を示していた。

「だが、それでは足りなかった。ヴィクティムは屈強でありこそすれ、ヒューマンは新たな兵器を作り出す。戦いの構図が、人間同士から、人間とヴィクティムへと変わっただけだった。誠、人間とは愚かしきことよ。常に争う相手がいなくては生きては生けぬのか」

 嘆くようなその言葉に、セトミはなにも返さない。

「そこで私は、自らヴィクティムとなり、研究の段階で手にした延命処置を施した上で、新たな道を模索した。そこでたどり着いたのが――――その少女、ミナツキだった」

 突然、名を呼ばれ、ぼうとした瞳で、ミナは顔を上げる。目の前でロウガが死んだことがショックだったのか、その最期の言葉を反芻するように、再び彼の顔に目を落とした。

「ファースト・ワンの少女は、因子を持ちながら人間としての姿と意識を保っていた。これは、因子の暴走により肉体や反射速度を強化するヴィクティムやハーフと違い、完全に因子を自らの意思の支配化に置いていることを意味する。つまり、暴走することも、アフターリスクもなく、思うがままに因子の力を使うことができる。その戦闘力はつまり――――」

 熱を帯びた口調で語るアンタレスの表情は、冷静に見えながら、どこか狂気的だ。彼は両腕を仰ぐように宙へ伸ばし、恍惚とした表情で言う。

「――――それは、地上における神にも等しいもの、と」

 思わずセトミが、ミナを見る。この、どこか儚い色を帯びた少女が……神にも等しい力を持つというのか。

「そして、絶対的なる力を持った神々が、ヴィクティムも、ヒューマンも統治すればよい。さすれば、争いはなくなり、ヒューマンも、ヴィクティムも、滅びからは解放されるだろう。それが、人類の革新だ」

 大きく息をつき、アンタレスがまるで演説を終えた主君のように、セトミと、ミナを見た。

 しかし彼に返ってきたのは拍手喝采ではなく、一人の少女の嘲りだった。

「あんた、ばっかじゃないの?」

 大仰にため息をつき、セトミは腰に手を当て、呆れたような視線をアンタレスに送った。

「絶対たる神の力? 因子を作り出して世界をぼろぼろにしただけじゃ、まだ満足できないわけ? 人はね、戦って敵わないとか、相手が神だとか、そんなことで心を割り切れやしないのよ。力で押さえつけたって、牙をむくやつは牙をむくのよ」

 ちらりと、その視線がロウガに注がれた。敵だったはずの男の、一筋の涙をこぼした死に顔が、やけに鋭く心に刺さった。

「あんたがやろうとしてるのは、小さい風船を、無理やりな力で気球みたいに大きくしようとしてるだけのこと。そんなことすれば、半分も膨らまないうちに……ポン! でしょ?」

 鋭くも嘲るようなセトミの口調に、アンタレスの表情が変わる。どこか余裕を持っていたその顔が、不意に剣呑な色に染まり始める。

「……小娘にはわかるまい。それに、貴様がどれだけ高説を唱えようと、すでに大勢は決しているのだよ」

「なんですって?」

 まるで罪状を述べる裁判官のような、重苦しいアンタレスの言葉に、セトミの顔つきも緊張に染まる。

「フフフフ……なぜ私が、ヴィクティムの総統となれたか、その理由を見せてやろう」

 ゆっくりと、アンタレスはその鉄槌のごとき巨大な手のひらを、いまだ呆然とするミナに向ける。

「ファースト・ワンの少女……ミナツキよ。我の元へと来るのだ」

 困惑するセトミをよそに、ミナはなおさら不透明に染まった瞳で、まるで夢遊病にでもかけられたかのように、よろよろと、アンタレスの元へと歩き出す。

「ミナ!? だめ!」

 思わず駆け出そうとするセトミの足元を、ロウガを撃ったあのいかづちが抉った。

「……くっ!」

「……じっとしていてもらおう」

 片手はミナに向けたまま、もう片方の手をセトミに向け、アンタレスは彼女を牽制する。ちらりと抉られた地面を見ると、丈夫な素材でできているはずの演習場の床が、まるで軽石ででもできていたのかと思えるほどに粉々に砕かれている。

 その間にも、ミナはアンタレスのその手で操られるかのようにその元へ向かっている。

 焦るセトミのその手元で、不意にデヴァイスが通信が入ったことを知らせるアラームを鳴らす。周波数からして、ショウではないようだ。

「セトミさん、聞こえますか!?」

「エマ!?」

 それはミナを守っていた擬似人格システム、エマの声だった。

「セトミさん、あれはアンタレスの洗脳です。ヴィクティムの創造主であるアンタレスは、ヴィクティムの意識をある程度操る術を身に付けています。それは、ミナが相手であっても同じこと……」

「どうすればいいの!?」

「とにかく、ミナと彼を引き離すしかありません! 近くにいれば近くにいただけ、その洗脳は強固なものとなります!」

 初めて聞く、切迫したエマの声に、しかしセトミは歯噛みする。近づこうとすれば、アンタレスの放つ電撃の餌食になるのがオチだ。とはいえ、ガンマレイを使うには、すでにミナがアンタレスの側に近づきすぎている。下手をすれば、ミナを巻き込んでしまう。

「……くそっ!」

 有効な手立てを見出せないまま、やがてミナはゆっくりと、アンタレスの前に立った。満足げにうなずくと、アンタレスはミナを片手で軽々と抱え上げる。

「フフフフフ……ファースト・ワンの少女は確かに貰い受けた。私はこれからシャドウの最奥部に赴き、その扉を開く。その先には、ヒューマンをファースト・ワンとして覚醒させるための物質がある。まずはこの少女を神として覚醒させ、世界を統治しよう」

 その言葉とともに、アンタレスはゆっくりと、彼が乗ってきたエレベーターのほうへと歩いていく。

「ふざ……けるなっ!」

 思わずアンセムを構えるセトミを、しかしアンタレスは嘲りの色を多分に含んだ笑みで一笑に付した。

「撃てまい。今撃てば、確実にこの少女も巻き込む。……それとも、人間として死なせてやるのが救いなどと、偽善を振りかざすつもりかね?」

「……………っ!」

 血がにじむほどに唇を噛みしめるセトミに、アンタレスはうっそりと言う。

「この少女を救いたくば、我が居城へと来るがいい。私は目的のものを手に入れ次第、底へ戻ってこの少女を神として覚醒させる準備へと入る。あくまで抵抗するというのなら、止めて見せろ。私と……この少女を、な」

 どこか意味深な含みを言葉尻に残し、アンタレスはエレベーターの中へと消えた。

 セトミは思わずエレベーターに駆け寄り操作を試みるが、今のでシステムがロックされてしまったのか、なんの反応もない。

「……エマ、聞こえてる?」

「……はい。こうなった以上、最奥部への侵入は不可能です。その扉のアクセス権限を持っているのはミナのみですから。最奥部には、ファースト・ワン覚醒システムのほかに、内部からのみ操作できる、脱出用のエレベーターもあったはず。どっちみち、ここから彼らを追っても無駄足です」

 落ち着いているように聞こえるエマの声だが、その言葉の端々が小刻みに震えていることにセトミは気づいていた。それは、事態が非常に芳しくないことを言外に、そして如実に示していた。

「どうすればいいの?」

「地上までの最短ルートを、こちらでナビゲートします。そこからアンタレスが言い残したように……彼の居城を目指すしか……ないでしょう」

 アンタレス、そしていまだ彼の支配下に置かれたままのミナは、その最後の扉の前に立っていた。

 灯りのないこの空間で、その扉はまるで血管を血が流れるかのように、細かな光の粒子が巡り、かすかに辺りを照らしている。幻想的にすら思えるその空間を、しかしアンタレスもミナも、ただ無感動に扉の前に立つ。

「さあ、ミナツキよ。その力で、扉を開くのだ」

 アンタレスの言葉に従うように、ミナがゆっくりと、扉に手をかざす。刹那、部屋の壁を流れていた光の粒子が、一斉に扉に集中する。空間を光一色に染めるような、まばゆい輝きの後、視界が元通りになると、そこにそびえていたシャドウ最後の扉は、ゆっくりと姿を消した。

「おお……ついに、神への道が開かれた。これで人類は、滅びから、この荒廃した世界から、救われるのだ……」

 恍惚とした表情を浮かべ、まるで舞台役者よろしく最後の部屋へとアンタレスは入って行く。

 そこは、光に包まれた空間だった。床も、壁も、不思議な淡い光を放つ、小さな部屋。そこには機械も何もなく、ただ、木漏れ日のように降り注ぐ光の中に、一際輝く、小さな物体があるだけだ。それが放つその光は、どこかミナの淡い水色の髪と似ていた。

「……これが、ファースト・ワンを目覚めさせるもの……」

 それは、幾何学的な文様が刻まれた、正方形の小さな箱のような物体だった。アンタレスがそれをそっと手に取ると、その小さな箱はまるで恐れることを知らぬ、無垢な小鳥のように、何の抵抗もなく彼の手に収まった。

 アンタレスはそれを手に、後ろのミナを見やる。その幼き少女は、まだ彼の洗脳の支配下にある。そして、次に目覚めたときには、神なるものとして覚醒するのだ。

「行こう。ファースト・ワンの少女よ。まずはお前が神となり、選ばれた者たちによって、人類を導くのだ」

 彼のその言葉と同時に、壁や床の光が活発に動き出す。どうやらこの部屋自体が、地上へ向けて上昇しているようだ。

 やがて、エレベーターとなった部屋は、地上へと到着する。と同時に、壁だった一角が音もなくドアのように開いた。そこから差し込む日の光は、まさしく地上の光。

 巨大な身体を縮め、のっそりとアンタレスは部屋を出る。

 そこは、エデンの中心部――――現在のアップタウンに近い場所だった。そして……ハウリング・ウルフが占拠している、シャドウの入り口の目と鼻の先。

 その事態はいまだ収まっていないらしく、アンタレスを出迎えたのは、突如現れた、敵軍の総大将に驚く、ハウリング・ウルフのメンバーたちだった。

「あっ……アンタレス!?」

 浮き足立つ彼らに、アンタレスはにたりと笑みを漏らした。

「くくくく……これはちょうどいい。ロウガ一人では地獄は寂しかろうと心配していたところだ。せめてもの手向けに、部下たちも送ってやろう!」

 その言葉とともに、アンタレスは大きく両腕を天にかざす。その腕が、まるで電気を帯びているかのように、その間でスパークする。

「そらァッ!」

 気合の声とともにアンタレスがその腕を振り下ろす。彼の腕の間で爆ぜていた雷撃が、彼の目の前にあるもの、人間、すべてをその力によって粉砕していく。

 一瞬の後、先ほどまでいた百人近い数のハウリング・ウルフの兵たちの半数以上は消え去っていた。

「ひ……ひぃぃぃぃっ!」

 そのわずか一撃で、勝負は決まっていた。いや、それは初めから勝負などと言えたものではなかった。

 ただ圧倒的な、蹂躙。

 アンタレスはもはや戦意を失い、逃げ惑う兵たちをことごとく屠っていく。元よりその半数近くは急遽補充された、雇われ兵だ。金のためだけに参加したものや、中にはただのならず者までが含まれている。

 そんな兵に忠義心などあるわけがなく、ほとんどの者は武器を捨てて逃げ出すだけだった。中にはヴィクティムを倒し、本気でヒューマンの街を作るために参加したものもいるにはいたが、彼らのみで、この荒れ狂う鬼神のような男を、止めることなどできなかった。

 だが、あの一撃を見てもなお向かって来る者を見つけるたび、アンタレスの心にひっかるものがあった。あの少女の言葉だ。

 ――――人間の心ってのは、絶対敵わないとか、そんなことで割り切れやしないのよ――――

 だが脳裏をかすめるその言葉に、アンタレスはふんと鼻を鳴らす。割り切れないから、何だと言うのだ。力さえあれば、このように相手を抑えられる。現に、ほとんどの者は最初の一撃で逃げ出しているではないか。

 しかし、彼自身も気がついてはいなかった。そうして、彼女の言葉が心に残っていることが、自分も心を割り切れてはいないのだということに。

 同時刻、ヒューマン居住区。

 そこでもまた、鬼神のごとき人間が戦いを終えたところであった。

「キャアッハハハハハ! もう終わりですか、クソ虫さんたちィ! 揃いも揃ってザコ、ザコ、ザコ! ゾウリムシからやり直しなさいな! ヒャッハハハハハ!」

 最後のヴィクティム兵にとどめを刺しながら、アリサ=ディーヴァ……『悪魔の歌姫』はさもおかしそうに身体をくねらせて笑った。普段の彼女……いや、どちらが本当に普段の彼女なのか分からないが、バーで働いているときの笑顔とは真逆の、醜悪な笑みである。

「……おっそろしい女だ……。手下があれだけいるとはいえ、ヴィクティムの一個中隊をほとんど被害もなく全滅させやがった……。やつらよりよっぽどのバケモンだぜ……」

 後ろで思わず顔を青ざめさせているのは、ショウである。

「なにか、言いましたか?」

 振り向くアリサの顔はバーでの優しげな笑顔に戻っているが、それはそれで恐ろしい気がして、ショウは全力で首を横に振った。

「……それより、この後のことなんだが」

 ショウは、この戦いの後、セトミと合流することを考えていた。ミナの件が片付いても、シャドウの入り口はハウリング・ウルフに占拠されているはずだ。そこを突破するのは難しいだろう。

 だが、百人単位で動く相手に自分一人が加勢したところで不利なのに間違いはない。アリサの助力があれば戦況も覆せるが……どう切り出したものか。

 だが、彼のその心配は杞憂に終わった。

「この後も何も、セトミちゃんを迎えに行くのでしょう? あそこはまだ狼さんたちが居座ってるはずですし、ヴィクティムの新手も現れないとは限りません。あ、端末のことなら安心してください。シャイニー・デイに部下をつけておきますから」

 笑って言うアリサに、ショウが面食らった顔をする。協力を申し出たこともそうだが、事態をずいぶん適確に把握している。

「お、おう……そりゃ助かるが、なんでまた」

「それは、『私の』セトミちゃんのためですもの。一肌どころか、もっと脱いでも惜しくありませんもの。いえ、むしろ……」

 そう言って、アリサは思春期の乙女のように頬を赤らめて、それを手で隠すように覆って見せる。

 そういえば、そうだった。アリサはそういう趣味だということを、今もって再確認させられたショウは、その不気味な言葉尻を咳払いで聞こえなかったことにした。

「ま……理解はしかねるが、そうしてくれるとこっちも助かる。正直、今回は話がこじれすぎだ。シャドウの入り口にいる連中も問題だが、中にいる連中はもっと問題だからな」

「確かにそうですね。となると、ことは急いだほうが良さそうです」

 言うが早いか、アリサは部下たちのほうに向き直ると、鋭く口笛を吹いた。

 それから数秒も待たずして、数台の、機銃で武装したバギーやジープ、戦闘に耐えうるようカスタムされたバイクなどが姿を現す。

 アリサの目の前に止まったバギーに、彼女はひらりと飛び乗ると、ショウを手招きする。

「さあ、行きましょう。せっかくですから、ブラックドッグさんの運転テクを披露してくださいな。私は、こっちのが性に合いますので」

 機銃の砲座にちょこんと座ったアリサを見、戦闘中の彼女を思い出して、ショウは思わずげんなりするが、そうも言っていられない。

 ため息をつきながら、ショウは運転席に乗り込んだ。

 ここからシャドウの入り口が集中しているエリアへは、バギーを飛ばせばそれほどはかからない。元々、人口や施設の密集していた都市だけあって、その人口が激減した今、各エリア間の距離はそれほどない。

「シャドウの入り口が多くあるのは、ヴィクティムの住むアップタウンに近い場所だったな、確か。いくらかだが、やつらの住む区域もあったはずだ」

 記憶をたどれば、先日、セトミがある少女の敵討ちに向かったのも、その辺りだったはずだ。

「はい。元々その地域は大戦時、この辺りのヒューマンが本拠地としていた場所です。それがいまや地上はヴィクティムのもの、シャドウは因子を持ったクリーチャーの巣窟とは、皮肉なことですね」

 無感動な声で、しかしいつもの微笑みは絶やさぬまま、アリサが言う。しかしそれがかえって、その発言が皮肉であることをはっきりと示していた。

「……ところで、ひとつ疑問があるんだが」

 不意に、ショウがタバコを口にくわえながら言う。

「はい?」

「……ミザリィ、って名前に聞き覚えはないか?」

 タバコに火をつけ、一息、紫煙を吐き出してから、ショウが言う。

「確か、ハウリング・ウルフの副長がそんな名でしたね。それがなにか?」

 それ以上に知っていることはない、と言外に含めた言い方のアリサに、ショウは表情を曇らせる。どうもなにかすっきりしない……そんな言葉が顔に書いてあるような表情だ。

「いや、実はな……。セトミの通信機越しにそいつの声を聞いたんだが……どこかで聞いた声なんだ。それも最近じゃねえ。ずっと昔に、どっかで……」

 そのもやもやを払拭しようとするかのように、大きくタバコを吸い込むと、一気に煙を吐く。ショウのすっきりとしない心持ちを示しているかのように、先ほど火をつけたばかりのタバコは、もうかなり短くなっていた。

「……考えすぎではありませんか? 私は、残ったヴィクティムのほうが脅威だと思いますが」

「……確かにそうなんだがな。なんつーかこう……変に嫌な予感がしちまうんだよな」

 そう。それは誰かにとってひどく大事なことのような――――そんな、胸騒ぎ。

 だが、考え事をしている間にも、バギーは例の現場付近へと近づいていた。ここからは、ハウリング・ウルフの連中と遭遇することもありうる。

 ショウは、思考を切り替えようとするかのように、短くなりきったタバコを灰皿に押し付けた。アリサもすでに砲座で待機し、戦闘モードで瞳をぎらつかせている。

 しかし、いくら走っても、ショウたちがハウリング・ウルフの兵たちと遭遇することはなかった。それどころか、ヒューマンもヴィクティムも、人っ子一人見かけない。

「……妙だな。そろそろシャドウの入り口に着いちまう。やつらの兵が巡回でもしててもおかしくない……いや、むしろしてないほうがおかしいくらいなんだが」

 そしてついに、ショウたちのバギーがシャドウのメインとなる入り口が見渡せる場所まで到達した、そのときだった。

「……なんだ……こりゃ……」

 彼らが目にしたのは、大量のヒューマンの死体だった。あるものは黒焦げにされ、あるものはすさまじい量の血を吐いて絶命している。

 辺りに戦闘の気配がないことを確認すると、ショウはバギーを降り、転がった屍を調べる。

「……こりゃあ、ハウリング・ウルフの兵だ……。装備に革命軍のマークがついてる。この様子じゃ……おそらく、全滅、だな」

「……先客がいた、ということでしょうか」

 アリサもバギーを降り、辺りを見回しながら言う。

「多分な。それも、相当の化け物――――」

 つられてショウが視線をさまよわせたそのとき――――突如、シャドウの入り口から飛び出してくる、一つの影があった。

「……くっそ! やっぱり、間に合わなかったかぁ……」

 全力疾走してきたらしく、上がりきった呼吸に思わず肩を落とすその影は――――。

「……セトミ!?」

「――――へ? って、ドッグ?」

 セトミ・フリーダムその人だった。

 ミザリィは、漆黒の闇の中、目を覚ました。ずいぶん長く気を失っていたようだ。意識が覚醒しても、どこか朦朧としている。頭の中を霧が漂っているかのようだ。

 だが、その身体を押して、彼女は身を起こす。戦いはどうなったのか、ロウガは……そして、セトミは。

 足を引きずり、彼女がたどり着いた先には……一人、横たわる人物がいた。

 ロウガ・カグラノ。その表情は、復讐に身を焦がしたその荒々しさからはかけ離れた、どこか安らかなものだった。まるで、何かから解放されたかのような。

「……ロウガ様」

 一見、無感情に聞こえる声で、ミザリィは囁く。

「あなたが……あの研究施設で私を救ってくれなければ、今の私はありませんでした。それを……感謝するべきだったのか、あるいは、恨むべきだったのか……。未だ、答えは見えません」

 まるで手紙を朗読するような抑揚のない声は、だが、確かに、そしてかすかに、震えていた。その震えが、彼女の問いの答えを物語っていることに、彼女自身も、気づいていた。

 そっと、ミザリィはロウガの身体に触れる。電撃に触れたような焦げ痕があることに、彼女は気づいた。そして――――朧気にではあるが、その最期を、悟った。

 ロウガは、死に瀕したとき、悲しんで涙を流すような男ではない。彼の頬に涙の跡があるのは……何かのために、何かを守るために、死んだのだと。彼の表情が安らかなのは、それが本当の彼の望みであったからだと。

 そして彼を殺したのは――――アンタレス。

「……結局、あなたは最期まで……『狼牙』にはなれなかったのですね……」

 静かな声とともに、嗚咽すらなく、一筋の涙が、ミザリィの頬をぬらした。

「……あなたの意思は私が受け継ぎます。必ず……アンタレスに復讐を……」

 涙を一筋で振り切ったミザリィは、ロウガの斬馬刀を手に、ゆっくりと歩き出す。その表情に、一瞬だけ見せた悲しみの色は、もうない。

「……アルセイシア……あなたにも、本当のことを告げなければならないわね……」

 どこか憂鬱にその表情を曇らせ、ミザリィはシャドウの入り口へと向かって歩き出した。



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-力があるがゆえに争うのか
争うがゆえに力が生まれるのか
あるいはそれは、行く先のない、自らの尾を食う蛇の道か-
 セトミがミナの元にたどり着いたときには、すべては終わっていた。
 倒れたまま動かないロウガと、その脇に呆然と立ち尽くすミナ。そして――――赤黒い、まさに鬼のような巨躯を誇る、ヴィクティム。
 セトミはその状況を見、そのヴィクティム――――アンタレスを、鋭くにらんだ。
「あんたが――――そうなのね」
「ああ、その問いの答えはイエスで間違いないだろう」
 ひどく端的に、両者は言葉を交わす。
「……あんたの目的は、どういうことなの? 人類の革新って、どういうこと? ミナを使って、何をするつもり?」
 油断なく身構えながら、セトミはさらに問う。その様を、アンタレスはさもおかしそうに笑う。
「……ここで手を引けば、死なずに済むかもしれぬぞ? 『好奇心、猫を殺す』というだろう?」
 その刹那――――セトミの右手がこれまでにない速さで駆けた。次の瞬間……アンセムの鋭く青い光が、轟音とともにアンタレスの頬を、わずかに裂いていった。
「……ふざけるな」
 たった一言のその言葉には、彼女の全霊の怒りが込められているほどの迫力があった。そして、少女が発するには強大すぎるほどの、殺気が。
 だが、そのセトミの恫喝に、アンタレスはむしろそれを期待していたかのように、満足げにうなずいた。
「くっくっくっく……よかろう。その覚悟があるのなら教えてやる」
 大仰に腕を組みながら、アンタレスはまるで演説でもするかのように、セトミとミナに向き直った。
「人間とは、なんだ? 愚かにも争いを繰り返し、奪い合い、殺しあう。それによって誰が何を得ようと、争いの繰り返しでは、いずれ滅びることは必至。そこで私は、ヴィクティムという存在を創った」
「……な、ヴィクティムを、創った?」
 困惑するセトミに、アンタレスはうっそりとうなずく。
「そうだ。私もかつては、ヒューマンであった。だが、私は常にその行く末を憂いていた。人間とは、殺しあうもの。そしてその先にあるのは滅び――――。では、どうする? どうすれば、滅びは回避できる?」
 両手を広げ、訴えかけるかのように話すアンタレスに、セトミが返すのは視線のみだ。答えを持たないわけではない。ただ、それができるのは――――。
「そんなの、生きてるものは必ず滅ぶのよ。人間のように、殺しあってれば、なおさらね。そんなものを止められる存在があるとしたら……そんなもの、神様くらいのものでしょ? いるのかどうかなんて知らないけどね」
 ひどく現実的に言い放つセトミに、しかしアンタレスはにやりと笑う。
「――――その通りだ。滅びが必定の生命を、永遠のものへと昇華する……。それは、まさに神の業。だが、だから不可能、などということは定められておらぬ。神がそれをせぬのなら、人の手で神の業を行使すればよい……それだけのことではないか?」
 その言葉に、セトミがふと、気づく。
「まさか、それで……あんたが、ヴィクティム因子を……?」
 絶句するセトミに、アンタレスは答えない。だが、その沈黙はむしろ言葉よりはっきりと肯定の意を示していた。
「だが、それでは足りなかった。ヴィクティムは屈強でありこそすれ、ヒューマンは新たな兵器を作り出す。戦いの構図が、人間同士から、人間とヴィクティムへと変わっただけだった。誠、人間とは愚かしきことよ。常に争う相手がいなくては生きては生けぬのか」
 嘆くようなその言葉に、セトミはなにも返さない。
「そこで私は、自らヴィクティムとなり、研究の段階で手にした延命処置を施した上で、新たな道を模索した。そこでたどり着いたのが――――その少女、ミナツキだった」
 突然、名を呼ばれ、ぼうとした瞳で、ミナは顔を上げる。目の前でロウガが死んだことがショックだったのか、その最期の言葉を反芻するように、再び彼の顔に目を落とした。
「ファースト・ワンの少女は、因子を持ちながら人間としての姿と意識を保っていた。これは、因子の暴走により肉体や反射速度を強化するヴィクティムやハーフと違い、完全に因子を自らの意思の支配化に置いていることを意味する。つまり、暴走することも、アフターリスクもなく、思うがままに因子の力を使うことができる。その戦闘力はつまり――――」
 熱を帯びた口調で語るアンタレスの表情は、冷静に見えながら、どこか狂気的だ。彼は両腕を仰ぐように宙へ伸ばし、恍惚とした表情で言う。
「――――それは、地上における神にも等しいもの、と」
 思わずセトミが、ミナを見る。この、どこか儚い色を帯びた少女が……神にも等しい力を持つというのか。
「そして、絶対的なる力を持った神々が、ヴィクティムも、ヒューマンも統治すればよい。さすれば、争いはなくなり、ヒューマンも、ヴィクティムも、滅びからは解放されるだろう。それが、人類の革新だ」
 大きく息をつき、アンタレスがまるで演説を終えた主君のように、セトミと、ミナを見た。
 しかし彼に返ってきたのは拍手喝采ではなく、一人の少女の嘲りだった。
「あんた、ばっかじゃないの?」
 大仰にため息をつき、セトミは腰に手を当て、呆れたような視線をアンタレスに送った。
「絶対たる神の力? 因子を作り出して世界をぼろぼろにしただけじゃ、まだ満足できないわけ? 人はね、戦って敵わないとか、相手が神だとか、そんなことで心を割り切れやしないのよ。力で押さえつけたって、牙をむくやつは牙をむくのよ」
 ちらりと、その視線がロウガに注がれた。敵だったはずの男の、一筋の涙をこぼした死に顔が、やけに鋭く心に刺さった。
「あんたがやろうとしてるのは、小さい風船を、無理やりな力で気球みたいに大きくしようとしてるだけのこと。そんなことすれば、半分も膨らまないうちに……ポン! でしょ?」
 鋭くも嘲るようなセトミの口調に、アンタレスの表情が変わる。どこか余裕を持っていたその顔が、不意に剣呑な色に染まり始める。
「……小娘にはわかるまい。それに、貴様がどれだけ高説を唱えようと、すでに大勢は決しているのだよ」
「なんですって?」
 まるで罪状を述べる裁判官のような、重苦しいアンタレスの言葉に、セトミの顔つきも緊張に染まる。
「フフフフ……なぜ私が、ヴィクティムの総統となれたか、その理由を見せてやろう」
 ゆっくりと、アンタレスはその鉄槌のごとき巨大な手のひらを、いまだ呆然とするミナに向ける。
「ファースト・ワンの少女……ミナツキよ。我の元へと来るのだ」
 困惑するセトミをよそに、ミナはなおさら不透明に染まった瞳で、まるで夢遊病にでもかけられたかのように、よろよろと、アンタレスの元へと歩き出す。
「ミナ!? だめ!」
 思わず駆け出そうとするセトミの足元を、ロウガを撃ったあのいかづちが抉った。
「……くっ!」
「……じっとしていてもらおう」
 片手はミナに向けたまま、もう片方の手をセトミに向け、アンタレスは彼女を牽制する。ちらりと抉られた地面を見ると、丈夫な素材でできているはずの演習場の床が、まるで軽石ででもできていたのかと思えるほどに粉々に砕かれている。
 その間にも、ミナはアンタレスのその手で操られるかのようにその元へ向かっている。
 焦るセトミのその手元で、不意にデヴァイスが通信が入ったことを知らせるアラームを鳴らす。周波数からして、ショウではないようだ。
「セトミさん、聞こえますか!?」
「エマ!?」
 それはミナを守っていた擬似人格システム、エマの声だった。
「セトミさん、あれはアンタレスの洗脳です。ヴィクティムの創造主であるアンタレスは、ヴィクティムの意識をある程度操る術を身に付けています。それは、ミナが相手であっても同じこと……」
「どうすればいいの!?」
「とにかく、ミナと彼を引き離すしかありません! 近くにいれば近くにいただけ、その洗脳は強固なものとなります!」
 初めて聞く、切迫したエマの声に、しかしセトミは歯噛みする。近づこうとすれば、アンタレスの放つ電撃の餌食になるのがオチだ。とはいえ、ガンマレイを使うには、すでにミナがアンタレスの側に近づきすぎている。下手をすれば、ミナを巻き込んでしまう。
「……くそっ!」
 有効な手立てを見出せないまま、やがてミナはゆっくりと、アンタレスの前に立った。満足げにうなずくと、アンタレスはミナを片手で軽々と抱え上げる。
「フフフフフ……ファースト・ワンの少女は確かに貰い受けた。私はこれからシャドウの最奥部に赴き、その扉を開く。その先には、ヒューマンをファースト・ワンとして覚醒させるための物質がある。まずはこの少女を神として覚醒させ、世界を統治しよう」
 その言葉とともに、アンタレスはゆっくりと、彼が乗ってきたエレベーターのほうへと歩いていく。
「ふざ……けるなっ!」
 思わずアンセムを構えるセトミを、しかしアンタレスは嘲りの色を多分に含んだ笑みで一笑に付した。
「撃てまい。今撃てば、確実にこの少女も巻き込む。……それとも、人間として死なせてやるのが救いなどと、偽善を振りかざすつもりかね?」
「……………っ!」
 血がにじむほどに唇を噛みしめるセトミに、アンタレスはうっそりと言う。
「この少女を救いたくば、我が居城へと来るがいい。私は目的のものを手に入れ次第、底へ戻ってこの少女を神として覚醒させる準備へと入る。あくまで抵抗するというのなら、止めて見せろ。私と……この少女を、な」
 どこか意味深な含みを言葉尻に残し、アンタレスはエレベーターの中へと消えた。
 セトミは思わずエレベーターに駆け寄り操作を試みるが、今のでシステムがロックされてしまったのか、なんの反応もない。
「……エマ、聞こえてる?」
「……はい。こうなった以上、最奥部への侵入は不可能です。その扉のアクセス権限を持っているのはミナのみですから。最奥部には、ファースト・ワン覚醒システムのほかに、内部からのみ操作できる、脱出用のエレベーターもあったはず。どっちみち、ここから彼らを追っても無駄足です」
 落ち着いているように聞こえるエマの声だが、その言葉の端々が小刻みに震えていることにセトミは気づいていた。それは、事態が非常に芳しくないことを言外に、そして如実に示していた。
「どうすればいいの?」
「地上までの最短ルートを、こちらでナビゲートします。そこからアンタレスが言い残したように……彼の居城を目指すしか……ないでしょう」
 アンタレス、そしていまだ彼の支配下に置かれたままのミナは、その最後の扉の前に立っていた。
 灯りのないこの空間で、その扉はまるで血管を血が流れるかのように、細かな光の粒子が巡り、かすかに辺りを照らしている。幻想的にすら思えるその空間を、しかしアンタレスもミナも、ただ無感動に扉の前に立つ。
「さあ、ミナツキよ。その力で、扉を開くのだ」
 アンタレスの言葉に従うように、ミナがゆっくりと、扉に手をかざす。刹那、部屋の壁を流れていた光の粒子が、一斉に扉に集中する。空間を光一色に染めるような、まばゆい輝きの後、視界が元通りになると、そこにそびえていたシャドウ最後の扉は、ゆっくりと姿を消した。
「おお……ついに、神への道が開かれた。これで人類は、滅びから、この荒廃した世界から、救われるのだ……」
 恍惚とした表情を浮かべ、まるで舞台役者よろしく最後の部屋へとアンタレスは入って行く。
 そこは、光に包まれた空間だった。床も、壁も、不思議な淡い光を放つ、小さな部屋。そこには機械も何もなく、ただ、木漏れ日のように降り注ぐ光の中に、一際輝く、小さな物体があるだけだ。それが放つその光は、どこかミナの淡い水色の髪と似ていた。
「……これが、ファースト・ワンを目覚めさせるもの……」
 それは、幾何学的な文様が刻まれた、正方形の小さな箱のような物体だった。アンタレスがそれをそっと手に取ると、その小さな箱はまるで恐れることを知らぬ、無垢な小鳥のように、何の抵抗もなく彼の手に収まった。
 アンタレスはそれを手に、後ろのミナを見やる。その幼き少女は、まだ彼の洗脳の支配下にある。そして、次に目覚めたときには、神なるものとして覚醒するのだ。
「行こう。ファースト・ワンの少女よ。まずはお前が神となり、選ばれた者たちによって、人類を導くのだ」
 彼のその言葉と同時に、壁や床の光が活発に動き出す。どうやらこの部屋自体が、地上へ向けて上昇しているようだ。
 やがて、エレベーターとなった部屋は、地上へと到着する。と同時に、壁だった一角が音もなくドアのように開いた。そこから差し込む日の光は、まさしく地上の光。
 巨大な身体を縮め、のっそりとアンタレスは部屋を出る。
 そこは、エデンの中心部――――現在のアップタウンに近い場所だった。そして……ハウリング・ウルフが占拠している、シャドウの入り口の目と鼻の先。
 その事態はいまだ収まっていないらしく、アンタレスを出迎えたのは、突如現れた、敵軍の総大将に驚く、ハウリング・ウルフのメンバーたちだった。
「あっ……アンタレス!?」
 浮き足立つ彼らに、アンタレスはにたりと笑みを漏らした。
「くくくく……これはちょうどいい。ロウガ一人では地獄は寂しかろうと心配していたところだ。せめてもの手向けに、部下たちも送ってやろう!」
 その言葉とともに、アンタレスは大きく両腕を天にかざす。その腕が、まるで電気を帯びているかのように、その間でスパークする。
「そらァッ!」
 気合の声とともにアンタレスがその腕を振り下ろす。彼の腕の間で爆ぜていた雷撃が、彼の目の前にあるもの、人間、すべてをその力によって粉砕していく。
 一瞬の後、先ほどまでいた百人近い数のハウリング・ウルフの兵たちの半数以上は消え去っていた。
「ひ……ひぃぃぃぃっ!」
 そのわずか一撃で、勝負は決まっていた。いや、それは初めから勝負などと言えたものではなかった。
 ただ圧倒的な、蹂躙。
 アンタレスはもはや戦意を失い、逃げ惑う兵たちをことごとく屠っていく。元よりその半数近くは急遽補充された、雇われ兵だ。金のためだけに参加したものや、中にはただのならず者までが含まれている。
 そんな兵に忠義心などあるわけがなく、ほとんどの者は武器を捨てて逃げ出すだけだった。中にはヴィクティムを倒し、本気でヒューマンの街を作るために参加したものもいるにはいたが、彼らのみで、この荒れ狂う鬼神のような男を、止めることなどできなかった。
 だが、あの一撃を見てもなお向かって来る者を見つけるたび、アンタレスの心にひっかるものがあった。あの少女の言葉だ。
 ――――人間の心ってのは、絶対敵わないとか、そんなことで割り切れやしないのよ――――
 だが脳裏をかすめるその言葉に、アンタレスはふんと鼻を鳴らす。割り切れないから、何だと言うのだ。力さえあれば、このように相手を抑えられる。現に、ほとんどの者は最初の一撃で逃げ出しているではないか。
 しかし、彼自身も気がついてはいなかった。そうして、彼女の言葉が心に残っていることが、自分も心を割り切れてはいないのだということに。
 同時刻、ヒューマン居住区。
 そこでもまた、鬼神のごとき人間が戦いを終えたところであった。
「キャアッハハハハハ! もう終わりですか、クソ虫さんたちィ! 揃いも揃ってザコ、ザコ、ザコ! ゾウリムシからやり直しなさいな! ヒャッハハハハハ!」
 最後のヴィクティム兵にとどめを刺しながら、アリサ=ディーヴァ……『悪魔の歌姫』はさもおかしそうに身体をくねらせて笑った。普段の彼女……いや、どちらが本当に普段の彼女なのか分からないが、バーで働いているときの笑顔とは真逆の、醜悪な笑みである。
「……おっそろしい女だ……。手下があれだけいるとはいえ、ヴィクティムの一個中隊をほとんど被害もなく全滅させやがった……。やつらよりよっぽどのバケモンだぜ……」
 後ろで思わず顔を青ざめさせているのは、ショウである。
「なにか、言いましたか?」
 振り向くアリサの顔はバーでの優しげな笑顔に戻っているが、それはそれで恐ろしい気がして、ショウは全力で首を横に振った。
「……それより、この後のことなんだが」
 ショウは、この戦いの後、セトミと合流することを考えていた。ミナの件が片付いても、シャドウの入り口はハウリング・ウルフに占拠されているはずだ。そこを突破するのは難しいだろう。
 だが、百人単位で動く相手に自分一人が加勢したところで不利なのに間違いはない。アリサの助力があれば戦況も覆せるが……どう切り出したものか。
 だが、彼のその心配は杞憂に終わった。
「この後も何も、セトミちゃんを迎えに行くのでしょう? あそこはまだ狼さんたちが居座ってるはずですし、ヴィクティムの新手も現れないとは限りません。あ、端末のことなら安心してください。シャイニー・デイに部下をつけておきますから」
 笑って言うアリサに、ショウが面食らった顔をする。協力を申し出たこともそうだが、事態をずいぶん適確に把握している。
「お、おう……そりゃ助かるが、なんでまた」
「それは、『私の』セトミちゃんのためですもの。一肌どころか、もっと脱いでも惜しくありませんもの。いえ、むしろ……」
 そう言って、アリサは思春期の乙女のように頬を赤らめて、それを手で隠すように覆って見せる。
 そういえば、そうだった。アリサはそういう趣味だということを、今もって再確認させられたショウは、その不気味な言葉尻を咳払いで聞こえなかったことにした。
「ま……理解はしかねるが、そうしてくれるとこっちも助かる。正直、今回は話がこじれすぎだ。シャドウの入り口にいる連中も問題だが、中にいる連中はもっと問題だからな」
「確かにそうですね。となると、ことは急いだほうが良さそうです」
 言うが早いか、アリサは部下たちのほうに向き直ると、鋭く口笛を吹いた。
 それから数秒も待たずして、数台の、機銃で武装したバギーやジープ、戦闘に耐えうるようカスタムされたバイクなどが姿を現す。
 アリサの目の前に止まったバギーに、彼女はひらりと飛び乗ると、ショウを手招きする。
「さあ、行きましょう。せっかくですから、ブラックドッグさんの運転テクを披露してくださいな。私は、こっちのが性に合いますので」
 機銃の砲座にちょこんと座ったアリサを見、戦闘中の彼女を思い出して、ショウは思わずげんなりするが、そうも言っていられない。
 ため息をつきながら、ショウは運転席に乗り込んだ。
 ここからシャドウの入り口が集中しているエリアへは、バギーを飛ばせばそれほどはかからない。元々、人口や施設の密集していた都市だけあって、その人口が激減した今、各エリア間の距離はそれほどない。
「シャドウの入り口が多くあるのは、ヴィクティムの住むアップタウンに近い場所だったな、確か。いくらかだが、やつらの住む区域もあったはずだ」
 記憶をたどれば、先日、セトミがある少女の敵討ちに向かったのも、その辺りだったはずだ。
「はい。元々その地域は大戦時、この辺りのヒューマンが本拠地としていた場所です。それがいまや地上はヴィクティムのもの、シャドウは因子を持ったクリーチャーの巣窟とは、皮肉なことですね」
 無感動な声で、しかしいつもの微笑みは絶やさぬまま、アリサが言う。しかしそれがかえって、その発言が皮肉であることをはっきりと示していた。
「……ところで、ひとつ疑問があるんだが」
 不意に、ショウがタバコを口にくわえながら言う。
「はい?」
「……ミザリィ、って名前に聞き覚えはないか?」
 タバコに火をつけ、一息、紫煙を吐き出してから、ショウが言う。
「確か、ハウリング・ウルフの副長がそんな名でしたね。それがなにか?」
 それ以上に知っていることはない、と言外に含めた言い方のアリサに、ショウは表情を曇らせる。どうもなにかすっきりしない……そんな言葉が顔に書いてあるような表情だ。
「いや、実はな……。セトミの通信機越しにそいつの声を聞いたんだが……どこかで聞いた声なんだ。それも最近じゃねえ。ずっと昔に、どっかで……」
 そのもやもやを払拭しようとするかのように、大きくタバコを吸い込むと、一気に煙を吐く。ショウのすっきりとしない心持ちを示しているかのように、先ほど火をつけたばかりのタバコは、もうかなり短くなっていた。
「……考えすぎではありませんか? 私は、残ったヴィクティムのほうが脅威だと思いますが」
「……確かにそうなんだがな。なんつーかこう……変に嫌な予感がしちまうんだよな」
 そう。それは誰かにとってひどく大事なことのような――――そんな、胸騒ぎ。
 だが、考え事をしている間にも、バギーは例の現場付近へと近づいていた。ここからは、ハウリング・ウルフの連中と遭遇することもありうる。
 ショウは、思考を切り替えようとするかのように、短くなりきったタバコを灰皿に押し付けた。アリサもすでに砲座で待機し、戦闘モードで瞳をぎらつかせている。
 しかし、いくら走っても、ショウたちがハウリング・ウルフの兵たちと遭遇することはなかった。それどころか、ヒューマンもヴィクティムも、人っ子一人見かけない。
「……妙だな。そろそろシャドウの入り口に着いちまう。やつらの兵が巡回でもしててもおかしくない……いや、むしろしてないほうがおかしいくらいなんだが」
 そしてついに、ショウたちのバギーがシャドウのメインとなる入り口が見渡せる場所まで到達した、そのときだった。
「……なんだ……こりゃ……」
 彼らが目にしたのは、大量のヒューマンの死体だった。あるものは黒焦げにされ、あるものはすさまじい量の血を吐いて絶命している。
 辺りに戦闘の気配がないことを確認すると、ショウはバギーを降り、転がった屍を調べる。
「……こりゃあ、ハウリング・ウルフの兵だ……。装備に革命軍のマークがついてる。この様子じゃ……おそらく、全滅、だな」
「……先客がいた、ということでしょうか」
 アリサもバギーを降り、辺りを見回しながら言う。
「多分な。それも、相当の化け物――――」
 つられてショウが視線をさまよわせたそのとき――――突如、シャドウの入り口から飛び出してくる、一つの影があった。
「……くっそ! やっぱり、間に合わなかったかぁ……」
 全力疾走してきたらしく、上がりきった呼吸に思わず肩を落とすその影は――――。
「……セトミ!?」
「――――へ? って、ドッグ?」
 セトミ・フリーダムその人だった。
 ミザリィは、漆黒の闇の中、目を覚ました。ずいぶん長く気を失っていたようだ。意識が覚醒しても、どこか朦朧としている。頭の中を霧が漂っているかのようだ。
 だが、その身体を押して、彼女は身を起こす。戦いはどうなったのか、ロウガは……そして、セトミは。
 足を引きずり、彼女がたどり着いた先には……一人、横たわる人物がいた。
 ロウガ・カグラノ。その表情は、復讐に身を焦がしたその荒々しさからはかけ離れた、どこか安らかなものだった。まるで、何かから解放されたかのような。
「……ロウガ様」
 一見、無感情に聞こえる声で、ミザリィは囁く。
「あなたが……あの研究施設で私を救ってくれなければ、今の私はありませんでした。それを……感謝するべきだったのか、あるいは、恨むべきだったのか……。未だ、答えは見えません」
 まるで手紙を朗読するような抑揚のない声は、だが、確かに、そしてかすかに、震えていた。その震えが、彼女の問いの答えを物語っていることに、彼女自身も、気づいていた。
 そっと、ミザリィはロウガの身体に触れる。電撃に触れたような焦げ痕があることに、彼女は気づいた。そして――――朧気にではあるが、その最期を、悟った。
 ロウガは、死に瀕したとき、悲しんで涙を流すような男ではない。彼の頬に涙の跡があるのは……何かのために、何かを守るために、死んだのだと。彼の表情が安らかなのは、それが本当の彼の望みであったからだと。
 そして彼を殺したのは――――アンタレス。
「……結局、あなたは最期まで……『狼牙』にはなれなかったのですね……」
 静かな声とともに、嗚咽すらなく、一筋の涙が、ミザリィの頬をぬらした。
「……あなたの意思は私が受け継ぎます。必ず……アンタレスに復讐を……」
 涙を一筋で振り切ったミザリィは、ロウガの斬馬刀を手に、ゆっくりと歩き出す。その表情に、一瞬だけ見せた悲しみの色は、もうない。
「……アルセイシア……あなたにも、本当のことを告げなければならないわね……」
 どこか憂鬱にその表情を曇らせ、ミザリィはシャドウの入り口へと向かって歩き出した。