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10名もなき山寺1

ー/ー




「はぁ…はぁ…と、到着……」
 
「山奥とは言われたが、このように深いとは思わなんだ」
「本当にその通り。ちょっと……ちょっとだけ休憩させてくれ」
 
「うむ。汗がひいてから参ろう」
「はぁ……そうしよう……」

 
 現時刻 ……多分、真夜中近く。俺は今、山奥の寺を目指してほとんど登山に近い距離と高低差を超えてきたところ。
 すぐそばにお寺の入り口である山門が見える。山門の茅葺屋根の上には苔が生えて、そこから山頂に向かって長く続く階段にも緑が完全に覆っている。
 
 足下にある参道の石畳は山の麓からここまでずっと敷かれていて、同じように苔むしていた。あまり参拝する人がいない印だとは思う。
 でも、登って来た山道には転々と街灯があって、山の木々は下刈りがされて枝葉が邪魔することもなかった。
 ここにいるのは一人の房主だけ、と伏見さんに聞いていたし……人気がないのに妙に手入れの行き届いた不思議な山だ。

 今日は珍しく神社ではなくお寺さんにお邪魔することになったんだが…任務じゃなく『修行と治療』が目的でここに訪れている。


 
 最近任務で荒事が続いて怪我が増え、俺は全身包帯だらけになり、ついに伏見さんの堪忍袋の緒が切れた。
 さらに、初任務時に颯人の血を飲んだことで神様中毒になっていると診断されたんだ。
 
 颯人の血を口の中にズボッとされた、八幡の藪知らずの任務から三ヶ月くらい経ってるのにさ。今更本気出してくるとか颯人の血ってどうなってんだ?
 力ある神様や妖怪の血肉は甘美で癖になる味らしく、この前カマイタチが言ってた『オイラを食うのか』って怯えてた意味がようやくわかった。

  
 超常達の血肉を一度口にしてしまうと甘いものを摂取したくなったり、精神が不安定になったり、酷いと神様を食べたくなってしまうらしい。
 
 俺の場合は甘いものばかりを食べてしまう中毒症状だ。何も考えないように仕事に集中していれば食べなくて済むから、パツパツに予定を入れていたせいで余計に怪我が多くなってしまった…と言うのも伏見さんには見抜かれていた。


 
「……少々、痩せたな」
「そんなにがっつり減ってはないと思うけどね。最近しょっぱいものが食べにくいのは中毒のせいだったんだなぁ」
 
「すまぬ。…過去に飲ませた者がおらぬ故、中毒と言うものを知らずにいた。甘いものばかりを欲しがるのは、疲れているのだと思っていた」
 
「俺も言われなきゃ気づかなかったよ。そんな顔すんなって」
「……すまぬ」

 

 岩に腰を下ろした俺の横に颯人がくっついてくる。眉を下げて、しょんぼり顔だ。最近こんな顔ばっかりさせている気がするな…。
 怪我してばっかりだし、甘いものばっかり食べてたし、心配させているんだとは思う。伏見さんも同じ顔をしていた。


『日々包帯で白くなっていく芦屋さんを見てるのは我慢なりませんので、回復の術が使える者を手配します。それまで結界の強化、術の回避を学んできてください。中毒もいっその事そこで治しましょう』

 と言われて、仕事上がりに車に乗せられて、お寺さんのある山の麓にポイっと捨てられてしまった。ちなみに到着まで目隠しをされていたので、どこの県にいるのか全然わからない。スマホも取り上げられてしまっている。


  
 俺自身は大した怪我じゃないと思ってたんだが、周りの反応を見ると認識の差があるらしい事はわかった。
ちょっと切れただけで包帯を巻かれるせいもあると思うんだが。途中から伏見さんが医者を指定して来て、そこにしか行けなくなったし…二日に一回連れて行かれてしまうから怪我を隠しようがない。
 
 大切にしてもらってるのはありがたいんだけどさ、戦闘員だから怪我はつきものだと思うんだけど。過保護すぎんか?


「おや?芦屋さんと颯人様でしょうか?」
「あっ!そ、そうです!」
 
「夜の点検に麓まで降りたのですが、すれ違いましたな。お待たせしてしまってすみません」 


 頭をつるっと丸めた袈裟服姿のお坊さんが暗闇からやって来る。足元は地下足袋を履いてるのか。良いな、それ。苔の上でも滑らなさそうだ。

「こちらこそ、突然お邪魔してすみません。雑用は何でもしますので、よろしくお願いします」
「はいはい、お怪我の具合を見てからそうしていただきますよ。お夕飯は食べましたか?」
 
「……あっ。忘れてた…」
「仕事終わりに攫われたような物だ、仕方あるまい」

「ほっほっ。伏見殿も相変わらずの様で。しからば本日の収穫でいただきましょうか。山菜をたくさん採ってきましたから」
 
「おぉ…山菜ですか…」
「まずは美味い飯、温かい風呂、そして良質な睡眠が必要です。参りましょう」



 お坊さんに手を差し伸べられ、その手を握って根っこが生えそうなお尻を持ち上げる。
 ……すごいぞ、この人はムキムキ筋肉の持ち主だ。袈裟に隠されている肉体はそこらじゅうがガッチリと盛り上がって、全体的にデカい。
ふと、彼の瞳がやけに白濁している事に気付いた。黒目の部分が灰色に見えるほど白くなっている。

  
「あの、もしかして……」
「えぇ、私は盲目です。生まれた時からこの様な姿でして。」 
「そう、でしたか」
 
「普段の生活では何も問題ありませんよ、ご心配なく。物理的に見えないと心理的なものはよく見えますから、この仕事には逆に助けになろうと言う物です」
「……はい」


 
 俺の手を手を握ったまま、彼は山門をくぐり、階段をスイスイ登っていく。真っ直ぐではなく、斜めに上がっていく独特な登り方を真似して歩くと、息が切れない。坂道もそんなに苦がない……凄いな、山登りを熟知してるんだ。

「あぁ、そこに蕨が生えてますね。明日のおひたしにしましょう。」
「えっ、見えてるんですか?」
 
「いいえ、私が見えているのは暗闇だけですよ。鼻がいいので食べられる物を匂いで嗅ぎ分けるんです」
「匂い…!?蕨って匂いがあるんですか?」

「嗅いでみればわかりますよ。あまりお勧めはしませんがね」
「……えっ?でも気になる…どれが蕨なんですか?」
「生えてるのは見たことがありませんか?これです」

 ポキッ、といい音がして摘んだばかりの一本の蕨を渡された。……蕨って、こんなに長いのか。腕の長さくらいあるヒョロリと伸びた茎、先端がくるんと丸まったそれを受け取って鼻に近づける。
 見た目や感触はアスパラみたいだけど……。

 

「……うっ」
「臭いでしょう。山菜はいい香りのするものはそう多くありません。蕨は根茎なので食用部分のこれは葉っぱなんですよ。
 わらびの新芽をサワラビ、ワラビナとも言います。生えてる数の半分ほど摘んでいきましょうかね」
 
「はい。…あくぬきするんですよね?」
「えぇ、蕨のあくぬきは簡単ですよ。芦屋さんはお料理されますか?」
「料理はできますが、流石に山菜は触ったことがありません」

「では教えて差し上げましょう。颯人様は大変お好みの様ですから」
「……颯人、生はダメだぞ。お腹壊すぞ」

 颯人がポキポキ収穫される蕨を見て、目を輝かせている。好きなのかな。ものすごい笑顔だ。


 
「生で食べても美味いものではないと知っている。我が落ち延びた時に口にしたが…えぐみが凄まじいのだ。」
「落ち延びたことがあるってどう言う事だよ。戦争でもしたのか?」
 
「ふふ…まぁ、そう言う事にしておこう。これは人の手が美味にするのだ。大変良い物だぞ」
「ふーん、そんなに好きなのか。俺もこんなに新鮮なのは初めてだしな…楽しみだ。」
「あぁ。そうだな」
 
「蕨は新鮮なものは格別ですよ。ご期待に添えると思います」

 三人の男がウキウキしながら夜の山の中で山菜を摘んでいる……ものすごい絵面になっていそうだ。
その後も山菜を見つけては寄り道をしつつ、山頂に向かって石階段を登っていく。


 
 ようやく辿り着いた先、ひらけた庭の奥に大きなお堂がでん、と建っている。四角い建物の上に乗っかった屋根は黒い瓦が敷いてあり、上部が急勾配、下部を緩い勾配にして反り返った形の伝統的な入母屋屋(いりもやね)根だ。
  
 雨が流れやすく、壁に雨水が当たらない様にこんな形なんだけど。下のお堂はその屋根に守られて腐っておらず、かなり古い造りみたいだ。
 典型的なお寺さんって感じだな……明るくなってからちゃんと見てみたい。
 
 お堂の脇を通り、そこにつながった別のお堂のドアから中に入る。
 入ってすぐに大きなステンレス製の流し台があって、飲食店でよく見る鋳物のガスコンロが置かれていた。
 土間作りで踏み固められたカチカチの土が床面で、壁にはフライパンやお鍋、お玉がかけられている。まな板が乗った大きな作業台もある。
でも、冷蔵庫が置いてない。ものすごく不思議な空間だ。お店を営んでいるみたいなキッチンだな……。

 

「山菜はそこのシンクにどさっと入れておいてください。洗って、夜のうちにあく抜きをしますので」
「あ、俺も手伝います」
 
「ありがたいですが、その格好では動きづらいでしょう。作務衣をお貸ししますから、先に着替えましょうか。」
 
「確かにスーツはちょっと困るな…お願いできますか?」
「はいはい、用意してありますから、中にどうぞ。ここからは靴を脱いでくださいね」
 

 颯人と二人でシンクに山菜達を置いて、土間のキッチンから板廊下に上がる。

 
 地下足袋の下に履いていた靴下を脱いで、裸足でペタペタと歩く房主さんはなんだかかわいらしい。
 廊下を進むと広間にたどり着き、畳の上に上がって、大きな仏壇の前を横切る。えっ、ここ本堂じゃないのか!?……まだお参りしてないんだが。
 若干気まずい気持ちを抱えながら宿坊の様な和室に到着した。


 12畳くらいの畳敷きのお部屋は、窓ガラスと障子で外から仕切られていて、月明かりが差し込んでいる。ほのあかりの中で、床の間にかけられた梵字の掛け軸、そこかしこにおいてある小さな仏像達が見えた。いかにもな雰囲気を醸し出しているな…お寺っぽい。


 
「すいませんな、こっちは電気を引いてないんですよ。蝋燭の灯りになりますが……」
「大丈夫だと思いますよ。月も出てますし、よく見えます」
「我は夜目が効く。心配せずとも良い」

「はいはい、じゃあ着替えたらさっきのキッチンへ来てください。結構お腹空いてますか?」
 
「はい、正直ぺこぺこです」
「我も腹が減ったな」
 
「では、たくさんご飯を炊いておきましょうね」
「すみません、よろしくお願いします」


 颯人と二人で頭を下げて、受け取った作務衣を手に取る。麻生地の作務衣はいかにも涼しそうだ。中に半袖を着込むんだな。


「颯人、下着の替えが一枚しかないんだが…大丈夫かな。着替えも何も持って来てないんだよ」
「術での浄化を我がしてやる。その程度なら造作もない」
「そっか、じゃあ後で頼むよ。着替えて晩御飯のお手伝いしよう。」
「あぁ」

 

 スーツを脱ぎつつ、なんだか変な事になってしまったな…と小首をかしげる。
山奥のお寺に遊びに来たみたいになってしまってるけどさ……大丈夫なのか?
 いつもの癖でポケットに手を突っ込んでも、手に触れたのは颯人がくれた神器だけ。……スマホがないから時間が全然わからん。

 とりあえず着替えて、ぺこぺこのお腹をどうにかしよう。

 
「颯人、できたか?」
「む…ここの紐をどこに結べば良いのか……」
「あー、はいはい。やってあげるからこっち来て」
 
「房主の口癖が移っているぞ」
「あはは。『はいはい』ってやつだろ?なんか、ほんわかするよな…あの人、好きだな」
「……む……」

 

 作務衣の合わせを紐で繋ぎ、裾を整えて二人でお揃いになった。
麻が空気を通してくれて、じめっとした感じの空気でも爽やかな着心地だ。


「すごい涼しいな、これ…作務衣、いいな。これなら楽チンだな、毎日着たい」
「……」
「あの房主さん…住職さんのもとで働いたら楽しそうだ。颯人?なんで眉間に皺よってんの?早く行こうぜー」
「…………応」

 颯人の不満顔をスルーしつつ、鼻歌を歌いながらキッチンに戻る。来た道しかわからんから、本堂の前を通るんだよな。ご挨拶しておこう。
 
 サラサラした畳の感触と、イグサの爽やかな香りを楽しみながら仏壇の前に佇み、合掌して頭を下げる。


 ――いきなりお邪魔してすみません。今日からお世話になります。また明日、きちんとご挨拶させてください。


「よし。…立派な仏壇だね。お寺さんだと内陣(ないじん)、って言うのが正式名称だったかな」
「そうだ。信仰対象の仏像を祀る場所が内陣(ないじん)、参拝の場を外陣(げじん)と言う。扉が閉じられているのだから朝に正式な挨拶をした方が良いだろう」
 
「わかった。颯人、ちゃんと一緒に手伝うんだぞ?」
「わかっている。山菜にありつけるのなら仕方あるまい」


 颯人がスタスタと歩き始めて、慌てて後を追う。本当に山菜が好きなんだな…。処理の仕方を教わって、地方に行ったら買えるし、常備菜にすれば喜ぶかもしれない。

 よし、気合い入れてお手伝いする事にしよう。
 俺は一人頷いて、キッチンに向かった。

 

  


 



 

 
 


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 現時刻 ……多分、真夜中近く。俺は今、山奥の寺を目指してほとんど登山に近い距離と高低差を超えてきたところ。
 すぐそばにお寺の入り口である山門が見える。山門の茅葺屋根の上には苔が生えて、そこから山頂に向かって長く続く階段にも緑が完全に覆っている。
 足下にある参道の石畳は山の麓からここまでずっと敷かれていて、同じように苔むしていた。あまり参拝する人がいない印だとは思う。
 でも、登って来た山道には転々と街灯があって、山の木々は下刈りがされて枝葉が邪魔することもなかった。
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 今日は珍しく神社ではなくお寺さんにお邪魔することになったんだが…任務じゃなく『修行と治療』が目的でここに訪れている。
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 さらに、初任務時に颯人の血を飲んだことで神様中毒になっていると診断されたんだ。
 颯人の血を口の中にズボッとされた、八幡の藪知らずの任務から三ヶ月くらい経ってるのにさ。今更本気出してくるとか颯人の血ってどうなってんだ?
 力ある神様や妖怪の血肉は甘美で癖になる味らしく、この前カマイタチが言ってた『オイラを食うのか』って怯えてた意味がようやくわかった。
 超常達の血肉を一度口にしてしまうと甘いものを摂取したくなったり、精神が不安定になったり、酷いと神様を食べたくなってしまうらしい。
 俺の場合は甘いものばかりを食べてしまう中毒症状だ。何も考えないように仕事に集中していれば食べなくて済むから、パツパツに予定を入れていたせいで余計に怪我が多くなってしまった…と言うのも伏見さんには見抜かれていた。
「……少々、痩せたな」
「そんなにがっつり減ってはないと思うけどね。最近しょっぱいものが食べにくいのは中毒のせいだったんだなぁ」
「すまぬ。…過去に飲ませた者がおらぬ故、中毒と言うものを知らずにいた。甘いものばかりを欲しがるのは、疲れているのだと思っていた」
「俺も言われなきゃ気づかなかったよ。そんな顔すんなって」
「……すまぬ」
 岩に腰を下ろした俺の横に颯人がくっついてくる。眉を下げて、しょんぼり顔だ。最近こんな顔ばっかりさせている気がするな…。
 怪我してばっかりだし、甘いものばっかり食べてたし、心配させているんだとは思う。伏見さんも同じ顔をしていた。
『日々包帯で白くなっていく芦屋さんを見てるのは我慢なりませんので、回復の術が使える者を手配します。それまで結界の強化、術の回避を学んできてください。中毒もいっその事そこで治しましょう』
 と言われて、仕事上がりに車に乗せられて、お寺さんのある山の麓にポイっと捨てられてしまった。ちなみに到着まで目隠しをされていたので、どこの県にいるのか全然わからない。スマホも取り上げられてしまっている。
 俺自身は大した怪我じゃないと思ってたんだが、周りの反応を見ると認識の差があるらしい事はわかった。
ちょっと切れただけで包帯を巻かれるせいもあると思うんだが。途中から伏見さんが医者を指定して来て、そこにしか行けなくなったし…二日に一回連れて行かれてしまうから怪我を隠しようがない。
 大切にしてもらってるのはありがたいんだけどさ、戦闘員だから怪我はつきものだと思うんだけど。過保護すぎんか?
「おや?芦屋さんと颯人様でしょうか?」
「あっ!そ、そうです!」
「夜の点検に麓まで降りたのですが、すれ違いましたな。お待たせしてしまってすみません」 
 頭をつるっと丸めた袈裟服姿のお坊さんが暗闇からやって来る。足元は地下足袋を履いてるのか。良いな、それ。苔の上でも滑らなさそうだ。
「こちらこそ、突然お邪魔してすみません。雑用は何でもしますので、よろしくお願いします」
「はいはい、お怪我の具合を見てからそうしていただきますよ。お夕飯は食べましたか?」
「……あっ。忘れてた…」
「仕事終わりに攫われたような物だ、仕方あるまい」
「ほっほっ。伏見殿も相変わらずの様で。しからば本日の収穫でいただきましょうか。山菜をたくさん採ってきましたから」
「おぉ…山菜ですか…」
「まずは美味い飯、温かい風呂、そして良質な睡眠が必要です。参りましょう」
 お坊さんに手を差し伸べられ、その手を握って根っこが生えそうなお尻を持ち上げる。
 ……すごいぞ、この人はムキムキ筋肉の持ち主だ。袈裟に隠されている肉体はそこらじゅうがガッチリと盛り上がって、全体的にデカい。
ふと、彼の瞳がやけに白濁している事に気付いた。黒目の部分が灰色に見えるほど白くなっている。
「あの、もしかして……」
「えぇ、私は盲目です。生まれた時からこの様な姿でして。」 
「そう、でしたか」
「普段の生活では何も問題ありませんよ、ご心配なく。物理的に見えないと心理的なものはよく見えますから、この仕事には逆に助けになろうと言う物です」
「……はい」
 俺の手を手を握ったまま、彼は山門をくぐり、階段をスイスイ登っていく。真っ直ぐではなく、斜めに上がっていく独特な登り方を真似して歩くと、息が切れない。坂道もそんなに苦がない……凄いな、山登りを熟知してるんだ。
「あぁ、そこに蕨が生えてますね。明日のおひたしにしましょう。」
「えっ、見えてるんですか?」
「いいえ、私が見えているのは暗闇だけですよ。鼻がいいので食べられる物を匂いで嗅ぎ分けるんです」
「匂い…!?蕨って匂いがあるんですか?」
「嗅いでみればわかりますよ。あまりお勧めはしませんがね」
「……えっ?でも気になる…どれが蕨なんですか?」
「生えてるのは見たことがありませんか?これです」
 ポキッ、といい音がして摘んだばかりの一本の蕨を渡された。……蕨って、こんなに長いのか。腕の長さくらいあるヒョロリと伸びた茎、先端がくるんと丸まったそれを受け取って鼻に近づける。
 見た目や感触はアスパラみたいだけど……。
「……うっ」
「臭いでしょう。山菜はいい香りのするものはそう多くありません。蕨は根茎なので食用部分のこれは葉っぱなんですよ。
 わらびの新芽をサワラビ、ワラビナとも言います。生えてる数の半分ほど摘んでいきましょうかね」
「はい。…あくぬきするんですよね?」
「えぇ、蕨のあくぬきは簡単ですよ。芦屋さんはお料理されますか?」
「料理はできますが、流石に山菜は触ったことがありません」
「では教えて差し上げましょう。颯人様は大変お好みの様ですから」
「……颯人、生はダメだぞ。お腹壊すぞ」
 颯人がポキポキ収穫される蕨を見て、目を輝かせている。好きなのかな。ものすごい笑顔だ。
「生で食べても美味いものではないと知っている。我が落ち延びた時に口にしたが…えぐみが凄まじいのだ。」
「落ち延びたことがあるってどう言う事だよ。戦争でもしたのか?」
「ふふ…まぁ、そう言う事にしておこう。これは人の手が美味にするのだ。大変良い物だぞ」
「ふーん、そんなに好きなのか。俺もこんなに新鮮なのは初めてだしな…楽しみだ。」
「あぁ。そうだな」
「蕨は新鮮なものは格別ですよ。ご期待に添えると思います」
 三人の男がウキウキしながら夜の山の中で山菜を摘んでいる……ものすごい絵面になっていそうだ。
その後も山菜を見つけては寄り道をしつつ、山頂に向かって石階段を登っていく。
 ようやく辿り着いた先、ひらけた庭の奥に大きなお堂がでん、と建っている。四角い建物の上に乗っかった屋根は黒い瓦が敷いてあり、上部が急勾配、下部を緩い勾配にして反り返った形の伝統的な|入母屋屋《いりもやね》根だ。
 雨が流れやすく、壁に雨水が当たらない様にこんな形なんだけど。下のお堂はその屋根に守られて腐っておらず、かなり古い造りみたいだ。
 典型的なお寺さんって感じだな……明るくなってからちゃんと見てみたい。
 お堂の脇を通り、そこにつながった別のお堂のドアから中に入る。
 入ってすぐに大きなステンレス製の流し台があって、飲食店でよく見る鋳物のガスコンロが置かれていた。
 土間作りで踏み固められたカチカチの土が床面で、壁にはフライパンやお鍋、お玉がかけられている。まな板が乗った大きな作業台もある。
でも、冷蔵庫が置いてない。ものすごく不思議な空間だ。お店を営んでいるみたいなキッチンだな……。
「山菜はそこのシンクにどさっと入れておいてください。洗って、夜のうちにあく抜きをしますので」
「あ、俺も手伝います」
「ありがたいですが、その格好では動きづらいでしょう。作務衣をお貸ししますから、先に着替えましょうか。」
「確かにスーツはちょっと困るな…お願いできますか?」
「はいはい、用意してありますから、中にどうぞ。ここからは靴を脱いでくださいね」
 颯人と二人でシンクに山菜達を置いて、土間のキッチンから板廊下に上がる。
 地下足袋の下に履いていた靴下を脱いで、裸足でペタペタと歩く房主さんはなんだかかわいらしい。
 廊下を進むと広間にたどり着き、畳の上に上がって、大きな仏壇の前を横切る。えっ、ここ本堂じゃないのか!?……まだお参りしてないんだが。
 若干気まずい気持ちを抱えながら宿坊の様な和室に到着した。
 12畳くらいの畳敷きのお部屋は、窓ガラスと障子で外から仕切られていて、月明かりが差し込んでいる。ほのあかりの中で、床の間にかけられた梵字の掛け軸、そこかしこにおいてある小さな仏像達が見えた。いかにもな雰囲気を醸し出しているな…お寺っぽい。
「すいませんな、こっちは電気を引いてないんですよ。蝋燭の灯りになりますが……」
「大丈夫だと思いますよ。月も出てますし、よく見えます」
「我は夜目が効く。心配せずとも良い」
「はいはい、じゃあ着替えたらさっきのキッチンへ来てください。結構お腹空いてますか?」
「はい、正直ぺこぺこです」
「我も腹が減ったな」
「では、たくさんご飯を炊いておきましょうね」
「すみません、よろしくお願いします」
 颯人と二人で頭を下げて、受け取った作務衣を手に取る。麻生地の作務衣はいかにも涼しそうだ。中に半袖を着込むんだな。
「颯人、下着の替えが一枚しかないんだが…大丈夫かな。着替えも何も持って来てないんだよ」
「術での浄化を我がしてやる。その程度なら造作もない」
「そっか、じゃあ後で頼むよ。着替えて晩御飯のお手伝いしよう。」
「あぁ」
 スーツを脱ぎつつ、なんだか変な事になってしまったな…と小首をかしげる。
山奥のお寺に遊びに来たみたいになってしまってるけどさ……大丈夫なのか?
 いつもの癖でポケットに手を突っ込んでも、手に触れたのは颯人がくれた神器だけ。……スマホがないから時間が全然わからん。
 とりあえず着替えて、ぺこぺこのお腹をどうにかしよう。
「颯人、できたか?」
「む…ここの紐をどこに結べば良いのか……」
「あー、はいはい。やってあげるからこっち来て」
「房主の口癖が移っているぞ」
「あはは。『はいはい』ってやつだろ?なんか、ほんわかするよな…あの人、好きだな」
「……む……」
 作務衣の合わせを紐で繋ぎ、裾を整えて二人でお揃いになった。
麻が空気を通してくれて、じめっとした感じの空気でも爽やかな着心地だ。
「すごい涼しいな、これ…作務衣、いいな。これなら楽チンだな、毎日着たい」
「……」
「あの房主さん…住職さんのもとで働いたら楽しそうだ。颯人?なんで眉間に皺よってんの?早く行こうぜー」
「…………応」
 颯人の不満顔をスルーしつつ、鼻歌を歌いながらキッチンに戻る。来た道しかわからんから、本堂の前を通るんだよな。ご挨拶しておこう。
 サラサラした畳の感触と、イグサの爽やかな香りを楽しみながら仏壇の前に佇み、合掌して頭を下げる。
 ――いきなりお邪魔してすみません。今日からお世話になります。また明日、きちんとご挨拶させてください。
「よし。…立派な仏壇だね。お寺さんだと|内陣《ないじん》、って言うのが正式名称だったかな」
「そうだ。信仰対象の仏像を祀る場所が|内陣《ないじん》、参拝の場を|外陣《げじん》と言う。扉が閉じられているのだから朝に正式な挨拶をした方が良いだろう」
「わかった。颯人、ちゃんと一緒に手伝うんだぞ?」
「わかっている。山菜にありつけるのなら仕方あるまい」
 颯人がスタスタと歩き始めて、慌てて後を追う。本当に山菜が好きなんだな…。処理の仕方を教わって、地方に行ったら買えるし、常備菜にすれば喜ぶかもしれない。
 よし、気合い入れてお手伝いする事にしよう。
 俺は一人頷いて、キッチンに向かった。