現時刻 8:30。
昨日の晩遅くまでDVDを見て、眠い目をこすりつつ役所に出勤した所だ。颯人…電車でめちゃくちゃ目立って目線の嵐で凄かったな…すでに疲労感が漂ってしまうのは仕方ないと思う。
「ほー?『あずかり』が伏見?エリートか」
「エリート…ではないと思いますよ。俺、陰陽師の血筋じゃないと思いますし」
「何だ、苗字違いか」
目の前のデスクでタバコを吹かしているのは俺の教育担当役である、|鬼一《きいち》さん。平安時代の|鬼一法眼《きいちほうげん》という陰陽師の末裔らしい。昨日の伏見さんと同じ事言ってるぞ。
鬼一法眼は|源義経《みなもとのよしつね》に剣を教えた兵法家でもあったらしいが…。うーん。
「こやつ、|禊《みそぎ》をしておらぬな。ばっちい」
「禊…風呂か?」
「それでもよいが。|穢《けが》れは忌むべきもの。あまり近づくな、移る」
颯人が眉を顰めて俺の背後に収まる。
確かにばっちい姿だとは思うよ。鬼一さんは無精髭を生やして髪の毛がボサボサ、タバコの匂いが服に染み付いていて動くたびにちょっと臭う。
高給取りなのに身だしなみを気遣えないほど忙しいのかな。
周囲の人たちで真新しいスーツに身を包んでいるのは俺だけのようだ。
「|蘆屋道満《あしやどうまん》の子孫か、ってんで昨日は色めき立ってたんだぜ?モサイ面してるが霊力の色がいい」
「そうですか」
「真幸はその調子じゃ恋人もいないだろ」
「そうですね」
事務的に答えていると、ふん、と鼻で笑われる。
やはり先行き不安だなぁ…。昨日から自分の見た目を指摘されまくって嫌な気持ちになってしまう。
国家公務員になった事だし、おしゃれでもするべきか?仕事を覚える方が先だよな…どう考えても。
マニュアルのDVDで霊力とは精神力、命です!とか言ってた。俺の色が良いって言うのはどうなんだろうな。メンタルは確かに強いかもしれん。
昨日感じた居心地の悪さはなくなった。蘆屋道満の孫じゃないと言ったら視線が途絶えた。俺みたいな一般人が|安倍晴明《あべのせいめい》のライバルである有名な陰陽師の子孫なわけないでしょっ。
「とりあえず一本吸っとけよ。今日は|荒神《あらがみ》相手だ。真幸の武器は?」
「はい、あー武器…」
「俺は刀。名もないナマクラだが霊力を流して切るんだ」
ふーん、と頷きながら自分の胸ポケットからタバコを取り出して火をつけ、吐き出す。仕事中に吸うのは初めてだな。
鬼一さんが刀を取り出して、手渡してくる。すごく…重たいな。でもかっこいい。日本刀かぁ…思っていたよりも長い刃に驚いてしまう。
「かっこいいですね、ご先祖様と同じで|剣豪《けんごう》ですか」
「おっ?勉強して来たのか。なかなかいい心構えだな。俺は刑事崩れなんだよ。剣道は強かったがな。…で、神に何を下された?」
「………」
俺は微妙な気持ちになりながら、ショルダーバッグから武器を取り出す。
「|神楽鈴《かぐらすず》…|鈴矛《すずほこ》に|檜扇《ひおうぎ》?お前巫女か?|神楽舞《かぐらまい》でもするのか?」
「できません。渡されたのがこれで」
「…マジか。お前の神さん見た目はいいが…大丈夫か?」
「わかりません」
デスクの上に転がる巫女舞の道具たち。……俺は男なんだよ。何度も言うけどさ。巫女さんにはなれないんだ。
キラキラ光を弾く俺の武器?は鬼一さんの刀と比べると武器と言っていいのかわからない。
神楽鈴は神下ろしをした人達が鳴らしてた、鈴をたくさんつけた棒。
鈴矛は短剣の柄に鈴がついたもの、檜扇は木で出来た大きめの扇だ。飾りに紐と、鈴がついてて新体操のリボンみたいな動きもするらしい。
これらは神様に舞を奉納する巫女さんの道具で、見た目で武器らしいのは鈴矛くらい。鈴自体にお祓いをする力があって、しつこいくらいに鈴だらけなのはその効果を狙っているらしい。
渡して来た当の本人は、まだ着物の袖で鼻を押さえて顔を逸らしてる。大分あからさまに嫌がってる感じだな。
「まぁ…いいか。現場に行きゃ使い方がわかるだろう。結界は知ってるか?」
「祝詞はまだ無理ですが、昨日DVDで見た奴なら。|九字切《くじき》りでしたっけ」
「あぁ、それが出来りゃ大丈夫か…荒神とはいえ今日のは堕ちかけてる奴だからな。対峙前にやればいいだろう。
明日までに|真言《しんごん》は無理でもひふみ祝詞くらいは|謳《うた》えるようになっておけ。俺たちの身を守るのはそれしかないんだ」
「|真言《しんごん》?とか|祝詞《のりと》が結界になるんですか?」
鬼一さんが太い眉を顰めて、怪訝な目つきになる。俺だって必死で調べたけど、まだよく分かってはない。祝詞は神主さんがお祓いの時に言う文言らしいけど、真言ってなんだ?
「真幸…本当に陰陽師の何もかもを知らんのか」
「はい」
「わかった。祝詞はその場を|潔《きよ》め払う効果があるから結界にもなる。術のブーストにもなるしな。他は見て学べ。質問してくれりゃ返事はできる」
「…はい」
ちょっと叫びたい。伏見さん!!!『一から教えてくれるって教育係さん』をつける話はどこに行きましたか!!!
煙と共に深いため息を吐き出し、頭痛がしてくる。もっときちんと自分で色々調べよう。流石にこれは危険な状態だ。
公務員ってみんなこうなの?裏公務員もそうなの?がっくし…。
「我が指南する。お前はこいつに近づくな」
「はぁ…(よろしく頼む)」
心の中で手を合わせて颯人に頭を下げる。顰め面から笑顔になった颯人がこくり、と頷いた。
━━━━━━
「雑魚ばかりだな。荒神の気配はないし…ハズレだこりゃ」
「そうですか…」
「初心者にはいい練習になるだろ。良かったな」
「はい」
都内から電車に乗り、八幡の藪知らずまでやって来た。
ここは千葉県市川市にある『禁足地』と呼ばれる場所だ。迷い込むと出られなくなるという伝説があるらしい。
現時刻、10:00。
白い鳥居を潜って竹藪の中をうろうろしているが黒いモヤしかいない。
鬼一さんが刀で黒モヤをバサバサ切る傍ら、俺はお浄めスプレーをシュッシュっと振り撒く。
「それいいな。通販で買えるのか?」
「鬼一さんは必要ないですよ…俺は一般人なんで買って持ってるだけです。通販で買えますよ」
「視えるんだからそうなるよなぁ…武器を使ってみたらどうだ?」
「ど、どれをですか?」
「それ。一匹捕まえといてやるから」
黒モヤを一匹掴み、ジャケットのポケットに突っ込んだ檜扇を指さされる。
…どう使うんだよっ!
「檜扇は開いて|扇《あお》げばよい。風になったお前の霊力が悪きものを|祓《はら》うのだ」
「ほー、成程…」
檜扇を持った俺の手に重ね、颯人がふんわりと力を入れる。手首を使ってふわふわと風を送ると木の香りが広がり、扇の先についた鈴がチリチリ音を響かせる。おぉ、良いにおーい。
ふわふわの風が黒モヤに届いた瞬間、それが弾け飛んだ。周りのモヤも一気に消えてる。…えっ、強っ。
「神が直接指南するとは初めて見たな…いい武器じゃないか」
「はぁ…そうみたいですね。神様は直接指南しないものなんですか?」
「あぁ。と言うかだ。真幸…お前霊力どうなってんだ?神を|顕現《けんげん》させたままだろ、いつからだ?」
「けん…え?昨日からずっと一緒にいますけど」
鬼一さんがそばにある岩に腰掛け、タバコを吹かしだす。
私有地でそれはどうなんだー。鳥居の中だよなここ。携帯灰皿を取り出して、彼に手渡した。
「お前…真面目だな。本来神が下りた時から顕現してないのが通常だ。常に出しっぱなしだと相手に手札がバレるしな。
顕現ってのは神が姿を表すこと。
神の顕現には陰陽師の霊力を使うんだ。そんな長時間できてる奴なんか見たことが無い。常人には見えんが、普通はしまって置かなきゃ依代がくたばっちまう。」
「えぇ…どういう事ですか」
「お前の霊力が強いのか、もしくは規格外の神が降りたか。そのどちらもか、だ。伏見がつくわけだな」
「伏見さんがつくとエリートっていうのは?」
「伏見は代々神職の家系だ。それこそ平安時代よりもっと前から、ずっと神の近くに仕えていたからな。『あずかり』なんてやってるが、あいつが出張ったら大体どうにかなる。担当はうちのエースだけだったんだぜ」
「エース?」
「安倍晴明の子孫がいる。サラブレッドって奴だ。俺達とはスタートラインが違う本物のエリートだ」
「それをいうなら鬼一さんもでしょう?」
「俺は…霊力が少ない。一族の中でもミソッカスだよ。降りた神も|夜刀神《やとのかみ》の末端だ。大した神じゃ無い」
なんかすまんけど、鬼一さんの事あんまり好きじゃ無いかも。
仮にも神様が神力を分けてくれる人として選ばれた陰陽師なのに。
バディを大した神じゃ無い、っていうのは…いやだ。
「この部署はな、いかに甘い蜜を吸って生き残るかなんだ。」
「甘い蜜?」
タバコを地面に落とし、足で踏みつけ、鬼一さんの顔がくしゃりと歪む。
「俺みたいなミソッカスは、すぐに死ぬ。小さい案件を毎月決まった数だけやってりゃ金はもらえる。
命をかけるなんて馬鹿な事しないんだよ。頭使って生き残れ、真幸」
「…………」
「一通り下級霊を祓ったらスマホでメッセージくれや。俺ぁパチンコでもやって時間潰してくるからよ」
「…………はい」
じゃあな、と片手をあげて去っていってしまう、俺の教育役である彼。
国家公務員で高い給料を貰ってるのに、こういう人も存在するんだな。
地面に落ちたタバコを拾い、使われなかった携帯灰皿に押し込む。
颯人と同じように『死ぬな』と言ってくれているのに、心の中に残っているのはもやもやした気持ちだけだ。
「気分が悪い。お前とは志が違うようだ」
「そう、だな。でもまだ…決めつけるには早いんじゃないか?さっき出会ったばかりだし、そう振る舞う何かあったのかもしれない。
悪様に言うのはやめよう。俺は同じところに堕ちたくない」
「うむ…其方の心がけは大変よろしい」
颯人の浮かべた優しい笑顔があったかい。
俺の冷えた心を温めて、励ましてくれているような気がした。
━━━━━━
「ふー。こんなもんかなー」
「下級霊は全て消えたな。さて、本番といこう」
「はい?」
現時刻、11:30。藪の中にいる黒モヤ…下級霊っていうんだな。それらを祓いまくって1時間半。朝なのに薄暗かった竹林は日の光が満ちて、爽やかな風が吹き渡る。
明るい光が地面までしっかり木漏れ日を落として、来た時とは別の場所みたいになった。
空気も清浄、素晴らしい。お祓いってお掃除みたいだな。ハハっ。
「現実逃避は終わったか?」
「うー…本番って、何?」
「荒神がいる筈だろう?何か隠れている」
わぁ、そうなんだ!スゴイ!
もっと早く言えよ!鬼一さんがいる時に!!!鬼一さんは何で気配がないとか言ってたの!!
「いやー、それはそのー、俺初心者だし。鬼一さん呼んだほうがいいんじゃないのかなー」
「あれは嫌いだ。ばっちい。我らで手柄を立てて歩合とやらを頂こうではないか」
「あー、成程ねー」
「昨晩|閨《ねや》でそう言っておったろう」
「閨とか言うなよ。いかがわしい響きだろ」
「ふん、いかがわしくはない。ばでぃの同衾だからな。神力の補充にも役立つのだ。必要なものをして何が悪いのだ?」
「うーーーん」
「成功報酬の歩合で酒を飲ませるというのは嘘か」
「嘘はつきたくないけどさ。先々の話だと思ってたんだ。先輩の仕事を取ったらまずい気がするんだが」
「何故だ。どちらにしても彼奴には無理だぞ。小さき者でも神は神であるし、妖怪だとしてもこの気配…あれは夜刀神種族の中でも末神だ。刃が立たぬ」
「そんな…強いのがいるのか?」
「らんく的にはまぁまぁだ。名のある神や妖怪はそうなりえる。半堕ちだから説得ができるやもしれぬな」
「説得か…わかった」
ため息をつきつつ、鈴矛を持って手首を返す。
シャン!と音を立てたそれを刀に見立て、鞘から引き抜く仕草と共に五芒星を描き、それを納める。DVDで見た通りやっただけだけど、効果があるのかな。
しん、と静まった竹林の中。風の音ひとつしなくなってしまう。なーんで無音になるの…怖い。
「見事な結界だ。其方は才能があるぞ」
「そうか?そりゃ良かったよ。さて、神様どこですかー」
「あちらだ。奥の|社《やしろ》にいる」
「何でそれ早く言わないんだよ!最初から知ってたのか?」
「入った時には分かっていたが、我は歩合が欲しい。酒を飲まねばならん」
「そんなにか…酒好きなんだな」
サクサクと落ち葉を踏みながら歩き、奥にある社を目指す。
おっほー。こりゃスゴイなーーー!!さっきまでの明るい日差しが一気に暗転して、真っ暗闇になった。
時計を見ても朝なんだけど、何故ですか。風音も途絶えたままだし!さらに冷たい小雨まで降り出した。
ていうか初体験の任務がなんでソロ攻略なの?おかしくない???
「なぁ、やっぱ鬼一さん呼んだほうが」
真っ暗闇に不安になって颯人に振り返ると、指先で唇を摘まれる。
(口を開くな。|瘴気《しょうき》を吸うぞ)
(えぇ…先に言ってよ。吸うとどうなる?)
(肺が侵されて死ぬ。先ほど結界を張っただろう?浅く呼吸するのだ。
鼻から吸って口から吐けばよい。陰陽師の基本だ。死気が生気に転ずる。ばふ効果という物だな)
(マジでそういうの先に言って)
(もう覚えただろう?荒神ではないな、妖怪のようだ)
妖怪????マジ?ちょっと興味があるんですが……お友達になれないかな。
そろりそろりと歩を進めると急にひらけた場所に出た。
「くすん、くすん」
幼児特有の甘い声が聞こえる。小さな女の子が膝を抱えて、丸まっているのが見えた。さっきまで居なかった子が突然現れたんですけどー。
(あまり近づくな。あれが本体だ。我らも隠されたな)
(えっ!?どう見ても子供なんだが…隠された??)
颯人が背後を振り返り、その視線を追う。もと来た道がなくなり、竹藪に四方を囲まれていた。
暗闇の雨中で、女の子に青い光が点る。
「お兄ちゃん、だあれ?」
ハッとして振り向き、女の子をじっと見つめてしまう。
お兄ちゃん!!俺、まだ二十代だからね!!モサイとかしょっぱいとか初見で言わないとはいい子だな!!
(お前、心の声がうるさいぞ)
(やかましい!ほっとけ!)
「お兄ちゃん…お耳が聞こえないの?」
不思議そうな顔をして、少女がとてとてと近づいてくる。
足元をがっしり両手で掴まれて、そこから|怖気《おぞけ》が走る。鳥肌が立ち、頭のてっぺんまで不快感がゾクゾク突き抜けた。
「聞こえてるでしょ、お話ししてよ!私迷子なの。怖かったの。お名前教えて?」
(話すな。扇を)
「…………」
「お兄ちゃん…どうして何も言ってくれないの?わたし…わたし…」
(おい、早う扇を使え)
(でも、泣いてる。こんなに小さい子が……)
(それが|此奴《こやつ》のやり方だ。神隠しで逃げ道を断ち、人を攫うのに真名を知るか声を聞けば命が縛られる。そして人の油を搾り取るのだ。隠し神だな)
(妖怪じゃないのか?神様なの?)
「妖怪の名が隠し神というのだ!」
「ややこしい名前だな…しまった」
「お゛…に゛ぃ゙…ぢゃ゙あ゙あ゙ぁ゙ん゙…」
足元に縋りついた女の子の顔色が真っ白に変わり、目の周りが窪んで暗くなる。
白い目の中に真っ黒な瞳孔がどこまでも広がり、黒眼に変わった。
俺の体が石のようになって動かない。
「|隔世《かくりよ》の術だ。魂の縛りが生まれるぞ…我も動かぬ…」
「えー。神様なのに…そんな事あるのか?しかも俺のせいじゃないじゃん」
「お前!そんな呑気にしてる場合ではない!扇を!」
「うーん、動かん。しゃーなし」
「くっ…我が術を使えばここが四散する!社を残さねば護りの要がなくなるのだ!」
颯人が俺の横で固まって動けないまま、眉を顰めて若干焦りの気配が見える。
こりゃ仕方ないな。鼻から息を吸い、口を開く。
「ねぇ、君何歳?可愛いね」
「…あ゛?」
「見た感じ4歳…5歳くらいか?こんな夜中に女の子一人じゃ危ないだろ?お家まで一緒に送って行こうか?
レディなんだからダメだよ、こんな所に一人でいたら。」
「…………カエラナイ」
「どうして?なんか嫌な事あったのか?」
「……」
呆然とした表情で、少女が目を合わせて来る。
真っ黒な瞳の周りの皮膚は赤く腫れている。流れる涙が赤黒い。痛そうだな…。
「アタシノコト、コワクナイノ?」
「ちょっと怖いけど、泣いてる女の子をほっとけないだろ?帰りたくないなら、俺とお話ししよっか」
「オハ、ナシ…」
「そうそう。ガールズトーク?」
「オニイチャン、オトコデショ」
「いいだろ、しょっぱい男で悪いけど我慢してくれよ」
ふと、体にかかっていた重力が途切れた。手をグーパーしてみると、ビリビリした痺れが手先から広がって来る。瘴気を吸うとこうなるのか…ちょっとだけなのにこれなら確かに危険なものだろう。
雨で濡れた髪が目に入って邪魔くさい。片手でかきあげて撫で付けると雫がポタポタ落ちて来た。
前髪がなくなっただけでも良く見えるんだな、もっと早くこうしていればよかった。目の前の子の視線に合わせてしゃがみ、ふくふくのお顔に触れる。もちもちほっぺは雨に濡れて冷たくなっていた。
「オ話し、スる」
「よかった、嬉しいな。一人で寂しかっただろ。何があったんだ?」
胡座をかいて座り、女の子の頭を撫でる。
黒髪の間からうぞうぞと白い虫が湧いて、溢れて来た。
それを払ってやって、もう一度撫でると可愛い声が「ふふっ」と小さく聞こえた。
ハンカチで赤黒い涙を拭う。女の子の目がギュルっと音を立てて、艶々の目にもどる。
ぱっつん前髪、おかっぱで目がくりくりしてる可愛い女の子だ。冷たかったほっぺがピンク色に染まり、笑顔が浮かぶ。
「あのね、お母ちゃんが病気なの」
「そうなのか…今どうしてる?」
「おうちで寝てる。人から油をとって売ればお金になる。それで薬を買う」
「あぁ、だから神隠ししてたのか?」
「うん…」
颯人からも縛りが解けたのか、背中に温もりを感じた。
(吸った瘴気は我が引き受けよう。お前には害がある。あまり吸わぬようにな)
(ありがと、颯人)
思わず口が緩んでしまう。俺がやる事に何も言わず、見守ってくれる颯人の優しさが体温と一緒に染み込んできて心地いい。
小さな手が俺の両手を引っ張り、もちもちほっぺに導かれる。親指でそれを撫でるとくすぐったそうに身を捩り、目をつぶった女の子がため息を落とした。
甘えん坊さんだな、ほっぺ触られるのが好きなのか。お母さんがこうして女の子を可愛がっていた事がわかる仕草だ。
「油っていくらになるんだ?どのくらいの人間がいれば薬が買える?」
「足りないの。まだ…あと百人くらい」
「そんなにかぁ…俺も今手持ちがないんだ。油以外で何か金になるものはないのか?薬は何が効くんだ?」
「本当は、黄色くて小さいお花の草が一番良いの」
「薬草かな。ちょっと待ってな」
スマホをタップして、ゴーグル先生を呼び出す。黄色い花、薬草…と。
ふんふん。
「なぁ、これ見えるか?この草かな?」
ゴーグル先生の検索に引っかかった『クサノオウ』と言う植物の画像を見せるとクリクリした目が見開かれ、輝き出した。
「これ!!」
「そうか。お母さんは皮膚に何かできたのか?イボとか?湿疹…てわかるかな」
「赤い点々で皮が剥けてカサカサしてる」
「|疥癬《かいせん》かな…お母さん、お仕事何してるんだ?」
「男の人と寝る仕事」
「ふむふむ…赤い点々の中にぷっくりふくれたのはあったか?じゅくじゅくしてないか?」
スマホで赤い湿疹を調べると梅毒が出て来る。見分けられるのは湿性かどうかだ。
「ううん、ない」
「よし!それなら効くな。探そう!!」
「ホント!?母ちゃん治る??」
「あぁ、きっとな。」
(お前の言うとおり、梅毒ではない。ヒゼンダニによる疥癬だ。クサノオウの汁で治るだろう。神ならば正しい使い方を知っている)
(それは良かった。さてな、真冬だけど薬草が生えてるかな)
(生えているだろう。日本は今気候がおかしいからな)
(不幸中の幸いってか?)
「お嬢さん、そこに座って待っててくれるかな?薬草を探さないと」
「…どこも行かない?」
「あぁ。ちゃんと探して来るから。約束するよ」
「わかった!」
社の前に、ストンと座った子を笑顔で見つめてその辺の草むらをかき分ける。
クサノオウ…クサノオウ…うーん。
「クサノオウさん、どこですかー」
「…呼んで出れば苦労はなかろう」
「あれ?瘴気は無くなったのか?」
「あぁ、引っ込めたようだ」
「そりゃいい事だ。さてさて、クサノオウ〜クサノオウ〜♪」
呟きながら探していると、真っ暗だった空が明るくなって雨が止む。
座ったままの女の子がくすくす笑い声を立てて喜んでる。
「んふ、笑われちまった」
「齢28の男が、草の名を呼びながら這いつくばっているからな。おかしかろう」
「うっせ。歳バラすなし。ちゃんと探してくれよな」
「わかっている」
ガサガサ地面を這いながら、クサノオウを呼び続けて探した。