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第3幕・Empowerment(エンパワーメント)の章〜①〜

ー/ー



6月5日(月)
 
 奈緒美(なおみ)さんと、試合観戦後にカラオケで盛り上がり、別れ際にお互いを名前で呼び合ったりしたことで、僕の脳の中の「扁桃体」と「大脳皮質」は活性化され、情愛を司るそのスイッチは、完全にONの状態になってしまった。

 この2つの部位は、人間の()()()()というモノに深く関わっているらしい、ということを大学の講義で聞いたことがある(専攻科目ではない一般教養の中の講師の雑談だったので、講義名は忘れた)。

 扁桃体は、人間を含む高等脊椎動物の側頭葉内側の奥に存在する、アーモンド(扁桃)形の神経細胞の集まりで、感情の中枢といわれているそうだ。咄嗟の判断を下すときにはたらいて、人類の脳に古くから備わっている部位らしい。

 一方、大脳皮質は、大脳皮質は大脳の表層を覆うシワシワの部分で、前頭葉、頭頂葉、側頭葉などと呼ばれる部位の総称で、ゆっくりと詳細に物事を観察し、合理的に思考する。

 たとえば、道端に落ちているロープを目にしたときに、

 「これはなんだ?(もしかするとヘビかも?)」

と、危険を察知して反射的に体が動くのは扁桃体のはたらき。そのあと、

「なんだ、ただのヒモか」

と、情報処理を行って、適切に行動に移すための準備をするのが、大脳皮質のはたらきだそうだ。

 この2つの部位は双方向に情報をやりとりをしていて、たとえば、相手に一目惚れをした場合は、

「この人は、自分にとって重要な人かも!」

と、まず扁桃体が情報をキャッチして、大脳皮質が、のちのちその理由を考察して恋が進む。
 逆に、時間をかけて友達から恋人になる場合、大脳皮質が、

「ふ〜ん……この人はこんなとき、こんなふうに振る舞うんだ」

とジャッジしていた情報に、あるとき突然、

「それってすごく良いかも……」

と、扁桃体が反応し、感情的に恋に落ちる。「一目惚れ」と「時間をかけて認識する感情」、どちらの場合も、この2つの部位が、密接に関わっていることがわかっているそうだ。

 奈緒美さんの言葉や仕草の一つ一つに、過敏に反応してしまう今の自分は、恋愛感情というモノにとらわれてしまっているのは、間違いない。
 
 初対面の……いや、実際に対面する前から、残してもらった引き継ぎ資料などで、彼女のことを頼りになる人だと感じてはいたけれど――――――。

 お酒を飲んで楽しそうにマイクを握る姿や、嬉しそうにパンケーキをほお張る様子、夢中になって球場弁当を買いすぎてしまう、ちょっと、放っておけないところまで、四つ歳上(としうえ)の彼女のことを可愛らしく感じている自分に気づいた。

 それだけに、別れ際

「今度は、私の部屋に遊びに来てくださいね、()()()()()

と、耳元に顔を寄せてささやき、ニコリと微笑んでくれた奈緒美さんの表情を思い出しては、ほおが緩んでしまうのを我慢できない。

 誰の目にも明らかに深い仲だと感じられる、()()()()()()()があったわけではないので、サヨナラヒットを打ったヒーローとまでは言えないけど……。
 僕は、いまの状況を、ノーアウトで勝ち越しのチャンスを切り拓く二塁打を放った打者になったくらいの気分でいた。

 一球で得点が入るホームランも良いけど、得点圏にランナーを置いて、我がチームのチャンステーマである『チャンス襲来』の手拍子を聞きながら、歓喜に湧く機会を待つのは、もっと楽しい。

 高揚した気分のまま、雨天中止の影響で月曜日の夜に開催となったマリーンズとの3戦目をテレビ観戦しつつ、この日の僕は、三者通話で、ヒサシとユタカとの会話を楽しんでいた。

 朗らかな僕の表情と声色は、学生時代からの友人たちにも、十分に伝わっているようだ。

「月曜日なのに、エラくゴキゲンだな、コタロー。 週末になにか、良いことでもあったのか?」

 そうたずねるヒサシに続いて、もう一人の友人が、勝手に心理分析を始める。

「そんなの理由は決まってるじゃん! 阪神が好調だからだろう? 関西が、どれだけ盛り上がってるかは知らないけど、全国ニュースでも、スポーツコーナー『阪神好調の要因』みたいな特集を放送してるしね……どうせ、秋には失速するのに……」

 普段なら、ユタカの余計な一言に、少しだけムッとしているところだけど、三連敗すらしない安定した戦いぶりの我がチームの好調さと、順調に思える奈緒美さんとの関係性が、僕の心を寛容にさせる。

「まあ、阪神のチーム状態が良いのは確かだから、いまのこの状況をできるだけ楽しませてもらおうかと思ってね。あと、ヒサシには、あの時、奈緒美さんを誘うようにアドバイスをくれた御礼を言っとかないと! ホンマ、ありがとう」

 僕が、そう話すと、ヒサシは、いつものように、冗談めかした口調で、

「なんだよ……! あらたまって気持ち悪いな……」

と、引きつったような笑みを浮かべる。
 
 そんな彼の表情の意味すら気にならないほど、細かなことに気が向かなくなっていた。
 
 なにもかもが順風満帆に思えたこの日の翌日から、すべて、うまく行くと思い込んでいた状況に変化が起こるなんて、僕には予想もできなかった。

 【本日の試合結果】
 
 阪神 対 千葉ロッテ 3回戦  阪神 7ー7 ロッテ

 ノイジー、梅野のタイムリーなどで序盤に3点をリードした阪神だが、試合中盤、先発の桐敷が相手打線につかまり、逆転を許す。その直後、1点を追う5回裏に大山の(スリー)ランで逆転に成功。対するマリーンズは、7回表に山口の(スリー)ランで再び試合をひっくり返す。
 その後、8回に相手のフィルダースチョイスで、阪神が同点に追いつくものの、以降は両チームのリリーフ陣が踏ん張り、5時間を超えるシーソーゲームは、引き分けに終わった。
 
 ◎6月5日終了時点の阪神タイガースの成績

 勝敗:34勝16敗 2引き分け 貯金18
 順位:首位(2位と5.5ゲーム差)




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6月5日(月)
 |奈緒美《なおみ》さんと、試合観戦後にカラオケで盛り上がり、別れ際にお互いを名前で呼び合ったりしたことで、僕の脳の中の「扁桃体」と「大脳皮質」は活性化され、情愛を司るそのスイッチは、完全にONの状態になってしまった。
 この2つの部位は、人間の|恋《・》|愛《・》|感《・》|情《・》というモノに深く関わっているらしい、ということを大学の講義で聞いたことがある(専攻科目ではない一般教養の中の講師の雑談だったので、講義名は忘れた)。
 扁桃体は、人間を含む高等脊椎動物の側頭葉内側の奥に存在する、アーモンド(扁桃)形の神経細胞の集まりで、感情の中枢といわれているそうだ。咄嗟の判断を下すときにはたらいて、人類の脳に古くから備わっている部位らしい。
 一方、大脳皮質は、大脳皮質は大脳の表層を覆うシワシワの部分で、前頭葉、頭頂葉、側頭葉などと呼ばれる部位の総称で、ゆっくりと詳細に物事を観察し、合理的に思考する。
 たとえば、道端に落ちているロープを目にしたときに、
 「これはなんだ?(もしかするとヘビかも?)」
と、危険を察知して反射的に体が動くのは扁桃体のはたらき。そのあと、
「なんだ、ただのヒモか」
と、情報処理を行って、適切に行動に移すための準備をするのが、大脳皮質のはたらきだそうだ。
 この2つの部位は双方向に情報をやりとりをしていて、たとえば、相手に一目惚れをした場合は、
「この人は、自分にとって重要な人かも!」
と、まず扁桃体が情報をキャッチして、大脳皮質が、のちのちその理由を考察して恋が進む。
 逆に、時間をかけて友達から恋人になる場合、大脳皮質が、
「ふ〜ん……この人はこんなとき、こんなふうに振る舞うんだ」
とジャッジしていた情報に、あるとき突然、
「それってすごく良いかも……」
と、扁桃体が反応し、感情的に恋に落ちる。「一目惚れ」と「時間をかけて認識する感情」、どちらの場合も、この2つの部位が、密接に関わっていることがわかっているそうだ。
 奈緒美さんの言葉や仕草の一つ一つに、過敏に反応してしまう今の自分は、恋愛感情というモノにとらわれてしまっているのは、間違いない。
 初対面の……いや、実際に対面する前から、残してもらった引き継ぎ資料などで、彼女のことを頼りになる人だと感じてはいたけれど――――――。
 お酒を飲んで楽しそうにマイクを握る姿や、嬉しそうにパンケーキをほお張る様子、夢中になって球場弁当を買いすぎてしまう、ちょっと、放っておけないところまで、四つ|歳上《としうえ》の彼女のことを可愛らしく感じている自分に気づいた。
 それだけに、別れ際
「今度は、私の部屋に遊びに来てくださいね、|虎《・》|太《・》|郎《・》|く《・》|ん《・》」
と、耳元に顔を寄せてささやき、ニコリと微笑んでくれた奈緒美さんの表情を思い出しては、ほおが緩んでしまうのを我慢できない。
 誰の目にも明らかに深い仲だと感じられる、|具《・》|体《・》|的《・》|な《・》|ナ《・》|ニ《・》|か《・》があったわけではないので、サヨナラヒットを打ったヒーローとまでは言えないけど……。
 僕は、いまの状況を、ノーアウトで勝ち越しのチャンスを切り拓く二塁打を放った打者になったくらいの気分でいた。
 一球で得点が入るホームランも良いけど、得点圏にランナーを置いて、我がチームのチャンステーマである『チャンス襲来』の手拍子を聞きながら、歓喜に湧く機会を待つのは、もっと楽しい。
 高揚した気分のまま、雨天中止の影響で月曜日の夜に開催となったマリーンズとの3戦目をテレビ観戦しつつ、この日の僕は、三者通話で、ヒサシとユタカとの会話を楽しんでいた。
 朗らかな僕の表情と声色は、学生時代からの友人たちにも、十分に伝わっているようだ。
「月曜日なのに、エラくゴキゲンだな、コタロー。 週末になにか、良いことでもあったのか?」
 そうたずねるヒサシに続いて、もう一人の友人が、勝手に心理分析を始める。
「そんなの理由は決まってるじゃん! 阪神が好調だからだろう? 関西が、どれだけ盛り上がってるかは知らないけど、全国ニュースでも、スポーツコーナー『阪神好調の要因』みたいな特集を放送してるしね……どうせ、秋には失速するのに……」
 普段なら、ユタカの余計な一言に、少しだけムッとしているところだけど、三連敗すらしない安定した戦いぶりの我がチームの好調さと、順調に思える奈緒美さんとの関係性が、僕の心を寛容にさせる。
「まあ、阪神のチーム状態が良いのは確かだから、いまのこの状況をできるだけ楽しませてもらおうかと思ってね。あと、ヒサシには、あの時、奈緒美さんを誘うようにアドバイスをくれた御礼を言っとかないと! ホンマ、ありがとう」
 僕が、そう話すと、ヒサシは、いつものように、冗談めかした口調で、
「なんだよ……! あらたまって気持ち悪いな……」
と、引きつったような笑みを浮かべる。
 そんな彼の表情の意味すら気にならないほど、細かなことに気が向かなくなっていた。
 なにもかもが順風満帆に思えたこの日の翌日から、すべて、うまく行くと思い込んでいた状況に変化が起こるなんて、僕には予想もできなかった。
 【本日の試合結果】
 阪神 対 千葉ロッテ 3回戦  阪神 7ー7 ロッテ
 ノイジー、梅野のタイムリーなどで序盤に3点をリードした阪神だが、試合中盤、先発の桐敷が相手打線につかまり、逆転を許す。その直後、1点を追う5回裏に大山の|3《スリー》ランで逆転に成功。対するマリーンズは、7回表に山口の|3《スリー》ランで再び試合をひっくり返す。
 その後、8回に相手のフィルダースチョイスで、阪神が同点に追いつくものの、以降は両チームのリリーフ陣が踏ん張り、5時間を超えるシーソーゲームは、引き分けに終わった。
 ◎6月5日終了時点の阪神タイガースの成績
 勝敗:34勝16敗 2引き分け 貯金18
 順位:首位(2位と5.5ゲーム差)