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第陸話

ー/ー



卯月 弍拾弍日


 遂にこの日がやってきた。
 駿之介が密かに憧れていた巫女姫様がご登校される日が来たのだ。
 夏目曰く、巫女姫様は副総督のクラリスにも負けず劣らず、国内でも絶大な人気を得ていて、しかも彼女は滅多に神社から出ない。だからご尊顔を拝めたいなら今日が絶好の機会という。

 そんな情報を思春期の少年に聞かされたら浮かれないはずがない。
 お陰様で朝は大蔵に二度もキモいと罵られ、勇に気持ち悪がられ、妹にまで心配された始末。だから彼は今まで以上に自分の感情を抑え込んでいるわけだが、却って不自然過ぎて夏目にまで引かれた羽目に。

 もし普通の登校日だったら傷付くかもしれぬが、生憎今日はあの『地獄生活の中で唯一の心のオアシスとなっていた浄化ボイスの聖なる持ち主(てんし)』、略して聖天使がご登校される日だ。
 興奮を抑えろと言われても、実際に実行するのは些か無理があるというもの。

「うん?」

 しかし校門前に到着した後、舞い上がっていた気持ちが一気に沈んだのは、風紀委員による抜き打ち検査が視界に入ったからだ。
 職員用の入口から入る大石と、片方の列に並ぶ夏目と光風に別れを告げ。残りの三人はもう片方の列に並ぶことになった。

「おはよう、暁」

「ああ二人共、おはよう」

 大蔵の無言に柚は何かを察したのか、あたかも他人のフリをし始めた。鞄を机に置いたのはいいものの、暁は二人を交互に見据えるだけで検査を始まってくれない。

「あの、何か」

「一つ忠告しておこう。生徒会は既にお前ら四人に目を付けた。これからは目立たないような行動を控えてくれ。それと、今日はとても大事な日だからそのつもりで頼む」

「忠告、どうも」

 適当に合わせた駿之介に小さく嘆息した後、ようやく鞄を開けてくれた。

「……って、教科書がないじゃないか。萱野お前、一体どうやって授業を受けてたんだ」

 ほとんど空っぽに等しい中身を目の当たりにされた暁は眉間に皺を寄せる。

「まあ……聞いて要点を纏める?」

「事務室に行って受け取るように、と誰にも言われなかったか」

「ないな。そういう大蔵は」

「ないけど」

「どうやら、こちらの落ち度のようだな。申し訳ない」

「いや、全然構わないが」

 てっきりもっと責め立ててくるという予想があっさりと裏切られ、肩透かしさえ食った気分になった。
 案外いいヤツかもしれないな、という疑惑が脳裏に浮上した。同時に、行っても良しという許可が下りて少し先のところに行って大蔵の番が終わるのを待つ。次第に二人の検査が終わった際に、

「もう一度言うが、昨日のような行動を控えるように」

 再び忠告され大蔵と一緒に校門を潜った。









※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※










 一時限目の途中、突然、校内の放送装置が鳴った。

『生徒会からのお知らせです。皆さんに暫しのご静聴をお願いします』

 流れてきた生徒会長の声に背筋を伸ばす者もいれば、ウキウキして隣同士の席と盛り上がる者もいる。

『本日、巫女姫様が当校へいらっしゃることは皆、既にご存知かと思います。現在のところ、あと三十分、つまり半刻程で到着のご予定です』

 溜まり込んでいた期待が一気に爆発したかのように、教室内はお祭りと似た賑わいを見せた。三十分後ということは二時限目の途中だろうか。

『授業中ということもありますし、重ねてになりますが、巫女姫様ご自身、騒ぎになる事は望んでいらっしゃいません。校門へ出るなどといった行為は控え、普段通り勉学に励まれることを期待します。
 当校は、分別のある生徒が集まる場所だと信じております。くれぐれも、颯京皇立学園の名を汚すような行動をしませんよう、我々生徒会一同は皆さんに期待しています。それでは、皆さんにオスズヒメ様の祝福がありますように』

 駿之介が頬杖をつき、窓の方へ視線を向けた。幸い、教室の窓が校門に面しているため、巫女姫様の到来を最前列で眺めることができる。だからほとんどの生徒は虎視眈々と窓際の位置を狙っているわけだが、昨日の出来事で彼らに近付きたいと思う生徒はいない。
 その上、彼と光風の席が窓際にある。言わば位置取り争奪戦に勝ったのも同然のようなものだ。

「フッ、もらったな、この勝負」

 クックック、と唐突に喉奥で低く笑う駿之介。隣の大蔵にドン引きされたのは一旦さておくとして。

 そして、いよいよ二時限目が始まった。予定時間はもう目前まで迫ってきているということもあって教室の空気には年越しの瞬間を待つような期待が徐々に膨らみつつあった。
 かく言う駿之介も真面目に受けるフリをするなんて余力がなく。まだまだかと、ちらちらと確認するその時――黒い高級車の行列が降車場へ滑り込んできた。

「あ来た」

 一つの呟きが波紋を起こし、あっという間に生徒達が校門側の窓に張り付く。まだ席にいる大蔵を夏目が引っ張り、他の二人は彼女達のために道を開けた。

「おぐりん、はやーく~」

「わ、分かったからちょっと待て」

 頑なに席から離れない大蔵もやがて夏目に根負けして一緒に眺めることに。
 前方と後方の車から合計六人の護衛が出てきて安全確認。異常がなかったと全員は頷き合って真ん中の車に集合して後部座席の両側に整列。それを確認した近い護衛が扉を開く。

「来た、来たよ」

 まず現れたのは、美しく揃えられた二本のおみ足。長い間縮めていた羽を伸ばすように、制服姿の巫女姫様が早春の陽を浴びた。
 声を出す者はいない。聞こえてくるのは感嘆の溜息ばかり。どうやら本当に美しいものは国籍という透明な結界を軽々しく飛び越えて人を黙らせる力があるようだ。
 
 可憐だ。
 楚々とした雰囲気を纏いながら巫女姫様がご自身を見下ろす生徒達を、ゆっくりと見回す。だけどその輪郭を眺めている内に駿之介の中には奇妙な懐かしさを覚え。

(あれ? どっかで見たことがあるような……あっ)

 散り散りになった破片がやがて一直線に繋がり、ようやく思い出した。
 出会った時とは違った服装だったため、すぐに分からなかったが。あの洗練された優美な身ごなし、間違いない――あの時、織月神社で会った素敵な巫女だ。
 
(まさかこんなにも早く巡り合えるとは……)

 胸中にじーんと熱い感情の波が押し寄せ、目頭が熱くなるのを感じた。それでも駿之介はこの邂逅を嚙み締め――。

「うああぁーーー! あああああーーっ!! 見たかシュースケっ! あれが巫女姫様なんだよおーー! マジヤバくない!? というかマジかわいいんですけど!! 写真撮れないのが悔しいぐらいやばいよおおおおおお!」

「わわわ分かった、分かったから、か、肩を揺らすなああ!!」

 吠える夏目の大声と激しい揺さぶりに苦しめられるのは束の間――ふと巫女姫様と目が合った。見開かれた双眸に他の連中にバレないように小さく手を振ると、彼女も柔和な微笑を湛えながら手を振ってくれる。
 ああ、なんていいえが――。

「ねえ見た! 今の見た!? アタシ、目を合わせていただきましたよおお! ひゃほーいいい! すごいよおお! もう死んでもいいよおおお!」

「わわっ、分かった、分かったから、だだだから肩を揺らすなああああーー!!」







※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※








礼拝(らいはい)のお時間を終え、昼休み。
 学食に大事件が起こった。そう、巫女姫様がご昼食に学食にいらっしゃったという大事件が。

「皆さん、本日わたくしは、一人の生徒としてここにおります。どうか特別扱いせず、日常のままに、お過ごしてください」

 巫女姫様が入り口で告げると、両側を囲んでいた黒服の護衛が静かに姿を消した。どうやら、彼女は本気で一生徒として行動するおつもりのようだけど。初めて学食をご利用するとなれば混乱も招くだろう。
 一応、説明役の生徒からその辺りの説明を受けながら案内してもらっているが、それが共和国人である以上、食事が喉を通らなくなる。いっそのこと説明役に買って出た方が、と考えあぐねた駿之介の腕が突かれて思考が一時中断された。

「見惚れてるのは分かるけどさ、あんまジロジロと乙女を見るのは失礼だよ、シュースケ」

「そうだな。それと、見惚れてなんかないぞ」

「ええー、そんな熱い視線で言われても説得力ないけどなー」

「ふん、女の尻を見て鼻を伸ばしやがて……。変態。童貞。痴漢。悪魔」

「……なんで見るだけで暴言を吐かれなきゃいけないんだ?」

「ふん、どうせああいう女が好みなんでしょ?」

「確かに、駿兄の好みではあるもんね……」

 柚がボソッと呟いたそれに「お、やっぱり?」と食いつく夏目。大蔵に至っては大して興味がないといった顔をしている癖に聞き耳を立てている。
 それにしても好みまで一緒か。いつか本物の駿之介とは夜通しで酒を交わしたいものだ。そんな現実逃避がぽつりと思い浮かぶ。

「それでそれで? 何か面白い話とかある?」

「あるよ、いっぱい。どれから聞きます?」

「お、マジかよ。選択制とか最高じゃーん」

 何やらこちらにとって致命的なものになりかねない話題が進めている。なんとかして辞めさせなければ。色んな言い訳が彼の頭をぐるぐる回っているその時、

「んだあアイツら……許せねえ」

 光風の怒気が孕んだ声でハッとなり、視線を辿る。無礼な共和国人による巫女姫様の撮影会が始まっていた。彼らは“日常のままに”、興味の対象にスマホを向ける。

「え、嘘」

「マジかよ……」

「え、やばくない?」

 流石の学食もざわついた。文化の違いで共和国人には皇国人の怒りが伝わるはずもない。撮影する生徒が増加する一方。
 とうとう、一人の生徒が巫女姫様に肩を並べてカメラに向かってピースした。あろうことか、ノリノリでカメラマンになったのが説明役の生徒だという。

「あんにゃろう……吹っ飛ばすッ!」

「光風ッ!」

 立ち上がった光風を止めさせるように、腕を掴む夏目。

「んだよ久遠、邪魔すんじゃねえ!」

「でも――」

 彼は夏目の手を振り解こうとしたが行かせないとばかりに、夏目はもう片方の手まで出動させ全力で引き留めている。

「やめといた方がいいよ。気持ちは、その、痛いほど分かるけど、少し冷静になりなさい」

 クソッと渋々と腰を下ろす光風は下唇を噛んで、全員から思いっきり顔を背けた。このままではマズい。彼にとっても、騒動の渦中にいる彼女にとっても。

 再び見やると数人の皇国人が撮影者を引き剥がしに掛かった――それが混乱の引き金となった。鬱憤が溜りに溜っていたのだろう、数が少ない皇国人の方が果敢だ。やがて皇国人も共和国人も各々の派閥につき乱闘に加勢した。
 それを、ただ眺めるだけ。
 何としても絶対に放さない夏目、抵抗を諦めたかのように黙り込む光風。騒動に怯えこちらの袖を掴む柚。そして――悲しい出来事を受け止めるようにじっと静観する大蔵。

 助けたい。あの子を助けたい。
 駿之介の心中はそんな気持ちでいっぱいなのに全く策を思い付かなかった己の無力さに焦りが募るばかり。
 そうだ、皆に相談しよう。信頼する仲間達に持ち掛けようとしたその瞬間――。 

「放せ久遠!」

「みっちゃん!」

「やっぱ見過ごすわけにはいかねえ! おい兄弟、後のことは任せたぜ!」

「ちょ――」

 強引に夏目の手を振り解いた光風が向こう見ずに走って行く。幾ら言葉を放ってもこの猛犬を止めさせることはできない。
 ここぞとばかりに決断力が鈍る己自身に自責の念に苛まれそうになる刹那――周囲の動きが一斉停止。

「は……?」

 口はまだ動かせたが、立て続けに起こった訳の分からぬ出来事に頭の回転が追い付けるわけがない。
 
(時間が――止まってる……?)

 やっと理性を取り戻した最初の一歩を踏み出した次の瞬間、突如として謎の黒い渦が空中に出現。驚くのにも間に合わず、結局ただの間抜け顔になってしまった。
 ソレがあらゆる物理的法則を乗り越え、いきなり視界のど真ん中に現れ世界を歪ませた。比喩表現ではなく文字通り、()()()()()()()()

 大蔵の冷静な顔も、柚の怯える姿も、夏目の少し後悔した顔も、光風の勇猛果敢に立ち向かう姿も。
 足元が揺れ。四肢の感覚が遠ざかり、意識が剝奪され。
 何もかもが不安定になっていき、見えない引力に引きずり込まれていく――。

(これが――ループ)

 あらユルばんブツがくろいウズにスイコマレ――――セカイガリセットサレタ。


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卯月 弍拾弍日
 遂にこの日がやってきた。
 駿之介が密かに憧れていた巫女姫様がご登校される日が来たのだ。
 夏目曰く、巫女姫様は副総督のクラリスにも負けず劣らず、国内でも絶大な人気を得ていて、しかも彼女は滅多に神社から出ない。だからご尊顔を拝めたいなら今日が絶好の機会という。
 そんな情報を思春期の少年に聞かされたら浮かれないはずがない。
 お陰様で朝は大蔵に二度もキモいと罵られ、勇に気持ち悪がられ、妹にまで心配された始末。だから彼は今まで以上に自分の感情を抑え込んでいるわけだが、却って不自然過ぎて夏目にまで引かれた羽目に。
 もし普通の登校日だったら傷付くかもしれぬが、生憎今日はあの『地獄生活の中で唯一の心のオアシスとなっていた浄化ボイスの聖なる|持ち主《てんし》』、略して聖天使がご登校される日だ。
 興奮を抑えろと言われても、実際に実行するのは些か無理があるというもの。
「うん?」
 しかし校門前に到着した後、舞い上がっていた気持ちが一気に沈んだのは、風紀委員による抜き打ち検査が視界に入ったからだ。
 職員用の入口から入る大石と、片方の列に並ぶ夏目と光風に別れを告げ。残りの三人はもう片方の列に並ぶことになった。
「おはよう、暁」
「ああ二人共、おはよう」
 大蔵の無言に柚は何かを察したのか、あたかも他人のフリをし始めた。鞄を机に置いたのはいいものの、暁は二人を交互に見据えるだけで検査を始まってくれない。
「あの、何か」
「一つ忠告しておこう。生徒会は既にお前ら四人に目を付けた。これからは目立たないような行動を控えてくれ。それと、今日はとても大事な日だからそのつもりで頼む」
「忠告、どうも」
 適当に合わせた駿之介に小さく嘆息した後、ようやく鞄を開けてくれた。
「……って、教科書がないじゃないか。萱野お前、一体どうやって授業を受けてたんだ」
 ほとんど空っぽに等しい中身を目の当たりにされた暁は眉間に皺を寄せる。
「まあ……聞いて要点を纏める?」
「事務室に行って受け取るように、と誰にも言われなかったか」
「ないな。そういう大蔵は」
「ないけど」
「どうやら、こちらの落ち度のようだな。申し訳ない」
「いや、全然構わないが」
 てっきりもっと責め立ててくるという予想があっさりと裏切られ、肩透かしさえ食った気分になった。
 案外いいヤツかもしれないな、という疑惑が脳裏に浮上した。同時に、行っても良しという許可が下りて少し先のところに行って大蔵の番が終わるのを待つ。次第に二人の検査が終わった際に、
「もう一度言うが、昨日のような行動を控えるように」
 再び忠告され大蔵と一緒に校門を潜った。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
 一時限目の途中、突然、校内の放送装置が鳴った。
『生徒会からのお知らせです。皆さんに暫しのご静聴をお願いします』
 流れてきた生徒会長の声に背筋を伸ばす者もいれば、ウキウキして隣同士の席と盛り上がる者もいる。
『本日、巫女姫様が当校へいらっしゃることは皆、既にご存知かと思います。現在のところ、あと三十分、つまり半刻程で到着のご予定です』
 溜まり込んでいた期待が一気に爆発したかのように、教室内はお祭りと似た賑わいを見せた。三十分後ということは二時限目の途中だろうか。
『授業中ということもありますし、重ねてになりますが、巫女姫様ご自身、騒ぎになる事は望んでいらっしゃいません。校門へ出るなどといった行為は控え、普段通り勉学に励まれることを期待します。
 当校は、分別のある生徒が集まる場所だと信じております。くれぐれも、颯京皇立学園の名を汚すような行動をしませんよう、我々生徒会一同は皆さんに期待しています。それでは、皆さんにオスズヒメ様の祝福がありますように』
 駿之介が頬杖をつき、窓の方へ視線を向けた。幸い、教室の窓が校門に面しているため、巫女姫様の到来を最前列で眺めることができる。だからほとんどの生徒は虎視眈々と窓際の位置を狙っているわけだが、昨日の出来事で彼らに近付きたいと思う生徒はいない。
 その上、彼と光風の席が窓際にある。言わば位置取り争奪戦に勝ったのも同然のようなものだ。
「フッ、もらったな、この勝負」
 クックック、と唐突に喉奥で低く笑う駿之介。隣の大蔵にドン引きされたのは一旦さておくとして。
 そして、いよいよ二時限目が始まった。予定時間はもう目前まで迫ってきているということもあって教室の空気には年越しの瞬間を待つような期待が徐々に膨らみつつあった。
 かく言う駿之介も真面目に受けるフリをするなんて余力がなく。まだまだかと、ちらちらと確認するその時――黒い高級車の行列が降車場へ滑り込んできた。
「あ来た」
 一つの呟きが波紋を起こし、あっという間に生徒達が校門側の窓に張り付く。まだ席にいる大蔵を夏目が引っ張り、他の二人は彼女達のために道を開けた。
「おぐりん、はやーく~」
「わ、分かったからちょっと待て」
 頑なに席から離れない大蔵もやがて夏目に根負けして一緒に眺めることに。
 前方と後方の車から合計六人の護衛が出てきて安全確認。異常がなかったと全員は頷き合って真ん中の車に集合して後部座席の両側に整列。それを確認した近い護衛が扉を開く。
「来た、来たよ」
 まず現れたのは、美しく揃えられた二本のおみ足。長い間縮めていた羽を伸ばすように、制服姿の巫女姫様が早春の陽を浴びた。
 声を出す者はいない。聞こえてくるのは感嘆の溜息ばかり。どうやら本当に美しいものは国籍という透明な結界を軽々しく飛び越えて人を黙らせる力があるようだ。
 可憐だ。
 楚々とした雰囲気を纏いながら巫女姫様がご自身を見下ろす生徒達を、ゆっくりと見回す。だけどその輪郭を眺めている内に駿之介の中には奇妙な懐かしさを覚え。
(あれ? どっかで見たことがあるような……あっ)
 散り散りになった破片がやがて一直線に繋がり、ようやく思い出した。
 出会った時とは違った服装だったため、すぐに分からなかったが。あの洗練された優美な身ごなし、間違いない――あの時、織月神社で会った素敵な巫女だ。
(まさかこんなにも早く巡り合えるとは……)
 胸中にじーんと熱い感情の波が押し寄せ、目頭が熱くなるのを感じた。それでも駿之介はこの邂逅を嚙み締め――。
「うああぁーーー! あああああーーっ!! 見たかシュースケっ! あれが巫女姫様なんだよおーー! マジヤバくない!? というかマジかわいいんですけど!! 写真撮れないのが悔しいぐらいやばいよおおおおおお!」
「わわわ分かった、分かったから、か、肩を揺らすなああ!!」
 吠える夏目の大声と激しい揺さぶりに苦しめられるのは束の間――ふと巫女姫様と目が合った。見開かれた双眸に他の連中にバレないように小さく手を振ると、彼女も柔和な微笑を湛えながら手を振ってくれる。
 ああ、なんていいえが――。
「ねえ見た! 今の見た!? アタシ、目を合わせていただきましたよおお! ひゃほーいいい! すごいよおお! もう死んでもいいよおおお!」
「わわっ、分かった、分かったから、だだだから肩を揺らすなああああーー!!」
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
|礼拝《らいはい》のお時間を終え、昼休み。
 学食に大事件が起こった。そう、巫女姫様がご昼食に学食にいらっしゃったという大事件が。
「皆さん、本日わたくしは、一人の生徒としてここにおります。どうか特別扱いせず、日常のままに、お過ごしてください」
 巫女姫様が入り口で告げると、両側を囲んでいた黒服の護衛が静かに姿を消した。どうやら、彼女は本気で一生徒として行動するおつもりのようだけど。初めて学食をご利用するとなれば混乱も招くだろう。
 一応、説明役の生徒からその辺りの説明を受けながら案内してもらっているが、それが共和国人である以上、食事が喉を通らなくなる。いっそのこと説明役に買って出た方が、と考えあぐねた駿之介の腕が突かれて思考が一時中断された。
「見惚れてるのは分かるけどさ、あんまジロジロと乙女を見るのは失礼だよ、シュースケ」
「そうだな。それと、見惚れてなんかないぞ」
「ええー、そんな熱い視線で言われても説得力ないけどなー」
「ふん、女の尻を見て鼻を伸ばしやがて……。変態。童貞。痴漢。悪魔」
「……なんで見るだけで暴言を吐かれなきゃいけないんだ?」
「ふん、どうせああいう女が好みなんでしょ?」
「確かに、駿兄の好みではあるもんね……」
 柚がボソッと呟いたそれに「お、やっぱり?」と食いつく夏目。大蔵に至っては大して興味がないといった顔をしている癖に聞き耳を立てている。
 それにしても好みまで一緒か。いつか本物の駿之介とは夜通しで酒を交わしたいものだ。そんな現実逃避がぽつりと思い浮かぶ。
「それでそれで? 何か面白い話とかある?」
「あるよ、いっぱい。どれから聞きます?」
「お、マジかよ。選択制とか最高じゃーん」
 何やらこちらにとって致命的なものになりかねない話題が進めている。なんとかして辞めさせなければ。色んな言い訳が彼の頭をぐるぐる回っているその時、
「んだあアイツら……許せねえ」
 光風の怒気が孕んだ声でハッとなり、視線を辿る。無礼な共和国人による巫女姫様の撮影会が始まっていた。彼らは“日常のままに”、興味の対象にスマホを向ける。
「え、嘘」
「マジかよ……」
「え、やばくない?」
 流石の学食もざわついた。文化の違いで共和国人には皇国人の怒りが伝わるはずもない。撮影する生徒が増加する一方。
 とうとう、一人の生徒が巫女姫様に肩を並べてカメラに向かってピースした。あろうことか、ノリノリでカメラマンになったのが説明役の生徒だという。
「あんにゃろう……吹っ飛ばすッ!」
「光風ッ!」
 立ち上がった光風を止めさせるように、腕を掴む夏目。
「んだよ久遠、邪魔すんじゃねえ!」
「でも――」
 彼は夏目の手を振り解こうとしたが行かせないとばかりに、夏目はもう片方の手まで出動させ全力で引き留めている。
「やめといた方がいいよ。気持ちは、その、痛いほど分かるけど、少し冷静になりなさい」
 クソッと渋々と腰を下ろす光風は下唇を噛んで、全員から思いっきり顔を背けた。このままではマズい。彼にとっても、騒動の渦中にいる彼女にとっても。
 再び見やると数人の皇国人が撮影者を引き剥がしに掛かった――それが混乱の引き金となった。鬱憤が溜りに溜っていたのだろう、数が少ない皇国人の方が果敢だ。やがて皇国人も共和国人も各々の派閥につき乱闘に加勢した。
 それを、ただ眺めるだけ。
 何としても絶対に放さない夏目、抵抗を諦めたかのように黙り込む光風。騒動に怯えこちらの袖を掴む柚。そして――悲しい出来事を受け止めるようにじっと静観する大蔵。
 助けたい。あの子を助けたい。
 駿之介の心中はそんな気持ちでいっぱいなのに全く策を思い付かなかった己の無力さに焦りが募るばかり。
 そうだ、皆に相談しよう。信頼する仲間達に持ち掛けようとしたその瞬間――。 
「放せ久遠!」
「みっちゃん!」
「やっぱ見過ごすわけにはいかねえ! おい兄弟、後のことは任せたぜ!」
「ちょ――」
 強引に夏目の手を振り解いた光風が向こう見ずに走って行く。幾ら言葉を放ってもこの猛犬を止めさせることはできない。
 ここぞとばかりに決断力が鈍る己自身に自責の念に苛まれそうになる刹那――周囲の動きが一斉停止。
「は……?」
 口はまだ動かせたが、立て続けに起こった訳の分からぬ出来事に頭の回転が追い付けるわけがない。
(時間が――止まってる……?)
 やっと理性を取り戻した最初の一歩を踏み出した次の瞬間、突如として謎の黒い渦が空中に出現。驚くのにも間に合わず、結局ただの間抜け顔になってしまった。
 ソレがあらゆる物理的法則を乗り越え、いきなり視界のど真ん中に現れ世界を歪ませた。比喩表現ではなく文字通り、|世《、》|界《、》|が《、》|歪《、》|ん《、》|だ《、》|の《、》|だ《、》。
 大蔵の冷静な顔も、柚の怯える姿も、夏目の少し後悔した顔も、光風の勇猛果敢に立ち向かう姿も。
 足元が揺れ。四肢の感覚が遠ざかり、意識が剝奪され。
 何もかもが不安定になっていき、見えない引力に引きずり込まれていく――。
(これが――ループ)
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