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Here comes the hunting time

ー/ー



 屋上。
 紅香たちがそこにたどり着くと、そこには一人の女性がこちらに背を向けて立っていた。
 鮮やかなエメラルドグリーンの髪。季節に似合わない黒いトレンチコートの女性。
 殺人鬼、ジル・エンジェルリッパー。
「やあ。来たのかい。ずいぶん早かったじゃないか」
 振り向きもせず、ジルは言う。
「せっかく趣向を凝らして仕掛けも準備したのにねぇ。子猫ちゃんがネタバラししちまったせいで、パーティの進行がグダグダじゃないのさ。メインイベントの前にはさぁ、余興が必須だろう?」
 ゆっくりと、ジルが振り向く。言葉とは裏腹に、その端々にはどこか剣呑な響きが含まれている。
「パーティ、ね。招待状をもらった覚えもないけどね」
 紅香が鋭くジルを睨みながら言う。
 その言葉に、クク、と笑い声を漏らしながら、ジルは額に手を当てた。
「おやおや、シンデレラ。招待状ならバスの中で受け取ったろう? 魔法使いもちゃんと来てくれてるじゃないか。その紅いドレスのおかげで、ここまでこれたんだからねぇ……」
 ゆっくりと、ジルの右腕が懐へと消える。
 その動きに、紅香たちが身構えた。



「後は……舞踏会を楽しもうじゃないか、お姫様ッ!」
 叫びとともに、ジルの右腕が空を走る。
 刹那、紅香と静馬、雪乃の間を何かが走った。
「なに!?」
 振り返る紅香の目に映ったのは、一瞬にして切り裂かれた、足元のコンクリートだった。紅香と静馬、雪乃の間にあったコンクリートを何かが走り、床には巨大な亀裂が描かれていた。
「あっ!」
 その衝撃にバランスを崩した雪乃が、亀裂へと飲み込まれる。
「雪ちゃん!」
 あわてて亀裂を覗き込む紅香の目に、一つ下の階で倒れこむ雪乃の姿が映る。
「いたたた……」
 一瞬、あせった紅香だったが、すぐに立ち上がった雪乃の姿にほっと胸をなでおろした。
「よかった……だいじょうぶ?」
「びっくりしたけど……だいじょうぶです。でもこれじゃ、そちらに戻れないのです」
 紅香が顔を上げると、上ってきた階段は亀裂の向こう側に分断されていた。確かにこれでは戻れそうもない。
「もしかしたら、どこかに他の道もあるかもしれないのです。紅香、すぐそちらに行きます。それまでなんとか持ちこたえてください!」
「うん、わかった!」
 走り去る雪乃を確認してから、紅香と静馬はジルに向き直る。
「シンデレラの舞踏会に、子猫はいないだろ? ご退場してもらわないとねえ」
「あんただって、どう見ても王子様って柄じゃないでしょ。ミスキャストもいいところだわ」
「ククク……いいねえ、その減らず口……ますます気に入ったよ」
 音もなく、ジルは懐からナイフを取り出した。その手には、黒くつや消しがかけられた、大振りのナイフが握られている。
「静馬、行くよ!」
「了解!」
 紅香が駆ける。すばやくジルの元まで駆け寄ると、その勢いのままに大きく右腕を振り下ろした。
 その刹那――――微動だにしないまま、ジルの目が細く笑った。
「……危ない!」
 静馬の声が響く。
 同時に紅香は右腕に違和感を感じた。

「ちょっ……なにしてんの!」
 右腕を静馬が片手で止めていた。
「……よく止められたもんだ」
 ジルの声が聞こえた時、紅香は再び右腕に違和感を感じる。かすかな痺れと、痛み――――。それは、出血の感覚。
「……えっ?」
 斬られている。ほんのかすかにだが、振り下ろしかけた右腕が出血していた。
「呆けてる場合かいッ!」
「くそッ!」
 その瞬間、紅香の襟が引っ張られた。バランスを崩し、後ろへ倒れこんだ紅香の目の前を、何かが横切った。
 それは、さきほど砕け散ったコンクリートの破片だった。その破片が、数個、宙に浮いていた。さらにその端々が奇妙に変形している。鋭く黒く、つや消しをかけたようなそれは――――。
「コンクリートの破片に……刃が……?」
 紅香が呆気に取られながらつぶやく。
「そうさ。これがあたしの力――――周囲のものに刃を生み出し、その物体を操る力。これが、『エンジェルリッパー』とあたしが呼ばれる所以」
 とうとうとジルが言う。
「さあ……踊ってみせなッ!」
 尻餅をついた体勢のままの紅香を、数本の刃が襲う。
「くっ!」
 反射的に紅香は後ろに倒れかかり、後転の要領で刃の飛翔をかわす。その勢いを殺さず、腕のばねを使って立ち上がった。
「いい動きじゃないか。切り裂いた時にどんな声で鳴いてくれるのか……楽しみだよッ!」
 ジルが右手のナイフを大きく振るう。今度は排水管の鉄パイプが外れ、宙に浮く。それはすぐに刃を形成した。1mほどの長さの鉄パイプが、まるで一本の剣のようだ。
「そらッ!」
 紅香の目の前に剣と化した鉄パイプが飛翔する。それは見えない手で振り下ろされるかのように紅香に斬りかかった。
「この……っ」
 異形の両腕で剣を止める。なんとか止めることはできたが、その剣戟は重い。
「さっきの威勢はどうしたァ!? こっちががら空きだよッ!」

 ジルの叫びと空を切る音が紅香の耳に届く。その方向を横目で見ると、先ほどのコンクリートの破片――――刃がこちらへ飛翔していた。
「させるかッ!」
 静馬が紅香と刃の間に割って入ると、瞬時に刃を叩き落す。同時に、刃はただのコンクリート片へと戻る。さらにすばやく剣の後ろに回りこむと、片手でそれを振り払った。剣も地面へと叩きつけられると、元の形に戻った。
「紅香、僕は君の守護霊だ。君に向けられた攻撃はある程度無効化することができる。でも、すべてを防ぐことはできない。その時は、その腕で止めてくれ」
「わ、わかった!」
「それともうひとつ。守護霊は基本的に、その対象を守るために存在する。だから、相手への攻撃はできない。攻撃は君がするんだ。僕がフォローする」
「攻撃できない? なんで?」
「後で詳しく説明する。今はあいつを倒すことに集中するんだ」
 紅香が今度は無言でうなずいた。色々と聞きたいことはあるが、確かに今はそれどころではない。それに、役割は一緒にバスケをやっていた頃と同じだ。自分がオフェンス。静馬がフォロー。
「わかった。役割はいつも通りね」
 視線を合わせ、二人はうなずきあう。

「なにをごちゃごちゃ言ってんだい。遺言を残すにゃまだ早いだろう?」
 ジルの方に目をやる。その周囲には、いつ間に集めたのか、無数の刃と剣が浮かんでいる。それらはすべて、紅香たちにその切っ先を向けていた。
「来るぞ。数の多い、小さい方は僕がやる。大きい方は紅香、頼む。あれを防ぎきれば、ジル本人にスキができるはずだ」
「オーライ!」
 紅香と静馬が身構える。
「切り刻めッ!」
 その瞬間、無数の刃が空気を咲く音とともに駆けた。
 始めに来たのは小さい刃。
 紅香の前に出た静馬が、両手を前に構える。
「かぁっ!」
 静馬が、気合とともに両手を振り上げたその時、その両腕の間で光が爆ぜた。光はその一筋一筋が矢のように空を走り、刃を貫いていく。やがてすべての矢が、刃を叩き落し、光が晴れた。
 同時に晴れた光の中、今度は紅香が静馬の前に躍り出る。
 見えた。剣が三本。

「邪魔……なのよっ!」
 両手を組み、ハンマーのように振り下ろす。足元に飛来した剣を一撃で叩き潰す。その手を組んだまま今度は両手を振り上げた。腹に向かってきていた剣を吹き飛ばす。次の瞬間、顔に向かってきていた最後の一本を白刃取りのごとくつかむと。
「うらあああああああっ!」
 渾身の力で床にたたきつけ、砕いた。
「はあっ……はあっ……はあっ……」
 荒い息のまま、紅香は静馬の光を背に一歩、前へ出た。
「どう……? 私たちのディフェンスは……鉄壁なんだから」
「なん……だと……?」
 驚愕の表情を浮かべるジルの元へ、紅香は一瞬で駆け寄る。
「くらえっ……殺人鬼っ!」
 右腕に渾身の力をこめて、紅香はジルの顔面に拳を叩き込んだ。
「ぐぶっ!!」
 ジルが血を噴き出しながら吹っ飛ぶ。その体はすさまじい勢いで屋上の端の壁に叩きつけられた。そして、そのままひざから崩れ落ちる。
「や……やっ、た……?」

 ぜえぜえと肩を上下させながら、静馬を振り返ろうとした紅香の視界の隅に、信じられないものが映った。
「ひどいこと……するじゃないのさ……」
 それは、糸に引かれたように立ち上がる、ジルの姿だった。その体も、顔も、両腕も夥しい血に染まっている。右手は肘から先があらぬ方向に曲がり、指も数本が反り返っている。だがそれよりもなによりもありえないのは――――首の方向。どう見ても、折れている。
 だというのにジルは立ち上がり、笑っているつもりなのか、げぼっげぼっと息と血を吐きながら、にやにやと笑っている。
「うそ……でしょ……?」
「あーあ、服も体もごんなにしじまって……お気に入り、だたのにさ。代わりを見つけなきゃいけないじゃないのさ」
 そのダメージのせいか、所々奇妙な声でしゃべるジルがかくかくとした動きで自分の体を見る。半ば呆然とそれを見ていた紅香を、突然顔を上げたジルが見る。
「同じ……にしでやろう、か……?」
 突如、ジルが駆けた。その体の状態からは想像すらしなかった速さだ。一瞬にして紅香の目の前に迫り、ナイフを振り上げる。
「危ない!」

 反応できない紅香の前に、いち早く我に返った静馬が割り込む。振り下ろされたナイフを、ジルの腕つかんで止める。
「お前は……退いでろぉっ!!」
 つかまれた腕を、強引に振り回し、ジルは静馬を投げ飛ばす。
「うわっ!」
「静馬!」
 紅香が思わず静馬に目をやると、投げ飛ばされた静馬は床に倒れたまま動かない。守護霊が物理的にダメージを受けるのかわからないが、よくない状態であるのは確かだ。
「どこを見でんだいッ!」
 直後、紅香に再びナイフが振り下ろされる。
 今度は反応した。両手でそれを受け止める。
「おらあッ!」
 だが、紅香の無防備になった腹に、ジルのひざがめり込んだ。
「げぼっ……」
 のどから空気が漏れ、息が詰まる。今度は紅香がひざをつき、倒れこんだ。
「げふっ……かはっ……」
「始めっから……ぞうやっで転がってりゃいいものをッ! くそがッ!」

 倒れた紅香を、ジルが折れているはずの足で蹴る。
「くあっ!」
 うつ伏せの状態から蹴られ、仰向けに転がりながら紅香がうめく。息があがったところで脇腹を蹴られ、息が苦しい。ぜえぜえと必死に酸素を吸い込もうとする紅香を見下ろし、ジルがにやりと笑った。
「魔法の解ける時間だ、シンデレラァ……ッ!」
 ジルが大きくナイフを振りかぶり、紅香に向かって振り下ろす。
 刹那――――。
「ナイフを狙え、紅香ッ!」
 ぼんやりと霞みがかっていた紅香の頭に、誰かの声が届いた。
 静馬だ。
「う、ああああああああっ!」
 朦朧とする意識を覚醒させようとするかのように叫びながら、紅香は地を転がった。すんでのところでナイフをかわす。
「なッ!?」
 勝利を確信していたジルの体勢が崩れ、倒れこむ。ナイフを支えにするような形でジルはひざまづく。そのナイフの先が、かすかにコンクリートの隙間に挟まった。
「く……らえぇっ!」
 紅香が地面を転がったまま、ジルの黒いナイフを回し蹴りの要領で蹴る。体重のかからない体勢ながら、コンクリートの隙間に挟まったそれは、紅香の蹴りの衝撃に耐えられなかった。
 さながら骨の砕けるような音とともに、ナイフは根元から真っ二つに折れた。
 その時。
「ぐっ……ぐえええぇぇぇぇ……ッ!」
 ひざをついたままの姿勢だったジルが、突然、もんどりうって苦しみだした。両手足をばたつかせ、頭を振るその様は、まるで、断末魔。
「紅香!」
 静馬が紅香の元に駆け寄る。
「静馬……これは?」
「紅香、手を……貸して」
 紅香の問いには答えず、静馬は紅香の手を取る。そして、その手を苦しみ続けるジルへ向けた。
「殺人鬼、お前にふさわしい場所へ送ってやる。……煉獄の炎に……焼かれろ!」
 静馬が叫ぶと同時に、紅香の手からすさまじい勢いで炎が放たれた。それはあっという間に、ジルの全身を包み込む。
「ぐが、ああああああああああッ!!」
 もだえ苦しむジルが、一際大きな悲鳴をあげる。……そして、静かになった。
 炎に包まれたまま、ジルがゆっくりと紅香たちを見た。いや、それはもう、見えていなかったのかもしれないが。
「そうか……そうか……。お前たちの中の邪神ってのは……く、クククク……。なんてこった、殺人鬼のあたしより、お前たちの方がよっぽどの化けモンじゃないかい……。なあ……最期に一つだけ、聞かせておくれよ」
「な、なによ?」
 紅香が問う。
「あんたの名前、さ……。認めてやるよ……。狩人は獲物に名前を聞いたりしない……だから、知りたいのさ。あたしが今も、切り裂きたくて切り裂きたくてたまらない、愛しい者の名前をね……」
「火ノ宮……紅香」
「紅の香り……か。いい名前……だ」
 絞り出すような声で、クク、とジルは笑った。
「邪神……煉獄の……ラプラスの、魔の眷族……。だが、あたしは消えないよ。人間が、殺意を持つ限り……あたしは、不死身の……殺人鬼……だ……。あたしは帰ってくる。愛しい愛しいあんたを切り裂きに……帰ってくる。クク、いいか、あんたを切り裂くのはこの、あたし、だッ……! クク……クククハハハハハハハハッ!!」
 その言葉が、殺人鬼、ジル・エンジェルリッパーの最期の言葉となった。



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 屋上。
 紅香たちがそこにたどり着くと、そこには一人の女性がこちらに背を向けて立っていた。
 鮮やかなエメラルドグリーンの髪。季節に似合わない黒いトレンチコートの女性。
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「やあ。来たのかい。ずいぶん早かったじゃないか」
 振り向きもせず、ジルは言う。
「せっかく趣向を凝らして仕掛けも準備したのにねぇ。子猫ちゃんがネタバラししちまったせいで、パーティの進行がグダグダじゃないのさ。メインイベントの前にはさぁ、余興が必須だろう?」
 ゆっくりと、ジルが振り向く。言葉とは裏腹に、その端々にはどこか剣呑な響きが含まれている。
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 紅香が鋭くジルを睨みながら言う。
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 ゆっくりと、ジルの右腕が懐へと消える。
 その動きに、紅香たちが身構えた。
「後は……舞踏会を楽しもうじゃないか、お姫様ッ!」
 叫びとともに、ジルの右腕が空を走る。
 刹那、紅香と静馬、雪乃の間を何かが走った。
「なに!?」
 振り返る紅香の目に映ったのは、一瞬にして切り裂かれた、足元のコンクリートだった。紅香と静馬、雪乃の間にあったコンクリートを何かが走り、床には巨大な亀裂が描かれていた。
「あっ!」
 その衝撃にバランスを崩した雪乃が、亀裂へと飲み込まれる。
「雪ちゃん!」
 あわてて亀裂を覗き込む紅香の目に、一つ下の階で倒れこむ雪乃の姿が映る。
「いたたた……」
 一瞬、あせった紅香だったが、すぐに立ち上がった雪乃の姿にほっと胸をなでおろした。
「よかった……だいじょうぶ?」
「びっくりしたけど……だいじょうぶです。でもこれじゃ、そちらに戻れないのです」
 紅香が顔を上げると、上ってきた階段は亀裂の向こう側に分断されていた。確かにこれでは戻れそうもない。
「もしかしたら、どこかに他の道もあるかもしれないのです。紅香、すぐそちらに行きます。それまでなんとか持ちこたえてください!」
「うん、わかった!」
 走り去る雪乃を確認してから、紅香と静馬はジルに向き直る。
「シンデレラの舞踏会に、子猫はいないだろ? ご退場してもらわないとねえ」
「あんただって、どう見ても王子様って柄じゃないでしょ。ミスキャストもいいところだわ」
「ククク……いいねえ、その減らず口……ますます気に入ったよ」
 音もなく、ジルは懐からナイフを取り出した。その手には、黒くつや消しがかけられた、大振りのナイフが握られている。
「静馬、行くよ!」
「了解!」
 紅香が駆ける。すばやくジルの元まで駆け寄ると、その勢いのままに大きく右腕を振り下ろした。
 その刹那――――微動だにしないまま、ジルの目が細く笑った。
「……危ない!」
 静馬の声が響く。
 同時に紅香は右腕に違和感を感じた。
「ちょっ……なにしてんの!」
 右腕を静馬が片手で止めていた。
「……よく止められたもんだ」
 ジルの声が聞こえた時、紅香は再び右腕に違和感を感じる。かすかな痺れと、痛み――――。それは、出血の感覚。
「……えっ?」
 斬られている。ほんのかすかにだが、振り下ろしかけた右腕が出血していた。
「呆けてる場合かいッ!」
「くそッ!」
 その瞬間、紅香の襟が引っ張られた。バランスを崩し、後ろへ倒れこんだ紅香の目の前を、何かが横切った。
 それは、さきほど砕け散ったコンクリートの破片だった。その破片が、数個、宙に浮いていた。さらにその端々が奇妙に変形している。鋭く黒く、つや消しをかけたようなそれは――――。
「コンクリートの破片に……刃が……?」
 紅香が呆気に取られながらつぶやく。
「そうさ。これがあたしの力――――周囲のものに刃を生み出し、その物体を操る力。これが、『エンジェルリッパー』とあたしが呼ばれる所以」
 とうとうとジルが言う。
「さあ……踊ってみせなッ!」
 尻餅をついた体勢のままの紅香を、数本の刃が襲う。
「くっ!」
 反射的に紅香は後ろに倒れかかり、後転の要領で刃の飛翔をかわす。その勢いを殺さず、腕のばねを使って立ち上がった。
「いい動きじゃないか。切り裂いた時にどんな声で鳴いてくれるのか……楽しみだよッ!」
 ジルが右手のナイフを大きく振るう。今度は排水管の鉄パイプが外れ、宙に浮く。それはすぐに刃を形成した。1mほどの長さの鉄パイプが、まるで一本の剣のようだ。
「そらッ!」
 紅香の目の前に剣と化した鉄パイプが飛翔する。それは見えない手で振り下ろされるかのように紅香に斬りかかった。
「この……っ」
 異形の両腕で剣を止める。なんとか止めることはできたが、その剣戟は重い。
「さっきの威勢はどうしたァ!? こっちががら空きだよッ!」
 ジルの叫びと空を切る音が紅香の耳に届く。その方向を横目で見ると、先ほどのコンクリートの破片――――刃がこちらへ飛翔していた。
「させるかッ!」
 静馬が紅香と刃の間に割って入ると、瞬時に刃を叩き落す。同時に、刃はただのコンクリート片へと戻る。さらにすばやく剣の後ろに回りこむと、片手でそれを振り払った。剣も地面へと叩きつけられると、元の形に戻った。
「紅香、僕は君の守護霊だ。君に向けられた攻撃はある程度無効化することができる。でも、すべてを防ぐことはできない。その時は、その腕で止めてくれ」
「わ、わかった!」
「それともうひとつ。守護霊は基本的に、その対象を守るために存在する。だから、相手への攻撃はできない。攻撃は君がするんだ。僕がフォローする」
「攻撃できない? なんで?」
「後で詳しく説明する。今はあいつを倒すことに集中するんだ」
 紅香が今度は無言でうなずいた。色々と聞きたいことはあるが、確かに今はそれどころではない。それに、役割は一緒にバスケをやっていた頃と同じだ。自分がオフェンス。静馬がフォロー。
「わかった。役割はいつも通りね」
 視線を合わせ、二人はうなずきあう。
「なにをごちゃごちゃ言ってんだい。遺言を残すにゃまだ早いだろう?」
 ジルの方に目をやる。その周囲には、いつ間に集めたのか、無数の刃と剣が浮かんでいる。それらはすべて、紅香たちにその切っ先を向けていた。
「来るぞ。数の多い、小さい方は僕がやる。大きい方は紅香、頼む。あれを防ぎきれば、ジル本人にスキができるはずだ」
「オーライ!」
 紅香と静馬が身構える。
「切り刻めッ!」
 その瞬間、無数の刃が空気を咲く音とともに駆けた。
 始めに来たのは小さい刃。
 紅香の前に出た静馬が、両手を前に構える。
「かぁっ!」
 静馬が、気合とともに両手を振り上げたその時、その両腕の間で光が爆ぜた。光はその一筋一筋が矢のように空を走り、刃を貫いていく。やがてすべての矢が、刃を叩き落し、光が晴れた。
 同時に晴れた光の中、今度は紅香が静馬の前に躍り出る。
 見えた。剣が三本。
「邪魔……なのよっ!」
 両手を組み、ハンマーのように振り下ろす。足元に飛来した剣を一撃で叩き潰す。その手を組んだまま今度は両手を振り上げた。腹に向かってきていた剣を吹き飛ばす。次の瞬間、顔に向かってきていた最後の一本を白刃取りのごとくつかむと。
「うらあああああああっ!」
 渾身の力で床にたたきつけ、砕いた。
「はあっ……はあっ……はあっ……」
 荒い息のまま、紅香は静馬の光を背に一歩、前へ出た。
「どう……? 私たちのディフェンスは……鉄壁なんだから」
「なん……だと……?」
 驚愕の表情を浮かべるジルの元へ、紅香は一瞬で駆け寄る。
「くらえっ……殺人鬼っ!」
 右腕に渾身の力をこめて、紅香はジルの顔面に拳を叩き込んだ。
「ぐぶっ!!」
 ジルが血を噴き出しながら吹っ飛ぶ。その体はすさまじい勢いで屋上の端の壁に叩きつけられた。そして、そのままひざから崩れ落ちる。
「や……やっ、た……?」
 ぜえぜえと肩を上下させながら、静馬を振り返ろうとした紅香の視界の隅に、信じられないものが映った。
「ひどいこと……するじゃないのさ……」
 それは、糸に引かれたように立ち上がる、ジルの姿だった。その体も、顔も、両腕も夥しい血に染まっている。右手は肘から先があらぬ方向に曲がり、指も数本が反り返っている。だがそれよりもなによりもありえないのは――――首の方向。どう見ても、折れている。
 だというのにジルは立ち上がり、笑っているつもりなのか、げぼっげぼっと息と血を吐きながら、にやにやと笑っている。
「うそ……でしょ……?」
「あーあ、服も体もごんなにしじまって……お気に入り、だたのにさ。代わりを見つけなきゃいけないじゃないのさ」
 そのダメージのせいか、所々奇妙な声でしゃべるジルがかくかくとした動きで自分の体を見る。半ば呆然とそれを見ていた紅香を、突然顔を上げたジルが見る。
「同じ……にしでやろう、か……?」
 突如、ジルが駆けた。その体の状態からは想像すらしなかった速さだ。一瞬にして紅香の目の前に迫り、ナイフを振り上げる。
「危ない!」
 反応できない紅香の前に、いち早く我に返った静馬が割り込む。振り下ろされたナイフを、ジルの腕つかんで止める。
「お前は……退いでろぉっ!!」
 つかまれた腕を、強引に振り回し、ジルは静馬を投げ飛ばす。
「うわっ!」
「静馬!」
 紅香が思わず静馬に目をやると、投げ飛ばされた静馬は床に倒れたまま動かない。守護霊が物理的にダメージを受けるのかわからないが、よくない状態であるのは確かだ。
「どこを見でんだいッ!」
 直後、紅香に再びナイフが振り下ろされる。
 今度は反応した。両手でそれを受け止める。
「おらあッ!」
 だが、紅香の無防備になった腹に、ジルのひざがめり込んだ。
「げぼっ……」
 のどから空気が漏れ、息が詰まる。今度は紅香がひざをつき、倒れこんだ。
「げふっ……かはっ……」
「始めっから……ぞうやっで転がってりゃいいものをッ! くそがッ!」
 倒れた紅香を、ジルが折れているはずの足で蹴る。
「くあっ!」
 うつ伏せの状態から蹴られ、仰向けに転がりながら紅香がうめく。息があがったところで脇腹を蹴られ、息が苦しい。ぜえぜえと必死に酸素を吸い込もうとする紅香を見下ろし、ジルがにやりと笑った。
「魔法の解ける時間だ、シンデレラァ……ッ!」
 ジルが大きくナイフを振りかぶり、紅香に向かって振り下ろす。
 刹那――――。
「ナイフを狙え、紅香ッ!」
 ぼんやりと霞みがかっていた紅香の頭に、誰かの声が届いた。
 静馬だ。
「う、ああああああああっ!」
 朦朧とする意識を覚醒させようとするかのように叫びながら、紅香は地を転がった。すんでのところでナイフをかわす。
「なッ!?」
 勝利を確信していたジルの体勢が崩れ、倒れこむ。ナイフを支えにするような形でジルはひざまづく。そのナイフの先が、かすかにコンクリートの隙間に挟まった。
「く……らえぇっ!」
 紅香が地面を転がったまま、ジルの黒いナイフを回し蹴りの要領で蹴る。体重のかからない体勢ながら、コンクリートの隙間に挟まったそれは、紅香の蹴りの衝撃に耐えられなかった。
 さながら骨の砕けるような音とともに、ナイフは根元から真っ二つに折れた。
 その時。
「ぐっ……ぐえええぇぇぇぇ……ッ!」
 ひざをついたままの姿勢だったジルが、突然、もんどりうって苦しみだした。両手足をばたつかせ、頭を振るその様は、まるで、断末魔。
「紅香!」
 静馬が紅香の元に駆け寄る。
「静馬……これは?」
「紅香、手を……貸して」
 紅香の問いには答えず、静馬は紅香の手を取る。そして、その手を苦しみ続けるジルへ向けた。
「殺人鬼、お前にふさわしい場所へ送ってやる。……煉獄の炎に……焼かれろ!」
 静馬が叫ぶと同時に、紅香の手からすさまじい勢いで炎が放たれた。それはあっという間に、ジルの全身を包み込む。
「ぐが、ああああああああああッ!!」
 もだえ苦しむジルが、一際大きな悲鳴をあげる。……そして、静かになった。
 炎に包まれたまま、ジルがゆっくりと紅香たちを見た。いや、それはもう、見えていなかったのかもしれないが。
「そうか……そうか……。お前たちの中の邪神ってのは……く、クククク……。なんてこった、殺人鬼のあたしより、お前たちの方がよっぽどの化けモンじゃないかい……。なあ……最期に一つだけ、聞かせておくれよ」
「な、なによ?」
 紅香が問う。
「あんたの名前、さ……。認めてやるよ……。狩人は獲物に名前を聞いたりしない……だから、知りたいのさ。あたしが今も、切り裂きたくて切り裂きたくてたまらない、愛しい者の名前をね……」
「火ノ宮……紅香」
「紅の香り……か。いい名前……だ」
 絞り出すような声で、クク、とジルは笑った。
「邪神……煉獄の……ラプラスの、魔の眷族……。だが、あたしは消えないよ。人間が、殺意を持つ限り……あたしは、不死身の……殺人鬼……だ……。あたしは帰ってくる。愛しい愛しいあんたを切り裂きに……帰ってくる。クク、いいか、あんたを切り裂くのはこの、あたし、だッ……! クク……クククハハハハハハハハッ!!」
 その言葉が、殺人鬼、ジル・エンジェルリッパーの最期の言葉となった。