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Water moon rising

ー/ー



ーその手を握って感じたのは、ひどい冷たさ。
その手を握られて感じたのは、初めて感じる暖かさー
 翌日、昼。
「ふぃーっ。遠出するのも久しぶり。バイクの調子、どうかと思ったけど、快調快調」
 
 セトミは、楽しげにバイクのスロットルをふかす。アリサのバーに部屋を借りるようになってから、しばらく乗っていなかった自分の光学バイクだが、そのエンジンは順調だった。

資源が大戦によって乱掘され減少し、文明が衰退してからは掘り起こすこともできず、現在では乗り物も光学エネルギーが主流だ。セトミも武器として使っているそれは、皮肉にも大戦で軍事目的に発達した技術だ。

「配達も思ったより早く終わったし、ちょっとジャンクバザーでものぞいていこうかな」

 配達とは、今朝になってアリサから頼まれた依頼だった。依頼とは言っても、あるチェイサーが手に入れた品物を、買い手に届けるだけの、いわばお使いだ。アリサの店は人が多く集まることもあり、チェイサーと依頼人の仲介も手がけている。

 実際、先日請け負ったヴィクティムへの仇討ちも、アリサの仲介で回ってきた仕事だった。のんびりしているように見えて、アリサも商売に関してはかなりのやり手なのだ。

 しかし、真っ昼間からバイクを飛ばすのは、やはり気持ちがいい。エネルギーを無駄に消費するわけにもいかないのでしばらく控えていたが、青空の下を風を切って走るのは爽快だ。たとえ、そこが砂塵と瓦礫の街であっても。

 やがて、その砂塵の向こうに簡素な露店の立ち並ぶ通りが見えてくる。そこが、先ほど口にしたジャンクバザーだ。

 『エデン』の入り口となるゲートのすぐ内側に作られたその通りは、ヒューマンが暮らす地区最大の市場だ。ここでは食料から武器弾薬、バイクや車といった乗り物まで、なんでも取引されている。

 というのも、エデンの地下には『エデンズシャドウ』と呼ばれる、大戦時代の地下巨大軍事施設が存在している。そこには、未だ大戦時代に使用されていた武器や資源、生活道具が山積している。そういったものをチェイサーが採掘し、換金するのが、このバザーなのだ。


「おっし、着いた着いた」
 バザーの入り口に着くと、セトミはバイクを降りる。バザーは今日も、買い物客と商人たちの売り込みの声で満ちている。ヒューマンの居住区の中でも稀有な、活気のある場所だ。新鮮な食材や、それらを使った立ち食い屋台、雑貨店などが並んでいる。

 しかしセトミは、その活気のあるメインストリートから、人気の少ない裏通りへと入って行く。こちらにもちらほらと店らしき屋台が立っているが、メインストリートのような活気はない。
 
 それらの店主も、すれ違う客も、こちらはどこか剣呑な空気を纏っている。それもそうだろう、ある意味ではこちらが本当のジャンクバザー……チェイサー御用達の、武器や弾薬を扱う店が並ぶ通りなのだ。

 その中でも特にこじんまりとした店の前で、セトミは立ち止まる。

「ゲンじい、やっほー」
 にこにこと手を振りながら、セトミは店の奥の小さな背中に声をかける。すぐに、その背の主――――禿げ上がった頭に白ひげの、小柄な老人が振り返った。

「おお、小娘! お主、まだ生きておったか! しばらく姿を見せんから、どっかで野垂れ死んだかと祝杯をあげるとこじゃったぞ」

 ゲンじいと呼ばれた老人は、なにやら作業していた手を止めて、にやりと笑う。

「あっはっは、どう考えたって、ゲンじいのが先にお迎えが来るでしょ。家族もいないんだから、遺言があるなら私が聞いとくよ? ん?」

 けらけらと笑いながら、セトミはゲンじいの皮肉をさらりと返す。

「ふはは、相変わらず口の減らん小娘じゃな。そんな奴に遺言なんぞ頼めるかい。で? 今日はなんのようじゃ?」

「……これ、『アンセム』。こっちになかなか来られなかったから、ドッグに調整を頼んだら、こんなにしちゃってさ。とりあえず、標準的に戻してほしいんだけど」

 『アンセム』とは、セトミが先日、ヴィクティムと戦う際に使ったハンドガンだ。光学銃――――ガンマレイは、出力の強さを自由に設定できるのが特徴だ。それこそ、護身用から、必殺の威力まで。しかしもちろん、高威力にすれば反動は大きくなるし、エネルギーの消費も激しくなる。その辺りの調整は、なかなか判断に悩むところだ。

「ふむ……ぬおっ、こりゃすごいな。こんなもん持って歩いてたら、ヴィクティムの警護兵にしょっ引かれるぞ。どう考えてもヒューマンを標的にした改造じゃないからの」

「でしょ? ちょっと出力上げてっていったらこれなんだもん。銃をいじくるのに興味あるみたいなのはいいけど、人の武器で実験しないでほしいよねー」

 さっそくアンセムをいじくりだしたゲンじいに、セトミがぶうたれる。

「どれくらいかかりそう?」

「そうじゃな、時間はこの程度だったら5分もありゃできるじゃろ。料金は……そうじゃな、50イェンでどうじゃ」

 にやり、と意地の悪い笑みを浮かべてゲンじいが言う。

「ちょっ、なにそれ? 高くない?」

「おう、それならそのまま持って帰ってええぞ。しかし、警備兵がほっとかんじゃろうなあ」

 この辺りはヒューマンの居住区とはいえ、この街はヴィクティムに支配されている。銃器の売買は許可されてはいるが、あまりに危険なものは規制されている。ヒューマンの居住区で一番の銃器のマーケットと言うこともあり、監視の目は厳しい。

「ただでさえお前さん、つい昨日ヴィクティムを三人、やっちまったばかりなんじゃろ? 相手が犯罪者だったとはいえ、ここんとこ、ちょいと目立ちすぎじゃないかえ?」

「……ぐぬぬ、わかったわよ。はい50。三途の川の渡し賃にでもどうぞ!」

「ひっひっひ、毎度ありぃ」

 歯噛みして皮肉を言うセトミに、ゲンじいはにたにたと笑う。これだから、腕は確かなのに店が繁盛しないのだ。

「さて、そんじゃちゃっちゃと片付けるかの。……そういやお前さん、こんな話を聞いたか?」

「……ん?」

 ぼったくられてそっぽを向いていたセトミが、話を降ってきたゲンじいに、視線だけを送る。彼も手元の銃からは目を離さず、どこかとうとうとした口調で続ける。

「ここのところ、ヴィクティムの兵の動きがおかしい。なにやら、このバザーを中心に、やたらと巡回の兵が回ってくる。といって、ヒューマンに対する規制が強化されたわけでもない。なんかくさいと思わんか?」
 そういわれて、セトミは考える。確かに先日、上層街へ行った際も、兵に見つかってごたごたすることもなかった。奴らはヴィクティムのヒューマンに対する犯罪ではほとんど動かず、逆では躍起になって犯人を捜すくせに、だ。

「……それがどうもな、連中、『シャドウ』に出入りしとるらしい。今まで、ヒューマンの基地の跡など見向きもしなかったくせにの」

「……ふぅん。お宝のにおいでも嗅ぎつけたのかしらね。で、それでなんで、それを私に?」

「シャドウにヴィクティム、と来たら、お前さんあたりにそれがらみの依頼が来るかも知れん、と思っての」
 
 相変わらず作業を続けながら、ゲンじいが言う。その言葉に、セトミがにっと目を細めた。

「なんだかんだで、かわいいセトミちゃんを気にかけているゲンじいちゃんであったー。なんってねー」

 笑って後ろ手でポーズをつけるセトミに、ゲンじいが渋面を作る。

「馬鹿言え。上客が減ったらわしが困るだけじゃい。ぬあーにが『かわいいセトミちゃん』じゃ。その減らず口のせいでちぃーともかわいかないわ」

「ムカっ。上客だと思ってるならぼったくるな!」

「それとこれとは話が別じゃ」

 飄々とセトミの言葉をかわすゲンじいに、再びセトミは腕組みしながらそっぽを向く。

 と、その視界に、こんなところには不釣合いな人影を見つけ、その表情がいぶかしげに曇る。それは、十歳になるかならないかといった風貌の少女だった。ぼろぼろの服を身にまとってはいるが、大人びて整った顔立ち、そして艶のある水色の髪と、透き通った白い肌が、どこか作り物めいた美しさを見せていた。そう、例えるなら、精巧に作られた人形のような――――。

 少女は、息を荒らげながら、駆けていた。時折、後ろを振り返りながらこちらに向かって走ってくる。その風貌からして、人買いから買われてエデンに来た奴隷かもしれない。人間、ヴィクティム問わず、この街では人が売り買いされることは珍しくない。

 セトミのその予想を裏付けるように、少女の背後の通りから、バイクに乗った集団が姿を現す。

「いたぞ、あそこだ!」

 集団の中から一声があがると同時に、バイクの列がまるで蛇が獲物に巻きつくように、少女を取り囲んだ。

 やがて、バイク集団の現れた路地裏から、一台のトラックが姿を見せる。トラックは集団の側にゆっくりと停車した。同時に、助手席から一人の男が姿を現す。

 それは、タンクトップに防弾ベストを着込んだ、目つきの鋭い青年だった。まだ二十代前半といった風貌だが、頬や腕の傷が歴戦の猛者の証、集団の男たちを一瞥するだけで道をあけさせる眼力が意思の強さの証に、それぞれなっていた。

「……手間を取らせてくれたな」

「……………」

 相対する少女は、一言も言葉を発しない。ただ鋭い目つきで、青年を見返している。だがその瞳には、青年の眼力に屈しない、強い光があった。

「……いい目をしているな。だが……」

 青年が、つかつかと少女に歩み寄ると、その胸倉をつかむ。そしてそのまま軽々と、その身体をつかみあげる。

「……それが、気に入らん」

 青年の目が一層、険しさを増す。空いた右手が、振り上げられた。

 ――――刹那。
 それは、考えての行動ではなかった。ただ目の前のそれに、自然に身体が反応した。セトミの紅い瞳が――――青年のその腕を捉えた。

 少女は振り上げられた青年の手に、その意を悟ったか、目をつぶる。だが、その顔がいつまでたっても殴られることはない。恐る恐る、少女が目を開く。

「……奇遇だねぇ。私も、あんたのその手が気に入らない、かな」

 先ほどまで店の前に立っていたセトミが、一瞬にして青年の元に駆け寄り、その手を止めていた。別に、正義感に駆られたわけではない。ただ……ただ、放っておくことが、どうにもできなかった。

 こんなことしたって厄介なことになるだけなのに、我ながら、損な性分。頭の片隅で、セトミは自嘲気味に、小さく舌をだした。

「……なに? ……貴様……」

 一瞬、困惑に染まった青年の瞳が、にわかに剣呑な色を帯びる。軽口と余裕の表情は崩さないセトミだが、青年のびりびりとした覇気はその眼力から感じていた。

 ……こいつは、ちょっとヤバい奴だ。そんじょそこらのチンピラとはわけが違う。どうも、ただの奴隷商人、買い付けにきた客とは違うようだ。

「ロウガ様っ! ……ん? あ、ああっ! て、てめえは!」

 突然、周囲から上がった声にセトミが目をやると、そこには昨日、シャイニー・デイで叩きのめした男の一人がいた。

「こ、こいつですぜ! 昨日、俺たちに吹っかけてきたメス猫は!」

「……あーらら、そゆこと……。まさか革命軍のお偉いさんが、奴隷の買い付け? いつからそんな、悪者軍団になっちゃったのかな? あ、それとも……そういうご趣味なわけ?」

 軽口を叩きながらも、セトミの片手が油断なくカタナのグリップへと伸びる。その表情も、昨日ヴィクティムやチンピラとやりあった時とは比べ物にならないほど、鋭い光を帯びている。

「……そうか。貴様がチェイサーキャットと呼ばれるものか。……俺は革命軍『ハウリング・ウルフ』リーダー……ロウガ=カグラノというものだ」

 うっそりと、青年――――ロウガは言う。ちらりとセトミがその視線を落とすと、彼もまた、腰のカタナを握っている。
 セトミの頬を、一筋、冷たい汗が流れた。

「……で? だから、なに?」

「その少女は、奴隷ではない。我ら革命軍が必要なキーだ。返してもらおうか」

 ロウガの口調は静かで、落ち着いている。だがそれは、どのような恫喝よりも、有無を言わせぬ威圧感に満ちていた。その手のカタナが、語っている。

『逆らうならば、斬る』と。

 だが、セトミはその言葉に、にやりと笑う。背後に庇った少女が、ぐっと自分の背中に身を寄せるのを感じた。

「……や・だ・ね!」

「……そうか」

 一文字一文字、吐き出すように言い放ったセトミに、ロウガの瞳からすう、と色が消えた。セトミが握ったままの右手に、ふと力が入る。

 一陣の風が、裏路地に砂塵を巻き上げた。
 その砂煙に紛れて、セトミの瞳が猫のように、紅く収縮する。

 ――――その瞬間。
 ロウガがセトミの手を振り払うようにして腰を落とす。その両手が腰のカタナへと伸びて行く。
 それを予期していたように、セトミも手を引いた。ロウガとほぼ同時にカタナに手を伸ばし、瞬時に抜く。

 その剣筋をなぞる様に、両者の描く白き剣閃が駆けた。同時に両者の間で出会った刃と刃は、ともに両者の牙のごとく、ぎりぎりと相手を食らい合う。

「……さすが、人外の瞳を持つだけのことはある。その反射速度も化け物譲りか……ッ!」

 未だ紅く光るセトミの瞳を覗き込むように、ロウガが言う。その表情は一筋、汗を流しながらも、どこかにまだ余力を感じさせる。

「チッ!」

 舌打ちとともに、セトミはカタナを引く。同時に、少女を庇いながら、後ろに下がった。

 ロウガは、その後を追いはしない。ただ、カタナを片手に構えなおすと、ぎらりとその牙を向いた。

「だが……ならば、俺にも貴様を斬る理由がある。貴様のその身は……人間でありながら、穢れたヴィクティムの因子を保有しているのだからな!」

 そのカタナの切っ先を、セトミの紅い瞳に向け、ロウガが吼える。まるで、裏切り者を糾弾するかのように。

「……うるさいよ、あんた」

 対するセトミは表情のない顔で言う。そこからは、ロウガの発した言葉に対する思いは、うかがい知ることはできない。だが、それはどこか――――底の知れない、奇妙な覇気があった。

「……因子を持つものは……斬るのみ!」

 再びロウガが、セトミの表情に不気味なものを感じつつも、両手でカタナを構えた。
 対するセトミは棒立ちのまま、何の動きも見せない。

「行くぞッ!」

 ロウガが駆ける。セトミが彼の間合いに入りかけた、その時。
 不意に、セトミが足元の砂を勢いよく蹴り上げた。

「むっ!?」

 ロウガの視界が砂煙で覆われる。奇襲を警戒した彼が、後ろへと飛び退るのと同時に、響き渡った音があった。
 それは――――バイクのエンジン音。

 砂煙が晴れた頃には、セトミは少女を後ろに乗せ、ゲンじいの店の前に置きっぱなしだった光学バイクに飛び乗っていた。

「へへーん、ハウリング・ウルフのみなさーん、今宵は思う存分、負け犬の遠吠えを楽しんでねー。ついでに、ハウリング・アンダードッグって改名したら?」

 バイク上でお尻ペンペンして笑うセトミに、すでに先ほどまでの威圧感はない。
「そんじゃあ、ばいばーい! あ、ゲンじい、お代、ツケといて」

 ゲンじいにいつの間にか手にしたアンセムを見せつけると、セトミは呆気に取られる周囲の人間を置き去りに、一気にバイクをフルスロットルで加速させた。

「あっ!? おい小娘、延滞料は取るからなぁー!!」

 後ろから響くゲンじいの叫び声に聞こえない振りをしながら、セトミはあっという間にバザーのある通りから離脱していた。

「……ほい、これ。のど乾いてんじゃない? どうせ、ろくな扱いされてなかったんでしょ」

 携帯していた飲み水を、セトミは少女に渡す。少女はいぶかしげに水筒の中身をのぞきこんでいたが、やがてむさぼるようにその中身を飲み干した。

 バザーから遠くはなれたところで、セトミはバイクを止めていた。ここはヒューマンの居住区の中でも荒れ放題の瓦礫の山になっているところだ。そうそう誰も寄り付かないので、人目につくことはない。

 追っ手がかかることも考え、廃墟となった建物の一室に、二人は身を潜めていた。

「あんまり一気に飲むと、むせるよ。あと、これね」

 床にちょこんと座った少女の前に、セトミは水と同じく携帯していた缶詰を置く。街中とはいえ、エデンではなにが起こるかわからない。そのために持ち歩いていた非常用の携帯食料だった。
 水と同じく、少女は缶詰の中身も一気にむさぼり食った。

「……よっぽどひどい扱いを受けてたのね。服もぼろぼろだし」

 一つため息をつき、セトミが言う。そのセトミを、少女はなにか不思議なものでも見るかのように見つめている。

「……なぜ?」

 ひどく端的に、少女が言う。バザーを後にして以来、少女が始めて発した言葉がそれだった。その言葉の意図は『なぜ自分を助けてくれたのか』ということであることは、言葉以上にその瞳が語っていた。

「別に。深い理由なんてないよ」

 セトミはさして重要なことでもないというかのように、膝で頬杖をついて言う。

「私はただ、自分の思うがままにやりたいだけ。自由に、気ままに、何にも流されないで、ね。君を助けたのはただの気まぐれ。なーんとなく、だよ」

 ――――そう。慈悲や正義感で少女を助けたわけではない。ただ、あの状況で放っておくと、あとで夢見が悪い。それだけのことだ。

「そんなことより、君はどこから来たの? 乗りかかった船だし、よっぽどの遠くじゃなきゃ、送ってってあげる」

 セトミのその言葉に、少女はまたもその瞳を見つめる。表情のないその顔は、どこかつかみどころがなく、その心の内は読み取ることができない。その、どこか作り物めいた美しさもあいまって、少女のまとう空気は不思議に神秘的だった。

「……水の、中」

「……ふえ?」

 ぼそりと少女が口にしたその言葉に、セトミは思わず気の抜けた声を出していた。それが、先ほど自分が聞いた問いの答えだということに気がつくのに、わずかに時間がかかった。

「……水の中から、来たっての?」

 聞き返すセトミの問いに、少女はこくりとうなずく。おぼれたとか、水のある場所の側で暮らしていたとか、そういうことだろうか。

「あー、そうじゃなくってさ。どこに住んでたとか、そういう……」

「……水の中、住んでた」

 セトミの言葉をさえぎり、少女が言う。思わず帽子の上から頭を掻く。どうにも、面倒な少女だ。

 だがその思考を、少女の次の言葉が切り裂いた。
「あなた……わたしと、同じ」

 そう言って、少女はセトミの瞳と、頭をそれぞれ指差した。

「……………」

 少女のそのセリフと挙動に、セトミの表情に不意に真剣な色が走った。

「まさか……君も?」

 再び、少女はこくりとうなずく。

 わずかに、瞳に力を入れるようにして、少女を見る。言われてみれば確かに、彼女のそれが身体のどこかはわからないが、その香りを感じ取ることができた。

「……そっか」
 視線をそらしながら、セトミがつぶやく。そして、顔を隠すようにして、帽子を目深に被りなおした。その瞳に、かすかに紅い色がさした。

 それは、ヴィクティム因子を持つものの証。瞳も、頭に現れる猫の耳のような突起も、そうだ。しかし、セトミはヴィクティムではない。紛れもなく、人間だ。

 ――――少なくとも、自分では、そうでありたいと思う。

 ヴィクティム因子は、生物の体内に侵入すると、その身体を怪物に変える。だが、ごくまれに、例外もあった。それが、『ハーフ』と呼ばれるものたちだった。

 彼らは因子に対する抗体を先天的に有しており、因子に侵入されても身体を元のままに保つことができる人間たちだった。だが、因子の影響は身体に根付いており、その身体能力は人間のそれを超える。

 そして、因子の影響をもっとも強く受ける身体の部位は、特殊な能力を持つ。それがセトミは、瞳と頭だった。
 紅く、猫のように収縮する瞳は対象物の一瞬先の挙動を目視し、耳のような突起は神経の情報伝達を一瞬、爆発的に加速させる。そして、その能力を使う時にだけ、それらは姿を見せる。

 彼女が本気を見せた際の超人的な動きは、それによるものだった。

 その瞳ゆえに彼女が背負った呼び名――――それが、『チェイサーキャット』。

 だが、ハーフはその力ゆえに人間からは恐れられ、避けられる。だが人間としての姿を保っているがゆえに、ヴィクティムからは蔑まれる。『ハーフ』――――その名はそのままの意味だけでなく、『どっちつかずの半端者』……そういった、侮蔑も込められた呼び名だった。

 だから、多くの者はハーフであることを隠し、人間として生きている。

 セトミも、恐らく、この少女も。

 ――――なら、恐らく、まともな『帰ることができる場所』などないだろう。

 だが、ミナツキはそこで沈黙する。思い出せないのか、言いたくないのか、その表情からは読み取ることはできない。

「まあ、いいか。詮索する気もないし」

 横目でミナツキを見ながら、セトミは嘆息する。

 それにしても、不思議な雰囲気の少女だ。そのひどく希薄な感情表現といい、『水の中にいた』という言い方といい、どうも、心ここにあらずといった感じだ。とはいえ、まるでその感情が見えないわけでもない。

 だというのに、どこか放っておけない。どこが、と言われれば具体的にはわからないのだが、どうにも『じゃあここでお別れ』という気になれないのだ。

 どうにも最近、自分もヤキがまわったか。

「……おねえちゃん、いた」

「え?」

 不意に、ミナツキが言う。物思いにふけっていたセトミは、思わず聞き返した。

「おねえちゃん、いた」

「ああ、お姉ちゃんと暮らしてたの?」

 ミナツキは無言でこくり、とうなずいた。

「おねえちゃんと、シャドウに、いた。おねえちゃん、まだそこに、いる」

「シャドウに……?」

 意外な言葉に、セトミは首をかしげる。確かに、ハーフの中には、ヒューマンともヴィクティムとも関わることを嫌い、地下に潜るものもいる。しかし、あくまで一部の……それこそ隠者めいた連中だけだ。小さな子供を連れて、そのような場所に住むものがいるとは考えにくい。

 というのも、『シャドウ』は大戦時の資源が眠っているとはいえ、当時のセキュリティや、どこから湧き出すのかヴィクティム化した生物が徘徊する魔窟でもある。いくら人間の身体能力を超えるハーフといえど、危険なことに違いはない。

 だが、まっすぐに見つめてくるミナツキの瞳は、この薄汚れた世界に似つかないほど透き通って見える。それは、ひどく深く、そしてひどく透明な、水面のように。

「……まあ、いいや。送ってってあげるって言っちゃったし、連れてってあげる。こう見えて、意外に義理深いんだ、私」

 笑って、セトミはミナツキの手を取る。その小さな手は、少女のそれとは思えないほど、凍てつくように冷たかった。





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ーその手を握って感じたのは、ひどい冷たさ。
その手を握られて感じたのは、初めて感じる暖かさー
 翌日、昼。
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 セトミは、楽しげにバイクのスロットルをふかす。アリサのバーに部屋を借りるようになってから、しばらく乗っていなかった自分の光学バイクだが、そのエンジンは順調だった。
資源が大戦によって乱掘され減少し、文明が衰退してからは掘り起こすこともできず、現在では乗り物も光学エネルギーが主流だ。セトミも武器として使っているそれは、皮肉にも大戦で軍事目的に発達した技術だ。
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 実際、先日請け負ったヴィクティムへの仇討ちも、アリサの仲介で回ってきた仕事だった。のんびりしているように見えて、アリサも商売に関してはかなりのやり手なのだ。
 しかし、真っ昼間からバイクを飛ばすのは、やはり気持ちがいい。エネルギーを無駄に消費するわけにもいかないのでしばらく控えていたが、青空の下を風を切って走るのは爽快だ。たとえ、そこが砂塵と瓦礫の街であっても。
 やがて、その砂塵の向こうに簡素な露店の立ち並ぶ通りが見えてくる。そこが、先ほど口にしたジャンクバザーだ。
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 というのも、エデンの地下には『エデンズシャドウ』と呼ばれる、大戦時代の地下巨大軍事施設が存在している。そこには、未だ大戦時代に使用されていた武器や資源、生活道具が山積している。そういったものをチェイサーが採掘し、換金するのが、このバザーなのだ。
「おっし、着いた着いた」
 バザーの入り口に着くと、セトミはバイクを降りる。バザーは今日も、買い物客と商人たちの売り込みの声で満ちている。ヒューマンの居住区の中でも稀有な、活気のある場所だ。新鮮な食材や、それらを使った立ち食い屋台、雑貨店などが並んでいる。
 しかしセトミは、その活気のあるメインストリートから、人気の少ない裏通りへと入って行く。こちらにもちらほらと店らしき屋台が立っているが、メインストリートのような活気はない。
 それらの店主も、すれ違う客も、こちらはどこか剣呑な空気を纏っている。それもそうだろう、ある意味ではこちらが本当のジャンクバザー……チェイサー御用達の、武器や弾薬を扱う店が並ぶ通りなのだ。
 その中でも特にこじんまりとした店の前で、セトミは立ち止まる。
「ゲンじい、やっほー」
 にこにこと手を振りながら、セトミは店の奥の小さな背中に声をかける。すぐに、その背の主――――禿げ上がった頭に白ひげの、小柄な老人が振り返った。
「おお、小娘! お主、まだ生きておったか! しばらく姿を見せんから、どっかで野垂れ死んだかと祝杯をあげるとこじゃったぞ」
 ゲンじいと呼ばれた老人は、なにやら作業していた手を止めて、にやりと笑う。
「あっはっは、どう考えたって、ゲンじいのが先にお迎えが来るでしょ。家族もいないんだから、遺言があるなら私が聞いとくよ? ん?」
 けらけらと笑いながら、セトミはゲンじいの皮肉をさらりと返す。
「ふはは、相変わらず口の減らん小娘じゃな。そんな奴に遺言なんぞ頼めるかい。で? 今日はなんのようじゃ?」
「……これ、『アンセム』。こっちになかなか来られなかったから、ドッグに調整を頼んだら、こんなにしちゃってさ。とりあえず、標準的に戻してほしいんだけど」
 『アンセム』とは、セトミが先日、ヴィクティムと戦う際に使ったハンドガンだ。光学銃――――ガンマレイは、出力の強さを自由に設定できるのが特徴だ。それこそ、護身用から、必殺の威力まで。しかしもちろん、高威力にすれば反動は大きくなるし、エネルギーの消費も激しくなる。その辺りの調整は、なかなか判断に悩むところだ。
「ふむ……ぬおっ、こりゃすごいな。こんなもん持って歩いてたら、ヴィクティムの警護兵にしょっ引かれるぞ。どう考えてもヒューマンを標的にした改造じゃないからの」
「でしょ? ちょっと出力上げてっていったらこれなんだもん。銃をいじくるのに興味あるみたいなのはいいけど、人の武器で実験しないでほしいよねー」
 さっそくアンセムをいじくりだしたゲンじいに、セトミがぶうたれる。
「どれくらいかかりそう?」
「そうじゃな、時間はこの程度だったら5分もありゃできるじゃろ。料金は……そうじゃな、50イェンでどうじゃ」
 にやり、と意地の悪い笑みを浮かべてゲンじいが言う。
「ちょっ、なにそれ? 高くない?」
「おう、それならそのまま持って帰ってええぞ。しかし、警備兵がほっとかんじゃろうなあ」
 この辺りはヒューマンの居住区とはいえ、この街はヴィクティムに支配されている。銃器の売買は許可されてはいるが、あまりに危険なものは規制されている。ヒューマンの居住区で一番の銃器のマーケットと言うこともあり、監視の目は厳しい。
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「……ぐぬぬ、わかったわよ。はい50。三途の川の渡し賃にでもどうぞ!」
「ひっひっひ、毎度ありぃ」
 歯噛みして皮肉を言うセトミに、ゲンじいはにたにたと笑う。これだから、腕は確かなのに店が繁盛しないのだ。
「さて、そんじゃちゃっちゃと片付けるかの。……そういやお前さん、こんな話を聞いたか?」
「……ん?」
 ぼったくられてそっぽを向いていたセトミが、話を降ってきたゲンじいに、視線だけを送る。彼も手元の銃からは目を離さず、どこかとうとうとした口調で続ける。
「ここのところ、ヴィクティムの兵の動きがおかしい。なにやら、このバザーを中心に、やたらと巡回の兵が回ってくる。といって、ヒューマンに対する規制が強化されたわけでもない。なんかくさいと思わんか?」
 そういわれて、セトミは考える。確かに先日、上層街へ行った際も、兵に見つかってごたごたすることもなかった。奴らはヴィクティムのヒューマンに対する犯罪ではほとんど動かず、逆では躍起になって犯人を捜すくせに、だ。
「……それがどうもな、連中、『シャドウ』に出入りしとるらしい。今まで、ヒューマンの基地の跡など見向きもしなかったくせにの」
「……ふぅん。お宝のにおいでも嗅ぎつけたのかしらね。で、それでなんで、それを私に?」
「シャドウにヴィクティム、と来たら、お前さんあたりにそれがらみの依頼が来るかも知れん、と思っての」
 相変わらず作業を続けながら、ゲンじいが言う。その言葉に、セトミがにっと目を細めた。
「なんだかんだで、かわいいセトミちゃんを気にかけているゲンじいちゃんであったー。なんってねー」
 笑って後ろ手でポーズをつけるセトミに、ゲンじいが渋面を作る。
「馬鹿言え。上客が減ったらわしが困るだけじゃい。ぬあーにが『かわいいセトミちゃん』じゃ。その減らず口のせいでちぃーともかわいかないわ」
「ムカっ。上客だと思ってるならぼったくるな!」
「それとこれとは話が別じゃ」
 飄々とセトミの言葉をかわすゲンじいに、再びセトミは腕組みしながらそっぽを向く。
 と、その視界に、こんなところには不釣合いな人影を見つけ、その表情がいぶかしげに曇る。それは、十歳になるかならないかといった風貌の少女だった。ぼろぼろの服を身にまとってはいるが、大人びて整った顔立ち、そして艶のある水色の髪と、透き通った白い肌が、どこか作り物めいた美しさを見せていた。そう、例えるなら、精巧に作られた人形のような――――。
 少女は、息を荒らげながら、駆けていた。時折、後ろを振り返りながらこちらに向かって走ってくる。その風貌からして、人買いから買われてエデンに来た奴隷かもしれない。人間、ヴィクティム問わず、この街では人が売り買いされることは珍しくない。
 セトミのその予想を裏付けるように、少女の背後の通りから、バイクに乗った集団が姿を現す。
「いたぞ、あそこだ!」
 集団の中から一声があがると同時に、バイクの列がまるで蛇が獲物に巻きつくように、少女を取り囲んだ。
 やがて、バイク集団の現れた路地裏から、一台のトラックが姿を見せる。トラックは集団の側にゆっくりと停車した。同時に、助手席から一人の男が姿を現す。
 それは、タンクトップに防弾ベストを着込んだ、目つきの鋭い青年だった。まだ二十代前半といった風貌だが、頬や腕の傷が歴戦の猛者の証、集団の男たちを一瞥するだけで道をあけさせる眼力が意思の強さの証に、それぞれなっていた。
「……手間を取らせてくれたな」
「……………」
 相対する少女は、一言も言葉を発しない。ただ鋭い目つきで、青年を見返している。だがその瞳には、青年の眼力に屈しない、強い光があった。
「……いい目をしているな。だが……」
 青年が、つかつかと少女に歩み寄ると、その胸倉をつかむ。そしてそのまま軽々と、その身体をつかみあげる。
「……それが、気に入らん」
 青年の目が一層、険しさを増す。空いた右手が、振り上げられた。
 ――――刹那。
 それは、考えての行動ではなかった。ただ目の前のそれに、自然に身体が反応した。セトミの紅い瞳が――――青年のその腕を捉えた。
 少女は振り上げられた青年の手に、その意を悟ったか、目をつぶる。だが、その顔がいつまでたっても殴られることはない。恐る恐る、少女が目を開く。
「……奇遇だねぇ。私も、あんたのその手が気に入らない、かな」
 先ほどまで店の前に立っていたセトミが、一瞬にして青年の元に駆け寄り、その手を止めていた。別に、正義感に駆られたわけではない。ただ……ただ、放っておくことが、どうにもできなかった。
 こんなことしたって厄介なことになるだけなのに、我ながら、損な性分。頭の片隅で、セトミは自嘲気味に、小さく舌をだした。
「……なに? ……貴様……」
 一瞬、困惑に染まった青年の瞳が、にわかに剣呑な色を帯びる。軽口と余裕の表情は崩さないセトミだが、青年のびりびりとした覇気はその眼力から感じていた。
 ……こいつは、ちょっとヤバい奴だ。そんじょそこらのチンピラとはわけが違う。どうも、ただの奴隷商人、買い付けにきた客とは違うようだ。
「ロウガ様っ! ……ん? あ、ああっ! て、てめえは!」
 突然、周囲から上がった声にセトミが目をやると、そこには昨日、シャイニー・デイで叩きのめした男の一人がいた。
「こ、こいつですぜ! 昨日、俺たちに吹っかけてきたメス猫は!」
「……あーらら、そゆこと……。まさか革命軍のお偉いさんが、奴隷の買い付け? いつからそんな、悪者軍団になっちゃったのかな? あ、それとも……そういうご趣味なわけ?」
 軽口を叩きながらも、セトミの片手が油断なくカタナのグリップへと伸びる。その表情も、昨日ヴィクティムやチンピラとやりあった時とは比べ物にならないほど、鋭い光を帯びている。
「……そうか。貴様がチェイサーキャットと呼ばれるものか。……俺は革命軍『ハウリング・ウルフ』リーダー……ロウガ=カグラノというものだ」
 うっそりと、青年――――ロウガは言う。ちらりとセトミがその視線を落とすと、彼もまた、腰のカタナを握っている。
 セトミの頬を、一筋、冷たい汗が流れた。
「……で? だから、なに?」
「その少女は、奴隷ではない。我ら革命軍が必要なキーだ。返してもらおうか」
 ロウガの口調は静かで、落ち着いている。だがそれは、どのような恫喝よりも、有無を言わせぬ威圧感に満ちていた。その手のカタナが、語っている。
『逆らうならば、斬る』と。
 だが、セトミはその言葉に、にやりと笑う。背後に庇った少女が、ぐっと自分の背中に身を寄せるのを感じた。
「……や・だ・ね!」
「……そうか」
 一文字一文字、吐き出すように言い放ったセトミに、ロウガの瞳からすう、と色が消えた。セトミが握ったままの右手に、ふと力が入る。
 一陣の風が、裏路地に砂塵を巻き上げた。
 その砂煙に紛れて、セトミの瞳が猫のように、紅く収縮する。
 ――――その瞬間。
 ロウガがセトミの手を振り払うようにして腰を落とす。その両手が腰のカタナへと伸びて行く。
 それを予期していたように、セトミも手を引いた。ロウガとほぼ同時にカタナに手を伸ばし、瞬時に抜く。
 その剣筋をなぞる様に、両者の描く白き剣閃が駆けた。同時に両者の間で出会った刃と刃は、ともに両者の牙のごとく、ぎりぎりと相手を食らい合う。
「……さすが、人外の瞳を持つだけのことはある。その反射速度も化け物譲りか……ッ!」
 未だ紅く光るセトミの瞳を覗き込むように、ロウガが言う。その表情は一筋、汗を流しながらも、どこかにまだ余力を感じさせる。
「チッ!」
 舌打ちとともに、セトミはカタナを引く。同時に、少女を庇いながら、後ろに下がった。
 ロウガは、その後を追いはしない。ただ、カタナを片手に構えなおすと、ぎらりとその牙を向いた。
「だが……ならば、俺にも貴様を斬る理由がある。貴様のその身は……人間でありながら、穢れたヴィクティムの因子を保有しているのだからな!」
 そのカタナの切っ先を、セトミの紅い瞳に向け、ロウガが吼える。まるで、裏切り者を糾弾するかのように。
「……うるさいよ、あんた」
 対するセトミは表情のない顔で言う。そこからは、ロウガの発した言葉に対する思いは、うかがい知ることはできない。だが、それはどこか――――底の知れない、奇妙な覇気があった。
「……因子を持つものは……斬るのみ!」
 再びロウガが、セトミの表情に不気味なものを感じつつも、両手でカタナを構えた。
 対するセトミは棒立ちのまま、何の動きも見せない。
「行くぞッ!」
 ロウガが駆ける。セトミが彼の間合いに入りかけた、その時。
 不意に、セトミが足元の砂を勢いよく蹴り上げた。
「むっ!?」
 ロウガの視界が砂煙で覆われる。奇襲を警戒した彼が、後ろへと飛び退るのと同時に、響き渡った音があった。
 それは――――バイクのエンジン音。
 砂煙が晴れた頃には、セトミは少女を後ろに乗せ、ゲンじいの店の前に置きっぱなしだった光学バイクに飛び乗っていた。
「へへーん、ハウリング・ウルフのみなさーん、今宵は思う存分、負け犬の遠吠えを楽しんでねー。ついでに、ハウリング・アンダードッグって改名したら?」
 バイク上でお尻ペンペンして笑うセトミに、すでに先ほどまでの威圧感はない。
「そんじゃあ、ばいばーい! あ、ゲンじい、お代、ツケといて」
 ゲンじいにいつの間にか手にしたアンセムを見せつけると、セトミは呆気に取られる周囲の人間を置き去りに、一気にバイクをフルスロットルで加速させた。
「あっ!? おい小娘、延滞料は取るからなぁー!!」
 後ろから響くゲンじいの叫び声に聞こえない振りをしながら、セトミはあっという間にバザーのある通りから離脱していた。
「……ほい、これ。のど乾いてんじゃない? どうせ、ろくな扱いされてなかったんでしょ」
 携帯していた飲み水を、セトミは少女に渡す。少女はいぶかしげに水筒の中身をのぞきこんでいたが、やがてむさぼるようにその中身を飲み干した。
 バザーから遠くはなれたところで、セトミはバイクを止めていた。ここはヒューマンの居住区の中でも荒れ放題の瓦礫の山になっているところだ。そうそう誰も寄り付かないので、人目につくことはない。
 追っ手がかかることも考え、廃墟となった建物の一室に、二人は身を潜めていた。
「あんまり一気に飲むと、むせるよ。あと、これね」
 床にちょこんと座った少女の前に、セトミは水と同じく携帯していた缶詰を置く。街中とはいえ、エデンではなにが起こるかわからない。そのために持ち歩いていた非常用の携帯食料だった。
 水と同じく、少女は缶詰の中身も一気にむさぼり食った。
「……よっぽどひどい扱いを受けてたのね。服もぼろぼろだし」
 一つため息をつき、セトミが言う。そのセトミを、少女はなにか不思議なものでも見るかのように見つめている。
「……なぜ?」
 ひどく端的に、少女が言う。バザーを後にして以来、少女が始めて発した言葉がそれだった。その言葉の意図は『なぜ自分を助けてくれたのか』ということであることは、言葉以上にその瞳が語っていた。
「別に。深い理由なんてないよ」
 セトミはさして重要なことでもないというかのように、膝で頬杖をついて言う。
「私はただ、自分の思うがままにやりたいだけ。自由に、気ままに、何にも流されないで、ね。君を助けたのはただの気まぐれ。なーんとなく、だよ」
 ――――そう。慈悲や正義感で少女を助けたわけではない。ただ、あの状況で放っておくと、あとで夢見が悪い。それだけのことだ。
「そんなことより、君はどこから来たの? 乗りかかった船だし、よっぽどの遠くじゃなきゃ、送ってってあげる」
 セトミのその言葉に、少女はまたもその瞳を見つめる。表情のないその顔は、どこかつかみどころがなく、その心の内は読み取ることができない。その、どこか作り物めいた美しさもあいまって、少女のまとう空気は不思議に神秘的だった。
「……水の、中」
「……ふえ?」
 ぼそりと少女が口にしたその言葉に、セトミは思わず気の抜けた声を出していた。それが、先ほど自分が聞いた問いの答えだということに気がつくのに、わずかに時間がかかった。
「……水の中から、来たっての?」
 聞き返すセトミの問いに、少女はこくりとうなずく。おぼれたとか、水のある場所の側で暮らしていたとか、そういうことだろうか。
「あー、そうじゃなくってさ。どこに住んでたとか、そういう……」
「……水の中、住んでた」
 セトミの言葉をさえぎり、少女が言う。思わず帽子の上から頭を掻く。どうにも、面倒な少女だ。
 だがその思考を、少女の次の言葉が切り裂いた。
「あなた……わたしと、同じ」
 そう言って、少女はセトミの瞳と、頭をそれぞれ指差した。
「……………」
 少女のそのセリフと挙動に、セトミの表情に不意に真剣な色が走った。
「まさか……君も?」
 再び、少女はこくりとうなずく。
 わずかに、瞳に力を入れるようにして、少女を見る。言われてみれば確かに、彼女のそれが身体のどこかはわからないが、その香りを感じ取ることができた。
「……そっか」
 視線をそらしながら、セトミがつぶやく。そして、顔を隠すようにして、帽子を目深に被りなおした。その瞳に、かすかに紅い色がさした。
 それは、ヴィクティム因子を持つものの証。瞳も、頭に現れる猫の耳のような突起も、そうだ。しかし、セトミはヴィクティムではない。紛れもなく、人間だ。
 ――――少なくとも、自分では、そうでありたいと思う。
 ヴィクティム因子は、生物の体内に侵入すると、その身体を怪物に変える。だが、ごくまれに、例外もあった。それが、『ハーフ』と呼ばれるものたちだった。
 彼らは因子に対する抗体を先天的に有しており、因子に侵入されても身体を元のままに保つことができる人間たちだった。だが、因子の影響は身体に根付いており、その身体能力は人間のそれを超える。
 そして、因子の影響をもっとも強く受ける身体の部位は、特殊な能力を持つ。それがセトミは、瞳と頭だった。
 紅く、猫のように収縮する瞳は対象物の一瞬先の挙動を目視し、耳のような突起は神経の情報伝達を一瞬、爆発的に加速させる。そして、その能力を使う時にだけ、それらは姿を見せる。
 彼女が本気を見せた際の超人的な動きは、それによるものだった。
 その瞳ゆえに彼女が背負った呼び名――――それが、『チェイサーキャット』。
 だが、ハーフはその力ゆえに人間からは恐れられ、避けられる。だが人間としての姿を保っているがゆえに、ヴィクティムからは蔑まれる。『ハーフ』――――その名はそのままの意味だけでなく、『どっちつかずの半端者』……そういった、侮蔑も込められた呼び名だった。
 だから、多くの者はハーフであることを隠し、人間として生きている。
 セトミも、恐らく、この少女も。
 ――――なら、恐らく、まともな『帰ることができる場所』などないだろう。
 だが、ミナツキはそこで沈黙する。思い出せないのか、言いたくないのか、その表情からは読み取ることはできない。
「まあ、いいか。詮索する気もないし」
 横目でミナツキを見ながら、セトミは嘆息する。
 それにしても、不思議な雰囲気の少女だ。そのひどく希薄な感情表現といい、『水の中にいた』という言い方といい、どうも、心ここにあらずといった感じだ。とはいえ、まるでその感情が見えないわけでもない。
 だというのに、どこか放っておけない。どこが、と言われれば具体的にはわからないのだが、どうにも『じゃあここでお別れ』という気になれないのだ。
 どうにも最近、自分もヤキがまわったか。
「……おねえちゃん、いた」
「え?」
 不意に、ミナツキが言う。物思いにふけっていたセトミは、思わず聞き返した。
「おねえちゃん、いた」
「ああ、お姉ちゃんと暮らしてたの?」
 ミナツキは無言でこくり、とうなずいた。
「おねえちゃんと、シャドウに、いた。おねえちゃん、まだそこに、いる」
「シャドウに……?」
 意外な言葉に、セトミは首をかしげる。確かに、ハーフの中には、ヒューマンともヴィクティムとも関わることを嫌い、地下に潜るものもいる。しかし、あくまで一部の……それこそ隠者めいた連中だけだ。小さな子供を連れて、そのような場所に住むものがいるとは考えにくい。
 というのも、『シャドウ』は大戦時の資源が眠っているとはいえ、当時のセキュリティや、どこから湧き出すのかヴィクティム化した生物が徘徊する魔窟でもある。いくら人間の身体能力を超えるハーフといえど、危険なことに違いはない。
 だが、まっすぐに見つめてくるミナツキの瞳は、この薄汚れた世界に似つかないほど透き通って見える。それは、ひどく深く、そしてひどく透明な、水面のように。
「……まあ、いいや。送ってってあげるって言っちゃったし、連れてってあげる。こう見えて、意外に義理深いんだ、私」
 笑って、セトミはミナツキの手を取る。その小さな手は、少女のそれとは思えないほど、凍てつくように冷たかった。