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第壱話

ー/ー



 水色の帆布に霞のような淡い雲が美麗な春の空。鼓膜を心地良く波打つ漣の音と、崖上に居ても存在感が一秒たりとも薄まったことがない潮の匂い。時折聞こえる鳥のさえずりが爽やかな朝を彩る。
 絵に描いたような春天の下、駿之介は重い息を吐き出した。

「また同じ会話をしなきゃいけないのか……」

 縁側で干されていた洗濯物を眺め、また溜息一つ。
 教室にいるべき時間帯に仮病を使って学校を休んでもらった目的は、ループから解脱することだった――が、それはもう半ば諦めかけていた。

「いっそのこと何もかも諦めて遊び尽くすというのも……いやいや」

 ちらっと想像した自堕落な未来の呟きを最後に、誘惑を追っ払うように頭を振る。

 あれから試行錯誤を重ねても結局は同じ日に戻されるばかりで倦厭したが、おかげでこの街に対する理解度も深まった。
 校内に英名表記と和名表記が存在すること。街中に色違いのバス停が二種類存在すること。しかし新たな発見があったとは言えど、逆に言えばその程度の情報しか増えていない。

 今回のループも含めて既に六回目になる。その内、四回も仮病を使ったがそろそろ突破口が欲しいところだ。

「何かヒントになれそうなものがあれば――ん? なんだあれは」

 ぐんと大きく背伸びして不意に視線が上に行ったその時――何かが物凄い勢いで落下している。
 見計らったようなタイミングに、消えかけた希望が彼の中でガッツポーズ。

 これだ、この展開を待っていた。やはり神様は実在するのだ。サボり魔の“神様”がようやく重腰を上げなさって彷徨い子羊を導くようにヒントをぽいっ、をしたのだきっと。

「いや、そんなわけあるか。って、なんかこっちに向かってきていないか……?」

 二度瞬きをしてもそれが現実だよと視覚が教えてくれた。まじまじと凝視している内に落下物に何やら“髪”らしきものが付いているような――。

「って、人間じゃねえか?!」

 段々人の形に見えてきて焦り出すも今から中に戻って布団を取り出しても到底間に合わないし、かと言って無事キャッチできる肉体おろか自信もあるわけ――。

「ええい、一か八かだっ!」

 あるはずもない正義心を原動力に地面を蹴り上げ、落下するであろうポイントへと目指す。

「間に合えええええええ!!」

 無理矢理身体を捻らせてからのスライド。接触まで僅か数センチ、彼の思考には最早不安という二文字の気配すらなかった。
 捕まえられますようにと祈りながら、精一杯腕を伸ばす――!

 ズトン――そんな効果音が聞こえたような気がした彼は、慌てて確認しようにも濛々と巻き上げる砂埃に少し咽た。
 掴むと改めて腕の中にずっしりとした重みが伝わってくる。
 大丈夫だ――そう自身を安心させた後、恐る恐ると瞼を開けると、

「なっ!? ()0375(みなご)さん?!」

 キャッチできた安堵よりも先に出たのは驚愕の声。長髪長身の女性が小さくよろめき、僅かに開けられた群青色の瞳の中に駿之介の間抜け顔が映る。

「よ、よかった……。まだ生きてたんですね、原始人」

 ぷつり、と意識を失った彼女を見て、頭がこんがらってくる。
 一体何か起きたのか。どうして彼女がここにいるのか。
 彼女に聞き出したいことなんて山ほどある。が、今は寝かせるのが最優先だ。









※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※









 自室で寝かせて、彼女の意識が戻るのを待つことに三十分が経過。

「みなごさんとは一体、誰のことなんでしょうか」

「も、勿論君のことだが……」

 実は彼の中でこっそりとそう彼女を呼んでいたが、まさかこんな形でバレることになるとは。

「思わず同情しそうなくらい、センスの無さ。大体、何ですか「みなご」って。どう考えても女性に付ける名前ではないでしょうに。流石と言うべきでしょうか。もし『名前のセンスのなさ大会』が存在しましたら間違いなく優勝しますね。おめでとうございます」

「嬉しかないわっ。大体、あの時はお互いの名前を知らなかったから仕方がないだろうが」

「ここで謝罪ではなく開き直る方を選ぶとか。大人気ないところは相変わらずのようですね。流石原始人です」

「お互い様、だ」

 いつになく言葉を荒げる駿之介に涼しげな彼女は瞬きの一つすらせず、

「さて、挨拶はここまでにして自己紹介しましょうか」

「え、今のが挨拶だったのか……?」

 布団の上できちんと正座して深々と頭を垂れる。

「警視庁サイバー犯罪捜査官の永里勇(ながさといさみ)です。よろしくお願いします」

「警視……?! おまっ、刑事だったのか?!」

「はい。この場合、警察手帳を示した方が早いですが、流石に実物をこちらにまで持ち込むことはできませんので、口頭で悪しからず」

 勇が小さく頭を下げた際、頬にかかった紫黒の髪の毛を耳裏に掛ける。
 こちらの番になったというのに、彼の表情がますます強張るばかり。当然と言えば当然の話――本来であれば口にすることが許されない生来の名を、久しく言える機会が舞い降りて、その感動を噛み締める最中だからだ。

佐藤陽翔(さとうはると)だ。職業は――」

「よろしくお願いします。さあ、行きますよ」

 しかし彼の心情をよそにあっさりと一蹴された。

「せめて最後まで興味を持とうな?」

「急がないと、ワタシは再び縄なしバンジージャンプをやらなければいけないかもしれませんので。すみませんがご協力をお願いします」

 さいですか、と立ち上がる彼女に続いて彼も重腰を上げる。あと一歩で寝室を出る――その直前に彼女が振り返ってきた。
 『この非常事態を一緒に終わらせましょう』――そんな強い意志が込められた理知的な眼差しを前に、込み上がる興奮を抑えられる者などいるはずもなかろう。

「――では、一緒にこの世界(ゲーム)を攻略しましょうか、原始人」

「ああ、そうだな」


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 水色の帆布に霞のような淡い雲が美麗な春の空。鼓膜を心地良く波打つ漣の音と、崖上に居ても存在感が一秒たりとも薄まったことがない潮の匂い。時折聞こえる鳥のさえずりが爽やかな朝を彩る。
 絵に描いたような春天の下、駿之介は重い息を吐き出した。
「また同じ会話をしなきゃいけないのか……」
 縁側で干されていた洗濯物を眺め、また溜息一つ。
 教室にいるべき時間帯に仮病を使って学校を休んでもらった目的は、ループから解脱することだった――が、それはもう半ば諦めかけていた。
「いっそのこと何もかも諦めて遊び尽くすというのも……いやいや」
 ちらっと想像した自堕落な未来の呟きを最後に、誘惑を追っ払うように頭を振る。
 あれから試行錯誤を重ねても結局は同じ日に戻されるばかりで倦厭したが、おかげでこの街に対する理解度も深まった。
 校内に英名表記と和名表記が存在すること。街中に色違いのバス停が二種類存在すること。しかし新たな発見があったとは言えど、逆に言えばその程度の情報しか増えていない。
 今回のループも含めて既に六回目になる。その内、四回も仮病を使ったがそろそろ突破口が欲しいところだ。
「何かヒントになれそうなものがあれば――ん? なんだあれは」
 ぐんと大きく背伸びして不意に視線が上に行ったその時――何かが物凄い勢いで落下している。
 見計らったようなタイミングに、消えかけた希望が彼の中でガッツポーズ。
 これだ、この展開を待っていた。やはり神様は実在するのだ。サボり魔の“神様”がようやく重腰を上げなさって彷徨い子羊を導くようにヒントをぽいっ、をしたのだきっと。
「いや、そんなわけあるか。って、なんかこっちに向かってきていないか……?」
 二度瞬きをしてもそれが現実だよと視覚が教えてくれた。まじまじと凝視している内に落下物に何やら“髪”らしきものが付いているような――。
「って、人間じゃねえか?!」
 段々人の形に見えてきて焦り出すも今から中に戻って布団を取り出しても到底間に合わないし、かと言って無事キャッチできる肉体おろか自信もあるわけ――。
「ええい、一か八かだっ!」
 あるはずもない正義心を原動力に地面を蹴り上げ、落下するであろうポイントへと目指す。
「間に合えええええええ!!」
 無理矢理身体を捻らせてからのスライド。接触まで僅か数センチ、彼の思考には最早不安という二文字の気配すらなかった。
 捕まえられますようにと祈りながら、精一杯腕を伸ばす――!
 ズトン――そんな効果音が聞こえたような気がした彼は、慌てて確認しようにも濛々と巻き上げる砂埃に少し咽た。
 掴むと改めて腕の中にずっしりとした重みが伝わってくる。
 大丈夫だ――そう自身を安心させた後、恐る恐ると瞼を開けると、
「なっ!? |0《み》、|0375《みなご》さん?!」
 キャッチできた安堵よりも先に出たのは驚愕の声。長髪長身の女性が小さくよろめき、僅かに開けられた群青色の瞳の中に駿之介の間抜け顔が映る。
「よ、よかった……。まだ生きてたんですね、原始人」
 ぷつり、と意識を失った彼女を見て、頭がこんがらってくる。
 一体何か起きたのか。どうして彼女がここにいるのか。
 彼女に聞き出したいことなんて山ほどある。が、今は寝かせるのが最優先だ。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
 自室で寝かせて、彼女の意識が戻るのを待つことに三十分が経過。
「みなごさんとは一体、誰のことなんでしょうか」
「も、勿論君のことだが……」
 実は彼の中でこっそりとそう彼女を呼んでいたが、まさかこんな形でバレることになるとは。
「思わず同情しそうなくらい、センスの無さ。大体、何ですか「みなご」って。どう考えても女性に付ける名前ではないでしょうに。流石と言うべきでしょうか。もし『名前のセンスのなさ大会』が存在しましたら間違いなく優勝しますね。おめでとうございます」
「嬉しかないわっ。大体、あの時はお互いの名前を知らなかったから仕方がないだろうが」
「ここで謝罪ではなく開き直る方を選ぶとか。大人気ないところは相変わらずのようですね。流石原始人です」
「お互い様、だ」
 いつになく言葉を荒げる駿之介に涼しげな彼女は瞬きの一つすらせず、
「さて、挨拶はここまでにして自己紹介しましょうか」
「え、今のが挨拶だったのか……?」
 布団の上できちんと正座して深々と頭を垂れる。
「警視庁サイバー犯罪捜査官の|永里勇《ながさといさみ》です。よろしくお願いします」
「警視……?! おまっ、刑事だったのか?!」
「はい。この場合、警察手帳を示した方が早いですが、流石に実物をこちらにまで持ち込むことはできませんので、口頭で悪しからず」
 勇が小さく頭を下げた際、頬にかかった紫黒の髪の毛を耳裏に掛ける。
 こちらの番になったというのに、彼の表情がますます強張るばかり。当然と言えば当然の話――本来であれば口にすることが許されない生来の名を、久しく言える機会が舞い降りて、その感動を噛み締める最中だからだ。
「|佐藤陽翔《さとうはると》だ。職業は――」
「よろしくお願いします。さあ、行きますよ」
 しかし彼の心情をよそにあっさりと一蹴された。
「せめて最後まで興味を持とうな?」
「急がないと、ワタシは再び縄なしバンジージャンプをやらなければいけないかもしれませんので。すみませんがご協力をお願いします」
 さいですか、と立ち上がる彼女に続いて彼も重腰を上げる。あと一歩で寝室を出る――その直前に彼女が振り返ってきた。
 『この非常事態を一緒に終わらせましょう』――そんな強い意志が込められた理知的な眼差しを前に、込み上がる興奮を抑えられる者などいるはずもなかろう。
「――では、一緒にこの|世界《ゲーム》を攻略しましょうか、原始人」
「ああ、そうだな」