「何らかの塗料でしょうが、臭いからしても水性でしょう」
この場の責任者であるチーフが客に告げる。
跪いてドレスの汚れを検分して、そういう結論に達したようだ。
「それが何なんですの? なんであれ誰かがわざと掛けたとしか考えられないじゃない!」
宥める意図を含んでいたのだろう彼の言葉は、理久の母には逆効果だったらしい。
「そ、それは……。ですが今野様、まだ乾いてもいませんし今すぐ処置すれば落ちるかもしれま──」
「冗談じゃありません! たとえわからないくらいになったとしても、こんな縁起の悪いドレスを大切なお嫁さんに着せられるわけないでしょう!?」
この場を平穏に治めたいのだろうチーフが苦し紛れの打開策を口にし掛けたが、今野夫人に即座に否定される。
確かにそうだ。白に黒い液体など、どう考えても『祝い』とは真逆のものを連想させる。
実態は、ただの水で溶いた黒の絵の具なのだが。
めぐみはその場面を、ホールのドアの外から覗き見ていた。
担当はバックヤードでの単独作業。式当日はそもそもシフトに入ることもなく、めぐみが客の前に姿を表す必要などはない。
白黒のウエディングドレスだなんて、純粋で可憐な花嫁には相応しくない。
自分の衣装が被害にあったというのに焦りも嫌悪も表すことなく、むしろおろおろするだけの理久に代わってその母親に寄り添い気遣っている、真っ白な苑子には。
とりあえず見た目はきれいになったとしても、一度目にした印象は脳裏に焼き付いて離れないだろう。
──記憶ってそういうものよ。簡単に消えやしないの。わかる? 理久。
「仰る通りです。今野様、大変申し訳ございません!」
チーフが深々と頭を下げて詫びている。
ただ真摯に謝罪して許しを請う以外に、会場としてできることなど存在しなかった。
衣装類の保管に関しても料金に含まれているのだから、管理についての責任を問われるのは必然だ。
何よりも信用が大事なビジネスなのだから。
「どちらにしてもこれからではオーダーは間に合いません。もう日がないんですのよ!」
「誠に申し訳──」
さらに腰を折る彼に、強い声が被せられた。
「謝るよりこの始末をどうするのか考えたらいかが? お式にドレスなしで臨めとでも仰るの?」
客の激高は収まりそうにない。
無理もなかった。これでも精一杯抑えている方ではないのか? それほどの事態なのだ。
万が一ドレスが間に合わなければ、苑子はいうまでもなく理久やその親も少々では済まない恥をかかされるのは想像に難くない。