【参ノ肆】

19/72





「お母さん、何だよこれ」  夕方四時。ゆうは呆れたように漏らす。  デリバリーのオードブルのプレート──エビフライにハンバーグにフライドチキン──、お刺身の盛り合わせ、たくさんのおにぎり……食べきれない、と言うと。 「あらっ、そっか、ゆうちゃん食べられないんだったわ! うっかりしてたー!」  いや、そうじゃない、パーティする訳じゃないんだから……  沙羅のおじいちゃんが深々と頭を下げた。 「わざわざ、ありがとうございます」 「いえいえ、そんな、頭をあげてください。来ていただけて嬉しいんですから」  大人たちが話している間、沙羅がゆうの座るソファのとなりに乗ってきた。ぐいっと四つんばいのまま、顔を近づける。 「ゆうちゃん、覚えてないの」 「何を?」 「たくさんのおおかみたちが……ゆうちゃんを、その……」 『食べたんだよ』  ベルの声が急に割り込んできた。 『きみは、おおかみ達に質量のおおよそ四十バーセントを食べられ、欠損したんだ』 「……食べられたの?」  沙羅は、顔色を悪くしながらこくりとうなづいた。 「でも……その後……ゆうちゃんは……」  口を押さえながら、沙羅は告げた。 「立ったんだよ。……体の中は、空っぽなのに……『ベルを返せ』って。そう叫びながら、目の前にいたおおかみたちを……殺したんだ……瞳を真っ赤に光らせながら……それからは……何時間もかけて食べた。ひとつ残らず、何時間も……あたしは怖くて怖くて。おじいちゃんにすがり付いて、目をつぶってた。食べる音が終わったあと……その、言ったんだ」  沙羅はもう泣いていた。それを伝えるのを心底恐れているかのように。 「……なんて……?」 「『ベル、おかえり』……って……ねえ。……ゆうちゃんは……ゆうちゃんだよね」  ぼろぼろと涙をこぼしながら聞いてきた。 「いつも帽子を被ってて、翔といつも一緒にいて、あたしをガサツ女だって言わない、あの優しいゆうちゃんだよね」 「……そう」  そうであって欲しい。でも。 「……ごめん、わからない」  その気持ちはあるんだけど、もうゆうには「そうでない」と言えなかった。ただ、下を向くしか出来なかった。 「ねえ、ゆうちゃん」 「ん?」  ん──!  沙羅がキスをしてきた。短く、大人に見られないように。すぐにはなしたけれど。ベルみたいに、舌を使わなかったけれど。 「ゆうちゃん。だいすき」  そう言うと、沙羅はソファのクッションにぼすんと顔をうずめた。短めの水色のワンピースを着ていたから、ピンクのぱんつが見えた。 「沙羅」 「なんも言わないで! めっちゃ恥ずかしいの! いま!」  沙羅はクッションに顔をすりつけて言った。ゆうの心に、なんだか暖かい火が灯った気がした。 「……ありがとう、沙羅……」  ん。沙羅は、短くそうとだけ言った。  ……  がたんごとん、がたんごとん。どこか、電車の上に居るようだ。 「うわあああ!」  下腹部が引きさかれるくらいの痛みに、叫び声を抑えられない。  冷たい粒が顔に当たる。雪が降るなか、屋根のない電車に乗っている。 「あああぁぁぁ! うぁぁああ!」  声が出なくなるほど叫んでいるのに、骨盤を砕かれるような痛みは引いてくれない。 「しっかり! もうすぐセーカントンネルだ」 「アレク、アレク、いたい、すごくいたいんだよ……うあああっ!」  ごとんごとん、ごとんごとん。視界が真っ暗になる。電車はトンネルに入ったのか、光の帯がきらきらと後ろに下がる。 「もうすぐだ、もうすぐホンシューだ。トーキョーまであと少しだ!」 「はっはっはっ、うああああっ!」  呼吸が、呼吸がまともに出来ない。 「トーキョーまでいけば、満月の始祖に襲われずに生きていける!」  未熟な産道を引き裂かれる痛みの余り、顔を左右に振った。石の山……いや、石炭の山が見える。ここが石炭を運ぶ貨車の中だということがわかった。 「っ! 頭が見えた、もう少しだ!」 「いたい、いたいよアレク!」 「ほら、息を、息をして!」 「はっはっはっ……うああああああ──っ」 「おぎゃあ、おぎゃあ」  最後の力でいきんだ時、赤ちゃんはこの世に産まれ落ちた。 「産まれた! 産まれたよ! ほら、見て! 女の子だよ、君と同じ、金髪で青い目の……」  だが、がっくりと石炭の山に倒れ込み、動けない。 「しっかり! しっかりして!」 「おぎゃあ、おぎゃあ」 「目を覚まして! お願いだから」  ごとんごとん。ごとんごとん。さあっと、視界が開ける。白い空が見える。トンネルを抜けたようだ。  がたんがたん、がたんがたん。 「ほら、ホンシューに着いたよ。二度とおおかみを恐れないで済む、トーキョーはもうすぐだよ」 「おぎゃあ、おぎゃあ」 「だから目を覚まして……ベルベッチカ……」  …… 「うわあっ」  ゆうは、はね起きた。 「ん……ゆうちゃん?」  いつの間にかゆうも沙羅も家のソファで眠ってしまっていたらしい。ぎゃはははは、テレビでは芸人が観客相手にコントをしている。沙羅が覗き込む。 「ゆめ、見たの?」  ずきん。下腹部が今も痛んでいるかのように感じた。



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「お母さん、何だよこれ」  夕方四時。ゆうは呆れたように漏らす。  デリバリーのオードブルのプレート──エビフライにハンバーグにフライドチキン──、お刺身の盛り合わせ、たくさんのおにぎり……食べきれない、と言うと。 「あらっ、そっか、ゆうちゃん食べられないんだったわ! うっかりしてたー!」  いや、そうじゃない、パーティする訳じゃないんだから……  沙羅のおじいちゃんが深々と頭を下げた。 「わざわざ、ありがとうございます」 「いえいえ、そんな、頭をあげてください。来ていただけて嬉しいんですから」  大人たちが話している間、沙羅がゆうの座るソファのとなりに乗ってきた。ぐいっと四つんばいのまま、顔を近づける。 「ゆうちゃん、覚えてないの」 「何を?」 「たくさんのおおかみたちが……ゆうちゃんを、その……」 『食べたんだよ』  ベルの声が急に割り込んできた。 『きみは、おおかみ達に質量のおおよそ四十バーセントを食べられ、欠損したんだ』 「……食べられたの?」  沙羅は、顔色を悪くしながらこくりとうなづいた。 「でも……その後……ゆうちゃんは……」  口を押さえながら、沙羅は告げた。 「立ったんだよ。……体の中は、空っぽなのに……『ベルを返せ』って。そう叫びながら、目の前にいたおおかみたちを……殺したんだ……瞳を真っ赤に光らせながら……それからは……何時間もかけて食べた。ひとつ残らず、何時間も……あたしは怖くて怖くて。おじいちゃんにすがり付いて、目をつぶってた。食べる音が終わったあと……その、言ったんだ」  沙羅はもう泣いていた。それを伝えるのを心底恐れているかのように。 「……なんて……?」 「『ベル、おかえり』……って……ねえ。……ゆうちゃんは……ゆうちゃんだよね」  ぼろぼろと涙をこぼしながら聞いてきた。 「いつも帽子を被ってて、翔といつも一緒にいて、あたしをガサツ女だって言わない、あの優しいゆうちゃんだよね」 「……そう」  そうであって欲しい。でも。 「……ごめん、わからない」  その気持ちはあるんだけど、もうゆうには「そうでない」と言えなかった。ただ、下を向くしか出来なかった。 「ねえ、ゆうちゃん」 「ん?」  ん──!  沙羅がキスをしてきた。短く、大人に見られないように。すぐにはなしたけれど。ベルみたいに、舌を使わなかったけれど。 「ゆうちゃん。だいすき」  そう言うと、沙羅はソファのクッションにぼすんと顔をうずめた。短めの水色のワンピースを着ていたから、ピンクのぱんつが見えた。 「沙羅」 「なんも言わないで! めっちゃ恥ずかしいの! いま!」  沙羅はクッションに顔をすりつけて言った。ゆうの心に、なんだか暖かい火が灯った気がした。 「……ありがとう、沙羅……」  ん。沙羅は、短くそうとだけ言った。  ……  がたんごとん、がたんごとん。どこか、電車の上に居るようだ。 「うわあああ!」  下腹部が引きさかれるくらいの痛みに、叫び声を抑えられない。  冷たい粒が顔に当たる。雪が降るなか、屋根のない電車に乗っている。 「あああぁぁぁ! うぁぁああ!」  声が出なくなるほど叫んでいるのに、骨盤を砕かれるような痛みは引いてくれない。 「しっかり! もうすぐセーカントンネルだ」 「アレク、アレク、いたい、すごくいたいんだよ……うあああっ!」  ごとんごとん、ごとんごとん。視界が真っ暗になる。電車はトンネルに入ったのか、光の帯がきらきらと後ろに下がる。 「もうすぐだ、もうすぐホンシューだ。トーキョーまであと少しだ!」 「はっはっはっ、うああああっ!」  呼吸が、呼吸がまともに出来ない。 「トーキョーまでいけば、満月の始祖に襲われずに生きていける!」  未熟な産道を引き裂かれる痛みの余り、顔を左右に振った。石の山……いや、石炭の山が見える。ここが石炭を運ぶ貨車の中だということがわかった。 「っ! 頭が見えた、もう少しだ!」 「いたい、いたいよアレク!」 「ほら、息を、息をして!」 「はっはっはっ……うああああああ──っ」 「おぎゃあ、おぎゃあ」  最後の力でいきんだ時、赤ちゃんはこの世に産まれ落ちた。 「産まれた! 産まれたよ! ほら、見て! 女の子だよ、君と同じ、金髪で青い目の……」  だが、がっくりと石炭の山に倒れ込み、動けない。 「しっかり! しっかりして!」 「おぎゃあ、おぎゃあ」 「目を覚まして! お願いだから」  ごとんごとん。ごとんごとん。さあっと、視界が開ける。白い空が見える。トンネルを抜けたようだ。  がたんがたん、がたんがたん。 「ほら、ホンシューに着いたよ。二度とおおかみを恐れないで済む、トーキョーはもうすぐだよ」 「おぎゃあ、おぎゃあ」 「だから目を覚まして……ベルベッチカ……」  …… 「うわあっ」  ゆうは、はね起きた。 「ん……ゆうちゃん?」  いつの間にかゆうも沙羅も家のソファで眠ってしまっていたらしい。ぎゃはははは、テレビでは芸人が観客相手にコントをしている。沙羅が覗き込む。 「ゆめ、見たの?」  ずきん。下腹部が今も痛んでいるかのように感じた。



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