【弐ノ伍】

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 令和六年七月二十一日、日曜日。十二年に一度。大祇祭の当日、午後四時。  誰にも言わずベルを探すつもりだった。けれどそのもくろみは家を出た瞬間にくずれ去った。 「ゆうちゃん」  白衣に緋袴ひばかま、巫女装束姿の沙羅が、家の引き戸を開けたら立っていた。いつものツインテールを下ろして、見たことの無い、狼の耳に見える銀色の髪留めをつけている。薄く、お化粧をしている。 「えへへ。どかな?」  はにかむ少女がちょっと下を向いた。とてもよく似合っている。というかもともと顔立ちの整った女の子だったけれど、伝統衣装とお化粧に身を包んだことで、目もあやな美少女になっていた。正直、かなりどきどきした。ベルを初めて見た時くらい、といったら言い過ぎだろうか。 「あの、さ……いっしょに、行こ……?」  夕暮れにはまだ少し早い午後。七時からの祭りにはまだ早いけれど、いつもは人がほとんどいない道路に、まばらに歩く人がちらほらといる。この村でこんなに人が歩いているのを見たことがない。十一歳のゆうは十一歳の沙羅と、その中を歩く。おっとっと。巫女用の草履を履きなれてない幼なじみが、つまずいた。ぱしっと、ゆうは彼女の手を握って、なるべく優しく自分に寄せてあげた。 「……ありがと……」  ほっぺたに赤みが差しているけれど、それが傾いたお日さまのせいなのかどうかはわからなかった。  あのさ、とゆうを想う女の子が呟くように小さな声で言った。 「前、言ったじゃん? いちばんに来てって」 「うん」 「あたし、今日いちばんに入るの……だからゆうちゃんも、いちばんだよ」 「じゃあ、いちばんで始まるのを待つよ」  うん。照れ屋なその子は笑みをこぼす。  しばらくの沈黙。さっ、さっ。沙羅の履き物の音だけが鳴る。 「今日、神様の祝福を食べたら、さ。もうオトナなんだって。オトナってことは、さ」  ぎゅっと、彼女の手をにぎる力が強くなった。 「恋……とか、しても……いいってコトだよ、ね?」 「沙羅……?」  田んぼの広がる夕方の道。沙羅がゆうの手を離して、ゆうの前で、真っ赤な顔をして見つめた。 「あのさ……ゆうちゃん……あたし……さ……ゆうちゃんのこと……す、す……」  その時。どさりと、真横を歩いていたおじいさんが倒れた。沙羅が心配そうにかけよる。 「大丈夫ですか……って、ちょっと!」 「あー? ……ひっく……」  酒臭いし、着ている服はぼろぼろ、ひどい体臭だ。……ホームレス……の、ように見える。  ろれつの回らないおじいさんは、道路に寝転んだままだ。 「ちょっとちょっと、こんなとこで……だめだよう」 「沙羅……なんか、変だ」  ふと、ゆうがあることに気がつく。  テレビなんかで見たお祭りは、屋台や出店が出ていて、観光客がたくさん押しかけて、華やかな雰囲気満点のはずだ。十二年に一度の珍しい祭りのはずなのに、出店どころか提灯のひとつも無い。なによりこの村の外から来たであろう人たちはみんな、様子がおかしい。ホームレスにしか見えないおじいさんにおばあさん。目に生気のない、都会の女子高生──みな異常にスカートが短くて、手にたくさんの注射のあとが見える──たち。他にも、競馬の新聞を片手に耳に赤えんぴつを指したおじさん。ガラの悪いチンピラみたいな人たち。みんな一様に神社の方へふらふらと歩いていく。  ばったり倒れたおじいさんは、手足をもぞもぞさせた。 「いい匂いだあ……なあ、嬢ちゃん、いい匂いだなあ……腹減ったよお……」 「なに、なんなのよ、これぇ」  沙羅は泣きそうになりながらゆうにすがった、その時。おかしなおかしな人たちにまぎれて。……長い金髪の後ろ姿が見えた。 「ベル!」 「ゆうちゃん!」  沙羅は駆け出すゆうを呼び止めた。けれどゆうはベル、ベル。そればかり叫びながら、気がついたら幼なじみの手を振り払っていた。  ……  怪しげな人たちの群れのあちこちに、。山道の電柱にもたれて吐く、アル中のおじさんの影に。ぱんつ丸見えで座り込むなぞの女子高生のグループの中に。神社まで下る階段のあちこちに。頭がどうにかなりそうなのを必死に抑えながら、走った。そして正体不明のヒトの群れをかき分け、鳥居をくぐった時。本殿の真っ赤な扉に吸い込まれるようにして入る金髪の女の子が見えた。 「ベルっ」  でも扉にはそれに相応しいほどの大きな南京錠がかかっていて、とても開けられない。 「ベルっ、ベルっ! 開けて! 僕だよ、ゆうだ!」 「開かないよ」 「ベルっ?」  振り向くと、後ろから声を掛けたのは、金髪の吸血鬼じゃなくて黒髪のニンゲンだった。 「もう! 急にどこいくのよっ」  沙羅がぷんぷんと怒っているけれど、ゆうにはその姿も声も意識に入らなかった。 「なんだこれ……」  本殿は、深い渓谷の、いちばん端っこに建ててある。半分洞窟に隠れているが、それでも四、五段階段を登った土台の上に造られている。……つまり。その上からは、境内と下りの階段にいる何百といる人が、ぜんぶ見えるのだ。そしてゆうの目には映っている。鳥居の先の階段から、本殿の真下まで、そこら中に、本当にそこら中に。 「なんだよ……なんなんだよ……」  最愛のベルベッチカ・リリヰが……ゆうの目に映っているのだ。 「……ベル?」  そして、その名前を口にした、その瞬間。  ざっ……  そこら中にいるベルが、一斉にゆうを「」。時間が止まる。何百ものベルの水色に輝く瞳が、うす暗くなりつつある境内で光を放ってゆうをつらぬく。いちども、まばたきすることもなく。 『『『はじまるよ。生きて。私の愛しいきみ。生きて』』』  最愛の吸血鬼の声は、同時にそう言った。  ……  しゃらん。しゃらん、しゃらん。  大きな鈴の音で、ゆうは我に返る。空は真っ暗で、明らかに何時間か過ぎているのがわかった。目の前を見るが……ベル達の姿は無い。  ふぃー……ふぃー。お正月によく聞く、あのしょうの音が響き出す。  しゃらん。しゃらん、しゃらん、しゃらん。  荘厳な雰囲気の鈴の音が鳴って、大祇祭が始まった。



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 令和六年七月二十一日、日曜日。十二年に一度。大祇祭の当日、午後四時。  誰にも言わずベルを探すつもりだった。けれどそのもくろみは家を出た瞬間にくずれ去った。 「ゆうちゃん」  白衣に緋袴ひばかま、巫女装束姿の沙羅が、家の引き戸を開けたら立っていた。いつものツインテールを下ろして、見たことの無い、狼の耳に見える銀色の髪留めをつけている。薄く、お化粧をしている。 「えへへ。どかな?」  はにかむ少女がちょっと下を向いた。とてもよく似合っている。というかもともと顔立ちの整った女の子だったけれど、伝統衣装とお化粧に身を包んだことで、目もあやな美少女になっていた。正直、かなりどきどきした。ベルを初めて見た時くらい、といったら言い過ぎだろうか。 「あの、さ……いっしょに、行こ……?」  夕暮れにはまだ少し早い午後。七時からの祭りにはまだ早いけれど、いつもは人がほとんどいない道路に、まばらに歩く人がちらほらといる。この村でこんなに人が歩いているのを見たことがない。十一歳のゆうは十一歳の沙羅と、その中を歩く。おっとっと。巫女用の草履を履きなれてない幼なじみが、つまずいた。ぱしっと、ゆうは彼女の手を握って、なるべく優しく自分に寄せてあげた。 「……ありがと……」  ほっぺたに赤みが差しているけれど、それが傾いたお日さまのせいなのかどうかはわからなかった。  あのさ、とゆうを想う女の子が呟くように小さな声で言った。 「前、言ったじゃん? いちばんに来てって」 「うん」 「あたし、今日いちばんに入るの……だからゆうちゃんも、いちばんだよ」 「じゃあ、いちばんで始まるのを待つよ」  うん。照れ屋なその子は笑みをこぼす。  しばらくの沈黙。さっ、さっ。沙羅の履き物の音だけが鳴る。 「今日、神様の祝福を食べたら、さ。もうオトナなんだって。オトナってことは、さ」  ぎゅっと、彼女の手をにぎる力が強くなった。 「恋……とか、しても……いいってコトだよ、ね?」 「沙羅……?」  田んぼの広がる夕方の道。沙羅がゆうの手を離して、ゆうの前で、真っ赤な顔をして見つめた。 「あのさ……ゆうちゃん……あたし……さ……ゆうちゃんのこと……す、す……」  その時。どさりと、真横を歩いていたおじいさんが倒れた。沙羅が心配そうにかけよる。 「大丈夫ですか……って、ちょっと!」 「あー? ……ひっく……」  酒臭いし、着ている服はぼろぼろ、ひどい体臭だ。……ホームレス……の、ように見える。  ろれつの回らないおじいさんは、道路に寝転んだままだ。 「ちょっとちょっと、こんなとこで……だめだよう」 「沙羅……なんか、変だ」  ふと、ゆうがあることに気がつく。  テレビなんかで見たお祭りは、屋台や出店が出ていて、観光客がたくさん押しかけて、華やかな雰囲気満点のはずだ。十二年に一度の珍しい祭りのはずなのに、出店どころか提灯のひとつも無い。なによりこの村の外から来たであろう人たちはみんな、様子がおかしい。ホームレスにしか見えないおじいさんにおばあさん。目に生気のない、都会の女子高生──みな異常にスカートが短くて、手にたくさんの注射のあとが見える──たち。他にも、競馬の新聞を片手に耳に赤えんぴつを指したおじさん。ガラの悪いチンピラみたいな人たち。みんな一様に神社の方へふらふらと歩いていく。  ばったり倒れたおじいさんは、手足をもぞもぞさせた。 「いい匂いだあ……なあ、嬢ちゃん、いい匂いだなあ……腹減ったよお……」 「なに、なんなのよ、これぇ」  沙羅は泣きそうになりながらゆうにすがった、その時。おかしなおかしな人たちにまぎれて。……長い金髪の後ろ姿が見えた。 「ベル!」 「ゆうちゃん!」  沙羅は駆け出すゆうを呼び止めた。けれどゆうはベル、ベル。そればかり叫びながら、気がついたら幼なじみの手を振り払っていた。  ……  怪しげな人たちの群れのあちこちに、。山道の電柱にもたれて吐く、アル中のおじさんの影に。ぱんつ丸見えで座り込むなぞの女子高生のグループの中に。神社まで下る階段のあちこちに。頭がどうにかなりそうなのを必死に抑えながら、走った。そして正体不明のヒトの群れをかき分け、鳥居をくぐった時。本殿の真っ赤な扉に吸い込まれるようにして入る金髪の女の子が見えた。 「ベルっ」  でも扉にはそれに相応しいほどの大きな南京錠がかかっていて、とても開けられない。 「ベルっ、ベルっ! 開けて! 僕だよ、ゆうだ!」 「開かないよ」 「ベルっ?」  振り向くと、後ろから声を掛けたのは、金髪の吸血鬼じゃなくて黒髪のニンゲンだった。 「もう! 急にどこいくのよっ」  沙羅がぷんぷんと怒っているけれど、ゆうにはその姿も声も意識に入らなかった。 「なんだこれ……」  本殿は、深い渓谷の、いちばん端っこに建ててある。半分洞窟に隠れているが、それでも四、五段階段を登った土台の上に造られている。……つまり。その上からは、境内と下りの階段にいる何百といる人が、ぜんぶ見えるのだ。そしてゆうの目には映っている。鳥居の先の階段から、本殿の真下まで、そこら中に、本当にそこら中に。 「なんだよ……なんなんだよ……」  最愛のベルベッチカ・リリヰが……ゆうの目に映っているのだ。 「……ベル?」  そして、その名前を口にした、その瞬間。  ざっ……  そこら中にいるベルが、一斉にゆうを「」。時間が止まる。何百ものベルの水色に輝く瞳が、うす暗くなりつつある境内で光を放ってゆうをつらぬく。いちども、まばたきすることもなく。 『『『はじまるよ。生きて。私の愛しいきみ。生きて』』』  最愛の吸血鬼の声は、同時にそう言った。  ……  しゃらん。しゃらん、しゃらん。  大きな鈴の音で、ゆうは我に返る。空は真っ暗で、明らかに何時間か過ぎているのがわかった。目の前を見るが……ベル達の姿は無い。  ふぃー……ふぃー。お正月によく聞く、あのしょうの音が響き出す。  しゃらん。しゃらん、しゃらん、しゃらん。  荘厳な雰囲気の鈴の音が鳴って、大祇祭が始まった。



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