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秘書としての覚悟 ③

ー/ー



 ある日の午後、僕は例によって八王子まで学校帰りの絢乃さんをクルマでお迎えに行った。仕事は三時で切り上げ、早々に退社して。

 その日は世界一の高さを誇る(すみ)()区の電波塔(タワー)に行きたいという彼女のために、クルマを走らせていたのだが。
 僕が新車を購入したという話に驚きを隠せなかった彼女は、どういう話の流からか僕がいつも会社を早退していることへの疑問を口に出された。

「……っていうか桐島さん、今日も会社早退してきたんだよね? 大丈夫なの?」

 もしかしたら、自分のためにいつも会社を早退しているから僕の会社内での立場が危うくなるのでは、と心配に思われたのかもしれない。
 なかなか言い出せなかった僕に助け船を出して下さる形になった絢乃さんには感謝したが、内心では「なんで早く言わなかったんだ、俺のバカヤロー!」と自分自身に罵声を浴びせたくなった。そのせいで、彼女に余計な心配をかけてしまったかもしれないのだ。

「大丈夫ですよ。……実は僕、以前から総務課で上司のパワハラ被害に遭ってまして、部署を異動することにしたんです。で、今は異動先の部署の研修中で早く退勤させてもらってるんです。お母さまの(はか)らいで」

 僕のパワハラ被害のことは、初対面の時にそれとなく匂わせていたので、ここまでは無難にスラスラと言葉が出てきた。
 案の定、彼女は僕の異動先も知りたがった。ここで話してしまえば僕は心のつかえが下りて楽になれたかもしれないが、絢乃さんの心を曇らせてしまうのは本意ではなかったため、「言えるタイミングが来たら、真っ先に絢乃さんにお伝えします」とお茶を濁した。でも聡明な彼女は、その言葉の裏で「その時が来ないでくれればいのに」と僕が思っていたことに気づいて下さったようだ。それ以上詮索されることはなかった。

「あと、新車も真っ先にあなたにお披露目(ひろめ)しますね。楽しみにしていて下さい」

 取り繕ったように新車の話題に戻すと、「楽しみにしてる」と彼女は笑顔でおっしゃったので、どうやら話を逸らすことには成功したようだった。
 
 そして、僕は漠然とだが気がついた。絢乃さんはどうやら、本当に僕に好意を抱いているらしいことに。――それまでは女性の真意を信じられなかった僕も、これだけは信じてもいいのかもしれないと自然と思えた。


   * * * *


 タワーの入館チケットは、絢乃さんが僕の分までお金を出して買って下さった。社会人が女子高生に奢ってもらうのはどうなのかと思ったが、そこは大人として彼女に花を持たせるべきだろうと判断して、素直にご厚意に甘えることにした。
 それにしても、この人は月々のお小遣いをいくらもらっているんだろう? ――僕はそんな疑問に頭をもたげた。チケットを購入している時に彼女の長財布の中がチラッと見えたが、千円札や五千円札の他に一万円札が何枚も入っているように見えた。多分、十万円に少し欠けるくらいでサラリーマンの僕の所持金より多い。一般的な女子高生が持ち歩く金額ではないよな……。
 そんな()(さい)なことからも自分と彼女との格差を感じ、僕は落ち込むのだった。

「――わぁ……、スゴくいい眺め!」

 地上三百五十メートル地点にある天望デッキのガラス窓にへばりついた絢乃さんは、女子高生らしく無邪気に歓声を上げた。彼女はどうやら高いところも苦手ではないらしい。
 ちなみに、源一会長には高所恐怖症の気があったらしいと絢乃さんがおっしゃっていた。そんなお父さまに遠慮して、生まれて十七年以上このタワーに上ったことがなかったのだと。
 窓の外に広がる、まるでジオラマ模型のような東京の街並みを見下ろす彼女の姿を見て、やっぱりこの人は生まれながらにして大きな組織のトップに立つべき人なんだと僕には思えた。

「気分転換できました?」

「うん! 来てよかった。桐島さん、連れてきてくれてありがとね!」

 僕が訊ねると、満足そうに頷く彼女の表情は明るかった。普段とは違う景色をご覧になれば気分も変わるし、息が詰まりそうな過酷な現実から、彼女をひとときの間だけでも解放して差し上げられる。彼女はきっと、本当は日ごとに近づくお父さまとの別れに心を痛められ、泣きたいのを(こら)えて必死に明るくふるまっておられたのだろう。だからせめて、僕の前だけでも等身大の女の子でいてほしいと願っていた。僕はそのために、秘書になろうと決めたのだ。

 そこでそれとなく、絢乃さんに毎月のお小遣いの額を訊ねてみると、彼女は「毎月五万円」と屈託なく答えて下さった。でもブランドものは好きではないし、高校生の交際費なんて限られているから多すぎるくらいだとおっしゃった。だから財布の中があんなにパンパンになっていたのだ。
「お嬢さまは金使いが荒い」というイメージしか持っていなかった僕は正直驚いたが、絢乃さんは人並みの金銭感覚を持ち合わせているらしく、なかなかの節約家であるらしい。お嬢さま育ちとはいっても、婿養子だったお父さまは元々一般社員だったし、お母さまも教師だった頃にはご自身で給料を管理していたそうなので、その堅実なご両親のDNAを立派に受け継がれているからだろう。

 お父さまとは以前よりよくお話をされるようになったらしい。
 父親と娘というのはどこの家庭でも没交渉というか、あまりいい距離感ではないと思っていたが(いわゆる「パパウザい!」的な?)。絢乃さんとお父さまの場合はそれに当てはまらなかったようだ。夕焼けに染まりながら目を細めて話される絢乃さんは、お父さまへの愛情が全身から溢れ出していて神々(こうごう)しいくらいだった。

「余命宣告された時はショックだったけど、今はパパと過ごす時間の一分一秒が(とうと)く思えるの。そう思えるようになったのは貴方のおかげだよ。桐島さん、ホントにありがと」

 そう語られたように、彼女はお父さまの命のリミットと真摯に向き合われているのだと分かり、僕も嬉しかったし、そんな彼女のことがより愛おしく感じた。「感謝されるようなことは何も」と謙遜で返したが、本当はベタ褒めされるのが照れ臭かっただけだ。

「――そういえば、もうすぐクリスマスですね。絢乃さんはもう予定が決まってらっしゃるんですか?」

 こんな質問をしたのは、あわよくば彼女が僕と一緒にクリスマスを過ごしてくれるのではないか、という淡い期待もあったからかもしれない。デートなんておこがましいことは言えないが、せめてメッセージアプリで繋がって、同じ時間を共有するくらいならバチは当たらないだろう、と。正直、もう〝クリ〟からは脱却したかったのだ。
 絢乃さんは「まだ特にこれといっては」という答えの後、僕に「彼女と過ごしたりするの?」と質問返し。
 こんなことを訊くということは、もしかして……!? 彼女も僕と過ごしたがっているのか!? 待て待て俺! 女性不信はどこに行った!?

「いいえ、僕もまだ何も。というか彼女はいないので、今年もきっとクリですね……」

 肩をすくめ、余裕をぶっこいて答えたつもりだったが、本当は心臓バクバクだった。ちなみに脳内BGMは超ロングヒットのクリスマスイブの歌である。
 彼女はホッとしたように「……そう」と言ったので、僕に交際相手がいないことに安心していたのは間違いないようだった。

 絢乃さんは毎年、イブにはお友だちとお(だい)()のツリーを見に行かれるそうだが、その年はお父さまと過ごされる最後のクリスマスだけに、お友だちも遠慮されているらしかった。そしてきっと、彼女自身も悩まれていたのだろう。


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 ある日の午後、僕は例によって八王子まで学校帰りの絢乃さんをクルマでお迎えに行った。仕事は三時で切り上げ、早々に退社して。
 その日は世界一の高さを誇る|墨《すみ》|田《だ》区の|電波塔《タワー》に行きたいという彼女のために、クルマを走らせていたのだが。
 僕が新車を購入したという話に驚きを隠せなかった彼女は、どういう話の流からか僕がいつも会社を早退していることへの疑問を口に出された。
「……っていうか桐島さん、今日も会社早退してきたんだよね? 大丈夫なの?」
 もしかしたら、自分のためにいつも会社を早退しているから僕の会社内での立場が危うくなるのでは、と心配に思われたのかもしれない。
 なかなか言い出せなかった僕に助け船を出して下さる形になった絢乃さんには感謝したが、内心では「なんで早く言わなかったんだ、俺のバカヤロー!」と自分自身に罵声を浴びせたくなった。そのせいで、彼女に余計な心配をかけてしまったかもしれないのだ。
「大丈夫ですよ。……実は僕、以前から総務課で上司のパワハラ被害に遭ってまして、部署を異動することにしたんです。で、今は異動先の部署の研修中で早く退勤させてもらってるんです。お母さまの|計《はか》らいで」
 僕のパワハラ被害のことは、初対面の時にそれとなく匂わせていたので、ここまでは無難にスラスラと言葉が出てきた。
 案の定、彼女は僕の異動先も知りたがった。ここで話してしまえば僕は心のつかえが下りて楽になれたかもしれないが、絢乃さんの心を曇らせてしまうのは本意ではなかったため、「言えるタイミングが来たら、真っ先に絢乃さんにお伝えします」とお茶を濁した。でも聡明な彼女は、その言葉の裏で「その時が来ないでくれればいのに」と僕が思っていたことに気づいて下さったようだ。それ以上詮索されることはなかった。
「あと、新車も真っ先にあなたにお|披露目《ひろめ》しますね。楽しみにしていて下さい」
 取り繕ったように新車の話題に戻すと、「楽しみにしてる」と彼女は笑顔でおっしゃったので、どうやら話を逸らすことには成功したようだった。
 そして、僕は漠然とだが気がついた。絢乃さんはどうやら、本当に僕に好意を抱いているらしいことに。――それまでは女性の真意を信じられなかった僕も、これだけは信じてもいいのかもしれないと自然と思えた。
   * * * *
 タワーの入館チケットは、絢乃さんが僕の分までお金を出して買って下さった。社会人が女子高生に奢ってもらうのはどうなのかと思ったが、そこは大人として彼女に花を持たせるべきだろうと判断して、素直にご厚意に甘えることにした。
 それにしても、この人は月々のお小遣いをいくらもらっているんだろう? ――僕はそんな疑問に頭をもたげた。チケットを購入している時に彼女の長財布の中がチラッと見えたが、千円札や五千円札の他に一万円札が何枚も入っているように見えた。多分、十万円に少し欠けるくらいでサラリーマンの僕の所持金より多い。一般的な女子高生が持ち歩く金額ではないよな……。
 そんな|些《さ》|細《さい》なことからも自分と彼女との格差を感じ、僕は落ち込むのだった。
「――わぁ……、スゴくいい眺め!」
 地上三百五十メートル地点にある天望デッキのガラス窓にへばりついた絢乃さんは、女子高生らしく無邪気に歓声を上げた。彼女はどうやら高いところも苦手ではないらしい。
 ちなみに、源一会長には高所恐怖症の気があったらしいと絢乃さんがおっしゃっていた。そんなお父さまに遠慮して、生まれて十七年以上このタワーに上ったことがなかったのだと。
 窓の外に広がる、まるでジオラマ模型のような東京の街並みを見下ろす彼女の姿を見て、やっぱりこの人は生まれながらにして大きな組織のトップに立つべき人なんだと僕には思えた。
「気分転換できました?」
「うん! 来てよかった。桐島さん、連れてきてくれてありがとね!」
 僕が訊ねると、満足そうに頷く彼女の表情は明るかった。普段とは違う景色をご覧になれば気分も変わるし、息が詰まりそうな過酷な現実から、彼女をひとときの間だけでも解放して差し上げられる。彼女はきっと、本当は日ごとに近づくお父さまとの別れに心を痛められ、泣きたいのを|堪《こら》えて必死に明るくふるまっておられたのだろう。だからせめて、僕の前だけでも等身大の女の子でいてほしいと願っていた。僕はそのために、秘書になろうと決めたのだ。
 そこでそれとなく、絢乃さんに毎月のお小遣いの額を訊ねてみると、彼女は「毎月五万円」と屈託なく答えて下さった。でもブランドものは好きではないし、高校生の交際費なんて限られているから多すぎるくらいだとおっしゃった。だから財布の中があんなにパンパンになっていたのだ。
「お嬢さまは金使いが荒い」というイメージしか持っていなかった僕は正直驚いたが、絢乃さんは人並みの金銭感覚を持ち合わせているらしく、なかなかの節約家であるらしい。お嬢さま育ちとはいっても、婿養子だったお父さまは元々一般社員だったし、お母さまも教師だった頃にはご自身で給料を管理していたそうなので、その堅実なご両親のDNAを立派に受け継がれているからだろう。
 お父さまとは以前よりよくお話をされるようになったらしい。
 父親と娘というのはどこの家庭でも没交渉というか、あまりいい距離感ではないと思っていたが(いわゆる「パパウザい!」的な?)。絢乃さんとお父さまの場合はそれに当てはまらなかったようだ。夕焼けに染まりながら目を細めて話される絢乃さんは、お父さまへの愛情が全身から溢れ出していて|神々《こうごう》しいくらいだった。
「余命宣告された時はショックだったけど、今はパパと過ごす時間の一分一秒が|尊《とうと》く思えるの。そう思えるようになったのは貴方のおかげだよ。桐島さん、ホントにありがと」
 そう語られたように、彼女はお父さまの命のリミットと真摯に向き合われているのだと分かり、僕も嬉しかったし、そんな彼女のことがより愛おしく感じた。「感謝されるようなことは何も」と謙遜で返したが、本当はベタ褒めされるのが照れ臭かっただけだ。
「――そういえば、もうすぐクリスマスですね。絢乃さんはもう予定が決まってらっしゃるんですか?」
 こんな質問をしたのは、あわよくば彼女が僕と一緒にクリスマスを過ごしてくれるのではないか、という淡い期待もあったからかもしれない。デートなんておこがましいことは言えないが、せめてメッセージアプリで繋がって、同じ時間を共有するくらいならバチは当たらないだろう、と。正直、もう〝クリ《《ぼっち》》〟からは脱却したかったのだ。
 絢乃さんは「まだ特にこれといっては」という答えの後、僕に「彼女と過ごしたりするの?」と質問返し。
 こんなことを訊くということは、もしかして……!? 彼女も僕と過ごしたがっているのか!? 待て待て俺! 女性不信はどこに行った!?
「いいえ、僕もまだ何も。というか彼女はいないので、今年もきっとクリ《《ぼっち》》ですね……」
 肩をすくめ、余裕をぶっこいて答えたつもりだったが、本当は心臓バクバクだった。ちなみに脳内BGMは超ロングヒットのクリスマスイブの歌である。
 彼女はホッとしたように「……そう」と言ったので、僕に交際相手がいないことに安心していたのは間違いないようだった。
 絢乃さんは毎年、イブにはお友だちとお|台《だい》|場《ば》のツリーを見に行かれるそうだが、その年はお父さまと過ごされる最後のクリスマスだけに、お友だちも遠慮されているらしかった。そしてきっと、彼女自身も悩まれていたのだろう。