【壱ノ弐】

3/72





「たんけんいくひとー!」  令和六年六月四日、火曜日。五年一組の教室、放課後。  黒板消しがかりの美玲が黒板をごしごしと消している。教室にひとつしかない黒板消しはぼろぼろで、ぜんぜん消えない。何文字か消しては、窓に手を出して校舎のかべでぱんぱんとはたく。教室に、チョークのけむりと臭いが入ってくる。  そんな放課後、翔が手をあげて大祇神社の森へのたんけん隊員を募集する。 「いくいくー!」  クラスで一番遠い下町のはしっこから来てる、金髪の──もちろん地毛じゃない──蒼太がいちばん最初に名乗り出た。 「あたしも!」  赤いリボンのツインテールの、小さいくせに気が勝っている、沙羅が次に手をあげる。 「おれも!」  男子でいちばん背の低い、でもいちばん頭の冴える、わたるも行きたがった。 「ボク、パスー」  なぜか一人称がボクのオタク少女、美玲が黒板消しをはたきながら叫ぶ。 「……ほかはー? おい、ゆう、来いよー」 「ああ、いくいく」  ランドセルに教科書を入れるのに夢中になっていて、まったく聞いていなかったゆうも、あいまいに返事をした。いや、ちがう、考えごとをしていたのだった。 『とても……甘い……いい匂い。美味しそう』  美味しそうって、なんだろう。お菓子の匂いでもするのだろうか。と、わきのあたりをくんくんしてみる……汗の匂いしかしない。 「ベルって呼んでいいよ」 「わっ!」  すごくびっくりした。気を向けていなかったら、いつの間に目の前に逸瑠辺へるべさんが立っていた。マスクしててわからないけど……にい、と笑ってる……ように見えた。 「やっぱり、きみ。その匂い好き」 「に、匂い? ……するかなあ?」 「おーい、ゆう、女子集めろよー」  ろうか側に集まる翔が、いちばん前の真ん中の席のゆうに声をかける。ゆうは、いいことを思いついた。 「ね、君も一緒に来ない? たんけん」 「たんけん?」 「うん、今日はいつもんとこ。……たんけん。楽しいよ?」 「あー、だめだめ」  けれど翔がおもむろに歩み寄る。 「そいつ、だめ」 「は?」  昨日はベルちゃんとか言ってでれでれしてたくせに、今日になって手の平を反してイライラした顔してる。なんで? 「とうちゃんに言われたぞ、あのお屋敷の子はだめだって」 『その子とはもう、遊ぶんじゃない』  夕べの言葉がよみがえる。たしか、翔のお父さんは森で木を切ってるヒトだ。 (なんで翔も? ってか、あそこに住んでるの?)  そこはゆうれい屋敷だの悲鳴が聞こえるだのと、こどもたちの間で有名なお屋敷だ。 「いや、そんなこと言っちゃだめだろ」 「と、とにかく、お前はだめだし。入れてやんねえし」  翔はなぜか、かたくなだ。空のように澄んだ瞳のその女の子はゆうを見たまま、口を開いた。 「ねえ、ゆうくん……だっけ? 今日は、私のとこにおいでよ」  予想外の言葉に、頭の中が止まる。またマスクの下で笑った。 「私のうちに、来て欲しいな」  本当に綺麗な瞳をしている。こんな間然する所のない女の子に、誘われたことなんてないゆうは顔を赤くした……けど、見つめるその目をそらせない。 「ねえ、ゆうくん」 「だめだったら!」  翔が間に割って入る。 「ゆうはおれらと行くの。お前はだめ」  昨日と明らかに違って頭を振るばかりの態度にゆうは戸惑った。いつものバカみたいに明るい彼らしくなかった。 「別にいいよ。きみ、犬臭いし」 「おれ飼ってねえし!」 「ねえ、ゆうくん。いこ?」 「無視すんなし!」  翔がいらだつ。それでも白い肌のその子は、構わずゆうの手を引いた。とても……冷たくて。なぜだか思わず手を振り払ってしまった。 「ぼ、僕、翔と行くから。また今度ね!」 「おっしゃあ、ゆう、いくぞー」  いつの間に増えた、女子唯一のメガネで忘れ物クイーンのみかもあわせて六人で、教室を後にした。  背中がちりちりして気が差した。ゆうの席の前で立っている逸瑠辺へるべさんが、ずっと、見ている気がして。



write-comment-iconコメントを書く
write-comment-iconレビューを書く



comment-icon新着コメント



コメントはありません。投稿してみようっ!


前のエピソード 【壱ノ壱】

【壱ノ弐】

3/72

「たんけんいくひとー!」  令和六年六月四日、火曜日。五年一組の教室、放課後。  黒板消しがかりの美玲が黒板をごしごしと消している。教室にひとつしかない黒板消しはぼろぼろで、ぜんぜん消えない。何文字か消しては、窓に手を出して校舎のかべでぱんぱんとはたく。教室に、チョークのけむりと臭いが入ってくる。  そんな放課後、翔が手をあげて大祇神社の森へのたんけん隊員を募集する。 「いくいくー!」  クラスで一番遠い下町のはしっこから来てる、金髪の──もちろん地毛じゃない──蒼太がいちばん最初に名乗り出た。 「あたしも!」  赤いリボンのツインテールの、小さいくせに気が勝っている、沙羅が次に手をあげる。 「おれも!」  男子でいちばん背の低い、でもいちばん頭の冴える、わたるも行きたがった。 「ボク、パスー」  なぜか一人称がボクのオタク少女、美玲が黒板消しをはたきながら叫ぶ。 「……ほかはー? おい、ゆう、来いよー」 「ああ、いくいく」  ランドセルに教科書を入れるのに夢中になっていて、まったく聞いていなかったゆうも、あいまいに返事をした。いや、ちがう、考えごとをしていたのだった。 『とても……甘い……いい匂い。美味しそう』  美味しそうって、なんだろう。お菓子の匂いでもするのだろうか。と、わきのあたりをくんくんしてみる……汗の匂いしかしない。 「ベルって呼んでいいよ」 「わっ!」  すごくびっくりした。気を向けていなかったら、いつの間に目の前に逸瑠辺へるべさんが立っていた。マスクしててわからないけど……にい、と笑ってる……ように見えた。 「やっぱり、きみ。その匂い好き」 「に、匂い? ……するかなあ?」 「おーい、ゆう、女子集めろよー」  ろうか側に集まる翔が、いちばん前の真ん中の席のゆうに声をかける。ゆうは、いいことを思いついた。 「ね、君も一緒に来ない? たんけん」 「たんけん?」 「うん、今日はいつもんとこ。……たんけん。楽しいよ?」 「あー、だめだめ」  けれど翔がおもむろに歩み寄る。 「そいつ、だめ」 「は?」  昨日はベルちゃんとか言ってでれでれしてたくせに、今日になって手の平を反してイライラした顔してる。なんで? 「とうちゃんに言われたぞ、あのお屋敷の子はだめだって」 『その子とはもう、遊ぶんじゃない』  夕べの言葉がよみがえる。たしか、翔のお父さんは森で木を切ってるヒトだ。 (なんで翔も? ってか、あそこに住んでるの?)  そこはゆうれい屋敷だの悲鳴が聞こえるだのと、こどもたちの間で有名なお屋敷だ。 「いや、そんなこと言っちゃだめだろ」 「と、とにかく、お前はだめだし。入れてやんねえし」  翔はなぜか、かたくなだ。空のように澄んだ瞳のその女の子はゆうを見たまま、口を開いた。 「ねえ、ゆうくん……だっけ? 今日は、私のとこにおいでよ」  予想外の言葉に、頭の中が止まる。またマスクの下で笑った。 「私のうちに、来て欲しいな」  本当に綺麗な瞳をしている。こんな間然する所のない女の子に、誘われたことなんてないゆうは顔を赤くした……けど、見つめるその目をそらせない。 「ねえ、ゆうくん」 「だめだったら!」  翔が間に割って入る。 「ゆうはおれらと行くの。お前はだめ」  昨日と明らかに違って頭を振るばかりの態度にゆうは戸惑った。いつものバカみたいに明るい彼らしくなかった。 「別にいいよ。きみ、犬臭いし」 「おれ飼ってねえし!」 「ねえ、ゆうくん。いこ?」 「無視すんなし!」  翔がいらだつ。それでも白い肌のその子は、構わずゆうの手を引いた。とても……冷たくて。なぜだか思わず手を振り払ってしまった。 「ぼ、僕、翔と行くから。また今度ね!」 「おっしゃあ、ゆう、いくぞー」  いつの間に増えた、女子唯一のメガネで忘れ物クイーンのみかもあわせて六人で、教室を後にした。  背中がちりちりして気が差した。ゆうの席の前で立っている逸瑠辺へるべさんが、ずっと、見ている気がして。



write-comment-iconコメントを書く
write-comment-iconレビューを書く



comment-icon新着コメント



コメントはありません。投稿してみようっ!