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【5】①

ー/ー



「皆さんの前途に幸多からんことを」

 今日は、卒業式。

 怜那は、三年間通ったこの学び舎から巣立っていく。

    ◇  ◇  ◇

 厳粛な雰囲気の中で()り行われた式のあと。
 もう明日からは足を踏み入れることのないクラスの教室に戻って来て、最後のホームルームがある。

 三年の担任も沖でよかったと改めて感じる。最後の最後まで、一緒に居られるからだ。
 怜那はクラスの一員として、感無量といった様子の沖の担任としての最後の話に耳を傾けた。
 沖は、教員生活も三年目を終えて、今日初めて担任した生徒を卒業生として送り出すことになるのだ。

「俺の話はこれで終わりだ。みんな、未熟な担任で迷惑もかけたかもしれないが、よく頑張ってくれた。本当に俺の方が教えられることも多かったと思う。ありがとう」

 ──先生、さっき式の途中で泣きそうだったもんね。ううん、もしかしたら泣いてたのかも。

「今日で卒業だけどまだ高校生だし、そうじゃなくても未成年だから。これから遊びに行く奴らもいるだろうけど、羽目を外し過ぎないこと! お前たちの人生は、まだまだこれからなんだからな」
 沖の最後の担任らしい言葉で解散にはなったが、クラス写真を撮りたい! という声が教室のあちこちから上がり、荷物を纏めてぞろぞろと連れ立って中庭へ向かう。

 全員での写真撮影のあとも、リーダー格の女子生徒が口火を切ったのに皆が追随して、口々に「先生、ツーショット撮って!」と言い出し、もう大騒ぎになってしまった。
 当然、一度には無理なので、自然に皆が列作って並んでいる間のことだった。

「怜那、一緒に撮ろーよ」
 二年から三年はクラス替えがなかったため、怜那は今年も一緒だった派手目グループの瀬里奈と美彩に声を掛けられた。

 スマートフォンを持った手をひらひらさせながら誘われて、別に断る気もなく「いいよ」と気軽に返す。
 他の子たちに一声掛けて少し列を離れ、順に二人ずつ撮った。すぐに戻ってクラスメイトに頼み、三人でも撮ってもらう。

「さんきゅー、高瀬(たかせ)。あ、怜那、写真のデータあとで送るからね」
「うん、ありがと」
 正直、なぜ瀬里奈たちが怜那と写真を撮りたがるのかはわからない。けれど嫌なわけではないので悩むこともなかった。

 瀬里奈とは、学部は違うけれど同じ大学行くことになっていた。
 この高校からは進学者が少ないらしいが、怜那は言うに及ばず瀬里奈の方もどう見ても仲間がいなくて不安がるタイプではなさそうだ。
 しかしそんなことは関係なく、あの頃(・・・)よりはもっと普通には話すようになっていたし、「友達と記念写真」の一環なのだと解釈した。

 他のクラスも、少し離れたところでそれぞれ輪を作って賑やかにしている。
 どの集団でも、クラスメイト同士も先生とも散々名残(なごり)を惜しんでいた。
 握手したり、肩を組んだり抱き合ったり。

 中には部活の後輩だろうか、下級生にプレゼントらしきものを渡されていたり、せがまれて写真を撮ったりしているグループもあった。
 泣いて先輩との別れを惜しんでいる下級生たちを見ていると、嫌でも今日で終わりなのだと突き付けられてしまう。

 今年もクラスが別れた大翔やあゆ美とも、つい先ほど顔を合わせた。
 彼らとも、もちろん交代で写真も撮ったが、仲のいい友人同士なら今日でお別れという意識も少し薄れる。あゆ美とは既に、卒業後の遊びの予定も立てていた。
 そもそも、大翔とはこれからも隣同士で、むしろ離れようがないのだけれど。

 それにしても、よく学園ものなどで題材になる「第二ボタンがどうの」というものは、フィクションの中だけの作り事だと怜那は考えていたのだが。

 ──あれって、アニメとかだけじゃなかったんだなぁ。昨日大翔の話聞いてホントに現実でもあるんだ! って思ったけど。ってか私が知らなかっただけで、普通によくあんの?

「ボタンなんて手で簡単に引きちぎれるもんじゃないだろ。(はさみ)とかカッターとか持ってった方がいいのか?」
 当然、ボタンを求められる立場に立っていると自覚している幼馴染みの発言に、怜那はとりあえず「……一応、刃物だから。小さめのにしときなよ」とだけ忠告しておいた。
 彼は去年の生徒会長だったこともあり、憧れ慕う後輩も多い。先輩や同級生はともかく、後輩に限っては圧倒的に女子が多いらしいが。
 学園のヒーローなどというと一気に漫画チックになるが、大翔の場合その呼称がピッタリかどうかはともかく的外れとまでは言えないのが凄い。

 しばらくすると、さすがに中庭や校門周辺も、人がまばらになって来た。
 怜那や大翔たちは違うけれど、保護者が来ている生徒はやはりいつまでも残っていられず、早いうちに学校を後にしていた。

 友人もほとんどが帰って行き、先ほどまでの喧騒(けんそう)もすっかり落ち着いた空間で、怜那は明確な意図を持って周りを見回してみる。
 いったいいつからなのか、少し離れたところからこちらをじっと見ていたらしい沖と目が合い、怜那の口元には自然笑みが浮かんだ。

 クラスメイトと同じように集合写真に納まり、順番に並んで沖とのツーショットも撮ってもらった。しかし、今日怜那は彼とは型通りの挨拶以外に、ほとんど口さえきいていない。

 単なる、先生と生徒として。
 沖も怜那も、学校ではそのスタンスを貫き通して来た。あれからずっと、もう一年半以上にもなる。
 いま怜那の胸にあるのは、やり通せたという達成感と、ごく僅かの寂寥(せきりょう)と。

 『卒業まで』
 それが二人の合言葉だった。

 それも今日で終わる。
 あともうほんの少しなのだから最後までこのまま、……せめて最後だけでも、学校で。

「沖先生!」
 一瞬の葛藤の末、どうしても諦めきれずに怜那は沖に駆け寄った。

「ほんっとーにお世話になりました! 先生がいなかったら卒業できなかったかもしれないし、私」
「そうだったなぁ。確かにお前にはよくお世話したと思うよ」
 礼を述べる怜那に、笑いながらそんな軽口を叩きはしたが、沖は少し顔を引き締めて言い添える。

「でも結局は卒業も受験も全部、お前の努力の賜物(たまもの)なんだ。あくまでも俺はそれを手助けしただけ。お前自身がやる気にならなきゃ、何の意味もなかったんだからな。本当に、よく頑張ったよ」
 彼の言葉に嬉しそうに微笑んで、怜那が問い掛ける。

「先生はまだ帰れないんでしょ?」
「そりゃそうだよ。卒業式が終わったからはいサヨナラ、なのはお前ら卒業生だけで、俺たちは今日もフツーに仕事だからな。まあ、あまり遅くまでは残らないようにはしたいんだけど、年度末だからいろいろとやることも多いんだよな。その上に、新年度の準備もしなきゃならないし」
 沖の台詞に、怜那は今更ながらに彼との立場の違いを感じた。
 卒業したら「先生と生徒」ではなくなるとはいえ、社会人と学生には変わりがないのだから。

「お前たちの学年が卒業したってことは、また次が入って来るからな。実際、三月中には新入生登校日もあるから。俺が来年度に、どの学年の担当になるかはまだわからないけどさ」
 おそらく、恒例としてほぼ決まってはいるのだろうが、確定し外に出してもいい時期が来るまで、沖は決して情報を漏らすことはない。

 それは相手が恋人であっても変わらない。
 そして怜那は、きっとそういう彼も好きなのだと思う。

「そっかぁ、そうだよね」
 そういう運命と諦めるしかない。

「ちょっと先生と話したいなと思ったんだけど、だったらいったん帰って夜に──」
 残念そうに切り出した怜那に、沖は軽く答えてくれる。

「それくらいの時間はあるさ。俺も話したい」
 そして、怜那のために無理をしているのではない、と知らせるように言い添えた。

「普通ったって今日は式だけで授業もないし、そもそも在校生は代表しか来てないからな。俺たち卒業生の担任は、他の学年も担当してる先生以外は、どっちにしてももう授業はないんだけど。式だから、今日はチャイムも鳴らないようにしてあるし、時間割に縛られない分普段よりはずっと融通が利くから」
 沖は、悪戯(いたずら)っぽく笑って怜那に告げる。

「進路指導室へ行かないか」
 その単語だけで、沖の真意が伝わった。

「指導室っていうか、あの談話スペース。最後にお前と、あの部屋へ行っておきたいんだ」
 沖も、あの部屋が──。

「さすがに今日は誰も来ないだろ。一年で一番空いてる日かもな」
 スーツのポケットから鍵を取り出して怜那に見せながら、沖はやけに楽しそうだ。

「これ借りたいって言ったとき、担当の先生に変な顔されたよ。『え、今日ですか?』ってさ。そりゃ、誰だってそう思うよな」
 怜那の方にも異存などある筈もなく、笑顔で頷いた。


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「皆さんの前途に幸多からんことを」
 今日は、卒業式。
 怜那は、三年間通ったこの学び舎から巣立っていく。
    ◇  ◇  ◇
 厳粛な雰囲気の中で|執《と》り行われた式のあと。
 もう明日からは足を踏み入れることのないクラスの教室に戻って来て、最後のホームルームがある。
 三年の担任も沖でよかったと改めて感じる。最後の最後まで、一緒に居られるからだ。
 怜那はクラスの一員として、感無量といった様子の沖の担任としての最後の話に耳を傾けた。
 沖は、教員生活も三年目を終えて、今日初めて担任した生徒を卒業生として送り出すことになるのだ。
「俺の話はこれで終わりだ。みんな、未熟な担任で迷惑もかけたかもしれないが、よく頑張ってくれた。本当に俺の方が教えられることも多かったと思う。ありがとう」
 ──先生、さっき式の途中で泣きそうだったもんね。ううん、もしかしたら泣いてたのかも。
「今日で卒業だけどまだ高校生だし、そうじゃなくても未成年だから。これから遊びに行く奴らもいるだろうけど、羽目を外し過ぎないこと! お前たちの人生は、まだまだこれからなんだからな」
 沖の最後の担任らしい言葉で解散にはなったが、クラス写真を撮りたい! という声が教室のあちこちから上がり、荷物を纏めてぞろぞろと連れ立って中庭へ向かう。
 全員での写真撮影のあとも、リーダー格の女子生徒が口火を切ったのに皆が追随して、口々に「先生、ツーショット撮って!」と言い出し、もう大騒ぎになってしまった。
 当然、一度には無理なので、自然に皆が列作って並んでいる間のことだった。
「怜那、一緒に撮ろーよ」
 二年から三年はクラス替えがなかったため、怜那は今年も一緒だった派手目グループの瀬里奈と美彩に声を掛けられた。
 スマートフォンを持った手をひらひらさせながら誘われて、別に断る気もなく「いいよ」と気軽に返す。
 他の子たちに一声掛けて少し列を離れ、順に二人ずつ撮った。すぐに戻ってクラスメイトに頼み、三人でも撮ってもらう。
「さんきゅー、|高瀬《たかせ》。あ、怜那、写真のデータあとで送るからね」
「うん、ありがと」
 正直、なぜ瀬里奈たちが怜那と写真を撮りたがるのかはわからない。けれど嫌なわけではないので悩むこともなかった。
 瀬里奈とは、学部は違うけれど同じ大学行くことになっていた。
 この高校からは進学者が少ないらしいが、怜那は言うに及ばず瀬里奈の方もどう見ても仲間がいなくて不安がるタイプではなさそうだ。
 しかしそんなことは関係なく、|あの頃《・・・》よりはもっと普通には話すようになっていたし、「友達と記念写真」の一環なのだと解釈した。
 他のクラスも、少し離れたところでそれぞれ輪を作って賑やかにしている。
 どの集団でも、クラスメイト同士も先生とも散々|名残《なごり》を惜しんでいた。
 握手したり、肩を組んだり抱き合ったり。
 中には部活の後輩だろうか、下級生にプレゼントらしきものを渡されていたり、せがまれて写真を撮ったりしているグループもあった。
 泣いて先輩との別れを惜しんでいる下級生たちを見ていると、嫌でも今日で終わりなのだと突き付けられてしまう。
 今年もクラスが別れた大翔やあゆ美とも、つい先ほど顔を合わせた。
 彼らとも、もちろん交代で写真も撮ったが、仲のいい友人同士なら今日でお別れという意識も少し薄れる。あゆ美とは既に、卒業後の遊びの予定も立てていた。
 そもそも、大翔とはこれからも隣同士で、むしろ離れようがないのだけれど。
 それにしても、よく学園ものなどで題材になる「第二ボタンがどうの」というものは、フィクションの中だけの作り事だと怜那は考えていたのだが。
 ──あれって、アニメとかだけじゃなかったんだなぁ。昨日大翔の話聞いてホントに現実でもあるんだ! って思ったけど。ってか私が知らなかっただけで、普通によくあんの?
「ボタンなんて手で簡単に引きちぎれるもんじゃないだろ。|鋏《はさみ》とかカッターとか持ってった方がいいのか?」
 当然、ボタンを求められる立場に立っていると自覚している幼馴染みの発言に、怜那はとりあえず「……一応、刃物だから。小さめのにしときなよ」とだけ忠告しておいた。
 彼は去年の生徒会長だったこともあり、憧れ慕う後輩も多い。先輩や同級生はともかく、後輩に限っては圧倒的に女子が多いらしいが。
 学園のヒーローなどというと一気に漫画チックになるが、大翔の場合その呼称がピッタリかどうかはともかく的外れとまでは言えないのが凄い。
 しばらくすると、さすがに中庭や校門周辺も、人がまばらになって来た。
 怜那や大翔たちは違うけれど、保護者が来ている生徒はやはりいつまでも残っていられず、早いうちに学校を後にしていた。
 友人もほとんどが帰って行き、先ほどまでの|喧騒《けんそう》もすっかり落ち着いた空間で、怜那は明確な意図を持って周りを見回してみる。
 いったいいつからなのか、少し離れたところからこちらをじっと見ていたらしい沖と目が合い、怜那の口元には自然笑みが浮かんだ。
 クラスメイトと同じように集合写真に納まり、順番に並んで沖とのツーショットも撮ってもらった。しかし、今日怜那は彼とは型通りの挨拶以外に、ほとんど口さえきいていない。
 単なる、先生と生徒として。
 沖も怜那も、学校ではそのスタンスを貫き通して来た。あれからずっと、もう一年半以上にもなる。
 いま怜那の胸にあるのは、やり通せたという達成感と、ごく僅かの|寂寥《せきりょう》と。
 『卒業まで』
 それが二人の合言葉だった。
 それも今日で終わる。
 あともうほんの少しなのだから最後までこのまま、……せめて最後だけでも、学校で。
「沖先生!」
 一瞬の葛藤の末、どうしても諦めきれずに怜那は沖に駆け寄った。
「ほんっとーにお世話になりました! 先生がいなかったら卒業できなかったかもしれないし、私」
「そうだったなぁ。確かにお前にはよくお世話したと思うよ」
 礼を述べる怜那に、笑いながらそんな軽口を叩きはしたが、沖は少し顔を引き締めて言い添える。
「でも結局は卒業も受験も全部、お前の努力の|賜物《たまもの》なんだ。あくまでも俺はそれを手助けしただけ。お前自身がやる気にならなきゃ、何の意味もなかったんだからな。本当に、よく頑張ったよ」
 彼の言葉に嬉しそうに微笑んで、怜那が問い掛ける。
「先生はまだ帰れないんでしょ?」
「そりゃそうだよ。卒業式が終わったからはいサヨナラ、なのはお前ら卒業生だけで、俺たちは今日もフツーに仕事だからな。まあ、あまり遅くまでは残らないようにはしたいんだけど、年度末だからいろいろとやることも多いんだよな。その上に、新年度の準備もしなきゃならないし」
 沖の台詞に、怜那は今更ながらに彼との立場の違いを感じた。
 卒業したら「先生と生徒」ではなくなるとはいえ、社会人と学生には変わりがないのだから。
「お前たちの学年が卒業したってことは、また次が入って来るからな。実際、三月中には新入生登校日もあるから。俺が来年度に、どの学年の担当になるかはまだわからないけどさ」
 おそらく、恒例としてほぼ決まってはいるのだろうが、確定し外に出してもいい時期が来るまで、沖は決して情報を漏らすことはない。
 それは相手が恋人であっても変わらない。
 そして怜那は、きっとそういう彼も好きなのだと思う。
「そっかぁ、そうだよね」
 そういう運命と諦めるしかない。
「ちょっと先生と話したいなと思ったんだけど、だったらいったん帰って夜に──」
 残念そうに切り出した怜那に、沖は軽く答えてくれる。
「それくらいの時間はあるさ。俺も話したい」
 そして、怜那のために無理をしているのではない、と知らせるように言い添えた。
「普通ったって今日は式だけで授業もないし、そもそも在校生は代表しか来てないからな。俺たち卒業生の担任は、他の学年も担当してる先生以外は、どっちにしてももう授業はないんだけど。式だから、今日はチャイムも鳴らないようにしてあるし、時間割に縛られない分普段よりはずっと融通が利くから」
 沖は、|悪戯《いたずら》っぽく笑って怜那に告げる。
「進路指導室へ行かないか」
 その単語だけで、沖の真意が伝わった。
「指導室っていうか、あの談話スペース。最後にお前と、あの部屋へ行っておきたいんだ」
 沖も、あの部屋が──。
「さすがに今日は誰も来ないだろ。一年で一番空いてる日かもな」
 スーツのポケットから鍵を取り出して怜那に見せながら、沖はやけに楽しそうだ。
「これ借りたいって言ったとき、担当の先生に変な顔されたよ。『え、今日ですか?』ってさ。そりゃ、誰だってそう思うよな」
 怜那の方にも異存などある筈もなく、笑顔で頷いた。