第27話 疎まれた者(1)
ー/ー 貴方は大切な子ですよ……。
母はよく、そう私に語りかけた。その声にも、表情にも偽りはなかった。そして父もまた、同じように語ってくれていた。
だが私は知っている。己の異質さと、異端さを……。
「二番目の皇子様を見ました? 恐ろしい」「白髪に赤い目なんて、魔物みたい」
そう、囁く人の声を聞かなければ良いのかもしれない。もしくは子供らしく泣けば可愛げがあったのだろう。けれど一人、体も弱く常に死を側で感じ続けていればそんな可愛げは失せていく。自暴自棄にもなっていく。
十にして人の闇を見つめ、己の儚さに嫌気がさし、誰をも信じないと固く誓うくらいには人間が擦れた。冷めた目で人々を見る子供を周囲は誰も愛さない。
何より私には生まれながらにして奇妙な能力が備わっていた。それは、目を見た人間の心の内が分かるというもの。
どれだけ取り繕った笑顔を向けていても心の中では誰もが気味悪がった。
それをしないのは実の両親と、母の兄だけだった。
縒人、お前は何者になりたい?
母の兄であり、現陰陽寮を取り仕切る退魔師の宗主、安倍道晴。伏せる私の側で一晩中退魔の呪文を唱え弓の弦を鳴らした人は雄々しく温かな人だ。天皇である父の覚えもめでたい人は穏やかで、体も弱くろくに外に出られない私に沢山の話を聞かせてくれた。
その大半は安倍家が調伏した魔物の話や、初代宗主安倍清明様のお話だったりした。その全てを覚えている。同時に、心が躍る思いだった。
部屋に籠もる事の多い私は夢想の世界では自由だった。熱っぽい体も、直ぐに息の切れる情けない肺も存在しない。魔を調伏し、鬼を使役する。そんな超人になれた気がした。
そんな時だ、父に仕える武将の一人から同じ歳くらいの子を紹介されたのは。
「はじめまして! 源鏡史郎と申します! 以後、誠心誠意おつかえいたします!」
「……はぁ」
頬に擦り傷、手にはまめを作った黒髪の彼は大きな声で一杯に挨拶をする。その隣には彼の父であり、内裏を守る武家団の一人、源時平が苦笑いで座っている。
この男も気持ちのよい男だ。何度か顔を合わせその目を覗いたが、心に裏表がない。こんな場所だ、多少思っても口を噤むこと位はあるが、それでも誠実な男だと思う。
私がそう父に告げると、父は深く頷いて彼を重く用いたそうだ。元々源家は天皇家とは繋がりが深く覚えもめでたい家柄ではあったが。
この鏡史郎は彼の四男で現在八つ。私とは二つ違いだ。
将来凜々しくなるだろう事が今からでも分かる顔立ち。硬そうな黒髪に、意外とはっきり大きな茶色の目。体躯も私よりよほど良いが、何やら犬のようにも見える。
「縒人様、今日よりうちの倅をお側にお付けください」
「何故ですか?」
「貴方の守りですよ」
「……必要ありませんよ。どうせここからは出ないのです」
与えられた部屋の中には常に敷きっぱなしの布団と、それを囲う御簾。それに文机と本と書き散らかした紙ばかり。ここが、私の世界で唯一だ。一歩踏み出しても目の前の廊下くらい。そこから見上げる月が心地よい。
だが時平は苦笑して首を横に振る。そして真っ直ぐ私の目を見る。気味が悪いと言われる赤目を、躊躇いもなく。
「貴方様には必要になりますよ」
「いつまで生きるとも分からないのに」
「またそんなことを。では、貴方に掛かる病魔ごと此奴が斬れば宜しい」
「目に見えぬ疫鬼を切れますかね? それとも、魔物でしょうか」
なんて意地悪を言ってしまうと、バチが当たったのか深く咳き込んでしまう。ここ数日、また熱っぽくなっていた。
そんな私に寄り添い、肩掛けを掛けたのは鏡史郎だった。
「大丈夫ですか?」
「……可哀想な子。お前、出世はできませんよ」
それでもまだ尖る心は哀れで罪のない彼へもむいた。これだから人から嫌われるのだろうと自嘲してしまう。
けれど鏡史郎はキョトッとして私の顔を見た。
「俺、可哀想じゃありません。縒人様の側にいられるの、楽しみにしていました!」
毒のない、悪意もない笑顔に驚く。茶色の目が合って、流れてくる彼の心がまた私を撫でていく。彼の心は言葉と相違なかった。
「……バカな子です?」
「え? ご存じなんですか? 父上秘密にしてって言ったのに!」
「言ってないわバカ息子! まったく、頭の足りん阿呆だからな。しっかりやらんと、どやされるぞ」
「むぅ。でも俺は強いんだぞ!」
「そういう所が阿呆なんだ」
そんな親子の会話を聞いて、私は思わず笑ってしまった。くすくすっと声を上げ、心から笑うなんてどのくらいぶりなのだろう。そうしたら、なんだか体も軽くなったように思う。
「お前、可愛いですね」
「え?」
「いいでしょう、守りとします」
「本当ですか!」
「えぇ。私の為にしっかりと勤めて下さいね」
伝えると、鏡史郎はとても嬉しそうな顔で頷いた。こんな不気味で、先も短いだろう者の側に仕える事となったのに。
そう、私は長くないのだろうに……。
その夜、やはり熱を出して私は伏せった。母が見舞いに訪れ、父も忙しい合間に顔を見に来てくれた。叔父の道晴が来て薬湯を煎じ、魔を退ける言葉を唱える。
だがこの日から弓を引くのは叔父ではなく、鏡史郎となった。
ビィィィン……ビィィィィン……と弦を弾く音が響くと体が楽になる。夢うつつか、朦朧とする中で見る小さな背中の逞しさを覚えた。私よりも幼い子が、私の為に夜通し弓を引く。その姿に涙が出た。
母はよく、そう私に語りかけた。その声にも、表情にも偽りはなかった。そして父もまた、同じように語ってくれていた。
だが私は知っている。己の異質さと、異端さを……。
「二番目の皇子様を見ました? 恐ろしい」「白髪に赤い目なんて、魔物みたい」
そう、囁く人の声を聞かなければ良いのかもしれない。もしくは子供らしく泣けば可愛げがあったのだろう。けれど一人、体も弱く常に死を側で感じ続けていればそんな可愛げは失せていく。自暴自棄にもなっていく。
十にして人の闇を見つめ、己の儚さに嫌気がさし、誰をも信じないと固く誓うくらいには人間が擦れた。冷めた目で人々を見る子供を周囲は誰も愛さない。
何より私には生まれながらにして奇妙な能力が備わっていた。それは、目を見た人間の心の内が分かるというもの。
どれだけ取り繕った笑顔を向けていても心の中では誰もが気味悪がった。
それをしないのは実の両親と、母の兄だけだった。
縒人、お前は何者になりたい?
母の兄であり、現陰陽寮を取り仕切る退魔師の宗主、安倍道晴。伏せる私の側で一晩中退魔の呪文を唱え弓の弦を鳴らした人は雄々しく温かな人だ。天皇である父の覚えもめでたい人は穏やかで、体も弱くろくに外に出られない私に沢山の話を聞かせてくれた。
その大半は安倍家が調伏した魔物の話や、初代宗主安倍清明様のお話だったりした。その全てを覚えている。同時に、心が躍る思いだった。
部屋に籠もる事の多い私は夢想の世界では自由だった。熱っぽい体も、直ぐに息の切れる情けない肺も存在しない。魔を調伏し、鬼を使役する。そんな超人になれた気がした。
そんな時だ、父に仕える武将の一人から同じ歳くらいの子を紹介されたのは。
「はじめまして! 源鏡史郎と申します! 以後、誠心誠意おつかえいたします!」
「……はぁ」
頬に擦り傷、手にはまめを作った黒髪の彼は大きな声で一杯に挨拶をする。その隣には彼の父であり、内裏を守る武家団の一人、源時平が苦笑いで座っている。
この男も気持ちのよい男だ。何度か顔を合わせその目を覗いたが、心に裏表がない。こんな場所だ、多少思っても口を噤むこと位はあるが、それでも誠実な男だと思う。
私がそう父に告げると、父は深く頷いて彼を重く用いたそうだ。元々源家は天皇家とは繋がりが深く覚えもめでたい家柄ではあったが。
この鏡史郎は彼の四男で現在八つ。私とは二つ違いだ。
将来凜々しくなるだろう事が今からでも分かる顔立ち。硬そうな黒髪に、意外とはっきり大きな茶色の目。体躯も私よりよほど良いが、何やら犬のようにも見える。
「縒人様、今日よりうちの倅をお側にお付けください」
「何故ですか?」
「貴方の守りですよ」
「……必要ありませんよ。どうせここからは出ないのです」
与えられた部屋の中には常に敷きっぱなしの布団と、それを囲う御簾。それに文机と本と書き散らかした紙ばかり。ここが、私の世界で唯一だ。一歩踏み出しても目の前の廊下くらい。そこから見上げる月が心地よい。
だが時平は苦笑して首を横に振る。そして真っ直ぐ私の目を見る。気味が悪いと言われる赤目を、躊躇いもなく。
「貴方様には必要になりますよ」
「いつまで生きるとも分からないのに」
「またそんなことを。では、貴方に掛かる病魔ごと此奴が斬れば宜しい」
「目に見えぬ疫鬼を切れますかね? それとも、魔物でしょうか」
なんて意地悪を言ってしまうと、バチが当たったのか深く咳き込んでしまう。ここ数日、また熱っぽくなっていた。
そんな私に寄り添い、肩掛けを掛けたのは鏡史郎だった。
「大丈夫ですか?」
「……可哀想な子。お前、出世はできませんよ」
それでもまだ尖る心は哀れで罪のない彼へもむいた。これだから人から嫌われるのだろうと自嘲してしまう。
けれど鏡史郎はキョトッとして私の顔を見た。
「俺、可哀想じゃありません。縒人様の側にいられるの、楽しみにしていました!」
毒のない、悪意もない笑顔に驚く。茶色の目が合って、流れてくる彼の心がまた私を撫でていく。彼の心は言葉と相違なかった。
「……バカな子です?」
「え? ご存じなんですか? 父上秘密にしてって言ったのに!」
「言ってないわバカ息子! まったく、頭の足りん阿呆だからな。しっかりやらんと、どやされるぞ」
「むぅ。でも俺は強いんだぞ!」
「そういう所が阿呆なんだ」
そんな親子の会話を聞いて、私は思わず笑ってしまった。くすくすっと声を上げ、心から笑うなんてどのくらいぶりなのだろう。そうしたら、なんだか体も軽くなったように思う。
「お前、可愛いですね」
「え?」
「いいでしょう、守りとします」
「本当ですか!」
「えぇ。私の為にしっかりと勤めて下さいね」
伝えると、鏡史郎はとても嬉しそうな顔で頷いた。こんな不気味で、先も短いだろう者の側に仕える事となったのに。
そう、私は長くないのだろうに……。
その夜、やはり熱を出して私は伏せった。母が見舞いに訪れ、父も忙しい合間に顔を見に来てくれた。叔父の道晴が来て薬湯を煎じ、魔を退ける言葉を唱える。
だがこの日から弓を引くのは叔父ではなく、鏡史郎となった。
ビィィィン……ビィィィィン……と弦を弾く音が響くと体が楽になる。夢うつつか、朦朧とする中で見る小さな背中の逞しさを覚えた。私よりも幼い子が、私の為に夜通し弓を引く。その姿に涙が出た。
翌日、熱はすっかり下がりきり体は軽くなっていた。驚くもので体に力も入り、食欲もある。粥を空にするとお付きの女中は驚いた顔をしたくらいだ。
「縒人様、お元気になられて良かったです!」
元気いっぱい、顔いっぱいに笑う鏡史郎に、私は笑って腕を伸ばす。
分かっているよ、その腕が震えている事を。一晩弓など引くから痛むのだろ? 目の下に隈も出来ている。眠っていないのだから。
「あの、縒人様?」
「お前は温かいね」
「縒人様が冷たいんだと思います」
「死人みたいなことを言わないでください。まだぎりぎり生きていますよ」
「あっ、違います! そういう意味じゃなくて!」
慌ててあたふたしている鏡史郎に笑い、私は「分かっていますよ」と微笑む。そして眠るついでにと彼を布団に引き入れてしまった。
「あの!」
「お前、本当に温かいですね。もう少し眠りたいのです、付き合いなさい」
「でも、あの……」
「いいではありませんか。側にいて、守るのがお前の役目でしょ?」
単純に、手放したくなかったんだ。そして、寝足りない鏡史郎を休ませてやりたかった。こうしていれば私の我が儘で寝る事になったんだと言い訳も立つ。
腕の中でもそもそと鏡史郎が身じろぐ。私の顔を見上げて、ほんのりと頬を桜色にした彼は嬉しそうに笑った。
「縒人様、温かいですね」
「そうですね」
愛しいという言葉を知る前に、人の悪意を理解した。愛し合う人がいることも理解はしていたが、自分の上にはないと思っていた。孤独であると、思っていた。
けれど今一つ、私は他人の温かさを知って安らいでいる。恋情ではないだろうが、これも一つの愛であるならばなんて心地よくくすぐったいものなのだろう。まるで日だまりで、心地よくて抜け出せない。
いつの間にか腕の中で寝息を立てる彼を抱いて私も眠った。ぽかぽかの日だまりの中、二人で駆け回って遊ぶ夢を見ていた。
§
その夜、叔父が念のためにともう一晩付き添うこととなった。私は許しを与えて鏡史郎を隣に寝かせている。昨晩頑張ったからか既にすよすよと寝息を立てる子の頭を撫でながら、私は冴えてしまった目を叔父へと向けた。
「このように体の軽い日は久しぶりです、叔父上」
「だろうな。顔色も良く食欲もある。主上も驚いておられた」
静かに側に座す人が笑う。そしてふと、視線を鏡史郎へと向けた。
「その子のおかげだろう」
「鏡史郎の?」
「あぁ。その子は生まれながらにして陽の気が過剰だ。まるでお前と、生まれた時から添うように定められていたかのように」
「え?」
思わぬ事に私は鏡史郎を見る。何も知らない子はこちらの話など聞こえていないだろう。それどころか、己が何者なのかすらも分からないようだ。
私は生まれながらにして陰の気が過剰だった。
陰は停滞の気。静であり、内へと向かっていく性質がある。本来は女性が持つ気だと言われているが、私は男でありながら過剰だった。
本来、陰と陽は偏りが少ない方が良いと言われている。そこにきてこの均衡の取れない自身の体は常に不安定に揺れ、心は内側へと向かっていく。病も多少これが関わるのではないかと言われている。
そしてその対局にあるのが鏡史郎なのだろう。どうりで心地よいわけだ。
「本当は生まれて直ぐにでもと主上は仰ったのだがな、流石にその段階ではお前の気を受け止める事ができない。何よりお前に赤子の世話など無理だろうからな。十分に育ち、器が広がるのを待っていたんだ」
「父上もなんて無茶を言うのでしょうね」
「それだけ、お前が可愛いのだろうな」
そう、苦笑する叔父に私も同じように返した。
父は昔から母が好きだったそうだ。
安倍家の姫である母は花ならば竜胆が似合う凜とした女性だ。女性であるが学を修め、安倍家の姫らしく陰陽の術も使う。男勝りと言われても仕方のないじゃじゃ馬だったそうだ。
代々天皇家に仕える安倍家は常に内裏への出入りがある。母もまた幼い頃からここに足を運んでいたそうで、その折に父が見初めた。
が、所詮は貴族位としては高くない家柄。父が元服した時、周囲の勧めで左大臣の娘を正妃に迎えた。
この正妃が、実に嫉妬深く心の醜い女性であった。贅沢を好み他を蔑む正妃は、自分よりも少しでも綺麗な女官が入ると虐め、追い出した。万が一にも父が側室に抱えないように。
こんな女性だ、父も疲れたのだろう。しばらくは通いもなく母の家に忍んで来ては一晩中詩を読んだり、時に茶を飲んだりと友好を深めていった。が、この間まったく男女の関係にはならなかったそうだ。父としてはそうした思惑もあったそうだが、母が拒んだ。正妃に申し訳も立たなければ、将来の約束もない女に手を出すのは不誠実だと嗜めたそう。まったく、気の強い母である。
程なく父は天皇の座につき、一応の勤めを果たして正妃との間に男児をもうける。すると直ぐに母を側室に召し抱えて囲い込んだ。現在私のいる宮は正妃とその息のかかった者は入れない。暗殺などを警戒してのことだ。
正妃の元に父の通いはなくなり、母と蜜月を過ごす。当然子がなったが、生まれたのは私だった。小さく弱く、白い髪に赤い瞳。鬼子と乳母は叫んだし、不吉だから殺せと周囲も言った。が、愛しい母との間に生まれた子を殺す事はできなかった。
隠すように育てられ、何度も死に目にあいながらもこの年まで生き延びた。叔父を始め数人の者はこの容姿も気にしないようだが、大半の者が気味悪がる。
それでも、父も母も私を愛しいと言ってくれる。その言葉がいつしか、心苦しく思えていた。
「縒人様、お元気になられて良かったです!」
元気いっぱい、顔いっぱいに笑う鏡史郎に、私は笑って腕を伸ばす。
分かっているよ、その腕が震えている事を。一晩弓など引くから痛むのだろ? 目の下に隈も出来ている。眠っていないのだから。
「あの、縒人様?」
「お前は温かいね」
「縒人様が冷たいんだと思います」
「死人みたいなことを言わないでください。まだぎりぎり生きていますよ」
「あっ、違います! そういう意味じゃなくて!」
慌ててあたふたしている鏡史郎に笑い、私は「分かっていますよ」と微笑む。そして眠るついでにと彼を布団に引き入れてしまった。
「あの!」
「お前、本当に温かいですね。もう少し眠りたいのです、付き合いなさい」
「でも、あの……」
「いいではありませんか。側にいて、守るのがお前の役目でしょ?」
単純に、手放したくなかったんだ。そして、寝足りない鏡史郎を休ませてやりたかった。こうしていれば私の我が儘で寝る事になったんだと言い訳も立つ。
腕の中でもそもそと鏡史郎が身じろぐ。私の顔を見上げて、ほんのりと頬を桜色にした彼は嬉しそうに笑った。
「縒人様、温かいですね」
「そうですね」
愛しいという言葉を知る前に、人の悪意を理解した。愛し合う人がいることも理解はしていたが、自分の上にはないと思っていた。孤独であると、思っていた。
けれど今一つ、私は他人の温かさを知って安らいでいる。恋情ではないだろうが、これも一つの愛であるならばなんて心地よくくすぐったいものなのだろう。まるで日だまりで、心地よくて抜け出せない。
いつの間にか腕の中で寝息を立てる彼を抱いて私も眠った。ぽかぽかの日だまりの中、二人で駆け回って遊ぶ夢を見ていた。
§
その夜、叔父が念のためにともう一晩付き添うこととなった。私は許しを与えて鏡史郎を隣に寝かせている。昨晩頑張ったからか既にすよすよと寝息を立てる子の頭を撫でながら、私は冴えてしまった目を叔父へと向けた。
「このように体の軽い日は久しぶりです、叔父上」
「だろうな。顔色も良く食欲もある。主上も驚いておられた」
静かに側に座す人が笑う。そしてふと、視線を鏡史郎へと向けた。
「その子のおかげだろう」
「鏡史郎の?」
「あぁ。その子は生まれながらにして陽の気が過剰だ。まるでお前と、生まれた時から添うように定められていたかのように」
「え?」
思わぬ事に私は鏡史郎を見る。何も知らない子はこちらの話など聞こえていないだろう。それどころか、己が何者なのかすらも分からないようだ。
私は生まれながらにして陰の気が過剰だった。
陰は停滞の気。静であり、内へと向かっていく性質がある。本来は女性が持つ気だと言われているが、私は男でありながら過剰だった。
本来、陰と陽は偏りが少ない方が良いと言われている。そこにきてこの均衡の取れない自身の体は常に不安定に揺れ、心は内側へと向かっていく。病も多少これが関わるのではないかと言われている。
そしてその対局にあるのが鏡史郎なのだろう。どうりで心地よいわけだ。
「本当は生まれて直ぐにでもと主上は仰ったのだがな、流石にその段階ではお前の気を受け止める事ができない。何よりお前に赤子の世話など無理だろうからな。十分に育ち、器が広がるのを待っていたんだ」
「父上もなんて無茶を言うのでしょうね」
「それだけ、お前が可愛いのだろうな」
そう、苦笑する叔父に私も同じように返した。
父は昔から母が好きだったそうだ。
安倍家の姫である母は花ならば竜胆が似合う凜とした女性だ。女性であるが学を修め、安倍家の姫らしく陰陽の術も使う。男勝りと言われても仕方のないじゃじゃ馬だったそうだ。
代々天皇家に仕える安倍家は常に内裏への出入りがある。母もまた幼い頃からここに足を運んでいたそうで、その折に父が見初めた。
が、所詮は貴族位としては高くない家柄。父が元服した時、周囲の勧めで左大臣の娘を正妃に迎えた。
この正妃が、実に嫉妬深く心の醜い女性であった。贅沢を好み他を蔑む正妃は、自分よりも少しでも綺麗な女官が入ると虐め、追い出した。万が一にも父が側室に抱えないように。
こんな女性だ、父も疲れたのだろう。しばらくは通いもなく母の家に忍んで来ては一晩中詩を読んだり、時に茶を飲んだりと友好を深めていった。が、この間まったく男女の関係にはならなかったそうだ。父としてはそうした思惑もあったそうだが、母が拒んだ。正妃に申し訳も立たなければ、将来の約束もない女に手を出すのは不誠実だと嗜めたそう。まったく、気の強い母である。
程なく父は天皇の座につき、一応の勤めを果たして正妃との間に男児をもうける。すると直ぐに母を側室に召し抱えて囲い込んだ。現在私のいる宮は正妃とその息のかかった者は入れない。暗殺などを警戒してのことだ。
正妃の元に父の通いはなくなり、母と蜜月を過ごす。当然子がなったが、生まれたのは私だった。小さく弱く、白い髪に赤い瞳。鬼子と乳母は叫んだし、不吉だから殺せと周囲も言った。が、愛しい母との間に生まれた子を殺す事はできなかった。
隠すように育てられ、何度も死に目にあいながらもこの年まで生き延びた。叔父を始め数人の者はこの容姿も気にしないようだが、大半の者が気味悪がる。
それでも、父も母も私を愛しいと言ってくれる。その言葉がいつしか、心苦しく思えていた。
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