第十三話 ララ・パティエンティア
ー/ー「この道から曲がったら俺の城に行けるぞ」
トリスタンは右手で指をさした。
黒いローブの袖が垂れる。
彼が先行する下で、ニーナたちは荷物を背負って、アッシュの地を踏み締めていた。
真っ暗な夜道にアルベルトのカンテラの灯りと、トリスタンが左手から出した火だけを頼りに進んでいく。
ニーナはトリスタンの手のひらの火を見た。
音も立てずに、火先が揺れている。
次にアルベルトのカンテラを見た。
動物の角を加工して作られたそれは、ろうが溶ける匂いを出して、薄暗い道を照らしている。
ニーナは「灯れ」と言って、右手から火を出す。手元が照らされ、熱を感じる。その声にトリスタンは振り向いて口笛を鳴らし、アルベルトは小さく頷いた。
道を外れていくにつれ、 冷たい空気がぬるくなっていく。邪な気配があちらこちらから流れてきた。
獣が地を歩く音と、辺りを警戒する呼吸音が聞こえ、不快な匂いが漂う。ニーナは体をすくませた。
「チッ……うぜえ奴らだぜ」
トリスタンが舌打ちをして悪態をつく。ニーナはアルベルトに囁いた。
「ねえ、この気持ち悪さは……魔獣がいるの?」
「そうみたいだ」
魔獣からの視線は感じない。
しかし、カンテラの気配を紛らわす効果がある以上、不気味な空気の上を歩くしかない。
背筋の悪寒を抱えたままニーナはアルベルトと並んで、未開の地を歩いた。
しばらく歩き続けると、闇の中に木造の家が現れる。広い平屋だ。
アムール村の家とは違い、歪んで何度も建て直した跡があり、城と言うには程遠いものであった。
建て付けの悪い玄関扉が重い音を立てて開かれる。
室内の明かりが目に刺さり、ニーナは目を閉じる。再び目を開けた時には、目の前に金属で打ち付けられた壁、散らかった部屋が見えた。
「さ、危ないから、入れ入れ」
トリスタンの手招きを受けて、ニーナたちは家の中に入った。
「お邪魔しまーす……」
おずおずと、控えめな声でニーナは挨拶をする。アルベルトは息を吹いてカンテラの火を消した。
居間を見ると、中央の大きな円い机におびただしい数のぬいぐるみが並べられている。ニーナは目を見開いて、机を見た。
トリスタンは周囲を見回して、呼びかける。
「おーい、帰ったぜぇ」
すると、走っているような大きな足音が近付いてきた。ニーナは足音が聞こえてくる方角を凝視する。
部屋の奥から、走ってきたのは女性だった。
腰に巻いた膝丈上の麻布をはためかせて、全速力でトリスタンの方に向かっていく。
それを遠くから見ていたニーナは、口をぽかんと開けて目で追っていた。アルベルトは頭をかいて、そっぽを向いた。
女性はトリスタンに勢いよく飛びかかると、
「あー!トリスタン!寂しかったよぉ!何日もどこへ行ってたの!」
「ぐぇっ」
女性がトリスタンにしがみ付くと、トリスタンは苦しそうに声を上げる。
彼は赤銅色の髪を振り乱され、女性に両方を掴まれて揺さぶられていた。ニーナもアルベルトも間に入ることはしなかった。
一通り揺さぶられると、トリスタンは咳払いをする。
「なあ、ララ。お客さんが来てるから、そろそろやめようか」
淡い竜胆色の髪をお団子頭にまとめた、ララと呼ばれた女性は気付いて、
「あっ、失礼しました」とニーナたちに向かって頭を下げた。
顔を上げたララはニーナを見て、
「あら……小さいお客さん……」と呟く。
「ララ、そこの唐変木は知っていると思うが、このちっこいのは『ニーナ』っていう、ど田舎から来た娘だ。優しくしてやってくれ」
トリスタンは二人をそれぞれ指差して、ララに紹介する。
ララは小走りでニーナに近寄って、彼女の両手を握り、上下に振る。強く振った勢いでニーナは体ごと揺れた。
「はじめまして、小さいお客さん!私はララ。ララ・パティエンティア。よろしくね」
ニーナは呆気に取られてララを見る。
「はい」という言葉以外に、彼女の挨拶に返事は出来なかった。
「と、いうわけでだ。あんたらはもう夜も遅いから寝ろよな。出会いの杯は朝になってから交わそうぜ」
トリスタンは大袈裟に欠伸をしながら言った。
「ララ、奥の部屋に案内してやってくれ」
彼の言葉を受けて、ララはニーナたちを部屋へと誘った。
「部屋は一つしかないけど、ゆっくりしてね」
ニーナたちを部屋に連れて行くと、ララは手を振り、鼻歌を歌いながら軽快な足取りで戻っていった。
「すごい人だ……」
ララを見ながら、ニーナは呟く。
「まあ、嬉しいんだろうな。新しい客も来たし」
アルベルトの言葉に、ニーナは自分を指差す。アルベルトは頷いた。
そして、ニーナは杖と荷物を床に下ろした。案内された部屋にはベッドが一つしかない。
それを見て、ニーナはアルベルトを見た。
彼女の視線に気付いたアルベルトは、
「ん?あぁ、そうか」と言って、床に腰を下ろす。
「ニーナは疲れているだろう。俺は床で寝るから、寝台で寝るといい」
「でも……私が寝ていいの?」
申し訳なさそうに聞くニーナに、アルベルトは
「まあ、雑魚寝は慣れてる」と答えて、肘をついて横になった。
ニーナは少し迷って、ベッドの上に寝転んだ。
深く息をついて、真黒い天井を見る。居間からは声は聞こえず、外から獣の遠吠えが聞こえてくるだけだった。
「アルベルト……ここ、魔獣来ないよね?」
アルベルトは目を開けて答えた。
「ここは一応、安全だ。家自体は古いが金属で補強してある。それに……」
彼は一拍おいて続けた。
「何か起きないように、目を光らせている。今日は寝るといい」
「……ありがとう」
ニーナは横を向いて、ベッド脇にいるアルベルトの方を見た。暗くて姿は見えないが、人の気配は感じる。
「私たち、グナーテから出たんだね。ここは違う場所なんだ」
「ああ、アッシュという地だ」
「これからは、自分で動かないといけないんだ」
ニーナの言葉に相槌が返ってきた。
「おやすみなさい」「おやすみ」
ニーナは横を向いたまま目を閉じた。ゆっくりと意識は眠りへ向かっていった。
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