第25話 怪談、狂骨
ー/ー その日の夜、ヨリは敢えて一人で店を出て裏手へと出た。なんてことはない、厠へと向かったのだ。ゆっくりと進むその後ろから人の気配がしている。それを感じながらも平然と、ヨリは夜闇を進んだ。
そうして人の気配がない辺りへと来た時、突然後ろから口を塞がれ持ち上げられた。
「んぅ!」
「大人しくしろ」
強い男の力だが、独特の臭いがする。長年の仕事でこびり付いた屎尿の臭いは鼻につく。男はそのままヨリを暗がりへと連れていくと猿轡をはめ、手足を縛って桶の中へと入れて蓋をし、硬く縄で締め上げた。
「悪く思わんでくれ。この仕事を失ったら路頭に迷うんだ」
そう詫びた哀れっぽい声を、ヨリは静かに聞いて目を閉じた。
中身は当然入ってはいない。だが長年使われた桶は酷い臭いがする。目に痛く鼻が馬鹿になる。元々目は閉じているが鼻を閉じる術はなく、己の鋭敏な鼻がこの時ばかりは恨めしかった。
そうして荷車に乗せられたのだろう。揺れながら運ばれる間に一度止まった。
「いつものだ」
「おう、ご苦労」
おそらく大門だろう。確かに中を改めなかった。まぁ、そんな事はしたくないだろう。幾つかある桶の一つに人が入っているとは、流石に誰も思わないものだ。
そうしてしばらく揺られている。どのくらいそうしていたか、ふと止まったかと思えば下ろされ、今度は人の気配がとても近いまま運ばれる。どうやら人力だ。
草を踏む音がする。枯れ枝を踏む音も。そのまま、またしばらく。突如下ろされたヨリの頭上で縄が解かれ、蓋が外され新鮮な空気が流れ込んでくる。そして次には体を担ぎ上げられ、腕も足も猿轡も取られた。
「ようこそ、ヨリさん」
聞いた声がして、ヨリは溜息をついた。怯えるでもなくすっくと立ったヨリの前には数人の、あの宴席に出ていた男達がいる。みな手に刀を持ってニタリと笑っていた。
「……遊女の怪死は、このような事でしたか」
「察しのいい方だ。流石は元語り部。ですが、どうなさいますか?」
そう得意げに言うのは酒屋の主人だ。肥え太った腹を上下に揺らし笑う男を、ヨリは感情もなく静観している。
「貴方を助ける者はいない。今頃貴方がいなくなったことに店は気づいてもいないでしょう」
「そうでしょうね」
無論、皆知らぬ顔をしてもらった。そして少ししたら男衆がここへと来る手はずとなっている。はめられたのはこの男の方だ。
「さて、逃げてごらんなさいな。上手く行けばこのまま足抜けもできましょう」
言われ、ヨリは彼らに背を向けて森の奥へと走った。背後から蔑むような笑い声が聞こえる。だがこれはむやみに走っているのではない。向かうのはこの森の奥、美鈴が見つかったという林の中の泉だった。
夜の森は存外冷える。元よりそれ程激しい運動を好まないヨリの足はこの悪路を好まない。歩けと言われればそれなりだが、逃げろと言われては。
その間にも背後から男達が迫る気配がある。臭いは感じ取れないが音と気配は分かる。真後ろから二人、右から一人、左から二人。それぞれがこの狩りを楽しむような様子を見せている。
殺された娘達は、さぞ怖かっただろう。攫われた時刻はそれぞれだろうが、同じように夜の林に連れてこられて、獣よろしく追い立てられて試し切りにされたのだ。
あの酒屋の主人はあの町で色々とやっていた。薬問屋も一軒、そして屎尿を集め他に売りに行く生業もしていた。
更に他の店に聞くと事件当日、この男の紹介だという若い侍が複数人で大宴会を開いていたというのだ。
田中は直ぐに辻斬りだろうと分かった。複数で追い立て、殺した後で獣か魔物の仕業に見えるようにと細工したのだろうと。
水に濡らしたのは痕跡を洗い流すと同時に、桶に入れて運んだ際の屎尿の臭いを少しでも薄くするため。血の臭いや泥に紛れ、長時間水に濡れて上手く行った娘が大半だったが、三好が検分した美鈴だけは不十分だった。
「この女、足が速いぞ!」
「本当に見えていないのか!」
見えていなくとも感じていれば進む事ができる。木にも草にも気がある。ヨリはそれを感じ取る。暗い世界に気配が線を結んで浮かび上がる。足の裏、肌で全てを感じている。
それに何も恐れてはいない。最初からヨリを追うように動いている確かな気配を感じているのだから。
「くそ!」
一人が更に速度を上げて迫り、刀を振り上げる。流石のヨリもやや疲れていた。この先には泉があり、そこに田中もいる。奴らを油断させ、深い林の奥へと誘い込むのがヨリの役目だ。
それを僅かに前にして、刀の切っ先が僅かにヨリを捕らえようとしている。
泳がせていた気配が尖り、急速に近づいてくる。魔物も驚く殺気の塊のような彼の動きを、ヨリは感じて安堵した。
切っ先が届くその僅か前、ヨリの体はふわりと浮いて抱き上げられた。闇に冴え冴えと赤い両眼。それに睨まれた若造達は途端に足を止めた。
「俺の主に危害を加える者は何人たりとも許さない」
抱えていたヨリを下ろし太刀を抜いたキョウの気迫にひよっこのような若造が敵うわけがない。たじろぎ、逃げを打とうとした時だ。林の入口辺りから複数の男の声が残党を追い立てるように近づいてきた。遊郭の男衆だった。
そうして人の気配がない辺りへと来た時、突然後ろから口を塞がれ持ち上げられた。
「んぅ!」
「大人しくしろ」
強い男の力だが、独特の臭いがする。長年の仕事でこびり付いた屎尿の臭いは鼻につく。男はそのままヨリを暗がりへと連れていくと猿轡をはめ、手足を縛って桶の中へと入れて蓋をし、硬く縄で締め上げた。
「悪く思わんでくれ。この仕事を失ったら路頭に迷うんだ」
そう詫びた哀れっぽい声を、ヨリは静かに聞いて目を閉じた。
中身は当然入ってはいない。だが長年使われた桶は酷い臭いがする。目に痛く鼻が馬鹿になる。元々目は閉じているが鼻を閉じる術はなく、己の鋭敏な鼻がこの時ばかりは恨めしかった。
そうして荷車に乗せられたのだろう。揺れながら運ばれる間に一度止まった。
「いつものだ」
「おう、ご苦労」
おそらく大門だろう。確かに中を改めなかった。まぁ、そんな事はしたくないだろう。幾つかある桶の一つに人が入っているとは、流石に誰も思わないものだ。
そうしてしばらく揺られている。どのくらいそうしていたか、ふと止まったかと思えば下ろされ、今度は人の気配がとても近いまま運ばれる。どうやら人力だ。
草を踏む音がする。枯れ枝を踏む音も。そのまま、またしばらく。突如下ろされたヨリの頭上で縄が解かれ、蓋が外され新鮮な空気が流れ込んでくる。そして次には体を担ぎ上げられ、腕も足も猿轡も取られた。
「ようこそ、ヨリさん」
聞いた声がして、ヨリは溜息をついた。怯えるでもなくすっくと立ったヨリの前には数人の、あの宴席に出ていた男達がいる。みな手に刀を持ってニタリと笑っていた。
「……遊女の怪死は、このような事でしたか」
「察しのいい方だ。流石は元語り部。ですが、どうなさいますか?」
そう得意げに言うのは酒屋の主人だ。肥え太った腹を上下に揺らし笑う男を、ヨリは感情もなく静観している。
「貴方を助ける者はいない。今頃貴方がいなくなったことに店は気づいてもいないでしょう」
「そうでしょうね」
無論、皆知らぬ顔をしてもらった。そして少ししたら男衆がここへと来る手はずとなっている。はめられたのはこの男の方だ。
「さて、逃げてごらんなさいな。上手く行けばこのまま足抜けもできましょう」
言われ、ヨリは彼らに背を向けて森の奥へと走った。背後から蔑むような笑い声が聞こえる。だがこれはむやみに走っているのではない。向かうのはこの森の奥、美鈴が見つかったという林の中の泉だった。
夜の森は存外冷える。元よりそれ程激しい運動を好まないヨリの足はこの悪路を好まない。歩けと言われればそれなりだが、逃げろと言われては。
その間にも背後から男達が迫る気配がある。臭いは感じ取れないが音と気配は分かる。真後ろから二人、右から一人、左から二人。それぞれがこの狩りを楽しむような様子を見せている。
殺された娘達は、さぞ怖かっただろう。攫われた時刻はそれぞれだろうが、同じように夜の林に連れてこられて、獣よろしく追い立てられて試し切りにされたのだ。
あの酒屋の主人はあの町で色々とやっていた。薬問屋も一軒、そして屎尿を集め他に売りに行く生業もしていた。
更に他の店に聞くと事件当日、この男の紹介だという若い侍が複数人で大宴会を開いていたというのだ。
田中は直ぐに辻斬りだろうと分かった。複数で追い立て、殺した後で獣か魔物の仕業に見えるようにと細工したのだろうと。
水に濡らしたのは痕跡を洗い流すと同時に、桶に入れて運んだ際の屎尿の臭いを少しでも薄くするため。血の臭いや泥に紛れ、長時間水に濡れて上手く行った娘が大半だったが、三好が検分した美鈴だけは不十分だった。
「この女、足が速いぞ!」
「本当に見えていないのか!」
見えていなくとも感じていれば進む事ができる。木にも草にも気がある。ヨリはそれを感じ取る。暗い世界に気配が線を結んで浮かび上がる。足の裏、肌で全てを感じている。
それに何も恐れてはいない。最初からヨリを追うように動いている確かな気配を感じているのだから。
「くそ!」
一人が更に速度を上げて迫り、刀を振り上げる。流石のヨリもやや疲れていた。この先には泉があり、そこに田中もいる。奴らを油断させ、深い林の奥へと誘い込むのがヨリの役目だ。
それを僅かに前にして、刀の切っ先が僅かにヨリを捕らえようとしている。
泳がせていた気配が尖り、急速に近づいてくる。魔物も驚く殺気の塊のような彼の動きを、ヨリは感じて安堵した。
切っ先が届くその僅か前、ヨリの体はふわりと浮いて抱き上げられた。闇に冴え冴えと赤い両眼。それに睨まれた若造達は途端に足を止めた。
「俺の主に危害を加える者は何人たりとも許さない」
抱えていたヨリを下ろし太刀を抜いたキョウの気迫にひよっこのような若造が敵うわけがない。たじろぎ、逃げを打とうとした時だ。林の入口辺りから複数の男の声が残党を追い立てるように近づいてきた。遊郭の男衆だった。
「まずいぞ!」
「畜生……」
「おい、こっちだ!」
キョウと背後を睨みながら右往左往する若者達がヨリの更に背後、目指していた泉の方へと向かっていく。だが、妙だった。男は五人。だが今走り抜けていった気配は六つ。
閉じていた両の目を開ける。そこに、ぼんやりと像が見えた。死に装束を纏った髑髏が真っ直ぐ、泉の方へと走っていく。
「やれやれ、本当に狂骨が出たようです」
「え?」
「キョウ、お前の仕事ですよ」
ヨリの言葉にキョウは頷き、そのままヨリを抱えて最初の目的地へと向かっていく。ヨリも行き先へと視線を向け続けた。
木々の合間をすり抜けるように走り去り、二人は目的の泉へとついていた。そこには勿論田中もいたのだが、今は泉に向き直り刀を構えている。
そして目の前では凄惨な光景が繰り広げられていた。
泉から伸びた死に装束。それを纏うは悲しい髑髏。深い恨みが胴を長くし、憎い憎いと咽び泣く。哀れ男は捕まって頭からバリバリと食べられていく。
「これは一体どういうことだ。あの男達が来たまでは予定通りだが、直後私の背後から五体の魔物が現れたぞ」
「狂骨です。あれは井戸や水に関わり、深い恨みを持っている」
ヨリは呟き、地に座る。そして哀れな娘達に一席、手向けの語りを送った。
「昔々、とある遊郭にお千という娘がおりました。この娘、気立ては良いのですが幼き頃より顔に傷があり、遊郭でも裏方仕事ばかりでした。
ですが一人、そんなお千を愛した男がおりました。近くで働く小太郎という三味線屋の若主人は彼女を愛し、いつか祝言をと誓い合う仲となりました。
が、たかが三味線屋の主人では例え下女とて身請けの金は払えず、年期が明けるのを待つしかない。しかもどこぞの金持ちが彼女を見初め身請けしては、二度と手が出なくなってしまう。
思い悩んだ二人は近くの弁財天に毎日のように通い、互いにどれほど思っているかを語り、願いました。
そんな願いが通じたのか、ある日男の夢に弁財天が現れて、こう言いました。
『明日の昼、餅を三つ買って山へ向かう辻へ行きなさい。そこに一人の乞食がいますから、請われれば餅を渡してやりなさい』と。
男はなんの事だが分からないが、これに従う事にした」
狂骨の中でも一際大きなものが動きを止める。それに倣うように他も動きを止める。啜り泣くような声が、暗い森に響き渡った。
ヨリには見えていた。五体の魔物の核となっているのが、花江であると。彼女を癒してやれれば、恐らくこれらは終わるのだと。
「翌朝、小太郎は餅を三つ買って大門を出て、山へと向かう辻道へと差し掛かった。するとそこには弁財天が言っていたように、一人の乞食が座っていてこちらへと目を向けた。
痩せた汚い身なりの男を通り過ぎる人は避けて通る。だが小太郎はそうはせず、男が近づくのを待った。
『お前さん、その手に持っているのは餅ではないか?』
『えぇ、そうです』
『よいのぉ。儂は昨日から何も食べてはおらんでな。もし良かったら、ちぃと分けてはもらえんだろうか』
乞食が言うので、小太郎は餅を快く分けてやった。最初は一つをペロリと食べ、これはたまらんと二つ、三つと平らげた。
『おぉ、すまぬ! ついつい美味くて全部食べてしもうた。お詫びと言っちゃなんだが、お前さんにとっておきの秘密を教えてやろう』
そういうと、乞食はスッと山の方へと指を差した。
『あの山の中腹に、一つの廃寺がある。お前さんはこれから行って、夜になる前に仏さんの後ろで何が起こるのかをジッと見ていなさい。いいか、声を出してはならない。悲鳴も駄目だ。息を潜めて朝がくるまで待つんだぞ』
そう言うと、懐から一枚の札を出してそれを握らせ、去って行った。
何が起こるかは分からない。だが藁にも縋る思いの男はこれに従い山を登り、どうにか夜の前に廃寺へと辿り着いて本堂の仏様の後ろに隠れた。
どのくらいそうしていたことだろう。辺りはすっかり暗くなり、段々心細くなってきた頃だ。突如、ずしぃん、ずしぃんという重い足音がしたと思えば恐ろしい鬼が入ってきて、どっかりと本堂に腰を下ろした。
その後からは小鬼達がついてきて、手には金銀財宝を持ってくる。
小太郎は目を見張った。あれの少しでもあれば彼女を見受けできると。
息を潜め事の成り行きを見ていると、大鬼が声を大きくして言った。
『よぉし! 今日の稼ぎを仕舞え!』
声と共に小鬼達が近づいて、仏様の足下の板を外し、そこに持ってきたお宝を仕舞うではありませんか。必死に声を殺し、もらった札を握りしめた小太郎が耐えていると鬼達は今度は酒盛りを始める。上機嫌な鬼の回りを小鬼が踊る。それもやり過ごしていると、とうとうお堂に朝日が入り込んだ。
『今日の宴はこれで終いだ』
来た時と同じように重い足音を響かせて鬼が出ていき、後を小鬼が追っていく。
そうしてすっかり朝日が入り、雀が囀る頃になってようやく、小太郎は息を吐いた。
そして慌てて、昨夜小鬼が隠した宝の場所を開けてみる。すると、出るは出るは宝の山が。金銀の財宝ががっぽりと。
小太郎は持てるだけの宝を持つと山を駆け下りていく。そうしてそのままその金を持ってお千のいる店へと向かい、無事に彼女を身請けできた。
その後、二人は子宝にも恵まれて慎ましくも穏やかな暮らしを致しました」
声が止み、ヨリは一つ頭を下げる。直後遊郭の男衆がここへ追い立てに来た。
狂骨の手が無作為に伸びてゆき、男達は悲鳴を上げて腰を抜かし逃げ惑う。田中は刀を構えたが、その前にキョウの刀が狂骨の手を切り落とした。
『ぎゃぁぁぁ!』
「……もう、眠ってください」
悲しげな彼の声に、ヨリもただ黙して冥福を祈る。その間に、全ての方はついた。
キョウの刀は鬼斬りの刀。ヨリの家に伝わり、彼が語り部となりキョウがその用心棒を買って出た時に持たせてくれた物。故に、魔物を斬る。
手を失った狂骨が悶えている間に、キョウは高く身を躍らせてその首を切る。灰と化すその中から一人一人と魂が抜けていくのをヨリは見た。
そして最期の一人が刈られた時、そこから抜け出たまだあどけない女性を見上げ、静かに手を合わせる。そんなヨリに向かい、彼女は確かに寂しげに笑った気がした。
「怪談、狂骨でございます」
「畜生……」
「おい、こっちだ!」
キョウと背後を睨みながら右往左往する若者達がヨリの更に背後、目指していた泉の方へと向かっていく。だが、妙だった。男は五人。だが今走り抜けていった気配は六つ。
閉じていた両の目を開ける。そこに、ぼんやりと像が見えた。死に装束を纏った髑髏が真っ直ぐ、泉の方へと走っていく。
「やれやれ、本当に狂骨が出たようです」
「え?」
「キョウ、お前の仕事ですよ」
ヨリの言葉にキョウは頷き、そのままヨリを抱えて最初の目的地へと向かっていく。ヨリも行き先へと視線を向け続けた。
木々の合間をすり抜けるように走り去り、二人は目的の泉へとついていた。そこには勿論田中もいたのだが、今は泉に向き直り刀を構えている。
そして目の前では凄惨な光景が繰り広げられていた。
泉から伸びた死に装束。それを纏うは悲しい髑髏。深い恨みが胴を長くし、憎い憎いと咽び泣く。哀れ男は捕まって頭からバリバリと食べられていく。
「これは一体どういうことだ。あの男達が来たまでは予定通りだが、直後私の背後から五体の魔物が現れたぞ」
「狂骨です。あれは井戸や水に関わり、深い恨みを持っている」
ヨリは呟き、地に座る。そして哀れな娘達に一席、手向けの語りを送った。
「昔々、とある遊郭にお千という娘がおりました。この娘、気立ては良いのですが幼き頃より顔に傷があり、遊郭でも裏方仕事ばかりでした。
ですが一人、そんなお千を愛した男がおりました。近くで働く小太郎という三味線屋の若主人は彼女を愛し、いつか祝言をと誓い合う仲となりました。
が、たかが三味線屋の主人では例え下女とて身請けの金は払えず、年期が明けるのを待つしかない。しかもどこぞの金持ちが彼女を見初め身請けしては、二度と手が出なくなってしまう。
思い悩んだ二人は近くの弁財天に毎日のように通い、互いにどれほど思っているかを語り、願いました。
そんな願いが通じたのか、ある日男の夢に弁財天が現れて、こう言いました。
『明日の昼、餅を三つ買って山へ向かう辻へ行きなさい。そこに一人の乞食がいますから、請われれば餅を渡してやりなさい』と。
男はなんの事だが分からないが、これに従う事にした」
狂骨の中でも一際大きなものが動きを止める。それに倣うように他も動きを止める。啜り泣くような声が、暗い森に響き渡った。
ヨリには見えていた。五体の魔物の核となっているのが、花江であると。彼女を癒してやれれば、恐らくこれらは終わるのだと。
「翌朝、小太郎は餅を三つ買って大門を出て、山へと向かう辻道へと差し掛かった。するとそこには弁財天が言っていたように、一人の乞食が座っていてこちらへと目を向けた。
痩せた汚い身なりの男を通り過ぎる人は避けて通る。だが小太郎はそうはせず、男が近づくのを待った。
『お前さん、その手に持っているのは餅ではないか?』
『えぇ、そうです』
『よいのぉ。儂は昨日から何も食べてはおらんでな。もし良かったら、ちぃと分けてはもらえんだろうか』
乞食が言うので、小太郎は餅を快く分けてやった。最初は一つをペロリと食べ、これはたまらんと二つ、三つと平らげた。
『おぉ、すまぬ! ついつい美味くて全部食べてしもうた。お詫びと言っちゃなんだが、お前さんにとっておきの秘密を教えてやろう』
そういうと、乞食はスッと山の方へと指を差した。
『あの山の中腹に、一つの廃寺がある。お前さんはこれから行って、夜になる前に仏さんの後ろで何が起こるのかをジッと見ていなさい。いいか、声を出してはならない。悲鳴も駄目だ。息を潜めて朝がくるまで待つんだぞ』
そう言うと、懐から一枚の札を出してそれを握らせ、去って行った。
何が起こるかは分からない。だが藁にも縋る思いの男はこれに従い山を登り、どうにか夜の前に廃寺へと辿り着いて本堂の仏様の後ろに隠れた。
どのくらいそうしていたことだろう。辺りはすっかり暗くなり、段々心細くなってきた頃だ。突如、ずしぃん、ずしぃんという重い足音がしたと思えば恐ろしい鬼が入ってきて、どっかりと本堂に腰を下ろした。
その後からは小鬼達がついてきて、手には金銀財宝を持ってくる。
小太郎は目を見張った。あれの少しでもあれば彼女を見受けできると。
息を潜め事の成り行きを見ていると、大鬼が声を大きくして言った。
『よぉし! 今日の稼ぎを仕舞え!』
声と共に小鬼達が近づいて、仏様の足下の板を外し、そこに持ってきたお宝を仕舞うではありませんか。必死に声を殺し、もらった札を握りしめた小太郎が耐えていると鬼達は今度は酒盛りを始める。上機嫌な鬼の回りを小鬼が踊る。それもやり過ごしていると、とうとうお堂に朝日が入り込んだ。
『今日の宴はこれで終いだ』
来た時と同じように重い足音を響かせて鬼が出ていき、後を小鬼が追っていく。
そうしてすっかり朝日が入り、雀が囀る頃になってようやく、小太郎は息を吐いた。
そして慌てて、昨夜小鬼が隠した宝の場所を開けてみる。すると、出るは出るは宝の山が。金銀の財宝ががっぽりと。
小太郎は持てるだけの宝を持つと山を駆け下りていく。そうしてそのままその金を持ってお千のいる店へと向かい、無事に彼女を身請けできた。
その後、二人は子宝にも恵まれて慎ましくも穏やかな暮らしを致しました」
声が止み、ヨリは一つ頭を下げる。直後遊郭の男衆がここへ追い立てに来た。
狂骨の手が無作為に伸びてゆき、男達は悲鳴を上げて腰を抜かし逃げ惑う。田中は刀を構えたが、その前にキョウの刀が狂骨の手を切り落とした。
『ぎゃぁぁぁ!』
「……もう、眠ってください」
悲しげな彼の声に、ヨリもただ黙して冥福を祈る。その間に、全ての方はついた。
キョウの刀は鬼斬りの刀。ヨリの家に伝わり、彼が語り部となりキョウがその用心棒を買って出た時に持たせてくれた物。故に、魔物を斬る。
手を失った狂骨が悶えている間に、キョウは高く身を躍らせてその首を切る。灰と化すその中から一人一人と魂が抜けていくのをヨリは見た。
そして最期の一人が刈られた時、そこから抜け出たまだあどけない女性を見上げ、静かに手を合わせる。そんなヨリに向かい、彼女は確かに寂しげに笑った気がした。
「怪談、狂骨でございます」
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