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第23話 飛んで火に入るなんとやら(1)

ー/ー



 遊郭は朝の方が人がいない。夜に舞う蝶も休息は必要なのだ。
 昼に近い時間に朝餉なのか昼餉なのか分からぬ食事を取り、田中とキョウは林へと向かう。事前に信右衛門から大体の場所は聞いているという。
 ヨリが一人茶を啜っていると、昨夜座敷に上がっていた遊女の一人が眠そうに欠伸をしながら降りてきてこちらに気づいて笑いかけてきた。

「あら、語り部様」
「おや、昨日の。お早いのですね」
「お腹が空いてしまいまして。それにしても、本当に見えてないの? 全然そんな感じがしないわ」

 比較的にこやかに、そして近い様子で話しかけてくる彼女はヨリの直ぐ側に腰を下ろす。そしてふと、ヨリの髪に触れた。

「昨日も思ったけれど、語り部様の髪はとても綺麗ね。色も白だなんて、何処か神秘的だわ」
「おや、大抵は幽鬼の類いと間違われるのですよ」
「肌が白くて髪も白くて、おまけにお召し物まで白ではね」
「ふふっ、確かに」

 これを否定はしない。好んで白を着ている節もある。田中などはよく「旅暮らしで白は汚れるだろう」と言うが、こんな旅暮らしだからだ。
 死に装束は白と、決まっているのだから。

「あっ! ねぇ、結わせておくれよ」
「え?」
「髪結いみたいに上手くは出来ないけれどさ、これでも少しくらいは出来るから。待って、道具を持ってくるから」

 言うが早いか、彼女はパタパタと階段を駆け上がっていく。そしてあっという間に化粧箱を持ってきたかと思えば櫛で梳き、紐で丁寧に結い上げてゆく。

「艶々で羨ましいわ。私は癖があってなかなか面倒なんだもの」
「ただの紐では落ちてしまうのですよ」

 普段誰かに髪を触らせるなんて経験がない。なんだか楽しくなってされるがままになっているうち、キュッと高い位置で束ねられた。

「美人だわ」
「有り難う」
「化粧もしたいくらい」
「流石にそれはご勘弁を。田中様に笑われてしまいますよ」
「あの方も顔が良くて優しくて、女が寄ってくる感じの方よね。お家も立派だし」
「因みに独身ですよ」
「あら! 一つ鎌掛けてみようかしら」

 なんて、まるで言葉遊びのようなやりとりを楽しんで互いに笑っている間に他の遊女も降りてきて、いつの間にか周囲は賑やかになった。
 これ幸いと、ヨリは彼女達に昨夜の花魁と同じ事を聞いてみた。

「死んだ遊女達の事ね」
「あっ、確か池屋の雛菊は花江ちゃんと同じ三好さんに行ってるわよ。彼女、月のものが重くてお腹が痛くなるってんで痛み止めを貰いに」

 どうやら符号が揃い始めた。ヨリは静かに頷いたが、桜屋の美鈴と雪ノ屋のお竹については知らないという。

「それにしても、花江ちゃん可哀想だったわね」

 一人がそう呟いた。それに、皆が悲しげに項垂れてしまう。

「良い子だったのよ。明るくてね。酷い旦那に当たった時も心配して、色々してくれてね」
「下の子の面倒もよく見てくれたし、力仕事に針仕事、水場も嫌がらずにしてくれるから助かったし」
「たまにお菓子を差し入れるとお茶を淹れてくれるんだけれどね。美味しいのよね」

 そう口々に言った後はまるでお葬式のように静まりかえってしまった。
 その中、ヨリはすっと立ち上がった。

「少し出てきますね」
「えぇ。でも語り部様、用心棒の方とご一緒しなくていいのですか? 目が」
「彼がいなくともある程度の事はできますよ。流石に悪鬼と戦えと言われれば、無理ですけれどね」
「そんなの普通のお侍様でも無理よ」

 けらけらっと楽しげに笑った彼女達だが、ふと一人が何かを思いだしたように息を詰めた。

「どうかしましたか?」
「え? えぇ。少し思い出した事があって」
「何か?」
「花江ちゃんが攫われた日、大きな宴席が入ったの。近くの町の若いお侍様が数人でいらして。それも急だったものだから準備が大変で、それで気づくのに遅れてしまったのよ」

 そういえば昨夜花魁もそのようなことを言っていた。だが、これ自体はそれ程稀な事とも思えない。突然金持ちがきて豪遊する事だってあるだろう。
 それでも彼女の記憶に引っかかっているのなら、何か他とは違う事があったはずだ。

「ですが、それはあることですよね?」
「えぇ。でもそのお侍さん達ね、女を買わずに普通の宿に泊まると言って出ていってしまったの。何か不手際があったのかって旦那がオロオロしていたけれど、お金は普通に払っていったから」
「そういえばそうね。遊郭で女を買わないで飲み食いだけなんて」

 口々に言う彼女達の違和感は、そのままヨリも違和感と感じた。

「それを言えば、語り部様や用心棒様、田中様も女を買わないなんて。私、語り部様なら一晩お相手してもいいのよ?」
「私はキョウ君だっけ? あの子がいいな。体も大きくて逞しいのに、すっごく可愛いんだもの。よしよししてあげたい」
「ふふっ、お誘いは嬉しいのですがね。語り部は持たぬ者ですからそのような贅沢は考えた事もありません。それに……」

 悪戯を仕掛けるように、ヨリはそっと声を潜め前屈みに彼女達に顔を近づける。それに耳を貸す彼女達に、ヨリは茶目っ気たっぷりに囁いた。

「私と彼は良い仲なので、あまり虐めないでくださいね」
「えぇ!」
「やだぁ! そうですの!」
「語り部様ならそれも良いと思わせられるのがなんとも言えないわ」

 どよめきが起こり、ヨリは楽しく小さな声で笑う。そして今度こそ彼女達の側を離れた。

◇◆◇

 ヨリがまず向かったのは三味線屋だったが、表は閉じて空気は沈み込み、まるで葬式の様だった。いや、実際気分としてはそうなのだろう。一応表で声を掛けるも返ってくる声はなく、仕方なく裏のお勝手を叩いた。

「すみません」

 声は届くと思うのだが反応がない。そこで、ヨリはスッと息を吸うと昨夜の記憶を呼び起こした。

「もし、三味線屋さん」

 それは花魁の声とよく似ていた。そのせいだろう、中でバタバタっと音がしたかと思うと次には勢いよく戸が開いた。

「美花花魁!」

 息咳き込んできた青年は年の頃はまだ二十そこそこだろう。顔立ちはやや幼いように思う。
 青年は予想外の人物が立っていたことに驚き辺りを見回している。そこに、ヨリは丁寧にお辞儀をした。

「祥の藩主、坂本義尚様より此度の一件の調査を仰せつかりました、語り部のヨリと申します」
「あ……」

 途端、青年は酷く悲しい顔をする。肩は落ち、服の裾を握る手は震えている。今にも泣いてしまいそうな彼の肩を叩いて、ヨリは柔らかい声音で尋ねた。

「このような時に申し訳ありません。少しだけ、話を伺っても宜しいでしょうか?」
「……どうぞ」

 道を空けてくれた彼に促され、ヨリは無事に中へと入る事ができた。
 茶を出そうとしてくれるのだが、なにせ憔悴しきっている。危なっかしい彼を座らせて、ヨリは話を促した。

「確かに俺は、花江さんと恋仲にありました。年期が明けたら一緒になろうと。彼女は顔の事を気にしていましたが、それはどうでも良いことだったのです。俺は彼女の優しさや笑顔が好きでした。慎ましくても温かな家庭が築ければと思っていたのです」
「この事を、菊屋さんは?」
「知っています。直接行って頭を下げました。俺の稼ぎでは身請けはできませんが、少しでも足しになるよう払いますと。菊屋さんは頷いて、約束してくれました」

 おそらくこれは本当だろう。事実花魁も知っていたし、遊女達も知っている感じがした。何より菊屋の主人はあれで良心的な方だろう。年期が明けても彼女は苦労する可能性があるのなら、優しい男と夫婦となる方が幸せだと考えたのかもしれない。

「あの、彼女は……花江さんは、魔物に殺されたのですか?」

 縋るような、願うような様子で問われてヨリは首を横に振った。

「それはまだ分かりません。その為に現在動いているのです」
「そう、ですか……」

 気の毒だとは思ったが、犯人が人間だとは言わなかった。
 美花花魁は冷静だった。だから言っても静観するだろうと思った。だが彼は感情に負ける。もしも犯人がいると知れば探す可能性がある。戦う術を持たないというのに、五人もの人を殺した奴を相手にどうするという。
 残酷だが、知らぬ方がよい事もあるのだ。

「そういえば、美花花魁から花江さんは治療院に薬を貰いに行っていたとか。三好さんと仰いましたが?」
「えぇ。三好さんはここから一本奥に入った所にあります。古い医院でしてね、親切なんですよ」
「そうですか」

 ならば次はそちらだろう。腰を上げ、ヨリは同じように勝手口から出て行く。そうして教えられた通りに出て人に尋ね、三好の医院を訪ねた。
 三好は齢五十を超えているが、頑健そうな男だった。少しよれた作務衣に手拭いで頭を覆った姿など陶芸でもするのかと思える様子だった。
 丁度休みだというのでお邪魔して尋ねると、彼は毛むくじゃらの腕を組んで難しい顔をした。

「確かに花江ちゃんとお宮さん、雛菊さんはうちに来ていたよ」
「ここは遊女が来ることが多いのですか?」
「そりゃ古いからな。俺の親父の頃からここで商売をしている。だが、家ばかりじゃない。他にも二件程あるぞ」
「お竹さん、美鈴さんが見えたことは?」
「ないな」

 せっかく見つかったと思った糸はここで繋がらなくなった。ヨリが口元に手をやって考えていると、不意に鼻を突く強烈な臭いがした。

「あぁ、お不浄さんか」

 見れば一人の男が荷車に丸い大きめの木樽を乗せ、そこに汲み取った屎尿をいれている。そのせいで辺りは酷い臭いがした。

「立派な仕事だし、俺等の代わりにしてくれているのは分かるんだがな。この臭いだけはどうにも慣れん」
「仕方がないでしょうね」

 食べれば出るものだ。そしてそれをそこらに垂れ流せば病が起こる。そうならない為には彼らのような仕事が必要になるのだ。
 大抵が貧しい者だが、時には墨の入った者もいる。何かしらの罪を犯した者はまっとうな仕事にはつけないから、こうした嫌われ仕事をすることになる。

「……そういや、二人目の美鈴さんの着物が酷く臭ったな」
「え?」

 何かを思いだしたのだろう、三好がそんな事を言う。記憶を思い起こしながらも、彼は確信があるように頷いた。

「美鈴さんの検分をしたんだが、袖の袂が汚れていてな? それが酷い臭いがしたんだ。明け方の雨で流れた部分は気にならなかったが、袖はなんでかな。それで気になって髪も嗅いでみたが、とても遊女の臭いじゃなかった」
「……なるほど」

 これで決まりだろう。後は店を回って話を聞けば絞れるかもしれない。

「ちなみに、屎尿の回収をしたらどこへ?」
「隣の町だから、半日くらいかかるな。ここに畑はないし、きつい臭いは嫌われる。けっこういい肥料になるらしいぞ。なんせ良い物食べてるからな」
「そうでしょうね」

 金持ちの集まるこの町で質素なものは出ないだろう。

「回収を請け負っているのは、一つの店ですか?」
「あぁ、そうだ。ほぼ毎日どっかしらで仕事してるが、遊郭では三日にいっぺんとかだな。何せ人が多いと出るもんも多い」
「そうですか。有り難うございます」

 礼を言い、ヨリは立ち上がる。三好も「大丈夫かい?」と声を掛けてくれるが、ヨリはにっこりと笑って危なげなく出ていった。


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 昼に近い時間に朝餉なのか昼餉なのか分からぬ食事を取り、田中とキョウは林へと向かう。事前に信右衛門から大体の場所は聞いているという。
 ヨリが一人茶を啜っていると、昨夜座敷に上がっていた遊女の一人が眠そうに欠伸をしながら降りてきてこちらに気づいて笑いかけてきた。
「あら、語り部様」
「おや、昨日の。お早いのですね」
「お腹が空いてしまいまして。それにしても、本当に見えてないの? 全然そんな感じがしないわ」
 比較的にこやかに、そして近い様子で話しかけてくる彼女はヨリの直ぐ側に腰を下ろす。そしてふと、ヨリの髪に触れた。
「昨日も思ったけれど、語り部様の髪はとても綺麗ね。色も白だなんて、何処か神秘的だわ」
「おや、大抵は幽鬼の類いと間違われるのですよ」
「肌が白くて髪も白くて、おまけにお召し物まで白ではね」
「ふふっ、確かに」
 これを否定はしない。好んで白を着ている節もある。田中などはよく「旅暮らしで白は汚れるだろう」と言うが、こんな旅暮らしだからだ。
 死に装束は白と、決まっているのだから。
「あっ! ねぇ、結わせておくれよ」
「え?」
「髪結いみたいに上手くは出来ないけれどさ、これでも少しくらいは出来るから。待って、道具を持ってくるから」
 言うが早いか、彼女はパタパタと階段を駆け上がっていく。そしてあっという間に化粧箱を持ってきたかと思えば櫛で梳き、紐で丁寧に結い上げてゆく。
「艶々で羨ましいわ。私は癖があってなかなか面倒なんだもの」
「ただの紐では落ちてしまうのですよ」
 普段誰かに髪を触らせるなんて経験がない。なんだか楽しくなってされるがままになっているうち、キュッと高い位置で束ねられた。
「美人だわ」
「有り難う」
「化粧もしたいくらい」
「流石にそれはご勘弁を。田中様に笑われてしまいますよ」
「あの方も顔が良くて優しくて、女が寄ってくる感じの方よね。お家も立派だし」
「因みに独身ですよ」
「あら! 一つ鎌掛けてみようかしら」
 なんて、まるで言葉遊びのようなやりとりを楽しんで互いに笑っている間に他の遊女も降りてきて、いつの間にか周囲は賑やかになった。
 これ幸いと、ヨリは彼女達に昨夜の花魁と同じ事を聞いてみた。
「死んだ遊女達の事ね」
「あっ、確か池屋の雛菊は花江ちゃんと同じ三好さんに行ってるわよ。彼女、月のものが重くてお腹が痛くなるってんで痛み止めを貰いに」
 どうやら符号が揃い始めた。ヨリは静かに頷いたが、桜屋の美鈴と雪ノ屋のお竹については知らないという。
「それにしても、花江ちゃん可哀想だったわね」
 一人がそう呟いた。それに、皆が悲しげに項垂れてしまう。
「良い子だったのよ。明るくてね。酷い旦那に当たった時も心配して、色々してくれてね」
「下の子の面倒もよく見てくれたし、力仕事に針仕事、水場も嫌がらずにしてくれるから助かったし」
「たまにお菓子を差し入れるとお茶を淹れてくれるんだけれどね。美味しいのよね」
 そう口々に言った後はまるでお葬式のように静まりかえってしまった。
 その中、ヨリはすっと立ち上がった。
「少し出てきますね」
「えぇ。でも語り部様、用心棒の方とご一緒しなくていいのですか? 目が」
「彼がいなくともある程度の事はできますよ。流石に悪鬼と戦えと言われれば、無理ですけれどね」
「そんなの普通のお侍様でも無理よ」
 けらけらっと楽しげに笑った彼女達だが、ふと一人が何かを思いだしたように息を詰めた。
「どうかしましたか?」
「え? えぇ。少し思い出した事があって」
「何か?」
「花江ちゃんが攫われた日、大きな宴席が入ったの。近くの町の若いお侍様が数人でいらして。それも急だったものだから準備が大変で、それで気づくのに遅れてしまったのよ」
 そういえば昨夜花魁もそのようなことを言っていた。だが、これ自体はそれ程稀な事とも思えない。突然金持ちがきて豪遊する事だってあるだろう。
 それでも彼女の記憶に引っかかっているのなら、何か他とは違う事があったはずだ。
「ですが、それはあることですよね?」
「えぇ。でもそのお侍さん達ね、女を買わずに普通の宿に泊まると言って出ていってしまったの。何か不手際があったのかって旦那がオロオロしていたけれど、お金は普通に払っていったから」
「そういえばそうね。遊郭で女を買わないで飲み食いだけなんて」
 口々に言う彼女達の違和感は、そのままヨリも違和感と感じた。
「それを言えば、語り部様や用心棒様、田中様も女を買わないなんて。私、語り部様なら一晩お相手してもいいのよ?」
「私はキョウ君だっけ? あの子がいいな。体も大きくて逞しいのに、すっごく可愛いんだもの。よしよししてあげたい」
「ふふっ、お誘いは嬉しいのですがね。語り部は持たぬ者ですからそのような贅沢は考えた事もありません。それに……」
 悪戯を仕掛けるように、ヨリはそっと声を潜め前屈みに彼女達に顔を近づける。それに耳を貸す彼女達に、ヨリは茶目っ気たっぷりに囁いた。
「私と彼は良い仲なので、あまり虐めないでくださいね」
「えぇ!」
「やだぁ! そうですの!」
「語り部様ならそれも良いと思わせられるのがなんとも言えないわ」
 どよめきが起こり、ヨリは楽しく小さな声で笑う。そして今度こそ彼女達の側を離れた。
◇◆◇
 ヨリがまず向かったのは三味線屋だったが、表は閉じて空気は沈み込み、まるで葬式の様だった。いや、実際気分としてはそうなのだろう。一応表で声を掛けるも返ってくる声はなく、仕方なく裏のお勝手を叩いた。
「すみません」
 声は届くと思うのだが反応がない。そこで、ヨリはスッと息を吸うと昨夜の記憶を呼び起こした。
「もし、三味線屋さん」
 それは花魁の声とよく似ていた。そのせいだろう、中でバタバタっと音がしたかと思うと次には勢いよく戸が開いた。
「美花花魁!」
 息咳き込んできた青年は年の頃はまだ二十そこそこだろう。顔立ちはやや幼いように思う。
 青年は予想外の人物が立っていたことに驚き辺りを見回している。そこに、ヨリは丁寧にお辞儀をした。
「祥の藩主、坂本義尚様より此度の一件の調査を仰せつかりました、語り部のヨリと申します」
「あ……」
 途端、青年は酷く悲しい顔をする。肩は落ち、服の裾を握る手は震えている。今にも泣いてしまいそうな彼の肩を叩いて、ヨリは柔らかい声音で尋ねた。
「このような時に申し訳ありません。少しだけ、話を伺っても宜しいでしょうか?」
「……どうぞ」
 道を空けてくれた彼に促され、ヨリは無事に中へと入る事ができた。
 茶を出そうとしてくれるのだが、なにせ憔悴しきっている。危なっかしい彼を座らせて、ヨリは話を促した。
「確かに俺は、花江さんと恋仲にありました。年期が明けたら一緒になろうと。彼女は顔の事を気にしていましたが、それはどうでも良いことだったのです。俺は彼女の優しさや笑顔が好きでした。慎ましくても温かな家庭が築ければと思っていたのです」
「この事を、菊屋さんは?」
「知っています。直接行って頭を下げました。俺の稼ぎでは身請けはできませんが、少しでも足しになるよう払いますと。菊屋さんは頷いて、約束してくれました」
 おそらくこれは本当だろう。事実花魁も知っていたし、遊女達も知っている感じがした。何より菊屋の主人はあれで良心的な方だろう。年期が明けても彼女は苦労する可能性があるのなら、優しい男と夫婦となる方が幸せだと考えたのかもしれない。
「あの、彼女は……花江さんは、魔物に殺されたのですか?」
 縋るような、願うような様子で問われてヨリは首を横に振った。
「それはまだ分かりません。その為に現在動いているのです」
「そう、ですか……」
 気の毒だとは思ったが、犯人が人間だとは言わなかった。
 美花花魁は冷静だった。だから言っても静観するだろうと思った。だが彼は感情に負ける。もしも犯人がいると知れば探す可能性がある。戦う術を持たないというのに、五人もの人を殺した奴を相手にどうするという。
 残酷だが、知らぬ方がよい事もあるのだ。
「そういえば、美花花魁から花江さんは治療院に薬を貰いに行っていたとか。三好さんと仰いましたが?」
「えぇ。三好さんはここから一本奥に入った所にあります。古い医院でしてね、親切なんですよ」
「そうですか」
 ならば次はそちらだろう。腰を上げ、ヨリは同じように勝手口から出て行く。そうして教えられた通りに出て人に尋ね、三好の医院を訪ねた。
 三好は齢五十を超えているが、頑健そうな男だった。少しよれた作務衣に手拭いで頭を覆った姿など陶芸でもするのかと思える様子だった。
 丁度休みだというのでお邪魔して尋ねると、彼は毛むくじゃらの腕を組んで難しい顔をした。
「確かに花江ちゃんとお宮さん、雛菊さんはうちに来ていたよ」
「ここは遊女が来ることが多いのですか?」
「そりゃ古いからな。俺の親父の頃からここで商売をしている。だが、家ばかりじゃない。他にも二件程あるぞ」
「お竹さん、美鈴さんが見えたことは?」
「ないな」
 せっかく見つかったと思った糸はここで繋がらなくなった。ヨリが口元に手をやって考えていると、不意に鼻を突く強烈な臭いがした。
「あぁ、お不浄さんか」
 見れば一人の男が荷車に丸い大きめの木樽を乗せ、そこに汲み取った屎尿をいれている。そのせいで辺りは酷い臭いがした。
「立派な仕事だし、俺等の代わりにしてくれているのは分かるんだがな。この臭いだけはどうにも慣れん」
「仕方がないでしょうね」
 食べれば出るものだ。そしてそれをそこらに垂れ流せば病が起こる。そうならない為には彼らのような仕事が必要になるのだ。
 大抵が貧しい者だが、時には墨の入った者もいる。何かしらの罪を犯した者はまっとうな仕事にはつけないから、こうした嫌われ仕事をすることになる。
「……そういや、二人目の美鈴さんの着物が酷く臭ったな」
「え?」
 何かを思いだしたのだろう、三好がそんな事を言う。記憶を思い起こしながらも、彼は確信があるように頷いた。
「美鈴さんの検分をしたんだが、袖の袂が汚れていてな? それが酷い臭いがしたんだ。明け方の雨で流れた部分は気にならなかったが、袖はなんでかな。それで気になって髪も嗅いでみたが、とても遊女の臭いじゃなかった」
「……なるほど」
 これで決まりだろう。後は店を回って話を聞けば絞れるかもしれない。
「ちなみに、屎尿の回収をしたらどこへ?」
「隣の町だから、半日くらいかかるな。ここに畑はないし、きつい臭いは嫌われる。けっこういい肥料になるらしいぞ。なんせ良い物食べてるからな」
「そうでしょうね」
 金持ちの集まるこの町で質素なものは出ないだろう。
「回収を請け負っているのは、一つの店ですか?」
「あぁ、そうだ。ほぼ毎日どっかしらで仕事してるが、遊郭では三日にいっぺんとかだな。何せ人が多いと出るもんも多い」
「そうですか。有り難うございます」
 礼を言い、ヨリは立ち上がる。三好も「大丈夫かい?」と声を掛けてくれるが、ヨリはにっこりと笑って危なげなく出ていった。