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本編

ー/ー



 とても暑い日のことだった。着ぐるみの中はまるでサウナのようで、今にも身体や脳みそが溶け出しそうだ。着ぐるみのモチーフになっている河童のように、今すぐにでも目の前の川に飛び込んでしまいたい。
 たくさんの子供たちの声が聞こえる。ほとんど目が見えないせいで、周りがどんな状況なのかわからない。
 いやに重たい被り物を左手で押さえて、子供たちに手を振る。網目の向こうの子供たちの顔は、あまりよく見えない。どんな様子なのかしきりにうかがって、よくよく目を凝らしていると、額から大粒の汗がいくつも降り注ぎ、目にしみて余計に視界が悪くなる。
 全身に着込んだ保冷剤の冷気を感じるものの、照りつける真夏の日差しの熱はそれを上回る暑さで、水滴なのか汗なのかわからない液体が全身をだらだらと伝う。
 ほとんどなにも思考せず、刷り込まれた動きで重たい手を振り続ける。
 もはや脳みそに軽く靄がかかり、意識を飛びかけている。
「良い子のみんなバイバーイ」と教育番組みたいな明るい声が聞こえたかと思うと、左腕を引っ張られ、我に帰る。
 小さな視界に、宮野というアテンドが入ってくる。
「カパパ! こっちだよ!」と言いながら、笑顔で手招きをしている。
「みんなー。 カパパはこれからお家に帰るからねー」
 その声に合わせて、四方八方に手を振り続ける。
 重い足を無理矢理動かして、先導する彼女の後へ続いた。
 子供たちはずっとなにやらはしゃいでいるのが、いつまでも聞こえた。

 被り物を引き上げられると、ようやく視界が戻り、同時に肺の中いっぱいに新鮮な空気が流れ込んでくる。
「大丈夫だった?」
「あ、うん。 どうにか」
 宮野が手渡すタオルと水を受け取る。ペットボトルの水をひっくり返すような勢いで喉の奥に流し込む、一瞬のうちに半分以上の水が消えた。
 タオルで顔の汗を拭いていると、なんだか自分がとんでもなく臭いような気になって、こっそりと宮野の方を盗み見る。
 彼女もまた同じように、ペットボトルを逆さにひっくり返して、浴びるように水を飲んでいる。日焼け止めを厚く塗っているのか、やたらと白い顔には大粒の汗がいくつも浮き上がっている。着ぐるみの有無に関わらず、今日の猛暑は殺人級のようだ。
 過剰に低く設定された冷房のせいか、汗が乾く前に冷え、なんだか無性に寒くなってくる。
「なんか寒いね」というと、彼女は自分のタオルをマフラーのように巻き付けている。なんだかその季節はずれの様子におかしくなり、思わずくすりと声を出して笑ってしまう。
 観察していたことがばれて、ちょっとからかわれたあと、長い間たわいもない話をした。

 宮野が唐突に「なんで河童か知ってる?」と聞いてくる。
「ん? 河童? 着ぐるみのこと?」
 隣に置いておいた被り物をぽんぽんと軽く叩く。
「そう。 それそれ」
「いや、詳しくは知らないけど……。 そういえば、駅前とか色んなところに河童がいるから?」
「なにそれ? 答えになってないじゃん」と言って笑う。
 理論の破綻を指摘されて、なんだか無性に恥ずかしくなり俯く。
「この辺って川がいっぱいあるじゃん? 昔はこの辺に河童がいたらしいよ」
「河童がいた? ふーん、まあ、河童なんてよくある昔ばなしな気がするけどな」
「そうかもね。 この近くのお寺のお坊さんが、馬?牛かもしれないけど、川に引きずり込んでいたずらしていた河童を懲らしめて改心させたって伝説があるんだって」
 彼女は天井を見上げ、頑張って思い出すようどうにかその昔ばなしをそらんじた。
「そうなんだ。 なんか聞いたことあるかも」
「どうする?」というと、彼女は急に真剣な顔つきになって見つめてくる。
「どうするって?」
 思わず目を逸らす。
「河童が出て来たら。 本当に」
「まさか」
「ほら、それかぶってたら仲間だと思うかも」
 彼女は、傍に置いたままの被り物を指差して笑った。それを取って渡してやると、膝の上に抱えておもむろに撫で始める。まるで猫でも撫でるかのように、河童の生首を撫でるその姿はやっぱりどこかおかしくて、思わず笑ってしまった。
 被り物を置いて、おもむろに立ち上がる。
「そろそろいかなきゃだね」と言うと、少し湿ったタオルともう空のペットボトルを奪い取った。
 壁時計に目をやると、思ったよりも長い時間話し込んでしまっていた。
 彼女はいつの間にか両手いっぱいに被り物を抱えていて、こちらを見下ろすように目の前に立っている。細く白い腕からは想像もつかないが、それを軽々と頭の上に掲げた。勢いよく被り物が降ってきて、目の前が一瞬のうち真っ暗になった。被ると川で拾った亀のような独特の臭いをうっすらと感じた。
 肩を借りてよろよろと立ち上がる。もうすでに着ぐるみの中はサウナのように暑くなっていた。
「なあ。 知ってる?」
「ん? なにを」
 彼女が振り向く。
「河童の中には悪い種類もいるんだってさ」
 威嚇するようなイメージで両腕をどうにか上げ、怪獣みたいなポーズをしてみせた。

 突然、猛烈な生臭さを感じ、思わずえずく。喉元までせり上がっていた吐き気をどうにかこうにか飲み込む。
 それまで目の前にいたはずの宮野の姿がどこにも見えないことに気付く。振り返り、上がらない腕を限界まで伸ばして探ってみても、虚しく空を切るばかりで見つからない。
 次第に前後すらわからなくなってしまったので、一人虚しく「おーいおーい」と何度か叫んだが、誰からも返事はない。
 仕方なくその場に腰を下ろすと、ごつごつとした硬い感触を尻に感じる。悪臭にばかり気を取られて気がつかなかったが、さらさらというせせらぎの音がすぐそばに聞こえている。
 何かが砂利を踏む音をたてながら近づいてくる気配があった。その気配が近づいてくるのに合わせて、例の悪臭も段々と強くなっている気がする。
 被り物をおさえながら立ち上がる。バランスを崩して、前へ転がりそうになる。
「お、おい。 誰かいるのか……」
 音のする方へ振り返るも、視界が悪くよく見えない。
 謎の気配が迫ってくる恐怖から、汗がとめどなく流れ落ち、喉はからからになった。
 足音が止まる。
 次の瞬間、身体中に強い衝撃が走る。
 大きく突き飛ばされてひっくり返る。
 誰だかわからないが、殴り返してやろうと思ったものの、重い着ぐるみを着ているせいで、自分の身体はいうことを聞かない。それどころか立ち上がることすら、もはやままならない。
 酷い臭いのせいで、頭がくらくらとする。
 なんだか無性に泣きたくなってくる。
 それでもどうにか砂利の上に膝をついて、緩慢な動作で立ち上がる。
 急に身体の周りに手を回されたかと思うと、易々と持ち上げられ、足が宙に浮くのを感じる。そのまま大きく投げ飛ばされる。地面に落ち、身体のあちこちが砂利に当たって痛む。
 被り物が取れて転がり落ちる。急に視界が戻ったせいか、やけに眩しく上手く見えない。
「な、なんだ人間じゃないか! ボカァ、人間と喧嘩しちゃダメなんだよ」
 次第に視力が回復してくると、目の前には人ほどの大きさもあるすっぽんのような奇妙な生き物が立っているのが目に入る。先ほどからなんとなく感じていた生臭さが直接鼻腔に流れ込んできて、あらゆる匂いがわからなくなる。
「水虎じゃなかったのか……。 ごめんよ人間、元いたところに帰すから、全部忘れてくれないか」
 河童は被り物を拾い上げると、力任せに勢いよく被せてきた。目の前が真っ暗になったかと思うと、同時に腰に強い痛みが走る。
 その衝撃で、被り物が転がり落ちた。
 宮野が心配そうな表情でこちらをのぞいている。
「だ、大丈夫? すごい音したけど……」
「うん、多分」
 腕を引っ張り上げてもらい、よろよろと立ち上がった。
 彼女が被り物を拾い上げる。
「なにこれ。 超くさい! しかもベトベト……」
 大きな声をあげながら、異臭のあまり珍妙な顔をしている。その顔はおかしくて、思わず笑ってしまった。
「会ったかもしれない。 河童に」
「えっ」とこぼしながら、今度は唖然としている。その顔がまたこれ以上ないくらいに面白く、泣いて息ができないほど笑ってしまった。
 当然、彼女は怒って、しばらくの間いじけていた。


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 たくさんの子供たちの声が聞こえる。ほとんど目が見えないせいで、周りがどんな状況なのかわからない。
 いやに重たい被り物を左手で押さえて、子供たちに手を振る。網目の向こうの子供たちの顔は、あまりよく見えない。どんな様子なのかしきりにうかがって、よくよく目を凝らしていると、額から大粒の汗がいくつも降り注ぎ、目にしみて余計に視界が悪くなる。
 全身に着込んだ保冷剤の冷気を感じるものの、照りつける真夏の日差しの熱はそれを上回る暑さで、水滴なのか汗なのかわからない液体が全身をだらだらと伝う。
 ほとんどなにも思考せず、刷り込まれた動きで重たい手を振り続ける。
 もはや脳みそに軽く靄がかかり、意識を飛びかけている。
「良い子のみんなバイバーイ」と教育番組みたいな明るい声が聞こえたかと思うと、左腕を引っ張られ、我に帰る。
 小さな視界に、宮野というアテンドが入ってくる。
「カパパ! こっちだよ!」と言いながら、笑顔で手招きをしている。
「みんなー。 カパパはこれからお家に帰るからねー」
 その声に合わせて、四方八方に手を振り続ける。
 重い足を無理矢理動かして、先導する彼女の後へ続いた。
 子供たちはずっとなにやらはしゃいでいるのが、いつまでも聞こえた。
 被り物を引き上げられると、ようやく視界が戻り、同時に肺の中いっぱいに新鮮な空気が流れ込んでくる。
「大丈夫だった?」
「あ、うん。 どうにか」
 宮野が手渡すタオルと水を受け取る。ペットボトルの水をひっくり返すような勢いで喉の奥に流し込む、一瞬のうちに半分以上の水が消えた。
 タオルで顔の汗を拭いていると、なんだか自分がとんでもなく臭いような気になって、こっそりと宮野の方を盗み見る。
 彼女もまた同じように、ペットボトルを逆さにひっくり返して、浴びるように水を飲んでいる。日焼け止めを厚く塗っているのか、やたらと白い顔には大粒の汗がいくつも浮き上がっている。着ぐるみの有無に関わらず、今日の猛暑は殺人級のようだ。
 過剰に低く設定された冷房のせいか、汗が乾く前に冷え、なんだか無性に寒くなってくる。
「なんか寒いね」というと、彼女は自分のタオルをマフラーのように巻き付けている。なんだかその季節はずれの様子におかしくなり、思わずくすりと声を出して笑ってしまう。
 観察していたことがばれて、ちょっとからかわれたあと、長い間たわいもない話をした。
 宮野が唐突に「なんで河童か知ってる?」と聞いてくる。
「ん? 河童? 着ぐるみのこと?」
 隣に置いておいた被り物をぽんぽんと軽く叩く。
「そう。 それそれ」
「いや、詳しくは知らないけど……。 そういえば、駅前とか色んなところに河童がいるから?」
「なにそれ? 答えになってないじゃん」と言って笑う。
 理論の破綻を指摘されて、なんだか無性に恥ずかしくなり俯く。
「この辺って川がいっぱいあるじゃん? 昔はこの辺に河童がいたらしいよ」
「河童がいた? ふーん、まあ、河童なんてよくある昔ばなしな気がするけどな」
「そうかもね。 この近くのお寺のお坊さんが、馬?牛かもしれないけど、川に引きずり込んでいたずらしていた河童を懲らしめて改心させたって伝説があるんだって」
 彼女は天井を見上げ、頑張って思い出すようどうにかその昔ばなしをそらんじた。
「そうなんだ。 なんか聞いたことあるかも」
「どうする?」というと、彼女は急に真剣な顔つきになって見つめてくる。
「どうするって?」
 思わず目を逸らす。
「河童が出て来たら。 本当に」
「まさか」
「ほら、それかぶってたら仲間だと思うかも」
 彼女は、傍に置いたままの被り物を指差して笑った。それを取って渡してやると、膝の上に抱えておもむろに撫で始める。まるで猫でも撫でるかのように、河童の生首を撫でるその姿はやっぱりどこかおかしくて、思わず笑ってしまった。
 被り物を置いて、おもむろに立ち上がる。
「そろそろいかなきゃだね」と言うと、少し湿ったタオルともう空のペットボトルを奪い取った。
 壁時計に目をやると、思ったよりも長い時間話し込んでしまっていた。
 彼女はいつの間にか両手いっぱいに被り物を抱えていて、こちらを見下ろすように目の前に立っている。細く白い腕からは想像もつかないが、それを軽々と頭の上に掲げた。勢いよく被り物が降ってきて、目の前が一瞬のうち真っ暗になった。被ると川で拾った亀のような独特の臭いをうっすらと感じた。
 肩を借りてよろよろと立ち上がる。もうすでに着ぐるみの中はサウナのように暑くなっていた。
「なあ。 知ってる?」
「ん? なにを」
 彼女が振り向く。
「河童の中には悪い種類もいるんだってさ」
 威嚇するようなイメージで両腕をどうにか上げ、怪獣みたいなポーズをしてみせた。
 突然、猛烈な生臭さを感じ、思わずえずく。喉元までせり上がっていた吐き気をどうにかこうにか飲み込む。
 それまで目の前にいたはずの宮野の姿がどこにも見えないことに気付く。振り返り、上がらない腕を限界まで伸ばして探ってみても、虚しく空を切るばかりで見つからない。
 次第に前後すらわからなくなってしまったので、一人虚しく「おーいおーい」と何度か叫んだが、誰からも返事はない。
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 何かが砂利を踏む音をたてながら近づいてくる気配があった。その気配が近づいてくるのに合わせて、例の悪臭も段々と強くなっている気がする。
 被り物をおさえながら立ち上がる。バランスを崩して、前へ転がりそうになる。
「お、おい。 誰かいるのか……」
 音のする方へ振り返るも、視界が悪くよく見えない。
 謎の気配が迫ってくる恐怖から、汗がとめどなく流れ落ち、喉はからからになった。
 足音が止まる。
 次の瞬間、身体中に強い衝撃が走る。
 大きく突き飛ばされてひっくり返る。
 誰だかわからないが、殴り返してやろうと思ったものの、重い着ぐるみを着ているせいで、自分の身体はいうことを聞かない。それどころか立ち上がることすら、もはやままならない。
 酷い臭いのせいで、頭がくらくらとする。
 なんだか無性に泣きたくなってくる。
 それでもどうにか砂利の上に膝をついて、緩慢な動作で立ち上がる。
 急に身体の周りに手を回されたかと思うと、易々と持ち上げられ、足が宙に浮くのを感じる。そのまま大きく投げ飛ばされる。地面に落ち、身体のあちこちが砂利に当たって痛む。
 被り物が取れて転がり落ちる。急に視界が戻ったせいか、やけに眩しく上手く見えない。
「な、なんだ人間じゃないか! ボカァ、人間と喧嘩しちゃダメなんだよ」
 次第に視力が回復してくると、目の前には人ほどの大きさもあるすっぽんのような奇妙な生き物が立っているのが目に入る。先ほどからなんとなく感じていた生臭さが直接鼻腔に流れ込んできて、あらゆる匂いがわからなくなる。
「水虎じゃなかったのか……。 ごめんよ人間、元いたところに帰すから、全部忘れてくれないか」
 河童は被り物を拾い上げると、力任せに勢いよく被せてきた。目の前が真っ暗になったかと思うと、同時に腰に強い痛みが走る。
 その衝撃で、被り物が転がり落ちた。
 宮野が心配そうな表情でこちらをのぞいている。
「だ、大丈夫? すごい音したけど……」
「うん、多分」
 腕を引っ張り上げてもらい、よろよろと立ち上がった。
 彼女が被り物を拾い上げる。
「なにこれ。 超くさい! しかもベトベト……」
 大きな声をあげながら、異臭のあまり珍妙な顔をしている。その顔はおかしくて、思わず笑ってしまった。
「会ったかもしれない。 河童に」
「えっ」とこぼしながら、今度は唖然としている。その顔がまたこれ以上ないくらいに面白く、泣いて息ができないほど笑ってしまった。
 当然、彼女は怒って、しばらくの間いじけていた。