第八話 対面

ー/ー



「はじめまして」
 
 ネール領主ジルの挨拶を聞いたニーナの体が強張る。

 この声は確かに、アムール村で聞いたことがある。
 それに、青い長髪の鎧兵は騎士団長の側にいた。
 
「――村人に危害を加えるのは早計かと存じます」
 
 騎士団長の側にいた兵士の声が記憶を()ぎる。
 彼の兜でくぐもっていた声が耳の内側で響いた。
 あの兵士が今、将軍として目の前にいる。

 ニーナは息を呑んだ。
 静まり返った部屋では、その小さな音さえ大きく感じられた。
 
 
 ジルはニーナの目を見て、「あの……私の顔に何か付いていますか?」と首を傾げた。
 村に来た時と変わらない、落ち着いた声が逆にニーナの不安を煽る。
 
「い、いえ、何でもありません」と、ニーナは視線を逸らす。
 ニーナの左後ろに控えていたアルベルトが彼女をちらりと見た。
 ニーナの首筋から一滴の汗が落ちる。

 
 部屋の中に沈黙が訪れる。
 窓から入った光がジルを照らし、微笑みをたたえる彼の顔が浮かび上がった。
 
「領主殿はニーナにお会いしたことがあるのですか?」
 
 アルベルトが尋ねると、ジルは大きく頷いてから答えた。
 
「ええ、私は王都からの命でニーナ嬢のいらっしゃったアムール村まで、グナーテ王国騎士団の一員として、大将軍や部下たちと共に赴きました。そこで、ニーナ嬢を王都までお連れしました」
 
 ジルはニーナの様子に気付き、
「私は王国騎士団の将軍といっても、最年少の者です。大した権力は持っていませんし、これからあなたを王都に連れ戻すつもりもございません」と、微笑みを崩さずに答えた。
 
 ニーナの肩から、わずかに力が抜けた。首を伝っていた汗も収まってきている。
 
「皆さんをネール領からアッシュに越境させる手筈(てはず)は、クロエから説明されていると思いますので、特に私からは何も話すことはありませんが……」
 
 ジルは姿勢を整えて続けた。
 
「皆さんのお顔を拝見したくてお呼びしました。私が城に着くまでの長い時間、客間でお待ちいただき申し訳ありません。これからは城内で自由にしていただいて結構です。では、食事の時にクロエを遣りますので、定刻までに客間でお待ちください」
 
 腰の低いジルの態度を見て、ニーナはホッと息を吐いた。

 ジルとの話を終えて、三人は部屋を出た。
 
「ふう、領主様は良い人だったね」と、ニーナが二人に振り向くと、
「……呑気なもんだな」とトリスタンは琥珀色の目をきゅっと細めて呆れた声を出し、「あれは、ただの社交辞令だ」とアルベルトは説明した。
 
「しかし、ニーナが領主殿と会っていたとは」
 
 アルベルトは意外そうに言った。
 
「うん、村に来られた時は兜を被っていて分からなかったけど、声を聞いたら領主様だなって」
 
 ニーナは身振り手振りでアルベルトに話す。

 廊下を進んだところで、
「俺、図書室に帰るわ」
 
 そう言って、トリスタンは苦虫を噛み潰したような顔をして立ち去った。
 
「トリスタン、なんだか気分良くなさそうだねー」
 
 トリスタンを目で追いかけながら、ニーナは呟いた。

 すると、アルベルトは彼女の耳元で囁いた。
 
「あいつは権力者が心底嫌いなんだ。だから、ニーナもあいつの前で、お偉い人さん方の話題をするのは止めてやってくれ」
 
 ニーナはそれを聞いて、「そうなんだ……」と顔を曇らせた。
 
「ニーナはこれからどこへ行くんだ?」
「うーん、客間に行こうかなぁ。もうすぐ夕方だし、食事の時になったらクロエさんが来るって領主様が言ってたし」
「ならば、俺も客間に行こう」

 客間にて、ニーナたちは召使いに淹れられた茶を飲んでいた。
 
「相変わらず、ここの茶は美味いな」
 
 アルベルトはカップを口に運んで、溜息をついた。
 
「うんうん」
 
 ニーナも両手で支えたカップを傾けた。さらさらと口通りの良い甘い液体が喉を癒す。
 
「ねえ、アルが言ってる『茶』って何?」
 
 ニーナが聞くと、アルベルトは片眉をぴくりと動かして、
「知らないのか?」と言った。
 
 ニーナは頷くと、アルベルトが説明を始める。
 
「茶は植物を煮出して作る飲み物だ。これは果物の香りが強いな」
「へえぇ、私が村にいた時に飲んでいたものと一緒だ。私はよく葉っぱを煮て作っていたけど、これって『茶』って言うんだ」
 
 ニーナは新しい発見をして嬉しそうに笑う。
 アルベルトはニーナをじっと見つめて彼女の話を聞いていたが、彼女の笑顔につられてフッと笑った。
 
「ねえねえ」
 
 ニーナの呼びかけに、アルベルトはカップから口を離す。
 
「アルは神様を信じてる?」
 
 彼女は詰まったような声で聞いた。アルベルトは目を見張って彼女を見た。
 
 沈黙が訪れる。
 数秒時間をおいて、アルベルトは言った。
 
「なぜ、そんなことを聞く?」
「えっと……なんとなく……」
「ああ、あいつが何か言ったな」
 
 アルベルトは椅子に背中を預けて、天を仰いだ。
 
「仕方ない奴だ。……いいか、あいつの話はまともに聞いて良い時とダメな時があるからな」
 
 溜息をついてアルベルトは続けた。
 
「神はいる。ただ、人間には理解出来ないだけだ。だから、『信じる』ことが出来るんだ」
 
 アルベルトの言葉を、ニーナは黙して聞いていた。

 ふと、ニーナは髪をかき上げて、小窓に目をやった。もう日が沈み始めて暗い紫色に染まってきている。街の家々には明かりが灯り、空には無数の星々がまたたいていた。
 トリスタンが欠伸をしながら客間に入ってきた。
 
「よお、トリスタン。気分はどうだ」
 
 アルベルトが話しかけると、
「ふああ、おかげさまでよく眠れたぜ」と返して、トリスタンは椅子に座った。
 
 場の雰囲気は三人が分かれた時よりも、明るいものになっていた。
 
 そこへ、クロエがやってきた。
 
「お食事の時間です」
 
 三人はジルから食事の席に呼ばれ、部屋を後にした。


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「はじめまして」
 ネール領主ジルの挨拶を聞いたニーナの体が強張る。
 この声は確かに、アムール村で聞いたことがある。
 それに、青い長髪の鎧兵は騎士団長の側にいた。
「――村人に危害を加えるのは早計かと存じます」
 騎士団長の側にいた兵士の声が記憶を|過《よ》ぎる。
 彼の兜でくぐもっていた声が耳の内側で響いた。
 あの兵士が今、将軍として目の前にいる。
 ニーナは息を呑んだ。
 静まり返った部屋では、その小さな音さえ大きく感じられた。
 ジルはニーナの目を見て、「あの……私の顔に何か付いていますか?」と首を傾げた。
 村に来た時と変わらない、落ち着いた声が逆にニーナの不安を煽る。
「い、いえ、何でもありません」と、ニーナは視線を逸らす。
 ニーナの左後ろに控えていたアルベルトが彼女をちらりと見た。
 ニーナの首筋から一滴の汗が落ちる。
 部屋の中に沈黙が訪れる。
 窓から入った光がジルを照らし、微笑みをたたえる彼の顔が浮かび上がった。
「領主殿はニーナにお会いしたことがあるのですか?」
 アルベルトが尋ねると、ジルは大きく頷いてから答えた。
「ええ、私は王都からの命でニーナ嬢のいらっしゃったアムール村まで、グナーテ王国騎士団の一員として、大将軍や部下たちと共に赴きました。そこで、ニーナ嬢を王都までお連れしました」
 ジルはニーナの様子に気付き、
「私は王国騎士団の将軍といっても、最年少の者です。大した権力は持っていませんし、これからあなたを王都に連れ戻すつもりもございません」と、微笑みを崩さずに答えた。
 ニーナの肩から、わずかに力が抜けた。首を伝っていた汗も収まってきている。
「皆さんをネール領からアッシュに越境させる|手筈《てはず》は、クロエから説明されていると思いますので、特に私からは何も話すことはありませんが……」
 ジルは姿勢を整えて続けた。
「皆さんのお顔を拝見したくてお呼びしました。私が城に着くまでの長い時間、客間でお待ちいただき申し訳ありません。これからは城内で自由にしていただいて結構です。では、食事の時にクロエを遣りますので、定刻までに客間でお待ちください」
 腰の低いジルの態度を見て、ニーナはホッと息を吐いた。
 ジルとの話を終えて、三人は部屋を出た。
「ふう、領主様は良い人だったね」と、ニーナが二人に振り向くと、
「……呑気なもんだな」とトリスタンは琥珀色の目をきゅっと細めて呆れた声を出し、「あれは、ただの社交辞令だ」とアルベルトは説明した。
「しかし、ニーナが領主殿と会っていたとは」
 アルベルトは意外そうに言った。
「うん、村に来られた時は兜を被っていて分からなかったけど、声を聞いたら領主様だなって」
 ニーナは身振り手振りでアルベルトに話す。
 廊下を進んだところで、
「俺、図書室に帰るわ」
 そう言って、トリスタンは苦虫を噛み潰したような顔をして立ち去った。
「トリスタン、なんだか気分良くなさそうだねー」
 トリスタンを目で追いかけながら、ニーナは呟いた。
 すると、アルベルトは彼女の耳元で囁いた。
「あいつは権力者が心底嫌いなんだ。だから、ニーナもあいつの前で、お偉い人さん方の話題をするのは止めてやってくれ」
 ニーナはそれを聞いて、「そうなんだ……」と顔を曇らせた。
「ニーナはこれからどこへ行くんだ?」
「うーん、客間に行こうかなぁ。もうすぐ夕方だし、食事の時になったらクロエさんが来るって領主様が言ってたし」
「ならば、俺も客間に行こう」
 客間にて、ニーナたちは召使いに淹れられた茶を飲んでいた。
「相変わらず、ここの茶は美味いな」
 アルベルトはカップを口に運んで、溜息をついた。
「うんうん」
 ニーナも両手で支えたカップを傾けた。さらさらと口通りの良い甘い液体が喉を癒す。
「ねえ、アルが言ってる『茶』って何?」
 ニーナが聞くと、アルベルトは片眉をぴくりと動かして、
「知らないのか?」と言った。
 ニーナは頷くと、アルベルトが説明を始める。
「茶は植物を煮出して作る飲み物だ。これは果物の香りが強いな」
「へえぇ、私が村にいた時に飲んでいたものと一緒だ。私はよく葉っぱを煮て作っていたけど、これって『茶』って言うんだ」
 ニーナは新しい発見をして嬉しそうに笑う。
 アルベルトはニーナをじっと見つめて彼女の話を聞いていたが、彼女の笑顔につられてフッと笑った。
「ねえねえ」
 ニーナの呼びかけに、アルベルトはカップから口を離す。
「アルは神様を信じてる?」
 彼女は詰まったような声で聞いた。アルベルトは目を見張って彼女を見た。
 沈黙が訪れる。
 数秒時間をおいて、アルベルトは言った。
「なぜ、そんなことを聞く?」
「えっと……なんとなく……」
「ああ、あいつが何か言ったな」
 アルベルトは椅子に背中を預けて、天を仰いだ。
「仕方ない奴だ。……いいか、あいつの話はまともに聞いて良い時とダメな時があるからな」
 溜息をついてアルベルトは続けた。
「神はいる。ただ、人間には理解出来ないだけだ。だから、『信じる』ことが出来るんだ」
 アルベルトの言葉を、ニーナは黙して聞いていた。
 ふと、ニーナは髪をかき上げて、小窓に目をやった。もう日が沈み始めて暗い紫色に染まってきている。街の家々には明かりが灯り、空には無数の星々がまたたいていた。
 トリスタンが欠伸をしながら客間に入ってきた。
「よお、トリスタン。気分はどうだ」
 アルベルトが話しかけると、
「ふああ、おかげさまでよく眠れたぜ」と返して、トリスタンは椅子に座った。
 場の雰囲気は三人が分かれた時よりも、明るいものになっていた。
 そこへ、クロエがやってきた。
「お食事の時間です」
 三人はジルから食事の席に呼ばれ、部屋を後にした。