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第21話 お座敷にて

ー/ー



 夜闇に浮かぶ不夜城の煌々と灯る光を見つめている。華やかな蝶が主役のこの場所でまさか語る日が来ようとは思わなかった。

「――怪談、仁生寺心中でございました」

 遊女相手に座敷の舞台に上がったヨリは一席語り終え、しずしずと頭を下げる。それに、聞いていた遊女達は惜しみなく拍手を送ってくれた。
 ゆっくりと着物を整えつつ立ち上がると、一人の少女がスッと手を差し伸べてくれる。盲目の者に対する気遣いは有り難いが、ヨリはその少女にスッと手を上げ微笑みかけた。

「お気遣い有り難うございます。ですが、大丈夫ですよ」
「そうなのですか?」

 恐らく禿なのだろう。声は幼く愛らしい。頭の位置も低いように思う。労るようにその頭をぽんぽんと撫で、ヨリはゆっくりと舞台を降りて同行者達の元へと戻った。

「また新しい話を仕入れてきたか、ヨリ」
「しばらく旅をして参りましたから」

 声を掛けられ酒を注がれ、それを受けたヨリは隣の田中を見る。

「田中様、それよりも説明がまだでございますが」
「あぁ……そうであったな」

 三味線の音が曲を奏で始める。恐らく舞台では遊女が美しい舞いを舞っているだろう。ヨリの目には映らないが、人が動く気配はしっかりと分かっている。
 ここは遊郭、眠らぬ都。華やかな蝶が舞い、一晩で愛憎が生まれる場所。あまりに艶やかなこの町は不似合い過ぎて少々肩身が狭い。居心地の悪さも多少感じながら、ヨリは隣の人物からの説明を待った。

 それというのも昨日の事。丁度田中の居る祥の都へと差し掛かった頃の話だ。
 今回は田中の所へ寄ろうかどうか、そんな事をキョウと話していた矢先の事。突如声をかけられたヨリはそのまま田中に「丁度良かった。一緒に来てくれ」と半ば攫われるように馬に乗せられ、あれよあれよという間にこの遊郭へと連れてこられたのだ。
 その間説明はなく、ただ一言「坂本様からの頼みなんだ」としか言わない。いい加減何事なのかを聞いても良い頃合いだ。

 田中は都合の悪い顔をして頬をぽりぽりと掻いている。ヨリの隣に座るキョウもどうしたらいいのか分からずオロオロしている。この男こそ周囲にこれほどの女人がいた例しがない。つまり免疫もないだろう。先程から綺麗な遊女が酌をしているが、固まったままでいる。

「実は、何やらこの界隈で怪事件が起こっているらしくてな。この菊屋に立ち寄った坂本様が主人から話を聞き、ならばと私とお前達を勝手に紹介してしまったらしい」
「なるほど、貴方も等しくとばっちりを受けたわけですね」

 それでも田中は坂本の忠臣、上司の命ならば仕方がない。
 だがヨリは誰の臣でもないはずなのだが。
 まぁ、結ばれた縁故だろう。強引なお人好しには困ったものだが、どうして憎めないのも坂本という御仁の特性である。ここは一つ、頼まれてみようか。
 それに、怪事件というのも気にはかかる。彼の御仁が勧めたとあれば、恐らくそれは魔物に関わるのだろうから。
 田中は困った顔をするばかりだが、これはほぼ肯定しているに等しいものに思えた。

「して、怪事件とは?」
「それについては宴席の後、ここの主人から直接聞くことになっている。どうにも扱いが難しく困り果てているらしい。あと、事件だ」
「ってことは、人が犠牲になってるんですか?」

 ひょいと顔を出したキョウが田中を見て問う。それに、田中は静かに頷いた。

「まぁ、そういうことだ。酒の席で血生臭い話はなしとしよう。せっかく美味い酒と綺麗な女性がいるのだからな」

 三味線の音が止み、人が近づく気配がある。直ぐ隣に女性がついて酌をしてくれる。化粧の臭いに香の臭い。それらはヨリの感覚を多少狂わせるがそれも少しの事。
 今はこの非日常を楽しむ事とし、有り難く歓待に預かる事とした。

◇◆◇

 宴もたけなわとなり、店の主人が挨拶をして遊女達は下がった。ヨリ達三人も場所を移し、多少静かな主人の部屋へと招かれた。

「改めまして、菊屋主人の信右衛門と申します」

 四十を過ぎた貫禄と落ち着きのある鳶色髪の男が丁寧に挨拶をする。それに田中が応じ、こちら側三人を順に紹介した。

「私が坂本義尚様より此度の件を預かった、田中幸正だ。こちらが語り部のヨリと、その用心棒のキョウ」

 それぞれ紹介され、軽く会釈をする。信右衛門の視線がふとヨリに止まる。ジッと見つめる視線の強さに多少疑問はあるが、微笑みかければぱっとそれも外れた。

「坂本様より、何やらこちらで怪事件が起こっていると聞いている。だが、詳細についてはこちらで聞けと言われているのだ。主人、一体何が起こっている」
「はい。何……と、申しますか。大変言いにくい事にございますし、私どもも何が起こっているのか分からないのです。一先ず、起こっている事を順を追ってお伝えいたします」

 そう前置きをして、信右衛門はゆっくりと語り出した。

「最初は、足抜けだと思ったのです」
「足抜け?」

 キョウが首を傾げて問い返す。それに主人は一つ頷いた。

「年期の明けぬ遊女が逃げる事を、足抜けと申します。起こったのは大店の天満屋さんで、逃げた遊女はお宮という者でした」
「足抜けなら探しただろ」
「勿論。分かって直ぐに男衆がくまなく探しましたが、町にはいない。大門の番に聞いてもそのような娘はいなかったと言っている。随分上手い事をやったと思い周囲の林まで探す手を伸ばしたのですが……そこで、死体となって見つかりました」
「え!」

 素直にキョウが声を上げる。だが田中もヨリもただ静かに黙した。
 遊女の足抜けは容易ではなく、知れれば追っ手がかかる。大抵の娘は幼い頃に買われてくる。その買われたお代分などを稼いで返せねば年期が明けない。
 額は膨大。だが返してしまえば自由の身となる。が、それが明ける前に逃げて捕まれば折檻が待っていると聞いている。大変厳しい世界なのだ。

「自害か?」
「いえ。酷い有様でした。まるで獣に襲われたように全身ボロボロで。逃げ惑ったのか草履も履いておりませんで」
「確かにそれは妙だな」
「自害と言うなら、分かるのですがね」

 足抜けする遊女の理由は様々だが、大抵は春を売る仕事に疲れ果てたか、道ならぬ恋に溺れたかだ。一時の激情によって間違いを犯したものの、後で後悔する者もある。辛く苦しい折檻を受けるくらいならと儚む者もあると聞く。
 が、どうやらお宮はそうではなさそうだ。

「これが、二ヶ月程前の事でございます。こうした事はあまり表に出したくないと、天満屋さんは事件をただの足抜けとして店で葬式を出し、世話になっている寺に合葬しました」
「そうだろうな」
「ですが、事件はこれで終わらなかったのです。二件目はこれより半月後、こちらも大店の桜屋さんの美鈴という遊女が同じように消え、翌日林の中で」

 流石に二件目ともなれば気味の悪さもあるだろう。だがそれでも世間体や商売を考え、桜屋の主人も事を大きくする事を避けたらしい。
 だが事件は更に半月後、雪ノ屋のお竹、二週間後に池屋の雛菊と続いた。

「流石にこれは何かあると思い、大きな店の主人が集まって一度役所に相談に行こうかと言っている最中、丁度良く坂本様がいらしたものですから」
「渡りに船だった、ということか」

 腕を組んで唸る田中に、信右衛門は申し訳なく頷いた。

 これを聞くと、どのみちこの仕事は田中に回ってきただろう。何せこれは遺体の状況が普通ではない。単に獣に襲われたのか、それとも人ではないナニカが襲ったのか。その判断は普通にはつかないだろう。そうなれば一度実績のある彼が適任と、坂本ならば判断したはずだ。
 そして当然、そこにヨリは含まれる。魔物と親しみ、魔物から物語を得ている怪異語りの語り部。ある意味魔物については玄人と思われているのだから。

「そして三日前、うちの下女が同じように亡くなりました」
「えっ」

 静かに、だが悔しげに紡がれる言葉に坂本は絶句し、キョウは悲しそうな顔をする。その中でヨリだけは静かに座っていた。

「名は花江という娘でした。ですが、この娘が足抜けなど考えるはずもないのです。真面目で、朗らかな娘でした。皆に優しく笑顔を見せる娘でした」
「……失礼とは思いますが、誰かの嫉妬を受けたとか?」
「ありません。この娘は座敷には基本上がらないし、上がる時には頭巾を被ります。遊女ではないのです」
「それは、何故でしょう?」

 ヨリの問いかけに、信右衛門は少し言葉に詰まる。だが直ぐに口を開いた。

「痣者だったのです。口元から頬にかけ、大きく赤い痣がありました。そのような娘を遊女として座敷に上げる事はありませんが、店は遊女ばかりで成り立つ訳ではありません。炊事に洗濯、他の娘達の支度の手伝いに買い物に荷物持ち。座敷だって遊女ばかりの場所ではありません。花江は三味線が上手く、花魁は必ず彼女に三味線を弾かせました。努力家の彼女はどの娘からも可愛がられた子だったのです。それに、あと二年もすれば年期も明ける予定でした」
「では、危険を冒して抜ける理由もないか」

 田中の言葉に信右衛門は深く頷き、グッと涙を堪えるように手を握る。多くの娘を預かる店の主人としては個人的に、大変気に入っていた様子だった。

「特別でしたか?」
「……まぁ、多少は。幼い頃から面倒を見ていますが、座敷に上がり男を知ると娘達は徐々に変わるものです。その中で花江は幼い頃から変わらぬ、屈託のない笑顔を見せてくれる娘でした。一番に可愛がった美花花魁など、自分の名より一字を彼女に付けるくらいでした。見栄えこそ悪かったものの、よい子だったのです」

 その心に偽りはないように感じる。それはまるで子を思う父のような、そんな愛情だったのだろう。

「亡くなって三日となれば、まだご遺体は?」
「はい、地下室に置いてございます。可哀想で直ぐにどうにかしてやりたいと思ったのですが、事件の解決に役立てるかもしれないと思い」
「感謝する、主人。ではこれから直ぐに検分を致そう。早く解決して、弔ってやりたい」

 言うが早いか、田中は立ち上がって主人を促す。ヨリも、キョウも立ち上がってついて行く。そうして向かったのは店の地下にある、ひやりと冷たい地下室だった。



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 夜闇に浮かぶ不夜城の煌々と灯る光を見つめている。華やかな蝶が主役のこの場所でまさか語る日が来ようとは思わなかった。
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 ゆっくりと着物を整えつつ立ち上がると、一人の少女がスッと手を差し伸べてくれる。盲目の者に対する気遣いは有り難いが、ヨリはその少女にスッと手を上げ微笑みかけた。
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「そうなのですか?」
 恐らく禿なのだろう。声は幼く愛らしい。頭の位置も低いように思う。労るようにその頭をぽんぽんと撫で、ヨリはゆっくりと舞台を降りて同行者達の元へと戻った。
「また新しい話を仕入れてきたか、ヨリ」
「しばらく旅をして参りましたから」
 声を掛けられ酒を注がれ、それを受けたヨリは隣の田中を見る。
「田中様、それよりも説明がまだでございますが」
「あぁ……そうであったな」
 三味線の音が曲を奏で始める。恐らく舞台では遊女が美しい舞いを舞っているだろう。ヨリの目には映らないが、人が動く気配はしっかりと分かっている。
 ここは遊郭、眠らぬ都。華やかな蝶が舞い、一晩で愛憎が生まれる場所。あまりに艶やかなこの町は不似合い過ぎて少々肩身が狭い。居心地の悪さも多少感じながら、ヨリは隣の人物からの説明を待った。
 それというのも昨日の事。丁度田中の居る祥の都へと差し掛かった頃の話だ。
 今回は田中の所へ寄ろうかどうか、そんな事をキョウと話していた矢先の事。突如声をかけられたヨリはそのまま田中に「丁度良かった。一緒に来てくれ」と半ば攫われるように馬に乗せられ、あれよあれよという間にこの遊郭へと連れてこられたのだ。
 その間説明はなく、ただ一言「坂本様からの頼みなんだ」としか言わない。いい加減何事なのかを聞いても良い頃合いだ。
 田中は都合の悪い顔をして頬をぽりぽりと掻いている。ヨリの隣に座るキョウもどうしたらいいのか分からずオロオロしている。この男こそ周囲にこれほどの女人がいた例しがない。つまり免疫もないだろう。先程から綺麗な遊女が酌をしているが、固まったままでいる。
「実は、何やらこの界隈で怪事件が起こっているらしくてな。この菊屋に立ち寄った坂本様が主人から話を聞き、ならばと私とお前達を勝手に紹介してしまったらしい」
「なるほど、貴方も等しくとばっちりを受けたわけですね」
 それでも田中は坂本の忠臣、上司の命ならば仕方がない。
 だがヨリは誰の臣でもないはずなのだが。
 まぁ、結ばれた縁故だろう。強引なお人好しには困ったものだが、どうして憎めないのも坂本という御仁の特性である。ここは一つ、頼まれてみようか。
 それに、怪事件というのも気にはかかる。彼の御仁が勧めたとあれば、恐らくそれは魔物に関わるのだろうから。
 田中は困った顔をするばかりだが、これはほぼ肯定しているに等しいものに思えた。
「して、怪事件とは?」
「それについては宴席の後、ここの主人から直接聞くことになっている。どうにも扱いが難しく困り果てているらしい。あと、事件だ」
「ってことは、人が犠牲になってるんですか?」
 ひょいと顔を出したキョウが田中を見て問う。それに、田中は静かに頷いた。
「まぁ、そういうことだ。酒の席で血生臭い話はなしとしよう。せっかく美味い酒と綺麗な女性がいるのだからな」
 三味線の音が止み、人が近づく気配がある。直ぐ隣に女性がついて酌をしてくれる。化粧の臭いに香の臭い。それらはヨリの感覚を多少狂わせるがそれも少しの事。
 今はこの非日常を楽しむ事とし、有り難く歓待に預かる事とした。
◇◆◇
 宴もたけなわとなり、店の主人が挨拶をして遊女達は下がった。ヨリ達三人も場所を移し、多少静かな主人の部屋へと招かれた。
「改めまして、菊屋主人の信右衛門と申します」
 四十を過ぎた貫禄と落ち着きのある鳶色髪の男が丁寧に挨拶をする。それに田中が応じ、こちら側三人を順に紹介した。
「私が坂本義尚様より此度の件を預かった、田中幸正だ。こちらが語り部のヨリと、その用心棒のキョウ」
 それぞれ紹介され、軽く会釈をする。信右衛門の視線がふとヨリに止まる。ジッと見つめる視線の強さに多少疑問はあるが、微笑みかければぱっとそれも外れた。
「坂本様より、何やらこちらで怪事件が起こっていると聞いている。だが、詳細についてはこちらで聞けと言われているのだ。主人、一体何が起こっている」
「はい。何……と、申しますか。大変言いにくい事にございますし、私どもも何が起こっているのか分からないのです。一先ず、起こっている事を順を追ってお伝えいたします」
 そう前置きをして、信右衛門はゆっくりと語り出した。
「最初は、足抜けだと思ったのです」
「足抜け?」
 キョウが首を傾げて問い返す。それに主人は一つ頷いた。
「年期の明けぬ遊女が逃げる事を、足抜けと申します。起こったのは大店の天満屋さんで、逃げた遊女はお宮という者でした」
「足抜けなら探しただろ」
「勿論。分かって直ぐに男衆がくまなく探しましたが、町にはいない。大門の番に聞いてもそのような娘はいなかったと言っている。随分上手い事をやったと思い周囲の林まで探す手を伸ばしたのですが……そこで、死体となって見つかりました」
「え!」
 素直にキョウが声を上げる。だが田中もヨリもただ静かに黙した。
 遊女の足抜けは容易ではなく、知れれば追っ手がかかる。大抵の娘は幼い頃に買われてくる。その買われたお代分などを稼いで返せねば年期が明けない。
 額は膨大。だが返してしまえば自由の身となる。が、それが明ける前に逃げて捕まれば折檻が待っていると聞いている。大変厳しい世界なのだ。
「自害か?」
「いえ。酷い有様でした。まるで獣に襲われたように全身ボロボロで。逃げ惑ったのか草履も履いておりませんで」
「確かにそれは妙だな」
「自害と言うなら、分かるのですがね」
 足抜けする遊女の理由は様々だが、大抵は春を売る仕事に疲れ果てたか、道ならぬ恋に溺れたかだ。一時の激情によって間違いを犯したものの、後で後悔する者もある。辛く苦しい折檻を受けるくらいならと儚む者もあると聞く。
 が、どうやらお宮はそうではなさそうだ。
「これが、二ヶ月程前の事でございます。こうした事はあまり表に出したくないと、天満屋さんは事件をただの足抜けとして店で葬式を出し、世話になっている寺に合葬しました」
「そうだろうな」
「ですが、事件はこれで終わらなかったのです。二件目はこれより半月後、こちらも大店の桜屋さんの美鈴という遊女が同じように消え、翌日林の中で」
 流石に二件目ともなれば気味の悪さもあるだろう。だがそれでも世間体や商売を考え、桜屋の主人も事を大きくする事を避けたらしい。
 だが事件は更に半月後、雪ノ屋のお竹、二週間後に池屋の雛菊と続いた。
「流石にこれは何かあると思い、大きな店の主人が集まって一度役所に相談に行こうかと言っている最中、丁度良く坂本様がいらしたものですから」
「渡りに船だった、ということか」
 腕を組んで唸る田中に、信右衛門は申し訳なく頷いた。
 これを聞くと、どのみちこの仕事は田中に回ってきただろう。何せこれは遺体の状況が普通ではない。単に獣に襲われたのか、それとも人ではないナニカが襲ったのか。その判断は普通にはつかないだろう。そうなれば一度実績のある彼が適任と、坂本ならば判断したはずだ。
 そして当然、そこにヨリは含まれる。魔物と親しみ、魔物から物語を得ている怪異語りの語り部。ある意味魔物については玄人と思われているのだから。
「そして三日前、うちの下女が同じように亡くなりました」
「えっ」
 静かに、だが悔しげに紡がれる言葉に坂本は絶句し、キョウは悲しそうな顔をする。その中でヨリだけは静かに座っていた。
「名は花江という娘でした。ですが、この娘が足抜けなど考えるはずもないのです。真面目で、朗らかな娘でした。皆に優しく笑顔を見せる娘でした」
「……失礼とは思いますが、誰かの嫉妬を受けたとか?」
「ありません。この娘は座敷には基本上がらないし、上がる時には頭巾を被ります。遊女ではないのです」
「それは、何故でしょう?」
 ヨリの問いかけに、信右衛門は少し言葉に詰まる。だが直ぐに口を開いた。
「痣者だったのです。口元から頬にかけ、大きく赤い痣がありました。そのような娘を遊女として座敷に上げる事はありませんが、店は遊女ばかりで成り立つ訳ではありません。炊事に洗濯、他の娘達の支度の手伝いに買い物に荷物持ち。座敷だって遊女ばかりの場所ではありません。花江は三味線が上手く、花魁は必ず彼女に三味線を弾かせました。努力家の彼女はどの娘からも可愛がられた子だったのです。それに、あと二年もすれば年期も明ける予定でした」
「では、危険を冒して抜ける理由もないか」
 田中の言葉に信右衛門は深く頷き、グッと涙を堪えるように手を握る。多くの娘を預かる店の主人としては個人的に、大変気に入っていた様子だった。
「特別でしたか?」
「……まぁ、多少は。幼い頃から面倒を見ていますが、座敷に上がり男を知ると娘達は徐々に変わるものです。その中で花江は幼い頃から変わらぬ、屈託のない笑顔を見せてくれる娘でした。一番に可愛がった美花花魁など、自分の名より一字を彼女に付けるくらいでした。見栄えこそ悪かったものの、よい子だったのです」
 その心に偽りはないように感じる。それはまるで子を思う父のような、そんな愛情だったのだろう。
「亡くなって三日となれば、まだご遺体は?」
「はい、地下室に置いてございます。可哀想で直ぐにどうにかしてやりたいと思ったのですが、事件の解決に役立てるかもしれないと思い」
「感謝する、主人。ではこれから直ぐに検分を致そう。早く解決して、弔ってやりたい」
 言うが早いか、田中は立ち上がって主人を促す。ヨリも、キョウも立ち上がってついて行く。そうして向かったのは店の地下にある、ひやりと冷たい地下室だった。