第3話
ー/ー 日和は自転車を止めて、商店街の奥に目をやった。
花屋があった。
シャッターが半分だけ開いていて、入口に鉢植えが数個並んでいた。その前に、若い女性が立っていた。二十代の前半くらいだろうか。薄手のジャケットに、細いスラックス。両手を前で重ねて、ただそこに立っていた。動かなかった。
日和は自転車をゆっくり押して、近づいた。
シャッターに、白い紙が貼ってある。
『 長年のご愛顧ありがとうございました。十一月末をもちまして、閉店いたします。』
女性は、その紙を読んでいるのか、読んでいないのか、わからなかった。ただ、花屋のシャッターを、まっすぐに見ていた。
風が一度、商店街を抜けた。鉢植えの葉が揺れて、また静かになった。
日和には、女性が泣くかどうか、わからなかった。泣きそうな波長は、確かにそこにあった。でも、泣けない人というのもいる。
悲しみが大きすぎて、涙の形にならない。雨雲が厚く重くなりすぎて、かえって降れなくなることがあるように。
この人にとって、この花屋は何だったのだろう。
毎週花を買いに来ていたのか。子どもの頃から知っていた店なのか。あるいは、もっと個人的な、何かがあったのか。
わからなかった。わからないまま、日和は傘を一本、女性の隣に止まっていた自転車のかごに、そっと置いた。
女性は気づいていなかった。
日和は少し離れた場所に移動して、自転車のそばに立った。見ているわけではなかった。ただ、気配だけを感じていた。商店街の奥で、豆腐屋の老婦人が店先に出てきた。遠くで子どもの声がした。風がまた一度、通り過ぎた。
ー*ー
しばらくして、女性が動いた。
小さく息を吐くような仕草をして、それから隣の自転車のかごに目を落とした。傘を見た。
きょろきょろと周りを見回した。日和はすでに角を曲がっていた。
日和は角の陰から、空気を読んだ。
悲しみの波長は、まだそこにあった。薄れてはいなかった。でも、その中に、何か別のものが混じっていた。温もり、と呼ぶほど明確なものではない。ただ、波長の形が、少しだけ変わっていた。尖っていたものが、わずかに丸くなったような。
傘を見つけたことで、誰かがここにいたと知った。それだけのことだった。それだけのことが、何かを変えた。
日和は自転車にまたがって、次の場所に向かった。
商店街を抜けるとき、花屋の前をもう一度通った。女性は、もうそこにいなかった。鉢植えだけが、秋の光の中で静かに並んでいた。
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