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第2話

ー/ー



 今の町は、穏やかだった。

 雨の日より、晴れの日の方が多い。

 魚屋のおじさんが、店先で木箱を積み直しながら日和に気づいた。軽く顎をしゃくるような挨拶をした。日和も頭を下げた。

「今日は降りそうか」

 おじさんはいつもそう聞く。気象の雨ではなく、感情の雨の話だとわかって聞いている。

「昼過ぎに少し」と日和は答えた。

「そうか」おじさんは木箱を一つ、丁寧に重ねた。「気をつけてやってくれ」

 気をつけてやってくれ、という言葉が、日和は好きだった。傘を届けることを、おじさんはそう呼ぶ。心配する、でも、頑張れ、でもなく、ただ、気をつけてやってくれ。それだけで十分だと、日和はいつも思う。


 自転車を止めて、商店街の空気を吸った。

 雨が降る前の空気と、降った後の空気は、少し違う。前者は少し張り詰めていて、後者は少し緩んでいる。今はまだ前者だった。昼まで間がある。日和はもう一度深く息を吸って、また自転車にまたがった。


   ー*ー


 午前中は、予報通り穏やかだった。

 公園のベンチに傘を一本置いた。老人がよく座っているベンチで、今日は誰もいなかった。夕方に薄い青の霧が出る予報があった。

強い雨ではない。でも、傘があれば、その人の寂しさが少しだけ、雨に濡れずに済むかもしれない。

 昼前に、パン屋に寄った。

 店主の女性は三十代で、よく笑う人だった。クロワッサンとコーヒーを頼んで、カウンターの端の席に座る。背もたれに引っ掛けたリュックから傘がはみ出した。

「今日は傘、多いね」

「昼過ぎに少し降りそうで」

「感情の雨って、普通の傘で防げるの?」

「防げないんですけど」と日和は言った。「でも、傘を持っていると、少し安心しませんか」

 店主は少し考えた。

「子どもの頃、傘を持って出ると、雨が降っても怖くなかった気がする」

「そういうことです」

 クロワッサンはバターの香りがして、食べると少し温かかった。窓の外の空は、まだ晴れていた。雨雲はまだ遠い。でも日和には、もう匂いがわかっていた。今日の昼過ぎの雨は、来る。


 ー*ー


 午後一時を少し過ぎた頃、日和は商店街に戻った。

 空気が変わっていた。

気象の変化ではない。音でも、温度でもない。うまく言葉にできないが、空気の中の何かが、重くなっていた。低い、静かな波長。

悲しみが近くにある、というより、悲しみが今ここで生まれようとしている、そういう感触だった。





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 今の町は、穏やかだった。
 雨の日より、晴れの日の方が多い。
 魚屋のおじさんが、店先で木箱を積み直しながら日和に気づいた。軽く顎をしゃくるような挨拶をした。日和も頭を下げた。
「今日は降りそうか」
 おじさんはいつもそう聞く。気象の雨ではなく、感情の雨の話だとわかって聞いている。
「昼過ぎに少し」と日和は答えた。
「そうか」おじさんは木箱を一つ、丁寧に重ねた。「気をつけてやってくれ」
 気をつけてやってくれ、という言葉が、日和は好きだった。傘を届けることを、おじさんはそう呼ぶ。心配する、でも、頑張れ、でもなく、ただ、気をつけてやってくれ。それだけで十分だと、日和はいつも思う。
 自転車を止めて、商店街の空気を吸った。
 雨が降る前の空気と、降った後の空気は、少し違う。前者は少し張り詰めていて、後者は少し緩んでいる。今はまだ前者だった。昼まで間がある。日和はもう一度深く息を吸って、また自転車にまたがった。
   ー*ー
 午前中は、予報通り穏やかだった。
 公園のベンチに傘を一本置いた。老人がよく座っているベンチで、今日は誰もいなかった。夕方に薄い青の霧が出る予報があった。
強い雨ではない。でも、傘があれば、その人の寂しさが少しだけ、雨に濡れずに済むかもしれない。
 昼前に、パン屋に寄った。
 店主の女性は三十代で、よく笑う人だった。クロワッサンとコーヒーを頼んで、カウンターの端の席に座る。背もたれに引っ掛けたリュックから傘がはみ出した。
「今日は傘、多いね」
「昼過ぎに少し降りそうで」
「感情の雨って、普通の傘で防げるの?」
「防げないんですけど」と日和は言った。「でも、傘を持っていると、少し安心しませんか」
 店主は少し考えた。
「子どもの頃、傘を持って出ると、雨が降っても怖くなかった気がする」
「そういうことです」
 クロワッサンはバターの香りがして、食べると少し温かかった。窓の外の空は、まだ晴れていた。雨雲はまだ遠い。でも日和には、もう匂いがわかっていた。今日の昼過ぎの雨は、来る。
 ー*ー
 午後一時を少し過ぎた頃、日和は商店街に戻った。
 空気が変わっていた。
気象の変化ではない。音でも、温度でもない。うまく言葉にできないが、空気の中の何かが、重くなっていた。低い、静かな波長。
悲しみが近くにある、というより、悲しみが今ここで生まれようとしている、そういう感触だった。