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第19話 不誠実な婚姻譚

ー/ー



 寺に滞在して二日目の日中、ヨリを訪ねたのは齢七十は過ぎるかという小柄な老僧であった。腰は僅かに曲がり、目も見えているのか定かではない。だが何かを悟っているような、そんな穏やかさと存在感のある人だった。

「初めまして、語り部ヨリ殿。儂は仁生寺という寺で住職をしておった、相良という者ですじゃ」
「初めまして、相良和尚。語り部のヨリと申します」

 仏の見守るお堂の中で互いに向き合い深々と礼をする。ヨリの隣にはキョウが、相良の隣にはサクがついていた。
 しわくちゃの顔がヨリをジッと見つめる。白い長尾のような眉の下から小さな目がこちらを見つめている。そして不意に、ふぉ、ふぉと笑った。

「なるほど、人外のそれとは此奴から聞いておりましたが、なるほどなるほど。どうしてこれは人とは離れた何かでしょうか。魔ではないが、人でもない」
「御坊は何かを感じる方ですか?」
「人より少し敏感という程度じゃよ。仏はなかなかお力など貸してくれんものでな。おかげで、救ってやりたい人一人、送ってやることもできんのじゃ」

 そう、寂しそうに相良は笑った。
 程なく茶が出され、相良は喉を潤すように一口飲んで息を吐いた。

「さて、何から話そうかの。まぁ、だが始めから語らにゃならん気もする」
「どうぞ、ゆっくり聞かせてください」
「よいのかの? 爺の話は長いと相場が決まっておるが」
「話を聞くのも語り部の糧。何日でも」
「ほほっ、よい気構えじゃ。では、話そうかの」

 そう言って、相良は更にもう一口茶を飲み込んだ。

「これは、儂のいた田舎の習わしじゃ」

 そう切り出した相良の声はまるで説法を説くときのような独特の空気を纏う。思えばこの人もその語りで仏の道を説いてきた人。自然、ヨリもキョウも背が伸びた。

「ここより二つ隣の村じゃ、婚姻の儀式というものが行われておってな」
「婚姻の儀式? 吉日でも占うのですか?」
「いんや。その結婚が上手く行くかどうかを占うのじゃよ」

 老人の見えない目がスッとこちらを見たような気がする。その迫力はなかなかのもので、キョウは一瞬息を飲んだ。

「結婚を考えている家が、良い相手を選び願をかけて陶器の皿を焼く。その皿に酒を入れて下から火を焚き、割れなければその結婚は吉であると」
「あぁ、なるほど」

 わりとある占いだ。皿が割れなかったので良縁であると思いたいのだろう。ヨリからすればとんだ茶番と思えるのだが、こうしたもので安心したい者がいるのも知っている。目に見えない何かの思し召しとやらに縋りたいのだ。

「さて、ここに困った息子を抱えた庄屋がおった。その息子はとにかく女癖が悪く、幾人もの女を取っ替え引っ替えしている。いい加減跡を継がせたいと思っていた庄屋は神主にこれを相談し、ならば娘はどうかと話を持ちかけた。
この神主の娘は大層美しい娘でな、名は静乃という。男より五つ年下であったがしっかりした、真面目で誠実な娘さんじゃった」
「それって、上手くいくんですか?」

 思わずキョウが挙手して問う。まぁ、気持ちは分からなくもない。
 相良は笑うように肩を上下させ、首を横に振った。

「当然、上手くなど行くはずがない。男は静乃の顔は好いたが、遊びもなく真面目すぎる彼女に早々に愛想を尽かして遊び歩く事を止めなかった。それでも庄屋は真面目な静乃が子でも産んでくれれば、後はその子を当主として育てるつもりだったんじゃろう。
そこで結婚前夜、結婚の儀が執り行われた」
「結果は?」

 ヨリの問いに、相良は静かに首を横に振った。

「十枚の皿を用意して、全てが割れてしまった。こんなことは本来ありえない。皿は神社の土を使って専門の職人が丈夫に焼き上げておる。滅多に割れる事もないし、時に割れてしまったとしても十枚全てなんてことはあり得ないものじゃった。
やはりこの婚姻は止めた方が良いのでは。そんな空気はあったものの、既に式の前日。ここで止めれば庄屋の顔は丸つぶれとなり、神社も結納の品を返さなければならなくなる。結局神の意に反して、二人は祝言の運びとなったんじゃ」

 愚かしいと思う反面、こうした生き方を選んだヨリは目に見えないモノを信じている。いや、この目は人ならざる者しか映さない。だからこそ、誰よりもその存在の確かさは理解している。
 未だ神や仏に出会った事はないが、これだけ凶と出ているのだからそこに何かしらの意志はあったのだろうに。

「結婚は成立したのですか?」
「形だけじゃがの。破談にすれば家を継ぐどころか勘当だと言われれば、どんなドラ息子も多生言うことを聞くもんじゃて。
だが、それまでよ。結婚して、静乃は夫婦であろうとした。だがドラ息子はそれを拒み、彼女をほっぽって遊び歩く。仕舞には家の金をくすねて姿を消してしまった。
庄屋も程々愛想が尽きたようでな、ドラ息子を勘当して遠縁から養子を取ることにした。そして静乃には離縁して構わない。詫び賃も払うと頭を下げた。
だが静乃は離縁せず、離れの端に部屋を貰いそこで庄屋の家を手伝った。嫁として、正しくあろうとしたのだろうの。
だが、心労は思いのほか重かったのじゃろう。数年で大病を患い、その一年後には亡くなった」

 相良の話にキョウはしょんぼりと項垂れ、サクは小さく舌打ちをする。その中、ヨリと相良だけが互いに静かであった。

「その頃ドラ息子は花街に身を寄せていた。そこで出会った元遊女のお鶴という女と懇ろになっておった。この娘、大層派手な美人じゃったが性根の腐った売女だったんじゃが、お互い様で似合いではあった」

 酷く蔑む様子の相良に僅かに違和感がある。が、今は静かにそれを聞いている。ヨリは敢えて感情は見せず、淡々とそれらを記憶していった。

「そこに静乃の死が伝えられ、ドラ息子は意気揚々とお鶴を連れて実家へと帰る事とした。この時お鶴の腹は大きく、当人は息子の種だと言い張ったが実際の所は分かりはしない。が、息子も子があれば両親も大目に見てくれるだろうと言って大手を振って馬車に乗った。
じゃが、恐ろしい出来事はここから始まった」

 スッと空気が少し重くなる。重々しい様子を作る相良のそれは語り部から見ても見事だった。単純に話として良く、声音や空気も作る。この御坊こそ語り部をすればよいのにと思ってしまった。

「帰りの馬車に揺られること数刻、突然女が苦しみだした。青い顔をして喉を引っ掻き、苦しみ悶える間に口から泡を吹いて白目を剥いて絶命してしまった。その余りの苦しみようは見ている者を恐怖させるに十分だった。そして、女の口からは割れた陶器の皿が出てきた。
息子は半狂乱となって近くの寺に駆け込み、洗いざらい話して聞かせる。それを聞いた住職はまず男を叱責したあとで、札を四枚書いてこう言った。
『離れた堂を一つ貸そう。その部屋の四隅にこれらの札を貼って締め切り、一晩亡き奥方へ謝罪と、冥福を祈ることだ。その間、決して戸を開けてはならん』
と。男は直ぐにそれらを行い震えながらも静乃に謝り続けた」

 今更謝罪など届かないだろうに。思うのだが、追い詰められた者は藁にも縋るものだ。

「だが翌朝、息子はお堂の中で泡を吹いて死んでいた。のたうつ様子の見える荒れた部屋には割れた陶器の皿が、やはり落ちていた」

 ここで一息ついたのか、相良は口を潤すように茶を啜る。それと同時に空気は幾分軽くなった。

「自らを蔑ろにした二人に復讐した静乃は魔物と化したのだろう。それ以来、寺の門から離れたお堂へ向かう女の姿が目撃されるようになった。住職は哀れに思い静乃の菩提を弔っていたが、未だに現れている」
「私に鎮めてもらいたいというのは、この静乃なのですね?」

 問いかけに、相良は静かに頷いて頭を下げた。

「これが最期の未練ですじゃ。どうぞ、よろしくお願いします」

 小さな体を丸めた相良を見て、ヨリはしっかりと頷いた。

◇◆◇

 この日は既に日も傾いているからと、相良を寺に泊める事となった。
 近くの湯屋へと向かったサクとヨリは互いに言葉が少ない。ヨリ一人ならばこの状況も頷けるのだが、話し好きなサクが静かというのは些か気持ちの悪いものだった。
 体を洗い、湯へと浸かる。幸い時間が早いおかげで人はまばらだった。
 隣り合い、湯に浸かる二人はこの時も静かなものだ。特にサクは何かを考え込んでいる。それを見て、ヨリは小さく息をついた。

「今更何かを思い悩んだとて、詮無きことだと思いますよ」

 静かな声を聞いていない訳がない。だがサクは視線を向ける事はせず、ただ息を吐いた。

「分かっているがな。あまりに哀れだ」
「そうですね」
「どうする?」
「見なければなんとも。私にしてやれる事はその者の思いを知り、そこを満たす物語を語り憂いや悲しみを癒してやることのみです。その後どうなるかは状況次第でしょう」
「行き当たりばったりが過ぎやしないか? 魔物相手に」
「そうでしょうね。ただ、その時はその時でしょう」

 そう、心より思っている事が既に何かの狂い始めなのかもしれない。己の命よりも好奇心を優先し、危険を冒すことを厭わなくなった時から人は死に片足を突っ込んでいるのかもしれない。

 サクは嫌な顔をする。人情家でお節介で苦労人なこの人は、こんな捻くれた弟子を相手にも心を砕き悲しんでくれる。そうした部分に、救われている。

「まぁ、簡単にくたばってやる気はございません。そうなれば我ら、祟り神も真っ青な御霊とでもなり恨み辛みをとくとくと語って歩きましょう」
「止めろ、しゃれにならん!」

 いつもの調子で戻ってきたのを聞いて、ヨリはクスクスと笑う。そうしてしばし温かな湯に体を浸し、疲れた頭をゆっくりとふやけさせるのだった。


 戻り、夕餉を頂いてしばらく。お堂で寝るという相良の元をヨリは訪ねた。
 暗い中に一本の蝋燭の明かりだけがぼんやりと照らしている。そこに静かな読経が響いていた。
 小さな背は御仏の前ではシャンと伸びる。眠る前の習いなのだろう。それが終わるまで、ヨリは静かに背を見守った。
 やがてリィィィンという清浄な音が響き、一つ下がった相良が深く頭を下げるのを見て、ヨリはしずしずと近づいていく。あちらも気づいていたようで、向き直ってしわくちゃの顔に更に深く笑い皺を刻んだ。

「もう眠られますか?」
「いやぁ、まだしばらくは平気じゃ。ヨリ殿、どうかしたかね?」
「少しお話をと思いまして」

 近づき、板間に腰を下ろす。相良には敷いてある布団の上へと促してしばらく、相良の方から話しかけた。

「何やら聞きたいことでもあるかね?」
「……御坊、貴方は日中の話を直接、現場で体感した一人ですか?」

 ヨリに尋ねられ、相良は少し驚いた顔をする。だがそれほどの抵抗もなく肯定された。

「庄屋が跡取りにと縁組みした遠縁の子が儂じゃよ」
「おや。では、お家は?」
「しばらくは継いで、子にも恵まれた。ある程度歳を取ってやはり気がかりでな、とうとう仏門に入り静乃様の現れる寺に入ったんじゃよ」
「そうでしたか」

 これがまず始めの違和感だった。途中までは人づてに聞いたと思える様子だった。だが途中から見たように生々しい空気感で話をするものだから気になった。

「では、馬鹿息子に取り憑いた彼女を見たのですか?」
「それは見てはおらんでな。じゃが、その後は何度か目にした。寺の門からゆっくりと、夜の決まった時間に現れて離れた堂へと進んで行く。何も映さぬような目で、ただただ赴き堂を巡って、そのまま消えて行く。悲しげな顔でな。寺にこれといった害はないし、夜もかなり遅い時間から明け方。堂も使ってはおらんでな、坊主達もその時間外に出るなと言い含めておけば良いだけのこと。ただただ、静乃様が哀れでな」

 そう言ってしょぼくれて、丸い背を更に丸くするのを見ている。その姿をそっと、ヨリは両の目に映した。本来ならば映るはずのない相良の姿はこの妖の目に薄ぼんやりと像を結んだ。

「御坊」
「ん?」
「死期が、近いのではありませんか?」

 その問いかけに、相良は驚いたように顔を上げる。そしてそこで、白銀に光る月のような双眸を見た。

「なんと、静乃様と同じ目じゃ」
「これは魔物の目です。故に現を映さない。ですが御坊、貴方の姿はとても薄くこの目に映る。何度かこんなことがありましたがその大抵は命数僅かな者でした」
「なんと、そのような方法で見破られようとは。だがまぁ、この年ですと十分でしょう。寧ろ長く生きたほうじゃて」

 そう、少し寂しげに笑った。

「御坊、貴方の目に生前の静乃さんはどのように映りましたか?」

 ヨリは再び目を閉じて問う。こんなものを見ても相良はさして驚きもせず、拒む事もせずそこに座している。有り難く豪胆な老人は顎を撫で、次には嬉しそうな声で言った。

「綺麗な人じゃった。儂が養子に来たのは十三の頃でな。突然知らぬ土地に連れてこられて、大層不安な思いをした。その折、儂の面倒をよく見てくれたのが静乃様じゃったんじゃよ」
「惚れてらしたのですか?」
「初恋じゃ」

 隠すでも、恥じるでもない様子は何処か誇らしげにも思える。相良は何度も頷き、昔を懐かしむ様子でぼんやりと虚空を見た。

「儂が大人になって、家を継ぐ頃にはこの思いを伝えて夫婦にと思っていた矢先に大病を患い、そのまま亡くなってしもうた。ずっと心残りでの。儂はあの方の寂しさや悔しさや悲しさを癒してやることが出来なかった」

 埋もれた小さな目に、僅かに光る涙の粒が皺だらけの頬を落ちていく。それを聞いて、ヨリはそっと手拭いを差し出した。受け取る相良は心底不思議そうにしているが、最終的には受け取って笑った。

「これが本当に、儂の最期の心残りじゃ。あの人を永劫の苦しみより救ってやりたい。もう、あの方が殺したいほど憎い相手はおらんでな」
「左様ですね」

 しんと静かな夜の、それは悲しい恋の話であった。



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次のエピソードへ進む 第20話 怪談、仁生寺心中


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 寺に滞在して二日目の日中、ヨリを訪ねたのは齢七十は過ぎるかという小柄な老僧であった。腰は僅かに曲がり、目も見えているのか定かではない。だが何かを悟っているような、そんな穏やかさと存在感のある人だった。
「初めまして、語り部ヨリ殿。儂は仁生寺という寺で住職をしておった、相良という者ですじゃ」
「初めまして、相良和尚。語り部のヨリと申します」
 仏の見守るお堂の中で互いに向き合い深々と礼をする。ヨリの隣にはキョウが、相良の隣にはサクがついていた。
 しわくちゃの顔がヨリをジッと見つめる。白い長尾のような眉の下から小さな目がこちらを見つめている。そして不意に、ふぉ、ふぉと笑った。
「なるほど、人外のそれとは此奴から聞いておりましたが、なるほどなるほど。どうしてこれは人とは離れた何かでしょうか。魔ではないが、人でもない」
「御坊は何かを感じる方ですか?」
「人より少し敏感という程度じゃよ。仏はなかなかお力など貸してくれんものでな。おかげで、救ってやりたい人一人、送ってやることもできんのじゃ」
 そう、寂しそうに相良は笑った。
 程なく茶が出され、相良は喉を潤すように一口飲んで息を吐いた。
「さて、何から話そうかの。まぁ、だが始めから語らにゃならん気もする」
「どうぞ、ゆっくり聞かせてください」
「よいのかの? 爺の話は長いと相場が決まっておるが」
「話を聞くのも語り部の糧。何日でも」
「ほほっ、よい気構えじゃ。では、話そうかの」
 そう言って、相良は更にもう一口茶を飲み込んだ。
「これは、儂のいた田舎の習わしじゃ」
 そう切り出した相良の声はまるで説法を説くときのような独特の空気を纏う。思えばこの人もその語りで仏の道を説いてきた人。自然、ヨリもキョウも背が伸びた。
「ここより二つ隣の村じゃ、婚姻の儀式というものが行われておってな」
「婚姻の儀式? 吉日でも占うのですか?」
「いんや。その結婚が上手く行くかどうかを占うのじゃよ」
 老人の見えない目がスッとこちらを見たような気がする。その迫力はなかなかのもので、キョウは一瞬息を飲んだ。
「結婚を考えている家が、良い相手を選び願をかけて陶器の皿を焼く。その皿に酒を入れて下から火を焚き、割れなければその結婚は吉であると」
「あぁ、なるほど」
 わりとある占いだ。皿が割れなかったので良縁であると思いたいのだろう。ヨリからすればとんだ茶番と思えるのだが、こうしたもので安心したい者がいるのも知っている。目に見えない何かの思し召しとやらに縋りたいのだ。
「さて、ここに困った息子を抱えた庄屋がおった。その息子はとにかく女癖が悪く、幾人もの女を取っ替え引っ替えしている。いい加減跡を継がせたいと思っていた庄屋は神主にこれを相談し、ならば娘はどうかと話を持ちかけた。
この神主の娘は大層美しい娘でな、名は静乃という。男より五つ年下であったがしっかりした、真面目で誠実な娘さんじゃった」
「それって、上手くいくんですか?」
 思わずキョウが挙手して問う。まぁ、気持ちは分からなくもない。
 相良は笑うように肩を上下させ、首を横に振った。
「当然、上手くなど行くはずがない。男は静乃の顔は好いたが、遊びもなく真面目すぎる彼女に早々に愛想を尽かして遊び歩く事を止めなかった。それでも庄屋は真面目な静乃が子でも産んでくれれば、後はその子を当主として育てるつもりだったんじゃろう。
そこで結婚前夜、結婚の儀が執り行われた」
「結果は?」
 ヨリの問いに、相良は静かに首を横に振った。
「十枚の皿を用意して、全てが割れてしまった。こんなことは本来ありえない。皿は神社の土を使って専門の職人が丈夫に焼き上げておる。滅多に割れる事もないし、時に割れてしまったとしても十枚全てなんてことはあり得ないものじゃった。
やはりこの婚姻は止めた方が良いのでは。そんな空気はあったものの、既に式の前日。ここで止めれば庄屋の顔は丸つぶれとなり、神社も結納の品を返さなければならなくなる。結局神の意に反して、二人は祝言の運びとなったんじゃ」
 愚かしいと思う反面、こうした生き方を選んだヨリは目に見えないモノを信じている。いや、この目は人ならざる者しか映さない。だからこそ、誰よりもその存在の確かさは理解している。
 未だ神や仏に出会った事はないが、これだけ凶と出ているのだからそこに何かしらの意志はあったのだろうに。
「結婚は成立したのですか?」
「形だけじゃがの。破談にすれば家を継ぐどころか勘当だと言われれば、どんなドラ息子も多生言うことを聞くもんじゃて。
だが、それまでよ。結婚して、静乃は夫婦であろうとした。だがドラ息子はそれを拒み、彼女をほっぽって遊び歩く。仕舞には家の金をくすねて姿を消してしまった。
庄屋も程々愛想が尽きたようでな、ドラ息子を勘当して遠縁から養子を取ることにした。そして静乃には離縁して構わない。詫び賃も払うと頭を下げた。
だが静乃は離縁せず、離れの端に部屋を貰いそこで庄屋の家を手伝った。嫁として、正しくあろうとしたのだろうの。
だが、心労は思いのほか重かったのじゃろう。数年で大病を患い、その一年後には亡くなった」
 相良の話にキョウはしょんぼりと項垂れ、サクは小さく舌打ちをする。その中、ヨリと相良だけが互いに静かであった。
「その頃ドラ息子は花街に身を寄せていた。そこで出会った元遊女のお鶴という女と懇ろになっておった。この娘、大層派手な美人じゃったが性根の腐った売女だったんじゃが、お互い様で似合いではあった」
 酷く蔑む様子の相良に僅かに違和感がある。が、今は静かにそれを聞いている。ヨリは敢えて感情は見せず、淡々とそれらを記憶していった。
「そこに静乃の死が伝えられ、ドラ息子は意気揚々とお鶴を連れて実家へと帰る事とした。この時お鶴の腹は大きく、当人は息子の種だと言い張ったが実際の所は分かりはしない。が、息子も子があれば両親も大目に見てくれるだろうと言って大手を振って馬車に乗った。
じゃが、恐ろしい出来事はここから始まった」
 スッと空気が少し重くなる。重々しい様子を作る相良のそれは語り部から見ても見事だった。単純に話として良く、声音や空気も作る。この御坊こそ語り部をすればよいのにと思ってしまった。
「帰りの馬車に揺られること数刻、突然女が苦しみだした。青い顔をして喉を引っ掻き、苦しみ悶える間に口から泡を吹いて白目を剥いて絶命してしまった。その余りの苦しみようは見ている者を恐怖させるに十分だった。そして、女の口からは割れた陶器の皿が出てきた。
息子は半狂乱となって近くの寺に駆け込み、洗いざらい話して聞かせる。それを聞いた住職はまず男を叱責したあとで、札を四枚書いてこう言った。
『離れた堂を一つ貸そう。その部屋の四隅にこれらの札を貼って締め切り、一晩亡き奥方へ謝罪と、冥福を祈ることだ。その間、決して戸を開けてはならん』
と。男は直ぐにそれらを行い震えながらも静乃に謝り続けた」
 今更謝罪など届かないだろうに。思うのだが、追い詰められた者は藁にも縋るものだ。
「だが翌朝、息子はお堂の中で泡を吹いて死んでいた。のたうつ様子の見える荒れた部屋には割れた陶器の皿が、やはり落ちていた」
 ここで一息ついたのか、相良は口を潤すように茶を啜る。それと同時に空気は幾分軽くなった。
「自らを蔑ろにした二人に復讐した静乃は魔物と化したのだろう。それ以来、寺の門から離れたお堂へ向かう女の姿が目撃されるようになった。住職は哀れに思い静乃の菩提を弔っていたが、未だに現れている」
「私に鎮めてもらいたいというのは、この静乃なのですね?」
 問いかけに、相良は静かに頷いて頭を下げた。
「これが最期の未練ですじゃ。どうぞ、よろしくお願いします」
 小さな体を丸めた相良を見て、ヨリはしっかりと頷いた。
◇◆◇
 この日は既に日も傾いているからと、相良を寺に泊める事となった。
 近くの湯屋へと向かったサクとヨリは互いに言葉が少ない。ヨリ一人ならばこの状況も頷けるのだが、話し好きなサクが静かというのは些か気持ちの悪いものだった。
 体を洗い、湯へと浸かる。幸い時間が早いおかげで人はまばらだった。
 隣り合い、湯に浸かる二人はこの時も静かなものだ。特にサクは何かを考え込んでいる。それを見て、ヨリは小さく息をついた。
「今更何かを思い悩んだとて、詮無きことだと思いますよ」
 静かな声を聞いていない訳がない。だがサクは視線を向ける事はせず、ただ息を吐いた。
「分かっているがな。あまりに哀れだ」
「そうですね」
「どうする?」
「見なければなんとも。私にしてやれる事はその者の思いを知り、そこを満たす物語を語り憂いや悲しみを癒してやることのみです。その後どうなるかは状況次第でしょう」
「行き当たりばったりが過ぎやしないか? 魔物相手に」
「そうでしょうね。ただ、その時はその時でしょう」
 そう、心より思っている事が既に何かの狂い始めなのかもしれない。己の命よりも好奇心を優先し、危険を冒すことを厭わなくなった時から人は死に片足を突っ込んでいるのかもしれない。
 サクは嫌な顔をする。人情家でお節介で苦労人なこの人は、こんな捻くれた弟子を相手にも心を砕き悲しんでくれる。そうした部分に、救われている。
「まぁ、簡単にくたばってやる気はございません。そうなれば我ら、祟り神も真っ青な御霊とでもなり恨み辛みをとくとくと語って歩きましょう」
「止めろ、しゃれにならん!」
 いつもの調子で戻ってきたのを聞いて、ヨリはクスクスと笑う。そうしてしばし温かな湯に体を浸し、疲れた頭をゆっくりとふやけさせるのだった。
 戻り、夕餉を頂いてしばらく。お堂で寝るという相良の元をヨリは訪ねた。
 暗い中に一本の蝋燭の明かりだけがぼんやりと照らしている。そこに静かな読経が響いていた。
 小さな背は御仏の前ではシャンと伸びる。眠る前の習いなのだろう。それが終わるまで、ヨリは静かに背を見守った。
 やがてリィィィンという清浄な音が響き、一つ下がった相良が深く頭を下げるのを見て、ヨリはしずしずと近づいていく。あちらも気づいていたようで、向き直ってしわくちゃの顔に更に深く笑い皺を刻んだ。
「もう眠られますか?」
「いやぁ、まだしばらくは平気じゃ。ヨリ殿、どうかしたかね?」
「少しお話をと思いまして」
 近づき、板間に腰を下ろす。相良には敷いてある布団の上へと促してしばらく、相良の方から話しかけた。
「何やら聞きたいことでもあるかね?」
「……御坊、貴方は日中の話を直接、現場で体感した一人ですか?」
 ヨリに尋ねられ、相良は少し驚いた顔をする。だがそれほどの抵抗もなく肯定された。
「庄屋が跡取りにと縁組みした遠縁の子が儂じゃよ」
「おや。では、お家は?」
「しばらくは継いで、子にも恵まれた。ある程度歳を取ってやはり気がかりでな、とうとう仏門に入り静乃様の現れる寺に入ったんじゃよ」
「そうでしたか」
 これがまず始めの違和感だった。途中までは人づてに聞いたと思える様子だった。だが途中から見たように生々しい空気感で話をするものだから気になった。
「では、馬鹿息子に取り憑いた彼女を見たのですか?」
「それは見てはおらんでな。じゃが、その後は何度か目にした。寺の門からゆっくりと、夜の決まった時間に現れて離れた堂へと進んで行く。何も映さぬような目で、ただただ赴き堂を巡って、そのまま消えて行く。悲しげな顔でな。寺にこれといった害はないし、夜もかなり遅い時間から明け方。堂も使ってはおらんでな、坊主達もその時間外に出るなと言い含めておけば良いだけのこと。ただただ、静乃様が哀れでな」
 そう言ってしょぼくれて、丸い背を更に丸くするのを見ている。その姿をそっと、ヨリは両の目に映した。本来ならば映るはずのない相良の姿はこの妖の目に薄ぼんやりと像を結んだ。
「御坊」
「ん?」
「死期が、近いのではありませんか?」
 その問いかけに、相良は驚いたように顔を上げる。そしてそこで、白銀に光る月のような双眸を見た。
「なんと、静乃様と同じ目じゃ」
「これは魔物の目です。故に現を映さない。ですが御坊、貴方の姿はとても薄くこの目に映る。何度かこんなことがありましたがその大抵は命数僅かな者でした」
「なんと、そのような方法で見破られようとは。だがまぁ、この年ですと十分でしょう。寧ろ長く生きたほうじゃて」
 そう、少し寂しげに笑った。
「御坊、貴方の目に生前の静乃さんはどのように映りましたか?」
 ヨリは再び目を閉じて問う。こんなものを見ても相良はさして驚きもせず、拒む事もせずそこに座している。有り難く豪胆な老人は顎を撫で、次には嬉しそうな声で言った。
「綺麗な人じゃった。儂が養子に来たのは十三の頃でな。突然知らぬ土地に連れてこられて、大層不安な思いをした。その折、儂の面倒をよく見てくれたのが静乃様じゃったんじゃよ」
「惚れてらしたのですか?」
「初恋じゃ」
 隠すでも、恥じるでもない様子は何処か誇らしげにも思える。相良は何度も頷き、昔を懐かしむ様子でぼんやりと虚空を見た。
「儂が大人になって、家を継ぐ頃にはこの思いを伝えて夫婦にと思っていた矢先に大病を患い、そのまま亡くなってしもうた。ずっと心残りでの。儂はあの方の寂しさや悔しさや悲しさを癒してやることが出来なかった」
 埋もれた小さな目に、僅かに光る涙の粒が皺だらけの頬を落ちていく。それを聞いて、ヨリはそっと手拭いを差し出した。受け取る相良は心底不思議そうにしているが、最終的には受け取って笑った。
「これが本当に、儂の最期の心残りじゃ。あの人を永劫の苦しみより救ってやりたい。もう、あの方が殺したいほど憎い相手はおらんでな」
「左様ですね」
 しんと静かな夜の、それは悲しい恋の話であった。