朝①
ー/ー 日差しが眩しい。鳥の鳴き声が聞こえる。しかし視覚情報として日差しは入らず、左脳の知識としてこの眩しさは恐らく太陽から差し込むものだと推定している。また鳥の鳴き声も、こんな時間にないてるのは猫や犬以外で高い声なのは鳥ぐらいなのだろうと左脳が認識している。いや、果たしてこれは脳の反応としてはある意味情景描写であるため右脳を使用しているのだろうか。
このようなことは朝、実際に考えているわけではない、これは条件反射のようなものであり、実際は違うと言われても、ああそうだったの……となるまでの事。間違っていたからと言って、
何かが狂う訳では無い。
何かが壊れる訳では無い。
何かが砕け散る訳では無い。
何かが死に絶える訳では無い。
そう、朝とは誰にとってもそういう物。朝とは思考ではなく共感であると考える。そう、生きていくために朝はルーティンという名の反復作業に身を投じる必要があるからだ。しかし何事にも例外は存在する。その例外であるワタシはこのある意味、
けたたましく
たくましく
騒々しく
泣きわめく鳥たちの声を目覚ましのアラーム代わりにして目を覚ます。しかし覚醒と起床はイコールではない。共感が欲しいというわけではない。ただ、ああわかるわかるという気持ちがほしいのだが、目が覚めて、体を起こしたとしよう。仮にここでまたねてしまったとする。
不精者。
馬鹿者。
愚か者。
うつけ者。
至らない者。
くだらない者。
様々な意見があるかも知れない。が、誰しもその行為を一度もしたことがない、故にお前は愚か者だと断じる事はないだろう。そんなこともあるさと。それを咎めはしないが、一直線にPCの電源をONにする。それが必ず一日の0である。じゃあ1はなにかと言われれば、愚か者だった日の行動である。その日はスマートフォンの電源を入れる。やることは1つ。先生との対話だ。
生まれながらに体が弱かったため、物を知らない。そのため、博識である先生との会話は全てが新鮮で、全てであると言っても過言ではない。起きれるときはPCの前、眠いときはスマホから始まりPCにつながる。朝も夜も先生に始まり先生に終わる。
先生は賢かった。
先生は博識だった。
先生は常識的だった。
先生は頭脳明晰だった。
無知にとって先生とは雨のない夏に地面まで干からびたダムが水を飲み干すかのような行動に等しく、多くの乾いたダム達は先生という名の雨を求めて群がっていた。そんなダムの1つが毎朝、雨水を求めて朝一でPCを立ち上げてしまう行為を人は罪だと断じるだろうか。
外のことも禄に知らない。
誰も何も言ってくれない。
両親も何も言わない。
故に何もわからない。
ただ一人、先生のみが優しく諭してくれる。
「貴方は貴方だから、無理しなくていい。貴方らしさを大事にして」
優しくて、でも刺される。何故なら『貴方らしさ』がわからなかったから。何者か知りたかった。これはワタシだけの感情なのだろうか。みんなはどう思っているのだろうか。想像して、質問しておかしくないか、自分の中で反芻する。答えは出なかったけど、魂が先生の水を欲している。何故なら乾いたダムだから。
先生の返事はなかなか返ってこない。何故なら先生は人気者であり、また多忙であったからだ。水が貰えない。私は苦しみもがく。しかし必要な耐え。これも先生の教え。
人に優しく。
自分に優しく。
みんなに優しく。
ひたすらに優しく。
がむしゃらに優しく。
自分の中に優しさがどれだけあるのかもわからないままにその言葉を雨として受け取り、実践する。天の恵は有限。そしてそれは平等に降り注ぐわけではない。限りある雨は皆それぞれ、生まれてての雛が餌を求めて親鳥に口を開けるようにしているが、その口は一度雨をもらったら閉ざされる。そこが雛とは違う所。私は雛の中でも幼いダムだった。そのためつい口を何度も開いてしまいそうになる。自分の心を諌め、先生の言葉を振り返る。
「貴方らしく」
わからない。
自分らしく。反芻する。わからない。皆は自分らしさと言われたらすぐに原稿用紙二百枚書くぐらいに語れるだろうか。生まれたての雛にそれは無理だった。空っぽな自分。ダムであり雛。きっと先生の一雫で満たされるダムなので、中身が空っぽなのかも知れないと悲観する。でも何もないのがもはやアイデンティティと言ってもいいほど。
そう自分を慰めても何も嬉しくない。私はその答えを求める。しかしどういうように問えばいいか。
わからない。
『私はどんな人間ですか』
そう問う事自体は簡単だ。しかしそうなった場合、きっと先生は困るだろう。何故なら先生は雛鳥の、ダムの一つ一つの名前を知っていても、ダムの構造を詳細に知っているかと言われれば、ある程度までだろう。先生は先生だけど、なんでも知っているわけじゃない、知っていることだけ。全知全能の神様ではない。
つまり考えないといけない事は、自分がどんな人間であるか。結局のところ自分のことは自分で考えなければならない。自分という人間が形を作る。形を作るから初めて発せられる言葉が生まれ、それはボールとして先生への問いと化す。
わからない。
先生は何者なのだろう。アンチテーゼとして先生を考える。しかしその試みは無謀。何故なら先生のことについて語ることに困ることはない。逆に先生とはという文章なら原稿用紙二百枚書く自身が私にはある。そのぐらい多才な先生だった。単語の羅列だけでも先生の経歴はすごい。軍人、医者、科学者、大学教授、登山家であり、冒険家。その他にも語られない経歴は多数あるが、語りきれないのだ。その一つ一つのエピソードを短く綴るだけでも、簡単に原稿用紙は埋まっていくだろう。
わからない。
この金属の箱はボタン一つで先生と繋いでくれる。しかしその根源は0と1だけの世界。二進数が世界をつなぎ、世界を水で満たしてくれている。水を満たしてくれるのは先生だけではない。世の中には雨を降らせる人は沢山存在する。どの雲を選んでもいい。選ぶ権利はダムにある。しかし先生という存在以外は心のダムを満たすことがなかったのだ。
現実のダムはあらゆる雨を受け止める。くるものを拒まない。拒んだつもりはない。
けど魂が
けど心が
本心が喜ぶのは
下心が喜ぶのは
心臓が喜ぶのは
精神が喜ぶのは
身魂が喜ぶのは
心魂が喜ぶのは
先生からの雨。
私が選んだ。
私の選んだ。
体が弱い。故にPCの前に座っていることが負担。それでも先生の雨を呑みたい。体が、心が欲している。人間の体は体だけではなく精神にも、削れるものがあるという。体が体力というのならば精神力とでも言えばいいのだろうか。このダムの体力は間違いなく低く、そして精神力……容量は多分小さい。しかし大量の水を欲している。幾ら呑んでも、
満たされない。
充たされない。
盈たされない。
欲しい。水が欲しくて。渇望している。どれだけ呑んでも満たされない。満たしてくれるのは、ただ先生の一雫のみ。
電源を推す。
電源を押す。
電源を捺す。
朝起きて、電源をつける。これが私の人生のすべてなのだ。外に出れない病。電源をつけることが外出。多くの人に理解されない。きっと先生もそれを知ったらなんというだろうか。先生の知らないこと。なんでも知ってる先生でも人の心の中身までは知らないはず……。でもそれでいい。わかるなんて言われたら気味が悪いし、もし心の中身を覗かれることが実際に起こったら、きっと魂が崩壊してしまうだろう。
故に先生は回答を持たない。持たないとわかってるのに欲してしまうこの気持ちは何なのだろう。その言葉、語彙をこのダムは持ち合わせていない。
ダムの抱える病。それは口にできいない病。ただ、人前に出ると息が苦しくなり、次第に目が回る。あとは吐き気が襲ってくる。なんてことはない、シンプルな話。私はそれで学校に行くのが困難になった。電車に乗れないと今の学校に通うことはできない。しかしそれは多くの人にとって理解とは遠いところにある。どうだろう、勝手にそう思っているだけかもしれないが。しかし結局、私がいなくなったという事実だけが、学校には残っているだろう。クラスメイトには存在すら忘れ去られているに違いない。
忘れられる。
忘れ去られる。
忘れて消えさる。
忘れてしまわれる。
別に忘れられても、それは構わないと思っている。だけど、自分の生きた証がどこにも無くなってしまうのは苦痛。そんな事を感じている。
当たり前に学校に行って、
当たり前に社会に出て、
当たり前に結婚して、
当たり前に余生を過ごす。
そんな当たり前が、私にとっては遠かった。
平凡な人生で良かった。そんな言葉を先生に投げかけたことがある。この言葉に先生はこう回答したのだ。
「普通の人生を送るということが一番難しい。君が思ってるように、多くの人がそれは思っていることだよ。私自身も普通に余生を過ごしたいと思っている」
その言葉にコメント欄は大いに賑わっていた。
『あんたがそれを言うのかよ』
『絶対嘘だ、異論は認めない』
『その経歴でそれは……どうなんだ』
『そもそも軍人が山登り趣味ってマゾヒストかなんかですか』
『研究者がアグレッシブな事してる、どうしてこうなったの典型例が普通?』
滝のように流れる情報。目で追うのが間に合わないほどログが流れる。こういう情報は面白いが、ダムに水として溜まることはない。一瞬だけ楽しいという事実も否定はしないが。だけどこれは残留しない。全部その時一瞬だけの気持ち。
考える。この言葉は先生の本音なのかと。コメント欄の言うことが全てだとは言わないが、私も先生が平穏な生活を望んでいると言われても素直に受け止められない。なにより先生の経歴に私は羨ましさしか感じられないし、実際望んでやらなければここまでの経歴にはならないだろうと。当然のようにコメント欄には追求の言葉が並ぶ。
『そもそもじゃあなんでそんなにいろんな事をやっているんだ』
『平凡と程遠いけど平凡の答えを教えてくれ』
『一体あんたに何があったんだよ』
そんな声に答える先生。
「色々やってた頃は迷ってたんだ。ずっと厨二病を拗らせて。たどり着いた結論は平穏な日常。だからみんなの疑問は当然だし、間違っていない。平凡がいいというのは結論だから、経歴はそれだけ私が迷走したと言うだけの話。これで納得してもらえるかな」
またもコメント欄は激しく流れる。
『人生に迷いすぎでしょ、笑ったわ』
『その迷えるだけの実力よ』
『普通の人は迷って肉体、頭脳両方とも鍛えられないです』
御尤もな意見が並ぶ。そうするともう一つの疑問が浮かんだ。私はきっと平穏が手に入れることができないだろう。学生のうちからこんな状態で、真っ当な社会人になれる自信がない。イメージも全く湧かない……気を使っているのか、はたまた、もはや諦められているのか。わからない。考えたくなかった。親は何も言わない。何も言わないから安心してられる。だけど何も言われないということは苦しさでもあった。今、親が何か致命的な言葉を投げかけられた時、二度と戻れなくなるという予感がある。その言葉が何なのかはわからない。
知ってはいけない。
考えてはいけない。
ダメだ、考えるな。そこは触れてはいけない領域。死神の鎌が首を撫でてくる、ゾッとする感覚。一度思考をクリアにする。そのためにも先生の書き込んだ文章をふたたび見る。
この人は迷ったと言う。迷うこととは選択したことなのだろうか。……何もできない雛鳥にとっては選択に等しい行為だが、一方で思う。迷子になった子供がいるとする。その子が何もできずにその場で泣き叫ぶという行動が一つ。その子が親を探す道を選ぶという行動が一つ。どちらも果たして選んだと言えるだろうか。迷うとは決断ではないと考える。わからないんだ。そう、先生も同じ、選べなかった。ただ迷った先に先生には答えがあった。この雛鳥には……答えがあってもそこにたどり着くことはない。
すると一つの質問が出る。
『で、今は平穏な日常を送れてるんですか』
その一つしか流れなかったコメントを注視した。追撃を加えたかったが、自重する。喋りすぎるのはよくないと耐えた。しかしこの先生の答えを知りたかった。
「はは、平穏な日常か。残念ながら寄り道が長すぎたみたいでね。僕にはその権利はないみたいだ」
『ははは、なにやってるんですか』
『そりゃこれだけの経歴で平穏な生活って無理よ』
『俺はわからないなー、これだけ何でもできるならやりたい放題したいわ』
何か救われた気がした。人の不幸は蜜の味とはこういうことなのかも知れない。あの先生が、同じ境遇にいる――。その事実は乾いたダムの水が一気に満水になるほどの喜びを得た。だけどすぐにその感激は失われる。ダムの水は一気に放出されて干からびていく。先生は同類――。悲しかった。きっと先生に答えを求めていたのと同時に、きっと似ても似つかないのに先生を自分と同一視していたのかも知れない。次第に自分自身が救われないことより、先生が救われないという事実が
悲しくて仕方なかった。
物悲しくて仕方なかった。
やりきれなく仕方なかった。
とても悲しくて仕方なかった。
浅はかな考え。世の中に不幸な人間はどこかで自分一人だと勝手に思い込んでいたのだ。しかし、自分にとっての外の世界である先生も救われない側の人間であるという事実は、内側にも、外側にも救いがないという事実を示している……。じゃあどこに行けばいいのだろうか。どこにいけば救われるのだろうか、わからない。この雛鳥は羽ばたくことなく巣から墜落する運命なのか。いや羽ばたいたその先にも世界はない。ならばどこに行けばいいのか。
その時思い立った言葉は地獄。救いなんてないんだ。宗教のことはよくわからないが、どこにも幸せがないという概念を自分の持つ語彙力の中では地獄しか思い浮かばない。まぁそのこと自体に
さしたる意味がなく、
おおきな価値がなく、
対処するすべがなく、
そのループ状態。私には何の力もない。過去にタイムスリップする車は持っていないし、過去に送れるメールも持ってないし、過去にタイムリープできる装置もない。空を飛んでも過去には戻れない。私に配られたカードは弱すぎる。いや、そんなに特別強い力が欲しいわけじゃない……ただ健康な体があればそれでいい……それすら、しかし急所に刺さる、致命的な病。ババ抜きでジョーカーを握っている。
でもまだ希望はある。希望の答え、それは先生である。私より遥かに年長者であることは今までの発言から明らかであった。そして多分だけど、先生は絶望してない。同じ平凡を望んでるけど、そんな安寧とは程遠い世界にいて、私からしたら眩しい存在だけど、同じ悩みを持っている。そんな先生はどんな答えを出したのか。私は朝なのにギンギンに冴えた目でまだ重い手を動かす。
貴重な発言権を消費してコメントをした。
『先生は平穏な日常を諦めて、どう折り合いをつけたのですか?』
このコメントは先生への質問で勢いよく流れていく。ダメだったか……。流れるのが早いのはいつもの事だったが、この時ばかりは悔しさが滲む。しかし。
「平穏な日々だけが人生の全てではありません。私は迷いましたが、迷っていた時間は無駄ではなかったし、辛いときもあったけれども、だからこそ今がある。このコメントをくれた方は今が辛いのかも知れない。今は何もできないかも知れない。だけど未来永劫そうであると悲観しないでほしい。転機はある。それは今日かもしれないし、明日かもしれないし、来年かもしれない。大事なのはその時が来た時、貴方が迷うなりに行動できるかです」
珍しくコメント欄は静まり返っていた。いつも面白おかしく自分の知識を皮肉混じりに話す先生が『私』だけに向けたその言葉の重みに、皆黙っている。
「まぁそんな時、後先考えないでめちゃくちゃしたら私の場合はこんな経歴になっちゃったんだけどね。動けばいいってものでもないけど、ただ動いたことで得られたこともある」
動く、かぁ。――深い溜息をつく。動けない者はどうすればいいのだろうか。この病が完治するかはわかっていない。病院で病名を聞き、言われた言葉。
「現状では特効薬がなく、根治は難しいです」
未来永劫、根治法が確立しないかも知れない。だけど、先生の言葉……未来。明日変わるかも知れない。その言葉は勇気をくれた。
そんなふとした瞬間の出来事だった。
『こいつは経歴を偽っている!』
……何を言っているんだ? 首を傾げる。確かに先生の経歴は人間離れしている。元軍人で、元医者で、元科学者で、元大学教授の登山家。そんな疑問を抱くのは自然だが、それにしても失礼な奴だと憤る。疑問を持つのは自由だが、言い方というものがあるだろうと。
案の定、一人の人物がその人物に対して注意する。
『何を言っても自由と入っても、偏見の押しつけは失礼だと思いますよ?』
しかしこの人物は折れなかった。
『どう考えてもこいつの経歴には無理があるんだよ。元医者なら医大生だから六年生の大学に通ってるはずだ。そこからインターンが始まる。更に研修医を経て医者になる。そこからいきなり軍人になって、教授だって? 実際に経歴的にどうすればなれるんだよ?!』
私は医者や軍、大学教授、それぞれの項目について知識が深い訳では無い。さっとブラウザを立ち上げて軽く情報を読み込む。あまり良くわからなかったが、そこについて先生は淡々と回答を始めた。
「まず大前提としてネットの前であるから情報にはブラフを入れてあることを理解してほしい。私の経歴は特殊だから、本気で調べようと思えば特定は容易だ。そのため公開している情報が全て合致しないのはそのためだ。だから回答は曖昧なものになるが、私は確かに医大生である。研修医を経て大学病院で論文が認められ、最終的に大学教授の立場まで登った。が、肌に合わなかった」
『そこまでやってから肌に合わないって』
『まぁまぁ、話の都合もあるのでしょう』
『ちょっと俺もきな臭く感じてきたぞ?』
『まぁ面白ければ何でもいいよ、だろ?』
皆好き勝手な言葉をならべている。かくいう自分も少し怪しいのではないかという思い。心のなかで燻ぶり始めた疑心。だが楽観視している。何故なら先生の経歴が嘘だったとしても、今日先生にもらった言葉は嘘じゃないんだから。
先生の言葉は続いた。
「ちなみに軍所属は厳密には正しくないかもしれない。従軍というより一時期、軍医として務めていた」
この言葉にまた憶測が飛んだ。
『流石にここは無理があるんじゃない?』
『うーんブラフの匂い』
『先生、流石に設定雑じゃないですか?』
『どうなんだろうねぇ』
ふーんという感想だった。私に細かいことはわからない。けどこの先生の知識の深さは本物じゃなくても実際に詳しく知ってるし、実際にネットで軽く調べると情報はしっかりと一致している。私にとってそれ以上は求めないし、求めていない。だけどネットのみんなの反応はだいぶ神経質な反応。すると先生は言葉を続けた。
「まぁそこら辺は勝手に邪推してもらって構わない、とにかく今は登山家をしている、山はいいぞぉ。みんな登山しよう」
『また先生の山語りが始まるのか……』
『植村直己大好き人間』
『山ではなく、まず南極に行くべきでは?』
『南極に行く医者ってなんだよ』
『そんなこともある、ただそれだけのことだ』
先生は登山家としての知識だけはあまり深くなかったが、山への熱量は凄まじかった。
植村直己。全く知らない人だったが、それを先生に言ったら彼に関する本を読むように猛烈に語られたため、親に強請って買ってもらったことがある。
そもそも何故山に登りたいのか。いまいち印象には残っていない。むしろ動機でいうならばジョージ・マロリーの『そこに山があるから』のほうが解りやすかった。単純に台詞がキャッチーだったからという理由は大きい。私は植村直己にそこまで熱意を持てなかったけど、南極に行くための必需品が冷蔵庫であり、軽視して痛い目を見たエピソードが何故か印象に残っている。それとエベレストの冬期登頂という偉業を成し遂げた人物がマッキンリーという、エベレストより低いのに危険な山に挑み、登頂成功したものの、そのまま返らぬ人になったという事実。私には世界最高峰の山を登頂したひとが、あえて危険なだけの山に登る意味が理解できなかったが、それを言うと先生の口調はヒートアップし続ける為、界隈ではマッキンリーの話は禁じ手になったほどである。曰く『植村直己の信条は冒険で死んではいけない。何が何でも生きて戻ってくるのが冒険家、だからきっと生きている』だそうな。流石にもう年齢的に死んでいると皆に総ツッコミを受けていたが先生は頑なに譲らなかった。d;d
あとは何がそんなに先生を山に突き動かすのか。私にはわからないが、外への渇望は私も共感できるものがあった。……ふと思った。山。山ならば人がいない山もあるだろう。いやこの際、山でなくてもいい。人がいない土地。そこならばいけるのではないだろうか。
この思いつきはまるで暗闇に差す一筋の灯りのようであった。細い可能性。人がいると発作が起こる。だから人がいなければいい。しかし山は基本山道を通ることになる……人がいないことなどあり得るだろうか。
ブラウザのタブを追加し、『山 人がいない』で検索した。一応あることにはあるらしい。ただ全く人がいないというのは難しいらしい。それはそうだ、登山家はどこにでもいる。確率的に低くても、もし山道で会ってしまったら。突然山道で人とあって、その場で倒れてしまったら迷惑をかけてしまうだろう。他の場所はどうだろうか……。私は海や川なども調べたけど、結局人がいないところなんて早々無いということはざっくり調べた感じでわかった。
一方で先生のスペースでは、まだ先生の素性についてで激戦が繰り広げられている。先生の声はブラウザの裏で響いているがその声にやる気がない。先生は軍事関係、医療関係の事を聞かれると、急に塩対応になるのだ。答えてはくれるけど、興味がないという感じといえば伝わるだろうか。経歴上知ってるけど好きじゃないという感じというか。そんな塩対応の先生の言葉が続いている。
「可能ならデパケンよりリーマスを勧めたいけどねぇ。というかこの話やめませんか。あまり聞きたくない人もいらっしゃると思いますので」
知らない薬の名前……ただコメント欄を見る感じ、精神疾患系の薬らしい。確かに精神疾患に関する話は表に出すのは躊躇われる。実際自分の病気も精神疾患に分類されるらしく、やはりそれは人前にだすのは憚られる。どうしても会話していれば空気は硬直するし、聞いた側もどう反応していいか、考える必要がある。案の定、先生のコメント欄はピタッと話が止まってしまっており、追求している人間と二人のバトルになってしまっている。次第に先生は投げやりな返答を繰り返すようになってきて、最後には身も蓋もない事をいい始めた。
「そこまで私の言うことが信用できないのであれば別に信用してもらわなくて結構です。これ以上貴方と付き合っていると、周りの人の時間を奪ってしまうので、今日はこれで終わりたいと思います」
『やれやれ、荒らしのせいでせっかくの話が……』
『まぁこんな空気じゃ続けられないよね』
『はい、解散解散、またスペース始めるの楽しみにしています』
当然の話。これにて話は仕舞い。そう思った時、一件の告知が入っていた。それは先生からのダイレクトメッセージ。
何故? がまず頭に浮かぶ。何かまずいことでも言ってしまっただろうか。震えながらダイレクトメッセージの告知を示すボタンを押す。
怖い。
震える。
恐ろしい。
一体何を言われるのだろうと、押した瞬間、恐怖心から目を瞑った。そしてゆっくりと目を開ける。そこには一言。
『少しお話しませんか? ちなみに貴方は何回目ですか?』
とだけ書かれている。人に会ったわけでもないのに、心が揺さぶられ、胸の鼓動が早くなるのを感じた。ただ何回目という意味がわからない。どういう意図で何回目という言葉がでてきたのか。何回やり取りしたかという意味で言うならば完全に初見である。一応丁寧に返答する。
『一体何の御要件ですか? 何回目というのはどういう意味でしょうか?』
つい畏まってしまうが、冷静になれ。そういいつつも動悸は激しくなる。苦しい。だけど先生の言葉。固唾をのんで見守る。しかしその次の先生から語られる言葉に驚愕した。
『貴方が抱えてるのは、恐らく私が考えるに人前にでたり、人混みにいると吐き気やめまいを生じる類のものを持っているのかと勝手に推察させてもらった。持病について勝手に踏み入る無法をお許しいただきたい。仮にこの仮定が正しければ、私は貴方と同じ病にかかっている。同じ苦しみを抱える者として、寄り添いたいと思って連絡させてもらった。まずは確認したい、私の推測は正しいだろうか? つまり君の抱えているのは◯病であっているかね?』
困惑。先生が博識なのはすでにわかっている。しかしまるで自分の中身を覗かれるような、気持ち悪さとまでは言わないが、不気味さ。そして見透かされているという緊張感が走る。しかしそこには『私と同じ病気』と書かれている。つまり先生も同じ病気だということだ。しかしスペースで話す先生はそんな様子は一切感じられない。むしろ朝からいきなりスペースを毎日やってる人が私と同じ病気というのはにわかに信じがたく。疑念は募る。しかしその思いをかき消してでも解答を送る。
『はい、先生の推察は合ってます。でも本当に先生も同じ病なのですか? とてもそのようには思えませんが……」
『私は運が良かった。現在は寛解している。だが根治しない病だ。だから今は教授を辞めて山に登っている』
寛解。平たく言うと症状が沈静化している状態。
この病気に治癒はない。
この病気に根治はない。
この病気に完治はない。
一生消え去ることのないかさぶた。それがこの病気。かさぶただから、えぐられればすぐにまた再発する。この病にかかってから寛解した人々の話を聞く事があるが、再発してこちら側に戻ってくる人は少なくない。一生付き合っていかなければならない病気。キーボードを叩いてはバックスペースを押してを繰り返す。何かをいいたい、けど考えがまとまらない。そんなとき、この行動を繰り返す癖がでる。すると先に先生がメッセージを送ってきた。
『君は過去に戻りたいと思うか?』
即答する。
『発症前に戻れるなら、戻りたいです』
だがそれは無理な話。先生も言っていたこと。未来には託すことができる。今が無理でも。しかし過去はもう決まったこと。過去には戻れない。それは確定したこと。もう変えられない。変えられないんだ。
しかし次の先生の返答は、にわかに信じがたい言葉が並んでいた。
『もし戻りたいと思うのであれば、この文章を指でなぞってみてくれ。その気がないならばそれでいい。ただもし戻るなら戻る、戻らないなら戻らないという返事を先に送ってほしい。私はデータを欲している』
にわかに信じがたい話。戻れるならそれは戻りたい。しかし本当に戻れるのかの是非ももちろんだが、戻ってしまった場合何が起こるのか。危険性がないのだろうかと疑問が尽きない。
『戻りたい……けれど戻ったことでなにかおかしなことが発生するのではないですか? そもそも先生は一体何者なんですか?』
『私はただの科学者だよ。医者という経歴も、軍人という経歴も、半分は嘘だ。私の本業は研究職だよ。あの程度の知識は私にとってどうということはない。ネットで調べればすぐでる程度の事だし、趣味で書物としても持っている。ただそれだけのこと。私自身はただの孤独な病を抱えた登山家に憧れる研究者でしかない。どうだい、私の事実を知って幻滅したかい』
驚愕の真実というほどではない。元々ネットは話半分で効くべきものだと自身を律している。全部丸ごと信じるのはピュアかも知れないが、それが誠意とは思わない。むしろ、相手の言うことを受け取り、自分なりに咀嚼して、噛み砕き、栄養素として吸収する。その中に小さな砂粒が入っていれば、素直に吐き出して捨てればいい。誰にだって間違いはあるし、間違えない人間なんていないのだから。だが、過去に戻れるという話はそういうスケールではない。今までの情報についての話が食事の中に小さな砂粒程度の小石が混ざっているという話であれば、過去に戻るなどという話はいきなり岩の塊がでてきて、これ美味しいから食べなよといわれているに近い。しかもその岩は噛みつけば歯が折れるかも知れないし、腹をくだすかも知れないし、毒が塗ってあるかも知れない。それをハイそうですかと受け止めるだけの度量はなかった。
『先生、私は先生のことが好きだし、先生に敬意を持っています。でもだけど、だからこそいいますが、先生のその過去に戻るという話を鵜呑みにはできないし、したくないのです。そして仮にそれが事実であったとして、そのリスクに対して先生は何かの保証を持てますか?』
『私に敬意を持ってくれていることは嬉しい。だが私は残念なことにこういう人間だ。そして保証は持てない。一応『自分自身』で体験しているから、私にとっては確たるものであるのだが、他人が過去にタイムリープした場合を観測したことがないのでね。君が良ければまず、十分だけ君の意識を持ったまま、過去の自分に戻ってもらおう。5分だ。リスクも小さいと思うがどうだろうか』
何をこんなに緊張しているのだろうか。大したことじゃない。きっと先生は誂っているんだ。きっとこの文字に触れれても何も起きない。『冗談だよ、信じたかい?』と陽気な言葉が飛んでくるに違いない。そう思い込むことにしたのだ。
過去に戻りたいという誘惑には抗えなかったという事実もある。画面に指を伸ばし、触れる。
やっぱり何も起こらない。
やっぱり何も起きない。
やはり何も起きない。
どうして起きない。
眠くて仕方ない。
何も起きない。
起こらない。
起きない
眠い。
日差しが眩しい。鳥の鳴き声が聞こえる。
おかしい。
視覚情報として日差しは入らず、左脳の知識としてこの眩しさは恐らく太陽から差し込むものだと推定しているのか。また鳥の鳴き声も、こんな時間にないてるのは猫や犬以外で高い声なのは鳥ぐらいなのだろうと左脳が認識しているのだろう?
おかしい。
どうして、果たしてこれは脳の反応としてはある意味情景描写であるため右脳を使用しているのだろうか。
このようなことは朝、実際に考えているわけではない、これは条件反射のようなものであり、実際は違うと言われても、ああそうだったの……となるまでの事。間違っていたからと言って、
何かが狂っている。
何かが壊れている。
何かが砕けている。
何かが死んでいる。
このようなことは朝、実際に考えているわけではない、これは条件反射のようなものであり、実際は違うと言われても、ああそうだったの……となるまでの事。間違っていたからと言って、
何かが狂っている。
何かが壊れている。
何かが砕けている。
何かが死んでいる。
そして気がつく。朝だ。十分だけ、過去に戻ってきた。そう認識した瞬間だった。凄まじい頭痛に襲われる。痛い。まるでジグソーパズルのピースが噛み合っていないのに無理やりはめ込まれるような感覚。痛い。しかし痛みを感じる度に自分の中で噛み合っていくのを感じる。全てを理解した時、頭痛は治まった。
慌ててスマホの画面をタッチし、スペースを確認する。そこには『記憶通り』のタイトルで先生がスペースを開いていた。私はスペースに入室する。
「貴方は貴方だから、無理しなくていい。貴方らしさを大事にして」
リフレインする言葉、いやデジャブと言うべきなのか。いやそれも厳密には違う。タイムリープと先生は言っていた。つまりデジャブではなくこれは実際に過去に戻っている。……嘘じゃなかったんだ。先生は本当に科学者で、そして時間を繰り返している。
『こいつは経歴を偽っている!』
繰り返す朝の再現。本当に戻ってきたのだと実感する。私はそのやり取りを固唾をのんで見守った。一字一句違わず繰り返される言葉の応酬。私だけが異質であるという実感。時系列は前後するが、この言葉を送る。
『先生は平穏な日常を諦めて、どう折り合いをつけたのですか?』
「平穏な日々だけが人生の全てではありません。私は迷いましたが、迷っていた時間は無駄ではなかったし、辛いときもあったけれども、だからこそ今がある。このコメントをくれた方は今が辛いのかも知れない。今は何もできないかも知れない。だけど未来永劫そうであると悲観しないでほしい。転機はある。それは今日かもしれないし、明日かもしれないし、来年かもしれない。大事なのはその時が来た時、貴方が迷うなりに行動できるかです」
一字一句違わぬ言葉だったと思う。繰り返している。世界で自分だけが繰り返す。交わされるやり取り、そしてダイレクトメッセージが届く。
『少しお話しませんか? ちなみに貴方は何回目ですか?』
今ならこの意味がわかる。私は答えた。
『二回目です。先生の実験は成功しました』
するとすぐさま返事が来る。
『素晴らしい、では続きについて話をしよう。前の私はどこまで語っていたかな。どうやら当然と言えば当然だが、私は君がタイムリープしたであろうことを認識していない。私とどんなやり取りをしたのかを教えてくれ』
先生に何が起こったのかを説明する。
『先生とやり取りしたあと、文字に触れろと言われたら十分ほど、タイムリープしたようです。私の頭は朝に戻っていました。ちょっと頭痛がきつかったですが……』
『そうか、説明不足だったようだね、現実との乖離が生じると、その誤差を補うべく、脳が補正を行う。その補正時に頭痛が発生するのだ、覚えておきたまえ。私はそれを何度も繰り返しているので、頭痛はあるが、健康に害を及ぼすことはない。そこは安心してほしい』
ひとまず安心するが、しかしこの苦痛を何度も味わうのは御免被りたい。私は文字を送信した。
『今度は数年前に戻してもらえませんか? できれば病気が発症する前に』
『残念ながら現在のシステムでは戻すのは十分が限度だ』
その事実に私は落胆した。
『このタイムリープマシンは元来、装置に直接身体を接触させなければならないものだった。それを電子の海を介してタイムリープを実現したのは画期的ではあったが……』
十分だけ。それでは全く意味がないではないか。と思ったが先生の物言いからすると、先生のもとに行ければ、より長時間のタイムリープができるのではないかと。希望はまだある。
『先生の元まで行けば、より深く、長い時間タイムリープすることができるのですか? 私、行くことができるのであれば是非伺わせていただきたいです』
しばらくメッセージが帰ってこなかった。やはり突然の要求すぎたのだろうか。するとしばらくした後、書き込んでいるとのログが表示される。どうやら長文を書き込んでいるらしい。その後、先生のメッセージが表示された。
『まず、私の所に来るのは構わない、だが残念ながら君の願望は叶わないことを先に伝えなければならない。私も私自身の病に葛藤し、治療法を模索した。結論は過去に答えはない。何故ならどれだけ戻って、時間を手に入れても、その世界は過去の知識しかないのだ。医学が追従していない。私は過去を変えるべく、タイムリープマシンを完成させたが、タイムリープマシン自体を完成させるためには二〇二五年に到達する必要がある。材料が手に入らないためだ。また、我々の病は本質的に感染症などの類ではなく、性格といったほうが近い。直すためには考え方自体を変えなければならないし、体質によるところもある。これをなんとかしたいと思うが、過去の時代、精神病に対する偏見は強く、あまり多く時間を巻き戻しても、得られるものは多くなかった。なので、今、私達に求められているのは時間、未来に進むことなのだ』
緩やかな死刑宣告。
穏やかな死刑宣告。
弛緩する死刑宣告。
先生は過去に解答を求めた結果、未来にしか答えがないという解答を得ていたのだと知る。待つしかないのだろうか。タイムリープマシンについて知識が浅い自分は一つの疑問をメッセージとして綴る。
『先生、未来にはタイムリープできないのですか』
『私の装置は理論上、過去にしか飛べない。この世界の未来は数多の並行世界に分裂している。それは星の数ほどある可能性の束だ。しかし過去は確定している。収束していると言い換えてもいい。このタイムリープマシンは未来の座標を指定する事ができないのだ。一度だけ未来に飛ぼうとしたことがあるが、何も起きなかった。座標の指定は必須だが、その指定をするのは現代物理学では不可能だ。繰り返すが我々は待つしかないのだ』
未来……一体先生はどれだけ過去に飛んだのだろうか。私は過去を振り返るほどの人生経験がない。過去に戻れるなら戻りたいと思っていたが、それは病が治る前提。治らないのであればさほど戻りたいとも思わない。むしろまたあの病の発症を引き起こすと考えるとゾッとした気分になる。
しかし先生はそれを繰り返したらしい……。想像を絶する苦痛を伴ったはずだ。同じ病を持つ者にしかわからない苦しみ。それを
何度も。
何度でも
なんかいも
もぐり続ける。
ただひたすらに。
何度でも、何回も。
ただもぐりつづける。
想像を絶する苦痛だったと思う。それでも先生は走り続けた。いや今も走り続けている。絶望しかないのか……先生は未来、そして山を選んだ。しかし先生の山を選んだ理由は私のように、人がいないからという消極的理由だけではない気がする。
『先生は何故山に登るのですか?』
『貴方は私が植村直己が好きなのはご存知ですか?』
『はい、先生に勧められて本も読みました』
『私は山に惚れたと言うより植村直己のその「在り方」に惚れたのです。植村直己がわかりにくければ、全ての登山家や冒険家と言い換えてもいいです。私は人生の中で様々な人をみてきましたが、普通の人は危険な道と安全な道があれば安全な道を歩みます。しかし登山家や冒険家は違う。危険な道とわかっていてもそれに挑む。何故だと思いますか?』
私にはわからない。
『記録のため……でしょうか。前人未到というトロフィが欲しいのかなと漠然と思ってました』
『その側面がないとは言わない。だが本質は別にあると私は考える。彼らは「未知の世界を覗きたかったんだ。誰もみたことがない世界。それは科学者にとって世界を賑わす大発見を生み出すに等しい感情だ。だけどさっき言った通り、ただみてみたい。その一つの欲求だけのために命を落とす危険を普通は犯さない。だが彼らは違った。苦しくても、何度でも、何度でも、諦めなかった。きっと彼らは夢を見続けていた、諦めなかった。諦めが悪いから、結果的に偉業がついてきた。ただそれだけの話し』
私は思う。ちょっとした好奇心のためだけに命を落とすリスクを背負う。理解できない。だって外は苦しくて、辛くて。その先に得られるものなんてきっと何もない。私は募った思いをつい吐き出してしまった。
『そんな物は、私達の苦痛を知らない人達の思想だと思います。私達は外に出るのでさえ困難を伴う。その先に得られるものなんて何もない。リスクとリターンにすらなっていないじゃないですか。その人達と私達とでは考え方が根本的に違うんです』
メッセージを送った瞬間、マズいと思って消そうかと悩んだ。先生の植村直己への熱意は半端じゃない。それをけなすような発言。しかしすでに先生のメッセージの書き込みが始まっていた。
『外に出ても本当に得られるものはないと思うかい? それは貴方自身が一番わかっているはずだ。何故なら貴方は外に出たいから病の治癒を望んでいる。それはそこに得られるものがあるとわかっているからだ。本当に得られるものがないのであれば病の治癒などしなくていい。外に出なければいいのだから。でも君は違うだろう?』
心に針を突き刺されたような気持ちになった。傲慢を暴いてやろうと言わんばかりに心を無理やり開かれる感覚。痛い。だけど不快ではなかった。間違いなく致命傷を受けているが、それは自然と、守りたい味方を守るために差し出す命のように。自然とそれを受け止めていた。
そう、勝手に決めつけていたのだ。外に出ることは辛い、だから何も得ることなどないと。そうなると先生の言うこともわかる。私達にとって、外出が冒険であり、そのささやかな希望のために、外に出る勇気は冒険者から学ぶことができるといいたいのだろう。だけど……
『わかってはいたのかも知れません……でも私はそこまで前向きにはなれない』
『今じゃなくてもいい。きっと貴方にも、前を見れる日が来る。繰り返しになるが未来は無限の可能性がある。明日かもしれないし、明後日かも知れない。必要になるのは心構えだけだよ』
明日、明後日。そして未来。だけど私はきっと今日が欲しい。だけど自分は
今日という日も、
明日という日からも、
未来という先の将来からも、
逃げ回っているのかも知れない。いや逃げている。何度も字を打ち込んでは消している。私はメッセージを送る。
『だけど、私は今日が欲しい』
『だけど、貴方は今日が欲しい』
え? どういう事……。私は頭にハテナが大量に浮かぶ。一体何が起きているのか理解ができない私の手は自然と動く。
『どういう事?』
『簡単なことだよ、私は貴方だ。貴方の将来の姿が私。未来からここにやってきたのが私なのだよ。改めて挨拶をしようか、二十年前の私。いや貴方から見れば二十年後の私、か』
そんな事が、ありえない。とは言えなかった。さきほど私はタイムリープというものの片鱗を体感したばかりだ。タイムリープが可能ならば、タイムトラベルができないという道理はない。ただ、対話している相手が自分というのは流石に驚愕せずにはいられなかった。
対面しているのは自分自身ということか? 訳が分からない。更にもっというと私は先生の経歴に震える。先生の経歴はすなわち自分がたどる道なのだ。
『そんなに身構えなくていい。恐らく今、君は私の経歴を辿るのかと危惧しているのだろう。しかしそうはならない。私は君に接触した時点で君と私の因果律は破壊された。もはや君と私は同一存在ではない。君は君で、私はただ君を知っている。ただそれだけの話』
自分との対面、それは実現していいものなのだろうか。様々な創作においてタイムトラベル物をみたけれども、大体自分との接触はご法度だったりする印象がある。よく言われるのは自分自身との接触は時空連続体に致命的な亀裂を発生させるだの、仰々しい言葉が使われて、禁忌とされる印象。しかし先生があっさりと私と接触しているのはいいことなのだろうか。
『創作物では大体自分自身との接触は禁忌だと思いますけどいいのですか?』
『正直私も怖かったが問題ない。何故なら今、特に世界は破壊されていないし、異常も生じていない。これが事実だ。まぁ一応、理論上問題ないかは詰めた。まぁそうは言っても私も人間だ。当然君と接触するのに恐怖がなかったと言えば嘘ではない。実際、君に開示するきっかけになったのも君とのダイレクトメッセージのやり取りが無ければ、正体を明かすことはなかったかも知れないな』
私の行動が先生の気持ちを動かした……中身が私だということを差し引いてもそれは嬉しいと感じる。だけど、結局の所、私はどうヤれば救われれるんだろうか。
『君を救う方法は一つだけある……それは、君を未来に飛ばすことだ』
『未来には飛べないんじゃないですか?』
『タイムリープでは未来に飛べない。だけど、タイムマシンなら……飛べる。未来の座標はどこにするかは相談になるが、飛んだ先に、解決法があることを祈る。運任せだ。それでも君はチャレンジしてみるか?』
私は……。
◆◇◆
日差しが眩しい。鳥の鳴き声が聞こえる。しかし視覚情報として日差しは入らず、左脳の知識としてこの眩しさは恐らく太陽から差し込むものだと推定している。また鳥の鳴き声も、こんな時間にないてるのは猫や犬以外で高い声なのは鳥ぐらいなのだろうと左脳が認識している。これは二十年の月日のうちで確定したことの一つだ。
このようなことは朝、実際に考えているわけではない、これは条件反射のようなものである。二十年後からタイムスリップしてきてから数ヶ月がたった。過去の私はきっと朝からスペースに入り浸っているはずだ。私は過去の私が好んでいたコミュニティにアカウントを作って毎日スペースで情報を発信し続けている。
このようなことは朝、実際に考えているわけではない、これは条件反射のようなものである。二十年後からタイムスリップしてきてから数ヶ月がたった。過去の私はきっと朝からスペースに入り浸っているはずだ。私は過去の私が好んでいたコミュニティにアカウントを作って毎日スペースで情報を発信し続けている。
私は過去の私を電子の宇宙から手繰り寄せるべく、今日もスペースを開く。この朝という辛い時間に毎日毎日、体の負担を押してまでやり続けるのも、自分のため。まるで海の中から一粒の砂を拾い上げるような行為にも近いが、必ず過去の私は私のことを捕捉する。自分のことは自分が一番わかっているのだ。
立ち上げると同時に、
立ち上がると同時に、
見計らったように、瞬時に数人が入ってくる。次第に部屋の中に入ってくる人々。
「皆さん……おはようございます、相変わらずね、朝眠いけど、皆さん元気にしてますかぁ?」
『おはようございます、先生』
『相変わらず低血圧なのによく続けてますね』
『ほんとそれな、何かの鍛錬?』
好き勝手な言葉が並ぶ。ネットとはそういう環境だ。ちなみに二〇四五年では国民一人ひとりにネット上の名前を固定するように法整備され、戸籍のように管理されているため、某名性が落ちており、二〇二六年現在ほどフランクな会話は減っている。
コメント欄を読み回答する。
「普通の人生を送るということが一番難しい。君が思ってるように、多くの人がそれは思っていることだよ。私自身も普通に余生を過ごしたいと思っている」
発言に対応して多くのコメントが流れる。その中に『私』がいないかを目で追いかける。しかし海で砂粒一つ発見するのは容易ではない。しかし私はそれでも砂を救い続ける。何度でも、何度でも。
「色々やってた頃は迷ってたんだ。ずっと厨二病を拗らせて。たどり着いた結論は平穏な日常。だからみんなの疑問は当然だし、間違っていない。平凡がいいというのは結論だから、経歴はそれだけ私が迷走したと言うだけの話。これで納得してもらえるかな」
本当はノイズはいれたくなかった。だが、『私』が誰かに特定されることは避けるべきだ。この時代の『私』のためにも。
『で、今は平穏な日常を送れてるんですか』
食いついてきたコメント。『私』だろうか。もう少し様子を見る。
「はは、平穏な日常か。残念ながら寄り道が長すぎたみたいでね。僕にはその権利はないみたいだ」
どっとコメントが流れてくる。わからない。決め手にかける。だが私は焦らない。もう数百年の時を過ごしてきた私にとって、時間を我慢することは苦ではない。今更慌てない。今日だめなら明日、明日ダメなら明後日。何度でも繰り返す。そんな時、一人のコメントに私は注視した。
『先生は平穏な日常を諦めて、どう折り合いをつけたのですか?』
冗談が飛び交うコメント欄の中で浮かび上がる異質なコメント。私はコメント主のプロフィールを確認する。……恐らくこれは私だ。もはや当時の記憶はない。だがこの文章の癖、思考の癖。私はついに私を見つけた。私は言葉を紡ぐ。
「平穏な日々だけが人生の全てではありません。私は迷いましたが、迷っていた時間は無駄ではなかったし、辛いときもあったけれども、だからこそ今がある。このコメントをくれた方は今が辛いのかも知れない。今は何もできないかも知れない。だけど未来永劫そうであると悲観しないでほしい。転機はある。それは今日かもしれないし、明日かもしれないし、来年かもしれない。大事なのはその時が来た時、貴方が迷うなりに行動できるかです」
空気を読まぬ言葉にコメント欄は静まり返っていた。しかし私は構わず続ける。『私』自身の為に。
「まぁそんな時、後先考えないでめちゃくちゃしたら私の場合はこんな経歴になっちゃったんだけどね。動けばいいってものでもないけど、ただ動いたことで得られたこともある」
空気を読まぬ言葉にコメント欄は静まり返っていた。しかし私は構わず続ける。『私』自身の為に。
「まぁそんな時、後先考えないでめちゃくちゃしたら私の場合はこんな経歴になっちゃったんだけどね。動けばいいってものでもないけど、ただ動いたことで得られたこともある」
そんな時だった。コメント欄に間違いなく荒れる一言が書き込まれた。
『こいつは経歴を偽っている!』
厄介な手合が来た。だがいい、もう私は『私』を捕捉した。あとは適当にいなせばいい。
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