第六話 仕事道具
ー/ー「ん〜」
ニーナはベッドの上で伸びをしていた。どうやら外は夜らしく辺りは静まり返っている。
彼女は足の怪我のため、今日は外出せず休むようクロエに勧められていた。その言葉に従って客室で横になっていたものの、なかなか寝付くことが出来なかったのだ。
ニーナは部屋から出て、ネール城内を彷徨い始めた。特に行く当てもなく、冷えた空気を吸い込んで足が痛まぬようゆったりと歩いている。
ふと、脇の部屋から明かりが漏れているのに気付いた。扉は閉め切られておらず、誰かがいる気配が伝わってくる。ニーナは扉の隙間から中を覗いた。
何者かは分からないが、一人で本を読んでいるらしい。ニーナはそこから離れようとしたが、
その部屋から「何をしているんだ」と声を掛けられた。
振り向くと、そこには右目に布を巻いた男が腕を組んで立っている。
トリスタンだ。
彼はニーナを見るとやれやれと言わんばかりに額に手を当てる。
「眠れないんだな」
「あの……ここで一体何を?」
ニーナは唾を飲み込んで、トリスタンに尋ねた。トリスタンは部屋の入り口から体を退けて言った。
「見て分からないか?ここは図書室さ。アンタがここを出るまでの間だけ、俺はここに住まわせてもらってるんだ」
ニーナは部屋を覗き込んだ。本がぎっちりと並べられた大きな棚が無数に置かれ、近くには書見台と机がある。
「入ってもいい?」と聞くと、トリスタンが頷くのを見てニーナは図書室に足を踏み入れた。
図書室の広さと書棚の多さにニーナは圧倒され、思わず「わぁ……」と呟く。
「嬢ちゃん、アンタは本が好きなのかい?」
トリスタンの問いに、ニーナは「うん、あんまり文字を読むのは得意じゃないけど」と答えた。
「へぇ」と一言呟いて、彼は顎に手を置く。
「アンタの出身はアムール村と言ったな。アムール……アムール……。聞いたこともない名前だなぁ。そんなところに字を読める人間がいるんだな」
トリスタンの独り言には耳を向けずに、ニーナは図書室の机を見た。書見台の裏側に2体のぬいぐるみが置いてあった。思わずニーナは、それらを指さして彼に聞いた。
「どうしてぬいぐるみがここにあるの?」
「ん?あぁ、これは仕事道具だ」
物思いに耽っていたトリスタンは我に返って答える。ニーナは彼の言葉を聞いて口をあんぐりとさせた。
「し、仕事道具?これが?」
どこからどう見ても片手に収まるぬいぐるみを『仕事道具』と称されたことが、ニーナには理解出来なかった。
トリスタンはそれぞれのぬいぐるみを指し示してさらに続ける。
「ああ、そうだ。この熊が『りりぃ』って名前で、こっちの犬が『めるる』って名前だ。触ってもいいけど壊すなよ。今回は2体しか持ってきてないからな」
ぬいぐるみを近くで凝視するニーナを見て、彼は注意した。ニーナはぬいぐるみたちに付けられた名前を聞いて思わず吹き出してしまう。
彼女は手を伸ばしてぬいぐるみを触った。
タネも仕掛けもない、ただのぬいぐるみだった。
彼女はそれを見て、アムール村に残して行った手製の人形を思い出していた。
「これが、仕事道具?」
怪訝な表情で聞くニーナを気にも留めず、トリスタンは「まあ、じきに分かるさ」と言って書見台の前に行った。
ニーナも彼について行って、彼が読んでいる本の文章を後ろから覗き込んだ。
それには『神に仕える者について』と書かれていた。トリスタンは振り向きもせずに彼女に言った。
「アンタは一応、グナーテ王国出身ってなるよな。グナーテは光の神を信仰する国だそうだが、アンタも光の神ってやつを信じてるのか?」
突発的な質問にニーナは面食らうが、頷いて答える。
「神様っていうのは、いつも聞かされていたかな。……光の神様だったのかな」
それを聞いて、トリスタンはニーナに顔を向けた。
「ふうん……。一応言っておくが、これからアンタが向かうアッシュってとこは、光の神を信仰するグナーテ王国と、闇の神を信仰するウンブラ帝国の間に挟まれた奇妙で野蛮な地域だ。そこでは、文化や習慣とか色々違うところもあるが、あんまり気にすんなよ。ま、アンタは狂信者じゃなさそうだから大丈夫だとは思うがな」
彼の言葉はこれから行く場所への忠告にも聞こえた。
ニーナはそれを素直に受け取る。
「うん。トリスタンはアッシュから来たの?」
ニーナの質問にトリスタンは「そうだ」と答える。彼女は悪気なくもう一つの問いを投げかけた。
「じゃあトリスタンはどの神様を信じているの?」
その疑問に、トリスタンの体は一瞬だけぴくっと固まる。それを察して、ニーナはあっと声を出す。
「まあ……いないとは思わないが……。神様とやらには失望しているがな」
絞り出すような彼の声に、ニーナは無神経なことを聞いたと謝った。
気まずい空気のまま、ニーナは図書室を後にした。
トリスタンは最後に「気にすんな」と彼女に言ったものの、彼女は痛む足を庇いもせず、早足で音を立てて自分の部屋に戻って行った。
部屋の枕に顔を埋めて、ニーナは溜息をつく。
天蓋を見上げて、手のひらをかざした。軽々しく放ってしまった言葉が頭の中を駆け巡る。暗い静かな夜が長く続いた。
ニーナはベッドの上で伸びをしていた。どうやら外は夜らしく辺りは静まり返っている。
彼女は足の怪我のため、今日は外出せず休むようクロエに勧められていた。その言葉に従って客室で横になっていたものの、なかなか寝付くことが出来なかったのだ。
ニーナは部屋から出て、ネール城内を彷徨い始めた。特に行く当てもなく、冷えた空気を吸い込んで足が痛まぬようゆったりと歩いている。
ふと、脇の部屋から明かりが漏れているのに気付いた。扉は閉め切られておらず、誰かがいる気配が伝わってくる。ニーナは扉の隙間から中を覗いた。
何者かは分からないが、一人で本を読んでいるらしい。ニーナはそこから離れようとしたが、
その部屋から「何をしているんだ」と声を掛けられた。
振り向くと、そこには右目に布を巻いた男が腕を組んで立っている。
トリスタンだ。
彼はニーナを見るとやれやれと言わんばかりに額に手を当てる。
「眠れないんだな」
「あの……ここで一体何を?」
ニーナは唾を飲み込んで、トリスタンに尋ねた。トリスタンは部屋の入り口から体を退けて言った。
「見て分からないか?ここは図書室さ。アンタがここを出るまでの間だけ、俺はここに住まわせてもらってるんだ」
ニーナは部屋を覗き込んだ。本がぎっちりと並べられた大きな棚が無数に置かれ、近くには書見台と机がある。
「入ってもいい?」と聞くと、トリスタンが頷くのを見てニーナは図書室に足を踏み入れた。
図書室の広さと書棚の多さにニーナは圧倒され、思わず「わぁ……」と呟く。
「嬢ちゃん、アンタは本が好きなのかい?」
トリスタンの問いに、ニーナは「うん、あんまり文字を読むのは得意じゃないけど」と答えた。
「へぇ」と一言呟いて、彼は顎に手を置く。
「アンタの出身はアムール村と言ったな。アムール……アムール……。聞いたこともない名前だなぁ。そんなところに字を読める人間がいるんだな」
トリスタンの独り言には耳を向けずに、ニーナは図書室の机を見た。書見台の裏側に2体のぬいぐるみが置いてあった。思わずニーナは、それらを指さして彼に聞いた。
「どうしてぬいぐるみがここにあるの?」
「ん?あぁ、これは仕事道具だ」
物思いに耽っていたトリスタンは我に返って答える。ニーナは彼の言葉を聞いて口をあんぐりとさせた。
「し、仕事道具?これが?」
どこからどう見ても片手に収まるぬいぐるみを『仕事道具』と称されたことが、ニーナには理解出来なかった。
トリスタンはそれぞれのぬいぐるみを指し示してさらに続ける。
「ああ、そうだ。この熊が『りりぃ』って名前で、こっちの犬が『めるる』って名前だ。触ってもいいけど壊すなよ。今回は2体しか持ってきてないからな」
ぬいぐるみを近くで凝視するニーナを見て、彼は注意した。ニーナはぬいぐるみたちに付けられた名前を聞いて思わず吹き出してしまう。
彼女は手を伸ばしてぬいぐるみを触った。
タネも仕掛けもない、ただのぬいぐるみだった。
彼女はそれを見て、アムール村に残して行った手製の人形を思い出していた。
「これが、仕事道具?」
怪訝な表情で聞くニーナを気にも留めず、トリスタンは「まあ、じきに分かるさ」と言って書見台の前に行った。
ニーナも彼について行って、彼が読んでいる本の文章を後ろから覗き込んだ。
それには『神に仕える者について』と書かれていた。トリスタンは振り向きもせずに彼女に言った。
「アンタは一応、グナーテ王国出身ってなるよな。グナーテは光の神を信仰する国だそうだが、アンタも光の神ってやつを信じてるのか?」
突発的な質問にニーナは面食らうが、頷いて答える。
「神様っていうのは、いつも聞かされていたかな。……光の神様だったのかな」
それを聞いて、トリスタンはニーナに顔を向けた。
「ふうん……。一応言っておくが、これからアンタが向かうアッシュってとこは、光の神を信仰するグナーテ王国と、闇の神を信仰するウンブラ帝国の間に挟まれた奇妙で野蛮な地域だ。そこでは、文化や習慣とか色々違うところもあるが、あんまり気にすんなよ。ま、アンタは狂信者じゃなさそうだから大丈夫だとは思うがな」
彼の言葉はこれから行く場所への忠告にも聞こえた。
ニーナはそれを素直に受け取る。
「うん。トリスタンはアッシュから来たの?」
ニーナの質問にトリスタンは「そうだ」と答える。彼女は悪気なくもう一つの問いを投げかけた。
「じゃあトリスタンはどの神様を信じているの?」
その疑問に、トリスタンの体は一瞬だけぴくっと固まる。それを察して、ニーナはあっと声を出す。
「まあ……いないとは思わないが……。神様とやらには失望しているがな」
絞り出すような彼の声に、ニーナは無神経なことを聞いたと謝った。
気まずい空気のまま、ニーナは図書室を後にした。
トリスタンは最後に「気にすんな」と彼女に言ったものの、彼女は痛む足を庇いもせず、早足で音を立てて自分の部屋に戻って行った。
部屋の枕に顔を埋めて、ニーナは溜息をつく。
天蓋を見上げて、手のひらをかざした。軽々しく放ってしまった言葉が頭の中を駆け巡る。暗い静かな夜が長く続いた。
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