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25話 旧ダンジョン その3

ー/ー



「――ッ!」

 蒼白い魔力が、エルメスの指先から迸った。

 直撃。

 アラクネクイーンの前脚が一本、根元から吹き飛ぶ。黒い魔力が霧のように散り、断面から噴き出した体液が石床を焦がした。だが、それだけだ。AAAクラスの化物は怯みもせず、断面をゆっくりと再生させながら、残った脚で重心を取り直す。

 ……一発じゃ足りないか。当たり前か。

 天井の闇から新たな糸が垂れ下がる。壁に張り付いた子蜘蛛たちがざわめき始め、空間全体が巣の中へと変わっていく。

「エルメス! 右!」

 シャネルの声に反射的に跳ぶ。鎌脚が石床を穿ち、岩の破片が頬を掠めた。

「助かりましたわ!」
「礼はいい! それより動いて!」

 シャネルが矢を連射しながら壁際を走る。一本一本は大したダメージにならない。だが狙いは複眼だ。八つある目のひとつひとつを丁寧に潰していく、地道で正確な仕事だった。視力を奪われるたびに、アラクネの動きに僅かなぶれが生じる。その隙を、ガストンが見逃さない。

「俺の黒銃は、仲間が傷ついてから本気を出すんでなぁ!!」

 ガストンが狂ったような笑顔で魔導弾を叩き込む。シャネルが射抜いた傷口に、正確に、執念深く。一発一発が外骨格を削り、少しずつ深みを増していった。

「ヴァイオレット!」
「わかってる!」

 ヴァイオレットの魔糸がアラクネの後脚に絡みつき、動きを一瞬だけ殺した。その隙にエルメスが魔力を叩き込む。また一本、脚が吹き飛ぶ。

 六本。五本。四本。

 じわじわと、削れていく。

 だがアラクネも、ただやられてはいない。残った脚で空間を縦横に駆け、天井へ糸を放ちながら、こちらの連携を崩す位置へ絶えず動き続ける。アルエルの話術によるバフがなければ、とっくに誰かがやられていた。

 ……長くは持たない。エルメスの魔力も、あいつらの体力も、限界が近い。

 その時だった。

 アラクネクイーンが、ぴたりと動きを止めた。

 残った複眼が、ゆっくりと戦場を舐める。前衛のエルメス()、壁際のシャネル、後方のガストン、糸を張り続けるヴァイオレット――そして、岩壁に背を預けたアルエルと、傍らで止血を続けるネネ。

 狙いを定めた。ネネだ。

 一番消耗していて、一番動けない。アルエルの命綱を断ち切れば、戦線が崩れる。それを理解した上で、こいつは動こうとしている。

 ……賢い。意志がないくせに、本能だけで戦場を読みやがる。

「ネネ、逃げろ!」

 俺がエルメスの声で叫ぶより早く、アラクネが跳んだ。天井を蹴り、一瞬で距離を詰める。鎌脚が、アルエルごとネネを串刺しにせんと振り下ろされる――

「――止まれ」

 静かな声だった。

 怒号でも絶叫でもない。ただ低く、重く、空気そのものに刻み込まれるような声。

 アルエルが、立っていた。

 ネネによる止血はまだ終わっていない。右腕の断面には痛々しい包帯が巻き付けられ、顔は紙のように白い。
 それでも、残った左手で剣を構え、アラクネを正面から見据えていた。

「お前の相手は僕だ」

 鎌脚が、止まった。

 コンマ数秒ではない。今度は明らかに長い。意志なき暴走個体の本能が、その声に刻まれた何かに反応して、動けなくなっていた。

 ……化物め。

「全員、聞くんだ」

 アルエルが戦場全体に向かって言った。血が唇を濡らしていたが、声は一切ぶれなかった。

「ガストン。君の弾は、必ず敵に届く」

 ガストンが、ぴくりと肩を揺らした。疲弊で白んでいた目に、じわりと色が戻る。

「ヴァイオレット。君の糸は、どんな怪物も縛れる。嘘じゃない」

 ヴァイオレットが息を飲んだ。限界まで酷使した指先が、ふたたびゆっくりと動き始める。

「シャネル。君の矢は、決して外れることはない。僕が保証する」

 シャネルが、静かに弓を引き絞った。

「――エルメス」

 アルエルの目が、こちらを向いた。血まみれで、青白くて、それでもまっすぐだった。

「君の魔力で、道を開いてくれ。――トドメは、僕が刺す」

 俺はエルメスの体の中で、一瞬だけ黙った。

 あの嫌な感覚が全身に走る。
 それでも今だけは、素直に受け入れた。

 なるほど。
 これは確かにとんでもない力だ。
 アルエルの言霊によって、エルメスの魔力が膨れ上がっていく。消耗していた体力も、明らかに回復している。

 ……勇者候補は、伊達じゃないってか。

「――最後に」

 アルエルが残った左手で剣を構え直しながら、今度は自分自身に向かって言った。

「僕は――まだ、戦える」

 その瞬間。

 アルエルの全身から、ぶわりと青色の魔力が溢れた。言霊が、肉体そのものに刻まれる。止まりかけていた血が勢いを失い、折れかけていた体がぎしりと立て直される。片腕を失った剣士が、死の淵から引き戻されるような光景だった。

 ……あいつ、自分に言い聞かせやがった。

「行くぞ!」

 アルエルが地を蹴った。


 ◆


「ガストン! 煙幕を!」
「任せろォォォォッ!!」

 魔導弾がアラクネの複眼周辺で炸裂し、黒煙が視界を塗りつぶす。視力を失ったアラクネが僅かに動きを乱した――その瞬間を、ヴァイオレットは見逃さなかった。

「――全部、使うわ!」

 彼女の指先から放たれた魔糸が、アラクネの残った全脚を一気に絡め取る。ぴんと張りつめた糸が悲鳴を上げながらも、AAAクラスの足を石床に縫い付けた。

「――グガァアアアアアアッ!!」

 アラクネが絶叫する。引き千切ろうと全力で暴れるが、ヴァイオレットが魔力のすべてを注ぎ込んだ糸は、容易には切れない。

 だが、断面から黒い体液が吹き出しながらも、砕けた外骨格がぐちゅりと音を立てて再生し始めていた。削っても削っても、こいつは死なない。

 今だ。

「――重力檻(グラビティ・ケージ)ッ!!」

 エルメス()は杖を地面に突き立て、全魔力を叩き込んだ。

 ドーム状の方陣が展開され、アラクネを中心とした空間に超重力が発生する。AAAクラスの巨体が、まるで見えない巨人に押さえつけられるように、ぐずりと石床へ沈み込んだ。

「グ――グガガガガガッ!?」

 暴れるが、動けない。重力の檻は、魔力による再生すら遅らせる。外骨格の隙間から蒼白い魔力が漏れ出し、断末魔のように空間を揺らした。

「シャネル!」

 シャネルは何も言わなかった。

 ただ、矢を放つ。

 重力で頭を押さえつけられたアラクネの口腔部へ、一直線に。

 アラクネの咆哮が、途切れた。

「――今ッ! アルエル!!」

 俺の声より早く、アルエルはもう動いていた。

 地を這うように加速し、アラクネの懐へと滑り込む。左手一本で剣を逆手に持ち替え、ガストンの魔導弾が撃ち抜いた胸部の傷口――剥き出しになった魔力の奔流――へと、全体重を乗せて突き立てた。

「――はぁッ!!」

 黄金の剣が、アラクネの体内へ深々と沈む。

 キィィィィィィン――

 空間が甲高い音を立てて震えた。黄金の剣が内部で暴走する魔力と激突し、凄まじい閃光を放つ。アラクネの体内から溢れ出ていた漆黒の魔光が、黄金の輝きに飲み込まれていく。

 ……いける。

「――蒼炎貫通(ブルー・ランス)ッ!!」

 俺はエルメスの残った全魔力を、アルエルの剣が作り出した穴へと叩き込んだ。蒼白い炎の槍が、アラクネの内部を貫通し、背面から突き抜ける。

 轟音。

 閃光。

 ――静寂。


 ◆


 どのくらいの間、誰も動かなかっただろう。

 煙が晴れると、アラクネクイーンが倒れていた。胸部に大穴が開き、残った脚が一本、また一本と力を失い、ゆっくりと折り畳まれていく。魔力の残滓が黒い霧となって漂い、やがて溶けるように消えた。

 ドーム状の空洞が、しん、と静まり返った。

「……終わった、のか」

 ガストンが呆然と呟く。

 誰も答えなかった。

 それから数秒後、ガストンが愛銃を空へ向けて一発撃った。

「――っしゃァァァァァッ!! やったぞ!! AAAクラスを、倒しやがったァァァァッ!!」

 雄叫びが、空洞に反響する。

「……ほんとうに、勝てた……」

 ヴァイオレットが、へたりと床に座り込んだ。魔糸を使い果たした指先が、細かく震えている。だがその顔には、隠しきれない笑みが浮かんでいた。

「……シャネル」

 ネネが、傍らのシャネルをそっと呼んだ。

「うん」

 シャネルが短く返す。弓を下ろし、エルメス(こちら)をちらりと見た。その目に、何かが揺れていた。

 俺――エルメスは、その場に膝をついた。魔力を使い切ったエルメスの体が、ひどく重い。手が震えている。指先に、まだ魔力の熱が残っていた。

 ……終わった。本当に、終わった。

「……エルメス嬢」

 ガストンが、大股でこちらへ歩み寄ってきた。煤けた顔も気にした様子もなく、エルメスの前でがっしりと片膝をついた。

「……礼をいう」

 低い声だった。さっきまでの大声が嘘のような、静かな声だった。

「AAAクラスを相手に前に立って、あんな大魔法を二発もぶっ放して――俺は今日、お前に命を救われた」

 ヴァイオレットが、黙って頷いた。

 シャネルは何も言わなかったが、エルメスから視線を逸らさなかった。

 ……こいつら、本気で言ってやがる。

「……大げさですわ」

 俺はエルメスの口を動かし、できるだけ涼しい顔を作った。

「勝てたのは全員が動いたからですわ。私一人では、何もできませんでしたもの」

「それでも」とガストンは言った。

「あの局面で、重力檻(グラビティ・ケージ)を展開したのはエルメス嬢だ。エルメス嬢が道を作らなければ、アルエルは動けなかった。俺たちも、動けなかった」

 俺は何も言えなかった。

 エルメスの顔で、ただ前を向いていた。

 ――その視線の先で、アルエルがゆっくりと立ち上がっていた。

 左手の剣を鞘に収め、岩壁に背を向け、こちらへ歩いてくる。その目は静かで、さっきまでの青色の輝きはもうない。ただ、値踏みするような視線だけが戻っていた。

 ……こいつだけは、違う顔をしてる。

「エルメス嬢」

 アルエルが立ち止まり、こちらを見下ろした。

「感謝する」

 それだけ言った。

 褒めているのか、確認しているのか、俺には判断できなかった。声に温度がない。賞賛でも侮蔑でもなく、ただ事実を述べているような口調だった。

 ……こいつは何かに気づいてる。気づいてはいないが、引っかかってる。どちらかはわからない。

「……お互い様ですわ」

 俺はエルメスの口を動かし、アルエルから視線を外した。

 アルエルは少しの間、こちらを見ていた。それから、何も言わずに踵を返した。


 ◆


 ネネが改めてアルエルの腕の処置を始める音がした。ガストンがヴァイオレットを抱き起こしながら、さっきの戦闘を大声で語り始めている。シャネルが俺の隣に静かに座った。

 俺はそっと手を床についた。冷たい石の感触が、じわりと掌に伝わってくる。

 アラクネを作ったのは俺だ。暴走させたのも、俺だ。あいつの腕を失わせたのも――全部、俺の失敗だ。

 計画は狂い、持ち駒は失い、この先どうなるかも見えていない。

 それでも。
 ……生き残った。

 煙が消えた天井の向こうに、ダンジョンの闇が広がっている。まだ先は長い。やるべきことも、山ほどある。
 だが今だけは、この静けさの中に、少しだけいさせてくれ。

 俺はゆっくりと目を閉じた。


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 蒼白い魔力が、エルメスの指先から迸った。
 直撃。
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 シャネルの声に反射的に跳ぶ。鎌脚が石床を穿ち、岩の破片が頬を掠めた。
「助かりましたわ!」
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「ヴァイオレット!」
「わかってる!」
 ヴァイオレットの魔糸がアラクネの後脚に絡みつき、動きを一瞬だけ殺した。その隙にエルメスが魔力を叩き込む。また一本、脚が吹き飛ぶ。
 六本。五本。四本。
 じわじわと、削れていく。
 だがアラクネも、ただやられてはいない。残った脚で空間を縦横に駆け、天井へ糸を放ちながら、こちらの連携を崩す位置へ絶えず動き続ける。アルエルの話術によるバフがなければ、とっくに誰かがやられていた。
 ……長くは持たない。エルメスの魔力も、あいつらの体力も、限界が近い。
 その時だった。
 アラクネクイーンが、ぴたりと動きを止めた。
 残った複眼が、ゆっくりと戦場を舐める。前衛の|エルメス《俺》、壁際のシャネル、後方のガストン、糸を張り続けるヴァイオレット――そして、岩壁に背を預けたアルエルと、傍らで止血を続けるネネ。
 狙いを定めた。ネネだ。
 一番消耗していて、一番動けない。アルエルの命綱を断ち切れば、戦線が崩れる。それを理解した上で、こいつは動こうとしている。
 ……賢い。意志がないくせに、本能だけで戦場を読みやがる。
「ネネ、逃げろ!」
 俺がエルメスの声で叫ぶより早く、アラクネが跳んだ。天井を蹴り、一瞬で距離を詰める。鎌脚が、アルエルごとネネを串刺しにせんと振り下ろされる――
「――止まれ」
 静かな声だった。
 怒号でも絶叫でもない。ただ低く、重く、空気そのものに刻み込まれるような声。
 アルエルが、立っていた。
 ネネによる止血はまだ終わっていない。右腕の断面には痛々しい包帯が巻き付けられ、顔は紙のように白い。
 それでも、残った左手で剣を構え、アラクネを正面から見据えていた。
「お前の相手は僕だ」
 鎌脚が、止まった。
 コンマ数秒ではない。今度は明らかに長い。意志なき暴走個体の本能が、その声に刻まれた何かに反応して、動けなくなっていた。
 ……化物め。
「全員、聞くんだ」
 アルエルが戦場全体に向かって言った。血が唇を濡らしていたが、声は一切ぶれなかった。
「ガストン。君の弾は、必ず敵に届く」
 ガストンが、ぴくりと肩を揺らした。疲弊で白んでいた目に、じわりと色が戻る。
「ヴァイオレット。君の糸は、どんな怪物も縛れる。嘘じゃない」
 ヴァイオレットが息を飲んだ。限界まで酷使した指先が、ふたたびゆっくりと動き始める。
「シャネル。君の矢は、決して外れることはない。僕が保証する」
 シャネルが、静かに弓を引き絞った。
「――エルメス」
 アルエルの目が、こちらを向いた。血まみれで、青白くて、それでもまっすぐだった。
「君の魔力で、道を開いてくれ。――トドメは、僕が刺す」
 俺はエルメスの体の中で、一瞬だけ黙った。
 あの嫌な感覚が全身に走る。
 それでも今だけは、素直に受け入れた。
 なるほど。
 これは確かにとんでもない力だ。
 アルエルの言霊によって、エルメスの魔力が膨れ上がっていく。消耗していた体力も、明らかに回復している。
 ……勇者候補は、伊達じゃないってか。
「――最後に」
 アルエルが残った左手で剣を構え直しながら、今度は自分自身に向かって言った。
「僕は――まだ、戦える」
 その瞬間。
 アルエルの全身から、ぶわりと青色の魔力が溢れた。言霊が、肉体そのものに刻まれる。止まりかけていた血が勢いを失い、折れかけていた体がぎしりと立て直される。片腕を失った剣士が、死の淵から引き戻されるような光景だった。
 ……あいつ、自分に言い聞かせやがった。
「行くぞ!」
 アルエルが地を蹴った。
 ◆
「ガストン! 煙幕を!」
「任せろォォォォッ!!」
 魔導弾がアラクネの複眼周辺で炸裂し、黒煙が視界を塗りつぶす。視力を失ったアラクネが僅かに動きを乱した――その瞬間を、ヴァイオレットは見逃さなかった。
「――全部、使うわ!」
 彼女の指先から放たれた魔糸が、アラクネの残った全脚を一気に絡め取る。ぴんと張りつめた糸が悲鳴を上げながらも、AAAクラスの足を石床に縫い付けた。
「――グガァアアアアアアッ!!」
 アラクネが絶叫する。引き千切ろうと全力で暴れるが、ヴァイオレットが魔力のすべてを注ぎ込んだ糸は、容易には切れない。
 だが、断面から黒い体液が吹き出しながらも、砕けた外骨格がぐちゅりと音を立てて再生し始めていた。削っても削っても、こいつは死なない。
 今だ。
「――|重力檻《グラビティ・ケージ》ッ!!」
 |エルメス《俺》は杖を地面に突き立て、全魔力を叩き込んだ。
 ドーム状の方陣が展開され、アラクネを中心とした空間に超重力が発生する。AAAクラスの巨体が、まるで見えない巨人に押さえつけられるように、ぐずりと石床へ沈み込んだ。
「グ――グガガガガガッ!?」
 暴れるが、動けない。重力の檻は、魔力による再生すら遅らせる。外骨格の隙間から蒼白い魔力が漏れ出し、断末魔のように空間を揺らした。
「シャネル!」
 シャネルは何も言わなかった。
 ただ、矢を放つ。
 重力で頭を押さえつけられたアラクネの口腔部へ、一直線に。
 アラクネの咆哮が、途切れた。
「――今ッ! アルエル!!」
 俺の声より早く、アルエルはもう動いていた。
 地を這うように加速し、アラクネの懐へと滑り込む。左手一本で剣を逆手に持ち替え、ガストンの魔導弾が撃ち抜いた胸部の傷口――剥き出しになった魔力の奔流――へと、全体重を乗せて突き立てた。
「――はぁッ!!」
 黄金の剣が、アラクネの体内へ深々と沈む。
 キィィィィィィン――
 空間が甲高い音を立てて震えた。黄金の剣が内部で暴走する魔力と激突し、凄まじい閃光を放つ。アラクネの体内から溢れ出ていた漆黒の魔光が、黄金の輝きに飲み込まれていく。
 ……いける。
「――|蒼炎貫通《ブルー・ランス》ッ!!」
 俺はエルメスの残った全魔力を、アルエルの剣が作り出した穴へと叩き込んだ。蒼白い炎の槍が、アラクネの内部を貫通し、背面から突き抜ける。
 轟音。
 閃光。
 ――静寂。
 ◆
 どのくらいの間、誰も動かなかっただろう。
 煙が晴れると、アラクネクイーンが倒れていた。胸部に大穴が開き、残った脚が一本、また一本と力を失い、ゆっくりと折り畳まれていく。魔力の残滓が黒い霧となって漂い、やがて溶けるように消えた。
 ドーム状の空洞が、しん、と静まり返った。
「……終わった、のか」
 ガストンが呆然と呟く。
 誰も答えなかった。
 それから数秒後、ガストンが愛銃を空へ向けて一発撃った。
「――っしゃァァァァァッ!! やったぞ!! AAAクラスを、倒しやがったァァァァッ!!」
 雄叫びが、空洞に反響する。
「……ほんとうに、勝てた……」
 ヴァイオレットが、へたりと床に座り込んだ。魔糸を使い果たした指先が、細かく震えている。だがその顔には、隠しきれない笑みが浮かんでいた。
「……シャネル」
 ネネが、傍らのシャネルをそっと呼んだ。
「うん」
 シャネルが短く返す。弓を下ろし、|エルメス《こちら》をちらりと見た。その目に、何かが揺れていた。
 俺――エルメスは、その場に膝をついた。魔力を使い切ったエルメスの体が、ひどく重い。手が震えている。指先に、まだ魔力の熱が残っていた。
 ……終わった。本当に、終わった。
「……エルメス嬢」
 ガストンが、大股でこちらへ歩み寄ってきた。煤けた顔も気にした様子もなく、エルメスの前でがっしりと片膝をついた。
「……礼をいう」
 低い声だった。さっきまでの大声が嘘のような、静かな声だった。
「AAAクラスを相手に前に立って、あんな大魔法を二発もぶっ放して――俺は今日、お前に命を救われた」
 ヴァイオレットが、黙って頷いた。
 シャネルは何も言わなかったが、エルメスから視線を逸らさなかった。
 ……こいつら、本気で言ってやがる。
「……大げさですわ」
 俺はエルメスの口を動かし、できるだけ涼しい顔を作った。
「勝てたのは全員が動いたからですわ。私一人では、何もできませんでしたもの」
「それでも」とガストンは言った。
「あの局面で、|重力檻《グラビティ・ケージ》を展開したのはエルメス嬢だ。エルメス嬢が道を作らなければ、アルエルは動けなかった。俺たちも、動けなかった」
 俺は何も言えなかった。
 エルメスの顔で、ただ前を向いていた。
 ――その視線の先で、アルエルがゆっくりと立ち上がっていた。
 左手の剣を鞘に収め、岩壁に背を向け、こちらへ歩いてくる。その目は静かで、さっきまでの青色の輝きはもうない。ただ、値踏みするような視線だけが戻っていた。
 ……こいつだけは、違う顔をしてる。
「エルメス嬢」
 アルエルが立ち止まり、こちらを見下ろした。
「感謝する」
 それだけ言った。
 褒めているのか、確認しているのか、俺には判断できなかった。声に温度がない。賞賛でも侮蔑でもなく、ただ事実を述べているような口調だった。
 ……こいつは何かに気づいてる。気づいてはいないが、引っかかってる。どちらかはわからない。
「……お互い様ですわ」
 俺はエルメスの口を動かし、アルエルから視線を外した。
 アルエルは少しの間、こちらを見ていた。それから、何も言わずに踵を返した。
 ◆
 ネネが改めてアルエルの腕の処置を始める音がした。ガストンがヴァイオレットを抱き起こしながら、さっきの戦闘を大声で語り始めている。シャネルが俺の隣に静かに座った。
 俺はそっと手を床についた。冷たい石の感触が、じわりと掌に伝わってくる。
 アラクネを作ったのは俺だ。暴走させたのも、俺だ。あいつの腕を失わせたのも――全部、俺の失敗だ。
 計画は狂い、持ち駒は失い、この先どうなるかも見えていない。
 それでも。
 ……生き残った。
 煙が消えた天井の向こうに、ダンジョンの闇が広がっている。まだ先は長い。やるべきことも、山ほどある。
 だが今だけは、この静けさの中に、少しだけいさせてくれ。
 俺はゆっくりと目を閉じた。