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24話 旧ダンジョン その2

ー/ー



「――ギチィイイイイイイイイイイイッ!!」

 アラクネクイーンの咆哮は、もはや生物の出す音ではなかった。

「「「――――ッ!?」」」

 ドーム状の空洞全体が共鳴し、逃げ場のない超重低音が俺――エルメスの五臓六腑を直接揺さぶる。天井からは拳大の岩石が火花の雨のように降り注ぎ、地面を激しく叩く。

 俺のコアから流れ込んだ魔力が、こいつを別の何かに変えてしまっていた。床が罅割れ、空気が震え、天井の岩が粉塵となって降り注ぐ。ただ存在しているだけで、周囲を壊し続ける。それがAAAクラスという化物の、理不尽な現実だった。

「はぁッ!」

 アルエルが黄金の剣を盾のように構え、アラクネの巨大な鎌脚を紙一重で受け流す。

 ガガガッ! と火花が散り、剣が悲鳴を上げる。だが、アルエルは吹っ飛ばされない。重心を極限まで低く保ち、AAAクラスの暴力を超人的な体捌きでいなしてみせた。

「――――」

 アルエルの瞳は、絶望に支配されるどころか、猛禽類のような冷徹さでアラクネの一挙一動を"読んで"いた。今の一撃、並の冒険者なら防具ごとひき肉だ。なのに一歩も引いていない。

「――今度はこっちから行くぞ!」

 アルエルが躊躇うことなく踏み込んだ。

 その動きは、俺が今まで見てきたどの冒険者とも違った。無駄がない。恐怖がない。ただ純粋に、目の前の化物を殺すための動きだけがある。

 アラクネクイーンの右腕――鋭く巨大な肢が、薙ぎ払うように横に走った。

「ッ!」

 アルエルは紙一重で躱し、剣をアラクネの胴へと叩き込む。だが、刃は硬質化した外骨格に弾かれ、火花だけが散った。

「硬い……! 外皮が変質してる!」
「ガストン、援護よ!」

 ヴァイオレットの声に、ガストンが銃口を向ける。

 轟音。

 放たれた弾丸がアラクネの側面を抉ったが、致命傷には程遠い。それどころか、アラクネはその衝撃を意に介した様子もなく、今度は天井へ向けて糸を放った。

 糸が縦横無尽に張り巡らされ、空間が一瞬で蜘蛛の巣に変わる。

「結界――!」

 ネネが咄嗟に展開した半透明の壁が、降り注ぐ糸を受け止めた。だが、その結界にみるみる亀裂が走る。

「ネネの結界が……削れてる!?」
「魔力密度、高すぎっ!」
「持たせろ、ネネ! 今すぐには無理でも、隙を作れ!」

 ……くそっ。紅蓮、普通に強い。それでもギリギリだ。

 その時だった。

 アラクネクイーンの視線が、ゆっくりとこちらへ向いた。

 ……え?

「エルメス嬢、下がれ――!」

 アルエルの叫びより早く、アラクネの糸がエルメスめがけて飛んできた。

 俺は反射的にエルメスの体を動かし、横へ跳ぶ。糸が耳元を掠め、石床を抉った。

 あっ、あっぶねぇッ! なんでエルメス(こっち)に攻撃してくんだよ!

「――――シャネル!?」

 振り返ると、シャネルが壁際に張り付いた糸に足を取られ、身動きが取れなくなっていた。アラクネの子蜘蛛たちが、じわじわと距離を詰めている。

「くそっ!」

 俺は慌ててエルメスからアラクネクイーンへと操作対象を変更した。
 女王の肉体を直接操り、この訳のわからないアドリブをやめさせようとした――その時だ。

「――――!?」

 なんだ、これ……っ!?

 アラクネと意識を同調させた瞬間、俺の脳内に流れ込んできたのは、これまで感じたことのない異様な『熱』と『飢餓感』だった。

 魔力を取り込みすぎたアラクネクイーンの中の寄生虫が、あまりの出力に精神を焼き切られ、完全に自我を崩壊させていた。

 ま、待て! 落ち着け! 俺の指示を聞けッ!

 再度アラクネへの同調を試みる。だが、返ってくるのは濁った魔力の奔流だけだ。まるで嵐の中に手を突っ込んでいるような感覚で、指示が届く気配がまるでない。

 ……は? なんで蜘蛛(こいつら)まで俺の命令を効かねぇんだよ! 一体何がどうなってやがるんだぁッ!

「くっ……!」

 シャネルが必死に矢を放つが、小蜘蛛の数が多すぎる。

 ……このままじゃシャネルがやられる。エルメスを動かすしかない。

「シャネル、動かないでいなさい!」

 俺はエルメスの両手に魔力を込め、呪文を叩き込んだ。炎の奔流が小蜘蛛の群れを薙ぎ払い、シャネルの周囲を一瞬だけ焼き尽くす。

「……助かった」
「礼は後でよろしくてよ!」

 だが、喜んでいる暇はなかった。
 暴走したアラクネクイーンの制御が未だ戻らない。

「ガストン、煙弾を使って正面の視界を奪うんだ!  ヴァイオレット、君はこいつの脚を止めてくれ!」

 アルエルの声が響いた瞬間、場の空気が一変した。

 それは命令というより、聞く者に“それが唯一の勝利への道だ”と確信させる魔音だった。

 ……話術士、か。
 想像していた以上に厄介な職業(クラス)だな。

「……任せろ」

 ――ドンッ、ドンッ、ドンッ!!

 放たれた特製の魔導弾がアラクネの複眼付近で炸裂し、黒い煙を撒き散らす。

「――――ッ」

 通常、視力を奪われればモンスターは混乱する。だが、魔王個体となったアラクネには通用しない。煙を突き破り、弾丸を再生する肉体で弾き返しながら、さらに速度を増して突進する。

「――させないッ! アルエルの言う通りにすれば、私たちが負けることは絶対にない!」

 ヴァイオレットが指先を舞わせ、無数の『魔糸』がアラクネの節足を複雑に絡め取った。

「――グガァアアアアアアッ!」

 AAAクラスの怪力をもってしても、ヴァイオレットが魔力のすべてを注ぎ込んだ糸は容易には切れない。

 操糸士……彼女も厄介な相手だな。

 ヴァイオレットの魔糸により、一瞬だが、アラクネクイーンの動きが完全に止まった。

「今だッ!」

 アルエルが地を蹴った。黄金の剣が魔力の奔流を纏い、流星のような速度でアラクネの胸部へと突き出される。

 あれをまともに喰らえば、いくらアラクネでも持たない!

「ギ、ギギギ……アッ、ア、アアアアアアッ!!」

 アラクネの口から、おぞましい絶叫が上がった。

 刹那、絡みついていたヴァイオレットの魔糸が、内側から爆発するように引き千切られた。

「――っ!?」

 アルエルの突き出した剣が届く寸前、アラクネの身体が“消えた”。

 余剰魔力による爆発的な加速だ。アラクネの鎌脚が、無防備なアルエルの胴体目掛けて真横から一閃される。

「――――止まれェッ!!」

 アルエルの怒号が、爆音を切り裂いて響き渡った。

「――――ッ」

 その瞬間、凄まじい速度で振り抜かれていたはずの鎌脚が、まるで見えない壁にぶち当たったかのように、空中でピタリと止まった。

 意志なき暴走個体ですら、アルエルの言霊の重圧を無視できなかったのだ。

 ……っ、嘘だろ!? この状況で動きを止めたのかよ!? それもあんな一言で!?

 だが、その硬直はコンマ数秒に過ぎなかった。
 アラクネクイーンの出力が、アルエルの“話術”による拘束力を強引に破砕する。

「ぐ、あ、あああああああッ!!」

 致命傷こそ避けたものの、黄金の剣を構えていたアルエルの右腕が——肩の根元から、無造作に刈り取られていた。

 鮮血が噴水のように舞い、アルエルの身体がゴミのように岩壁へと叩きつけられる。

 その時、アラクネクイーンの動きが、一瞬だけ止まった。

 八つの複眼が、ゆっくりとエルメスの方を向く。暴走した濁流の奥に、かすかな――本当にかすかな、何かが揺れた気がした。

 ……お前、まだいるのか。

 だが次の瞬間、それは完全に消えた。代わりに戻ってきたのは、何もかもを食い尽くす獣の眼だけだった。

「アルエル!!」
「……そんな」

 紅蓮の連中に動揺が走る。

「……問題、ないッ」

 アルエルは片腕を失いながらも壁を背に立ち上がった。

 ……化物かよ、あいつ。
 つーか、どう見ても問題あり過ぎるだろ。

 残った左手で剣を拾い、血が滴る断面を壁に押し付けて止血する。その顔は青白いが、目だけがぎらぎらと燃えていた。

「はぁ……はぁ……」

 アラクネクイーンが、仕留め損ねたアルエルへ向けて再び動く。

 もう迷っている時間はなかった。

 クソったれぇッ!

 計画は一時中断、今はあいつを止めることだけ考えろ。

「アルエル!」

 俺はエルメスの声で叫んだ。

(わたくし)が前に出ますわ。貴方は今すぐ下がって止血なさい!」

 アルエルが血まみれの顔でこちらを見た。一瞬だけ、あの値踏みするような目が戻る。

 だが次の瞬間、彼は小さく頷いた。

「……頼む」

 俺はエルメスの全魔力を杖に集中させながら、アラクネクイーンと正面から向き合った。

 ふざけんじゃねぇぞ、このボケッ! せっかくの計画を台無しにしやがってぇッ!

「……っ、ガストン! ヴァイオレット! ネネ! 貴方方はいつまで間抜け面を晒していますの! このままでは全員死にますわよ!」

 俺はエルメスの喉を使い、可憐な令嬢の仮面を脱ぎ捨てた。

「ネネはアルエルの止血を行いなさい! ガストンとヴァイオレットは、(わたくし)とあれを叩きますわよ!」
「む、無茶だ!」
「相手はアルエルでも勝てない化物なのよ!」

 勇者候補のパーティが、泣き言なんぞ言ってんじゃねぇよ! やらなきゃ死ぬんだから仕方ねぇだろうがッ!

「こいつを殺さない限り、ここから誰も出られませんわ!」

 エルメス()が生き残るためには、アルエルが復活するまでの時間を稼ぐしかない。

 にしても、情けない話だよな。
 最終的に殺そうとしていた相手に頼るとか、マジで糞ダセェ以外にねぇよ。

 予想外の結果とは言え、すべては自分で撒いた種だ。
 ビビってる暇なんてねぇ。全力でやってやる。

「ヴァイオレット、糸を張りなさい! ガストンは威力を最大にして撃ちなさい!」

 俺はエルメスの杖を握り締め、全魔力を杖先に集中させながら、アラクネクイーンと正面から向き合った。

 おい、アラクネ。お前を作ったのは俺だ。お前に寄生したのも俺だ。

 だから——俺が責任持って終わらせてやる。

「――あいつを、止めますわよッ!!」

 エルメスの杖に、蒼白い魔力の奔流が凝縮され始めた。

 今、最悪の共闘が幕を開ける。


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 アラクネクイーンの咆哮は、もはや生物の出す音ではなかった。
「「「――――ッ!?」」」
 ドーム状の空洞全体が共鳴し、逃げ場のない超重低音が俺――エルメスの五臓六腑を直接揺さぶる。天井からは拳大の岩石が火花の雨のように降り注ぎ、地面を激しく叩く。
 俺のコアから流れ込んだ魔力が、こいつを別の何かに変えてしまっていた。床が罅割れ、空気が震え、天井の岩が粉塵となって降り注ぐ。ただ存在しているだけで、周囲を壊し続ける。それがAAAクラスという化物の、理不尽な現実だった。
「はぁッ!」
 アルエルが黄金の剣を盾のように構え、アラクネの巨大な鎌脚を紙一重で受け流す。
 ガガガッ! と火花が散り、剣が悲鳴を上げる。だが、アルエルは吹っ飛ばされない。重心を極限まで低く保ち、AAAクラスの暴力を超人的な体捌きでいなしてみせた。
「――――」
 アルエルの瞳は、絶望に支配されるどころか、猛禽類のような冷徹さでアラクネの一挙一動を"読んで"いた。今の一撃、並の冒険者なら防具ごとひき肉だ。なのに一歩も引いていない。
「――今度はこっちから行くぞ!」
 アルエルが躊躇うことなく踏み込んだ。
 その動きは、俺が今まで見てきたどの冒険者とも違った。無駄がない。恐怖がない。ただ純粋に、目の前の化物を殺すための動きだけがある。
 アラクネクイーンの右腕――鋭く巨大な肢が、薙ぎ払うように横に走った。
「ッ!」
 アルエルは紙一重で躱し、剣をアラクネの胴へと叩き込む。だが、刃は硬質化した外骨格に弾かれ、火花だけが散った。
「硬い……! 外皮が変質してる!」
「ガストン、援護よ!」
 ヴァイオレットの声に、ガストンが銃口を向ける。
 轟音。
 放たれた弾丸がアラクネの側面を抉ったが、致命傷には程遠い。それどころか、アラクネはその衝撃を意に介した様子もなく、今度は天井へ向けて糸を放った。
 糸が縦横無尽に張り巡らされ、空間が一瞬で蜘蛛の巣に変わる。
「結界――!」
 ネネが咄嗟に展開した半透明の壁が、降り注ぐ糸を受け止めた。だが、その結界にみるみる亀裂が走る。
「ネネの結界が……削れてる!?」
「魔力密度、高すぎっ!」
「持たせろ、ネネ! 今すぐには無理でも、隙を作れ!」
 ……くそっ。紅蓮、普通に強い。それでもギリギリだ。
 その時だった。
 アラクネクイーンの視線が、ゆっくりとこちらへ向いた。
 ……え?
「エルメス嬢、下がれ――!」
 アルエルの叫びより早く、アラクネの糸がエルメスめがけて飛んできた。
 俺は反射的にエルメスの体を動かし、横へ跳ぶ。糸が耳元を掠め、石床を抉った。
 あっ、あっぶねぇッ! なんで|エルメス《こっち》に攻撃してくんだよ!
「――――シャネル!?」
 振り返ると、シャネルが壁際に張り付いた糸に足を取られ、身動きが取れなくなっていた。アラクネの子蜘蛛たちが、じわじわと距離を詰めている。
「くそっ!」
 俺は慌ててエルメスからアラクネクイーンへと操作対象を変更した。
 女王の肉体を直接操り、この訳のわからないアドリブをやめさせようとした――その時だ。
「――――!?」
 なんだ、これ……っ!?
 アラクネと意識を同調させた瞬間、俺の脳内に流れ込んできたのは、これまで感じたことのない異様な『熱』と『飢餓感』だった。
 魔力を取り込みすぎたアラクネクイーンの中の寄生虫が、あまりの出力に精神を焼き切られ、完全に自我を崩壊させていた。
 ま、待て! 落ち着け! 俺の指示を聞けッ!
 再度アラクネへの同調を試みる。だが、返ってくるのは濁った魔力の奔流だけだ。まるで嵐の中に手を突っ込んでいるような感覚で、指示が届く気配がまるでない。
 ……は? なんで|蜘蛛《こいつら》まで俺の命令を効かねぇんだよ! 一体何がどうなってやがるんだぁッ!
「くっ……!」
 シャネルが必死に矢を放つが、小蜘蛛の数が多すぎる。
 ……このままじゃシャネルがやられる。エルメスを動かすしかない。
「シャネル、動かないでいなさい!」
 俺はエルメスの両手に魔力を込め、呪文を叩き込んだ。炎の奔流が小蜘蛛の群れを薙ぎ払い、シャネルの周囲を一瞬だけ焼き尽くす。
「……助かった」
「礼は後でよろしくてよ!」
 だが、喜んでいる暇はなかった。
 暴走したアラクネクイーンの制御が未だ戻らない。
「ガストン、煙弾を使って正面の視界を奪うんだ!  ヴァイオレット、君はこいつの脚を止めてくれ!」
 アルエルの声が響いた瞬間、場の空気が一変した。
 それは命令というより、聞く者に“それが唯一の勝利への道だ”と確信させる魔音だった。
 ……話術士、か。
 想像していた以上に厄介な|職業《クラス》だな。
「……任せろ」
 ――ドンッ、ドンッ、ドンッ!!
 放たれた特製の魔導弾がアラクネの複眼付近で炸裂し、黒い煙を撒き散らす。
「――――ッ」
 通常、視力を奪われればモンスターは混乱する。だが、魔王個体となったアラクネには通用しない。煙を突き破り、弾丸を再生する肉体で弾き返しながら、さらに速度を増して突進する。
「――させないッ! アルエルの言う通りにすれば、私たちが負けることは絶対にない!」
 ヴァイオレットが指先を舞わせ、無数の『魔糸』がアラクネの節足を複雑に絡め取った。
「――グガァアアアアアアッ!」
 AAAクラスの怪力をもってしても、ヴァイオレットが魔力のすべてを注ぎ込んだ糸は容易には切れない。
 操糸士……彼女も厄介な相手だな。
 ヴァイオレットの魔糸により、一瞬だが、アラクネクイーンの動きが完全に止まった。
「今だッ!」
 アルエルが地を蹴った。黄金の剣が魔力の奔流を纏い、流星のような速度でアラクネの胸部へと突き出される。
 あれをまともに喰らえば、いくらアラクネでも持たない!
「ギ、ギギギ……アッ、ア、アアアアアアッ!!」
 アラクネの口から、おぞましい絶叫が上がった。
 刹那、絡みついていたヴァイオレットの魔糸が、内側から爆発するように引き千切られた。
「――っ!?」
 アルエルの突き出した剣が届く寸前、アラクネの身体が“消えた”。
 余剰魔力による爆発的な加速だ。アラクネの鎌脚が、無防備なアルエルの胴体目掛けて真横から一閃される。
「――――止まれェッ!!」
 アルエルの怒号が、爆音を切り裂いて響き渡った。
「――――ッ」
 その瞬間、凄まじい速度で振り抜かれていたはずの鎌脚が、まるで見えない壁にぶち当たったかのように、空中でピタリと止まった。
 意志なき暴走個体ですら、アルエルの言霊の重圧を無視できなかったのだ。
 ……っ、嘘だろ!? この状況で動きを止めたのかよ!? それもあんな一言で!?
 だが、その硬直はコンマ数秒に過ぎなかった。
 アラクネクイーンの出力が、アルエルの“話術”による拘束力を強引に破砕する。
「ぐ、あ、あああああああッ!!」
 致命傷こそ避けたものの、黄金の剣を構えていたアルエルの右腕が——肩の根元から、無造作に刈り取られていた。
 鮮血が噴水のように舞い、アルエルの身体がゴミのように岩壁へと叩きつけられる。
 その時、アラクネクイーンの動きが、一瞬だけ止まった。
 八つの複眼が、ゆっくりとエルメスの方を向く。暴走した濁流の奥に、かすかな――本当にかすかな、何かが揺れた気がした。
 ……お前、まだいるのか。
 だが次の瞬間、それは完全に消えた。代わりに戻ってきたのは、何もかもを食い尽くす獣の眼だけだった。
「アルエル!!」
「……そんな」
 紅蓮の連中に動揺が走る。
「……問題、ないッ」
 アルエルは片腕を失いながらも壁を背に立ち上がった。
 ……化物かよ、あいつ。
 つーか、どう見ても問題あり過ぎるだろ。
 残った左手で剣を拾い、血が滴る断面を壁に押し付けて止血する。その顔は青白いが、目だけがぎらぎらと燃えていた。
「はぁ……はぁ……」
 アラクネクイーンが、仕留め損ねたアルエルへ向けて再び動く。
 もう迷っている時間はなかった。
 クソったれぇッ!
 計画は一時中断、今はあいつを止めることだけ考えろ。
「アルエル!」
 俺はエルメスの声で叫んだ。
「|私《わたくし》が前に出ますわ。貴方は今すぐ下がって止血なさい!」
 アルエルが血まみれの顔でこちらを見た。一瞬だけ、あの値踏みするような目が戻る。
 だが次の瞬間、彼は小さく頷いた。
「……頼む」
 俺はエルメスの全魔力を杖に集中させながら、アラクネクイーンと正面から向き合った。
 ふざけんじゃねぇぞ、このボケッ! せっかくの計画を台無しにしやがってぇッ!
「……っ、ガストン! ヴァイオレット! ネネ! 貴方方はいつまで間抜け面を晒していますの! このままでは全員死にますわよ!」
 俺はエルメスの喉を使い、可憐な令嬢の仮面を脱ぎ捨てた。
「ネネはアルエルの止血を行いなさい! ガストンとヴァイオレットは、|私《わたくし》とあれを叩きますわよ!」
「む、無茶だ!」
「相手はアルエルでも勝てない化物なのよ!」
 勇者候補のパーティが、泣き言なんぞ言ってんじゃねぇよ! やらなきゃ死ぬんだから仕方ねぇだろうがッ!
「こいつを殺さない限り、ここから誰も出られませんわ!」
 |エルメス《俺》が生き残るためには、アルエルが復活するまでの時間を稼ぐしかない。
 にしても、情けない話だよな。
 最終的に殺そうとしていた相手に頼るとか、マジで糞ダセェ以外にねぇよ。
 予想外の結果とは言え、すべては自分で撒いた種だ。
 ビビってる暇なんてねぇ。全力でやってやる。
「ヴァイオレット、糸を張りなさい! ガストンは威力を最大にして撃ちなさい!」
 俺はエルメスの杖を握り締め、全魔力を杖先に集中させながら、アラクネクイーンと正面から向き合った。
 おい、アラクネ。お前を作ったのは俺だ。お前に寄生したのも俺だ。
 だから——俺が責任持って終わらせてやる。
「――あいつを、止めますわよッ!!」
 エルメスの杖に、蒼白い魔力の奔流が凝縮され始めた。
 今、最悪の共闘が幕を開ける。