18話 沈黙

ー/ー



 誰も、声を発さなかった。

 舞い上がる灰が、シャネルの頬の涙を汚していく。

 目の前で仲間たちが「二度目の死」を迎え、文字通り霧散した。その光景を、彼女はどんな思いで見つめていたのだろう。

 重苦しい。肺が潰れそうなほどの沈黙。

 灰が、ゆっくりと床に積もっていく。

 誰も動かない。動けない。この場所に残ったものが全員、同じ重さに押し潰されていた。

 俺は、その沈黙を――あえて踏み潰した。

「にしても、あちゅあちゅだぜ……」

 わざとらしく、ぷりちー(自称)なお尻を短すぎる触手でさする。

「エルメスちゃんのファイアボール、加減ってものを知らねぇのかよ。俺のぷりちーなヒップが、こんがり黒芋虫焼きになるところだったわ。なあ、シャネル?」
「……」

 返事はない。シャネルの視線は、灰が積もった地面から動かなかった。

「……死んだはずの人間を、また殺させるなんて」

 ぽつり、と。聞き取れないほどの小さな声が、静寂を裂いた。

「最低……。貴方は、悪魔か何かなの?」

 感情の失せた瞳が、俺を射抜く。

 あー……。まあ、そうだよな。否定はできねぇ。俺だって、自分の胃袋から仲間の死体が出てくる絵面なんて、夢にまで見そうだ。

「悪魔、ね。……買い被りすぎだ。俺はただの寄生虫だよ。生き残るためなら、死体だろうが何だろうが、使えるもんは全部使う。それだけだ」

 俺は努めて、軽く言い放った。

 ここで「悪かった」なんて言ったら、それこそ終わりだ。あいつらの死を、無意味なものにしちまう。

「……趣味が悪いですわね」

 口を開いたのは、エルメスだった。いつもの高飛車な調子じゃない。どこか遠くを見るような、冷めた声。

「あんなものを見せられて、冗談を言える神経が信じられませんわ。……(わたくし)も、いつかああなるのかしら?」
「おいおい、縁起でもねぇこと言うなよ」

 俺は笑おうとしたが、頬(というか芋虫の肉)が引き攣って、うまく形にならない。

「安心しろ。エルメスちゃんはぷりちーだからな。死体になっても、俺が美味しく……じゃなくて、大事に保管してやるよ」

 エルメスは、一瞬だけ口を開きかけた。だが、何も言わずに閉じた。その瞳が、一瞬だけ俺を――俺の言葉の裏側を、探るように見た。

「……死になさい。爆ぜなさい。そして今すぐ、百回くらい焼かれて死ねばよろしいですわ」

 いつもの罵倒。だが、そこには一切の熱がこもっていなかった。

「……もう、いい」

 シャネルが、立ち上がる。

 だが、すぐには動かなかった。

 一歩踏み出そうとして――足が止まる。視線が、床の灰へと落ちた。自分が踏みそうになった場所を、静かに避けるように、ゆっくりと回り込む。

 それだけだった。

 それだけだったが、その一動作が、何よりも雄弁だった。

「私は、休む。……話しかけないで」

 その背中は、今にも崩れそうなほど細く、危ういものだった。

 あとに残されたのは、アラクネクイーンの巨大な死骸と、俺たちの間に開いた、底の見えない真っ黒な溝だけだ。

「……さてと」

 俺は小さく息を吐き(芋虫に肺があるかは知らんが)、誰もいなくなった戦場の灰を、じっと見つめた。

「報酬の回収といこうじゃねぇか。これだけのリスクを背負ったんだ。……たっぷり貰わねぇと、割に合わねぇからな」

 俺は這いずる。仲間たちの「灰」を、その体で踏み締めながら。

 足の下で、灰が軋む。

 音はない。ただ、踏む度に何かが潰れていく感触だけがある。

 俺はそれを、止まらずに踏み続けた。

 止まったら、終わりな気がしたから。


 ◆


 シャネルたちの気配が完全に消えた。

 戦場に残されたのは、巨大な蜘蛛の死骸と、俺。そして、静寂。

 ……と、思っていたのだが。

「もきゅ……」
「もきゅもきゅっ!」

 部屋の隅々から、聞き慣れた気の抜けるような声が響き始めた。

 アラクネクイーンの圧倒的な圧にビビり散らかし、岩陰や瓦礫の隙間にこれでもかと縮こまっていた兄弟たちが、一斉に這い出てきたのだ。

「……お前らなぁ」

 さっきまで指揮官である俺の命令すら無視して固まっていたくせに、脅威がいなくなったと分かった途端、これだ。現金な奴らめ、と呆れるしかない。だが、俺の体にポスポスと頭をぶつけ、再会を喜ぶようにすり寄ってくる感触に、不思議と毒気が抜けていく。

「分かった、分かったから。……無事でよかったよ、どいつもこいつも」

 今まではただの「便利な手駒」だと思っていた。だが、死線を越えた今、こいつらがこうして生き残っていることが、少しだけ……いや、かなり嬉しい。

 言葉は通じないが、ようやくこいつらと本当の意味で「仲間」になれたような、そんな気がした。

「……っ、ぐ……」

 ふいに、視界がぐらりと歪んだ。シャネルに潜り込ませている寄生虫から、刺すようなノイズが逆流してくる。

 直接同調(リンク)しているわけではない。だが、彼女の喉を借りて言葉を紡ぎ、その四肢を制御するためには、寄生虫がトレースしている彼女の"魂"を無視することはできない。

 仲間を死体兵器として利用し、自らの手で撃ち抜いた絶望。その激しい拒絶感が、ノイズとなって俺の意識を泥のように汚していく。

「……黙ってろ。これは、生き残るために必要なことなんだ」

 自分に言い聞かせ、俺は目の前の巨体――アラクネクイーンへと向き直った。

 アサヤケはもう灰になった。対冒険者用の最終兵器は、もう予備がない。だが、目の前にはアラクネクイーンの死骸がある。腐敗が進む前に、次の手を打っておく必要があった。

「なら、次を仕込むだけだ」

 俺はアラクネクイーンの肉体に、新たな卵を深く植え付けた。冷たく、もう動かない体の中に、何かが根を張っていく感触がある。慣れたはずなのに、今日だけは少し、気持ち悪かった。

「うし」

 アサヤケには劣るが、これでこいつは俺の次の切り札だ。

兄弟(ブラザー)、こいつを仕舞いたい。一番デカいパイセン、前へ出てきてくれないか」

 俺の号令に、兄弟たちの中でも一際立派な体格をした赤パイセンが「もきゅっ!」と前に出る。

 赤パイセンがその巨大な口を限界まで開き、アラクネクイーンの死骸をすぽっと、その腹の中へと吸い込んでいく。

「……ふぅ」

 作業を終え、俺は自分のちっぽけな体を見つめた。進化も、パワーアップもない。俺は相変わらず、弱くて小さな芋虫のままだ。

 俺は、足元で「もきゅもきゅ」と騒がしい兄弟たちを引き連れ、歩き出した。

 寄生虫から伝わる消えない「痛み」を背負ったまま。

 それでも、止まるつもりはなかった。


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 誰も、声を発さなかった。
 舞い上がる灰が、シャネルの頬の涙を汚していく。
 目の前で仲間たちが「二度目の死」を迎え、文字通り霧散した。その光景を、彼女はどんな思いで見つめていたのだろう。
 重苦しい。肺が潰れそうなほどの沈黙。
 灰が、ゆっくりと床に積もっていく。
 誰も動かない。動けない。この場所に残ったものが全員、同じ重さに押し潰されていた。
 俺は、その沈黙を――あえて踏み潰した。
「にしても、あちゅあちゅだぜ……」
 わざとらしく、ぷりちー(自称)なお尻を短すぎる触手でさする。
「エルメスちゃんのファイアボール、加減ってものを知らねぇのかよ。俺のぷりちーなヒップが、こんがり黒芋虫焼きになるところだったわ。なあ、シャネル?」
「……」
 返事はない。シャネルの視線は、灰が積もった地面から動かなかった。
「……死んだはずの人間を、また殺させるなんて」
 ぽつり、と。聞き取れないほどの小さな声が、静寂を裂いた。
「最低……。貴方は、悪魔か何かなの?」
 感情の失せた瞳が、俺を射抜く。
 あー……。まあ、そうだよな。否定はできねぇ。俺だって、自分の胃袋から仲間の死体が出てくる絵面なんて、夢にまで見そうだ。
「悪魔、ね。……買い被りすぎだ。俺はただの寄生虫だよ。生き残るためなら、死体だろうが何だろうが、使えるもんは全部使う。それだけだ」
 俺は努めて、軽く言い放った。
 ここで「悪かった」なんて言ったら、それこそ終わりだ。あいつらの死を、無意味なものにしちまう。
「……趣味が悪いですわね」
 口を開いたのは、エルメスだった。いつもの高飛車な調子じゃない。どこか遠くを見るような、冷めた声。
「あんなものを見せられて、冗談を言える神経が信じられませんわ。……|私《わたくし》も、いつかああなるのかしら?」
「おいおい、縁起でもねぇこと言うなよ」
 俺は笑おうとしたが、頬(というか芋虫の肉)が引き攣って、うまく形にならない。
「安心しろ。エルメスちゃんはぷりちーだからな。死体になっても、俺が美味しく……じゃなくて、大事に保管してやるよ」
 エルメスは、一瞬だけ口を開きかけた。だが、何も言わずに閉じた。その瞳が、一瞬だけ俺を――俺の言葉の裏側を、探るように見た。
「……死になさい。爆ぜなさい。そして今すぐ、百回くらい焼かれて死ねばよろしいですわ」
 いつもの罵倒。だが、そこには一切の熱がこもっていなかった。
「……もう、いい」
 シャネルが、立ち上がる。
 だが、すぐには動かなかった。
 一歩踏み出そうとして――足が止まる。視線が、床の灰へと落ちた。自分が踏みそうになった場所を、静かに避けるように、ゆっくりと回り込む。
 それだけだった。
 それだけだったが、その一動作が、何よりも雄弁だった。
「私は、休む。……話しかけないで」
 その背中は、今にも崩れそうなほど細く、危ういものだった。
 あとに残されたのは、アラクネクイーンの巨大な死骸と、俺たちの間に開いた、底の見えない真っ黒な溝だけだ。
「……さてと」
 俺は小さく息を吐き(芋虫に肺があるかは知らんが)、誰もいなくなった戦場の灰を、じっと見つめた。
「報酬の回収といこうじゃねぇか。これだけのリスクを背負ったんだ。……たっぷり貰わねぇと、割に合わねぇからな」
 俺は這いずる。仲間たちの「灰」を、その体で踏み締めながら。
 足の下で、灰が軋む。
 音はない。ただ、踏む度に何かが潰れていく感触だけがある。
 俺はそれを、止まらずに踏み続けた。
 止まったら、終わりな気がしたから。
 ◆
 シャネルたちの気配が完全に消えた。
 戦場に残されたのは、巨大な蜘蛛の死骸と、俺。そして、静寂。
 ……と、思っていたのだが。
「もきゅ……」
「もきゅもきゅっ!」
 部屋の隅々から、聞き慣れた気の抜けるような声が響き始めた。
 アラクネクイーンの圧倒的な圧にビビり散らかし、岩陰や瓦礫の隙間にこれでもかと縮こまっていた兄弟たちが、一斉に這い出てきたのだ。
「……お前らなぁ」
 さっきまで指揮官である俺の命令すら無視して固まっていたくせに、脅威がいなくなったと分かった途端、これだ。現金な奴らめ、と呆れるしかない。だが、俺の体にポスポスと頭をぶつけ、再会を喜ぶようにすり寄ってくる感触に、不思議と毒気が抜けていく。
「分かった、分かったから。……無事でよかったよ、どいつもこいつも」
 今まではただの「便利な手駒」だと思っていた。だが、死線を越えた今、こいつらがこうして生き残っていることが、少しだけ……いや、かなり嬉しい。
 言葉は通じないが、ようやくこいつらと本当の意味で「仲間」になれたような、そんな気がした。
「……っ、ぐ……」
 ふいに、視界がぐらりと歪んだ。シャネルに潜り込ませている寄生虫から、刺すようなノイズが逆流してくる。
 直接|同調《リンク》しているわけではない。だが、彼女の喉を借りて言葉を紡ぎ、その四肢を制御するためには、寄生虫がトレースしている彼女の"魂"を無視することはできない。
 仲間を死体兵器として利用し、自らの手で撃ち抜いた絶望。その激しい拒絶感が、ノイズとなって俺の意識を泥のように汚していく。
「……黙ってろ。これは、生き残るために必要なことなんだ」
 自分に言い聞かせ、俺は目の前の巨体――アラクネクイーンへと向き直った。
 アサヤケはもう灰になった。対冒険者用の最終兵器は、もう予備がない。だが、目の前にはアラクネクイーンの死骸がある。腐敗が進む前に、次の手を打っておく必要があった。
「なら、次を仕込むだけだ」
 俺はアラクネクイーンの肉体に、新たな卵を深く植え付けた。冷たく、もう動かない体の中に、何かが根を張っていく感触がある。慣れたはずなのに、今日だけは少し、気持ち悪かった。
「うし」
 アサヤケには劣るが、これでこいつは俺の次の切り札だ。
「|兄弟《ブラザー》、こいつを仕舞いたい。一番デカいパイセン、前へ出てきてくれないか」
 俺の号令に、兄弟たちの中でも一際立派な体格をした赤パイセンが「もきゅっ!」と前に出る。
 赤パイセンがその巨大な口を限界まで開き、アラクネクイーンの死骸をすぽっと、その腹の中へと吸い込んでいく。
「……ふぅ」
 作業を終え、俺は自分のちっぽけな体を見つめた。進化も、パワーアップもない。俺は相変わらず、弱くて小さな芋虫のままだ。
 俺は、足元で「もきゅもきゅ」と騒がしい兄弟たちを引き連れ、歩き出した。
 寄生虫から伝わる消えない「痛み」を背負ったまま。
 それでも、止まるつもりはなかった。