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影(2)

ー/ー



 実を言えば、懲りもせず、その後も何度か影を読む機会はあった。
 若気の至りだ。
 その度に誠人の結論は確信になり、覆ることはなく今日まで来ている。
 誠人が高校を中退したのもここに理由があった。影を読むことはなくとも、影の濃さで、嘘をついているかどうかは手に取るように分かる。

「好きだよ」と言う度に影の色が一瞬濃くなるカップルや、「俺達、親友じゃん?」と言われる度に影が濃くなる人々を見ている間に、誠人はすっかり、嫌になってしまったのだ。

 小学生のときのように、自分自身に被害があったわけではない。

 何も被害がないのに逃げ出すだなんて、人が知ったら「ヤワだ」と評価するかも知れないが、そんなことはどうでも良かった。
 どうせ、誠人と同じ能力を持った人はいないのだ。能力の説明したところで、気の毒そうに精神科を案内されるだけだ。
 誰にも分からない理由でドロップアウトしているのに、それを誰がどう思うかなんて、気にするだけ無駄ではないか。望んでいないドロドロ人情劇を見続けるぐらいなら、負け犬と裏で嗤われている方が、ずっと気楽だし辛くない。

(でもまさか、コンビニバイト続けることになるとは思ってなかったけど……)
 バイトを始めた誠人は、もっぱら影が見える能力を、万引き抑止のために活用していた。

 五十パーセント以上は犯罪者。初犯だろうが常習犯だろうが、薄暗いところがあれば誠人の目にはっきりと映る。

 万引き犯と思われる人物が来店したら、とにかく明るく挨拶をし、よほど忙しくなければ犯人の周りで品出しやら清掃やらをし続けた。
 レジに呼ばれてしまうと防ぎようがなかったが、それでも誠人の勤務時間帯の万引き率はぐっと下がり、徳田が「なんか、物集君って、見かけによらず、鋭いよね!」とこれまた、褒めているんだか貶しているんだか分からないことを言いながら喜んでいた。
 コンビニの万引きは全国的な課題だ。石川店も、誠人が入職当時、「万引きには本当に気をつけてもらいたい」と徳田から懇願されている。昨年は「パートさん一人雇えるぐらいの額」を失ったらしい。忙しいコンビニの業務において、「人手」というのは雇う側だけでなく、雇われる側にとっても必要なものだ。誠人が防いでいる額など微々たるものかも知れないが、それでも、一部貢献出来ていると考えると、悪くはない気分だった。

 問題は、『神』のような人種だ。
 顔もよく、人当たりも良いことで、周囲の人間にとって『神』は良いやつに見えている。だが、誠人には違う。『神』の影の濃さは六十パーセント。どんな秘密を抱えているかまでは知らないが、「良い人」でないことは確かなのだ。初来店時は万引き犯かと思って構えたぐらいだ。

 残念ながら(いや、残念なのかも分からないが)、『神』は万引きなどしなかった。
 よく考えてみれば、あれだけ目立つ男が万引きするとも思えない。
 だが、影は決して嘘をつかない。
 そうとなれば、よほどの数の女を泣かせ続けているのか、それ以外の犯罪なのか――いずれにしろ、ろくでなしなことは間違いない。
 だから徳田やバイト仲間達が『神』を良い人と持て囃すことが、どうにも誠人は嫌だった。徳田の影は二十パーセント。短い付き合いの中で、悪い人でないことは感じ取っている。他のバイトパート達も同様だ。

 そんな彼らが、何かのきっかけで『神』の被害にあいでもしたら――。

 誠人は善人ではない。誰かの不幸を払うことよりも、自らの幸福を願う程度の小さな男だ。誰かのためにヒーローを気取るつもりもない。
 しかし、身近にいる人が犯罪被害にあいでもしたら、目覚めが悪くなることは確かだった。
 それ故に、『神』の来店時には神経を研ぎ澄ます必要もあって疲れる。なるべく『神』には来ないでもらいたい。

 ところが誠人の願いもむなしく、『神』は徐々にその来店頻度を増やしていた。ふた月前など二週に一度程度しか来なかったのに、ここ最近は一日おきには来店している。その間、特に問題を起こす様子がないことだけが救いだ。

(何を狙ってるんだろう?)

 いつもと変わりない様子がますます不穏だ。胸につけられた名札を見られて「もずめさん」なんて呼ばれた時など、脅迫されるのかと思って怖かったぐらいだ。今日も今日とて『神』は来店し、変わり映えのない商品を手に取り、誠人の立つレジに来た。

「これ、お願いします」
 誠人の笑顔もひきつりそうだ。
 いい加減、『神』の目的が分からず、イライラしてきたところでもあったので、誠人はいっそ言ってやれとばかりに声をかけてみることにした。

「最近、よく来てくれますね!」
 笑顔で誠人が声をかけると、『神』はむしろびっくりしたようだった。きれいな二重が丸くなる。
「なんか、この近くで、ご用とかあるんですか?」
 ちょっとストレート過ぎたかもしれない。だが、面倒臭さが勝った。なんでも良いから答えを聞いて安心したい。

 誠人の質問に、『神』は少し戸惑った後、柔らかく微笑んだ。訓練された表情筋の動きに見えた。
「用って言うか……。論文の締切が近くって。詰めてるんですよ」
 彼が言った瞬間、影が僅かに濃くなったのを感じた。

「へー! そうなんすか! またてっきり、この辺に用があって来てるのかなって思ってました!」
 この嘘つきめ!

 ろくな回答が得られないことに、言葉の端にトゲが滲んでしまう。気付いてか気付いていないのか、『神』は完璧な笑みを崩さず、財布を出しながら言った。

「もずめさんに、覚えられているとは、光栄だなあ」
 気色悪いことを言わないでほしい。
 他の人なら喜ぶだろうが、誠人にとっては罰ゲームだ。
「ははは、何言ってんですかー。そんなにイケメンじゃ、覚えられないことのほうが、珍しいでしょ」
「まあ、そうですけど――」否定しないところが嫌味に感じられず、逆に腹立たしかった。「もずめさんは、ほら、俺のこと、嫌いそうにしてたから……」

 ぎょっとして、思わず、誠人はスキャナーを落としそうになった。
 自分が『神』を認知していてもおかしくないが、まさか『神』からも認知されているだけでなく、そんな個人的な感情を見透かされているだなんて――。

 冷たく打ち鳴らす心臓の音を聞きながら、なんとか、平静を装い、商品をビニール袋に入れ始める。その手の震えまでは、抑えきることが出来なかった。
「そ、そんな……お客様を嫌いだなんて……。ましてや、お客さんみたいなかっこいい人……めっそうも……」
「自分で言うのもなんですけど、俺、人の好意に慣れてるんですよね」
 誠人の言い訳を無視し、『神』は穏やかに言葉を重ねた。

「嫉妬されることも多くて……そういう視線は分かるんですよね。でも、もずめさんは……どっちでもないですよね。なんて言うか――」
 『神』が、その美しい口元に、長い指を当てた。
 斜めから見下ろすように、すうと、アンバーの瞳を細めて笑った。
「……怯えてる、って感じ?」

 どっと、心臓の裏側に、脂汗が滲んだのを感じた。
 呼吸が足りず、欠乏した脳が激しい頭痛を訴えている。

「初めて会った時から、ずーっと、そうですよね? そういう目で見られるの、すごく新鮮で……ずっと、気になってたんですよね、あなたのこと」
 震えながら視線を上げる。『神』の笑顔は変わりなかった。少し照れくさそうに装ってさえいた。しかし、()()()()()()()()()()。誠人は絶望的な気持ちになった。六十パーセントの影をもつクソ野郎に、目をつけられている――。

 きゅっと喉を鳴らしたあと、平静を装って、下手くそな笑みを浮かべた。
 大丈夫。彼は誠人と違って、嘘をついているかどうかまでは分からないはず――。
(しらばっくれるに限る)
 落ち着きを取り戻し、袋に入れた商品を差し出した。

「バレたっすかー。俺、陰キャなもんで、お客さんみたいなかっこいい人に会うと、ついつい緊張してビビっちゃうんすよねー。すみません! はい、お待たせいたしました。お品物です。お気をつけてー。またのご来店、お待ちしております」
 ちょうど、『神』の後ろにも人が並んだ。

 誠人から商品を受け取った『神』は、にっこりと、誠人に笑みを浮かべた。「ありがとうございます。また、来ますね」はたから見れば好青年だ。『神』の笑顔に、店内の客と従業員がうっとりした視線を向ける。

『神』はそのまま、振り返りもせず店を出ていった。
 変に食い下がられなかったことに、誠人はほっとした。
 無事見送った後、気持ちを切り替えて、次の客の対応をする。
 店外に出た『神』から目を離した誠人は知らなかった。店の外で、『神』が誠人のことを見ていたことを――。



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 若気の至りだ。
 その度に誠人の結論は確信になり、覆ることはなく今日まで来ている。
 誠人が高校を中退したのもここに理由があった。影を読むことはなくとも、影の濃さで、嘘をついているかどうかは手に取るように分かる。
「好きだよ」と言う度に影の色が一瞬濃くなるカップルや、「俺達、親友じゃん?」と言われる度に影が濃くなる人々を見ている間に、誠人はすっかり、嫌になってしまったのだ。
 小学生のときのように、自分自身に被害があったわけではない。
 何も被害がないのに逃げ出すだなんて、人が知ったら「ヤワだ」と評価するかも知れないが、そんなことはどうでも良かった。
 どうせ、誠人と同じ能力を持った人はいないのだ。能力の説明したところで、気の毒そうに精神科を案内されるだけだ。
 誰にも分からない理由でドロップアウトしているのに、それを誰がどう思うかなんて、気にするだけ無駄ではないか。望んでいないドロドロ人情劇を見続けるぐらいなら、負け犬と裏で嗤われている方が、ずっと気楽だし辛くない。
(でもまさか、コンビニバイト続けることになるとは思ってなかったけど……)
 バイトを始めた誠人は、もっぱら影が見える能力を、万引き抑止のために活用していた。
 五十パーセント以上は犯罪者。初犯だろうが常習犯だろうが、薄暗いところがあれば誠人の目にはっきりと映る。
 万引き犯と思われる人物が来店したら、とにかく明るく挨拶をし、よほど忙しくなければ犯人の周りで品出しやら清掃やらをし続けた。
 レジに呼ばれてしまうと防ぎようがなかったが、それでも誠人の勤務時間帯の万引き率はぐっと下がり、徳田が「なんか、物集君って、見かけによらず、鋭いよね!」とこれまた、褒めているんだか貶しているんだか分からないことを言いながら喜んでいた。
 コンビニの万引きは全国的な課題だ。石川店も、誠人が入職当時、「万引きには本当に気をつけてもらいたい」と徳田から懇願されている。昨年は「パートさん一人雇えるぐらいの額」を失ったらしい。忙しいコンビニの業務において、「人手」というのは雇う側だけでなく、雇われる側にとっても必要なものだ。誠人が防いでいる額など微々たるものかも知れないが、それでも、一部貢献出来ていると考えると、悪くはない気分だった。
 問題は、『神』のような人種だ。
 顔もよく、人当たりも良いことで、周囲の人間にとって『神』は良いやつに見えている。だが、誠人には違う。『神』の影の濃さは六十パーセント。どんな秘密を抱えているかまでは知らないが、「良い人」でないことは確かなのだ。初来店時は万引き犯かと思って構えたぐらいだ。
 残念ながら(いや、残念なのかも分からないが)、『神』は万引きなどしなかった。
 よく考えてみれば、あれだけ目立つ男が万引きするとも思えない。
 だが、影は決して嘘をつかない。
 そうとなれば、よほどの数の女を泣かせ続けているのか、それ以外の犯罪なのか――いずれにしろ、ろくでなしなことは間違いない。
 だから徳田やバイト仲間達が『神』を良い人と持て囃すことが、どうにも誠人は嫌だった。徳田の影は二十パーセント。短い付き合いの中で、悪い人でないことは感じ取っている。他のバイトパート達も同様だ。
 そんな彼らが、何かのきっかけで『神』の被害にあいでもしたら――。
 誠人は善人ではない。誰かの不幸を払うことよりも、自らの幸福を願う程度の小さな男だ。誰かのためにヒーローを気取るつもりもない。
 しかし、身近にいる人が犯罪被害にあいでもしたら、目覚めが悪くなることは確かだった。
 それ故に、『神』の来店時には神経を研ぎ澄ます必要もあって疲れる。なるべく『神』には来ないでもらいたい。
 ところが誠人の願いもむなしく、『神』は徐々にその来店頻度を増やしていた。ふた月前など二週に一度程度しか来なかったのに、ここ最近は一日おきには来店している。その間、特に問題を起こす様子がないことだけが救いだ。
(何を狙ってるんだろう?)
 いつもと変わりない様子がますます不穏だ。胸につけられた名札を見られて「もずめさん」なんて呼ばれた時など、脅迫されるのかと思って怖かったぐらいだ。今日も今日とて『神』は来店し、変わり映えのない商品を手に取り、誠人の立つレジに来た。
「これ、お願いします」
 誠人の笑顔もひきつりそうだ。
 いい加減、『神』の目的が分からず、イライラしてきたところでもあったので、誠人はいっそ言ってやれとばかりに声をかけてみることにした。
「最近、よく来てくれますね!」
 笑顔で誠人が声をかけると、『神』はむしろびっくりしたようだった。きれいな二重が丸くなる。
「なんか、この近くで、ご用とかあるんですか?」
 ちょっとストレート過ぎたかもしれない。だが、面倒臭さが勝った。なんでも良いから答えを聞いて安心したい。
 誠人の質問に、『神』は少し戸惑った後、柔らかく微笑んだ。訓練された表情筋の動きに見えた。
「用って言うか……。論文の締切が近くって。詰めてるんですよ」
 彼が言った瞬間、影が僅かに濃くなったのを感じた。
「へー! そうなんすか! またてっきり、この辺に用があって来てるのかなって思ってました!」
 この嘘つきめ!
 ろくな回答が得られないことに、言葉の端にトゲが滲んでしまう。気付いてか気付いていないのか、『神』は完璧な笑みを崩さず、財布を出しながら言った。
「もずめさんに、覚えられているとは、光栄だなあ」
 気色悪いことを言わないでほしい。
 他の人なら喜ぶだろうが、誠人にとっては罰ゲームだ。
「ははは、何言ってんですかー。そんなにイケメンじゃ、覚えられないことのほうが、珍しいでしょ」
「まあ、そうですけど――」否定しないところが嫌味に感じられず、逆に腹立たしかった。「もずめさんは、ほら、俺のこと、嫌いそうにしてたから……」
 ぎょっとして、思わず、誠人はスキャナーを落としそうになった。
 自分が『神』を認知していてもおかしくないが、まさか『神』からも認知されているだけでなく、そんな個人的な感情を見透かされているだなんて――。
 冷たく打ち鳴らす心臓の音を聞きながら、なんとか、平静を装い、商品をビニール袋に入れ始める。その手の震えまでは、抑えきることが出来なかった。
「そ、そんな……お客様を嫌いだなんて……。ましてや、お客さんみたいなかっこいい人……めっそうも……」
「自分で言うのもなんですけど、俺、人の好意に慣れてるんですよね」
 誠人の言い訳を無視し、『神』は穏やかに言葉を重ねた。
「嫉妬されることも多くて……そういう視線は分かるんですよね。でも、もずめさんは……どっちでもないですよね。なんて言うか――」
 『神』が、その美しい口元に、長い指を当てた。
 斜めから見下ろすように、すうと、アンバーの瞳を細めて笑った。
「……怯えてる、って感じ?」
 どっと、心臓の裏側に、脂汗が滲んだのを感じた。
 呼吸が足りず、欠乏した脳が激しい頭痛を訴えている。
「初めて会った時から、ずーっと、そうですよね? そういう目で見られるの、すごく新鮮で……ずっと、気になってたんですよね、あなたのこと」
 震えながら視線を上げる。『神』の笑顔は変わりなかった。少し照れくさそうに装ってさえいた。しかし、|影《・》|は《・》|濃《・》|く《・》|な《・》|っ《・》|て《・》|い《・》|な《・》|い《・》。誠人は絶望的な気持ちになった。六十パーセントの影をもつクソ野郎に、目をつけられている――。
 きゅっと喉を鳴らしたあと、平静を装って、下手くそな笑みを浮かべた。
 大丈夫。彼は誠人と違って、嘘をついているかどうかまでは分からないはず――。
(しらばっくれるに限る)
 落ち着きを取り戻し、袋に入れた商品を差し出した。
「バレたっすかー。俺、陰キャなもんで、お客さんみたいなかっこいい人に会うと、ついつい緊張してビビっちゃうんすよねー。すみません! はい、お待たせいたしました。お品物です。お気をつけてー。またのご来店、お待ちしております」
 ちょうど、『神』の後ろにも人が並んだ。
 誠人から商品を受け取った『神』は、にっこりと、誠人に笑みを浮かべた。「ありがとうございます。また、来ますね」はたから見れば好青年だ。『神』の笑顔に、店内の客と従業員がうっとりした視線を向ける。
『神』はそのまま、振り返りもせず店を出ていった。
 変に食い下がられなかったことに、誠人はほっとした。
 無事見送った後、気持ちを切り替えて、次の客の対応をする。
 店外に出た『神』から目を離した誠人は知らなかった。店の外で、『神』が誠人のことを見ていたことを――。