疾風、嵐を止める
ー/ー だけどカッケンが予想した通り、やはりなかなか動こうとしない人が一定数いるみたいだ。
「俺ぁね、ここにもう50年以上住んでるけど、あの斜面が崩れることはまずないよ。大袈裟だな、あんたら」
「俺ぁね、ここにもう50年以上住んでるけど、あの斜面が崩れることはまずないよ。大袈裟だな、あんたら」
「ええからついて来い言うとるんじゃ! ジジイがジジイの言うことを聞けんのか!」
「そんな、今から避難しろって言われても……うちは小さい子供もいるのに、この大雨の中どうやって」
「オレらが担いでってやるっつってるべや! 心配すんな!」
「え? もう一度言ってくれんかねえ。わたしゃ耳が遠くて」
「だー! もう! そやからひ・な・ん! 避難しましょうて言うてんのや!」
その地道な呼びかけのかいあって、この暴風雨の中、外へ出るのをためらっていた人たちが重い腰を上げ始めた。
『レラ、頼む』
カッケンがマイクで合図を出すと、この地域一帯を見渡せる学校の屋上にスタンバイしているレラから『あいよー』という返事が聞こえた。
レラはそこでゴーグルとグローブを外し、両掌をお腹の前ですり合わせたはずだ。
礼拝――心を静め、合掌した手を左右に何往復か動かし、最後は掌を天に向け、ゆっくり上下に動かす。
すると、レラの瞳の色は元の黒から緑を帯びた蒼へと変わる。その透き通ったターコイズブルーの光は、まるで風を支配するような大きな波となって空を包み込んだ。

ほどなくして、それまで吹き荒れていた暴風雨が嘘のように止んだ。
『この規模の嵐は止めたことねえわ……もって五分だぞ!』
オンカミを続けながら、レラが声を絞り出す。
「嵐が収まっているうちに! 早く避難所へ!」
カッケンの号令で、全員一斉に駆け出した。自力で歩ける人は自力で、子供や高齢者は公設隊とコタンコㇿとで手分けして背負って。等間隔で照明器具を持って暗闇を照らしてくれている隊員たちもいた。集落から避難所への道が一本道だったのが不幸中の幸いだ。冠水した道路を駆け抜けながら、遅れる人が出ないよう確認がしやすかった。
あたしもみんなに混じって走っていると、低いゴロゴロという音を耳にした。まるで山が唸っている声みたいな。抱えていた幼稚園児くらいの兄妹が怯えて泣き出したので、大丈夫だよと声をかけた。
そうして最寄りの小学校へ集落の全員を送り届けた直後、再び風がごうごうとうねり出した。バケツをひっくり返したような雨も伴って。
「たぶんレラがくたばってるはずだから、回収してくるね」
「頼む。そのまま星蘭まで送ってっていいから」
カッケンにそう言われて屋上へ見に行くと、案の定レラが力尽きてぶっ倒れていた。
「おー。見たか、俺様の“風向き”。みんな、無事に避難でき……ぶへくしょっ!」
「うん、お疲れ様。大丈夫だからもう喋んないで。ウイルス飛び散るから」
「おまっ……体張った人間に対して冷たすぎん? うう、寒ぃ。節々痛い」
あたしは医療用のマスクを装着し、ぐったりしたレラにも同じものをつけてやった。よいせと担ぐと、体温がかなり高かった。
“レラ”という言葉は単純に風のことも指すけど、その他に伝染病という意味合いもある。疾風は風を操る能力を持つ代わり、力を使うとインフルエンザのような症状を発症してしばらく苦しむことになる。
「……あたしも何か、そういう特殊な力があればなあ。そしたらもっと役に立つのに」
星蘭へ向かって夜の大地を駆けながら、ぽつりとそう漏らした。
こう見えて、あたしにだってコンプレックスみたいなものがあるのだ。
すると、背負われた疾風が返事をするまでに、やや間があった。
「……お前はいいよ。その怪力だけで十分役に立ってるから」
「だから喋んないで。伝染るから」
「自分から話振っといてそれはなくない!? お前、なんで俺にだけそんな塩対応なの!」
そうして、仕事へ行く時の発着所の役割を果たしている武蔵川邸――照平じいちゃんの屋敷まで疾風を送り届けた。自宅は市街地にあるので、このコタンコㇿの隊服のまま直接帰るわけに行かないのだ。ご近所さんに目撃されてはまずい。
「あらあら、大変だったわね」
「真希さん、疾風のことお願いします」
そこで待機していたのは、コタンコㇿ・エージェンシーの後方支援を担っているエージェント。誠おじさんのお姉さんで、ダイちゃんのお母さんに当たる真希さんだ。
その真希さんに疾風の看病を頼み、あたしはまた水上町の現場へとんぼ返りすることにした。
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