【9】③
ー/ー「あの、……佐野さん、は?」
「佐野!? あいつが何?」
思わず漏れた声はもうどうしようもなかった。航の虚を突かれたような表情は、惚けているわけでもなさそうだ。
佐野の強い気持ちは、航にはまるで届いていない。その残酷な事実に胸が、痛む。
他人事だというのに、瑛璃には彼女の想いが少しはわかる気がしたからだ。
「あ、……この間家に来たの。それで少しだけ話したから。『私のことは名前で瑛璃ちゃんなのに自分は違う』とか、……あのごめん!」
徐々に早口になる瑛璃に彼は首を捻り、突然何かに思い至ったように目を見開いた。
「もしかしてあいつ、中学の時の~とかくだらないこと言ってた!? あんなの冗談だよ。でも狭い町だし噂になるだけでも面倒だから名前はやめたってだけ。第一、中学からもう名前で呼ばなくなる奴らもザラにいたよ」
何も気にしていないらしい航。
彼女は本気なのに。本当に気づいていないのか? 佐野も冗談めかして告げてしまったのだろうか。
しかしそれを瑛璃の口から説明することなどできない。
まるで「施す」かのような行為で、一時的に優越感に浸ることに何の意味があるのか。反動で自己嫌悪に襲われるのは目に見えている。
瑛璃はその程度には自分を知っているつもりでいた。
何より、真実を告げることで航が彼女の想いを知って心動かされたらどうする?
卑怯でも何でも構わない。
表向きがどうであれ、瑛璃は航に「幼馴染みの想い」には気づかないままでいて欲しいのだ。
そもそも「他人事とは思えない」痛みも、結局は一歩離れた安全な場所からの同情でしかない気がした。
「あの、でも『東京行きたい』ってのも特に変な意味とかなくて! 普通の従兄妹同士でいいんだ。ただ、もう会えないのだけは嫌だから」
瑛璃が伏し目がちに黙り込んだため話が途切れて、漂う気まずい沈黙に航が急に上擦った声で言い訳をし始めた。
──意味、あってもいいよ。その方がいい。私は少しだけ期待してもいいのかな。
そんなものは都合のいい思い込みで、やはり瑛璃はただの従妹であり兄弟姉妹のいない航にとっては「妹みたい」な存在でしかないとしても構わなかった。
見返りが欲しいわけではないからだ。
けれど瑛璃は何も言わずに頷いただけだった。
今口を開いたら、きっと東京には帰れない予感がする。ここに残る、と泣いて訴えてしまいそうで。
それでは駄目なのだ。自分たちには、まだやらなければならないことがあるのだから。
高校生活も、大学受験も、……その先も。
航は東京の大学に行く気になった。
瑛璃はそれだけを信じていればいい。
「佐野!? あいつが何?」
思わず漏れた声はもうどうしようもなかった。航の虚を突かれたような表情は、惚けているわけでもなさそうだ。
佐野の強い気持ちは、航にはまるで届いていない。その残酷な事実に胸が、痛む。
他人事だというのに、瑛璃には彼女の想いが少しはわかる気がしたからだ。
「あ、……この間家に来たの。それで少しだけ話したから。『私のことは名前で瑛璃ちゃんなのに自分は違う』とか、……あのごめん!」
徐々に早口になる瑛璃に彼は首を捻り、突然何かに思い至ったように目を見開いた。
「もしかしてあいつ、中学の時の~とかくだらないこと言ってた!? あんなの冗談だよ。でも狭い町だし噂になるだけでも面倒だから名前はやめたってだけ。第一、中学からもう名前で呼ばなくなる奴らもザラにいたよ」
何も気にしていないらしい航。
彼女は本気なのに。本当に気づいていないのか? 佐野も冗談めかして告げてしまったのだろうか。
しかしそれを瑛璃の口から説明することなどできない。
まるで「施す」かのような行為で、一時的に優越感に浸ることに何の意味があるのか。反動で自己嫌悪に襲われるのは目に見えている。
瑛璃はその程度には自分を知っているつもりでいた。
何より、真実を告げることで航が彼女の想いを知って心動かされたらどうする?
卑怯でも何でも構わない。
表向きがどうであれ、瑛璃は航に「幼馴染みの想い」には気づかないままでいて欲しいのだ。
そもそも「他人事とは思えない」痛みも、結局は一歩離れた安全な場所からの同情でしかない気がした。
「あの、でも『東京行きたい』ってのも特に変な意味とかなくて! 普通の従兄妹同士でいいんだ。ただ、もう会えないのだけは嫌だから」
瑛璃が伏し目がちに黙り込んだため話が途切れて、漂う気まずい沈黙に航が急に上擦った声で言い訳をし始めた。
──意味、あってもいいよ。その方がいい。私は少しだけ期待してもいいのかな。
そんなものは都合のいい思い込みで、やはり瑛璃はただの従妹であり兄弟姉妹のいない航にとっては「妹みたい」な存在でしかないとしても構わなかった。
見返りが欲しいわけではないからだ。
けれど瑛璃は何も言わずに頷いただけだった。
今口を開いたら、きっと東京には帰れない予感がする。ここに残る、と泣いて訴えてしまいそうで。
それでは駄目なのだ。自分たちには、まだやらなければならないことがあるのだから。
高校生活も、大学受験も、……その先も。
航は東京の大学に行く気になった。
瑛璃はそれだけを信じていればいい。
みんなのリアクション
まだリアクションはありません。最初の一歩を踏み出しましょう!
「あの、……|佐野《さの》さん、は?」
「佐野!? あいつが何?」
思わず漏れた声はもうどうしようもなかった。航の虚を突かれたような表情は、|惚《とぼ》けているわけでもなさそうだ。
佐野の強い気持ちは、航にはまるで届いていない。その残酷な事実に胸が、痛む。
他人事だというのに、瑛璃には彼女の想いが少しはわかる気がしたからだ。
「あ、……この間家に来たの。それで少しだけ話したから。『私のことは名前で瑛璃ちゃんなのに自分は違う』とか、……あのごめん!」
徐々に早口になる瑛璃に彼は首を捻り、突然何かに思い至ったように目を見開いた。
「もしかしてあいつ、中学の時の~とかくだらないこと言ってた!? あんなの冗談だよ。でも狭い町だし噂になるだけでも面倒だから名前はやめたってだけ。第一、中学からもう名前で呼ばなくなる奴らもザラにいたよ」
何も気にしていないらしい航。
彼女は本気なのに。本当に気づいていないのか? 佐野も冗談めかして告げてしまったのだろうか。
しかしそれを瑛璃の口から説明することなどできない。
まるで「施す」かのような行為で、一時的に優越感に浸ることに何の意味があるのか。反動で自己嫌悪に襲われるのは目に見えている。
瑛璃はその程度には自分を知っているつもりでいた。
何より、真実を告げることで航が彼女の想いを知って心動かされたらどうする?
卑怯でも何でも構わない。
表向きがどうであれ、瑛璃は航に「幼馴染みの想い」には気づかないままでいて欲しいのだ。
そもそも「他人事とは思えない」痛みも、結局は一歩離れた安全な場所からの同情でしかない気がした。
「あの、でも『東京行きたい』ってのも特に変な意味とかなくて! 普通の従兄妹同士でいいんだ。ただ、もう会えないのだけは嫌だから」
瑛璃が伏し目がちに黙り込んだため話が途切れて、漂う気まずい沈黙に航が急に上擦った声で言い訳をし始めた。
──意味、あってもいいよ。その方がいい。私は少しだけ期待してもいいのかな。
そんなものは都合のいい思い込みで、やはり瑛璃はただの従妹であり兄弟姉妹のいない航にとっては「妹みたい」な存在でしかないとしても構わなかった。
見返りが欲しいわけではないからだ。
けれど瑛璃は何も言わずに頷いただけだった。
今口を開いたら、きっと東京には帰れない予感がする。ここに残る、と泣いて訴えてしまいそうで。
それでは駄目なのだ。自分たちには、まだやらなければならないことがあるのだから。
高校生活も、大学受験も、……その先も。
航は東京の大学に行く気になった。
瑛璃はそれだけを信じていればいい。
「佐野!? あいつが何?」
思わず漏れた声はもうどうしようもなかった。航の虚を突かれたような表情は、|惚《とぼ》けているわけでもなさそうだ。
佐野の強い気持ちは、航にはまるで届いていない。その残酷な事実に胸が、痛む。
他人事だというのに、瑛璃には彼女の想いが少しはわかる気がしたからだ。
「あ、……この間家に来たの。それで少しだけ話したから。『私のことは名前で瑛璃ちゃんなのに自分は違う』とか、……あのごめん!」
徐々に早口になる瑛璃に彼は首を捻り、突然何かに思い至ったように目を見開いた。
「もしかしてあいつ、中学の時の~とかくだらないこと言ってた!? あんなの冗談だよ。でも狭い町だし噂になるだけでも面倒だから名前はやめたってだけ。第一、中学からもう名前で呼ばなくなる奴らもザラにいたよ」
何も気にしていないらしい航。
彼女は本気なのに。本当に気づいていないのか? 佐野も冗談めかして告げてしまったのだろうか。
しかしそれを瑛璃の口から説明することなどできない。
まるで「施す」かのような行為で、一時的に優越感に浸ることに何の意味があるのか。反動で自己嫌悪に襲われるのは目に見えている。
瑛璃はその程度には自分を知っているつもりでいた。
何より、真実を告げることで航が彼女の想いを知って心動かされたらどうする?
卑怯でも何でも構わない。
表向きがどうであれ、瑛璃は航に「幼馴染みの想い」には気づかないままでいて欲しいのだ。
そもそも「他人事とは思えない」痛みも、結局は一歩離れた安全な場所からの同情でしかない気がした。
「あの、でも『東京行きたい』ってのも特に変な意味とかなくて! 普通の従兄妹同士でいいんだ。ただ、もう会えないのだけは嫌だから」
瑛璃が伏し目がちに黙り込んだため話が途切れて、漂う気まずい沈黙に航が急に上擦った声で言い訳をし始めた。
──意味、あってもいいよ。その方がいい。私は少しだけ期待してもいいのかな。
そんなものは都合のいい思い込みで、やはり瑛璃はただの従妹であり兄弟姉妹のいない航にとっては「妹みたい」な存在でしかないとしても構わなかった。
見返りが欲しいわけではないからだ。
けれど瑛璃は何も言わずに頷いただけだった。
今口を開いたら、きっと東京には帰れない予感がする。ここに残る、と泣いて訴えてしまいそうで。
それでは駄目なのだ。自分たちには、まだやらなければならないことがあるのだから。
高校生活も、大学受験も、……その先も。
航は東京の大学に行く気になった。
瑛璃はそれだけを信じていればいい。