第5幕 その2
ー/ー「青ちゅ~さんー」
そんなこんなで愛しの汚き我が家にやってきたメメ子から初めて、自分の名前を言われる。ちょっとくすぐったいような――まあニックネームなんですが。
挨拶を適当にしてマンションのエントランスからエレベーターへ案内し昇っていく。
若い子に信頼してもらえるとかありがたいことですよ、俺。まあ命助けてるんですが。
とりあえずズボンを履くか持ってくるように言ったから大丈夫だろう。
「持ってきた?」
「じゃーん」
メメ子がメジコンの箱を取り出す。二十錠入りのやつだ。四十錠入りもあるがレア中のレアと化している。
「お腹は?」
「ちょっと減ってるー」
「ヨシ」
「グレープフルーツ? はダメなのー? 効きやすくなるって」
「最初だからなあ。何度か失敗する覚悟でって感じ」
「あーね」
音もなくエレベータのドアが開く。どぞーとやりながら先導していく。
「ようこそ、我が家へ」
「お邪魔しまーす」
「真っすぐ奥ねー」
ペタペタとスリッパを鳴らしながらメメ子がリビングへ入っていく。最低限は片づけたとはいえ未だ汚部屋。薄暗いのもいつものままだから多分細かいゴミは見えないだろう。
「絨毯とかないからベッドマットで勘弁ね。そっちのマットかエアベッドかどっちかで。シーツと布団は洗ってある」
簡単に説明して「エアベッド」と言われたのでモーターで膨らましにかかる。
爆音を立てるモーターと徐々に空気で膨れていくエアベッド。
これ「勃起」のメタファーに使えるんじゃね? と益体もない思考が浮上したのを無視してメメ子を見やる。バルーンを目前にした子供みたいだった。
「こんなもんでどう? 硬さ」
「んーおっけー」
エアベッドを部屋の隅に置いてシーツを掛けて夏布団を整えればでき上がりだ。
「ついでに俺の親友の現場猫くんぬいぐるみも貸そうヨシ!」
「おおーヨシ!」
黄色いパーカーを着た現場猫のぬいぐるみをメメ子が抱きしめてヨシする。そしてエアベッドに腰を下ろすとぬいぐるみに何やら話しかけている。
総じて気分は落ち着いてるように見えた。切り出す。
「それじゃあ、ODとか、っていうのは?」
「やりますねぇー!」
プロジェクターライトの薄明かりの中笑い合う。
「アイスティーしかないけど――」
「おいこらー」
メメ子は笑っている。何とかODできる気力はあるように思われた。
最後にまた危険事項などを説明していく。責任というより何だか免罪符じみた気がしてちょっと嫌だったが。
「じゃあ飲みますか」
「りょー」
慣れない手つきで開封するメメ子。
「うおーお薬ちっこいねー」
「それな」
メジコンのシートを前にメメ子が言う。確かに塩野義製薬のメジコン、通称塩メジの錠剤はかなり小さい。飲みやすいと言えば飲みやすいが苦みも強いので苦手な人も多い。
メメ子がプチプチプチとたどたどしく錠剤を出していく。四、五、六……小さな左手に小さな錠剤。
「一気いけるかなー?」
「どうだろ? 二回に分ける?」
「そうするねー」
持ってきていたいろはすを右手にメメ子がお姉さん座りしながら、
「いくぞー」
意を消したように錠剤を口に含み上を向くと、ミネラルウォーターを飲み込む。嚥下する喉が鳴った。
「――飲めたー何か苦い?」
「きりっと天然水あるで」
「下さいー」
「おけおけ」
冷蔵庫からジュースを取ってくる間にメメ子は二回目の錠剤も飲み切ったようだ。オレンジ色のペットボトルを手渡す。
「……やっぱなんか苦いー」
ちょっとうげっとした表情だ。
「一応吐き気止めと袋もあるから」
「さすが上級者だー」
「健全な常習者!」
さて、ここから効果が表れるまでは個人差がある。概ね一時間から二時間だが、場合によっては四時間掛かるから中々の長丁場になるかもしれない。
それとなくデス子の墓のことを聞いてみる。
「家行ったけど一触即発っていうか、また喧嘩になりそうで帰ってきたー」
「お墓は?」
「分かったけど、骨、ないから」
「ああ四十九までか」
「そうそうー」
なるほど。デス子のことは一先ず置くというかしばらくできることはあまりなさそうだ。
「んークーラーきもちー」
左腕でぬいぐるみを抱きながら背を倒しメメ子が伸びをした。
「寒かったら言ってや」
「青ちゅ~さんー、音楽はー?」
「あ、こっちこっち。そだwifiは――」
すっかり忘れていたwifiのパスを教えて、スピーカーにメメ子のスマホを繋げた。これで好きなのが聴けるだろう。
少しして、夏っぽい音色の曲が流れ始める――。
本能が狂い始める
追い詰められたハツカネズミ
今、絶望の淵に立って
踏切へと飛び出した
そう 君は友達 僕の手を掴めよ
そう 君は独りさ
居場所なんてないだろ
二人きり この儘 愛し合えるさ
知らない曲だ。歌声は初音ミク。
「――なんて曲?」
「みきとPの少女レイ」
レイか。おじとしては綾波レイが浮かぶところだが。或いはRayか?
繰り返す
フラッシュバック・蝉の声・二度とは帰らぬ君
永遠(とは)に千切れてく
お揃いのキーホルダー
夏が消し去った 白い肌の少女に
哀しい程 とり憑かれて仕舞いたい
ボーカロイドの切なげな声が響く。
何となくデス子のことを思い出す歌詞だ。さすがに聞くほど野暮ではないが。
メメ子は目を閉じながらぬいぐるみを抱いて右指で拍子を取っている。
そうだよな。まだ喪が明けたわけじゃないもんな。
蝉の声を残して曲が終わる。
「夏っぽい曲だね」
「んねー。入道雲と青い空浮かぶ」
その後も色んな曲を聴かせてくれた。
「あーそだーアメコミ!」
「そういやそうだった。どこやったっけ」
「そこのはー?」
「それは……小説とかやな」
うず高くなった本の山。ムック本から写真集、小説と偏った趣味のものが放置されている。
「メメ子さんて本読むの?」
「ワイちゃん? 有名な文学とかは読んだよー」
えっーと、と言いながら指折り数えだすメメ子。
「芥川龍之介でしょー人間失格――えっと太宰治、三島由紀夫、川端康成?」
「全員自殺者やないか」
「ぷぅっあはは――ははぁ」
何となく誤魔化すように目を細めるメメ子だった。
「でもさー読んでてネットない時代って想像つかないよー。でも大正ロマンは好き好き」
「確かになあ。俺も思春期からネット漬けだったからなーニコ動とか全盛期」
「あーねー」
自殺した過去の文豪たち。俺の知らない文士も自殺しているんだろう。ネットがあったら彼らはまた別の結末を選択しただろうか。
「なんか難しいねー」
天井と壁に踊るプロジェクターライトの光を掴むようにしてメメ子が言う。まるで虚空に問うように。
と、もう十曲は聴いただろうか、急にメメ子が目をしばたかせた。
「? んー?」
「どした? 効いてきた?」
「何か変な感じがするー嫌な感じではない」
メメ子が自分の頭に手を当てて言う。効いてきたみたいだな。
「目を閉じてさ、集中するとどう?」
「んー」
メメ子が目を閉じてうーんとする。
「――あ、なんか薄く見えるーえーすごー」
「それが閉眼幻覚」
「おおーこれが」
「音はどう? 何か楽しいみたいな感じない?」
「……確かに! ちょっとイイ感じだねー」
はえーと驚きながらメメ子。
「立ち上がれる?」
「――んしょ。まだいけるねー」
時間的にも効き始めといったところなのだろうか。
「――でもホントにすごい! 何か模様っぽくなってきたよー」
「あるあるだな」
「そなんだ。あははー」
メメ子がちょっとだらしなく笑みを浮かべる。アレルギーは大丈夫っぽいな。吐き気もないみたいだし上手にトべるかもな。
「青ちゅ~さんの好きな曲はー? 夏っぽいの」
「夏かー」
引きニート歴が長すぎて季節感というかその実感みたいなのがあまりない。
「ちょち待ち」
んーと考えてみる。Airの曲だろ、素晴らしき日々の曲、ZAZEN BOYSのすとーりーず、あとはBaseBallBearのElectric Summer。ぱっと浮かぶのはこんなもんか。あとマイヤヒーとか聴いてたな大昔の夏に。
「じゃあ鳥の詩とか」
「あー知ってるーいい曲だよね!」
ネットのおかげか古いネタ結構知ってるのか。大体名前がつげ義春だしな。
消える飛行機雲 僕たちは見送った
眩しくて逃げた いつだって弱くて
あの日から変わらず
いつまでも変わらずに
いられなかったこと
悔しくて指を離す
指を離す――手放すか。
――すべては繋がっている。
適当に選んだ曲なのにな。こういう偶然は大好きだ。
何となく今まで歩んできた人生が味方してくれているような感じすら覚えた。
その後も談笑しながらお互いの好きな曲を聴いていく。
そして摂取から一時間二十分を過ぎたころ――
「――おおー幻覚が超カラフルになってきたよー」
「良き良き。何が見えんの?」
「んとねー、さっきまで模様だったのが映像みたい!」
少し興奮しながらメメ子が続ける。
「今は知らない公園にいるよー。待ってクロミちゃんの着ぐるみがいる!」
「楽しそうやん。ポムカスいないの?」
「ポムカス笑。いないねー。クロミちゃんだけ――え? 待って声がする!」
幻聴だろう。テンション上がってきたな。
「やっほークロミちゃんー」
メメ子は幻覚と戯れている。
「じゃあ俺近くで黙ってるから。楽しんで!」
「んーありがとー」
目を閉じたままメメ子が左手を振った。
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