第4幕 その2
ー/ー 何曲かランダムで聴いているうちに耳鳴りが強くなってきた。眼を閉じれば薄っすらした幻覚が少し視える。
スマホをタップして音楽を止め、閉眼幻覚に集中する。
いつものようにキューブに似た物体が視える。それはゆっくりと回転しながら分裂していく。倍々で増えるキューブたち。
その数、二百五十六は超えたかという辺りで視界上部からのっぺりとした濃い墨のような、ペンキのようなものが、つづら折りのようにキューブたちを塗りつぶしていく。
俺が≪強制終了≫と呼んでいる現象だ。パソコンやゲームでいう処理落ちのような感じだ。脳の処理の限界に達するような幻覚が視えた時に起こる。
脳がキャパを超えたその幻覚を勝手に遮断するのだろうか。
黒墨で染められた視界一面が急にガラスが割れたように平面的に崩壊する。その先にあったのは赤い――いや青でもない――今は紫のカーテンと白黒のチェス盤のような大理石の床だった。
――シレンシオ。
何だろう、幻聴だが英語ではなさそうだ。
――シレンシオ。
男とも女ともわからぬ声が冷たく響く。
――シレンシオ。
ぷぅぅぅうおおおおぉぉぉんんんんぅ。
文字にすればそんな奇妙な音が鳴り響く。サックスか、これは。
そのサックスらしき音は激しく感情的にうねるように高みへと昇っていく。
気付けば紫色のジャケットを着た中年の小人の男が、幼稚園か小学生入ったばかりくらいのうつむく男の子の耳に左手を当て何か囁いている。男の子が何かを抱いている。
――答えはジヨォォォカアアアアア。スティル――Still――STILL――じょぉかあああ。
少女の声がした。誰だ? メメ子? めめこって誰だっけ?
――シレンシオ。
またあの声がした。と――刹那、部屋が真っ青に染まる。青いベルベットに青いソファーに青い照明、小人も青い昔のルパンみたいなジャケットだ。
ふと小人が指を鳴らした。
パチン。照明が消える。
再び小人が指を鳴らした。
パチン。照明が灯る――鮮血のような赤い部屋、レッドルームだ。
サックスの音に紛れて聞こえていなかったがうつむく少年は泣いているようだった。抱いているのはぬいぐるみだろうか。
――して――。
野生そのものようなサックスの響きにかき消されて聞こえない。小人はまた耳打ちしている。
幽体の俺は二人に近づこうと試みる。大体は進めと念じれば前進するのだが今日は違った。幽体は動かない。
――シレンシオ。
小人の顔がこちらを向いた。ゆっくりとウィンクをするとそのまま左回りに三百六十度回転していく。
怒涛のサックスと耳鳴りが終末のラッパのようだ。
こめかみのあたりがピクピクと動くのを感じる。
男の子がこちらを向いた。
その眼。と。眼。
視界中にぱっくりとした眼たちが浮かぶ。数十、いや数百か。
ちくしょう眼医者ばかりではないかと冗談が浮かんだ刹那――眼が一斉に変じた。全ての眼が俺を見ている。
しかもそれは――俺の眼だった――全て。
――どうして――。
それは轟音の中はっきりと聞こえた。
――どうして――くれないの――。
なんだ、これは。俺はこれを知って――。
指先が痙攣する。鼓動がどっどっどと激しくなる。
それは俺の密室――。
――どうして――くれないの――。
やめろ!
男の子が泣いている。小人は囁き続ける。
パチン。照明が消える。
パチン。広いトイレというより――便所という言葉が似あう。
いつの間にか俺と少年と小人は巨大な和式便器と薄青い木の壁と扉に囲まれていた。まるで巨人の便所……俺の密室を――解くな!
泣いている。男の子が。こっちを見て泣いている。
パチン。小人は服だけ残してかき消えた。
『――どうして――助けてくれないの――』
体の中と外からその叫びが二重になって聞こえた。
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