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Ⅱ.カルデアの戦い‐①

ー/ー



 荒野に響き渡る異国の笛の音。
 鹿のような動物にまたがり、飛ぶように駆け回る女の騎士たち。
 神々しさすら感じられる出で立ちだった。緑と純白に彩られた軍服が、陽光を受けて鮮やかに光り輝いている。パルテミラ帝国軍本隊のお出ましだ。
 オレたちはその荘厳な雰囲気に、完全に呑まれていた。
 大軍が待ち構えていたことで、恐慌に陥った者も多かったのだろう。号令も掛からないうちに、大ローマ帝国軍は進軍の足を止めてしまった。
 ようやく動きがあったのは、パルテミラの軽騎兵がまさに背後に回り込もうとしていた時のことだった。ローマ軍中央の歩兵部隊は、横陣から方陣に組み直そうとしているようだったが、間に合いそうもない。
 オレは自分のやるべきことを思い出し、部下たちに呼び掛けた。
「迎撃しろ! 歩兵の背後を取らせるな!」
 おう、と頼もしい喊声がふきあがり、オレたちスパルタクス騎兵は駆け出した。
 迎撃というよりは、背後に回り込もうとする軽騎兵を追うような形だった。
 それほどに、パルテミラの軽騎兵は速かった。
 だが速いと言っても、内から回るのと外から回るのとでは大違いだ。オレたちはなんとか、敵と並走するところまで追い付くことができた。
 そのまま、歩兵から遠ざけるように圧力をかけていく。
 近くで見るパルテミラの軽騎兵は、思っていた以上に華奢だった。
 正面からぶつかれば、鹿もろとも吹き飛ばせそうだ。
 むろん、簡単には近寄らせてもらえそうもないが……
 それにしても、こいつらの平衡感覚は一体どうなってんだ?
 あの鹿みたいな動物――確かに速いが、揺れが大き過ぎてとても人が乗れたものじゃない。オレでも多分、三十秒と持たずに吹っ飛ばされるだろう。
 そんなことを考えていると、奴らは疾走の速度そのままに、一斉に弓を引き始めた。
 おいおい、嘘だろ……!?
 射ってきた。
 弓を装備しているから当然と言えばそうなのだが、せいぜい止まってから射つものだとばかり思っていた。あんな乗物に揺られながら両手を離すなんて、正気じゃない。
 オレは盾で防ぐことができたが、部下の何人かは、馬体に矢を受けて脱落した。
 これはまずい。奴らは、オレたちの剣が届かないところから、一方的に矢を射かけることができる。このまま追いかけっこを続けていても、無為に兵を死なせるだけだ。
 右翼の方では、もっとまずいことが起きていた。重騎兵(カタフラクト)を追っていたプブリウスが、まだ戻って来れていない。そのせいで、パルテミラの軽騎兵はやりたい放題だった。
 幸い、この時にはもう、中央歩兵部隊の方陣はほとんどできあがっていた。この陣形ならば、どこから騎兵が突っ込んできても耐えられるだろう。
 オレは一旦、その方陣の内側に退避することにした。
 方陣が完成するまでの時間稼ぎができただけでも、今はよしとしよう。
 中に入ると、プブリウスの騎兵部隊もそこにいた。ほとんど無傷なのが妙に腹立たしい。
 改めて、周囲を見渡す。
 四方八方、鹿、鹿、鹿だらけ。オレたちは完全に包囲されていた。
 しかしこの時点では、ローマ軍の多くがまだ心に余裕を持っていたようだ。
 多分、敵の包囲の輪が薄かったからだろう。
 見たところ、パルテミラ軍の数は五千から八千程度。大軍と言えなくもないが、四万を超えるローマ軍に比べれば可愛く見えるだろう。
 だがさっきの戦闘で、オレは知った。奴らが見た目ほどに可愛くないということを。
 ローマ兵たちも、すぐに思い知ることになった。
 奥の方では、最高指揮官のクラウススが、兵を鼓舞している。
「恐れることはない! 相手は女だ! 数でもこちらが圧倒して――」
「ぎゃぁああああ!?」
 その声が、断末魔の悲鳴に掻き消された。
 軽騎兵の放った矢が、ローマ兵の眼窩に突き立ったのだ。
 それを皮切りに、空を埋め尽くすほどの矢が、方陣の全周から注ぎ込まれた。
 ローマ軍の主力は大盾(スクトゥム)を装備した重装歩兵。多少の矢はものともしないが、流石に五千を超える射手から間断なく放たれる矢を、すべて防ぎきることはできなかった。
 ある矢は盾の隙間を通り抜け、またある矢は盾を貫通した。
 ローマ軍も矢や投槍(ピルム)で反撃するが、まったく届かない。
 果敢に追いかけた者も、振り向きざまの騎射で削られて逃げ帰る始末だった。
「盾を掲げよ! テストゥドの隊形を組め!」
 悲しいほどになすすべがないこの状況で、クラウススは新たな指示を出した。
 大盾(スクトゥム)で周囲を固めた、防御特化の密集隊形――テストゥド。
 これで矢の雨が止むのを待つらしい。
 なるほどな。なすすべがないなら、ないなりの戦い方がある。
 弓や投槍(ピルム)を使った遠距離戦から始まり、その後白兵戦に移行していくのが戦の常道だ。
 今は遠距離戦で完敗しているが、いずれ矢が尽きれば、パルテミラ軍も白兵戦で決着をつけるしかない。その時が勝負だ。
 今は耐える時。
 しかし、どれだけ待っても、勝負の時というものは来なかった。

 反撃がなくなったのをいいことに、至近距離から矢を射かけるパルテミラ軽騎兵。
 矢は次々と盾を貫通し、ローマ軍の戦力を外から徐々に削り取っていった。
 テストゥドを組んだからと言って、盾の強度が上がるわけでもないのだ。
 そして時とともに、暑さに倒れる者も増えていった。
 この炎天下で、重装備で身を固めて密集隊形を維持するのは、地獄の苦しみだった。
 戦が始まる前から、勝敗が決まっていたようなものだった。まともな戦闘すらさせてもらえないまま、地中海最強を誇った大ローマ帝国軍は、ゆっくりと敗北に向かっていた。
 冗談じゃない……!
 オレはもうほとんど諦めていた。
 この一ヶ月半の苦労は、一体なんだったんだ!?
 海路で行くはずが嵐に遭って難破し、仕方なく北から迂回して陸路を行く羽目になり、ようやくパルテミラ領に入ったと思えば砂漠の横断行。挙句にはこのザマか。
 天を仰ぐオレの横では、クラウススとその息子が、まだ諦めずに打開策を練っていた。
「奴ら……まさか、最初からこうするつもりで、大量の矢を用意していたのだろうか」
「そのようで。先程から、軽騎兵があの丘の辺りを行き来しているのが目に付きます。恐らく、あそこに補給部隊を隠しているのでしょう」
 それから息子プブリウスは、続けて進言した。
「父上、出撃の許可をください! 私が様子を見て参ります!」
「ならぬ! 今外に出るのは危険だ! 出たところで、なにができるのかも分からぬというのに」
「では、このまま我が軍が壊滅するまで待てというのですか!?」
「分かった。ならばベテルギウスに行かせよう」
 ざけんなクラウスス! オレを捨て駒みたいに……!
「いいえ、ベテルギウスの隊は負傷者が多く使いものになりません。私が行きます!」
 プブリウスてめぇ! オレらが弱いみたいに……!
 かくして、プブリウスの騎兵部隊が、一縷の望みをかけて出撃することになった。



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 荒野に響き渡る異国の笛の音。
 鹿のような動物にまたがり、飛ぶように駆け回る女の騎士たち。
 神々しさすら感じられる出で立ちだった。緑と純白に彩られた軍服が、陽光を受けて鮮やかに光り輝いている。パルテミラ帝国軍本隊のお出ましだ。
 オレたちはその荘厳な雰囲気に、完全に呑まれていた。
 大軍が待ち構えていたことで、恐慌に陥った者も多かったのだろう。号令も掛からないうちに、大ローマ帝国軍は進軍の足を止めてしまった。
 ようやく動きがあったのは、パルテミラの軽騎兵がまさに背後に回り込もうとしていた時のことだった。ローマ軍中央の歩兵部隊は、横陣から方陣に組み直そうとしているようだったが、間に合いそうもない。
 オレは自分のやるべきことを思い出し、部下たちに呼び掛けた。
「迎撃しろ! 歩兵の背後を取らせるな!」
 おう、と頼もしい喊声がふきあがり、オレたちスパルタクス騎兵は駆け出した。
 迎撃というよりは、背後に回り込もうとする軽騎兵を追うような形だった。
 それほどに、パルテミラの軽騎兵は速かった。
 だが速いと言っても、内から回るのと外から回るのとでは大違いだ。オレたちはなんとか、敵と並走するところまで追い付くことができた。
 そのまま、歩兵から遠ざけるように圧力をかけていく。
 近くで見るパルテミラの軽騎兵は、思っていた以上に華奢だった。
 正面からぶつかれば、鹿もろとも吹き飛ばせそうだ。
 むろん、簡単には近寄らせてもらえそうもないが……
 それにしても、こいつらの平衡感覚は一体どうなってんだ?
 あの鹿みたいな動物――確かに速いが、揺れが大き過ぎてとても人が乗れたものじゃない。オレでも多分、三十秒と持たずに吹っ飛ばされるだろう。
 そんなことを考えていると、奴らは疾走の速度そのままに、一斉に弓を引き始めた。
 おいおい、嘘だろ……!?
 射ってきた。
 弓を装備しているから当然と言えばそうなのだが、せいぜい止まってから射つものだとばかり思っていた。あんな乗物に揺られながら両手を離すなんて、正気じゃない。
 オレは盾で防ぐことができたが、部下の何人かは、馬体に矢を受けて脱落した。
 これはまずい。奴らは、オレたちの剣が届かないところから、一方的に矢を射かけることができる。このまま追いかけっこを続けていても、無為に兵を死なせるだけだ。
 右翼の方では、もっとまずいことが起きていた。重騎兵《カタフラクト》を追っていたプブリウスが、まだ戻って来れていない。そのせいで、パルテミラの軽騎兵はやりたい放題だった。
 幸い、この時にはもう、中央歩兵部隊の方陣はほとんどできあがっていた。この陣形ならば、どこから騎兵が突っ込んできても耐えられるだろう。
 オレは一旦、その方陣の内側に退避することにした。
 方陣が完成するまでの時間稼ぎができただけでも、今はよしとしよう。
 中に入ると、プブリウスの騎兵部隊もそこにいた。ほとんど無傷なのが妙に腹立たしい。
 改めて、周囲を見渡す。
 四方八方、鹿、鹿、鹿だらけ。オレたちは完全に包囲されていた。
 しかしこの時点では、ローマ軍の多くがまだ心に余裕を持っていたようだ。
 多分、敵の包囲の輪が薄かったからだろう。
 見たところ、パルテミラ軍の数は五千から八千程度。大軍と言えなくもないが、四万を超えるローマ軍に比べれば可愛く見えるだろう。
 だがさっきの戦闘で、オレは知った。奴らが見た目ほどに可愛くないということを。
 ローマ兵たちも、すぐに思い知ることになった。
 奥の方では、最高指揮官のクラウススが、兵を鼓舞している。
「恐れることはない! 相手は女だ! 数でもこちらが圧倒して――」
「ぎゃぁああああ!?」
 その声が、断末魔の悲鳴に掻き消された。
 軽騎兵の放った矢が、ローマ兵の眼窩に突き立ったのだ。
 それを皮切りに、空を埋め尽くすほどの矢が、方陣の全周から注ぎ込まれた。
 ローマ軍の主力は大盾《スクトゥム》を装備した重装歩兵。多少の矢はものともしないが、流石に五千を超える射手から間断なく放たれる矢を、すべて防ぎきることはできなかった。
 ある矢は盾の隙間を通り抜け、またある矢は盾を貫通した。
 ローマ軍も矢や投槍《ピルム》で反撃するが、まったく届かない。
 果敢に追いかけた者も、振り向きざまの騎射で削られて逃げ帰る始末だった。
「盾を掲げよ! テストゥドの隊形を組め!」
 悲しいほどになすすべがないこの状況で、クラウススは新たな指示を出した。
 大盾《スクトゥム》で周囲を固めた、防御特化の密集隊形――テストゥド。
 これで矢の雨が止むのを待つらしい。
 なるほどな。なすすべがないなら、ないなりの戦い方がある。
 弓や投槍《ピルム》を使った遠距離戦から始まり、その後白兵戦に移行していくのが戦の常道だ。
 今は遠距離戦で完敗しているが、いずれ矢が尽きれば、パルテミラ軍も白兵戦で決着をつけるしかない。その時が勝負だ。
 今は耐える時。
 しかし、どれだけ待っても、勝負の時というものは来なかった。
 反撃がなくなったのをいいことに、至近距離から矢を射かけるパルテミラ軽騎兵。
 矢は次々と盾を貫通し、ローマ軍の戦力を外から徐々に削り取っていった。
 テストゥドを組んだからと言って、盾の強度が上がるわけでもないのだ。
 そして時とともに、暑さに倒れる者も増えていった。
 この炎天下で、重装備で身を固めて密集隊形を維持するのは、地獄の苦しみだった。
 戦が始まる前から、勝敗が決まっていたようなものだった。まともな戦闘すらさせてもらえないまま、地中海最強を誇った大ローマ帝国軍は、ゆっくりと敗北に向かっていた。
 冗談じゃない……!
 オレはもうほとんど諦めていた。
 この一ヶ月半の苦労は、一体なんだったんだ!?
 海路で行くはずが嵐に遭って難破し、仕方なく北から迂回して陸路を行く羽目になり、ようやくパルテミラ領に入ったと思えば砂漠の横断行。挙句にはこのザマか。
 天を仰ぐオレの横では、クラウススとその息子が、まだ諦めずに打開策を練っていた。
「奴ら……まさか、最初からこうするつもりで、大量の矢を用意していたのだろうか」
「そのようで。先程から、軽騎兵があの丘の辺りを行き来しているのが目に付きます。恐らく、あそこに補給部隊を隠しているのでしょう」
 それから息子プブリウスは、続けて進言した。
「父上、出撃の許可をください! 私が様子を見て参ります!」
「ならぬ! 今外に出るのは危険だ! 出たところで、なにができるのかも分からぬというのに」
「では、このまま我が軍が壊滅するまで待てというのですか!?」
「分かった。ならばベテルギウスに行かせよう」
 ざけんなクラウスス! オレを捨て駒みたいに……!
「いいえ、ベテルギウスの隊は負傷者が多く使いものになりません。私が行きます!」
 プブリウスてめぇ! オレらが弱いみたいに……!
 かくして、プブリウスの騎兵部隊が、一縷の望みをかけて出撃することになった。