第二話 異性
ー/ー季節は過ぎ、気づけば太陽がうっとおしく感じる夏を迎えていた。
湿気混じりな不快感のある空気、ジリジリと焼けるような日差し、今日も憎いほどに快晴である。
喫茶店としては、空調の効いた涼しい店内とアイスコーヒーに惹かれてくる客層が多くなる為、決して悪い話ではない。
八月の初旬である今。高校も夏休みを迎えている為、ミニドリップは毎日昼から営業中である。
決して、予定がないからというわけではない。
「あー暑い……。こう毎日暑いとやってられないわよ」
皺のない白のブラウスに、清潔感のある黒のスカートスーツ姿の武藤さん。
ぱたぱたとメニュー表で仰ぎながら、うんざりした表情を浮かべつつぼやく。
現在は、ちょうど正午を過ぎた頃。
この店の常連である武藤さんもまた、日々のまとわりつく湿気と気だるい暑さに憂いていた。
胸元のボタンも一つ外して、色気のある汗ばんだ谷間が露になっている。
そんなだらしない姿も、もはや今では見慣れた光景である。
「学生はいいなぁ……夏休みだもんねー」
「それ、来る度に言ってますよ。武藤さん」
いつものように私はグラスを拭きながら、カウンター席に座る武藤さんをいなす。
今日は珍しく、仕事の合間である昼休みに来てくれたのだが、どこか元気がない。
「あー私も夏休み欲しいー……」
「結局の所そこですか……」
成人し、社会人になるとほとんどの人間がそう思うらしい。確かに、夏休みは学生の特権かもしれない。
「いやーこれがね、イケメンと花火大会の予定があるなら話は別よ?」
交際関係に関してまるで浮いた話がないからか、急に語気が強くなる武藤さん。
仕事が出来るのと、持ち前のルックスの良さが相まって、世の男性達は怖気づくようだ。
「そういうものですかね……」
別に相手が男でなく友達でも良いのでは、なんて思ったがそれは無粋なのだろう。
「休憩所でさ、いちいちマウント取られるのよ? 彼氏とどうのって……」
心底嫌そうな表情を浮かべ、そう呟く武藤さん。
「なるほど……それは確かに、中々くるものがありますね」
グラスを拭きながら、そう相槌をうつ私。
言われてみれば、教室内でも似たような話を女子グループがしていたような。
差異はあれど、歳を重ねてもそういったものからは逃れられないのか……と気分が滅入る。
まあ、私はそんなグループ内に入れてすらもらえない、というのが現状だけど。
「そうなのよ、だからどうしたらイイ男に会えるか、はるちゃんにご教授願おうとおもって」
「今までそういった経験がない人に聞きます……?」
「ほら、よく愚痴を聞いたりしてるでしょ? 的確なアドバイスを私にも!」
もはや、藁にも縋る勢いとはこの事なのだろうか。
割と武藤さんの目が真面目だった事に、私は少したじろいだ。
「そ、そうですね……では、どなたかお友達と花火大会に行って現地調達……というのは」
咄嗟にでた苦し紛れのアドバイスは、何とも平凡なものだった。
それに現地調達という言葉は、少し下品だったかもしれない。
「なるほど、フリーをアピールして現地調達作戦か……」
意外と思っていたより、武藤さんの反応は悪くないようだ。
「できれば、武藤さん並かそれ以下の女性が好ましいですね」
「はるちゃん、しれっとあくどいこと言うね」
「あくどい、とは酷いですね。少しでも可能性が高いプランを提示しただけです」
毅然とした態度でそう言い返す私。あくどいとはあんまりである。
「ま、まあ確かに……そうだけどもね」
「というわけで、同僚や後輩を連れて行ってみてはいかがでしょう?」
「よーし! ここは天才軍師春風氏のプランにのっかってやろうじゃない!」
さっきまでの憂いを帯びた表情とは裏腹に、急に活力がみなぎってきた武藤さん。
「じゃ! そろそろ休憩終わるからまたねー」
いそいそとカウンターにお会計の紙と千円札一枚を置き、そのまま笑顔で武藤さんは職場へ。
「まあ、何はどうあれ笑顔になったから良しとしましょうか……」
せめて、何も悪い事が起きないことを祈るばかりである。
******
武藤さんが去ってから間もなく、新たに複数人の来店。見た所、一組のようだ。
一息つこうと思っていたので、正直あまり嬉しくないのが本音である。
入店を知らせるベルに少しげんなりしながらも、気持ちを切り替えて入り口へ向かう。
「いらっしゃいませ、何め――」
そこまで言いかけた所で、思わず言葉に詰まる。
複数の男性達は夏休みにもかかわらず制服姿にスクールバッグという、何とも目立つ格好。
それがあって、私はすぐに目の前の男性が同級生の人たちだと気づいた。
もっと言えば、一人は確か同じクラスだ。
「三人でお願いしまーす」
三人の内の陽気そうな坊主頭が、私にそう答える。
少し髪が長めの一人はスマホに夢中のようだ。
もう一人のさっぱりした短髪の男子は、チラチラとこちらを見ている。
もしかして、気づかれたか……?
「では、あちらの窓側の席が空いておりますのでどうぞ」
「お! これ俺らの貸切じゃーん! ほら、ファミレスにしなくて正解だったろ俊樹!」
高校生特有のハイテンションで騒ぐ陽気男。
俊樹と呼ばれた男は私から視線を逸らし、陽気男に騒ぐなとなだめつつ付いて行った。
あまりクラスに馴染んでない私でも、この俊樹という男子の名前だけは聞き覚えがあった。
確か……伊田俊樹、だったかな。
そう、それこそ先ほど話題に上がった、女子達の会話の中でだけど。
失礼な話だが、後の二人はまるで知らない。同じクラスかもしれないけど。
「では、お決まりになりましたらお呼びください」
決して悟られぬよう、普段と変わらぬ振る舞いで、その場を乗り切る私。
がやがやと騒ぐ三人をよそに、私はそそくさとカウンター側に逃げこんだ。
表情には出してないが、最悪である。よりによって同級生が来るなんて。
近くに、高校生の溜まり場とも言えるファミレスがあっただろうに。
まあ高校生がここに来る理由なんて他が混んでいたから、それだけだろうけども。
「店員さーん! 決まりましたー!」
「……お待たせしました、ご注文をお伺いします」
「えっとコーラ三つと、このチョコパフェを三つで!」
よりによってパフェ三つとか嫌がらせだろうか? 私に何の恨みが。
いや、売り上げに貢献してくれるのは良い事ではあるけども。
「あとスマイルひとつ!」
いかにも子供っぽい笑いをしながら、そんなふざけた事をいう陽気男。
今なら某ファーストフード店の店員の気持ちが分かる。
純粋に、殺意しか生まれない。
「お前やめろそういうのは!」
顔を赤くしながらそう陽気男に叫ぶ伊田俊樹。
全くである。流石、女子に人気なだけあってこの男は常識人なようだ。
私の中で僅かであるが彼への好感度があがった。
「おいおい何お前だけいい人ぶってんだよー!」
陰気男が伊田俊樹に対して、からかい気味に言う。
そうか陰気男、あなたはそっち側か。
「……では、すぐにお持ちしますので少々お待ちくださいませ」
私は少々語気を強めてそう答え、カウンター裏に戻る。
「絶対今、店員怒ってたって……」
「いやいや! それは俊樹の考えすぎでしょー。流石にあんなんで怒ったらプロ失格じゃない?」
――悪かったな、プロ失格で。
私プロ失格みたいだから、ちゃんとパフェ作れないかもしれない。
ココアパウダーじゃなくて、挽き終わった後の豆をかけてしまうかも。
……なんて、内心非常に穏やかではない状態でコーラを先出しした後、パフェを持っていった。
異物混入とか騒がれても嫌なので、今回は伊田俊樹に免じて許すことに。
我ながら、何とも慈悲深い。
「うおーアイスうめー! なんかラクトアイスじゃなくてアイスクリームって感じするわ!」
三流以下の食レポを披露する陽気男。これがテレビなら即クビ間違いなしだろう。
「確かに。結構美味しい」
素朴な感想を述べる俊樹。流石、女子ウケがいい男子。
「ふーん、リッチじゃん」
一人天才テニスプレイヤーみたいな食レポをする陰気男。個人的に嫌いじゃない。
一部変なこと言ってるが、まあ美味しいと言ってくれたので良しとしよう。
「……おい、こんな呑気にパフェ食ってる場合じゃないだろ」
「全くだぞ。誰の為に集まったと思っている俊樹」
暇なので聞き耳を立てながらキッチンで休憩していると、なにやら面白そうな会話を始めた三人。
「で、いつ誘うんだよ」
「い、いや……」
「ここまで来て誘えませんでした、はないぞ」
なにやら伊田俊樹、もといモテ男が詰められている様子。予想するに、気になっている女子でも誘うのだろうか。
「やっぱ緊張するって! まじで!」
どうやら、いくらプレイボーイであろうと誘うのは緊張が伴うようである。
もちろん私は、誘われた事も誘った事もない。なので、あまりその緊張は実感がわかない。
「はぁーモテ男の癖にそんな事悩みやがって」
「全くだ、こちとら言い寄ってくる女子すら居ないんだぞ! 分けろ、独占するな!」
だんだん会話が非モテ男の僻みみたいになってきて、醜い有様である。
しかし、気持ちはわからなくもない……。何事も独占は良くないと思う。
なんて、意外と人の色恋話は面白いと感じ始めた私。
聞き耳を立てるのは良くないと分かっているが、このモテ男が一体誰を誘おうとしてるのか気になってきてしまい、ついつい耳をすましてしまう。
「と、とりあえず……日も近いし、今日誘うわ」
「言ったな! 絶対だぞ俊樹!」
「……じゃあ、俺らは先帰るとするか」
「そうだな、後で絶対報告しろよ?」
二人はそういうとモテ男にお金を渡し、さっさと出て行ってしまった。
相談しているように見えたが、全然二人とも役に立ってないような……。私の気のせいだろうか。
そうか、伊田俊樹はこれからその人に会いに行くのか。是非とも頑張ってほしいものである。
「すみません、お会計お願いします」
呼ばれた私は、変わらぬ振る舞いで席の方へ向かう。
まるで、聞き耳なんて立てていませんでしたよと言わんばかりに。
「お待たせしました、お会計ですね?」
「あ、えっとはい……」
どこか様子が変なモテ男。それもそうか、これからのイベントを考えれば妥当かもしれない。まあ……少し早すぎるかもしれないが。
「……あの、急に失礼かもしれないですけど、同じクラスの香笛さん……ですよね?」
唐突にそんなことを尋ねられ、思わず手が止まる。
「……そうですが」
やっぱり気づいていたか、という思いと何故急に、という疑問の感情が入り混じる。
「え、えっと俺、同じクラスの……」
「伊田俊樹君……ですよね?」
「あ、まさか覚えてもらえてたとは……嬉しいです」
相手が言うより早く、名前を言い当てる私。
どうやら覚えてもらえていたのが嬉しかったようで、気恥ずかしそうに頭をかくモテ男。
別に私に覚えてもらっていても嬉しくはないだろう……学園一の美少女とかじゃあるまいし。
「……あの、一応ここで働いてる事は内緒でお願いします」
流石にクラスでネタにされるのも嫌だし、そうでなくてもあまり知られたくはない。
……周りも多分、知りたくはないだろうし。
「りょ、了解です。そ、それで……なんですけど」
何か、言いにくそうにしている様子のモテ男。
自分の手元にある、受け取ったままの千円札二枚に気づいた私は、すぐに理解した。
「……あ、失礼しましたおつりですよね? 二千三百円お預かりしましたので三十二円のお返しになります」
申し訳なさそうに私は急いでレジを打ち、丁寧におつりを彼へ渡した。
「あ、はい……ってそうじゃなくて!」
彼から思ってもよらなかった、ノリツッコミが返って来た事に驚く私。
あれ? おつりの話じゃない……? となると何が……?
「あの、そのですね……!」
「……なんでしょう?」
何かしただろうかと色々考えてみたものの、まるで見当がつかない。
コーラの炭酸が抜けていたとか、そういう話だろうか?
もしくは意図せずパフェに異物が? だとしたらそれは、私の漏れた呪いなので許して欲しい。
「……今度の日曜日、暇ですか?」
「……は?」
思わず、素のリアクションが出てしまった。
目が点になり、口が開いたまま塞がらなかったのは久々である。
「もし、空いてたら……一緒に花火見に行きませんか!」
顔を真っ赤にして、意を決したようにそう叫んだ彼の目は、確かに私の瞳を見つめていた。
「……あの、えっと」
突然のことで頭が回らず、上手く言葉にできない。
「な、何故私と……? あ、ああ……何かの罰ゲームとか……?」
「罰ゲームなんかじゃないです! むしろご褒美というか、超嬉しいっていうか!」
そこまで言って、自分が凄く恥ずかしい発言をしたと気づいたらしく、言い淀む彼。
「と、とにかく! 香笛さんと花火を見たいんです!」
「す、すみません……あの、いきなりすぎて何て返したらいいか……」
しどろもどろになり、もはや挙動不審ですらある私。考えが纏まらず思考が追いつかない。
某ステーキ店だって、ここまでいきなりじゃないと思う。
……なんて考えている余裕がまだ私にはあったので、思っていたより脳内は冷静かもしれない。
「そ、そうですよね! いきなり誘われても迷惑ですよね! すみません!!」
そんな私とは反対に、彼はだいぶ動揺を隠せないようだ。
「で、ではもし暇だったらで良いので! 今週の日曜日! 夜の六時に桜崎公園の前に来てください! 俺、待ってますんで! それでは失礼します!」
強い濁流の如く最後まで言い切ると、恥ずかしさからか、そのままダッシュで店を飛び出して行ってしまったモテ男……もとい伊田俊樹。
「は、はあ……」
まるで嵐が過ぎ去った後のような感覚を味わいながら、私はしばらく茫然自失としていた。
まさか、よりにもよって誘う相手が私だったなんて。
これは、何かの間違いではないのだろうか。そんな思いがずっと脳内を駆け回っていた。
******
翌日の夜、いつものようにカウンター席に座り愚痴を零す武藤さん。
話を聞きながらも、私の頭の中は昨日のことで一杯である。なにせ、人生で初めての出来事だったのだから。
「あのーはるちゃん? 何か今日……上の空じゃない?」
早速、異変を感じたらしく武藤さんに勘付かれてしまう。
流石デキる女性、鋭い感性を持っているようだ。
「そ、そうでしょうか? 特にいつもと変わらないですが……」
答えるまでの一瞬の表情変化を、武藤さんは見逃さなかった。
「今、一瞬ドキッとしたでしょ」
「……いえ、そのようなことは」
「何よー水臭いわね、悩みがあるならこの私に相談してみなさい?」
非常に豊かな胸を張りながら、頼ってくれといわんばかりの表情の武藤さん。
この前の会話の後で、クラスメイトから花火大会に誘われたなどと相談できるだろうか。
否、それは悪手だろう。間違いなく反感を買いかねない。コミュニケーションが苦手な私でも、こればかりは不味いと分かる。
「ちなみに恋愛相談をしようものなら、このミニドリップが火の海になるけどね」
フランクに笑いながら、そんな事を軽く言ってのける武藤さん。
まずい、目が笑っていない……。
やはり言わなくて正解だったようである。危うくこの店が灰塵に帰す所だった。
「まあ、はるちゃんに限ってそんな相談はないと思うけどさ」
「……その通りです」
言えない……よりによってその類の相談なんですとは、口が裂けても。
「……え? 何か今、間がなかった?」
一瞬の機微を見逃さなかった武藤さん、急に疑惑の眼差しがこちらに向く。
思わず、咄嗟に言葉が出ず視線を逸らしてしまう。
「嘘、だよね? はるちゃんが……私を裏切るわけ……」
「いえ、その……」
「だ、誰じゃー! うちの娘をたぶらかしたクソガキはー!」
全てを察したのか、カウンターテーブルを強く両手で叩き叫びだす武藤さん。
「ちょっ! ちょっと待ってください! 違います、違いますって!」
これ以上話せば面倒なことになると確信した私は、正直に話す道を選んだ。
******
やがて、事の経緯を説明し終えると、武藤さんはどこか嬉しそうだった。
「いやーそっかー……とうとう、あのはるちゃんにも色恋の話が」
「何か、思っていた反応と違いますね。てっきりミニドリップが火の海になるのかと」
「いやいや、冗談に決まってるでしょ! 流石に私だって高校生に僻んだりしないってば!」
笑いながらそう返してくる武藤さんに、私は半信半疑な眼差しを向ける。
「ま、そんな事はさておいてよ! どんな子? 学歴は? 年収どれくらーい?」
「凄い食いつきますね……さてはあわよくば、いただいちゃおうとか思ってます? 別に良いですけど」
高校生に学歴も何もないだろう。更に言えば年収を聞く意味もないと私は思う。
「思わないよ! 犯罪だよ未成年とか! 流石にそこまで飢えてないわ! それに私は同い年か年上派なの、年下は好みじゃありませーん」
相変わらず、キレのあるツッコミをくれる武藤さん。流石に私の考え過ぎだったようだ。
「ちなみに女子の会話から名前を知ったくらいで、他は全く知らないです」
「えー! 何か接点とかあったんじゃないの?」
「同じクラスではあるんですが……記憶にないですね。私が覚えてないだけかもしれませんが」
正直な話、何の部活をやってるかも分からないレベルである。
あまり言いたくはないけれど、そもそもクラスメイトに興味がない。
「はるちゃんらしいと言えばそれまでだけど……まさかそこまで、人に関心がないとはねえ」
「あまり、自分から人に関わろうと思った事がないんですよね」
今でこそ武藤さんと仲良く喋ってはいるが、きっと話しかけてくれなければ、未来は違っただろうとさえ思うほどに。
「これは、チャンスだね。はるちゃんが人に関心を持つきっかけになるかも」
ふざけているようで、どこか真面目そうな表情の武藤さん。
きっと、本気で心配してくれているのかもしれない。
これから社会に出るにあたって人間関係とは、避けられないものだから。
「でも、失礼じゃないですかね? 好意がないのに行くなんて」
個人的な価値観であるが、そんな事をつい思ってしまう。
「ふふ、そうでもないよ。そこから始まる恋だってあるもの」
半分ほどアイスコーヒーが残ったグラスを傾けながら、滴る結露を見つめ、憂いのある声色でそう呟く。
今までの経験の中で、きっと何か思う所があったのだろう。
そう話す武藤さんが、私の目にはいつも以上に大人びて映った。
「ま、何事も物は試しって言うでしょ? 良いじゃない、一度きりの高校生活なんだから」
何気ない様子でそう言ってみせる武藤さんに、私は何ともいえない説得力を感じていた。
「……ズルいです、たまにそうやって良いことを言うのって」
「べっつに良いことでも何でもないよ、あくまで今までの経験から来る言葉ってやつさ」
「……分かりました。武藤さんの言葉に感化されたので、試しに行ってみます」
「まあ気負いせず、楽しんでくる位の気持ちで行って来なよ」
「……そう、ですね」
拭いていたグラスを淡く純白に光る蛍光灯へ、透かす様に向けながら呟く。
「あー私も青春したいなー! くぅー!」
身悶えるような素振りを見せながら武藤さんが叫び、アイスコーヒーを一気に飲み干す。
「もう青春とかいう歳じゃ……いえ、何でもないです」
「おっとー? はるちゃんに自殺願望あったなんて、知らなかったなぁー私」
「冗談ですよ、まだ華の二十代ですもんね」
「何か棘を感じる言い方だなぁ。悪意が見え隠れしてるよ」
そんないつものやり取りも交わしつつ、今日も一日が終わろうとしていた。
もしこれで異性に対する気持ちが分かれば、武藤さんの気持ちを少しは分かるのかも知れない、なんて。
そんなどこか邪とも言える感情を抱えながら、私は花火大会のことを考えていた。
この選択によって、未来が大きく変わるかもしれないなんて、露とも思わずに。
湿気混じりな不快感のある空気、ジリジリと焼けるような日差し、今日も憎いほどに快晴である。
喫茶店としては、空調の効いた涼しい店内とアイスコーヒーに惹かれてくる客層が多くなる為、決して悪い話ではない。
八月の初旬である今。高校も夏休みを迎えている為、ミニドリップは毎日昼から営業中である。
決して、予定がないからというわけではない。
「あー暑い……。こう毎日暑いとやってられないわよ」
皺のない白のブラウスに、清潔感のある黒のスカートスーツ姿の武藤さん。
ぱたぱたとメニュー表で仰ぎながら、うんざりした表情を浮かべつつぼやく。
現在は、ちょうど正午を過ぎた頃。
この店の常連である武藤さんもまた、日々のまとわりつく湿気と気だるい暑さに憂いていた。
胸元のボタンも一つ外して、色気のある汗ばんだ谷間が露になっている。
そんなだらしない姿も、もはや今では見慣れた光景である。
「学生はいいなぁ……夏休みだもんねー」
「それ、来る度に言ってますよ。武藤さん」
いつものように私はグラスを拭きながら、カウンター席に座る武藤さんをいなす。
今日は珍しく、仕事の合間である昼休みに来てくれたのだが、どこか元気がない。
「あー私も夏休み欲しいー……」
「結局の所そこですか……」
成人し、社会人になるとほとんどの人間がそう思うらしい。確かに、夏休みは学生の特権かもしれない。
「いやーこれがね、イケメンと花火大会の予定があるなら話は別よ?」
交際関係に関してまるで浮いた話がないからか、急に語気が強くなる武藤さん。
仕事が出来るのと、持ち前のルックスの良さが相まって、世の男性達は怖気づくようだ。
「そういうものですかね……」
別に相手が男でなく友達でも良いのでは、なんて思ったがそれは無粋なのだろう。
「休憩所でさ、いちいちマウント取られるのよ? 彼氏とどうのって……」
心底嫌そうな表情を浮かべ、そう呟く武藤さん。
「なるほど……それは確かに、中々くるものがありますね」
グラスを拭きながら、そう相槌をうつ私。
言われてみれば、教室内でも似たような話を女子グループがしていたような。
差異はあれど、歳を重ねてもそういったものからは逃れられないのか……と気分が滅入る。
まあ、私はそんなグループ内に入れてすらもらえない、というのが現状だけど。
「そうなのよ、だからどうしたらイイ男に会えるか、はるちゃんにご教授願おうとおもって」
「今までそういった経験がない人に聞きます……?」
「ほら、よく愚痴を聞いたりしてるでしょ? 的確なアドバイスを私にも!」
もはや、藁にも縋る勢いとはこの事なのだろうか。
割と武藤さんの目が真面目だった事に、私は少したじろいだ。
「そ、そうですね……では、どなたかお友達と花火大会に行って現地調達……というのは」
咄嗟にでた苦し紛れのアドバイスは、何とも平凡なものだった。
それに現地調達という言葉は、少し下品だったかもしれない。
「なるほど、フリーをアピールして現地調達作戦か……」
意外と思っていたより、武藤さんの反応は悪くないようだ。
「できれば、武藤さん並かそれ以下の女性が好ましいですね」
「はるちゃん、しれっとあくどいこと言うね」
「あくどい、とは酷いですね。少しでも可能性が高いプランを提示しただけです」
毅然とした態度でそう言い返す私。あくどいとはあんまりである。
「ま、まあ確かに……そうだけどもね」
「というわけで、同僚や後輩を連れて行ってみてはいかがでしょう?」
「よーし! ここは天才軍師春風氏のプランにのっかってやろうじゃない!」
さっきまでの憂いを帯びた表情とは裏腹に、急に活力がみなぎってきた武藤さん。
「じゃ! そろそろ休憩終わるからまたねー」
いそいそとカウンターにお会計の紙と千円札一枚を置き、そのまま笑顔で武藤さんは職場へ。
「まあ、何はどうあれ笑顔になったから良しとしましょうか……」
せめて、何も悪い事が起きないことを祈るばかりである。
******
武藤さんが去ってから間もなく、新たに複数人の来店。見た所、一組のようだ。
一息つこうと思っていたので、正直あまり嬉しくないのが本音である。
入店を知らせるベルに少しげんなりしながらも、気持ちを切り替えて入り口へ向かう。
「いらっしゃいませ、何め――」
そこまで言いかけた所で、思わず言葉に詰まる。
複数の男性達は夏休みにもかかわらず制服姿にスクールバッグという、何とも目立つ格好。
それがあって、私はすぐに目の前の男性が同級生の人たちだと気づいた。
もっと言えば、一人は確か同じクラスだ。
「三人でお願いしまーす」
三人の内の陽気そうな坊主頭が、私にそう答える。
少し髪が長めの一人はスマホに夢中のようだ。
もう一人のさっぱりした短髪の男子は、チラチラとこちらを見ている。
もしかして、気づかれたか……?
「では、あちらの窓側の席が空いておりますのでどうぞ」
「お! これ俺らの貸切じゃーん! ほら、ファミレスにしなくて正解だったろ俊樹!」
高校生特有のハイテンションで騒ぐ陽気男。
俊樹と呼ばれた男は私から視線を逸らし、陽気男に騒ぐなとなだめつつ付いて行った。
あまりクラスに馴染んでない私でも、この俊樹という男子の名前だけは聞き覚えがあった。
確か……伊田俊樹、だったかな。
そう、それこそ先ほど話題に上がった、女子達の会話の中でだけど。
失礼な話だが、後の二人はまるで知らない。同じクラスかもしれないけど。
「では、お決まりになりましたらお呼びください」
決して悟られぬよう、普段と変わらぬ振る舞いで、その場を乗り切る私。
がやがやと騒ぐ三人をよそに、私はそそくさとカウンター側に逃げこんだ。
表情には出してないが、最悪である。よりによって同級生が来るなんて。
近くに、高校生の溜まり場とも言えるファミレスがあっただろうに。
まあ高校生がここに来る理由なんて他が混んでいたから、それだけだろうけども。
「店員さーん! 決まりましたー!」
「……お待たせしました、ご注文をお伺いします」
「えっとコーラ三つと、このチョコパフェを三つで!」
よりによってパフェ三つとか嫌がらせだろうか? 私に何の恨みが。
いや、売り上げに貢献してくれるのは良い事ではあるけども。
「あとスマイルひとつ!」
いかにも子供っぽい笑いをしながら、そんなふざけた事をいう陽気男。
今なら某ファーストフード店の店員の気持ちが分かる。
純粋に、殺意しか生まれない。
「お前やめろそういうのは!」
顔を赤くしながらそう陽気男に叫ぶ伊田俊樹。
全くである。流石、女子に人気なだけあってこの男は常識人なようだ。
私の中で僅かであるが彼への好感度があがった。
「おいおい何お前だけいい人ぶってんだよー!」
陰気男が伊田俊樹に対して、からかい気味に言う。
そうか陰気男、あなたはそっち側か。
「……では、すぐにお持ちしますので少々お待ちくださいませ」
私は少々語気を強めてそう答え、カウンター裏に戻る。
「絶対今、店員怒ってたって……」
「いやいや! それは俊樹の考えすぎでしょー。流石にあんなんで怒ったらプロ失格じゃない?」
――悪かったな、プロ失格で。
私プロ失格みたいだから、ちゃんとパフェ作れないかもしれない。
ココアパウダーじゃなくて、挽き終わった後の豆をかけてしまうかも。
……なんて、内心非常に穏やかではない状態でコーラを先出しした後、パフェを持っていった。
異物混入とか騒がれても嫌なので、今回は伊田俊樹に免じて許すことに。
我ながら、何とも慈悲深い。
「うおーアイスうめー! なんかラクトアイスじゃなくてアイスクリームって感じするわ!」
三流以下の食レポを披露する陽気男。これがテレビなら即クビ間違いなしだろう。
「確かに。結構美味しい」
素朴な感想を述べる俊樹。流石、女子ウケがいい男子。
「ふーん、リッチじゃん」
一人天才テニスプレイヤーみたいな食レポをする陰気男。個人的に嫌いじゃない。
一部変なこと言ってるが、まあ美味しいと言ってくれたので良しとしよう。
「……おい、こんな呑気にパフェ食ってる場合じゃないだろ」
「全くだぞ。誰の為に集まったと思っている俊樹」
暇なので聞き耳を立てながらキッチンで休憩していると、なにやら面白そうな会話を始めた三人。
「で、いつ誘うんだよ」
「い、いや……」
「ここまで来て誘えませんでした、はないぞ」
なにやら伊田俊樹、もといモテ男が詰められている様子。予想するに、気になっている女子でも誘うのだろうか。
「やっぱ緊張するって! まじで!」
どうやら、いくらプレイボーイであろうと誘うのは緊張が伴うようである。
もちろん私は、誘われた事も誘った事もない。なので、あまりその緊張は実感がわかない。
「はぁーモテ男の癖にそんな事悩みやがって」
「全くだ、こちとら言い寄ってくる女子すら居ないんだぞ! 分けろ、独占するな!」
だんだん会話が非モテ男の僻みみたいになってきて、醜い有様である。
しかし、気持ちはわからなくもない……。何事も独占は良くないと思う。
なんて、意外と人の色恋話は面白いと感じ始めた私。
聞き耳を立てるのは良くないと分かっているが、このモテ男が一体誰を誘おうとしてるのか気になってきてしまい、ついつい耳をすましてしまう。
「と、とりあえず……日も近いし、今日誘うわ」
「言ったな! 絶対だぞ俊樹!」
「……じゃあ、俺らは先帰るとするか」
「そうだな、後で絶対報告しろよ?」
二人はそういうとモテ男にお金を渡し、さっさと出て行ってしまった。
相談しているように見えたが、全然二人とも役に立ってないような……。私の気のせいだろうか。
そうか、伊田俊樹はこれからその人に会いに行くのか。是非とも頑張ってほしいものである。
「すみません、お会計お願いします」
呼ばれた私は、変わらぬ振る舞いで席の方へ向かう。
まるで、聞き耳なんて立てていませんでしたよと言わんばかりに。
「お待たせしました、お会計ですね?」
「あ、えっとはい……」
どこか様子が変なモテ男。それもそうか、これからのイベントを考えれば妥当かもしれない。まあ……少し早すぎるかもしれないが。
「……あの、急に失礼かもしれないですけど、同じクラスの香笛さん……ですよね?」
唐突にそんなことを尋ねられ、思わず手が止まる。
「……そうですが」
やっぱり気づいていたか、という思いと何故急に、という疑問の感情が入り混じる。
「え、えっと俺、同じクラスの……」
「伊田俊樹君……ですよね?」
「あ、まさか覚えてもらえてたとは……嬉しいです」
相手が言うより早く、名前を言い当てる私。
どうやら覚えてもらえていたのが嬉しかったようで、気恥ずかしそうに頭をかくモテ男。
別に私に覚えてもらっていても嬉しくはないだろう……学園一の美少女とかじゃあるまいし。
「……あの、一応ここで働いてる事は内緒でお願いします」
流石にクラスでネタにされるのも嫌だし、そうでなくてもあまり知られたくはない。
……周りも多分、知りたくはないだろうし。
「りょ、了解です。そ、それで……なんですけど」
何か、言いにくそうにしている様子のモテ男。
自分の手元にある、受け取ったままの千円札二枚に気づいた私は、すぐに理解した。
「……あ、失礼しましたおつりですよね? 二千三百円お預かりしましたので三十二円のお返しになります」
申し訳なさそうに私は急いでレジを打ち、丁寧におつりを彼へ渡した。
「あ、はい……ってそうじゃなくて!」
彼から思ってもよらなかった、ノリツッコミが返って来た事に驚く私。
あれ? おつりの話じゃない……? となると何が……?
「あの、そのですね……!」
「……なんでしょう?」
何かしただろうかと色々考えてみたものの、まるで見当がつかない。
コーラの炭酸が抜けていたとか、そういう話だろうか?
もしくは意図せずパフェに異物が? だとしたらそれは、私の漏れた呪いなので許して欲しい。
「……今度の日曜日、暇ですか?」
「……は?」
思わず、素のリアクションが出てしまった。
目が点になり、口が開いたまま塞がらなかったのは久々である。
「もし、空いてたら……一緒に花火見に行きませんか!」
顔を真っ赤にして、意を決したようにそう叫んだ彼の目は、確かに私の瞳を見つめていた。
「……あの、えっと」
突然のことで頭が回らず、上手く言葉にできない。
「な、何故私と……? あ、ああ……何かの罰ゲームとか……?」
「罰ゲームなんかじゃないです! むしろご褒美というか、超嬉しいっていうか!」
そこまで言って、自分が凄く恥ずかしい発言をしたと気づいたらしく、言い淀む彼。
「と、とにかく! 香笛さんと花火を見たいんです!」
「す、すみません……あの、いきなりすぎて何て返したらいいか……」
しどろもどろになり、もはや挙動不審ですらある私。考えが纏まらず思考が追いつかない。
某ステーキ店だって、ここまでいきなりじゃないと思う。
……なんて考えている余裕がまだ私にはあったので、思っていたより脳内は冷静かもしれない。
「そ、そうですよね! いきなり誘われても迷惑ですよね! すみません!!」
そんな私とは反対に、彼はだいぶ動揺を隠せないようだ。
「で、ではもし暇だったらで良いので! 今週の日曜日! 夜の六時に桜崎公園の前に来てください! 俺、待ってますんで! それでは失礼します!」
強い濁流の如く最後まで言い切ると、恥ずかしさからか、そのままダッシュで店を飛び出して行ってしまったモテ男……もとい伊田俊樹。
「は、はあ……」
まるで嵐が過ぎ去った後のような感覚を味わいながら、私はしばらく茫然自失としていた。
まさか、よりにもよって誘う相手が私だったなんて。
これは、何かの間違いではないのだろうか。そんな思いがずっと脳内を駆け回っていた。
******
翌日の夜、いつものようにカウンター席に座り愚痴を零す武藤さん。
話を聞きながらも、私の頭の中は昨日のことで一杯である。なにせ、人生で初めての出来事だったのだから。
「あのーはるちゃん? 何か今日……上の空じゃない?」
早速、異変を感じたらしく武藤さんに勘付かれてしまう。
流石デキる女性、鋭い感性を持っているようだ。
「そ、そうでしょうか? 特にいつもと変わらないですが……」
答えるまでの一瞬の表情変化を、武藤さんは見逃さなかった。
「今、一瞬ドキッとしたでしょ」
「……いえ、そのようなことは」
「何よー水臭いわね、悩みがあるならこの私に相談してみなさい?」
非常に豊かな胸を張りながら、頼ってくれといわんばかりの表情の武藤さん。
この前の会話の後で、クラスメイトから花火大会に誘われたなどと相談できるだろうか。
否、それは悪手だろう。間違いなく反感を買いかねない。コミュニケーションが苦手な私でも、こればかりは不味いと分かる。
「ちなみに恋愛相談をしようものなら、このミニドリップが火の海になるけどね」
フランクに笑いながら、そんな事を軽く言ってのける武藤さん。
まずい、目が笑っていない……。
やはり言わなくて正解だったようである。危うくこの店が灰塵に帰す所だった。
「まあ、はるちゃんに限ってそんな相談はないと思うけどさ」
「……その通りです」
言えない……よりによってその類の相談なんですとは、口が裂けても。
「……え? 何か今、間がなかった?」
一瞬の機微を見逃さなかった武藤さん、急に疑惑の眼差しがこちらに向く。
思わず、咄嗟に言葉が出ず視線を逸らしてしまう。
「嘘、だよね? はるちゃんが……私を裏切るわけ……」
「いえ、その……」
「だ、誰じゃー! うちの娘をたぶらかしたクソガキはー!」
全てを察したのか、カウンターテーブルを強く両手で叩き叫びだす武藤さん。
「ちょっ! ちょっと待ってください! 違います、違いますって!」
これ以上話せば面倒なことになると確信した私は、正直に話す道を選んだ。
******
やがて、事の経緯を説明し終えると、武藤さんはどこか嬉しそうだった。
「いやーそっかー……とうとう、あのはるちゃんにも色恋の話が」
「何か、思っていた反応と違いますね。てっきりミニドリップが火の海になるのかと」
「いやいや、冗談に決まってるでしょ! 流石に私だって高校生に僻んだりしないってば!」
笑いながらそう返してくる武藤さんに、私は半信半疑な眼差しを向ける。
「ま、そんな事はさておいてよ! どんな子? 学歴は? 年収どれくらーい?」
「凄い食いつきますね……さてはあわよくば、いただいちゃおうとか思ってます? 別に良いですけど」
高校生に学歴も何もないだろう。更に言えば年収を聞く意味もないと私は思う。
「思わないよ! 犯罪だよ未成年とか! 流石にそこまで飢えてないわ! それに私は同い年か年上派なの、年下は好みじゃありませーん」
相変わらず、キレのあるツッコミをくれる武藤さん。流石に私の考え過ぎだったようだ。
「ちなみに女子の会話から名前を知ったくらいで、他は全く知らないです」
「えー! 何か接点とかあったんじゃないの?」
「同じクラスではあるんですが……記憶にないですね。私が覚えてないだけかもしれませんが」
正直な話、何の部活をやってるかも分からないレベルである。
あまり言いたくはないけれど、そもそもクラスメイトに興味がない。
「はるちゃんらしいと言えばそれまでだけど……まさかそこまで、人に関心がないとはねえ」
「あまり、自分から人に関わろうと思った事がないんですよね」
今でこそ武藤さんと仲良く喋ってはいるが、きっと話しかけてくれなければ、未来は違っただろうとさえ思うほどに。
「これは、チャンスだね。はるちゃんが人に関心を持つきっかけになるかも」
ふざけているようで、どこか真面目そうな表情の武藤さん。
きっと、本気で心配してくれているのかもしれない。
これから社会に出るにあたって人間関係とは、避けられないものだから。
「でも、失礼じゃないですかね? 好意がないのに行くなんて」
個人的な価値観であるが、そんな事をつい思ってしまう。
「ふふ、そうでもないよ。そこから始まる恋だってあるもの」
半分ほどアイスコーヒーが残ったグラスを傾けながら、滴る結露を見つめ、憂いのある声色でそう呟く。
今までの経験の中で、きっと何か思う所があったのだろう。
そう話す武藤さんが、私の目にはいつも以上に大人びて映った。
「ま、何事も物は試しって言うでしょ? 良いじゃない、一度きりの高校生活なんだから」
何気ない様子でそう言ってみせる武藤さんに、私は何ともいえない説得力を感じていた。
「……ズルいです、たまにそうやって良いことを言うのって」
「べっつに良いことでも何でもないよ、あくまで今までの経験から来る言葉ってやつさ」
「……分かりました。武藤さんの言葉に感化されたので、試しに行ってみます」
「まあ気負いせず、楽しんでくる位の気持ちで行って来なよ」
「……そう、ですね」
拭いていたグラスを淡く純白に光る蛍光灯へ、透かす様に向けながら呟く。
「あー私も青春したいなー! くぅー!」
身悶えるような素振りを見せながら武藤さんが叫び、アイスコーヒーを一気に飲み干す。
「もう青春とかいう歳じゃ……いえ、何でもないです」
「おっとー? はるちゃんに自殺願望あったなんて、知らなかったなぁー私」
「冗談ですよ、まだ華の二十代ですもんね」
「何か棘を感じる言い方だなぁ。悪意が見え隠れしてるよ」
そんないつものやり取りも交わしつつ、今日も一日が終わろうとしていた。
もしこれで異性に対する気持ちが分かれば、武藤さんの気持ちを少しは分かるのかも知れない、なんて。
そんなどこか邪とも言える感情を抱えながら、私は花火大会のことを考えていた。
この選択によって、未来が大きく変わるかもしれないなんて、露とも思わずに。
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