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第二話 異性

ー/ー



季節は過ぎ、気づけば太陽がうっとおしく感じる夏を迎えていた。

湿気(しっけ)混じりな不快感のある空気、ジリジリと焼けるような日差し、今日も憎いほどに快晴(かいせい)である。

喫茶店としては、空調の効いた涼しい店内とアイスコーヒーに()かれてくる客層が多くなる為、決して悪い話ではない。

八月の初旬である今。高校も夏休みを迎えている為、ミニドリップは毎日昼から営業中である。

決して、予定がないからというわけではない。

「あー暑い……。こう毎日暑いとやってられないわよ」

(しわ)のない白のブラウスに、清潔感のある黒のスカートスーツ姿の武藤(むとう)さん。

ぱたぱたとメニュー表で仰ぎながら、うんざりした表情を浮かべつつぼやく。

現在は、ちょうど正午を過ぎた頃。

この店の常連である武藤さんもまた、日々のまとわりつく湿気と気だるい暑さに(うれ)いていた。

胸元のボタンも一つ外して、色気のある汗ばんだ谷間が(あらわ)になっている。

そんなだらしない姿も、もはや今では見慣れた光景である。

「学生はいいなぁ……夏休みだもんねー」

「それ、来る(たび)に言ってますよ。武藤さん」

いつものように私はグラスを拭きながら、カウンター席に座る武藤さんをいなす。

今日は珍しく、仕事の合間である昼休みに来てくれたのだが、どこか元気がない。

「あー私も夏休み欲しいー……」

「結局の所そこですか……」

成人し、社会人になるとほとんどの人間がそう思うらしい。確かに、夏休みは学生の特権かもしれない。

「いやーこれがね、イケメンと花火大会の予定があるなら話は別よ?」

交際関係に関してまるで浮いた話がないからか、急に語気(ごき)が強くなる武藤さん。

仕事が出来るのと、持ち前のルックスの良さが相まって、世の男性達は怖気(おじけ)づくようだ。

「そういうものですかね……」

別に相手が男でなく友達でも良いのでは、なんて思ったがそれは無粋(ぶすい)なのだろう。

「休憩所でさ、いちいちマウント取られるのよ? 彼氏とどうのって……」

心底嫌そうな表情を浮かべ、そう(つぶや)く武藤さん。

「なるほど……それは確かに、中々くるものがありますね」

グラスを拭きながら、そう相槌(あいづち)をうつ私。

言われてみれば、教室内でも似たような話を女子グループがしていたような。

差異(さい)はあれど、歳を重ねてもそういったものからは逃れられないのか……と気分が滅入(めい)る。

まあ、私はそんなグループ内に入れてすらもらえない、というのが現状だけど。

「そうなのよ、だからどうしたらイイ男に会えるか、はるちゃんにご教授(きょうじゅ)願おうとおもって」

「今までそういった経験がない人に聞きます……?」

「ほら、よく愚痴を聞いたりしてるでしょ? 的確なアドバイスを私にも!」

もはや、藁(わら)にも(すが)る勢いとはこの事なのだろうか。

割と武藤さんの目が真面目だった事に、私は少したじろいだ。

「そ、そうですね……では、どなたかお友達と花火大会に行って現地調達(ナンパ)……というのは」

咄嗟(とっさ)にでた苦し紛れのアドバイスは、何とも平凡なものだった。

それに現地調達(ナンパ)という言葉は、少し下品だったかもしれない。

「なるほど、フリーをアピールして現地調達(ナンパ)作戦か……」

意外と思っていたより、武藤さんの反応は悪くないようだ。

「できれば、武藤さん並かそれ以下の女性が好ましいですね」

「はるちゃん、しれっとあくどいこと言うね」

「あくどい、とは酷いですね。少しでも可能性が高いプランを提示しただけです」

毅然(きぜん)とした態度でそう言い返す私。あくどいとはあんまりである。

「ま、まあ確かに……そうだけどもね」

「というわけで、同僚や後輩を連れて行ってみてはいかがでしょう?」

「よーし! ここは天才(てんさい)軍師(ぐんし)春風(はるかぜ)()のプランにのっかってやろうじゃない!」

さっきまでの(うれ)いを帯びた表情とは裏腹に、急に活力がみなぎってきた武藤さん。

「じゃ! そろそろ休憩終わるからまたねー」

いそいそとカウンターにお会計の紙と千円札一枚を置き、そのまま笑顔で武藤さんは職場へ。

「まあ、何はどうあれ笑顔になったから良しとしましょうか……」

せめて、何も悪い事が起きないことを祈るばかりである。

******

武藤さんが去ってから間もなく、新たに複数人の来店。見た所、一組のようだ。

一息つこうと思っていたので、正直あまり嬉しくないのが本音である。

入店を知らせるベルに少しげんなりしながらも、気持ちを切り替えて入り口へ向かう。

「いらっしゃいませ、何め――」

そこまで言いかけた所で、思わず言葉に詰まる。

複数の男性達は夏休みにもかかわらず制服姿にスクールバッグという、何とも目立つ格好。

それがあって、私はすぐに目の前の男性が同級生の人たちだと気づいた。

もっと言えば、一人は確か同じクラスだ。

「三人でお願いしまーす」

三人の内の陽気そうな坊主頭が、私にそう答える。

少し髪が長めの一人はスマホに夢中のようだ。

もう一人のさっぱりした短髪の男子は、チラチラとこちらを見ている。

もしかして、気づかれたか……?

「では、あちらの窓側の席が空いておりますのでどうぞ」

「お! これ俺らの貸切じゃーん! ほら、ファミレスにしなくて正解だったろ俊樹(としき)!」

高校生特有のハイテンションで騒ぐ陽気男。

俊樹と呼ばれた男は私から視線を逸らし、陽気男に騒ぐなとなだめつつ付いて行った。

あまりクラスに馴染んでない私でも、この俊樹という男子の名前だけは聞き覚えがあった。

確か……伊田(いだ)俊樹(としき)、だったかな。

そう、それこそ先ほど話題に上がった、女子達の会話の中でだけど。

失礼な話だが、後の二人はまるで知らない。同じクラスかもしれないけど。

「では、お決まりになりましたらお呼びください」

決して悟られぬよう、普段と変わらぬ振る舞いで、その場を乗り切る私。

がやがやと騒ぐ三人をよそに、私はそそくさとカウンター側に逃げこんだ。

表情には出してないが、最悪である。よりによって同級生が来るなんて。

近くに、高校生の溜まり場とも言えるファミレスがあっただろうに。

まあ高校生がここに来る理由なんて他が混んでいたから、それだけだろうけども。

「店員さーん! 決まりましたー!」

「……お待たせしました、ご注文をお伺いします」

「えっとコーラ三つと、このチョコパフェを三つで!」

よりによってパフェ三つとか嫌がらせだろうか? 私に何の恨みが。

いや、売り上げに貢献(こうけん)してくれるのは良い事ではあるけども。

「あとスマイルひとつ!」

いかにも子供っぽい笑いをしながら、そんなふざけた事をいう陽気男。

今なら(ぼう)ファーストフード店の店員の気持ちが分かる。

純粋に、殺意しか生まれない。

「お前やめろそういうのは!」

顔を赤くしながらそう陽気男に叫ぶ伊田俊樹。

全くである。流石、女子に人気なだけあってこの男は常識人なようだ。

私の中で僅かであるが彼への好感度があがった。

「おいおい何お前だけいい人ぶってんだよー!」

陰気(いんき)男が伊田俊樹に対して、からかい気味に言う。

そうか陰気男、あなたはそっち側か。

「……では、すぐにお持ちしますので少々お待ちくださいませ」

私は少々語気を強めてそう答え、カウンター裏に戻る。

「絶対今、店員怒ってたって……」

「いやいや! それは俊樹の考えすぎでしょー。流石にあんなんで怒ったらプロ失格じゃない?」

――悪かったな、プロ失格で。

私プロ失格みたいだから、ちゃんとパフェ作れないかもしれない。

ココアパウダーじゃなくて、挽()き終わった後の豆をかけてしまうかも。

……なんて、内心非常に穏やかではない状態でコーラを先出しした後、パフェを持っていった。

異物混入とか騒がれても嫌なので、今回は伊田俊樹に(めん)じて許すことに。

我ながら、何とも慈悲(じひ)深い。

「うおーアイスうめー! なんかラクトアイスじゃなくてアイスクリームって感じするわ!」

三流以下の食レポを披露する陽気男。これがテレビなら即クビ間違いなしだろう。

「確かに。結構美味しい」

素朴(そぼく)な感想を述べる俊樹。流石、女子ウケがいい男子。

「ふーん、リッチじゃん」

一人天才テニスプレイヤーみたいな食レポをする陰気(いんき)男。個人的に嫌いじゃない。

一部変なこと言ってるが、まあ美味しいと言ってくれたので良しとしよう。

「……おい、こんな呑気(のんき)にパフェ食ってる場合じゃないだろ」

「全くだぞ。誰の為に集まったと思っている俊樹」

暇なので聞き耳を立てながらキッチンで休憩していると、なにやら面白そうな会話を始めた三人。

「で、いつ誘うんだよ」

「い、いや……」

「ここまで来て誘えませんでした、はないぞ」

なにやら伊田俊樹、もといモテ男が詰められている様子。予想するに、気になっている女子でも誘うのだろうか。

「やっぱ緊張するって! まじで!」

どうやら、いくらプレイボーイであろうと誘うのは緊張が伴うようである。

もちろん私は、誘われた事も誘った事もない。なので、あまりその緊張は実感がわかない。

「はぁーモテ男の癖にそんな事悩みやがって」

「全くだ、こちとら言い寄ってくる女子すら居ないんだぞ! 分けろ、独占するな!」

だんだん会話が非モテ男の(ひが)みみたいになってきて、醜(みにく)い有様である。

しかし、気持ちはわからなくもない……。何事も独占は良くないと思う。

なんて、意外と人の色恋話は面白いと感じ始めた私。

聞き耳を立てるのは良くないと分かっているが、このモテ男が一体誰を誘おうとしてるのか気になってきてしまい、ついつい耳をすましてしまう。

「と、とりあえず……日も近いし、今日誘うわ」

「言ったな! 絶対だぞ俊樹!」

「……じゃあ、俺らは先帰るとするか」

「そうだな、後で絶対報告しろよ?」

二人はそういうとモテ男にお金を渡し、さっさと出て行ってしまった。

相談しているように見えたが、全然二人とも役に立ってないような……。私の気のせいだろうか。

そうか、伊田俊樹はこれからその人に会いに行くのか。是非とも頑張ってほしいものである。

「すみません、お会計お願いします」

呼ばれた私は、変わらぬ振る舞いで席の方へ向かう。

まるで、聞き耳なんて立てていませんでしたよと言わんばかりに。

「お待たせしました、お会計ですね?」

「あ、えっとはい……」

どこか様子が変なモテ男。それもそうか、これからのイベントを考えれば妥当かもしれない。まあ……少し早すぎるかもしれないが。

「……あの、急に失礼かもしれないですけど、同じクラスの香笛さん……ですよね?」

唐突にそんなことを尋ねられ、思わず手が止まる。

「……そうですが」

やっぱり気づいていたか、という思いと何故急に、という疑問の感情が入り混じる。

「え、えっと俺、同じクラスの……」

「伊田俊樹君……ですよね?」

「あ、まさか覚えてもらえてたとは……嬉しいです」

相手が言うより早く、名前を言い当てる私。

どうやら覚えてもらえていたのが嬉しかったようで、気恥ずかしそうに頭をかくモテ男。

別に私に覚えてもらっていても嬉しくはないだろう……学園一の美少女とかじゃあるまいし。

「……あの、一応ここで働いてる事は内緒でお願いします」

流石にクラスでネタにされるのも嫌だし、そうでなくてもあまり知られたくはない。

……周りも多分、知りたくはないだろうし。

「りょ、了解です。そ、それで……なんですけど」

何か、言いにくそうにしている様子のモテ男。

自分の手元にある、受け取ったままの千円札二枚に気づいた私は、すぐに理解した。

「……あ、失礼しましたおつりですよね? 二千三百円お預かりしましたので三十二円のお返しになります」

申し訳なさそうに私は急いでレジを打ち、丁寧におつりを彼へ渡した。

「あ、はい……ってそうじゃなくて!」

彼から思ってもよらなかった、ノリツッコミが返って来た事に驚く私。

あれ? おつりの話じゃない……? となると何が……?

「あの、そのですね……!」

「……なんでしょう?」

何かしただろうかと色々考えてみたものの、まるで見当がつかない。

コーラの炭酸が抜けていたとか、そういう話だろうか?

もしくは意図せずパフェに異物が? だとしたらそれは、私の漏れた呪いなので許して欲しい。

「……今度の日曜日、暇ですか?」

「……は?」

思わず、素のリアクションが出てしまった。

目が点になり、口が開いたまま塞がらなかったのは久々である。

「もし、空いてたら……一緒に花火見に行きませんか!」

顔を真っ赤にして、意を決したようにそう叫んだ彼の目は、確かに私の瞳を見つめていた。

「……あの、えっと」

突然のことで頭が回らず、上手く言葉にできない。

「な、何故私と……? あ、ああ……何かの罰ゲームとか……?」

「罰ゲームなんかじゃないです! むしろご褒美というか、超嬉しいっていうか!」

そこまで言って、自分が凄く恥ずかしい発言をしたと気づいたらしく、言い(よどむ)む彼。

「と、とにかく! 香笛(かふえ)さんと花火を見たいんです!」

「す、すみません……あの、いきなりすぎて何て返したらいいか……」

しどろもどろになり、もはや挙動(きょどう)不審(ふしん)ですらある私。考えが(まと)まらず思考が追いつかない。

某ステーキ店だって、ここまでいきなりじゃないと思う。

……なんて考えている余裕がまだ私にはあったので、思っていたより脳内は冷静かもしれない。

「そ、そうですよね! いきなり誘われても迷惑ですよね! すみません!!」

そんな私とは反対に、彼はだいぶ動揺を隠せないようだ。

「で、ではもし暇だったらで良いので! 今週の日曜日! 夜の六時に桜崎(さくらざき)公園の前に来てください! 俺、待ってますんで! それでは失礼します!」

強い濁流の(ごと)く最後まで言い切ると、恥ずかしさからか、そのままダッシュで店を飛び出して行ってしまったモテ男……もとい伊田俊樹。

「は、はあ……」

まるで嵐が過ぎ去った後のような感覚を味わいながら、私はしばらく茫然(ぼうぜん)自失(じしつ)としていた。

まさか、よりにもよって誘う相手が私だったなんて。

これは、何かの間違いではないのだろうか。そんな思いがずっと脳内を駆け回っていた。

******

翌日の夜、いつものようにカウンター席に座り愚痴を零す武藤さん。

話を聞きながらも、私の頭の中は昨日のことで一杯である。なにせ、人生で初めての出来事だったのだから。

「あのーはるちゃん? 何か今日……上の空じゃない?」

早速、異変を感じたらしく武藤さんに勘付かれてしまう。

流石デキる女性、鋭い感性を持っているようだ。

「そ、そうでしょうか? 特にいつもと変わらないですが……」

答えるまでの一瞬の表情変化を、武藤さんは見逃さなかった。

「今、一瞬ドキッとしたでしょ」

「……いえ、そのようなことは」

「何よー水臭いわね、悩みがあるならこの私に相談してみなさい?」

非常に豊かな胸を張りながら、頼ってくれといわんばかりの表情の武藤さん。

この前の会話の後で、クラスメイトから花火大会に誘われたなどと相談できるだろうか。

否、それは悪手だろう。間違いなく反感を買いかねない。コミュニケーションが苦手な私でも、こればかりは不味いと分かる。

「ちなみに恋愛相談をしようものなら、このミニドリップが火の海になるけどね」

フランクに笑いながら、そんな事を軽く言ってのける武藤さん。

まずい、目が笑っていない……。

やはり言わなくて正解だったようである。危うくこの店が灰塵(かいじん)に帰す所だった。

「まあ、はるちゃんに限ってそんな相談はないと思うけどさ」

「……その通りです」

言えない……よりによってその類の相談なんですとは、口が裂けても。

「……え? 何か今、間がなかった?」

一瞬の機微(きび)を見逃さなかった武藤さん、急に疑惑の眼差しがこちらに向く。

思わず、咄嗟(とっさ)に言葉が出ず視線を()らしてしまう。

「嘘、だよね? はるちゃんが……私を裏切るわけ……」

「いえ、その……」

「だ、誰じゃー! うちの娘をたぶらかしたクソガキはー!」

全てを察したのか、カウンターテーブルを強く両手で叩き叫びだす武藤さん。

「ちょっ! ちょっと待ってください! 違います、違いますって!」

これ以上話せば面倒なことになると確信した私は、正直に話す道を選んだ。

******

やがて、事の経緯(いきさつ)を説明し終えると、武藤さんはどこか嬉しそうだった。

「いやーそっかー……とうとう、あのはるちゃんにも色恋の話が」

「何か、思っていた反応と違いますね。てっきりミニドリップが火の海になるのかと」

「いやいや、冗談に決まってるでしょ! 流石に私だって高校生に(ひが)んだりしないってば!」

笑いながらそう返してくる武藤さんに、私は半信半疑な眼差しを向ける。

「ま、そんな事はさておいてよ! どんな子? 学歴は? 年収どれくらーい?」

「凄い食いつきますね……さてはあわよくば、いただいちゃおうとか思ってます? 別に良いですけど」

高校生に学歴も何もないだろう。更に言えば年収を聞く意味もないと私は思う。

「思わないよ! 犯罪だよ未成年とか! 流石にそこまで飢えてないわ! それに私は同い年か年上派なの、年下は好みじゃありませーん」

相変わらず、キレのあるツッコミをくれる武藤さん。流石に私の考え過ぎだったようだ。

「ちなみに女子の会話から名前を知ったくらいで、他は全く知らないです」

「えー! 何か接点とかあったんじゃないの?」

「同じクラスではあるんですが……記憶にないですね。私が覚えてないだけかもしれませんが」

正直な話、何の部活をやってるかも分からないレベルである。

あまり言いたくはないけれど、そもそもクラスメイトに興味がない。

「はるちゃんらしいと言えばそれまでだけど……まさかそこまで、人に関心がないとはねえ」

「あまり、自分から人に関わろうと思った事がないんですよね」

今でこそ武藤さんと仲良く喋ってはいるが、きっと話しかけてくれなければ、未来は違っただろうとさえ思うほどに。

「これは、チャンスだね。はるちゃんが人に関心を持つきっかけになるかも」

ふざけているようで、どこか真面目そうな表情の武藤さん。

きっと、本気で心配してくれているのかもしれない。

これから社会に出るにあたって人間関係とは、避けられないものだから。

「でも、失礼じゃないですかね? 好意がないのに行くなんて」

個人的な価値観であるが、そんな事をつい思ってしまう。

「ふふ、そうでもないよ。だってあるもの」

半分ほどアイスコーヒーが残ったグラスを(かたむけ)けながら、滴(したた)る結露を見つめ、憂(うれ)いのある声色(こわいろ)でそう(つぶや)く。

今までの経験の中で、きっと何か思う所があったのだろう。

そう話す武藤さんが、私の目にはいつも以上に大人びて映った。

「ま、何事も物は試しって言うでしょ? 良いじゃない、一度きりの高校生活なんだから」

何気ない様子でそう言ってみせる武藤さんに、私は何ともいえない説得力を感じていた。

「……ズルいです、たまにそうやって良いことを言うのって」

「べっつに良いことでも何でもないよ、あくまで今までの経験から来る言葉ってやつさ」

「……分かりました。武藤さんの言葉に感化されたので、試しに行ってみます」

「まあ気負(きお)いせず、楽しんでくる位の気持ちで行って来なよ」

「……そう、ですね」

拭いていたグラスを(あわ)純白(じゅんぱく)に光る蛍光灯へ、透()かす様に向けながら呟く。

「あー私も青春したいなー! くぅー!」

身悶(みもだ)えるような素振りを見せながら武藤さんが叫び、アイスコーヒーを一気に飲み干す。

「もう青春とかいう歳じゃ……いえ、何でもないです」

「おっとー? はるちゃんに自殺願望あったなんて、知らなかったなぁー私」

「冗談ですよ、まだですもんね」

「何か(とげ)を感じる言い方だなぁ。悪意が見え隠れしてるよ」

そんないつものやり取りも交わしつつ、今日も一日が終わろうとしていた。

もしこれで異性に対する気持ちが分かれば、武藤さんの気持ちを少しは分かるのかも知れない、なんて。

そんなどこか(よこしま)とも言える感情を抱えながら、私は花火大会のことを考えていた。

この選択によって、未来が大きく変わるかもしれないなんて、露(つゆ)とも思わずに。


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季節は過ぎ、気づけば太陽がうっとおしく感じる夏を迎えていた。
湿気《しっけ》混じりな不快感のある空気、ジリジリと焼けるような日差し、今日も憎いほどに快晴《かいせい》である。
喫茶店としては、空調の効いた涼しい店内とアイスコーヒーに惹《ひ》かれてくる客層が多くなる為、決して悪い話ではない。
八月の初旬である今。高校も夏休みを迎えている為、ミニドリップは毎日昼から営業中である。
決して、予定がないからというわけではない。
「あー暑い……。こう毎日暑いとやってられないわよ」
皺《しわ》のない白のブラウスに、清潔感のある黒のスカートスーツ姿の武藤《むとう》さん。
ぱたぱたとメニュー表で仰ぎながら、うんざりした表情を浮かべつつぼやく。
現在は、ちょうど正午を過ぎた頃。
この店の常連である武藤さんもまた、日々のまとわりつく湿気と気だるい暑さに憂《うれ》いていた。
胸元のボタンも一つ外して、色気のある汗ばんだ谷間が露《あらわ》になっている。
そんなだらしない姿も、もはや今では見慣れた光景である。
「学生はいいなぁ……夏休みだもんねー」
「それ、来る度《たび》に言ってますよ。武藤さん」
いつものように私はグラスを拭きながら、カウンター席に座る武藤さんをいなす。
今日は珍しく、仕事の合間である昼休みに来てくれたのだが、どこか元気がない。
「あー私も夏休み欲しいー……」
「結局の所そこですか……」
成人し、社会人になるとほとんどの人間がそう思うらしい。確かに、夏休みは学生の特権かもしれない。
「いやーこれがね、イケメンと花火大会の予定があるなら話は別よ?」
交際関係に関してまるで浮いた話がないからか、急に語気《ごき》が強くなる武藤さん。
仕事が出来るのと、持ち前のルックスの良さが相まって、世の男性達は怖気《おじけ》づくようだ。
「そういうものですかね……」
別に相手が男でなく友達でも良いのでは、なんて思ったがそれは無粋《ぶすい》なのだろう。
「休憩所でさ、いちいちマウント取られるのよ? 彼氏とどうのって……」
心底嫌そうな表情を浮かべ、そう呟《つぶや》く武藤さん。
「なるほど……それは確かに、中々くるものがありますね」
グラスを拭きながら、そう相槌《あいづち》をうつ私。
言われてみれば、教室内でも似たような話を女子グループがしていたような。
差異《さい》はあれど、歳を重ねてもそういったものからは逃れられないのか……と気分が滅入《めい》る。
まあ、私はそんなグループ内に入れてすらもらえない、というのが現状だけど。
「そうなのよ、だからどうしたらイイ男に会えるか、はるちゃんにご教授《きょうじゅ》願おうとおもって」
「今までそういった経験がない人に聞きます……?」
「ほら、よく愚痴を聞いたりしてるでしょ? 的確なアドバイスを私にも!」
もはや、藁《わら》にも縋《すが》る勢いとはこの事なのだろうか。
割と武藤さんの目が真面目だった事に、私は少したじろいだ。
「そ、そうですね……では、どなたかお友達と花火大会に行って現地調達《ナンパ》……というのは」
咄嗟《とっさ》にでた苦し紛れのアドバイスは、何とも平凡なものだった。
それに現地調達《ナンパ》という言葉は、少し下品だったかもしれない。
「なるほど、フリーをアピールして現地調達《ナンパ》作戦か……」
意外と思っていたより、武藤さんの反応は悪くないようだ。
「できれば、武藤さん並かそれ以下の女性が好ましいですね」
「はるちゃん、しれっとあくどいこと言うね」
「あくどい、とは酷いですね。少しでも可能性が高いプランを提示しただけです」
毅然《きぜん》とした態度でそう言い返す私。あくどいとはあんまりである。
「ま、まあ確かに……そうだけどもね」
「というわけで、同僚や後輩を連れて行ってみてはいかがでしょう?」
「よーし! ここは天才《てんさい》軍師《ぐんし》春風《はるかぜ》氏《し》のプランにのっかってやろうじゃない!」
さっきまでの憂《うれ》いを帯びた表情とは裏腹に、急に活力がみなぎってきた武藤さん。
「じゃ! そろそろ休憩終わるからまたねー」
いそいそとカウンターにお会計の紙と千円札一枚を置き、そのまま笑顔で武藤さんは職場へ。
「まあ、何はどうあれ笑顔になったから良しとしましょうか……」
せめて、何も悪い事が起きないことを祈るばかりである。
******
武藤さんが去ってから間もなく、新たに複数人の来店。見た所、一組のようだ。
一息つこうと思っていたので、正直あまり嬉しくないのが本音である。
入店を知らせるベルに少しげんなりしながらも、気持ちを切り替えて入り口へ向かう。
「いらっしゃいませ、何め――」
そこまで言いかけた所で、思わず言葉に詰まる。
複数の男性達は夏休みにもかかわらず制服姿にスクールバッグという、何とも目立つ格好。
それがあって、私はすぐに目の前の男性が同級生の人たちだと気づいた。
もっと言えば、一人は確か同じクラスだ。
「三人でお願いしまーす」
三人の内の陽気そうな坊主頭が、私にそう答える。
少し髪が長めの一人はスマホに夢中のようだ。
もう一人のさっぱりした短髪の男子は、チラチラとこちらを見ている。
もしかして、気づかれたか……?
「では、あちらの窓側の席が空いておりますのでどうぞ」
「お! これ俺らの貸切じゃーん! ほら、ファミレスにしなくて正解だったろ俊樹《としき》!」
高校生特有のハイテンションで騒ぐ陽気男。
俊樹と呼ばれた男は私から視線を逸らし、陽気男に騒ぐなとなだめつつ付いて行った。
あまりクラスに馴染んでない私でも、この俊樹という男子の名前だけは聞き覚えがあった。
確か……伊田《いだ》俊樹《としき》、だったかな。
そう、それこそ先ほど話題に上がった、女子達の会話の中でだけど。
失礼な話だが、後の二人はまるで知らない。同じクラスかもしれないけど。
「では、お決まりになりましたらお呼びください」
決して悟られぬよう、普段と変わらぬ振る舞いで、その場を乗り切る私。
がやがやと騒ぐ三人をよそに、私はそそくさとカウンター側に逃げこんだ。
表情には出してないが、最悪である。よりによって同級生が来るなんて。
近くに、高校生の溜まり場とも言えるファミレスがあっただろうに。
まあ高校生がここに来る理由なんて他が混んでいたから、それだけだろうけども。
「店員さーん! 決まりましたー!」
「……お待たせしました、ご注文をお伺いします」
「えっとコーラ三つと、このチョコパフェを三つで!」
よりによってパフェ三つとか嫌がらせだろうか? 私に何の恨みが。
いや、売り上げに貢献《こうけん》してくれるのは良い事ではあるけども。
「あとスマイルひとつ!」
いかにも子供っぽい笑いをしながら、そんなふざけた事をいう陽気男。
今なら某《ぼう》ファーストフード店の店員の気持ちが分かる。
純粋に、殺意しか生まれない。
「お前やめろそういうのは!」
顔を赤くしながらそう陽気男に叫ぶ伊田俊樹。
全くである。流石、女子に人気なだけあってこの男は常識人なようだ。
私の中で僅かであるが彼への好感度があがった。
「おいおい何お前だけいい人ぶってんだよー!」
陰気《いんき》男が伊田俊樹に対して、からかい気味に言う。
そうか陰気男、あなたはそっち側か。
「……では、すぐにお持ちしますので少々お待ちくださいませ」
私は少々語気を強めてそう答え、カウンター裏に戻る。
「絶対今、店員怒ってたって……」
「いやいや! それは俊樹の考えすぎでしょー。流石にあんなんで怒ったらプロ失格じゃない?」
――悪かったな、プロ失格で。
私プロ失格みたいだから、ちゃんとパフェ作れないかもしれない。
ココアパウダーじゃなくて、挽《ひ》き終わった後の豆をかけてしまうかも。
……なんて、内心非常に穏やかではない状態でコーラを先出しした後、パフェを持っていった。
異物混入とか騒がれても嫌なので、今回は伊田俊樹に免《めん》じて許すことに。
我ながら、何とも慈悲《じひ》深い。
「うおーアイスうめー! なんかラクトアイスじゃなくてアイスクリームって感じするわ!」
三流以下の食レポを披露する陽気男。これがテレビなら即クビ間違いなしだろう。
「確かに。結構美味しい」
素朴《そぼく》な感想を述べる俊樹。流石、女子ウケがいい男子。
「ふーん、リッチじゃん」
一人天才テニスプレイヤーみたいな食レポをする陰気《いんき》男。個人的に嫌いじゃない。
一部変なこと言ってるが、まあ美味しいと言ってくれたので良しとしよう。
「……おい、こんな呑気《のんき》にパフェ食ってる場合じゃないだろ」
「全くだぞ。誰の為に集まったと思っている俊樹」
暇なので聞き耳を立てながらキッチンで休憩していると、なにやら面白そうな会話を始めた三人。
「で、いつ誘うんだよ」
「い、いや……」
「ここまで来て誘えませんでした、はないぞ」
なにやら伊田俊樹、もといモテ男が詰められている様子。予想するに、気になっている女子でも誘うのだろうか。
「やっぱ緊張するって! まじで!」
どうやら、いくらプレイボーイであろうと誘うのは緊張が伴うようである。
もちろん私は、誘われた事も誘った事もない。なので、あまりその緊張は実感がわかない。
「はぁーモテ男の癖にそんな事悩みやがって」
「全くだ、こちとら言い寄ってくる女子すら居ないんだぞ! 分けろ、独占するな!」
だんだん会話が非モテ男の僻《ひが》みみたいになってきて、醜《みにく》い有様である。
しかし、気持ちはわからなくもない……。何事も独占は良くないと思う。
なんて、意外と人の色恋話は面白いと感じ始めた私。
聞き耳を立てるのは良くないと分かっているが、このモテ男が一体誰を誘おうとしてるのか気になってきてしまい、ついつい耳をすましてしまう。
「と、とりあえず……日も近いし、今日誘うわ」
「言ったな! 絶対だぞ俊樹!」
「……じゃあ、俺らは先帰るとするか」
「そうだな、後で絶対報告しろよ?」
二人はそういうとモテ男にお金を渡し、さっさと出て行ってしまった。
相談しているように見えたが、全然二人とも役に立ってないような……。私の気のせいだろうか。
そうか、伊田俊樹はこれからその人に会いに行くのか。是非とも頑張ってほしいものである。
「すみません、お会計お願いします」
呼ばれた私は、変わらぬ振る舞いで席の方へ向かう。
まるで、聞き耳なんて立てていませんでしたよと言わんばかりに。
「お待たせしました、お会計ですね?」
「あ、えっとはい……」
どこか様子が変なモテ男。それもそうか、これからのイベントを考えれば妥当かもしれない。まあ……少し早すぎるかもしれないが。
「……あの、急に失礼かもしれないですけど、同じクラスの香笛さん……ですよね?」
唐突にそんなことを尋ねられ、思わず手が止まる。
「……そうですが」
やっぱり気づいていたか、という思いと何故急に、という疑問の感情が入り混じる。
「え、えっと俺、同じクラスの……」
「伊田俊樹君……ですよね?」
「あ、まさか覚えてもらえてたとは……嬉しいです」
相手が言うより早く、名前を言い当てる私。
どうやら覚えてもらえていたのが嬉しかったようで、気恥ずかしそうに頭をかくモテ男。
別に私に覚えてもらっていても嬉しくはないだろう……学園一の美少女とかじゃあるまいし。
「……あの、一応ここで働いてる事は内緒でお願いします」
流石にクラスでネタにされるのも嫌だし、そうでなくてもあまり知られたくはない。
……周りも多分、知りたくはないだろうし。
「りょ、了解です。そ、それで……なんですけど」
何か、言いにくそうにしている様子のモテ男。
自分の手元にある、受け取ったままの千円札二枚に気づいた私は、すぐに理解した。
「……あ、失礼しましたおつりですよね? 二千三百円お預かりしましたので三十二円のお返しになります」
申し訳なさそうに私は急いでレジを打ち、丁寧におつりを彼へ渡した。
「あ、はい……ってそうじゃなくて!」
彼から思ってもよらなかった、ノリツッコミが返って来た事に驚く私。
あれ? おつりの話じゃない……? となると何が……?
「あの、そのですね……!」
「……なんでしょう?」
何かしただろうかと色々考えてみたものの、まるで見当がつかない。
コーラの炭酸が抜けていたとか、そういう話だろうか?
もしくは意図せずパフェに異物が? だとしたらそれは、私の漏れた呪いなので許して欲しい。
「……今度の日曜日、暇ですか?」
「……は?」
思わず、素のリアクションが出てしまった。
目が点になり、口が開いたまま塞がらなかったのは久々である。
「もし、空いてたら……一緒に花火見に行きませんか!」
顔を真っ赤にして、意を決したようにそう叫んだ彼の目は、確かに私の瞳を見つめていた。
「……あの、えっと」
突然のことで頭が回らず、上手く言葉にできない。
「な、何故私と……? あ、ああ……何かの罰ゲームとか……?」
「罰ゲームなんかじゃないです! むしろご褒美というか、超嬉しいっていうか!」
そこまで言って、自分が凄く恥ずかしい発言をしたと気づいたらしく、言い淀《よどむ》む彼。
「と、とにかく! 香笛《かふえ》さんと花火を見たいんです!」
「す、すみません……あの、いきなりすぎて何て返したらいいか……」
しどろもどろになり、もはや挙動《きょどう》不審《ふしん》ですらある私。考えが纏《まと》まらず思考が追いつかない。
某ステーキ店だって、ここまでいきなりじゃないと思う。
……なんて考えている余裕がまだ私にはあったので、思っていたより脳内は冷静かもしれない。
「そ、そうですよね! いきなり誘われても迷惑ですよね! すみません!!」
そんな私とは反対に、彼はだいぶ動揺を隠せないようだ。
「で、ではもし暇だったらで良いので! 今週の日曜日! 夜の六時に桜崎《さくらざき》公園の前に来てください! 俺、待ってますんで! それでは失礼します!」
強い濁流の如《ごと》く最後まで言い切ると、恥ずかしさからか、そのままダッシュで店を飛び出して行ってしまったモテ男……もとい伊田俊樹。
「は、はあ……」
まるで嵐が過ぎ去った後のような感覚を味わいながら、私はしばらく茫然《ぼうぜん》自失《じしつ》としていた。
まさか、よりにもよって誘う相手が私だったなんて。
これは、何かの間違いではないのだろうか。そんな思いがずっと脳内を駆け回っていた。
******
翌日の夜、いつものようにカウンター席に座り愚痴を零す武藤さん。
話を聞きながらも、私の頭の中は昨日のことで一杯である。なにせ、人生で初めての出来事だったのだから。
「あのーはるちゃん? 何か今日……上の空じゃない?」
早速、異変を感じたらしく武藤さんに勘付かれてしまう。
流石デキる女性、鋭い感性を持っているようだ。
「そ、そうでしょうか? 特にいつもと変わらないですが……」
答えるまでの一瞬の表情変化を、武藤さんは見逃さなかった。
「今、一瞬ドキッとしたでしょ」
「……いえ、そのようなことは」
「何よー水臭いわね、悩みがあるならこの私に相談してみなさい?」
非常に豊かな胸を張りながら、頼ってくれといわんばかりの表情の武藤さん。
この前の会話の後で、クラスメイトから花火大会に誘われたなどと相談できるだろうか。
否、それは悪手だろう。間違いなく反感を買いかねない。コミュニケーションが苦手な私でも、こればかりは不味いと分かる。
「ちなみに恋愛相談をしようものなら、このミニドリップが火の海になるけどね」
フランクに笑いながら、そんな事を軽く言ってのける武藤さん。
まずい、目が笑っていない……。
やはり言わなくて正解だったようである。危うくこの店が灰塵《かいじん》に帰す所だった。
「まあ、はるちゃんに限ってそんな相談はないと思うけどさ」
「……その通りです」
言えない……よりによってその類の相談なんですとは、口が裂けても。
「……え? 何か今、間がなかった?」
一瞬の機微《きび》を見逃さなかった武藤さん、急に疑惑の眼差しがこちらに向く。
思わず、咄嗟《とっさ》に言葉が出ず視線を逸《そ》らしてしまう。
「嘘、だよね? はるちゃんが……私を裏切るわけ……」
「いえ、その……」
「だ、誰じゃー! うちの娘をたぶらかしたクソガキはー!」
全てを察したのか、カウンターテーブルを強く両手で叩き叫びだす武藤さん。
「ちょっ! ちょっと待ってください! 違います、違いますって!」
これ以上話せば面倒なことになると確信した私は、正直に話す道を選んだ。
******
やがて、事の経緯《いきさつ》を説明し終えると、武藤さんはどこか嬉しそうだった。
「いやーそっかー……とうとう、あのはるちゃんにも色恋の話が」
「何か、思っていた反応と違いますね。てっきりミニドリップが火の海になるのかと」
「いやいや、冗談に決まってるでしょ! 流石に私だって高校生に僻《ひが》んだりしないってば!」
笑いながらそう返してくる武藤さんに、私は半信半疑な眼差しを向ける。
「ま、そんな事はさておいてよ! どんな子? 学歴は? 年収どれくらーい?」
「凄い食いつきますね……さてはあわよくば、いただいちゃおうとか思ってます? 別に良いですけど」
高校生に学歴も何もないだろう。更に言えば年収を聞く意味もないと私は思う。
「思わないよ! 犯罪だよ未成年とか! 流石にそこまで飢えてないわ! それに私は同い年か年上派なの、年下は好みじゃありませーん」
相変わらず、キレのあるツッコミをくれる武藤さん。流石に私の考え過ぎだったようだ。
「ちなみに女子の会話から名前を知ったくらいで、他は全く知らないです」
「えー! 何か接点とかあったんじゃないの?」
「同じクラスではあるんですが……記憶にないですね。私が覚えてないだけかもしれませんが」
正直な話、何の部活をやってるかも分からないレベルである。
あまり言いたくはないけれど、そもそもクラスメイトに興味がない。
「はるちゃんらしいと言えばそれまでだけど……まさかそこまで、人に関心がないとはねえ」
「あまり、自分から人に関わろうと思った事がないんですよね」
今でこそ武藤さんと仲良く喋ってはいるが、きっと話しかけてくれなければ、未来は違っただろうとさえ思うほどに。
「これは、チャンスだね。はるちゃんが人に関心を持つきっかけになるかも」
ふざけているようで、どこか真面目そうな表情の武藤さん。
きっと、本気で心配してくれているのかもしれない。
これから社会に出るにあたって人間関係とは、避けられないものだから。
「でも、失礼じゃないですかね? 好意がないのに行くなんて」
個人的な価値観であるが、そんな事をつい思ってしまう。
「ふふ、そうでもないよ。《《そこから始まる恋》》だってあるもの」
半分ほどアイスコーヒーが残ったグラスを傾《かたむけ》けながら、滴《したた》る結露を見つめ、憂《うれ》いのある声色《こわいろ》でそう呟《つぶや》く。
今までの経験の中で、きっと何か思う所があったのだろう。
そう話す武藤さんが、私の目にはいつも以上に大人びて映った。
「ま、何事も物は試しって言うでしょ? 良いじゃない、一度きりの高校生活なんだから」
何気ない様子でそう言ってみせる武藤さんに、私は何ともいえない説得力を感じていた。
「……ズルいです、たまにそうやって良いことを言うのって」
「べっつに良いことでも何でもないよ、あくまで今までの経験から来る言葉ってやつさ」
「……分かりました。武藤さんの言葉に感化されたので、試しに行ってみます」
「まあ気負《きお》いせず、楽しんでくる位の気持ちで行って来なよ」
「……そう、ですね」
拭いていたグラスを淡《あわ》く純白《じゅんぱく》に光る蛍光灯へ、透《す》かす様に向けながら呟く。
「あー私も青春したいなー! くぅー!」
身悶《みもだ》えるような素振りを見せながら武藤さんが叫び、アイスコーヒーを一気に飲み干す。
「もう青春とかいう歳じゃ……いえ、何でもないです」
「おっとー? はるちゃんに自殺願望あったなんて、知らなかったなぁー私」
「冗談ですよ、まだ《《華の二十代》》ですもんね」
「何か棘《とげ》を感じる言い方だなぁ。悪意が見え隠れしてるよ」
そんないつものやり取りも交わしつつ、今日も一日が終わろうとしていた。
もしこれで異性に対する気持ちが分かれば、武藤さんの気持ちを少しは分かるのかも知れない、なんて。
そんなどこか邪《よこしま》とも言える感情を抱えながら、私は花火大会のことを考えていた。
この選択によって、未来が大きく変わるかもしれないなんて、露《つゆ》とも思わずに。