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#3 忠犬、朝から全力

ー/ー



 週末の朝だけ、蓮は律が起こしに行かなくても自分で起きる。
 土曜と日曜は敷地内の道場で父と修治が武道の稽古をつけてくれる。蓮にはそれが楽しいのだ。父は柔道。修治は空手やほかの武術にも長けている。更に、その稽古には黒瀬家に住み着いている若い者たちも参加するため、さながら異種格闘技場といった雰囲気だ。
 週末の朝、律は普段通りに離れの縁側で水のグラスを横にぼんやりしていると廊下を走る蓮の足音がする。平日の寝起きの悪さはなんなのだろうかと疑いたくなるくらいに週末の朝の蓮は生き生きとしている。
 蓮の好きなことと言えばゲーム、週末の稽古、それから時々夜に走りにも行っている。
 ──体力があり余って、発散できることが楽しいのかな。
 ふと律はそんな風に考えた。喧嘩っ早く短気なのは直情的な性格ゆえんだろうが、生まれ持った身体能力を活かしきれないのはフラストレーションに直結するだろう。だから、蓮にはいまの環境の方が合っているのかもしれない。

*****

 ふう、と息を吐いて律は台所でグラスを片付けると自室に戻って着替えてから道場に足を向けた。
 自宅の敷地の母屋とも離れとも繋がらない道場は古く、時代錯誤の感さえある。からりと引き戸を開け、外履きのサンダルを脱いで上がると既に熱気に当てられそうな声が飛び交い、打撃音が聞こえる。律は中に気配を消して入ると、父と修治が座っている近くに正座した。その場所が一番とばっちりに合いにくい場所なのだ。ほかの壁側のどこかに座ると誰かが飛んで来ても文句を言えない。そもそも武道の稽古場だ。
「おう、律。珍しいな。お前もやるか?」
 律が入ってきたことに気付いた父はにやにやと笑いながら揶揄ってくる。
「見学しに来ただけ」
「お前も素質あるんやからたまにはやらんと鈍るぞ? そんな細っこくて蓮にぶん回されんか」
「僕は苦手だって言ったでしょう」
 父の言葉に思わず眉間に皺を寄せていると、間に修治が入ってきた。
「竜一さん。若は素質があるので十分です。心配しなくても護身術なら身についてますし、放っておいても蓮が若にくっついているでしょう」
「まあ、そやな。しっかし律はよう頑固に育ったもんやなぁ」
「……頑固と言うより、芯が通っているのでしょう」
 父と修治の会話を聞きながら、律は視線を稽古中の男たちの方へと向けた。全員白い道着で乱闘と変わりないような中でも、蓮を見つけることは簡単だ。帯の色で見分けるのではない。皆、白帯でここにいる中で黒帯を持っているのは父と修治しかいない。ただ、単純に目立つ。
 身長や体格は他の男たちと同等か、やや劣ってはいるものの、動きが早くしなやか。柔道、空手、その他の武術を我流で混ぜたような、先が読めない流れる手足の捌き。時々、アクロバティックに飛んで跳ねる。
 やっぱりライオンみたいだな。
 見ていて思わず目を奪われる。重力が関係ないように蓮は身軽だ。律は喧嘩自体は好まないが、道場で稽古をしている時の蓮を見ると嬉しくなる。踊っているようにも見えるくらい、身体機能全開で手合わせをしている蓮の姿は心底楽しそうだ。
「蓮は今日も一等元気やなぁ」
 隣で父が含み笑いをして呟いた。
「竜一さんが稽古つけたら蓮が止まらなくなりますよ」
「お前が行っても同じやろがい」
「私は蓮の父ではないので。まあ、親子喧嘩には発展しません。どうしますか?」
 まるで活きのいい息子の相手の取り合いをしているみたいだな、と思いながら律は父と修治の会話を聞いていた。父でも修治でも、どちらが手合わせしたとしても負けず嫌いの蓮のことだから喜ぶには違いない。そして、稽古の手合わせだとしても明確な勝敗がつくまで蓮はぶつかる。結果は見えている。
「しょうがねえなぁ。今日は修治に譲ったるわ」
 どうやら話はついたらしい。父の逆隣りに胡坐をかいていた修治がすっと立ち上がった。それだけで一瞬、道場の空気が変わる。一度冷え込んだように緊張感が増す。
「蓮。手合わせしましょうか」
 修治の声は特別張っていない。だが、その一言で道場にいる全員が動きをぴたりと止める。
「うっす!」
 蓮が勢い良く返事して、それまで手合わせしていた男に「あざっした!」と頭を下げてから修治の方へと足を向けた。律は面白いことになったなと内心思いながら、正座したまま道場を見ている。
 自然と蓮と修治の周囲がひらけ、他の男たちは見物を決め込む。父や修治が手合わせに出るのは珍しい。
「お願いします!」
 勢いよく頭を下げた蓮が顔を上げた時にはもう、獰猛な表情に変わっていた。口元が少し笑っている。
 明確に格上との対峙に興奮しているのが手に取るように律にはわかる。
 じりじりと距離を測る目。隙を見せないスタンス。けれど、それでもまだ蓮は修治の足元にも及ばない。それは経験の差なのだろう。
「来ないならこちらから行きますが」
 修治の言葉に、蓮は楽しそうに笑う。
「今日こそ一本取ってやる」
 それからは一瞬のようだった。正拳付きがガードされるのは想定済みだったのか、視界から消えるように重心を落とした足払い。だが、それでも修治のバランスは崩れずに、立ち上がるばねで背後を取って襟首を取るが、体勢が整っていなかった。襟首を取られたまま立て直した修治が蓮に重い一撃を入れるには十分な隙。
「ちっ。やっぱ譲るんじゃなかったな」
 少し悔し気に隣で父が呟いた。
 律の目の前には修治の一撃だけで膝から崩れる蓮が焼き付いている。
「……蓮は、弱いの?」
「バーカ。ちゃうわ。弱かったら俺も修治も相手にせんっつってんだろ」
 板の間に手をついた蓮は咳をしたようだった。けれど、すぐに立ち上がり「ありがとうございました!」と礼をする。修治がなにか蓮に言っているようだが律の場所までは聞こえない。修治が父の隣に戻った。
「冷や冷やしますね。いつまで技量だけでねじ伏せられることやら。竜一さん、いっそ蓮に格闘技のライセンスでも取らせて賞金稼ぎにでもしたらどうです」
「まあ、蓮はその方が喜ぶかもしれんがなぁ、駄目や。あいつにライセンスなんぞ持たしたら試合でしか発散できんくなる」
 父と修治の会話が律にも聞こえてくる。
 この道場で稽古をしている男たちは全員白帯だ。理由は明白で、有段者が暴力行為に及んだ場合不利になるケースが多いからだ。当然、一般的な道場でもそれを禁止されている場所が多いと聞く。どの格闘技のライセンスも持たせない。それは父の方針なのかどうか、律は直接聞いたことがない。

*****

 朝は八時に週末の朝稽古は終了する。
 時間を忘れるものが多く、古めかしい柱時計の鐘が八つ鳴るのが終了の合図だ。道場に重く響く柱時計の音でそれぞれ途中でも手合わせを終え、互いに礼をして終わる。特に勝敗にこだわる者は少ない。それぞれに目的はあるのだろうが、発散の場も兼ねているのだろうというのは律にも伝わる。
「りーつ!」
 ばらばらに男たちが解散していく中、父と修治が先に道場を出た上座に一人で座っている律を見つけて駆け寄ってきたかと思うと、ぎゅうっと抱き締められた。
「……蓮、汗くさい……」
「珍しーな? 稽古見にくんの。見てた? また修治に負けたー。四十三連敗更新中」
「見てたよ。でもさ、蓮は楽しそうだった」
「うん。楽しーよ」
「蓮。離れて。僕までシャワー浴びないとなんなくなる」
 道着に汗だらけの蓮にずっと抱きつかれていては律まで朝から着替えなくてはならない羽目になる。茶色い癖っ毛をわしゃわしゃと撫でると、やはり大型犬のようだと律は笑う。
「んー……! よし。元気出た。シャワって着替えて朝メシっと」
 しばらく撫でられるがままだった蓮はなにかが切り替わったのか、するりと律を抱く腕を離して跳ねるように立ち上がり、律に手を伸べてきた。律は蓮の手を取って立ち上がると、一緒に朝食の前にいったん離れに戻る。


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 週末の朝だけ、蓮は律が起こしに行かなくても自分で起きる。
 土曜と日曜は敷地内の道場で父と修治が武道の稽古をつけてくれる。蓮にはそれが楽しいのだ。父は柔道。修治は空手やほかの武術にも長けている。更に、その稽古には黒瀬家に住み着いている若い者たちも参加するため、さながら異種格闘技場といった雰囲気だ。
 週末の朝、律は普段通りに離れの縁側で水のグラスを横にぼんやりしていると廊下を走る蓮の足音がする。平日の寝起きの悪さはなんなのだろうかと疑いたくなるくらいに週末の朝の蓮は生き生きとしている。
 蓮の好きなことと言えばゲーム、週末の稽古、それから時々夜に走りにも行っている。
 ──体力があり余って、発散できることが楽しいのかな。
 ふと律はそんな風に考えた。喧嘩っ早く短気なのは直情的な性格ゆえんだろうが、生まれ持った身体能力を活かしきれないのはフラストレーションに直結するだろう。だから、蓮にはいまの環境の方が合っているのかもしれない。
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 ふう、と息を吐いて律は台所でグラスを片付けると自室に戻って着替えてから道場に足を向けた。
 自宅の敷地の母屋とも離れとも繋がらない道場は古く、時代錯誤の感さえある。からりと引き戸を開け、外履きのサンダルを脱いで上がると既に熱気に当てられそうな声が飛び交い、打撃音が聞こえる。律は中に気配を消して入ると、父と修治が座っている近くに正座した。その場所が一番とばっちりに合いにくい場所なのだ。ほかの壁側のどこかに座ると誰かが飛んで来ても文句を言えない。そもそも武道の稽古場だ。
「おう、律。珍しいな。お前もやるか?」
 律が入ってきたことに気付いた父はにやにやと笑いながら揶揄ってくる。
「見学しに来ただけ」
「お前も素質あるんやからたまにはやらんと鈍るぞ? そんな細っこくて蓮にぶん回されんか」
「僕は苦手だって言ったでしょう」
 父の言葉に思わず眉間に皺を寄せていると、間に修治が入ってきた。
「竜一さん。若は素質があるので十分です。心配しなくても護身術なら身についてますし、放っておいても蓮が若にくっついているでしょう」
「まあ、そやな。しっかし律はよう頑固に育ったもんやなぁ」
「……頑固と言うより、芯が通っているのでしょう」
 父と修治の会話を聞きながら、律は視線を稽古中の男たちの方へと向けた。全員白い道着で乱闘と変わりないような中でも、蓮を見つけることは簡単だ。帯の色で見分けるのではない。皆、白帯でここにいる中で黒帯を持っているのは父と修治しかいない。ただ、単純に目立つ。
 身長や体格は他の男たちと同等か、やや劣ってはいるものの、動きが早くしなやか。柔道、空手、その他の武術を我流で混ぜたような、先が読めない流れる手足の捌き。時々、アクロバティックに飛んで跳ねる。
 やっぱりライオンみたいだな。
 見ていて思わず目を奪われる。重力が関係ないように蓮は身軽だ。律は喧嘩自体は好まないが、道場で稽古をしている時の蓮を見ると嬉しくなる。踊っているようにも見えるくらい、身体機能全開で手合わせをしている蓮の姿は心底楽しそうだ。
「蓮は今日も一等元気やなぁ」
 隣で父が含み笑いをして呟いた。
「竜一さんが稽古つけたら蓮が止まらなくなりますよ」
「お前が行っても同じやろがい」
「私は蓮の父ではないので。まあ、親子喧嘩には発展しません。どうしますか?」
 まるで活きのいい息子の相手の取り合いをしているみたいだな、と思いながら律は父と修治の会話を聞いていた。父でも修治でも、どちらが手合わせしたとしても負けず嫌いの蓮のことだから喜ぶには違いない。そして、稽古の手合わせだとしても明確な勝敗がつくまで蓮はぶつかる。結果は見えている。
「しょうがねえなぁ。今日は修治に譲ったるわ」
 どうやら話はついたらしい。父の逆隣りに胡坐をかいていた修治がすっと立ち上がった。それだけで一瞬、道場の空気が変わる。一度冷え込んだように緊張感が増す。
「蓮。手合わせしましょうか」
 修治の声は特別張っていない。だが、その一言で道場にいる全員が動きをぴたりと止める。
「うっす!」
 蓮が勢い良く返事して、それまで手合わせしていた男に「あざっした!」と頭を下げてから修治の方へと足を向けた。律は面白いことになったなと内心思いながら、正座したまま道場を見ている。
 自然と蓮と修治の周囲がひらけ、他の男たちは見物を決め込む。父や修治が手合わせに出るのは珍しい。
「お願いします!」
 勢いよく頭を下げた蓮が顔を上げた時にはもう、獰猛な表情に変わっていた。口元が少し笑っている。
 明確に格上との対峙に興奮しているのが手に取るように律にはわかる。
 じりじりと距離を測る目。隙を見せないスタンス。けれど、それでもまだ蓮は修治の足元にも及ばない。それは経験の差なのだろう。
「来ないならこちらから行きますが」
 修治の言葉に、蓮は楽しそうに笑う。
「今日こそ一本取ってやる」
 それからは一瞬のようだった。正拳付きがガードされるのは想定済みだったのか、視界から消えるように重心を落とした足払い。だが、それでも修治のバランスは崩れずに、立ち上がるばねで背後を取って襟首を取るが、体勢が整っていなかった。襟首を取られたまま立て直した修治が蓮に重い一撃を入れるには十分な隙。
「ちっ。やっぱ譲るんじゃなかったな」
 少し悔し気に隣で父が呟いた。
 律の目の前には修治の一撃だけで膝から崩れる蓮が焼き付いている。
「……蓮は、弱いの?」
「バーカ。ちゃうわ。弱かったら俺も修治も相手にせんっつってんだろ」
 板の間に手をついた蓮は咳をしたようだった。けれど、すぐに立ち上がり「ありがとうございました!」と礼をする。修治がなにか蓮に言っているようだが律の場所までは聞こえない。修治が父の隣に戻った。
「冷や冷やしますね。いつまで技量だけでねじ伏せられることやら。竜一さん、いっそ蓮に格闘技のライセンスでも取らせて賞金稼ぎにでもしたらどうです」
「まあ、蓮はその方が喜ぶかもしれんがなぁ、駄目や。あいつにライセンスなんぞ持たしたら試合でしか発散できんくなる」
 父と修治の会話が律にも聞こえてくる。
 この道場で稽古をしている男たちは全員白帯だ。理由は明白で、有段者が暴力行為に及んだ場合不利になるケースが多いからだ。当然、一般的な道場でもそれを禁止されている場所が多いと聞く。どの格闘技のライセンスも持たせない。それは父の方針なのかどうか、律は直接聞いたことがない。
*****
 朝は八時に週末の朝稽古は終了する。
 時間を忘れるものが多く、古めかしい柱時計の鐘が八つ鳴るのが終了の合図だ。道場に重く響く柱時計の音でそれぞれ途中でも手合わせを終え、互いに礼をして終わる。特に勝敗にこだわる者は少ない。それぞれに目的はあるのだろうが、発散の場も兼ねているのだろうというのは律にも伝わる。
「りーつ!」
 ばらばらに男たちが解散していく中、父と修治が先に道場を出た上座に一人で座っている律を見つけて駆け寄ってきたかと思うと、ぎゅうっと抱き締められた。
「……蓮、汗くさい……」
「珍しーな? 稽古見にくんの。見てた? また修治に負けたー。四十三連敗更新中」
「見てたよ。でもさ、蓮は楽しそうだった」
「うん。楽しーよ」
「蓮。離れて。僕までシャワー浴びないとなんなくなる」
 道着に汗だらけの蓮にずっと抱きつかれていては律まで朝から着替えなくてはならない羽目になる。茶色い癖っ毛をわしゃわしゃと撫でると、やはり大型犬のようだと律は笑う。
「んー……! よし。元気出た。シャワって着替えて朝メシっと」
 しばらく撫でられるがままだった蓮はなにかが切り替わったのか、するりと律を抱く腕を離して跳ねるように立ち上がり、律に手を伸べてきた。律は蓮の手を取って立ち上がると、一緒に朝食の前にいったん離れに戻る。