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第94話 死の王

ー/ー



「……何と、(おつしや)いましたか?」

 思わず、問い返さずにはいられない。レーキは愕然(がくぜん)と、目前の死の王を見つめた。

「我が職責と権能の全てを汝に譲る、と言った。死の王であれば、『死の王の呪い』を解くことが出来よう。汝は死の王となり呪いを解き、我は永い苦しみから解き放たれる」
「……え、あ……死の王……?! 俺、が……?」

 ──この、俺が?

 捨て子で、ただの鳥人で、老人で、ただの父親で、ちっぽけで、それでもしあわせな、ただの男である俺が?

「……そんなの、卑怯だ!」

 面食らっているレーキの隣で、カァラは先に我に返ったように叫んだ。

「そんなの『呪い』を利用して、父さんの大切な人たちを思う心を利用して……面倒を押しつけてるだけじゃない!」
「……黙れ、不遜なる者の娘。人の身で天王(てんおう)となることは栄誉である」

 図星を突かれても、死の王は顔色一つ変えない。ただ静かにレーキの隻眼(せきがん)を見つめてくる。

詭弁(きべん)だ! 父さんはそんな栄誉、ちっとも望んでないのに!」
「……死の王様。俺はやはり、もうじき死ぬのですか?」

 レーキは静かに死の王の暗い水色の(ひとみ)を見つめる。慌てふためいていた心が()いで行く。
 決断しなくては。自分の寿命がつきる前に。この、脳髄(のうずい)を焼く痛みがすべてを食い尽くす前に。
『呪い』を解いて、ラエティアを、ノワールを、たった今苦しんでいるかも知れない愛すべき人々を。病から、『呪い』から守らなければ。

「……死の王は人の寿命を告げぬ」

 ──死の王には、俺の寿命が少ないと解っているのだろう。だからこそ、カァラの『謁見(えつけん)の法』に応じたのだ。

 死の王の表情には憐れみも、嘲弄(ちようろう)も何もない。死の王はただ黙って、レーキの決断を待っている。
 呼吸は苦しく、頭が割れるように痛む。この『謁見の法』で天分を使ってしまった。ああ、俺に残された時間は本当に少ないのか。それが、肌で解った。
 それが死の王の目論見(もくろみ)なのだと解っていても、拒否など出来ない。自分に出来ることは、たった一つだけ。

「……死の王、様。解り、ました……」
「……父、さん……駄目!! う、ううっ……!!」

 カァラの顔が苦痛に(ゆが)む。『呪い』がカァラにも手を伸ばそうとしている。
 時間がない。レーキは全てを振り払うように、死の王に向き直った。

「……貴方のお申し出、慎んで、お()け致します」
「約定はここに成った。レーキ・ヴァーミリオン、これより汝がこの星の死の王。全ての死に行く者の王。すべての死せる者を束ねる死人の王。地の母の眷属にして刈り取る者」

 歌うように。死の王は言祝(ことほ)ぐ。彼が差し出した手をレーキが取る。
 その瞬間。レーキ・ヴァーミリオンという、ただの鳥人は永遠にこの世から消え失せた。




『死の眠り病』で床に()し、回復した人々は口々に言う。

「死の王は金の髪の若者だった」
「いや、違う。死の王様は白い髪の年老いた方だった」
「死の王さまは黒と銀の羽の鳥人だったよ」

 人々の中で『死の王』は黒と銀の羽を持つ鳥人でである、と噂が次第に広まっていった。
 流行病が終息した後も、九死に一生を得た人々は、死の淵で黒と銀の羽の鳥人を見続けた。

「死の王は隻眼の老人で、自分に言った。『君はまだ死ぬ定めではない』と」

 時が過ぎるにつれて、噂は物語になった。
 子供の寝物語で、酒場の歌で、小説で、演劇で。いつしか、死の王は人々の想像の中で語られる。
 死の王は長い時を生きた老人で、黒と銀という特異な羽を持つ鳥人、黒色の長いローブを着て、赤い隻眼は鋭く、静かに人を諭すように話す。
 かつて、レーキ・ヴァーミリオンと言う名の天法士が生きていたことを人々が忘れても。
 死の王は、畏怖と安堵と絶望と希望の彼方で語り継がれる。




「……おはよう。カァラちゃん」
「母さん……!」

 レーキが死の王と共に消え去って、二日後。ラエティアはベッドの上で目を覚ました。
 ベッドの隣で、看病疲れからうたた寝していたカァラは、頬を撫でる母の手に安堵する。
 年老いて血管の目立つ手。それでもよく働き、案外に力強いその手。

「……母さん……」

 カァラは母の手をとって、頬を寄せる。
 母には告げられない。父を深く愛していた母には。父が愛する人たちを守るために消えてしまったなんて。

「……父さんは……レーキは、行ってしまったのね……?」
「……!」
「わたしね、さっきまで父さんと一緒だった。わたし、父さんに『これからずっと一緒にいられるの?』って聞いたの。でも父さんは『すまない。しばらくは迎えに行けない』って。父さんは『もう行くよ。ティアはカァラたちの所へ戻りなさい。また迎えにくるから』って。そう言って、行っちゃった……」

 母は知っていた。死の淵の夢うつつで、父と別れと再会を告げられていた。
 ラエティアの金の眸から、涙が一筋こぼれ落ちる。

「父さんは死の王さまになったのね……わたしたちを、生かすために」
「……うん。それが前の死の王の計略だった。父さんに責任を押し付けて、自分は解放されたの」

 腹立たしげに(つぶや)いたカァラの手をとって、ラエティアはゆっくりと首を振った。

「……前の死の王さまはね、きっと辛かったの。大勢の人を迎えに行って、感謝されるだけじゃない。どうして、とか、まだイヤだ、とか、死の王さまを憎む人も沢山いる。そんなお仕事をずっと、ずっと続けて、疲れてしまったのよ。レーキにお仕事を代わって欲しいって思うくらい。死の王さまも必死だったのよ」
「でも、父さんはみんなを道連れにして死ぬ道なんて選ばない。そういう人だって解っていて、父さんを追いつめたんだよ?」
「それでも、死の王さまはレーキが寿命終えるその時まで、待っていて下さった。たぶん、たぶんね。前の死の王さまも、心底悪いヒトでは無かったのよ」

 ラエティアはそっと微笑む。その眸は寂しげに濡れている。カァラは口惜しさをこらえるように、唇を噛んだ。

「……母さんは、人が良すぎるよ……」

 こらえきれずに。カァラの黒い眸から涙が次々にこぼれだした。





 時はうつろう。
 レーキの愛した人々の元にも、死の王がやってくる。


 セクールスは、突然寝室に現れたかつての生徒の姿を見て全てを悟った。
「最後に一服する時間はあるか?」そう言って愛用のパイプに薬草を詰めた。


 ウィルは、孫たちに剣術を教えている最中にかつての仲間を見た。
「やっときたのか。とっくの昔に覚悟は出来てるぜ」笑って死の王の手をとった。


 グーミエとエカルラートは同じ寝室で、かつてのクラスメイトを見た。二人は共に死の王の手をとって、翌朝、子供たちに発見された。


 ウィルを失って悲嘆の涙にくれていたネリネは、息子たちに(かつ)がれて、仲間たちと星を見た遺跡で死の王を出迎えた。

「そっか。もう、時間なのね。あたしまだまだやりたいことがあったんだけどなあ。でも、アナタとウィルが待ってるなら、もう行かなきゃね」もう、立ち上がることも出来なかったネリネは息子たちを見回して微笑んだ。


 グラーヴォとオウロは同時期にベッドの上で。独り残されたクランもじきに家族に囲まれて静かに旅立った。


「待ってくれ! まだ行く訳には行かないんだ! もうすぐ三人目の曾孫(ひまご)が生まれるんだ!」シアンはそう言って死の王の手を振りほどいたが、逃れることなど出来なかった。


 ズィルバーは、新しい法具(ほうぐ)の試作中に懐かしい顔を見た。
 弟子たちの前で部品の説明をしていたズィルバーは突然「レーキサン、解りまシタ。ちょっとだけ待って下サイ」と、共通語(コモン)で話し始めた。

「……すまないね。もう小生には時間がないようだ。君たちは試作を続けてくれたまえ」

 ニクスの言葉でそれだけ言い終えると、ズィルバーはそのまま倒れて帰らぬ人となった。


 アガートは一ヶ月ほど前から体調が優れずに、ベッドの上で眠ったり起きたりの生活が続いていた。
 その日はよく晴れた秋の日で。アガートは朝から、今日は良いことが起こるような予感で心をときめかせていた。

「……やあ。やっと来てくれたねー! ずっと待ってたよー」

 ようやく訪れた死の王を、アガートは茫洋(ぼうよう)と笑って出迎えた。




 多くの愛しい人々を、『死の国』に迎えた。
 死の国で、死者たちは生前に似た暮らしを送る。
 その内に死者の記憶は曖昧になり、ゆっくりと時間をかけて存在は稀薄(きはく)になり、死者たちは『死の国』の土に()けていく。
 短い者は数十年、長い者でも数百年。
 それはあたかも、生き物の遺骸(いがい)が腐って土へと返るように。死者たちの魂は人が生きる世界の養分になる。


 レーキが死の王になって十八年後の夏。
 夕闇が迫る森の中。梢の向こうに残照が赤く空を下る。反対側の空には、弟月がぽつんと寂しげに上りつつある。
 赤と濃紺が入り混じった宵の空は、美しい紫色のグラデーション。
 夏の暑さもこの時刻になればようやくその手をゆるめて、爽やかな風が人々の頬を撫でる。
 家の前に持ち出した安楽椅子に腰掛けて、ラエティアとレドは沈み行く今日の陽を見送っていた。
 いよいよ八十を目の前にしたラエティアは、よく昔の話をする。
 レドが生まれた日のこと、カァラが村にやって来た日のこと、結婚した日のこと、孫たちが生まれた時のこと。決まって最後にラエティアは父の最後の日の話をする。

「……父さんはね、私たちのために死の王さまになったの」
「うん」

 レドは、幾度となく聞かされたその話を完全には信じていなかった。
 父が死んだ日、そこにいたのは姉と姪と父の弟子たちだけ。
 レドは父の遺体に会うこともかなわず、妻と共にこの家に駆けつけた時には空の(ひつぎ)だけが用意されていた。

「遺体は無いの。父さんは消えてしまったから」

 姉は硬い表情で空の棺に父の遺品を詰めて、墓を作った。
 父がどうして死んだのか、どうして遺体がないのか。本当の所はレドには解らない。
 でも、父さんが死の王さまになっただなんて。そんなこと、簡単に信じられる訳がない。

「……もうじき、もうじきね。父さんが迎えに来てくれるの」
「そんなこと言うなよ、母さん。父さんは死の王さまになったんだろ? それなら迎えになんか来ない方が良い」
「……うふふ。ダメよ。人はみんな、いずれ父さんの所へ行くの。わたしもあなたも。だから、あなたはそれまで、()いの無いように生きなさいね?」

 近頃、母は眠って過ごすことが多くなった。
 一人では日々の生活もままならない。母の介護をするために、レドは店をローリエとリエールに任せて、週の半分以上はこの懐かしい森の中の家に通っている。
 それでも、母はゆっくりと衰弱している。『その時』が近づいているのだと、レドにもはっきりと解る。

 ──死の王さま、死の王さま。父さんが死の王さまだと言うなら、まだ母さんを連れて行かないでくれ。せめて、リエールの子が大きくなるまで。

 夜になって、床に入る前に。レドは祈らずにいられない。

「……そろそろ、家に入ろうか、母さん」

 すっかり、日が沈んでしまった。ほんのりと西の空は明るいが、東の空では星が瞬き始めている。

「……」

 母は答えない。じっと夕陽が消えた空を見つめている。

「……母さん?」
「……父、さん……?」

 呟いた母の見つめる先に。きらきらと光が舞い始めた。夕陽の名残か何かだ。レドは何かの見間違いかと眼をこする。それでも光は消えてしまわない。
 光は次第に輝きを増して、やがて、そこに像が結ばれる。白い髪、赤い隻眼、黒と銀の羽。そこにいるのは、確かに十八年前に死んだはずの父だった。

「……ずいぶん待たせたな、ティア。迎えに来た」

 耳に馴染んだ父の声。それは記憶の中にある通りに優しい。

「……レーキ。ああ……もう、遅いよ! 待ちくたびれちゃった!」

 母は安楽椅子から立ち上がり、足取りも軽く父に近づいて行く。

「あ、ああ……母さん! だめだ! 行っちゃ駄目だ!!」

 レドが伸ばした手をすり抜けて、母は父の(かたわ)らに寄り添った。

「……レド、お前の順番はまだ先だ。今まで母さんの面倒を見てくれてありがとう。いずれまた会おう。その時まで良く生きなさい」

 父は最後に微笑み、母の肩を抱いた。その一瞬で、父と母の姿は夜の闇に()けた。

「……父さん、母さん……?!」

 気がつけば。レドは家の前に出した椅子に腰掛けて、ぼんやりと空を見上げていた。
 隣の安楽椅子では、年老いた母が静かに眠るように一生を終えていた。


次のエピソードへ進む 第95話 遠く遠く、空より遠く


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「……何と、|仰《おつしや》いましたか?」
 思わず、問い返さずにはいられない。レーキは|愕然《がくぜん》と、目前の死の王を見つめた。
「我が職責と権能の全てを汝に譲る、と言った。死の王であれば、『死の王の呪い』を解くことが出来よう。汝は死の王となり呪いを解き、我は永い苦しみから解き放たれる」
「……え、あ……死の王……?! 俺、が……?」
 ──この、俺が?
 捨て子で、ただの鳥人で、老人で、ただの父親で、ちっぽけで、それでもしあわせな、ただの男である俺が?
「……そんなの、卑怯だ!」
 面食らっているレーキの隣で、カァラは先に我に返ったように叫んだ。
「そんなの『呪い』を利用して、父さんの大切な人たちを思う心を利用して……面倒を押しつけてるだけじゃない!」
「……黙れ、不遜なる者の娘。人の身で|天王《てんおう》となることは栄誉である」
 図星を突かれても、死の王は顔色一つ変えない。ただ静かにレーキの|隻眼《せきがん》を見つめてくる。
「|詭弁《きべん》だ! 父さんはそんな栄誉、ちっとも望んでないのに!」
「……死の王様。俺はやはり、もうじき死ぬのですか?」
 レーキは静かに死の王の暗い水色の|眸《ひとみ》を見つめる。慌てふためいていた心が|凪《な》いで行く。
 決断しなくては。自分の寿命がつきる前に。この、|脳髄《のうずい》を焼く痛みがすべてを食い尽くす前に。
『呪い』を解いて、ラエティアを、ノワールを、たった今苦しんでいるかも知れない愛すべき人々を。病から、『呪い』から守らなければ。
「……死の王は人の寿命を告げぬ」
 ──死の王には、俺の寿命が少ないと解っているのだろう。だからこそ、カァラの『|謁見《えつけん》の法』に応じたのだ。
 死の王の表情には憐れみも、|嘲弄《ちようろう》も何もない。死の王はただ黙って、レーキの決断を待っている。
 呼吸は苦しく、頭が割れるように痛む。この『謁見の法』で天分を使ってしまった。ああ、俺に残された時間は本当に少ないのか。それが、肌で解った。
 それが死の王の|目論見《もくろみ》なのだと解っていても、拒否など出来ない。自分に出来ることは、たった一つだけ。
「……死の王、様。解り、ました……」
「……父、さん……駄目!! う、ううっ……!!」
 カァラの顔が苦痛に|歪《ゆが》む。『呪い』がカァラにも手を伸ばそうとしている。
 時間がない。レーキは全てを振り払うように、死の王に向き直った。
「……貴方のお申し出、慎んで、お|請《う》け致します」
「約定はここに成った。レーキ・ヴァーミリオン、これより汝がこの星の死の王。全ての死に行く者の王。すべての死せる者を束ねる死人の王。地の母の眷属にして刈り取る者」
 歌うように。死の王は|言祝《ことほ》ぐ。彼が差し出した手をレーキが取る。
 その瞬間。レーキ・ヴァーミリオンという、ただの鳥人は永遠にこの世から消え失せた。
『死の眠り病』で床に|臥《ふ》し、回復した人々は口々に言う。
「死の王は金の髪の若者だった」
「いや、違う。死の王様は白い髪の年老いた方だった」
「死の王さまは黒と銀の羽の鳥人だったよ」
 人々の中で『死の王』は黒と銀の羽を持つ鳥人でである、と噂が次第に広まっていった。
 流行病が終息した後も、九死に一生を得た人々は、死の淵で黒と銀の羽の鳥人を見続けた。
「死の王は隻眼の老人で、自分に言った。『君はまだ死ぬ定めではない』と」
 時が過ぎるにつれて、噂は物語になった。
 子供の寝物語で、酒場の歌で、小説で、演劇で。いつしか、死の王は人々の想像の中で語られる。
 死の王は長い時を生きた老人で、黒と銀という特異な羽を持つ鳥人、黒色の長いローブを着て、赤い隻眼は鋭く、静かに人を諭すように話す。
 かつて、レーキ・ヴァーミリオンと言う名の天法士が生きていたことを人々が忘れても。
 死の王は、畏怖と安堵と絶望と希望の彼方で語り継がれる。
「……おはよう。カァラちゃん」
「母さん……!」
 レーキが死の王と共に消え去って、二日後。ラエティアはベッドの上で目を覚ました。
 ベッドの隣で、看病疲れからうたた寝していたカァラは、頬を撫でる母の手に安堵する。
 年老いて血管の目立つ手。それでもよく働き、案外に力強いその手。
「……母さん……」
 カァラは母の手をとって、頬を寄せる。
 母には告げられない。父を深く愛していた母には。父が愛する人たちを守るために消えてしまったなんて。
「……父さんは……レーキは、行ってしまったのね……?」
「……!」
「わたしね、さっきまで父さんと一緒だった。わたし、父さんに『これからずっと一緒にいられるの?』って聞いたの。でも父さんは『すまない。しばらくは迎えに行けない』って。父さんは『もう行くよ。ティアはカァラたちの所へ戻りなさい。また迎えにくるから』って。そう言って、行っちゃった……」
 母は知っていた。死の淵の夢うつつで、父と別れと再会を告げられていた。
 ラエティアの金の眸から、涙が一筋こぼれ落ちる。
「父さんは死の王さまになったのね……わたしたちを、生かすために」
「……うん。それが前の死の王の計略だった。父さんに責任を押し付けて、自分は解放されたの」
 腹立たしげに|呟《つぶや》いたカァラの手をとって、ラエティアはゆっくりと首を振った。
「……前の死の王さまはね、きっと辛かったの。大勢の人を迎えに行って、感謝されるだけじゃない。どうして、とか、まだイヤだ、とか、死の王さまを憎む人も沢山いる。そんなお仕事をずっと、ずっと続けて、疲れてしまったのよ。レーキにお仕事を代わって欲しいって思うくらい。死の王さまも必死だったのよ」
「でも、父さんはみんなを道連れにして死ぬ道なんて選ばない。そういう人だって解っていて、父さんを追いつめたんだよ?」
「それでも、死の王さまはレーキが寿命終えるその時まで、待っていて下さった。たぶん、たぶんね。前の死の王さまも、心底悪いヒトでは無かったのよ」
 ラエティアはそっと微笑む。その眸は寂しげに濡れている。カァラは口惜しさをこらえるように、唇を噛んだ。
「……母さんは、人が良すぎるよ……」
 こらえきれずに。カァラの黒い眸から涙が次々にこぼれだした。
 時はうつろう。
 レーキの愛した人々の元にも、死の王がやってくる。
 セクールスは、突然寝室に現れたかつての生徒の姿を見て全てを悟った。
「最後に一服する時間はあるか?」そう言って愛用のパイプに薬草を詰めた。
 ウィルは、孫たちに剣術を教えている最中にかつての仲間を見た。
「やっときたのか。とっくの昔に覚悟は出来てるぜ」笑って死の王の手をとった。
 グーミエとエカルラートは同じ寝室で、かつてのクラスメイトを見た。二人は共に死の王の手をとって、翌朝、子供たちに発見された。
 ウィルを失って悲嘆の涙にくれていたネリネは、息子たちに|担《かつ》がれて、仲間たちと星を見た遺跡で死の王を出迎えた。
「そっか。もう、時間なのね。あたしまだまだやりたいことがあったんだけどなあ。でも、アナタとウィルが待ってるなら、もう行かなきゃね」もう、立ち上がることも出来なかったネリネは息子たちを見回して微笑んだ。
 グラーヴォとオウロは同時期にベッドの上で。独り残されたクランもじきに家族に囲まれて静かに旅立った。
「待ってくれ! まだ行く訳には行かないんだ! もうすぐ三人目の|曾孫《ひまご》が生まれるんだ!」シアンはそう言って死の王の手を振りほどいたが、逃れることなど出来なかった。
 ズィルバーは、新しい|法具《ほうぐ》の試作中に懐かしい顔を見た。
 弟子たちの前で部品の説明をしていたズィルバーは突然「レーキサン、解りまシタ。ちょっとだけ待って下サイ」と、|共通語《コモン》で話し始めた。
「……すまないね。もう小生には時間がないようだ。君たちは試作を続けてくれたまえ」
 ニクスの言葉でそれだけ言い終えると、ズィルバーはそのまま倒れて帰らぬ人となった。
 アガートは一ヶ月ほど前から体調が優れずに、ベッドの上で眠ったり起きたりの生活が続いていた。
 その日はよく晴れた秋の日で。アガートは朝から、今日は良いことが起こるような予感で心をときめかせていた。
「……やあ。やっと来てくれたねー! ずっと待ってたよー」
 ようやく訪れた死の王を、アガートは|茫洋《ぼうよう》と笑って出迎えた。
 多くの愛しい人々を、『死の国』に迎えた。
 死の国で、死者たちは生前に似た暮らしを送る。
 その内に死者の記憶は曖昧になり、ゆっくりと時間をかけて存在は|稀薄《きはく》になり、死者たちは『死の国』の土に|融《と》けていく。
 短い者は数十年、長い者でも数百年。
 それはあたかも、生き物の|遺骸《いがい》が腐って土へと返るように。死者たちの魂は人が生きる世界の養分になる。
 レーキが死の王になって十八年後の夏。
 夕闇が迫る森の中。梢の向こうに残照が赤く空を下る。反対側の空には、弟月がぽつんと寂しげに上りつつある。
 赤と濃紺が入り混じった宵の空は、美しい紫色のグラデーション。
 夏の暑さもこの時刻になればようやくその手をゆるめて、爽やかな風が人々の頬を撫でる。
 家の前に持ち出した安楽椅子に腰掛けて、ラエティアとレドは沈み行く今日の陽を見送っていた。
 いよいよ八十を目の前にしたラエティアは、よく昔の話をする。
 レドが生まれた日のこと、カァラが村にやって来た日のこと、結婚した日のこと、孫たちが生まれた時のこと。決まって最後にラエティアは父の最後の日の話をする。
「……父さんはね、私たちのために死の王さまになったの」
「うん」
 レドは、幾度となく聞かされたその話を完全には信じていなかった。
 父が死んだ日、そこにいたのは姉と姪と父の弟子たちだけ。
 レドは父の遺体に会うこともかなわず、妻と共にこの家に駆けつけた時には空の|棺《ひつぎ》だけが用意されていた。
「遺体は無いの。父さんは消えてしまったから」
 姉は硬い表情で空の棺に父の遺品を詰めて、墓を作った。
 父がどうして死んだのか、どうして遺体がないのか。本当の所はレドには解らない。
 でも、父さんが死の王さまになっただなんて。そんなこと、簡単に信じられる訳がない。
「……もうじき、もうじきね。父さんが迎えに来てくれるの」
「そんなこと言うなよ、母さん。父さんは死の王さまになったんだろ? それなら迎えになんか来ない方が良い」
「……うふふ。ダメよ。人はみんな、いずれ父さんの所へ行くの。わたしもあなたも。だから、あなたはそれまで、|悔《く》いの無いように生きなさいね?」
 近頃、母は眠って過ごすことが多くなった。
 一人では日々の生活もままならない。母の介護をするために、レドは店をローリエとリエールに任せて、週の半分以上はこの懐かしい森の中の家に通っている。
 それでも、母はゆっくりと衰弱している。『その時』が近づいているのだと、レドにもはっきりと解る。
 ──死の王さま、死の王さま。父さんが死の王さまだと言うなら、まだ母さんを連れて行かないでくれ。せめて、リエールの子が大きくなるまで。
 夜になって、床に入る前に。レドは祈らずにいられない。
「……そろそろ、家に入ろうか、母さん」
 すっかり、日が沈んでしまった。ほんのりと西の空は明るいが、東の空では星が瞬き始めている。
「……」
 母は答えない。じっと夕陽が消えた空を見つめている。
「……母さん?」
「……父、さん……?」
 呟いた母の見つめる先に。きらきらと光が舞い始めた。夕陽の名残か何かだ。レドは何かの見間違いかと眼をこする。それでも光は消えてしまわない。
 光は次第に輝きを増して、やがて、そこに像が結ばれる。白い髪、赤い隻眼、黒と銀の羽。そこにいるのは、確かに十八年前に死んだはずの父だった。
「……ずいぶん待たせたな、ティア。迎えに来た」
 耳に馴染んだ父の声。それは記憶の中にある通りに優しい。
「……レーキ。ああ……もう、遅いよ! 待ちくたびれちゃった!」
 母は安楽椅子から立ち上がり、足取りも軽く父に近づいて行く。
「あ、ああ……母さん! だめだ! 行っちゃ駄目だ!!」
 レドが伸ばした手をすり抜けて、母は父の|傍《かたわ》らに寄り添った。
「……レド、お前の順番はまだ先だ。今まで母さんの面倒を見てくれてありがとう。いずれまた会おう。その時まで良く生きなさい」
 父は最後に微笑み、母の肩を抱いた。その一瞬で、父と母の姿は夜の闇に|溶《と》けた。
「……父さん、母さん……?!」
 気がつけば。レドは家の前に出した椅子に腰掛けて、ぼんやりと空を見上げていた。
 隣の安楽椅子では、年老いた母が静かに眠るように一生を終えていた。