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第82話 春の訪れ

ー/ー



 眠い眼をこするカァラを先に寝かしつけて、レーキとラエティアは台所兼居間に戻った。
 師匠が使っていた、(かまど)の側の安楽な椅子にラエティアを座らせて、レーキは「これから話すことはとても長い話になると思う」と前置きする。

「もし、その……君さえ良かったら、今日はここに泊まっていって欲しい」
「……うん。それだけ、話したいことがたくさんあるのね? 解った。聞かせて下さい」

 ラエティアは姿勢を正して、レーキの言葉を待つ。
 レーキは事の始まりから、全てをラエティアに話した。
 自分がグラナートで捨てられた孤児だったこと、住んでいた村が盗賊に焼かれたこと、村人に殺されそうになって相手を殺したこと……森の村をでる前に、ラエティアに告げていたことも告げられなかったことも、包み隠さず伝えた。
 ラエティアは時折(うなず)きながら、全てを聞いてくれた。

「レーキは、殺されたくなくて、その人を……」

その先を訊ねてしまうのが恐ろしい。ラエティアは泣き出しそうに眉根を寄せて、そっとレーキを見つめる。

「……うん。でも、殺したくて殺したんじゃない。それだけは……本当なんだ」
「……うん。わたしはあなたを信じる。だってレーキは今とても辛そうな顔、してるもの……」

 それから、盗賊団に拾われたこと、師匠に救われたこと、この村でしあわせだったこと、師匠が亡くなって『呼び戻し』に失敗して、呪われたことを彼女に告げる。

「……死の王様の呪い?」
「ああ。それは……俺が愛した者は必ず俺より先に死の王様の国に逝くと言う呪い、だ」
「……ああ……! レーキ……そんな……っ! ひどい……」

 絶句したラエティアに、レーキは申し訳なくなって、眼を伏せた。

「……ごめん。ずっと君に言えずにいた。なんだか君の寿命を縮めているような気がして……」
「……ううん。違うの! そうじゃないの。その、大好きな人がみんな先に亡くなるなら、レーキは最後の時にひとりになっちゃう……! そんなのって、そんなのってないよ……」

 ぽろりとラエティアの(ひとみ)から大粒の涙がこぼれ落ちる。レーキは立ち上がり、自分の行く末を案じて流された涙を拭ってやった。

「ラエティア……ありがとう。……だから俺はその呪いを解いて貰う。死の王様に」
「解いて、貰えるの?」

 レーキを見上げるラエティアは、不安げに聞いてくる。

「天法には、死の王様に現世にきて貰うための法があるんだ。それで俺は死の王様に会った。死の王様は『今はその時ではない』と言っていた。次に見えるまで十年とも」
「じゃ、あ、その十年の間はあなたは死の王様に会わない……死なないのね?」
「ああ、そうだと、思う」

 良かった……ラエティアは息を吐いて、レーキの胸に額を押し当てる。

「俺はもう、自分の心を偽ることは出来ない。君を、愛している。村の人々を友人を、沢山の人々を愛している。だから、絶対に呪いを解いて貰う。何度だって死の王様に訴える」
「うん!」

 それから、レーキは天法院に行ってからの出来事を話し続けた。
 ラエティアは天法院で出来た友人たちに会ってみたいと言い、見事天法士になったことをよろこんでくれた。
 五つ組の天法士となってもポーターとして働いたことに「どうして?」と訊ね、ネリネの話に少しむっとして、彼女が最終的にウィルと婚約した話をするとにこにこと笑った。そして、遺跡の不思議に眼を丸くして、船に乗ってみたいと言い、恐ろしいラファ=ハバールに身を(すく)め、『呪われた島』で羽を切られた話に憤慨(ふんがい)する。そこで出会った魔のモノたちのこと、『島』から逃れてグラナートにたどり着いたこと、故郷の村に墓を訪ねたこと、カァラと出会ったこと……レーキが全てを語り終えると、すでに空は白み始め、竈にくべた薪は燃え尽きていた。

「五年前にこの村を出発してから、本当に色々なことが、あったのね……」

 ラエティアは肩を抱く。彼女にそうさせたのは朝方の寒さばかりではなかっただろう。
 レーキは竈に薪をくべて、小さな『火球』を放り込んだ。薪はぱちぱちと音を立ててはぜ、竈は直ぐに暖かさを伝えてくる。
 薬缶(やかん)を竈の上にかけ、温かな薬草茶を煎れると、レーキはラエティアにカップを渡した。

「ありがとう」

 二人、黙ってほんのり甘い薬草茶を飲む。
 優しい、穏やかな、静かな時間。レーキは肩の荷を下ろし、ラエティアは新たな荷を大切に抱えて。やがて、レーキはぽつりと言葉を漏らした。

「……なあ、ラエティア」
「なあに?」
「こんなこと、俺には言う資格はないのかも知れない。言ってはいけないことなのかも知れない。……だから、俺が今から言うことを君は断ってくれて良い」
「? 一体なあに? レーキ」
「……その……全てを聞いて、それでも俺を好きだと思ってくれているなら……俺と……」

 レーキは手にしていたカップをテーブルに置いて立ち上がり、ラエティアの前に(ひざまず)いた。

「……家族になって、くれないか?」
「……!!」

 ラエティアは眸を丸く開いて、無言でまっすぐに自分を見つめるレーキを見つめ返した。
 やがて、金色の眸から涙が(あふ)れ、まなじりで弾けて頬をぬらす。

「……わたしで、良いの?」
「ああ。君じゃなきゃ、いやだ」
「わたしは、なんの取り柄もない、この村から出たこともほとんどない……ただの獣人だよ?」
「うん。取り柄なんか無くても良い。ただの獣人のラエティアが、ありのままの君が好きなんだ」

 レーキは頷いて、カップを固く握りしめるラエティアの手にそっと手を重ねた。

「……わたしね、レーキの話を聞いて、少し、怖くなった。レーキはいろんな所に行って、辛いことも素晴らしいことも、いろんなことを経験してきたんだよね?」
「ああ。そうだな」
「じゃあ、じゃあね……もし、わたしと家族になって、この村で暮らして、それが退屈でつまらなくなったら……どうする?」

 天法士の妻として自分は釣り合わないのではないかと、ラエティアは不安げな顔をする。

「……そんなことになったら……君を連れて旅をする。どんなことがあっても、君と一緒に。君はそんな暮らしはいや?」
「ううん。この村みたいな穏やかな場所でずっと暮らせるのも素敵だけど……でも、やっぱりあなたがいなくちゃ、いや。……ああ、わたし、解った。あなたがいてくれれば、どんな場所でも良い」

 すとんと気持ちが()に落ちたのか。ラエティアは流れ続ける涙を拭って、唇を笑みの形に変えた。

「……ずっとこんな日がきて欲しいって思ってた。でも、夢が本当になると、もう、何がなんだかわからなくなるの。嬉しくて、嬉しくて、『はい』って一言お返事すればいいのに、レーキに伝えたいことがいっぱいあって……」
「うん。それを、全部聞かせてくれる?」

 跪いたまま、ラエティアの顔を(のぞ)き込む。その顔は、甘酸っぱい果実もかくやと言うくらい真っ赤に染まっていた。

「……あのね、レーキからの手紙が届かなくなって、天法院の人から『レーキは行方不明になった』って手紙が来て、わたし、苦しかった。半分くらい諦めてた。レーキは死んじゃったのかも知れないって……でも、絶対に帰って来るって、もう半分のわたしが言うの。だから、わたし、半分のわたしにすがって、ずっと待ってた。レーキが帰ってくるのをずっと。この家をお掃除するのも多分願掛けだったんだと思う。ここを綺麗(きれい)にしていれば、レーキが無事に帰ってくる……ああ、うん、もう、わたし、何言ってるんだろう!」
「ラエティア、ごめん。苦しい思いをさせて。連絡できなくて、ごめん」
「ううん。だってそれはレーキのせいじゃない! だからね! その……わたしの返事は……はい。わたしをあなたの家族にしてください。ずっとわたしの側にいてください……!」

 ああ。その言葉を待っていた。ずっと夢見ていた。レーキはラエティアを見上げ、ラエティアはレーキを見つめ、それから二人はおずおずと口づけを交わす。

「……ありがとう。ラエティア」
「うん。ありがとう、レーキ」

 この村で初めて二人が出会ってから、はや十年近く。孤児であった少年と賑やかな家庭で育った少女は、家族になった。



 冬の季節が終わり春の季節が巡って来るのを待って、レーキとラエティアは婚礼を上げた。
 レーキは天法士らしい黒いローブを、ラエティアはアラルガントの家伝統である、濃緑の婚礼衣装を着て、村の広場にある、青龍王の(びよう)へと(もう)でる。
 そこで誓いの言葉を捧げ、最後に口づけを交わし、二人は村長の家に向かった。
 村長の家では、すでに宴の準備が整っている。
 そこへ向かう道すがら、花婿、花嫁の姿を一目見ようと村人たちが二人を取り囲み、なかでも女性たちは森で摘んだ春の花を雨のように降らせて、二人の前途を祝福してくれる。
 森の村にとって、二人の結婚は大きな喜びであると同時に、春を祝う祭りであった。
 今日、ラエティアのはにかんだ表情は、ヴェールに隠れてなかなか見えない。それでも彼女の横顔はとても美しかった。
 隣を歩くレーキは緊張に身を固くしながら、ラエティアをエスコートする。
 その後ろを、青いドレスを着せられたカァラが解っているのかいないのか、楽しそうについて来た。



 冬の間、ラエティアは1日置きに師匠の──今はレーキのモノになった家にやってきてくれた。なにかれとレーキたちの世話を焼いて、たまには泊まっていくこともあった。
 カァラはラエティアの焼くパンの(とりこ)になり、ラエティアもカァラを可愛がった。
 アラルガントの一家はレーキとラエティアの結婚を喜んでくれた。
 特にラエティアの母親、ラセット夫人は「お式はグラナート風とアスール風、どちらがいいかしら?」などと腕まくりして準備をすすめる。
 レーキには、グラナート風の婚礼はよく解らない。義理の母になるラセット夫人にそう告げると、夫人は「それならアスール風ね! うふふ! もう何年も前からティアのための婚礼衣装を用意してたのよー」と、クローゼットの中から刺繍(ししゆう)も見事な濃緑のドレスを取り出してきた。

「……素晴らしいドレスですね」

 女性の衣類にうといレーキにも、それが手の込んだ刺繍だと言うことは解った。たった一人の娘のために、ラセット夫人は腕によりをかけたのだ。

「でしょ? うふふ! レーキくんはねー天法士さまなんだから、ローブを持っているでしょ? 今から春までにそれに刺繍してあげる。このドレスと並んでも見劣りしないようにね!」
「ありがとうございます!」

 レーキは正装用のローブをラセット夫人に託した。ラセット夫人はとっておきの刺繍糸を大盤振る舞いして、レーキの黒いローブを美しく飾ってくれた。
 ちなみにカァラ用の青いドレスは、ラセット夫人とラエティアの合作だ。
 ラグエスも始めは「こぶ付き」だの「待たせ過ぎなんだよ」だのとぶつくさ文句を言っていたが、しあわせそうな姉を見ているとどうにも心が揺らいだようだ。結局は祝福してくれる。
 父親であるシャモア氏と次男のランズは、元より結婚に賛成で、レーキとラエティアのために新しいベッドを作ってくれた。
 自分の家庭を持って独立している、長男ラヴェルは可愛い妹のために(めす)の子山羊を一頭贈ってくれた。
 村人たちからの贈り物の品々で、新生活の準備は次第に整って行く。



 婚礼の宴は、村長の長く退屈な挨拶から始まった。
 宴を村長宅で行うのは、アラルガント家もレーキの家も、これだけの人数を収容しきれる広さが無いからだ。
 乾杯の合図を待ちわびていた人々は大いに飲み、振る舞われる料理を味わう。評判の料理上手たちが、その腕をふるった品の数々は瞬く間に人々の胃袋に収まっていく。
 レーキとラエティアは村人たちの祝福を次々と受け、その全てに丁重に礼を返す。
 ラセット夫人の祝い料理を、じっくり味わう暇もない。
 やがて、宴もたけなわ。人々は婚礼のための歌を合唱し、新郎と新婦は揃って新居へと向かう。今日だけは二人の邪魔をせぬようにと、カァラはアラルガント家に預けられた。
 ラセット夫人にも懐いているカァラに不満は無いようだったが、「けっこんって、なに? ふうふって?」と夫人を質問責めにして、だいぶ困らせたようだ。



 レーキとラエティアは、家への道をゆっくりと二人で歩む。
 森の中の、通い慣れた道。遠く木立の間に見える西の空は、赤とも紫ともつかない素晴らしい夕焼けの名残が微かに。
 夕闇が迫る道をレーキの『光球』が照らす。美しい花嫁が、転んでしまわないように。
 ラエティアはまだヴェールを垂らしたまま、レーキと並んでいる。レーキはラエティアと手をつなぐ。黙って一緒にいることが、とても自然で。ラエティアの温かな手のひらは、とても心地よかった。



 家に、今日から二人とカァラの家になるこの家に、帰ってきた。
 レーキはろうそくに明かりを灯し、ラエティアを家に迎え入れる。
 そこで、ようやくヴェールを跳ね上げて、慣れない化粧を(ほどこ)したラエティアの顔を見た。
 揺らめくろうそくの明かりで見るラエティアは、かつて無いほど美しかった。

「……ラエティア、おかえり」
「うん。ただいま。レーキ。……あの、あのね、レーキ。ティア、って呼んで? 家族、は、みんな、そう呼ぶから……」
「うん。解った。……おかえり、ティア」
「うん。ただいま。レーキ」

 ぎこちなく、二人は幾度も交わしたはずの挨拶をする。
 改めて見つめ合うと、気恥ずかしくて、くすぐったくて、二人は押し黙った。

「あのな……」
「あのね!」

 同じタイミングで、二人は口を開く。レーキが黙っていると、ラエティアが遠慮がちに呟いた。

「……あのね、わたし、尻尾が、あるの……」
「うん。知ってる。夏になるとスカートからはみだす、から……」
「う、うん。……それから、ね、肩にね、黒子が二つ並んでるの……」
「……それは、知らなかった。普段、肩は出さないもんな……」

 二人で、こんなに近くにいると。暴れ出す、互いの鼓動が聞こえてしまいそうな気がする。

「あのね、あの……レーキの秘密も、教えて?」
「え、とその……俺、俺の、秘密?」
「うん。どんなことでも良い。レーキしか、知らない秘密……」

 そう言ってレーキを見上げる、ラエティアの金色の(ひとみ)は少し潤んでいる。

「俺、は……足の小指の形がちょっと変わってる。それから、へその脇に大きめの黒子が、ある……」

 二人とも真っ赤になって、他愛のない、他人が聴けば笑い飛ばすような秘密を共有する。
 それが、二人がその夜初めてした、秘密の儀式だった。


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みんなのリアクション

 眠い眼をこするカァラを先に寝かしつけて、レーキとラエティアは台所兼居間に戻った。
 師匠が使っていた、|竈《かまど》の側の安楽な椅子にラエティアを座らせて、レーキは「これから話すことはとても長い話になると思う」と前置きする。
「もし、その……君さえ良かったら、今日はここに泊まっていって欲しい」
「……うん。それだけ、話したいことがたくさんあるのね? 解った。聞かせて下さい」
 ラエティアは姿勢を正して、レーキの言葉を待つ。
 レーキは事の始まりから、全てをラエティアに話した。
 自分がグラナートで捨てられた孤児だったこと、住んでいた村が盗賊に焼かれたこと、村人に殺されそうになって相手を殺したこと……森の村をでる前に、ラエティアに告げていたことも告げられなかったことも、包み隠さず伝えた。
 ラエティアは時折|頷《うなず》きながら、全てを聞いてくれた。
「レーキは、殺されたくなくて、その人を……」
その先を訊ねてしまうのが恐ろしい。ラエティアは泣き出しそうに眉根を寄せて、そっとレーキを見つめる。
「……うん。でも、殺したくて殺したんじゃない。それだけは……本当なんだ」
「……うん。わたしはあなたを信じる。だってレーキは今とても辛そうな顔、してるもの……」
 それから、盗賊団に拾われたこと、師匠に救われたこと、この村でしあわせだったこと、師匠が亡くなって『呼び戻し』に失敗して、呪われたことを彼女に告げる。
「……死の王様の呪い?」
「ああ。それは……俺が愛した者は必ず俺より先に死の王様の国に逝くと言う呪い、だ」
「……ああ……! レーキ……そんな……っ! ひどい……」
 絶句したラエティアに、レーキは申し訳なくなって、眼を伏せた。
「……ごめん。ずっと君に言えずにいた。なんだか君の寿命を縮めているような気がして……」
「……ううん。違うの! そうじゃないの。その、大好きな人がみんな先に亡くなるなら、レーキは最後の時にひとりになっちゃう……! そんなのって、そんなのってないよ……」
 ぽろりとラエティアの|眸《ひとみ》から大粒の涙がこぼれ落ちる。レーキは立ち上がり、自分の行く末を案じて流された涙を拭ってやった。
「ラエティア……ありがとう。……だから俺はその呪いを解いて貰う。死の王様に」
「解いて、貰えるの?」
 レーキを見上げるラエティアは、不安げに聞いてくる。
「天法には、死の王様に現世にきて貰うための法があるんだ。それで俺は死の王様に会った。死の王様は『今はその時ではない』と言っていた。次に見えるまで十年とも」
「じゃ、あ、その十年の間はあなたは死の王様に会わない……死なないのね?」
「ああ、そうだと、思う」
 良かった……ラエティアは息を吐いて、レーキの胸に額を押し当てる。
「俺はもう、自分の心を偽ることは出来ない。君を、愛している。村の人々を友人を、沢山の人々を愛している。だから、絶対に呪いを解いて貰う。何度だって死の王様に訴える」
「うん!」
 それから、レーキは天法院に行ってからの出来事を話し続けた。
 ラエティアは天法院で出来た友人たちに会ってみたいと言い、見事天法士になったことをよろこんでくれた。
 五つ組の天法士となってもポーターとして働いたことに「どうして?」と訊ね、ネリネの話に少しむっとして、彼女が最終的にウィルと婚約した話をするとにこにこと笑った。そして、遺跡の不思議に眼を丸くして、船に乗ってみたいと言い、恐ろしいラファ=ハバールに身を|竦《すく》め、『呪われた島』で羽を切られた話に|憤慨《ふんがい》する。そこで出会った魔のモノたちのこと、『島』から逃れてグラナートにたどり着いたこと、故郷の村に墓を訪ねたこと、カァラと出会ったこと……レーキが全てを語り終えると、すでに空は白み始め、竈にくべた薪は燃え尽きていた。
「五年前にこの村を出発してから、本当に色々なことが、あったのね……」
 ラエティアは肩を抱く。彼女にそうさせたのは朝方の寒さばかりではなかっただろう。
 レーキは竈に薪をくべて、小さな『火球』を放り込んだ。薪はぱちぱちと音を立ててはぜ、竈は直ぐに暖かさを伝えてくる。
 |薬缶《やかん》を竈の上にかけ、温かな薬草茶を煎れると、レーキはラエティアにカップを渡した。
「ありがとう」
 二人、黙ってほんのり甘い薬草茶を飲む。
 優しい、穏やかな、静かな時間。レーキは肩の荷を下ろし、ラエティアは新たな荷を大切に抱えて。やがて、レーキはぽつりと言葉を漏らした。
「……なあ、ラエティア」
「なあに?」
「こんなこと、俺には言う資格はないのかも知れない。言ってはいけないことなのかも知れない。……だから、俺が今から言うことを君は断ってくれて良い」
「? 一体なあに? レーキ」
「……その……全てを聞いて、それでも俺を好きだと思ってくれているなら……俺と……」
 レーキは手にしていたカップをテーブルに置いて立ち上がり、ラエティアの前に|跪《ひざまず》いた。
「……家族になって、くれないか?」
「……!!」
 ラエティアは眸を丸く開いて、無言でまっすぐに自分を見つめるレーキを見つめ返した。
 やがて、金色の眸から涙が|溢《あふ》れ、まなじりで弾けて頬をぬらす。
「……わたしで、良いの?」
「ああ。君じゃなきゃ、いやだ」
「わたしは、なんの取り柄もない、この村から出たこともほとんどない……ただの獣人だよ?」
「うん。取り柄なんか無くても良い。ただの獣人のラエティアが、ありのままの君が好きなんだ」
 レーキは頷いて、カップを固く握りしめるラエティアの手にそっと手を重ねた。
「……わたしね、レーキの話を聞いて、少し、怖くなった。レーキはいろんな所に行って、辛いことも素晴らしいことも、いろんなことを経験してきたんだよね?」
「ああ。そうだな」
「じゃあ、じゃあね……もし、わたしと家族になって、この村で暮らして、それが退屈でつまらなくなったら……どうする?」
 天法士の妻として自分は釣り合わないのではないかと、ラエティアは不安げな顔をする。
「……そんなことになったら……君を連れて旅をする。どんなことがあっても、君と一緒に。君はそんな暮らしはいや?」
「ううん。この村みたいな穏やかな場所でずっと暮らせるのも素敵だけど……でも、やっぱりあなたがいなくちゃ、いや。……ああ、わたし、解った。あなたがいてくれれば、どんな場所でも良い」
 すとんと気持ちが|腑《ふ》に落ちたのか。ラエティアは流れ続ける涙を拭って、唇を笑みの形に変えた。
「……ずっとこんな日がきて欲しいって思ってた。でも、夢が本当になると、もう、何がなんだかわからなくなるの。嬉しくて、嬉しくて、『はい』って一言お返事すればいいのに、レーキに伝えたいことがいっぱいあって……」
「うん。それを、全部聞かせてくれる?」
 跪いたまま、ラエティアの顔を|覗《のぞ》き込む。その顔は、甘酸っぱい果実もかくやと言うくらい真っ赤に染まっていた。
「……あのね、レーキからの手紙が届かなくなって、天法院の人から『レーキは行方不明になった』って手紙が来て、わたし、苦しかった。半分くらい諦めてた。レーキは死んじゃったのかも知れないって……でも、絶対に帰って来るって、もう半分のわたしが言うの。だから、わたし、半分のわたしにすがって、ずっと待ってた。レーキが帰ってくるのをずっと。この家をお掃除するのも多分願掛けだったんだと思う。ここを|綺麗《きれい》にしていれば、レーキが無事に帰ってくる……ああ、うん、もう、わたし、何言ってるんだろう!」
「ラエティア、ごめん。苦しい思いをさせて。連絡できなくて、ごめん」
「ううん。だってそれはレーキのせいじゃない! だからね! その……わたしの返事は……はい。わたしをあなたの家族にしてください。ずっとわたしの側にいてください……!」
 ああ。その言葉を待っていた。ずっと夢見ていた。レーキはラエティアを見上げ、ラエティアはレーキを見つめ、それから二人はおずおずと口づけを交わす。
「……ありがとう。ラエティア」
「うん。ありがとう、レーキ」
 この村で初めて二人が出会ってから、はや十年近く。孤児であった少年と賑やかな家庭で育った少女は、家族になった。
 冬の季節が終わり春の季節が巡って来るのを待って、レーキとラエティアは婚礼を上げた。
 レーキは天法士らしい黒いローブを、ラエティアはアラルガントの家伝統である、濃緑の婚礼衣装を着て、村の広場にある、青龍王の|廟《びよう》へと|詣《もう》でる。
 そこで誓いの言葉を捧げ、最後に口づけを交わし、二人は村長の家に向かった。
 村長の家では、すでに宴の準備が整っている。
 そこへ向かう道すがら、花婿、花嫁の姿を一目見ようと村人たちが二人を取り囲み、なかでも女性たちは森で摘んだ春の花を雨のように降らせて、二人の前途を祝福してくれる。
 森の村にとって、二人の結婚は大きな喜びであると同時に、春を祝う祭りであった。
 今日、ラエティアのはにかんだ表情は、ヴェールに隠れてなかなか見えない。それでも彼女の横顔はとても美しかった。
 隣を歩くレーキは緊張に身を固くしながら、ラエティアをエスコートする。
 その後ろを、青いドレスを着せられたカァラが解っているのかいないのか、楽しそうについて来た。
 冬の間、ラエティアは1日置きに師匠の──今はレーキのモノになった家にやってきてくれた。なにかれとレーキたちの世話を焼いて、たまには泊まっていくこともあった。
 カァラはラエティアの焼くパンの|虜《とりこ》になり、ラエティアもカァラを可愛がった。
 アラルガントの一家はレーキとラエティアの結婚を喜んでくれた。
 特にラエティアの母親、ラセット夫人は「お式はグラナート風とアスール風、どちらがいいかしら?」などと腕まくりして準備をすすめる。
 レーキには、グラナート風の婚礼はよく解らない。義理の母になるラセット夫人にそう告げると、夫人は「それならアスール風ね! うふふ! もう何年も前からティアのための婚礼衣装を用意してたのよー」と、クローゼットの中から|刺繍《ししゆう》も見事な濃緑のドレスを取り出してきた。
「……素晴らしいドレスですね」
 女性の衣類にうといレーキにも、それが手の込んだ刺繍だと言うことは解った。たった一人の娘のために、ラセット夫人は腕によりをかけたのだ。
「でしょ? うふふ! レーキくんはねー天法士さまなんだから、ローブを持っているでしょ? 今から春までにそれに刺繍してあげる。このドレスと並んでも見劣りしないようにね!」
「ありがとうございます!」
 レーキは正装用のローブをラセット夫人に託した。ラセット夫人はとっておきの刺繍糸を大盤振る舞いして、レーキの黒いローブを美しく飾ってくれた。
 ちなみにカァラ用の青いドレスは、ラセット夫人とラエティアの合作だ。
 ラグエスも始めは「こぶ付き」だの「待たせ過ぎなんだよ」だのとぶつくさ文句を言っていたが、しあわせそうな姉を見ているとどうにも心が揺らいだようだ。結局は祝福してくれる。
 父親であるシャモア氏と次男のランズは、元より結婚に賛成で、レーキとラエティアのために新しいベッドを作ってくれた。
 自分の家庭を持って独立している、長男ラヴェルは可愛い妹のために|雌《めす》の子山羊を一頭贈ってくれた。
 村人たちからの贈り物の品々で、新生活の準備は次第に整って行く。
 婚礼の宴は、村長の長く退屈な挨拶から始まった。
 宴を村長宅で行うのは、アラルガント家もレーキの家も、これだけの人数を収容しきれる広さが無いからだ。
 乾杯の合図を待ちわびていた人々は大いに飲み、振る舞われる料理を味わう。評判の料理上手たちが、その腕をふるった品の数々は瞬く間に人々の胃袋に収まっていく。
 レーキとラエティアは村人たちの祝福を次々と受け、その全てに丁重に礼を返す。
 ラセット夫人の祝い料理を、じっくり味わう暇もない。
 やがて、宴もたけなわ。人々は婚礼のための歌を合唱し、新郎と新婦は揃って新居へと向かう。今日だけは二人の邪魔をせぬようにと、カァラはアラルガント家に預けられた。
 ラセット夫人にも懐いているカァラに不満は無いようだったが、「けっこんって、なに? ふうふって?」と夫人を質問責めにして、だいぶ困らせたようだ。
 レーキとラエティアは、家への道をゆっくりと二人で歩む。
 森の中の、通い慣れた道。遠く木立の間に見える西の空は、赤とも紫ともつかない素晴らしい夕焼けの名残が微かに。
 夕闇が迫る道をレーキの『光球』が照らす。美しい花嫁が、転んでしまわないように。
 ラエティアはまだヴェールを垂らしたまま、レーキと並んでいる。レーキはラエティアと手をつなぐ。黙って一緒にいることが、とても自然で。ラエティアの温かな手のひらは、とても心地よかった。
 家に、今日から二人とカァラの家になるこの家に、帰ってきた。
 レーキはろうそくに明かりを灯し、ラエティアを家に迎え入れる。
 そこで、ようやくヴェールを跳ね上げて、慣れない化粧を|施《ほどこ》したラエティアの顔を見た。
 揺らめくろうそくの明かりで見るラエティアは、かつて無いほど美しかった。
「……ラエティア、おかえり」
「うん。ただいま。レーキ。……あの、あのね、レーキ。ティア、って呼んで? 家族、は、みんな、そう呼ぶから……」
「うん。解った。……おかえり、ティア」
「うん。ただいま。レーキ」
 ぎこちなく、二人は幾度も交わしたはずの挨拶をする。
 改めて見つめ合うと、気恥ずかしくて、くすぐったくて、二人は押し黙った。
「あのな……」
「あのね!」
 同じタイミングで、二人は口を開く。レーキが黙っていると、ラエティアが遠慮がちに呟いた。
「……あのね、わたし、尻尾が、あるの……」
「うん。知ってる。夏になるとスカートからはみだす、から……」
「う、うん。……それから、ね、肩にね、黒子が二つ並んでるの……」
「……それは、知らなかった。普段、肩は出さないもんな……」
 二人で、こんなに近くにいると。暴れ出す、互いの鼓動が聞こえてしまいそうな気がする。
「あのね、あの……レーキの秘密も、教えて?」
「え、とその……俺、俺の、秘密?」
「うん。どんなことでも良い。レーキしか、知らない秘密……」
 そう言ってレーキを見上げる、ラエティアの金色の|眸《ひとみ》は少し潤んでいる。
「俺、は……足の小指の形がちょっと変わってる。それから、へその脇に大きめの黒子が、ある……」
 二人とも真っ赤になって、他愛のない、他人が聴けば笑い飛ばすような秘密を共有する。
 それが、二人がその夜初めてした、秘密の儀式だった。