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第80話 家路を急ぐ

ー/ー



『学究の館』にいる人々に、別れの挨拶をする。
 天法院の人々、クランとオウロ、ネリネたち……みなレーキとの別れを惜しみ、再会を約束してくれる。
 それが済んで、レーキはカァラと共にヴァローナを旅立った。
 カァラを連れているために、徒歩での旅は難しい。街道を走る乗合馬車を利用して、約一ヶ月の旅路。
 五年前、『学究の館』に向かったのと同じ道を今度はアスールの村に戻るために辿(たど)る。
 季節はすでに冬。屋根や壁のある馬車での旅はありがたかった。
『学究の館』を出て一週間。街道に雪が降った。
 雪を見たことのないカァラは、くるくると回りながら、空から落ちてくる白くて冷たい氷を捕まえようと必死になっている。
 さいわい、街道が通行止めになるほどの量は積もらなかった。
 レーキとカァラは、東へ東へと旅を続ける。
 ヴァローナとアスールの境の街まで、何事もなくたどり着いた。この街にはヴァローナとアスールの関門が設けられている。
 ここを初めて通った時は、森の村の村長が書いてくれた身分証明書が役に立った。今回は王珠と『旅人のためのギルド』の身分証明書がある。
 関門の役人は、レーキの王珠(おうじゆ)とカァラを見比べた。

「天法士様でいらっしゃいますか? その王珠を少しお貸し願えますか?」

 本物の王珠は、持ち主と持ち主が許可した者以外が手にしても光る事はない。
 関門の役人はそれを知っていて、レーキから王珠を受け取る。役人の手の中で、王珠は光ることを止める。それをもって、レーキは本物の天法士だと認められた。
 小さな子供であるカァラはレーキの連れと言うことで、そのまま通された。
 さあ、ここから先はいよいよアスールだ。
 街道は青い道へと代わり、森の中を曲がりくねりながら続いていく。ここからは徒歩や野宿は危険だ。森の村に向かうために一週間、幹街道を森先案内と共に隊列の一員になって進む。ここまでずっと馬車の旅を続けてきたカァラは、アスールの森林に驚嘆している。

「木が……いっぱいある!! これぜんぶ木なの?!」
「ああ。これが森と言うんだ。これがアスール。森の国だ」
「国、いろいろある!」

 近頃のカァラは、笑ったり驚いたりと忙しい。溢れ出ようとしていた心を、せき止めていた何かが外れたのだろう。くるくると表情がよく動くようになった。

「あれ! あの木のとなりのはなに?」
「ん。あれは……兎か、レプスだろう」
「冬毛になってない所をみるとレプスだな」

 同じ馬車に乗っていた森先案内の獣人が、鼻をひくひくと動かしながら窓の外を見つめる。
 獣の特徴が濃い獣人の男は、警戒するように(ひとみ)をすがめた。

「危険はないのか?」
「奴らは群れなければ隊列を襲ってはこねえんだ。あの数なら問題ない」

 森先案内がそう言うのならば、大きな脅威では無いのだろう。
 安堵したレーキの隣で、カァラは無邪気に訊ねた。

「レーキ、レーキ! レプスってなに?」
「魔獣だ。小さくて兎に似ている。ただ牙も爪も鋭くてヒトを襲う」
「レプスはこわい?」
「ああ。小さな子供一人で太刀打ちできる魔獣じゃない」
「レプスはこわい、こわい……」

 (おび)えるように眉を寄せて、カァラは復唱する。

「お前がもう少し大きくなったら、兎やレプスの狩り方を教えよう。この辺りで暮らすならその位は覚えた方がいい」

 山葡萄の見つけ方、子山羊の抱き方、魚の釣り方……師匠が自分に教えてくれたことの全てをこの子に教えよう。あの懐かしい師匠の家で。

「レーキとカァラは森の中でくらす?」
「ああ、そうだ。俺たちはこの国で暮らす。森の中にある村の外れに俺の師匠が(のこ)してくれた家がある。そこで暮らそう」
「ししょー?」
「師匠は俺を助けてくれた、とてもえらい天法士の女性だ。今はもう……死んでしまった」
「ししょーは死んだ……レーキは悲しい?」

 師匠の死を(いた)むレーキの悲痛な表情を(のぞ)き込んで、カァラは悲しげに眉を寄せた。

「……ああ。今思い出してもまだ悲しい」
「あのね、きっと、ししょーも死の王さまの国でしあわせ。カァラのおかあさんといっしょ」

 そう言ってカァラはそっと微笑み、不意にレーキの頭を撫でてくれる。

「カァラ……ありがとう。そうだな。お母さんも師匠も今はきっとしあわせだ」

 馬車の座席に膝立ちになっていたカァラを、レーキは自分の膝の上に乗せた。
 それだけでカァラはご機嫌になって、にこにこと笑みを浮かべた。



 森の中を行く旅が一週間続いた。初めは物珍しがってあれこれとレーキを質問責めにしていたカァラも、青い道の旅が終わる頃にはすっかり退屈していた。
 そんなカァラに、森の村についたら会わせたいヒトがいるとレーキは告げる。

「それはだれ?」
「……ラエティアと言う、獣人の女の子……いや、女性だ」
「ラエティア?」
「とても優しくて、パンを焼くのが上手くて、俺のために文字を覚えて手紙をくれて、金色の眼がとても綺麗で……その、とにかく、とても大切で素晴らしい女性なんだ」
「うん。カァラもラエティアにあいたい。パン食べたい」
「……お前はまず、食べ物のことだな……」

 いきなりこんな小さな子供を連れて帰ったら、ラエティアはどんな顔をするだろう。
 まず驚くことは間違いないだろうが。少し不安だ。



 隊列は魔獣に襲われる事もなく、無事に幹街道沿いで一番、森の村に近い街についた。ここからは乗合馬車で二日、カァラを抱えて半日とちょっと。
 その、あと少しの道行きがとてつもなく遠い様な気がする。
 レーキは(はや)る気持ちを抑えて、森の中の細く青い道を村へ向かっていく。
 木々の梢が重なり、黒い影となった森に陽が沈みかける。ようやく森の村が見えてきた。
 村にたどり着いたのはちょうど夕食時。青い石を敷き詰めた村の広場には、まだ人気も火の気もある。
 森の村の周りには新しい雪が積もっていたが、広場は綺麗に雪をかいて集めてあった。誰が作ったのかは解らないが、おどけた顔した雪像が二体並んで立っている。
 村で唯一の酒場兼宿屋だけは皓々(こうこう)と明かりを灯し、広場に面した店々の多くは、そろそろ営業を終えようとして片付けに入っていた。
 レーキはカァラを抱き上げるのを止めて、彼女の手を引いた。彼らが二人で広場に入っていくと、見知った顔の肉屋の女将(おかみ)さんが、眼を見張りながら駆け寄ってきた。

「……レーキ! あんた! レーキじゃないか!!」
「はい。肉屋のおばさん、ただいまかえりま……」
「なんだって?!」
「レーキ? いつ帰ってきたの?!」
「レーキ! お帰り!」
「その子は誰なの? もしかしてあなたの子?」
「おおーい! 誰かラエティアちゃん呼んでこい!」

 そう大きくはない広場は、たちまち蜂の巣をつついたような大騒ぎになった。
 レーキを取り囲んで喜ぶもの叫ぶもの、涙ぐむもの、質問を次々と投げかけるもの……五年前にレーキが出発した朝と同じように騒がしく、森の村の人々はレーキの帰還を喜んでくれた。
 嬉しい。一人ひとりにただいまと言いたい。レーキは揉みくちゃにされながら、広場の真ん中に連れていかれた。
 すると、そこには息を弾ませてようやく広場にたどり着いたラエティアが待っていた。
 村人たちは二人を取り囲んで、一瞬静まり返る。
 レーキより一つ年下のラエティアは今年、二十一歳。蕾だった花は可憐に花開いて、肩まで長く伸ばした栗色の髪、今にも泣き出しそうに潤んだ金色の眸、薔薇色の頬も。記憶の中にあるよりも、黄昏時の光に浮かぶラエティアはずっと美しかった。

「……レーキ」

 ラエティアが、安堵と戸惑いの吐息と共に呟く。

「ただいま。ラエティア……!」

 その言葉が合図で有ったように。ラエティアはレーキの胸目掛けて飛びこんでいく。
 二人とも、ここが村の広場であることを忘れたようにしっかりと抱き合って、お互いの空白を埋めるように感触を確かめ合う。
 村人たちの間から歓声が上がった。

「レーキ! レーキ! なんで手紙くれなかったの! わたし、ずっと心配だったんだから!」
「ごめん、ラエティア。手紙が出せない場所にいた。……心配かけてごめん!」

 ラエティアは泣きながら、レーキの肩に何度も拳をあてる。そんな仕草すら愛おしい。
 初めてこんなに近く抱きしめたラエティアは、温かくて、優しくて、柔らかくて。焼きたてのパンの良い匂いがした。

「もう、どこにも行かないで! 行くならわたしも一緒に連れてって! もう心配しながら待っているのは……いや……」

 レーキの胸に顔を埋めて、ラエティアはしゃくりあげながら泣いている。
 そんな彼女の肩を抱きしめて、レーキは何度も「うん。うん……」と頷いた。
 天法院にいた時も、ポーターとして働いていた時も、『呪われた島』の上でも。
 レーキが一番会いたいと願っていたのは、ラエティアだった。その思いはこうして本人を目の前にして確信に変わった。ラエティアが愛しい。ただただ愛しい。

「……俺はやっぱり君が好きだ。君がしあわせになってくれることが、俺のしあわせだ」
「……!!」

 レーキの一言で、ラエティアは頬を赤く染めた。柔らかな毛で覆われている獣の耳が恥ずかしさに、すっかり垂れてしまっている。

「……うん。わたしも……ずっと、ずっと、レーキのことが好き……! で、でも、こんな所で、そんなにはっきり、その……言わないで……!」

 顔を真っ赤にしたラエティアがうつむくと、外野の村人たちは一斉に二人をはやし立て祝福する。
 その声で我に返ったレーキの顔も、すぐに耳まで赤くなった。

「……えと、あー。その、師匠……師匠の家はど、どうなってるんだ?」
「あ、うん……そのう……マーロン様のお家は変わりないよ。その、わたしが時々空気を入れ換えたりしてる、から……」

 話題をそらすように、レーキとラエティアは一度身を離した。野次馬たちからは失望の声が上がったが、レーキもラエティアも元々人前で愛を語り合うような性格ではないのだ。

「……出来れば今夜から師匠の家で暮らしたい。それと、君に会わせたい子がいる」

 歓迎騒ぎに紛れて、肉屋の女将さんに抱き上げられていたカァラに、ラエティアを引き合わせる。ラエティアはカァラの羽を見て、驚きを通り越して絶望の表情を浮かべた。

「グラナートでこの子を拾った。彼女はカァラ。孤児なんだ」
「……えっ、と、身寄りの無い子供を、拾った……?」

 紙のように白くなりかけていたラエティアの顔色が、どうにか戻ってくる。

「ああ。グラナートでは、身寄りの無い黒い羽の子供が生きていくのは難しいんだ。だから、誰か良い人に里親になって貰うつもりで連れてきたんだが……懐かれてしまって」
「……懐かれて、しまって」

 ラエティアはレーキとカァラの顔を交互にみつめる。二人の共通点が黒い羽しかないことをはっきり確かめるように。

「カァラ、彼女がラエティアだ。馬車の中で話しただろう?」
「ラエティア! パンくれる! レーキのたいせつなひと! カァラはただのカァラだよ!」
「え、と、その……パン? あ、……大切な人……その……うん。わたしはラエティア・アラルガントだよ、カァラちゃん!」

 ラエティアは何かを吹っ切ったように、明るく笑った。

「あ、こら! パンくれる、じゃないだろ! ごめん。ラエティアがパン作りが得意だって話したらこの有様で……」
「ううん。今でもパン作り得意だよ! わたし今ね、パン屋さんで働いてるの。カァラちゃんはお腹空いてるのかな? 残り物のパンで良ければ、直ぐ用意出来るよ?」
「パン食べたい! ラエティア優しい!」
「解った! ちょっとまっててね!」

 ラエティアは、ばたばたとパン屋の方へ駆けていく。野次馬たちは山場が終わってしまったとばかりに騒がしくなった。

「なあ、みんな! レーキもカァラちゃん、っていったけ? この子も長旅で疲れてるだろうから、今日はお開きにして土産話は後で聞かせて貰おうじゃないか!」

 肉屋の女将さんは売り口上で(きた)えた喉で、野次馬たちみんなに聞こえるように、そう告げた。野次馬をしていた村人たちは三々五々散っていく。今は夕食時で、村人たちが家に帰れば温かな夕食が待っている。

「……お待たせ!」

 パン屋から駆けてきたラエティアが、アスール風の堅めのパンに塩漬け肉を挟んだモノをカァラに手渡した。
 カァラは躊躇(ためら)いもなくかぶりつき、満足そうに唇の端についた欠片を舌で舐めとった。

「ふふっ。お腹空いてたんだね、カァラちゃん」
「……ふごふ、ふいふた。むぐっ」
「こら、モノを食べながら話さない」

 三人、広場に残されたレーキとラエティア、それにカァラ。レーキとラエティアは顔を見合わせて、同時に破顔した。

「……お帰りなさい」
「ただいま」


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 関門の役人はそれを知っていて、レーキから王珠を受け取る。役人の手の中で、王珠は光ることを止める。それをもって、レーキは本物の天法士だと認められた。
 小さな子供であるカァラはレーキの連れと言うことで、そのまま通された。
 さあ、ここから先はいよいよアスールだ。
 街道は青い道へと代わり、森の中を曲がりくねりながら続いていく。ここからは徒歩や野宿は危険だ。森の村に向かうために一週間、幹街道を森先案内と共に隊列の一員になって進む。ここまでずっと馬車の旅を続けてきたカァラは、アスールの森林に驚嘆している。
「木が……いっぱいある!! これぜんぶ木なの?!」
「ああ。これが森と言うんだ。これがアスール。森の国だ」
「国、いろいろある!」
 近頃のカァラは、笑ったり驚いたりと忙しい。溢れ出ようとしていた心を、せき止めていた何かが外れたのだろう。くるくると表情がよく動くようになった。
「あれ! あの木のとなりのはなに?」
「ん。あれは……兎か、レプスだろう」
「冬毛になってない所をみるとレプスだな」
 同じ馬車に乗っていた森先案内の獣人が、鼻をひくひくと動かしながら窓の外を見つめる。
 獣の特徴が濃い獣人の男は、警戒するように|眸《ひとみ》をすがめた。
「危険はないのか?」
「奴らは群れなければ隊列を襲ってはこねえんだ。あの数なら問題ない」
 森先案内がそう言うのならば、大きな脅威では無いのだろう。
 安堵したレーキの隣で、カァラは無邪気に訊ねた。
「レーキ、レーキ! レプスってなに?」
「魔獣だ。小さくて兎に似ている。ただ牙も爪も鋭くてヒトを襲う」
「レプスはこわい?」
「ああ。小さな子供一人で太刀打ちできる魔獣じゃない」
「レプスはこわい、こわい……」
 |怯《おび》えるように眉を寄せて、カァラは復唱する。
「お前がもう少し大きくなったら、兎やレプスの狩り方を教えよう。この辺りで暮らすならその位は覚えた方がいい」
 山葡萄の見つけ方、子山羊の抱き方、魚の釣り方……師匠が自分に教えてくれたことの全てをこの子に教えよう。あの懐かしい師匠の家で。
「レーキとカァラは森の中でくらす?」
「ああ、そうだ。俺たちはこの国で暮らす。森の中にある村の外れに俺の師匠が|遺《のこ》してくれた家がある。そこで暮らそう」
「ししょー?」
「師匠は俺を助けてくれた、とてもえらい天法士の女性だ。今はもう……死んでしまった」
「ししょーは死んだ……レーキは悲しい?」
 師匠の死を|悼《いた》むレーキの悲痛な表情を|覗《のぞ》き込んで、カァラは悲しげに眉を寄せた。
「……ああ。今思い出してもまだ悲しい」
「あのね、きっと、ししょーも死の王さまの国でしあわせ。カァラのおかあさんといっしょ」
 そう言ってカァラはそっと微笑み、不意にレーキの頭を撫でてくれる。
「カァラ……ありがとう。そうだな。お母さんも師匠も今はきっとしあわせだ」
 馬車の座席に膝立ちになっていたカァラを、レーキは自分の膝の上に乗せた。
 それだけでカァラはご機嫌になって、にこにこと笑みを浮かべた。
 森の中を行く旅が一週間続いた。初めは物珍しがってあれこれとレーキを質問責めにしていたカァラも、青い道の旅が終わる頃にはすっかり退屈していた。
 そんなカァラに、森の村についたら会わせたいヒトがいるとレーキは告げる。
「それはだれ?」
「……ラエティアと言う、獣人の女の子……いや、女性だ」
「ラエティア?」
「とても優しくて、パンを焼くのが上手くて、俺のために文字を覚えて手紙をくれて、金色の眼がとても綺麗で……その、とにかく、とても大切で素晴らしい女性なんだ」
「うん。カァラもラエティアにあいたい。パン食べたい」
「……お前はまず、食べ物のことだな……」
 いきなりこんな小さな子供を連れて帰ったら、ラエティアはどんな顔をするだろう。
 まず驚くことは間違いないだろうが。少し不安だ。
 隊列は魔獣に襲われる事もなく、無事に幹街道沿いで一番、森の村に近い街についた。ここからは乗合馬車で二日、カァラを抱えて半日とちょっと。
 その、あと少しの道行きがとてつもなく遠い様な気がする。
 レーキは|逸《はや》る気持ちを抑えて、森の中の細く青い道を村へ向かっていく。
 木々の梢が重なり、黒い影となった森に陽が沈みかける。ようやく森の村が見えてきた。
 村にたどり着いたのはちょうど夕食時。青い石を敷き詰めた村の広場には、まだ人気も火の気もある。
 森の村の周りには新しい雪が積もっていたが、広場は綺麗に雪をかいて集めてあった。誰が作ったのかは解らないが、おどけた顔した雪像が二体並んで立っている。
 村で唯一の酒場兼宿屋だけは|皓々《こうこう》と明かりを灯し、広場に面した店々の多くは、そろそろ営業を終えようとして片付けに入っていた。
 レーキはカァラを抱き上げるのを止めて、彼女の手を引いた。彼らが二人で広場に入っていくと、見知った顔の肉屋の|女将《おかみ》さんが、眼を見張りながら駆け寄ってきた。
「……レーキ! あんた! レーキじゃないか!!」
「はい。肉屋のおばさん、ただいまかえりま……」
「なんだって?!」
「レーキ? いつ帰ってきたの?!」
「レーキ! お帰り!」
「その子は誰なの? もしかしてあなたの子?」
「おおーい! 誰かラエティアちゃん呼んでこい!」
 そう大きくはない広場は、たちまち蜂の巣をつついたような大騒ぎになった。
 レーキを取り囲んで喜ぶもの叫ぶもの、涙ぐむもの、質問を次々と投げかけるもの……五年前にレーキが出発した朝と同じように騒がしく、森の村の人々はレーキの帰還を喜んでくれた。
 嬉しい。一人ひとりにただいまと言いたい。レーキは揉みくちゃにされながら、広場の真ん中に連れていかれた。
 すると、そこには息を弾ませてようやく広場にたどり着いたラエティアが待っていた。
 村人たちは二人を取り囲んで、一瞬静まり返る。
 レーキより一つ年下のラエティアは今年、二十一歳。蕾だった花は可憐に花開いて、肩まで長く伸ばした栗色の髪、今にも泣き出しそうに潤んだ金色の眸、薔薇色の頬も。記憶の中にあるよりも、黄昏時の光に浮かぶラエティアはずっと美しかった。
「……レーキ」
 ラエティアが、安堵と戸惑いの吐息と共に呟く。
「ただいま。ラエティア……!」
 その言葉が合図で有ったように。ラエティアはレーキの胸目掛けて飛びこんでいく。
 二人とも、ここが村の広場であることを忘れたようにしっかりと抱き合って、お互いの空白を埋めるように感触を確かめ合う。
 村人たちの間から歓声が上がった。
「レーキ! レーキ! なんで手紙くれなかったの! わたし、ずっと心配だったんだから!」
「ごめん、ラエティア。手紙が出せない場所にいた。……心配かけてごめん!」
 ラエティアは泣きながら、レーキの肩に何度も拳をあてる。そんな仕草すら愛おしい。
 初めてこんなに近く抱きしめたラエティアは、温かくて、優しくて、柔らかくて。焼きたてのパンの良い匂いがした。
「もう、どこにも行かないで! 行くならわたしも一緒に連れてって! もう心配しながら待っているのは……いや……」
 レーキの胸に顔を埋めて、ラエティアはしゃくりあげながら泣いている。
 そんな彼女の肩を抱きしめて、レーキは何度も「うん。うん……」と頷いた。
 天法院にいた時も、ポーターとして働いていた時も、『呪われた島』の上でも。
 レーキが一番会いたいと願っていたのは、ラエティアだった。その思いはこうして本人を目の前にして確信に変わった。ラエティアが愛しい。ただただ愛しい。
「……俺はやっぱり君が好きだ。君がしあわせになってくれることが、俺のしあわせだ」
「……!!」
 レーキの一言で、ラエティアは頬を赤く染めた。柔らかな毛で覆われている獣の耳が恥ずかしさに、すっかり垂れてしまっている。
「……うん。わたしも……ずっと、ずっと、レーキのことが好き……! で、でも、こんな所で、そんなにはっきり、その……言わないで……!」
 顔を真っ赤にしたラエティアがうつむくと、外野の村人たちは一斉に二人をはやし立て祝福する。
 その声で我に返ったレーキの顔も、すぐに耳まで赤くなった。
「……えと、あー。その、師匠……師匠の家はど、どうなってるんだ?」
「あ、うん……そのう……マーロン様のお家は変わりないよ。その、わたしが時々空気を入れ換えたりしてる、から……」
 話題をそらすように、レーキとラエティアは一度身を離した。野次馬たちからは失望の声が上がったが、レーキもラエティアも元々人前で愛を語り合うような性格ではないのだ。
「……出来れば今夜から師匠の家で暮らしたい。それと、君に会わせたい子がいる」
 歓迎騒ぎに紛れて、肉屋の女将さんに抱き上げられていたカァラに、ラエティアを引き合わせる。ラエティアはカァラの羽を見て、驚きを通り越して絶望の表情を浮かべた。
「グラナートでこの子を拾った。彼女はカァラ。孤児なんだ」
「……えっ、と、身寄りの無い子供を、拾った……?」
 紙のように白くなりかけていたラエティアの顔色が、どうにか戻ってくる。
「ああ。グラナートでは、身寄りの無い黒い羽の子供が生きていくのは難しいんだ。だから、誰か良い人に里親になって貰うつもりで連れてきたんだが……懐かれてしまって」
「……懐かれて、しまって」
 ラエティアはレーキとカァラの顔を交互にみつめる。二人の共通点が黒い羽しかないことをはっきり確かめるように。
「カァラ、彼女がラエティアだ。馬車の中で話しただろう?」
「ラエティア! パンくれる! レーキのたいせつなひと! カァラはただのカァラだよ!」
「え、と、その……パン? あ、……大切な人……その……うん。わたしはラエティア・アラルガントだよ、カァラちゃん!」
 ラエティアは何かを吹っ切ったように、明るく笑った。
「あ、こら! パンくれる、じゃないだろ! ごめん。ラエティアがパン作りが得意だって話したらこの有様で……」
「ううん。今でもパン作り得意だよ! わたし今ね、パン屋さんで働いてるの。カァラちゃんはお腹空いてるのかな? 残り物のパンで良ければ、直ぐ用意出来るよ?」
「パン食べたい! ラエティア優しい!」
「解った! ちょっとまっててね!」
 ラエティアは、ばたばたとパン屋の方へ駆けていく。野次馬たちは山場が終わってしまったとばかりに騒がしくなった。
「なあ、みんな! レーキもカァラちゃん、っていったけ? この子も長旅で疲れてるだろうから、今日はお開きにして土産話は後で聞かせて貰おうじゃないか!」
 肉屋の女将さんは売り口上で|鍛《きた》えた喉で、野次馬たちみんなに聞こえるように、そう告げた。野次馬をしていた村人たちは三々五々散っていく。今は夕食時で、村人たちが家に帰れば温かな夕食が待っている。
「……お待たせ!」
 パン屋から駆けてきたラエティアが、アスール風の堅めのパンに塩漬け肉を挟んだモノをカァラに手渡した。
 カァラは|躊躇《ためら》いもなくかぶりつき、満足そうに唇の端についた欠片を舌で舐めとった。
「ふふっ。お腹空いてたんだね、カァラちゃん」
「……ふごふ、ふいふた。むぐっ」
「こら、モノを食べながら話さない」
 三人、広場に残されたレーキとラエティア、それにカァラ。レーキとラエティアは顔を見合わせて、同時に破顔した。
「……お帰りなさい」
「ただいま」