第9話:深海へのダイブ、潜航開始!

ー/ー



 中立地帯の片隅、厚い雲と荒波に閉ざされた海岸線。
 万能魔導装甲車『デリシャス・ワゴナー号』の車内には、かつてないほど世俗的で重苦しい空気が漂っていた。

「――ねえ、カイ。ちょっと前から思ってたんだけど、いいかしら」

 運転席で、ピノが家計簿代わりのホログラムを消し、冷めた目でカイを振り返った。

「この依頼、金貨五百枚(一千万相当)の価値があるのは認めるわ。でも、これだけ帝国の精鋭に追われて、燃費の悪いワゴナー号を四時中走らせて、挙句の果てに目的地が未だに『不明』って……これ、完全に赤字じゃない? あたしの労働力、もっと高くつくわよ」
「否定はできないな。論理的に言えば、既に俺たちのリソースは限界に近い」

 カイは魔導タブレットに表示された、エルナを護衛していた騎士たちの遺品――断片的なメモを眺めていた。

「この数日で、メモにあった『聖域の候補地』を三箇所回ったが、どこも空振りだ。エルナ、お前、本当はどこへ行きたいんだ?」
「あうぅ……。騎士様たちはいつも『光の差す、魂の故郷へ』と言っていました。……でも、私が行く先々は、なぜかいつも行き止まりか崖の上なんです。天国が近すぎて、私の目には見えないのでしょうか……」

 エルナは申し訳なさそうに、成金貴族から掠め取った髪飾りをいじりながら俯いた。

「そりゃお前が超弩級の方向音痴だからだ。……ピノ、陸路はもう限界だ。帝国の海軍まで動員し始めたらしい。潜るぞ」
「冗談じゃないわよ! あれはまだテスト段階なのよ!? でも、やるしかないわね。目的地は海底数千メートル、古代都市『ルルイ・ドーム』。あそこなら帝国の探信儀(ソナー)も届かない」

 ピノがスイッチを入れると、ワゴナー号は流線形へと変形し、一行を乗せたまま漆黒の海へとダイブした。


 水深が深まるにつれ、厚い装甲板がミシリ、ミシリと不穏な音を立てる。狭い車内は、四人の大人が身を寄せ合う「究極の密室」と化していた。

「は、はわわわ……! カイ様、なんだかミシッ、ゴゴゴって言いました! 怖いです、船が潰れて、お魚さんのお腹の中で天国に行っちゃいます! うひゃう!」

 パニックに陥ったエルナが、変な声を出しながらカイの右腕をがっしりと抱え込んだ。

「……リゼ、それを一般的には『蒸し焼き』と呼ぶ。俺たちが干物になる前に、大人しく座ってろ」

「……ううう。でも、エルナ様、大変失礼ですが、その場所は私の『定期メンテナンス・ポジション』です。ご主人様の腕を抱きしめて良いのは私だけと論理的に規定されています」

 リゼが静かに、しかし確実な力でカイの左側に滑り込み、肩と太ももをぴったりと押し当てた。その瞳は赤く発光し、嫉妬と水圧による負荷で回路がパチパチと音を立てる。

「ご主人様。私がこのように肉壁となります。さあ、もっと深く私にダイブしてくださいませ」
「……リゼ、熱い。エルナ、腕を離せ。……あとピノ、こいつらをどうにかしろ」
「あたしに振らないでよ! 操縦だけで手一杯なの! 暑苦しいのよ、バカ!」

 ピノが顔を真っ赤にして叫び、最強設定にした換気扇が回る中、探信儀(ソナー)に鋭い警告音が響いた。

「――敵だ。十二の反応。魚雷型潜水艇による包囲網だ」



 窓の外、闇を切り裂くサーチライト。海軍特殊部隊のリリ・アクアが、ワゴナー号を葬り去るべく急速接近してくる。

「リゼ、接続しろ! ピノ、機動制御! ……エルナ、お前は静かにしてろ!」
「は、はいっ! 静かに……はわわ! うひゃう、ミサイルが来ました! ど、ど、どこに逃げれば天国ですか!? うひゃあああああ!」

 エルナが跳ねるたびに、車内の香辛料の香りが爆発的に拡散し、探信儀のノイズと混ざり合ってカイの分析を妨害する。

「うるさい! エルナ、分析の邪魔だ、少し黙って――」
「はわわっ、ひゃうううっ……ぷ、ぷしゅうぅぅぅ……」

 限界までオーバーヒートしたエルナの頭から白い煙(魔力蒸気)が立ち上り、彼女はそのままカイの肩にもたれかかるようにして気絶した。

「……。……静かになったな」
「ええ。センサーのノイズが劇的に減少しましたわ。ようやく『お掃除』に集中できます」
「やっと快適になったわね! カイ、指示を出しなさい!」

 エルナの気絶による突然の静寂。カイの『論理眼』が、極限まで澄み渡った思考回路を走らせる。

「ピノ、左舷バラストを急パージ。船体を45度傾けろ。リゼ、その傾きを利用して粒子砲を三連射。狙うのは敵機じゃない。海底に堆積した『メタンハイドレート』の層だ!」
「了解です、ご主人様! 汚れ一つ残さず、ボイルして差し上げますわ!」

 リゼが放った閃光が海底を撃ち抜くと、巨大な気泡の壁が爆発的に発生した。水圧の急激な変化に、魚雷型潜水艇たちは姿勢制御を失い、互いに激突して爆散していく。

「トドメよ! リゼ、隠し腕(マニピュレーター)を展開! 回り込んだ残存機を叩き斬りなさい!」
「承知いたしましたピノ様! ……『本物のメイドによる、慈悲なき三枚おろし』!!」

 ワゴナー号から展開された巨大な魔導剣が、泡の霧の中から現れたリリ・アクアを精密に両断した。

「……ふう。お掃除、完了ですわ。静かな戦場というのは、やはりエレガントですわね」

 戦闘が終わり、再び静寂が戻ってきた。気絶したままのエルナからは、甘いシナモンの香りが微かに漂っている。カイは溜息をつきながら、揺れる車内の狭いキッチンへ向かった。

「……起きたら食わせる。ピノ、匂いがこもるのは我慢しろ」

 カイが手早く仕上げたのは、保存食の干物と深海魚の卵をふんだんに使った一皿だ。

「ちょっと! 潜水艇で干物を焼くなんて、やっぱり正気の沙汰じゃないわよ! 換気扇が悲鳴を上げてるわ!」

 ピノは叫びながらも、立ち上る香ばしい匂いに喉を鳴らした。

「……あ、あう。……天国の、いい匂いがします……」

 オムライスの匂いで目を覚ましたエルナが、寝ぼけ眼でカイの手元を見つめる。

「お待たせ。……深海流・旨味凝縮オムライスだ。食ったら大人しく寝てろ」
「はわわ、美味しいです……! 干物の塩気が、まるで海の底で太陽に出会ったみたい……!」
「お姉様からも、あーんですわ、エルナ。……さあピノ様、文句を言ってないで食べなさい。ご主人様の料理の前では、貴女のメカニック的な理屈も無力ですわよ」
「……わかってるわよ! 食べるわよ! っ、……おいしいじゃない、クソ!」

 ワゴナー号は、オムライスの濃厚な香りと、復活したエルナの「はわわ」を乗せて、海底都市ルルイ・ドームへと沈んでいく。

(第10話へ続く)




スタンプを贈って作者を応援しよう!

次のエピソードへ進む 第10話:海中追走劇とずぶ濡れの閣下


みんなのリアクション



おすすめ作品を読み込み中です…



 中立地帯の片隅、厚い雲と荒波に閉ざされた海岸線。
 万能魔導装甲車『デリシャス・ワゴナー号』の車内には、かつてないほど世俗的で重苦しい空気が漂っていた。
「――ねえ、カイ。ちょっと前から思ってたんだけど、いいかしら」
 運転席で、ピノが家計簿代わりのホログラムを消し、冷めた目でカイを振り返った。
「この依頼、金貨五百枚(一千万相当)の価値があるのは認めるわ。でも、これだけ帝国の精鋭に追われて、燃費の悪いワゴナー号を四時中走らせて、挙句の果てに目的地が未だに『不明』って……これ、完全に赤字じゃない? あたしの労働力、もっと高くつくわよ」
「否定はできないな。論理的に言えば、既に俺たちのリソースは限界に近い」
 カイは魔導タブレットに表示された、エルナを護衛していた騎士たちの遺品――断片的なメモを眺めていた。
「この数日で、メモにあった『聖域の候補地』を三箇所回ったが、どこも空振りだ。エルナ、お前、本当はどこへ行きたいんだ?」
「あうぅ……。騎士様たちはいつも『光の差す、魂の故郷へ』と言っていました。……でも、私が行く先々は、なぜかいつも行き止まりか崖の上なんです。天国が近すぎて、私の目には見えないのでしょうか……」
 エルナは申し訳なさそうに、成金貴族から掠め取った髪飾りをいじりながら俯いた。
「そりゃお前が超弩級の方向音痴だからだ。……ピノ、陸路はもう限界だ。帝国の海軍まで動員し始めたらしい。潜るぞ」
「冗談じゃないわよ! あれはまだテスト段階なのよ!? でも、やるしかないわね。目的地は海底数千メートル、古代都市『ルルイ・ドーム』。あそこなら帝国の探信儀(ソナー)も届かない」
 ピノがスイッチを入れると、ワゴナー号は流線形へと変形し、一行を乗せたまま漆黒の海へとダイブした。
 水深が深まるにつれ、厚い装甲板がミシリ、ミシリと不穏な音を立てる。狭い車内は、四人の大人が身を寄せ合う「究極の密室」と化していた。
「は、はわわわ……! カイ様、なんだかミシッ、ゴゴゴって言いました! 怖いです、船が潰れて、お魚さんのお腹の中で天国に行っちゃいます! うひゃう!」
 パニックに陥ったエルナが、変な声を出しながらカイの右腕をがっしりと抱え込んだ。
「……リゼ、それを一般的には『蒸し焼き』と呼ぶ。俺たちが干物になる前に、大人しく座ってろ」
「……ううう。でも、エルナ様、大変失礼ですが、その場所は私の『定期メンテナンス・ポジション』です。ご主人様の腕を抱きしめて良いのは私だけと論理的に規定されています」
 リゼが静かに、しかし確実な力でカイの左側に滑り込み、肩と太ももをぴったりと押し当てた。その瞳は赤く発光し、嫉妬と水圧による負荷で回路がパチパチと音を立てる。
「ご主人様。私がこのように肉壁となります。さあ、もっと深く私にダイブしてくださいませ」
「……リゼ、熱い。エルナ、腕を離せ。……あとピノ、こいつらをどうにかしろ」
「あたしに振らないでよ! 操縦だけで手一杯なの! 暑苦しいのよ、バカ!」
 ピノが顔を真っ赤にして叫び、最強設定にした換気扇が回る中、探信儀(ソナー)に鋭い警告音が響いた。
「――敵だ。十二の反応。魚雷型潜水艇による包囲網だ」
 窓の外、闇を切り裂くサーチライト。海軍特殊部隊のリリ・アクアが、ワゴナー号を葬り去るべく急速接近してくる。
「リゼ、接続しろ! ピノ、機動制御! ……エルナ、お前は静かにしてろ!」
「は、はいっ! 静かに……はわわ! うひゃう、ミサイルが来ました! ど、ど、どこに逃げれば天国ですか!? うひゃあああああ!」
 エルナが跳ねるたびに、車内の香辛料の香りが爆発的に拡散し、探信儀のノイズと混ざり合ってカイの分析を妨害する。
「うるさい! エルナ、分析の邪魔だ、少し黙って――」
「はわわっ、ひゃうううっ……ぷ、ぷしゅうぅぅぅ……」
 限界までオーバーヒートしたエルナの頭から白い煙(魔力蒸気)が立ち上り、彼女はそのままカイの肩にもたれかかるようにして気絶した。
「……。……静かになったな」
「ええ。センサーのノイズが劇的に減少しましたわ。ようやく『お掃除』に集中できます」
「やっと快適になったわね! カイ、指示を出しなさい!」
 エルナの気絶による突然の静寂。カイの『論理眼』が、極限まで澄み渡った思考回路を走らせる。
「ピノ、左舷バラストを急パージ。船体を45度傾けろ。リゼ、その傾きを利用して粒子砲を三連射。狙うのは敵機じゃない。海底に堆積した『メタンハイドレート』の層だ!」
「了解です、ご主人様! 汚れ一つ残さず、ボイルして差し上げますわ!」
 リゼが放った閃光が海底を撃ち抜くと、巨大な気泡の壁が爆発的に発生した。水圧の急激な変化に、魚雷型潜水艇たちは姿勢制御を失い、互いに激突して爆散していく。
「トドメよ! リゼ、隠し腕(マニピュレーター)を展開! 回り込んだ残存機を叩き斬りなさい!」
「承知いたしましたピノ様! ……『本物のメイドによる、慈悲なき三枚おろし』!!」
 ワゴナー号から展開された巨大な魔導剣が、泡の霧の中から現れたリリ・アクアを精密に両断した。
「……ふう。お掃除、完了ですわ。静かな戦場というのは、やはりエレガントですわね」
 戦闘が終わり、再び静寂が戻ってきた。気絶したままのエルナからは、甘いシナモンの香りが微かに漂っている。カイは溜息をつきながら、揺れる車内の狭いキッチンへ向かった。
「……起きたら食わせる。ピノ、匂いがこもるのは我慢しろ」
 カイが手早く仕上げたのは、保存食の干物と深海魚の卵をふんだんに使った一皿だ。
「ちょっと! 潜水艇で干物を焼くなんて、やっぱり正気の沙汰じゃないわよ! 換気扇が悲鳴を上げてるわ!」
 ピノは叫びながらも、立ち上る香ばしい匂いに喉を鳴らした。
「……あ、あう。……天国の、いい匂いがします……」
 オムライスの匂いで目を覚ましたエルナが、寝ぼけ眼でカイの手元を見つめる。
「お待たせ。……深海流・旨味凝縮オムライスだ。食ったら大人しく寝てろ」
「はわわ、美味しいです……! 干物の塩気が、まるで海の底で太陽に出会ったみたい……!」
「お姉様からも、あーんですわ、エルナ。……さあピノ様、文句を言ってないで食べなさい。ご主人様の料理の前では、貴女のメカニック的な理屈も無力ですわよ」
「……わかってるわよ! 食べるわよ! っ、……おいしいじゃない、クソ!」
 ワゴナー号は、オムライスの濃厚な香りと、復活したエルナの「はわわ」を乗せて、海底都市ルルイ・ドームへと沈んでいく。
(第10話へ続く)