芒野不思議相談所
ー/ー 狭い事務所にひとりの女性客。
彼女は、近くの大学に通う学生らしい。
さぞかし気合を入れてお洒落したのだろうと感じさせるような、華美な見た目だった。
そんな彼女と相対するのは、当事務所の所長であり、私の上司である芒野ヨウ子だ。
ふたりは事務所にふたつしかないソファにそれぞれ座って、会話に花を咲かせている。
座る場所をとられた私は、お茶を出すときに使ったお盆を手にしたまま、ふたりの様子を突っ立って見ている。
実に気に食わない。
「ていうか、芒野さんって本当にイケメンですよね!」
「こらこら。こんなおばさんを褒めそやして、一体どうするつもりなのかな」
――上司の面が良すぎて、気に食わない。
「いやいや、おばさんだなんて、そんな! それに、何か他意があるわけでは……」
「あはは、そうだね。ごめんごめん、ただの照れ隠しさ。君が本心からそう言ってくれたのはしっかり伝わっているよ」
そう言って、上司は悪戯な笑みを浮かべる。
ひゅっと息を飲む音が聞こえた。
見ると、顔を真っ赤にした少女が、なんとも表現しがたい、しかし確かに苦しそうな表情を浮かべていた。
(これは、惚れたな……)
私は彼女の心中を察すると同時に、彼女に対して哀れみに近い感情を抱いた。
あの微笑みを正面から受けたら誰だって正気ではいられなくなる。
さぞ苦しいことだろう。
ご愁傷様である。
ともかく、そんな可哀想な少女は俯き加減に、ぱくぱくと口を動かしながら必死に言葉を絞り出そうとしている。
その横顔は、窓から射す夕日にも負けぬほど真っ赤に染まっていた。
「あ……あのっ!」
少女は意を決したように口を開いた。
「そ、その……芒野さん、って……こ、恋人はいる――」
「お茶のおかわりはいかがですか?」
「へっ?!」
素っ頓狂な声が返ってきた。
私はお湯を入れた急須を示しながら、もう一度問いかける。
「お茶のおかわりはいかがですか?」
少女は思考が追いつかないのか、顔に三つの丸を作ったまま固まっていたが、やがて状況を理解したのだろう、耳まで真っ赤にした後「し、ししし失礼しますっ!」とひとこと残して、脱兎の如く事務所から出て行った。
階段を下る猛烈な足音が、物凄い勢いで遠ざかっていく。
「あれ、いっちゃった……」
所長は、開けっ放しにされたままの玄関扉を見つめて、唖然としている。
私はそれを見て、少し可哀想なことをしたと思った。
所長に対してではない。少女に対してだ。
今頃、恋路を邪魔されたことを恨んでいるかもしれない。
けれど、許してほしい。
これは私なりのちょっとした人助けなのだ。
「小毬君、さっきのはちょっと意地悪すぎないかな」
と、所長がソファから立ち上がって玄関の方へと歩きながら、私に苦言を呈する。
この際「意地悪なのは所長ですよ」と言ってやりたかったが、実際、私が意地悪なことをしたのは確かで、自覚もあった。
しかし、あくまでそれは少女を思ってのことだった。
なぜなら、この所長――芒野ヨウ子は、女性でありながら無自覚で女をたらし込む、生粋の女殺しなのだ。
この女に心を壊された女性は数知れず。廃人になった例も少なくない。
だから、そうなる前に所長から手を引かせるのが、助手を務める私の役目、というわけである。
そもそも、所長が客に対して色目を使わなければ済む話でもあるのだが、他人を魅了してしまうのは生まれ持っての特性であるらしく、どうしようもないことなのだという。
まさしく魔性の女だ。
私は口にするか迷って、やっぱり言った。
「意地悪なのは所長ですよ」
「さて、なんのことだか」
白々しくとぼける所長だった。
「とにかく、お客さんは丁重に扱いなさい。人との関わりを大事にしなければ、ここはやっていけないよ」
と、少女が倒していった立て看板を立て直しながら、所長が言う。
『芒野不思議相談所』
ここ――当事務所の屋号である。
「怪異、妖怪、幽霊、噂、言い伝え――ひとくちに不思議といってもその中身は様々だが、そこには必ず観測する人がいる。この科学万能な世界で、それでも説明がつかない悩み事を抱える人が、最後の頼みの綱としてここを訪れるんだ。私たちにできることは、相談者を信じて、親身に話を聞いてあげることだよ。わかるかな?」
「……はい」
それはそうである。
たしかにそうなのだが、最近はそうじゃないことも増えているのが実状だった。
ここ、芒野不思議相談所では相談事だけではなく、言い伝えや風習、俗信と言った民間伝承の蒐集も行っている。その事業を推進するべく『不思議な話、百円で買い取ります』という売り文句で、SNSに所長を写した宣伝動画を投稿したのだが、これがかなり上手くいってしまった。
具体的には、所長の色香に誘われた若い女性が、多く事務所を訪れるようになったのだ。
先の女子大学生も、その一例だった。
たしかに客足が増加し、奇譚の蒐集も上々で、結果だけを見れば大成功なのだが、その大事にするべきお客様の中に被害者が出てしまっていることが問題だった。
だからむしろ、私はお客様を大事にしているのであって、褒められることはあっても、咎められるような筋合いは毛ほどもないだろう。
この美貌の女は、嫌われ役になることの苦しさを知っているのだろうか。
所長は、居心地の悪そうにしていた玄関扉を閉めてやると、胸ポケットから紙たばこを取り出して、形の整った唇で咥える。
そのまま火をつけようとする彼女に、私は仕返しとばかりに言ってやった。
「所長、たばこは窓の方でお願いします」
「はいはい、そうだったね」
素直に窓際の方へと移動した所長は、窓を開けてたばこに火をつける。
窓の向こうは、燃えるような夕焼け。
紫煙をくゆらす横顔が、はっきりと影を落としている。
洒然とした切れ長な瞳は、どこか遠くを見ていて、まるで世界を見透かしているようだった。
「それで――」
「ん?」
その瞳が私を見る。
「それで、恋人はいるんですか?」
私の問いに、彼女はあっさりと答えた。
「いないよ。恋人はつくらない主義なんだ」
「そうですか」
所長は小さく笑う。
「ふふ、ご機嫌だね」
「どこがそう見えるんですか」
「そうか、それは失礼したね」
そう言って、彼女はまた窓の外に視線をやる。
私は深く息を吐いた。
あの瞳に見られていると、本当に見透かされているようで居心地が悪い。
「ところで小毬君、ひとつ確認したいことがあるんだけど、いいかな」
「はい、なんでしょうか」
「君が入居している社員寮のことなんだけど――」
「ぐきぃっ!」
たばこの灰が落ちて、目をしばたたかせた所長がこちらを見る。
「大丈夫? なんかだいぶ痛そうな音がしたけど」
「すみません、間違えました。正しくは『ぎくぅっ!』です」
「ああ、そう。何が『すみません』なのかよくわかんないけど……まあいいや。それで、その社員寮のことなんだけど、隣室の人から『猫の声がする』っていう苦情を、マンションの管理会社づてに聞いたんだけど、これに覚えはあるかい?」
「えーと……、ああ……その……」
嫌な汗が止まらなかった。
この苦境を抜け出す策を考えてみるが、一向に見つからない。
「入居の際に確認したと思うけど、そのマンションではペットの飼育は禁止されている。当然、うちの社員寮もその規則に従っている」
「はい……」
「まさかとは思うが、もし万が一、猫を飼っているようなことがあれば、私は君を追い出さなくてはいけない。そのことはよく理解しているね?」
「はい……」
私は、そう答えるしかなった。
「ならいい。よろしく頼むよ」
そう言って、所長は短くなったたばこを灰皿に押し付けると、ソファに掛けてあったジャケットを羽織る。
「どこか出かけるんですか?」
「ああ、ちょっと用事があってね」
「用事ですか」
「そう、用事。強いて言うなら野暮用、あえて言うならボランティアかな」
「ボランティア活動を野暮用と表現するのは、いささか野暮な気もしますが……」
「あはは、そうだね。しかしまあ、そんなところだ」
そう言いながらも、玄関に向かう所長は実に身軽で、鍵しか持っていなかった。
「今日はもう閉めるから上がっていいよ。あ、戸締りだけはよろしくね」
「わかりました」
「じゃあ、またね」
軽く手を振って、所長は事務所を出て行った。
手を振り返しながら確かに見送った私は、階段を下っていく足音を確認して、所長がいつも座っているソファに腰を掛けた。
深く溜息を吐く。
春の穏やかな風に吸殻の苦い匂いが香る。
もう窓の外には淡く夜が滲んでいた。
「ちなみにだけど――」
「――――っ!」
びっくりして、見てみれば、所長が玄関のドアから顔だけを覗かせていた。
彼女は、近くの大学に通う学生らしい。
さぞかし気合を入れてお洒落したのだろうと感じさせるような、華美な見た目だった。
そんな彼女と相対するのは、当事務所の所長であり、私の上司である芒野ヨウ子だ。
ふたりは事務所にふたつしかないソファにそれぞれ座って、会話に花を咲かせている。
座る場所をとられた私は、お茶を出すときに使ったお盆を手にしたまま、ふたりの様子を突っ立って見ている。
実に気に食わない。
「ていうか、芒野さんって本当にイケメンですよね!」
「こらこら。こんなおばさんを褒めそやして、一体どうするつもりなのかな」
――上司の面が良すぎて、気に食わない。
「いやいや、おばさんだなんて、そんな! それに、何か他意があるわけでは……」
「あはは、そうだね。ごめんごめん、ただの照れ隠しさ。君が本心からそう言ってくれたのはしっかり伝わっているよ」
そう言って、上司は悪戯な笑みを浮かべる。
ひゅっと息を飲む音が聞こえた。
見ると、顔を真っ赤にした少女が、なんとも表現しがたい、しかし確かに苦しそうな表情を浮かべていた。
(これは、惚れたな……)
私は彼女の心中を察すると同時に、彼女に対して哀れみに近い感情を抱いた。
あの微笑みを正面から受けたら誰だって正気ではいられなくなる。
さぞ苦しいことだろう。
ご愁傷様である。
ともかく、そんな可哀想な少女は俯き加減に、ぱくぱくと口を動かしながら必死に言葉を絞り出そうとしている。
その横顔は、窓から射す夕日にも負けぬほど真っ赤に染まっていた。
「あ……あのっ!」
少女は意を決したように口を開いた。
「そ、その……芒野さん、って……こ、恋人はいる――」
「お茶のおかわりはいかがですか?」
「へっ?!」
素っ頓狂な声が返ってきた。
私はお湯を入れた急須を示しながら、もう一度問いかける。
「お茶のおかわりはいかがですか?」
少女は思考が追いつかないのか、顔に三つの丸を作ったまま固まっていたが、やがて状況を理解したのだろう、耳まで真っ赤にした後「し、ししし失礼しますっ!」とひとこと残して、脱兎の如く事務所から出て行った。
階段を下る猛烈な足音が、物凄い勢いで遠ざかっていく。
「あれ、いっちゃった……」
所長は、開けっ放しにされたままの玄関扉を見つめて、唖然としている。
私はそれを見て、少し可哀想なことをしたと思った。
所長に対してではない。少女に対してだ。
今頃、恋路を邪魔されたことを恨んでいるかもしれない。
けれど、許してほしい。
これは私なりのちょっとした人助けなのだ。
「小毬君、さっきのはちょっと意地悪すぎないかな」
と、所長がソファから立ち上がって玄関の方へと歩きながら、私に苦言を呈する。
この際「意地悪なのは所長ですよ」と言ってやりたかったが、実際、私が意地悪なことをしたのは確かで、自覚もあった。
しかし、あくまでそれは少女を思ってのことだった。
なぜなら、この所長――芒野ヨウ子は、女性でありながら無自覚で女をたらし込む、生粋の女殺しなのだ。
この女に心を壊された女性は数知れず。廃人になった例も少なくない。
だから、そうなる前に所長から手を引かせるのが、助手を務める私の役目、というわけである。
そもそも、所長が客に対して色目を使わなければ済む話でもあるのだが、他人を魅了してしまうのは生まれ持っての特性であるらしく、どうしようもないことなのだという。
まさしく魔性の女だ。
私は口にするか迷って、やっぱり言った。
「意地悪なのは所長ですよ」
「さて、なんのことだか」
白々しくとぼける所長だった。
「とにかく、お客さんは丁重に扱いなさい。人との関わりを大事にしなければ、ここはやっていけないよ」
と、少女が倒していった立て看板を立て直しながら、所長が言う。
『芒野不思議相談所』
ここ――当事務所の屋号である。
「怪異、妖怪、幽霊、噂、言い伝え――ひとくちに不思議といってもその中身は様々だが、そこには必ず観測する人がいる。この科学万能な世界で、それでも説明がつかない悩み事を抱える人が、最後の頼みの綱としてここを訪れるんだ。私たちにできることは、相談者を信じて、親身に話を聞いてあげることだよ。わかるかな?」
「……はい」
それはそうである。
たしかにそうなのだが、最近はそうじゃないことも増えているのが実状だった。
ここ、芒野不思議相談所では相談事だけではなく、言い伝えや風習、俗信と言った民間伝承の蒐集も行っている。その事業を推進するべく『不思議な話、百円で買い取ります』という売り文句で、SNSに所長を写した宣伝動画を投稿したのだが、これがかなり上手くいってしまった。
具体的には、所長の色香に誘われた若い女性が、多く事務所を訪れるようになったのだ。
先の女子大学生も、その一例だった。
たしかに客足が増加し、奇譚の蒐集も上々で、結果だけを見れば大成功なのだが、その大事にするべきお客様の中に被害者が出てしまっていることが問題だった。
だからむしろ、私はお客様を大事にしているのであって、褒められることはあっても、咎められるような筋合いは毛ほどもないだろう。
この美貌の女は、嫌われ役になることの苦しさを知っているのだろうか。
所長は、居心地の悪そうにしていた玄関扉を閉めてやると、胸ポケットから紙たばこを取り出して、形の整った唇で咥える。
そのまま火をつけようとする彼女に、私は仕返しとばかりに言ってやった。
「所長、たばこは窓の方でお願いします」
「はいはい、そうだったね」
素直に窓際の方へと移動した所長は、窓を開けてたばこに火をつける。
窓の向こうは、燃えるような夕焼け。
紫煙をくゆらす横顔が、はっきりと影を落としている。
洒然とした切れ長な瞳は、どこか遠くを見ていて、まるで世界を見透かしているようだった。
「それで――」
「ん?」
その瞳が私を見る。
「それで、恋人はいるんですか?」
私の問いに、彼女はあっさりと答えた。
「いないよ。恋人はつくらない主義なんだ」
「そうですか」
所長は小さく笑う。
「ふふ、ご機嫌だね」
「どこがそう見えるんですか」
「そうか、それは失礼したね」
そう言って、彼女はまた窓の外に視線をやる。
私は深く息を吐いた。
あの瞳に見られていると、本当に見透かされているようで居心地が悪い。
「ところで小毬君、ひとつ確認したいことがあるんだけど、いいかな」
「はい、なんでしょうか」
「君が入居している社員寮のことなんだけど――」
「ぐきぃっ!」
たばこの灰が落ちて、目をしばたたかせた所長がこちらを見る。
「大丈夫? なんかだいぶ痛そうな音がしたけど」
「すみません、間違えました。正しくは『ぎくぅっ!』です」
「ああ、そう。何が『すみません』なのかよくわかんないけど……まあいいや。それで、その社員寮のことなんだけど、隣室の人から『猫の声がする』っていう苦情を、マンションの管理会社づてに聞いたんだけど、これに覚えはあるかい?」
「えーと……、ああ……その……」
嫌な汗が止まらなかった。
この苦境を抜け出す策を考えてみるが、一向に見つからない。
「入居の際に確認したと思うけど、そのマンションではペットの飼育は禁止されている。当然、うちの社員寮もその規則に従っている」
「はい……」
「まさかとは思うが、もし万が一、猫を飼っているようなことがあれば、私は君を追い出さなくてはいけない。そのことはよく理解しているね?」
「はい……」
私は、そう答えるしかなった。
「ならいい。よろしく頼むよ」
そう言って、所長は短くなったたばこを灰皿に押し付けると、ソファに掛けてあったジャケットを羽織る。
「どこか出かけるんですか?」
「ああ、ちょっと用事があってね」
「用事ですか」
「そう、用事。強いて言うなら野暮用、あえて言うならボランティアかな」
「ボランティア活動を野暮用と表現するのは、いささか野暮な気もしますが……」
「あはは、そうだね。しかしまあ、そんなところだ」
そう言いながらも、玄関に向かう所長は実に身軽で、鍵しか持っていなかった。
「今日はもう閉めるから上がっていいよ。あ、戸締りだけはよろしくね」
「わかりました」
「じゃあ、またね」
軽く手を振って、所長は事務所を出て行った。
手を振り返しながら確かに見送った私は、階段を下っていく足音を確認して、所長がいつも座っているソファに腰を掛けた。
深く溜息を吐く。
春の穏やかな風に吸殻の苦い匂いが香る。
もう窓の外には淡く夜が滲んでいた。
「ちなみにだけど――」
「――――っ!」
びっくりして、見てみれば、所長が玄関のドアから顔だけを覗かせていた。
「ちなみにだけど、うちの社員寮は独身寮だからね」
「ぐきぃっ!」
本当に、見透かされている。
「ぐきぃっ!」
本当に、見透かされている。
みんなのリアクション
まだリアクションはありません。最初の一歩を踏み出しましょう!
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