第百二十八話:戦場の安息と愛の総決算
ー/ー 魔王が消滅し、世界が光に満たされた数時間後。
崩壊した魔王城跡地に設営された臨時キャンプには、かつてない安息の空気が流れていた。
空は突き抜けるように青い。
大地からは瘴気が消え、テラの魔力によって急速に緑が芽吹き始めている。
兵士たちは銘々(めいめい)に座り込み、生き残った喜びを分かち合っていた。
ヒカルは、簡易玉座――瓦礫の上に敷かれた絨毯の上で、泥のように眠っていた。
その寝顔は、この数年間の重圧から解放され、憑き物が落ちたように穏やかだった。
「……可愛い寝顔」
「ええ。論理的に見て、最高の安眠です」
「わらわの膝枕でなくて残念ですが……今は許しましょう」
ヒカルを取り囲む六龍姫たちもまた、ボロボロの姿ながら、愛おしそうに王を見守っている。
彼女たちの魔力も枯渇寸前だが、その瞳は勝利の輝きに満ちていた。
その時、騒がしい足音が静寂を破った。
「王よ!! 起きてください王よ!! 来ました! ついに到着しましたぞ!!」
爆炎龍将軍フレアだ。
彼は全身包帯だらけの満身創痍でありながら、顔をくしゃくしゃにして泣き笑いのような表情で走ってきた。
その背後には、後方から転移魔法で駆けつけた深海の戦術師シエルと、彼女に付き添うアウラ、そしてリリアの姿があった。
ヒカルが、騒ぎに気づいて目を覚ます。
「ん……フレア? なんだ、敵襲か……?」
「違います! 敵襲よりも重大な、未来の光の到来です!」
フレアは、シエルの元へ駆け寄り、彼女が大切そうに抱えている「包み」を、震える手で指し示した。
シエルは、戦術家としての冷徹な顔ではなく、慈愛に満ちた母の顔で微笑んでいた。
「王よ。……そして皆様。遅くなりましたが、ご報告に参りました」
シエルが布をそっと開く。
そこには、小さな、しかし力強い生命の輝きがあった。
まだ目は開いていないが、額には小さな角の名残があり、肌は薄っすらと水色の輝きを帯びている。
「男の子です。……私たちの、希望です」
「おおおお……!」
ヒカルは完全に眠気が吹き飛び、その場に駆け寄った。
恐る恐る、壊れ物を扱うように、その小さな命を覗き込む。
「すごい……。本当に、生まれたんだな」
「はい。ヒカル様たちが戦っている間、この子もまた、産声を上げる戦いをしておりました」
付き添ってきたリリアが、感極まったように涙を拭う。
「抱いてやってください、王よ」
フレアが鼻をすすりながら言う。
「俺たちの息子に、最初に触れる男は、俺が世界で一番尊敬する王であってほしいのです」
ヒカルは震える手で、シエルから赤ちゃんを受け取った。
軽い。
けれど、ずっしりと重い。
これが、「命」の重さだ。
「……ようこそ、世界へ。よく来たな」
ヒカルの腕の中で、赤ん坊が小さくあくびをした。
その無垢な仕草に、ヒカルは自然と頬を緩ませる。
「王よ。厚かましいお願いがございます」
シエルが、改まって言った。
「この子の名を……ヒカル様に付けていただきたいのです」
「俺が? いや、それは親であるお前たちが決めるべきじゃ……」
ヒカルは戸惑った。名付け親になるというのは、重大な責任だ。ましてや、部下とはいえ友人のような二人の子供だ。
だが、フレアもまた、真剣な眼差しで頷いた。
「いいえ、王よ。この子は未来において、王の血を引く次世代の王――あるいは女王の、最初の臣下であり、片腕となるべき運命(さだめ)にあります。ならば、その最初の主君であるヒカル様に名を授かることこそ、この子にとって最高の誉れであり、最初の勲章なのです」
「次の王の、片腕か……」
ヒカルは、腕の中の小さな命を見つめ直した。
フレアの炎のような情熱と、シエルの海のような知性。その二つを受け継いだ子。
やがて生まれてくるであろう、自分とレヴィアたちの子どもを支え、共に新しい時代を歩んでいく存在。
ヒカルは、澄み渡る青空を見上げ、そして赤ん坊の瞳を覗き込んだ。
「……『シリウス』。夜空で最も強く輝く星の名だ。どんなに暗い夜でも、王の道を照らし、支える道標になってくれ」
「シリウス……。シリウス・イグニス。……素晴らしい名です!」
フレアが感極まって叫ぶ。シエルも、その名に込められた願いを理解し、深く頭を下げて満足げに微笑んだ。
「ありがとうございます、王よ。この子は今日からシリウスとして、王国の未来に仕えます」
「ようこそ、シリウス」
ヒカルが名を呼ぶと、赤ん坊――シリウスは、まるで返事をするようにキャッキャと笑った。
その瞬間、周囲で見守っていた六龍姫たちから、我慢の限界とばかりに黄色い悲鳴が上がった。
「キャーッ!! 可愛いぃぃぃ!!」
「ちっさい! ぷにぷにだわ!」
セフィラが飛び跳ね、テラが頬を緩ませる。
ヴァルキリアでさえ、口元を隠しながら「……悪くない」と呟く。
だが、その歓喜の輪の中で、二人の竜姫の瞳だけが、別の種類の炎を宿し始めていた。
レヴィアと、アクアだ。
レヴィアは、ヒカルが赤ん坊を抱く姿を見て、自身の腹部を無意識にさすった。
(あんな顔……。ヒカル、あんなに優しい顔をするのね。我が……我と彼の子があの腕に抱かれていたら……)
アクアもまた、眼鏡を光らせて計算を開始していた。
(シエルの出産による士気向上効果は測定不能。……論理的に考えて、王位継承権を持つ「正妃」が子を成した場合、その統合効果はこの比ではありません。……急がねば)
◇◆◇◆◇
赤ん坊をシエルに返した後、ヒカルは改めて全員に向き直った。
祝勝会を兼ねた、最後の円卓会議(青空教室状態だが)である。
議題は一つ。
延期され続けてきた、「正妃の座」の決定についてだ。
「魔王は倒した。世界は平和になった。……約束通り、この場で俺の決断を話そうと思う」
ヒカルの言葉に、空気が張り詰める。
それぞれが、魔王戦での武功を主張し始めた。
「王よ! 私の理性と、イリス殿との『技術ユニゾン』がなければ、戦線は崩壊していました。論理的に見て、国母にふさわしいのは私です!」
アクアが先陣を切る。
「待って! 私の『自由な風』が、魔王城の隙間をこじ開けたんだよ! 新しい世界には、新しい風が必要でしょ!?」
セフィラが食い下がる。
「主よ。誰が最後まで防御を支えたと思われますか? わらわの『土の盾』なくして、勝利はありませんでした。母性こそが、王を支えるのです!」
テラが譲らない。
「ヒカル様……。私の光と、クラリス殿の『祈りのユニゾン』が、最後の逆転の鍵でした。魂のパートナーとして、私を選んでくださいませんか?」
ルーナが祈るように見つめる。
「契約者。忘れるな、私の闇がなければ、魔王の背後は取れなかった。光の影に寄り添えるのは、私だけだ」
ヴァルキリアが静かに告げる。
五人の主張は、どれも正しかった。誰が欠けても勝てなかった。
ヒカルが答えに窮していると、それまで沈黙していたレヴィアが、静かに、しかし燃えるような瞳で立ち上がった。
「……皆の功績は認めるわ。でもね」
レヴィアは、ヒカルの目の前に立ち、その胸ぐらを掴んだ。
あの魔王城での再現のように。
だが今度は、暴力ではなく、確信に満ちた愛で。
「ヒカル。思い出して。魔王の精神攻撃で、貴方の心が竜の本能に飲み込まれそうになった時……。誰が、貴方を『人間』に引き戻した?」
その問いに、全員が息を呑んだ。
技術でも、祈りでも、防御でもない。
あの絶望的な状況で、暴走するヒカルを止めたのは――。
「私の『愛の鎖』よ」
レヴィアは、他の姫たちを睥睨した。
「貴女たちは、王を支え、守り、導いたかもしれない。でも、王の『魂』そのものを、絶望の淵から救い出したのは……この私、レヴィア・フレイムハートよ!」
◇◆◇◆◇
それは、誰も否定できない事実だった。
ヒカルという存在の核(コア)を救ったという、非代替的な功績。
「私が彼を救い、彼が私を王にした。始まりも、終わりも、私と彼の間にあるの。……これ以上の論理が、必要かしら?」
アクアが、悔しげに、しかし潔く眼鏡を直した。
「……論理的完敗、ですわね。魂の救済という功績値は、計算不能(インフィニティ)です」
ヒカルは、レヴィアの手を握り返した。
「……ああ。レヴィア。お前がいなきゃ、俺は今ここにいない。お前が、俺の……」
「正妃」と、言おうとした瞬間だった。
ウッ……。
レヴィアが突然、口元を押さえてしゃがみ込んだ。
「レヴィア!? どうした! 怪我か!?」
ヒカルが慌てて支える。
「わ、分からない……。急に、吐き気が……それに、なんだか体が熱くて……」
すぐにアウラとソフスが駆け寄り、診断魔法をかける。
数秒後、二人は顔を見合わせ、そして信じられないものを見る目でヒカルとレヴィアを見た。
「……反応、ありです」
「なんと……。これほどの魔力枯渇状態でありながら、着床しておるとは……!」
アウラが、無表情の中に微かな動揺を浮かべて告げた。
「おめでとうございます、ヒカル王、レヴィア様。……ご懐妊です」
「「「はあぁぁぁぁぁぁぁッ!?!?」」」」
その場にいた全員の絶叫が、晴れ渡った空に響き渡った。
「か、懐妊……!? 私が……ヒカルの子を!?」
レヴィアは呆然とし、そして次の瞬間、爆発的な歓喜の炎を吹き上げた。
「やったわ!! 見たかアクア! 勝った! 私が勝ったわ!! 武功も、魂の救済も、そして『世継ぎ』も! 全て私が一番乗りよ!!」
「そ、そんな……! 論理的に……先を越されるなんて……!」
アクアが崩れ落ちる。
「ずるいー! レヴィア姉さんだけ抜け駆けだー!」
セフィラがジタバタする。
「主よ……。わらわも……わらわも準備は万端ですのに……!」
テラが悔し涙を流す。
ヒカルは、レヴィアのお腹と、彼女の笑顔を交互に見て、力が抜けたように笑った。
「……勝てないな、お前には」
その時だった。
人類側の席で、レオーネ皇女が小さく呻き声を上げ、口元を押さえた。
「うっぷ……」
「レ、レオーネ!? お前もか!?」
ヒカルが驚愕して振り返る。
レオーネは顔を真っ赤にして、しかし皇族としての誇りと、母としての喜びが入り混じった表情で、小さく頷いた。
「……申し訳ありません、王よ。どうやら、旧帝国の行政記録だけでなく……王の血統も、私が引き継ぐことになりそうです」
「えええええええええええっ!?」
会場が、先ほど以上のどよめきに包まれる。
「人間側の側妃にまで先を越されるなんて……!」
アクアが、今度こそ膝から崩れ落ちた。
魔王は倒した。世界は平和になった。
だが、ヒカルの周りには、新たな、そしてもっと騒がしい戦いの予感が渦巻いていた。
「よし! そうと決まれば凱旋よ! そして王城に帰ったら、盛大な結婚式と……出産準備よ!」
レヴィアが高らかに宣言する。
「待ってください、レヴィア! 第二子、第三子の権利は平等であるべきです! 王よ、今夜からの当番制、再構築を要求します!」
「ボクも! ボクもママになりたい!」
「わらわもです!」
「私も……!」
「フン、闇の血統も残さねばな」
六龍姫たちが、獲物を狙う目でヒカルに詰め寄る。
リリアが、少し寂しげに、しかし温かい笑顔でヒカルを見守る。
「ヒカル様の安息は、まだまだ訪れそうにありませんね」
ヒカルは、青空に向かって叫んだ。
「……望むところだ! 全員、幸せにしてやる!!」
こうして、伝説に残る「抗魔戦争」は幕を閉じた。
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