修学旅行実行委員の委員長の
藤城皐月と、副委員長の
江嶋華鈴は児童会室で修学旅行の挨拶の暗記をしていた。暗記を切り上げた後、話題がバスレクに移っていた。
「俺たちのクラスはね、他にもバスレクでゲームやるよ」
「ゲーム? 藤城君はそういうのって面倒だからやらないのかと思った」
「まあゲームは準備をしたり、司会をしたりして面倒なのは確かなんだけどね。でもバスレクをやりたいって子がたくさんいたからさ、やっぱやらないとって思って。それにゲームは俺も好きだし」
修学旅行実行委員での雑談では、どのクラスの委員もバスレクをやりたくなさそうにしていた。華鈴の言う通り、みんな面倒だと思っているのだろう。
「水野さんたち2組は何かバスレクやるって言ってた?」
「特に何も言ってなかったな。水野さんはゲームとかやりたがる性格じゃなさそうだけど……」
「でも陽向はそういうの好きそうだから、何か考えているのかもな」
中島陽向は陽気な少年だから、バスの中でCDを聴いたり、DVDを見たりするだけでは物足りないだろう。
「藤城君のクラスはどんなゲームをするの?」
「うん。俺たちはね、『いつどこで誰と誰が何をした』っていうのをやるんだけど、わかる?」
「わかるわけないでしょ」
皐月は華鈴にこの遊びの概要を手短に説明した後、具体例を出してわかってもらおうと思った。
「じゃあ例文を作るね。『いつ』『どこで』『誰と』『誰が』『何をした』の順で文を作っていくからね」
「わかった」
「まずは『放課後』」
「うん」
「『児童会室で』」
「うん」
「『江嶋華鈴と』」
「私?」
「『藤城皐月が』」
「藤城君が?」
「『キスをした』」
「……」
皐月は昨日、
新倉美優にからかわれた時と同じ構文を使ってみた。
筒井美耶は「ヤダー」と照れて騒いだが、華鈴は冷めた顔をして黙ってしまった。ここには
伊藤恵里沙や
長谷村菜央のように、自分たちをはやし立ててくれるギャラリーもいない。
(やっちまった!)
ひどいスベり方をした。顔が真っ赤になった。言い訳も言えず、重い沈黙が流れた。校庭から児童が遊ぶ声が聞こえてきた。
「本気で言ってるの?」
華鈴が顔をしかめていた。語気も強く、皐月は怯んでしまった。
「こういう例文を昨日作られてさ、スゲー盛り上がったから、ちょっと言ってみたくなったんだよ」
苦しい言い訳だと思った。だが皐月は自分の言ったことを冗談だと笑いたくない気分だった。
「藤城君は私とキスしたいの?」
苦しげな表情は変わらないが、皐月は華鈴から嫌悪を感じなかった。ここでキスなんかしたくねーよと言ったら、プライドの高い華鈴を傷つけてしまうかもしれない。
「江嶋みたいな魅力的な女の子とキスしたくない男子なんかいねーよ」
皐月は苦し紛れに一般論でごまかした。これなら華鈴のプライドを傷つけずにすむだろう。それに華鈴とキスしてみたいという思いも隠すことができる。
華鈴は思いつめた顔をして黙っていた。皐月はこれ以上何も言えず、華鈴から視線を外さずに沈黙に付き合った。
「キスしてもいいよ」
「えっ?」
「私だってそういうこと、興味あるから……」
皐月は驚いて、華鈴の顔をまじまじと見てしまった。華鈴の口からこんな言葉を聞く日が来るとは思わなかった。
目を合わせていた華鈴の顔が紅潮してきた。恥ずかしいのか、キスを待っているのか、華鈴は意を決したように目を瞑った。少し
俯いていた。
今この世界にいるのは自分と、目の前の華鈴だけだ。そう思うと、皐月は華鈴のことが愛おしくなってきた。
皐月は腰を浮かせて椅子を移動させ、華鈴のすぐ隣へ体を寄せた。右手を華鈴の顎にかけた。抵抗する様子がなかったので、クイっと顔を持ち上げて自分の方に向きを変えた。もう後戻りはできなかった。
優しく華鈴と唇を重ねた。緊張しているのか、華鈴は固く口を結んでいた。息を止めているようで、華鈴の吐息を感じなかった。
皐月はわざと細い息を華鈴にかけてみた。皐月に呼応するように華鈴も鼻で息をした。華鈴の吐息は
栗林真理や女子高生の
及川祐希、芸妓の
明日美と似て、甘くとろけそうな匂いがした。
皐月から顔を離した。華鈴の顔を見つめていると、少し遅れて華鈴も目を開いた。
「ごめんね」
華鈴が謝ってきた。
「何が?」
「入屋さんがいるのにこんなことしちゃって……」
「いいよ」
全然良くなかった。昨日、
荼枳尼天の前で煩悩を祓うことを決意したのに、もう破ってしまった。
「藤城君、入屋さんとキスしたこと、ある?」
「……ない」
「……そうなんだ」
華鈴は恥ずかしそうに微笑むと、急に席を立った。
「私、もう行くね。じゃあ」
華鈴は慌てて児童会室を出ようと駆けだした。足元を何かに引っ掛けて、出入り口の引き戸につんのめりそうになっていた。赤い顔で嬉しそうに手を振る華鈴を皐月は座ったまま見送った。