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308 こんな言葉を聞く日が来るとは思わなかった

ー/ー



 修学旅行実行委員の委員長の藤城皐月(ふじしろさつき)と、副委員長の江嶋華鈴(えじまかりん)は児童会室で修学旅行の挨拶の暗記をしていた。暗記を切り上げた後、話題がバスレクに移っていた。
「俺たちのクラスはね、他にもバスレクでゲームやるよ」
「ゲーム? 藤城君はそういうのって面倒だからやらないのかと思った」
「まあゲームは準備をしたり、司会をしたりして面倒なのは確かなんだけどね。でもバスレクをやりたいって子がたくさんいたからさ、やっぱやらないとって思って。それにゲームは俺も好きだし」
 修学旅行実行委員での雑談では、どのクラスの委員もバスレクをやりたくなさそうにしていた。華鈴の言う通り、みんな面倒だと思っているのだろう。
「水野さんたち2組は何かバスレクやるって言ってた?」
「特に何も言ってなかったな。水野さんはゲームとかやりたがる性格じゃなさそうだけど……」
「でも陽向はそういうの好きそうだから、何か考えているのかもな」
 中島陽向(なかじまひなた)は陽気な少年だから、バスの中でCDを聴いたり、DVDを見たりするだけでは物足りないだろう。

「藤城君のクラスはどんなゲームをするの?」
「うん。俺たちはね、『いつどこで誰と誰が何をした』っていうのをやるんだけど、わかる?」
「わかるわけないでしょ」
 皐月は華鈴にこの遊びの概要を手短に説明した後、具体例を出してわかってもらおうと思った。
「じゃあ例文を作るね。『いつ』『どこで』『誰と』『誰が』『何をした』の順で文を作っていくからね」
「わかった」
「まずは『放課後』」
「うん」
「『児童会室で』」
「うん」
「『江嶋華鈴と』」
「私?」
「『藤城皐月が』」
「藤城君が?」
「『キスをした』」
「……」
 皐月は昨日、新倉美優(にいくらみゆ)にからかわれた時と同じ構文を使ってみた。筒井美耶(つついみや)は「ヤダー」と照れて騒いだが、華鈴は冷めた顔をして黙ってしまった。ここには伊藤恵里沙(いとうえりさ)長谷村菜央(はせむらなお)のように、自分たちをはやし立ててくれるギャラリーもいない。
(やっちまった!)
 ひどいスベり方をした。顔が真っ赤になった。言い訳も言えず、重い沈黙が流れた。校庭から児童が遊ぶ声が聞こえてきた。

「本気で言ってるの?」
 華鈴が顔をしかめていた。語気も強く、皐月は怯んでしまった。
「こういう例文を昨日作られてさ、スゲー盛り上がったから、ちょっと言ってみたくなったんだよ」
 苦しい言い訳だと思った。だが皐月は自分の言ったことを冗談だと笑いたくない気分だった。
「藤城君は私とキスしたいの?」
 苦しげな表情は変わらないが、皐月は華鈴から嫌悪を感じなかった。ここでキスなんかしたくねーよと言ったら、プライドの高い華鈴を傷つけてしまうかもしれない。
「江嶋みたいな魅力的な女の子とキスしたくない男子なんかいねーよ」
 皐月は苦し紛れに一般論でごまかした。これなら華鈴のプライドを傷つけずにすむだろう。それに華鈴とキスしてみたいという思いも隠すことができる。
 華鈴は思いつめた顔をして黙っていた。皐月はこれ以上何も言えず、華鈴から視線を外さずに沈黙に付き合った。
「キスしてもいいよ」
「えっ?」
「私だってそういうこと、興味あるから……」
 皐月は驚いて、華鈴の顔をまじまじと見てしまった。華鈴の口からこんな言葉を聞く日が来るとは思わなかった。
 目を合わせていた華鈴の顔が紅潮してきた。恥ずかしいのか、キスを待っているのか、華鈴は意を決したように目を瞑った。少し(うつむ)いていた。
 今この世界にいるのは自分と、目の前の華鈴だけだ。そう思うと、皐月は華鈴のことが愛おしくなってきた。

 皐月は腰を浮かせて椅子を移動させ、華鈴のすぐ隣へ体を寄せた。右手を華鈴の顎にかけた。抵抗する様子がなかったので、クイっと顔を持ち上げて自分の方に向きを変えた。もう後戻りはできなかった。
 優しく華鈴と唇を重ねた。緊張しているのか、華鈴は固く口を結んでいた。息を止めているようで、華鈴の吐息を感じなかった。
 皐月はわざと細い息を華鈴にかけてみた。皐月に呼応するように華鈴も鼻で息をした。華鈴の吐息は栗林真理(くりばやしまり)や女子高生の及川祐希(おいかわゆうき)、芸妓の明日美(あすみ)と似て、甘くとろけそうな匂いがした。
 皐月から顔を離した。華鈴の顔を見つめていると、少し遅れて華鈴も目を開いた。
「ごめんね」
 華鈴が謝ってきた。
「何が?」
「入屋さんがいるのにこんなことしちゃって……」
「いいよ」
 全然良くなかった。昨日、荼枳尼天(だきにてん)の前で煩悩を祓うことを決意したのに、もう破ってしまった。
「藤城君、入屋さんとキスしたこと、ある?」
「……ない」
「……そうなんだ」
 華鈴は恥ずかしそうに微笑むと、急に席を立った。
「私、もう行くね。じゃあ」
 華鈴は慌てて児童会室を出ようと駆けだした。足元を何かに引っ掛けて、出入り口の引き戸につんのめりそうになっていた。赤い顔で嬉しそうに手を振る華鈴を皐月は座ったまま見送った。



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 修学旅行実行委員の委員長の|藤城皐月《ふじしろさつき》と、副委員長の|江嶋華鈴《えじまかりん》は児童会室で修学旅行の挨拶の暗記をしていた。暗記を切り上げた後、話題がバスレクに移っていた。
「俺たちのクラスはね、他にもバスレクでゲームやるよ」
「ゲーム? 藤城君はそういうのって面倒だからやらないのかと思った」
「まあゲームは準備をしたり、司会をしたりして面倒なのは確かなんだけどね。でもバスレクをやりたいって子がたくさんいたからさ、やっぱやらないとって思って。それにゲームは俺も好きだし」
 修学旅行実行委員での雑談では、どのクラスの委員もバスレクをやりたくなさそうにしていた。華鈴の言う通り、みんな面倒だと思っているのだろう。
「水野さんたち2組は何かバスレクやるって言ってた?」
「特に何も言ってなかったな。水野さんはゲームとかやりたがる性格じゃなさそうだけど……」
「でも陽向はそういうの好きそうだから、何か考えているのかもな」
 |中島陽向《なかじまひなた》は陽気な少年だから、バスの中でCDを聴いたり、DVDを見たりするだけでは物足りないだろう。
「藤城君のクラスはどんなゲームをするの?」
「うん。俺たちはね、『いつどこで誰と誰が何をした』っていうのをやるんだけど、わかる?」
「わかるわけないでしょ」
 皐月は華鈴にこの遊びの概要を手短に説明した後、具体例を出してわかってもらおうと思った。
「じゃあ例文を作るね。『いつ』『どこで』『誰と』『誰が』『何をした』の順で文を作っていくからね」
「わかった」
「まずは『放課後』」
「うん」
「『児童会室で』」
「うん」
「『江嶋華鈴と』」
「私?」
「『藤城皐月が』」
「藤城君が?」
「『キスをした』」
「……」
 皐月は昨日、|新倉美優《にいくらみゆ》にからかわれた時と同じ構文を使ってみた。|筒井美耶《つついみや》は「ヤダー」と照れて騒いだが、華鈴は冷めた顔をして黙ってしまった。ここには|伊藤恵里沙《いとうえりさ》や|長谷村菜央《はせむらなお》のように、自分たちをはやし立ててくれるギャラリーもいない。
(やっちまった!)
 ひどいスベり方をした。顔が真っ赤になった。言い訳も言えず、重い沈黙が流れた。校庭から児童が遊ぶ声が聞こえてきた。
「本気で言ってるの?」
 華鈴が顔をしかめていた。語気も強く、皐月は怯んでしまった。
「こういう例文を昨日作られてさ、スゲー盛り上がったから、ちょっと言ってみたくなったんだよ」
 苦しい言い訳だと思った。だが皐月は自分の言ったことを冗談だと笑いたくない気分だった。
「藤城君は私とキスしたいの?」
 苦しげな表情は変わらないが、皐月は華鈴から嫌悪を感じなかった。ここでキスなんかしたくねーよと言ったら、プライドの高い華鈴を傷つけてしまうかもしれない。
「江嶋みたいな魅力的な女の子とキスしたくない男子なんかいねーよ」
 皐月は苦し紛れに一般論でごまかした。これなら華鈴のプライドを傷つけずにすむだろう。それに華鈴とキスしてみたいという思いも隠すことができる。
 華鈴は思いつめた顔をして黙っていた。皐月はこれ以上何も言えず、華鈴から視線を外さずに沈黙に付き合った。
「キスしてもいいよ」
「えっ?」
「私だってそういうこと、興味あるから……」
 皐月は驚いて、華鈴の顔をまじまじと見てしまった。華鈴の口からこんな言葉を聞く日が来るとは思わなかった。
 目を合わせていた華鈴の顔が紅潮してきた。恥ずかしいのか、キスを待っているのか、華鈴は意を決したように目を瞑った。少し|俯《うつむ》いていた。
 今この世界にいるのは自分と、目の前の華鈴だけだ。そう思うと、皐月は華鈴のことが愛おしくなってきた。
 皐月は腰を浮かせて椅子を移動させ、華鈴のすぐ隣へ体を寄せた。右手を華鈴の顎にかけた。抵抗する様子がなかったので、クイっと顔を持ち上げて自分の方に向きを変えた。もう後戻りはできなかった。
 優しく華鈴と唇を重ねた。緊張しているのか、華鈴は固く口を結んでいた。息を止めているようで、華鈴の吐息を感じなかった。
 皐月はわざと細い息を華鈴にかけてみた。皐月に呼応するように華鈴も鼻で息をした。華鈴の吐息は|栗林真理《くりばやしまり》や女子高生の|及川祐希《おいかわゆうき》、芸妓の|明日美《あすみ》と似て、甘くとろけそうな匂いがした。
 皐月から顔を離した。華鈴の顔を見つめていると、少し遅れて華鈴も目を開いた。
「ごめんね」
 華鈴が謝ってきた。
「何が?」
「入屋さんがいるのにこんなことしちゃって……」
「いいよ」
 全然良くなかった。昨日、|荼枳尼天《だきにてん》の前で煩悩を祓うことを決意したのに、もう破ってしまった。
「藤城君、入屋さんとキスしたこと、ある?」
「……ない」
「……そうなんだ」
 華鈴は恥ずかしそうに微笑むと、急に席を立った。
「私、もう行くね。じゃあ」
 華鈴は慌てて児童会室を出ようと駆けだした。足元を何かに引っ掛けて、出入り口の引き戸につんのめりそうになっていた。赤い顔で嬉しそうに手を振る華鈴を皐月は座ったまま見送った。