1. 22:00 認定証の限界と、主任の孤独
7月下旬。舞台裏方へのキャリアチェンジを決めた二宮颯太(26歳)は、先月取得した「舞台技術アシスタント認定証」を眺めていた。裏方への第一歩となる資格ではあるが、これだけでは食えない。
彼の今の目標は、実地研修が必須となる、より専門性の高い「舞台技術プロフェッショナル養成コース」への入学だ。しかし、その受講料と生活費の壁は厚く、コンビニの深夜バイトを続ける日々。
彼の心は、希望と同時に、以前にも増して強い焦燥感に苛まれていた。
(アシスタント認定証では、菜々子さんの主任としての安定には程遠い。プロ養成コースに進むための資金を、どうにかしないと……)
そんな二宮の焦燥をあざ笑うかのように、隣室の飯田菜々子(28歳)の部屋から、深夜の静寂を切り裂くような力強い音が響いてきた。
飯田は、Webデザインのチームマネジメントで一日中煮詰まり、プロ級の技術で五目チャーハンを作り始めていた。
カランッ、カランッ!
中華鍋を返す、リズミカルで力強い音。熱された具材と醤油が一瞬で焦げる、香ばしい匂いが換気扇から漏れ出す。
「くそっ、この音は……!」
二宮は、その「鍋を振るプロの音」に、飯田の仕事の「手際の良さ」と「安定感」、そして「稼ぐ力」を重ねて感じ、自身の心に重くのしかかるのを感じた。
2. 22:30 ネギ油の誘惑と、独自の価値
飯田が自家製のネギ油を高温になったチャーハンに回し入れると、ジュワアアアアッ!という音と共に、ネギ油の芳醇な香りが部屋に充満した。
二宮は、我慢できずに飯田の部屋のドアをノックした。
飯田がドアを開けると、彼は真剣な焦燥感を滲ませた目で、飯田を見つめた。
「菜々子さん。そのチャーハン……音がプロですね。その手際の良さが、俺には眩しい」
飯田は、汗を拭いながら笑う。
「ふふ。今日も特別豪華な五目チャーハンよ。食べるでしょ?」
「いただきます。でも、一つ聞きたいことがあります」
二宮は、チャーハンを盛り付ける飯田の背中に語りかけた。
「菜々子さんは、どうやって、そんなに安定した収入源を築いたんですか?俺もアシスタント認定証だけでは収入源が細い」
二宮は、意を決して飯田に相談した。
「俺は、舞台技術の裏方スキルと、菜々子さんの持つWebデザインのスキルを組み合わせられないかと考えています。舞台の宣伝サイト制作から技術サポートまで、二つをまとめて請け負う独自の価値を売り込めば、プロ養成コースの受講料も賄えて、菜々子さんのように安定した基盤を作れるんじゃないか」
3. 23:00 二兎を追う懸念と、戦略的回答
二人は五目チャーハンを前に、向かい合って座った。
飯田は、二宮の戦略的な発想に驚きながらも、すぐに年上としての現実的な懸念を表明した。
「そうね。あなたの発想は面白いわ、颯太くん。でも、正直に言うわ。二兎を追う者は一兎をも得ずよ」
飯田の言葉は、二宮の心に重く響いた。
「プロ養成コースは実地研修もあるんでしょう? その上で畑違いのWebデザインまで手を広げたら、どちらも中途半端になる。私の仕事は、あなたが思っているほど簡単なものじゃないわ」
飯田は、彼の疲弊を心配していた。彼の挑戦を否定するのではなく、彼が本当に「安定」を掴めるのか、懸念していたのだ。
二宮は、チャーハンを噛み締めながら、真摯に答えた。
「わかっています。でも、俺には時間がない。舞台技術のアシスタントだけでは収入が不安定だ。Webデザインは、舞台経験で培った『観察力』と『人の心を掴む感性』が活かせる。菜々子さんがチャーハンを作る時の『手際の良さ』と『確実なスキル』を、俺も両方手に入れたい」
二宮は箸を置き、飯田の目を見た。
「Webデザインは、菜々子さんの隣に立つための、俺なりの『二重の付加価値』なんです。菜々子さんが不安にならない、最強の稼ぎ手になります」
二宮の揺るぎない決意と、その戦略的な思考に、飯田の顔に安堵の表情が浮かんだ。
23:30 チャーハンが繋ぐ協力関係
「ふふ。そういうことだったのね、颯太くん。ごめん、私、あなたの焦りばかり見ていたわ」
飯田は、自分の分として残しておいた自家製チャーシューを、二宮の丼にそっと乗せた。
「いいわ。じゃあ、まずはあなたの『観察力』を試してあげる。Webデザインの基礎なら、いつでも教えてあげる。まずは、このチャーハンに入っている私の『ひと工夫』を当ててごらんなさい」
飯田は、一口分のチャーハンをフォークに乗せ、二宮の口元に差し出した。
「ほら、一口。これを食べて、具材の奥にある私の『ひと工夫』を見抜けるかな?」
二宮は、飯田の仕草に一瞬動揺しながらも、口を開け、チャーハンを受け入れた。彼は、ネギ油の香ばしさと、具材の奥に潜む飯田独自の「ひと工夫」を分析しようと、真剣な眼差しで噛み締めた。
「……フフ。参りました。Webデザインの勉強、教えてもらえますか、菜々子さん」
二宮は、その問いかけを、彼女との新しい協力関係の始まりだと確信した。
飯田は、チャーハンを完食した二宮の皿を下げながら、静かに微笑んだ。そして、トレイを抱えながら、二宮に目を向けた。
「そうと決まれば、私もマネージャーとして、しっかりあなたのサポートをさせてもらうわ。私の給料で最低一年は生活を支えると言ったけれど、その間に、あなたは必ず『プロ養成コース』に進む。さあ、私に『最強の稼ぎ手』になるための具体的な計画を提出しなさい。祈っているだけじゃ、あなたの成功は掴めないものね」
二宮は、その言葉の重みに、背筋を伸ばし、一礼するような姿勢で答えた。
「はい、主任」
二宮の真面目な、しかし少し茶目っ気のある返事に、飯田は思わず笑みをこぼしたが、すぐに表情を引き締めた。
「もう。茶化さないのよ。私は主任として、厳しくいくから覚悟してよね」
(彼の将来の基盤は、もう彼任せじゃない。私がしっかりとレールを敷いて、確実に成功するようにマネジメントするのが私の役割だわ。もう、私の給料に頼る生活は終わらせる)
飯田は、二宮の決意という熱を糧に、彼との「同じ食卓を囲む未来」が、より具体的に、より確かなものへと変化していることを実感していた。